銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集) 作:銀推し
私の前に立つ私。
中学生の空銀子が二の腕を擦りながら口を開く。
「……それで、話ってなに? 寒いから早くして欲しいんだけど」
……この台詞、なんだか聞き覚えがあるわね。
ううん、というよりも……正確に言うなら言った覚えのある台詞、かな。
私とJC銀子は前にも一度こうしてベランダで話し合いをした事がある。あの時は私が呼び出される側だったけど、今回はその立場が逆転した形だ。
「……なんの話で呼び出されたのか、あなたならとっくに見当が付いているんじゃない?」
「……さぁ、知らないけど?」
私が軽く牽制してみれば、JC銀子は露骨な程にその視線を逸らす。
けれど内心思い当たる事があるのだろう、その表情はバツが悪そうな顔をしていた。
「さっき、八一から事情は聞いた」
「………………」
「私の制服を着て、高校生のふりをして……それであのバカとキスをしたんだって?」
私がそうと告げた途端、JC銀子がピクッと肩を揺らす。なんとまぁ分かりやすい中学生だ。
この反応を見る限り容疑はクロ、で間違いないようね。まぁ八一から話を聞いた時点で分かっていた事だし、別に疑っていた訳じゃないけど。
「八一のやつ、JCと浮気をしちゃったーって、さっきまでここで土下座してたわよ」
「……そう」
するとJC銀子がその顔色を曇らせる。
それはきっと八一への罪悪感からだろう……と、私はそう思っていたんだけど。
「……それで? 私に対して、あなたはなにか言う事があったりしないの?」
「っ、……悪かったとは、思ってる」
JC銀子は目を伏せながらそう呟いた。
……あ、ちょっと意外かも。私に対しても悪かったとは思っているんだ、この子って。
なんせ私の事だから「はぁ? JK銀子の事なんて知ったこっちゃないわよ頓死しろ」みたいに言ってくるかとも思っていたんだけど。
……ううん、待って。さすがに私もそこまで傍若無人じゃないわね。うん、今のは無し。
私にだって殊勝な一面はちゃんとある。それはこうして中学生の私が証明している通りだ。
「悪かったとは、思っているんだけど、でも……」
「……でも、なに?」
「………………」
中学生の私はそこで押し黙ってしまう。
けれど私にはこの子が何を言おうとしたのか何となく分かる。「でも、キスしたくなっちゃった」とか「でも、抑えられなかった」とか、恐らくはそんな所だろう。
……この様子だったら、これ以上私が何かを言う必要はないかもね。
JC銀子があまりにも横柄な態度でいたなら、一発ぐらいどついておくかなって思ってたんだけど。
はっきり言って、私は……私はこの子を叱りたい訳じゃない。
こうして偉そうに呼び出しておいて何だけど、最初からそんなつもりは毛頭ないのだ。
だってもう私は八一を許しちゃってる訳だし、八一の事を許した以上はJC銀子の事だって許してあげるべきだと思うから。
それに……それにこれは夢だ。所詮は夢の中での出来事でしかない訳だし?
夢なんて目が覚めた時には忘れてしまう、そんな不確かなものでしかない訳で。
そんな夢の世界で浮気がどうとか、そんな下らない事に拘泥する程に私は狭量な女じゃないの。
……と、そのように考えるというか……そのように割り切る事にした。
つまりは全てこの夢が悪いんだ。こんな常軌を逸した夢の中で何日も暮らしていて、それでまともな思考を保てというのが無茶な話だ。
高校生の私が幼い八一をおうちに持って帰りたくなっちゃったように、中学生の私だって18歳の八一とキスしたくなっちゃうのだろう。
そう、これはもうしょうがない事。きっとどうしようもない事なんだと思う。だから私にはこの子を責める気にはなれない。
「……特に、中学生の私となるとね」
「え?」
私の呟きに反応してJC銀子が顔を上げる。
その表情は私が毎朝鏡の前で見る私と……高校生の私とほとんど変わらない。
……まぁそれでも、さすがに見間違えたりするのはあのバカだけだと思うけど。とにかくJC銀子は私と年齢が近くて、その近さ故に私も色々と考えてしまったりする。
中学3年生。この頃の事はよく覚えている。
歳が近いからってのもそうなんだけど、この頃は私の人生の中で特に辛い時期だったから。
私が中3に上がる前頃、つまり中2の頃の冬に当時16歳だった八一は竜王位を獲得した。
その頃はただでさえ八一と住む場所が別になってしまい寂しさを感じていた時だったのに、そんな中での八一の竜王位の獲得は、なんか……八一が自分とは遠い存在なんだって事を強く感じさせた。
そして私が中3に上がると、今度は八一が将棋の弟子を取る事になる。
私よりも将棋の才能があって、私よりも年齢が若い女の子を二人も弟子に取って育てている八一を見ていると、なんか……もう、八一は、私に興味が無いのかなって、そんな気分にさせられた。
他にもあれやこれやと色々なエピソードがあったりするんだけど……とにかく中3の頃の私はそのような思いを抱えていた。
勿論今ではそんな事は思わない。八一が竜王位の獲得に拘った理由も知っているし、八一が私に興味を無くしてなんかいないって分かってるけど、当時の私はそのように思っちゃった訳で。
だから私にとって中3の頃は辛かった。常日頃からストレスを抱えていて、八一への接し方もかなりつんけんしていたと思う。
つまりJC銀子とはそんな私だ。そんな辛い時期の真っ只中に居る空銀子だという事。
私はその頃の辛さを誰よりも知っているから……だから、この子には強く当たる気になれない。
だってこの頃は本当に、本当に寂しかったから。
それなのに、そんな時期に八一が本当は自分の事を好きなんだって知っちゃったら……。
……うん、そうなったらやっぱり、自分の気持ちを抑える事なんて出来なくなっちゃうと思う。
「……ま、いいわ。今回の件は不問にしてあげる」
だから私はそう言った。
「えっ!? ……い、いいの?」
するとJC銀子が大きく見開いた瞳を、それはもう驚愕の目を向けてきた。
……な、なによ。そんな目で見なくたっていいじゃないの。
「ほ、ほんとに? 怒ってないの?」
「えぇ、怒ってないわよ。だって中学生のあなたは中学生だからね」
「……なにそれ、どういう意味?」
「言葉の通りよ。中学生だから特別にってこと」
「……特別?」
そう、この子は私にとって特別な存在だ。なんといってもこの子は空銀子なのだから。
思えば私がこの夢を見始めた直後、他の三人の銀子達に対して警戒だとか、恋敵だとか、そんな言葉の表現を使った事があった。
その時も否定はしたけど今になって改めて思う、その考え方はどう考えても間違いだ。
だってこの子は他ならない自分自身なんだから。それが敵なんかであるはずがない。
むしろ味方のように思って、私ぐらいは優しくしてあげなくちゃ駄目かなと思う。
「……けどね」
「なに?」
「……あのね、JC銀子。私の制服を持ち出して八一を惑わせるとか、そういうのは止めなさい」
だから私がこの子に対して言うべき事があるとしたらきっとこれぐらいだ。
恋愛事に関する先達として、ここだけは指摘しておかなければならないだろう。
「私のフリをしたって、それじゃあ……それじゃああんまり意味無いでしょ? 結局八一は自分じゃない別の相手を見ているって事なんだから」
「それは……」
「八一になにかをして欲しいなら、ちゃんと自分自身の言葉で言う事。いいわね?」
私が念押しするようにそう言うと、中学生の私は「えっ?」と面食らったような表情になる。
「……あの、私が、八一に、なにかしてもらっても……い、いいの?」
「いいけど?」
「え、ぅ、じゃ、じゃあ……たとえばもう一回……き、きす……とか、も?」
「………………いいけど?」
……若干の沈黙があった事は許して欲しい。
きっと私の心も一枚岩では無いんだと思う。でもこれは夢、所詮は夢の中の出来事だから……。
「……ただし、さっきも言ったけど自分の言葉で言いなさいよね。そうじゃなきゃ駄目」
「自分の、言葉……」
私の言葉に続いてオウム返しに呟くと、JC銀子はしんみりとした顔で首を左右に振った。
「……それは無理だと思う」
「あのねぇ。そりゃ恥ずかしいでしょうけどそれぐらいはちゃんと──」
「そうじゃなくて。そういう事じゃなくて……私じゃ駄目だったから」
駄目だった?
「……一度だけね、普通にキスをねだってみたの」
えっ、そうなの!?
「でも、それは高校生の銀子に悪いからって、八一はそう言って私にキスしなかったから……」
あれ、それはちょっと初耳かも……。
あー、そうなんだ、一度は断ったんだ……。
そっか……なんだ、八一のやつ、けっこう、結構やるじゃない。なんか見直したかも……。
「あぁそっか。それで私の制服を使ったんだ?」
「うん。一度断られていたから、だから……中学生の私の言葉じゃあ駄目だと思う」
……ふむ。
どうやら八一には恋人であるJKの私を優先する意思があるらしい。
だからこそ恋人でない自分の言葉では駄目。と、そのようにJC銀子は考えているみたいだけど……それはあくまで中学生の私の見解であって。
「……どうかしら。それは違うと思うけど」
「え?」
しかし私の見解は異なる。
高校生の……いや、あのバカの恋人である空銀子が出す見解としては残念ながらノーだ。
「それはね、単にあんたの押しが弱かっただけよ」
「お、押しが弱かった? ううん、そんな事ない」
「あるわよ。次はもっと本気で攻めなさい」
「本気で攻めたわよっ!」
私の指摘が癪に障ったのだろう、JC銀子はその声の声量を上げて。
「だってっ、こう、目を閉じて、首を上げて、こう……『キスして?』って感じの、あの、そんな感じの顔をしてみたんだもん……」
と、そんな事を言ってきた。
愚かにも。恥ずかしげもなく。
「……あぁ、ほら、やっぱり……」
……一方、私の方はとっても恥ずかしい。
あまりにも居た堪れない気分になって、思わず両手で顔を覆ってしまう。
「な、なんなのその反応はっ!?」
「だからキス待ちは駄目だってば……それやってハワイの時に失敗したじゃないの、もう……」
「は、ハワイ?」
「……あぁそうか、あなたはまだハワイのあれは未経験なんだ。けどそれにしたって……」
お願いだからこの私と同じ失敗を繰り返さないで欲しい。恥ずかしくて死にたくなるから。
……というかこの分だとこの子、いずれ八一といかがわしいホテルに突撃して大失敗を犯してしまうのではなかろうか。そうなる前にアドバイスとかしてあげた方がいいのだろうか。
「……けど、同じ失敗をするなんて……やっぱりあなたは正真正銘空銀子なのね」
「え?」
「なんでもない。それより次はちゃんとあいつの目を見て、それで『キスして?』ってちゃんと言葉に出して言いなさい。たとえ一度駄目でも二度三度と言いなさい。そしたら絶対に八一は落ちるから」
そして私はきっぱりとそう言い切った。
「……む」
すると何故かJC銀子は眉を顰めて、私に対して険のある視線を向けてくる。
「……いいえ、八一はそんな事じゃ落ちない。あいつはそんなに意思の弱い男じゃない」
「ううん、落ちるわ」
「落ちない!」
「落ちるわよ」
「落ちないって!!」
「落ちるって」
「落ちないわよっ!!」
八一の浮気心を言い争うJCと私。
ていうかこれ、普通立場が逆じゃない? なぜ私が恋人を貶してJCの方が庇ってるんだろう。
と、そんな事を思った私と同様、その矛盾に関してはJC銀子も気になったらしく、
「ていうかJK、私が言うのもなんだけど、その、もうちょっと彼氏を信用してあげなさいよ」
「言われなくても信用はしてるって」
「でも、だって、あなたは八一の事を、恋人以外の女から『キスして?』って言われたら、それでほいほいとキスしちゃうような男だと思ってるって事でしょ?」
「……というかね、私は──」
「私は八一をそんな男だなんて思いたくない。だから八一が私にキスしなかった時、寂しかった一方でちょっとホッとしたもん」
そう言うJC銀子はその気持ちの通りに複雑な表情をしていて。
どうやらこの子は八一を清い男だと、清廉潔白な男だと信じたいようだ。
……が。やっぱりこの子はまだ中学生だ。随分と読みが甘い。
生憎と私は高校生なのでそうは思わない。この子よりもちょっとだけ成長している分、八一がどんな人間なのかをより深く理解しているのだ。
「別に私だってね、八一が所構わず誰にでもキスするような男だって言ってる訳じゃない。ただ、それでもあなたにならしてくれるって言ってるの。だってあなたは特別だから」
「特別?」
「そう、だってあいつ……」
無論、八一とて私以外の女にキスをねだられて軽々しくしちゃうような男では無いだろう。
ていうか仮にしようものならぶちころすけど。それはマジで八つ裂きにするけど。
……でも、それでも。
「……あいつ、空銀子には弱いから」
それがたとえ中学生でも。まだ恋人にはなっていない時期だとしても。
それが空銀子のお願いなのだとしたら、きっと八一は最終的には断らないと思う。少なくとも私の読みでは九頭竜八一とはそういう男だ。
「……八一は私に弱い……か」
「うん」
「……そっか。ふふっ、そうかもね」
すると中学生の私が苦笑気味に笑った。
あ……なんだか、この子の笑った表情って……初めて見たかもしれない。
基本的に私は無愛想な人間だから、他人にこうした笑顔を見せる事は極端に少ない。
そんな私の事を八一は「だからこそたまに見せてくれる笑顔にグッと来るんだよ」なんて言ってくれたりもしたけど……なるほど確かにその気持ちは分からないでもない。……って、中学生の自分を見ながら何考えてんだろ、私。
「とにかく、とにかく私が言いたいのはそれだけ。分かったわね?」
「……うん、分かった」
「よし。それじゃあ話は終わり」
さてと、それじゃあリビングに戻ろうかな。
長らく外に出ていて身体が冷えちゃった。八一に甘めの紅茶をホットで淹れて貰おう。
そんな事を思いながら私がベランダの引き戸に手を伸ばす。
「あ、ちょっと待って」
するといつかの時と同じように、JC銀子が再び待ったを掛けてきた。
「ねぇ、もう一つだけ。せっかくだからJKと話したい事があるの」
「なに?」
「ずっと思っていた事なんだけど……」
するとJC銀子は……中学生の私は、これまた空銀子には珍しい柔らかな笑みを浮かべて。
「……JKさ、将棋、強くなったね」
「え? あ、あぁ、そうね」
「正直びっくりした。私が女性相手にこれだけ戦って一度も勝てないなんて初めてだから」
「そりゃまぁ……ていうか私だって公式戦で女性相手に負けた事なんて無いからね」
「あ、女性相手に無敗なのは高校生になっても続いているんだ?」
「そんなの当然でしょ? 現在女流棋戦58連勝、浪速の白雪姫は未だ継続中よ」
「そっか……ねぇ、それじゃあさ……」
そこで中学生の私は一度言葉を区切って。
「……もしかしてさ、高校生の私って……」
その先の言葉を。
その先の答えを。この子が何を尋ねたいのか、それは聞かなくても何となく分かった。
だって……私も同じ立場だったら、絶対にそれが気になっちゃうと思うから。
けれど。
「……ううん、やっぱいい。なんでもない」
「……いいの?」
「うん。いいや」
この通り、結局JC銀子はその先の言葉を口にしようとはしなかった。
「……そっか、分かった」
その先の答えを尋ねようとしなかった中学生の自分の事が、なんだかちょっとだけ誇らしかった。