銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集)   作:銀推し

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おまけの話
おまけの話 JC銀子のその後


 

「……んっ」

 

 ずっと遠くにあった意識が覚醒していく。

 そして──私は目を覚ます。

 

「………………」

 

 目を……覚ます?

 

「……あ、れ」

 

 ……ここ、何処だろう。

 身体を起こして辺りを見回して、私はまず最初にそんな事を考えてしまった。

 

 けれど……そんなのおかしな話だ。

 だってこのベッドも、この部屋の景色も全て、私には見覚えがあると言うのに。

 私がこうして目覚める場所なんて、自分の家の自分の部屋以外にはあり得ないのに。

 

 それに……そもそも、私はあの部屋の事なんてなにも知らない。

 あの時みんなと一緒に居た部屋、あんな小さなワンルームの一室に見覚えなんて無い。

 あの場所には、関西将棋会館近くにあるワンルームマンションには行った事すらも無いのに。

 

 だから。

 

 

「……そっか。終わったんだ」

 

 そう。私はようやく夢を見終わった。

 だから……これが私の現実だ。

 

 朝。実家にある自分の部屋のベッドの上で目を覚ます。そんな当たり前の日常。

 勿論ここには八一なんて居ないし、年齢の違う三人の自分達なんて居るはずが──

 

 

「…………っ」

 

 その時、きゅっと胸の奥が痛んだ。

 私は思わず心臓の辺りを押さえる。

 

 この部屋には私だけしか居ない。

 そうと認識した途端、不意に寂しさを……心の中に埋めようのない空白を感じてしまった。

 

 こんな経験は初めてだ。

 ただ一晩眠って、夢を見ただけなのに。

 それで朝起きたら寂しさを感じるだなんて。

 

 こんなに寂しく感じるのは……あまりにも長くあの夢を見すぎたせいだろうか。

 それとも……あの夢が、あまりにも──

 

「……ふふっ」

 

 あの夢の日々を思い出して。

 すると、自然に私の口から笑みが溢れた。 

 

「…………へんな夢」

 

 

 

 

 

 

 私の名前は空銀子。中学3年生の14歳。

 当たり前だけどJC銀子なんていう名前じゃないから。至って普通の空銀子そのものだ。

 

 そんな私は今日……というか。あるいは昨日からというべきか……。

 とにかく昨晩から今朝に掛けて、体感的には一ヶ月を優に超える程に長い長い夢を見ていた。

 

 考えれば考える程に不思議な夢だった。

 八一がいるのはまぁいいとしても、なんでか知らないけど私が四人も居るし。

 幼女の頃や小学生の頃だけならともかく、高校生や更にその先の未来の私まで居たし。

 

 それに夢だってのに強烈な現実感があった。

 触れられたり、抱き締められたりすると、その感触や温かさがしっかりと感じられた。

 そのせいなのか、なんか……なんか、色々としちゃいけないような事をしちゃったし……。

 

 けれど……とかく夢とは。

 夢というのは荒唐無稽なもので。そして次第に移り変わっていくもので。 

 そして……なによりも夢なんて、目が覚めたらすぐに忘れてしまうようなもので。

 

 だから私も先程見た夢、自分が四人も居る変な夢なんてのはその後すぐに忘れてしまった。

 ベッドから出て着替えを済ませて、朝ごはんを食べている時にはもう夢の記憶なんてあやふやになっていたと思うし、その日の終わりにはもう殆ど忘れてしまっていたと思う。

 

 そしてその後、一週間も時間が経てば思い出す事すらも無くなった。

 その程度の話だ。夢なんて所詮はその程度、記憶にすら残らないような泡沫の出来事。

 

 以上が、あの不思議な夢を見た事についての私の後日談のようなものだ。

 要は次の日にはもう忘れていたっていう、ただそれだけの話。当たり前の話なんだけどね。

 

 なのでここからは私の日常を歩むだけだ。

 ここからは目の前にある現実を生きるだけで、もはや夢の出番なんて無い。

 

 

 ……と、そう思ってたんだけど。

 

 しかし、そうじゃなかった。

 やっぱりあの夢は不思議な夢だ。他とはちょっと毛色の違う特別な夢だったんだと思う。

 というのも……それから暫く経った後、私は唐突にあの夢の記憶を思い出す機会があったから。

 

 とっくのとうに忘れていたはずのあの夢を。

 あの時に出会った彼女達を……ふいに思い出す事になった、そんな出来事があったのだ。

 

 

 

 

 

 それは……私があの夢を見てから数ヶ月後。

 

 季節は──秋。

 場所は──ハワイ。

 

 ……そう、ハワイだ。私は今ハワイに居る。

 どうしてこの私が太平洋にぽつんと浮かぶハワイ諸島にやって来たのか。

 それは私自身が理由ではなくて、私の弟弟子である九頭竜八一に関連している。

 

 八一の所有する竜王のタイトル。その防衛を懸けた竜王戦第一局。

 挑戦者であるあの名人と、竜王である八一が初めて戦う事になった歴史的な一戦。

 その対局場として選ばれたのがこのハワイだ。約五年ぶりの海外対局となるらしい。

 そしてその対局の大盤解説の聞き手役として私は呼ばれた。つまりはお仕事の一環ってこと。

 

 最初にこの話を受けた時、率直に言って面倒な仕事が入ったなぁ、と思った。

 だってハワイなんて、大して興味が無い私にとってはただ遠くて暑いだけの場所だし。

 そもそもなんでこの私が八一の対局なんかの大盤解説に……なんて事を考えてしまう。

 

 けれど……まぁ、その……ね? 

 ほら、それでもお仕事だからね。うん。

 お仕事だから仕方ないの。仕方なく私もハワイまで同行して……八一を応援してあげないと。

 

 だから私はハワイにやって来た。八一と一緒に。

 関西国際空港から直行便、約九時間のフライトを終えてホノルルの空港に到着して。

 ホテル御用達のプライベートビーチを満喫して、その後ホテルの会場で前夜祭を行って。

 

 そして──

 竜王戦第一局が始まって。 

 午後六時を過ぎた頃、一日目の対局は名人が封じ手を行った時点で指し掛けとなって。

 

 ……そして。

 

 

 

 

「……んっ!」

 

 バシャンっ!

 と水音を立てながら顔を上げる。

 

「……ふぅ」

 

 水中の世界から抜け出して、閉じていた口を開いて大きく一呼吸。

 身体中を流れていく水の感触。髪の毛や頬を伝ってぽたぽたと落ちていく水滴の感触。

 

 ……うん。その、素直に気持ちいい。やっぱり入って正解だったかな。

 プールの授業なんて殆ど休んでいたけど、こうして海を泳いでみると中々悪くない。 

 それに水温があんまり冷たくなくて良かった。さすがはハワイ、常夏の島。 

 

 私は今、ハワイの海を泳いでいた。それも月明かり照らす夜の海、ナイトビーチだ。

 昼間は日差しのせいで入れなかったから、日が落ちるこの時間まで待って海に入る事にした。

 だってほら、せっかくハワイまで来たのに一度も海に入らないなんて……ちょっと残念だし。

 

 とはいえ大盤解説の聞き手役の仕事を終えて、今の時刻はもう夜の10時過ぎ。

 大阪なら補導されるような時間だ。そんな時間に中学生の女が一人で海に入るなんて、いくらホテル備え付けのプライベートビーチだからって少々不用心な行為だと自分でも思う。

 

 そもそも私は海なんて別に好きじゃない。

 体質のせいでこうして日が落ちた後じゃないと入れないし、泳ぐのだって疲れるだけだし。

 だから普段の私だったら、こんな不用心で疲れるような真似はしなかったと思う。

 

 それなのに。海に入る予定なんて無かったのに。

 ふと気付いたら自然と私の足がビーチに向かって歩いていたのはどうしてか。

 それは……先程も言った通り、せっかくのハワイの海を惜しんだからなのか。

 

 それとも……。

 

「……はぁ」

 

 自然と、胸元に手を置く。

 なんだか息が重い。心臓が何かに縛られているような、とても窮屈な感じがする。

 もしかしたら、私はいま……少し、情緒が不安定になっているのかもしれない。

 

「だって……八一、が」

 

 竜王戦第一局、八一の対局を間近で見て。

 あの八一が。将棋の最高位タイトルである竜王の防衛を懸けて、あの名人と戦う姿を見て。

 

 対局席の上座に座っていた、八一が。

 あんなに遠いところに、八一が──

 

 

「……って、あれ?」

 

 あんなに遠いところに、八一が……居る?

 よーく見ると砂浜の先、こちらに向かって歩いてくる人影があった。

 

 暗くて見づらいけど、あれはもしかして……。

 

 

「……八一?」

「えっ? あね……でし? ですか……?」

 

 見間違いじゃなかった。

 そこには本当に八一が居た。

 対局中に着ていた着物を脱いで、ラフなTシャツとパーカーに着替えた格好で。

 

 てかこいつ……なんでこんな所に居るの?

 あんたさぁ、ついさっきまであの名人とタイトルを懸けて戦ってたんでしょ? 

 だったらもう今日はすぐに部屋に戻って、とっとと眠って少しでも頭を休ませなさいよね。

 初戦の夜に竜王がこんな所をほっつき歩いてていいと思ってんの? バカなの? 

 

 ……とかとか。

 そんな文句を言ってやろうとしたんだけど……でも、言えなかった。

 

 だって、なんか、八一の視線が……なんか、分かりやすく私の胸元に……。

 そう言えば、今更だけど私は水着で──

 

「……えっち」

「だ、だって仕方ないでしょそっちが水着なんだもん! どうしたって見ちゃうでしょ!?」

 

 慌てた様子で顔を背ける八一。

 ……やっぱり見てたんだ。すけべ。正直に言えば良いってもんじゃないんだからね。

 

「け、けど……なんでこんな夜中に泳いでるんです?」

「昼間は日焼けしちゃうもの」

「ああ……姉弟子はそうでしたよね」

「八一こそ、こんな時間に何してたの?」

「え? いや、俺は……」

「覗き?」

「違いますよッ!!」

 

 ふむ、覗きではない……と。

 けど、それならこのすけべ竜王は一体何をしにビーチまでやって来たのか。

 ま、まさか人目に付きにくい時間を選んで、覗きよりもっと過激な事をするつもりじゃ……!

 

 ……なんて、そんなの聞かなくても分かるけど。

 恐らくはこのままじゃ眠れないなと感じて、対局の熱を冷ましに来たのだろう。

 ただでさえタイトルを懸けた一戦な上、今日は八一が初めて名人と盤を挟んだ日。緊張とかプレッシャーとか色々あったんだと思う。

 

 ………ん。だったら……そうね。

 ここは姉弟子として、手間の掛かる弟弟子に付き合ってあげるべき……だよね。

 私はホテル備え付けの水道で身体を流して、タオルで肌を拭った後、八一に向かって言った。

 

「まぁいいわ。ちょうど泳ぐのにも飽きて街を歩きたかったから、ついて来なさい」

 

 

 

 そんな流れで、私は八一と一緒に近辺を散策する事にした。

 夜は少し肌寒く、私は水着のままだったけど……八一が上に羽織るパーカーを貸してくれた。

 

 さすがは観光地だけあって、ホノルルの街はこんな夜遅い時間でも賑わっていた。

 外国人が多くて、一人では心細くて歩く気にならない場所だけど……でも、二人なら。

 

「……ん」

「あ……うん」

 

 すると……どちらからだったか。

 自然と私達は、手を繋ぎ合っていた。

 子供の頃のように、迷子にならないように。離れ離れにならないように。

 

 手を繋いだまま、ホノルルの街を歩いて。

 手を繋いだまま、とろけるような甘さのアイスを食べて。

 

 握り合っている、この手の中にある感触。

 八一の右手の指と手のひらの感触。それがなんだか懐かしくて。

 

 私は……これが欲しい。

 もう一度これを取り戻したい。この手の中にある大事なものを。

 

 ……けれど、この手を離して八一は先に行っちゃって。

 私はその後に付いていくのが精一杯で。全然追い付く事なんか出来なくて。

 

 

 ……でも、今は。

 いまは、八一が……近い。

 こんなに一緒に居るの、いつ以来かな。

 こうしているだけで、私は──

 

 

 ……そして。

 ぶらぶらとホノルルの街を散策して12時近く、私達はホテルまで戻ってきた。

 

「姉弟子、パーカー返して下さい」

「やだ」

「えー……」

 

 エレベーターを上がって私の部屋の前。八一の言葉に私はすぐさま拒否を返す。

 

「そういえば姉弟子、誰かと同部屋なんですか?」

「私は個室。奨励会員だから誰かと一緒でいいって言ったんだけど、タイトル保持者ってことで気を遣われたみたい。どうしてそんなこと聞くの?」

「へ? いや……あいは桂香さんと二人部屋だって言ってたから、姉弟子も誰かと同室なのかなと思って」

「…………こんな時でも小学生のことばっかり」

「は? こんな時って?」

「ばーかばーか。ロリコンキング」

「だからロリコンじゃねーし!」

 

 この時、私は──

 ……なんて言ったらいいんだろう。なんか……こう、ふわふわした感じ、というか。

 心はドキドキしてるのに頭はぼおっとしている、そんな地に足のつかない妙な心地だった。

 

 だって、久し振りに長い時間八一と一緒に居て。

 すぐ隣に八一が居てくれて。

 八一の手のひらの感触があって。

 

 ……八一が、好きで。

 好きで、好きで……大好きだから。

 

「証拠は?」

「はぁ?」

 

 その気持ちが止まらなくなって。

 心の中から溢れちゃったから……こんな事をしちゃったのかもしれない。

 

「……信じて欲しかったら証拠を見せて」

 

 そう言って……私は。

 爪先立ちになって。

 くっと顎を持ち上げて。

 

 そして……口元を少しだけ突き出して。

 何かをせがむかのように、瞼を閉じる──

 

 

 ──と、その時だった。

 

 その時突然、私の脳内に……その声は届いた。

 

 

『──キス待ちは駄目っ!』

 

 

 ──え?

 私は閉じ掛けていた瞼を開く。

 

 すると……なんて言ったらいいのか、まるで時間が止まったような感覚がして。

 私の脳内ビジョン……と言えばいいのか、それともただ単に妄想と言えばいいのか。

 とにかく私にだけ見える感じで……私の隣に懐かしき彼女が立っていた。

 

『じぇ、JK銀子!?』

 

 その姿は忘れもしない。

 中学3年生の今から一年程度成長した私、高校一年生になった私がそこに居るではないか。

 いや勿論実際にJK銀子がここに居るわけじゃないんだけど、でも居るのだ。私の目にはくっきりとその姿が映っていて、そんなJK銀子は必死な顔で私に訴え掛けていた。

 

『駄目よJC! キス待ちじゃ駄目なのっ!』

『え、駄目って……』

『ちゃんと言葉にしないと八一には伝わらない! 前に教えてあげたでしょう、キス待ちじゃあ私と同じ失敗をする事になるわよ!』

『あ……』

 

 私はハッと目を見開く。

 そうだ、そう言えば……あの夢の中で、JK銀子からそんな話を聞いたような気がする。

 あのワンルームの部屋のベランダで。呼び出しを受けた私はJK銀子と二人きりで話し合った。

 

 そこで聞いた。

 キス待ちでは駄目なのだと。

 ハワイでそれをやって自分は失敗したのだと。

 

『……そっか。そうだったわね』

『思い出してくれた?』

『……うん』

 

 JK銀子は確かにそう言っていた。

 その時の記憶を。もうとっくに忘れていたはずのあの不思議な夢の記憶を。

 それを私はこの土壇場で思い出したというのか。

 

 それとも……。

 これはもしかして……JKがおせっかいを焼きに来てくれたって事なのかな?

 

 ……うん、きっとそうね。

 ここはそういう事にしておこう。だってほら、その方が夢があると思うから。

 

『……ふふっ、ありがとう、JK』

 

 自分と同じ失敗をさせない為に、一番大事な事をわざわざ伝えに来てくれたんだね。

 私の隣に立つ、高校生になった私の姿は……なんだか私の守護霊のようでとっても心強い。

 

 

 ……と、そこで思考が現実に戻ってきた。

 JK銀子との会話が、一瞬にも満たない時間で行われた私の脳内会議が終わって。

 

「……そっか」

「ん?」

 

 キス待ちじゃあ駄目。

 それでは八一には伝わらない。

 そうね、伝えたい事はちゃんと言葉にしないと。

 

 

「……八一、キスして?」

 

 

 という事で、ちゃんと言葉にしてみた。

 

 うんうん。これでいいよね。これで問題なし。

 隣を見れば……ほら、JK銀子もそれで良しと笑顔でサムズアップをしてくれている。

 ちゃんと言葉にした事だし、これでJKの二の舞を演じる事はないだろう。良かった良かった。

 

 ……あれ?

 

 

「え」

「え」

 

 私と八一の呟きがハモった。

 

 あれ? わたし今……なんて言った?

 

 

 

 


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