銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集)   作:銀推し

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これは短編になります。今週の更新はハロウィン特別短編です。

八一と銀子が一緒に10月31日を楽しみます。
奇蹟が起こる日の出来事です。あまり深く考えずにお読み下さい。
原作13巻以降の話となります。





短編 10月31日の奇跡

 

 

 

 

「にゃー」

 

 と、聞こえた。

 

 

「は?」

 

 思わず俺はそう呟いた。

 そして身体の力が抜けた。コンビニで買ってきたお菓子や飲み物などが入ったレジ袋が手の中から滑り落ちて、ドサリと音を鳴らした。

 

 ここは関西将棋会館近くにあるワンルームマンション、その801号室。

 玄関ドアを開けて部屋の中に足を踏み入れて、その直後だった。

 

 

「にゃー」

 

 ともう一度、その鳴き声が。

 耳をくすぐるような甲高い声、愛らしいその鳴き声の主とは勿論──

 

「……ね、こ?」

 

 にゃー、と鳴く生き物とは何か。

 それは猫だ。そう、猫だ。猫が居る。

 今、俺こと九頭竜八一の目の前には、とても見目麗しい一匹の猫が居た。

 

「……え。なんで、ネコ?」

「にゃー」

「……えーと」

「にゃー」

 

 話し掛けてみても、当然ながら「にゃー」としか返事をくれない生き物、ねこ。ネコ。猫。

 

 ……ちょっと待って、一旦状況を整理しよう。

 まずこの場所。ここは俺にとって大切な人、俺の姉弟子であって恋人でもある空銀子ちゃん(職業・プロ棋士)が、将棋の研究を行う際に静かな環境が欲しいからとの理由で購入したワンルームマンションの一室だ。

 そして今日、俺は将棋の研究を行う為この部屋にやって来た。久し振りに銀子ちゃんと二人で過ごせる時間に胸を踊らせながら玄関ドアを開けると……この猫が出迎えてくれたというわけだ。

 

「にゃあ」

「……猫、か」

「にゃん」

 

 けれど……これは、このネコは。

 見知らぬネコがここに居るという事は、これはつまり……。

 

「……そうか」

 

 ある事情を察した俺はふぅ、と息をつく。

 

「……まず、何故ここに猫が居るのか、だけど」

「にゃあ」

「この猫は首輪をしてない。て事はペットショップとかから買ってきた猫ではないはずだ」

「にゃ」

「んでここって八階だし、まさかベランダから忍び込んだってわけでもないよね?」

「にゃん」

「てことは銀子ちゃんが拾ってきたのかな。で実家の方は親御さんに駄目って言われたからとりあえずここに連れてきた……みたいな流れかな?」

「にゃお」

 

 まぁ細部は異なるかもしれないけど、大まかにはこんな流れなはずだ。

 とにかくこの猫がここに居るのは家主である銀子ちゃんが原因に違いない。にゃーにゃーと鳴く猫ちゃんに語り掛けながら俺はうんうんと頷く。

 

「そっかぁ……拾い猫かぁ……」

「にゃあ」

「てことは野良猫か、それとも捨て猫だったりするのかな? 漫画とかでよくある『拾って下さい』って書かれたダンボールの中に居たとか」

 

 降りしきる雨の中、ずぶ濡れになっているのを見かねた銀子ちゃんはその猫を抱え上げる……みたいなシーンを想像しながら、レジ袋を拾い直した俺は靴を脱いで玄関を上がって。

 リビングへ続く廊下の真ん中、道を塞ぐかのように居座るその猫ちゃんに近付いていく。

 

「拾ってきたって事は、もしかして銀子ちゃんはこの猫を飼うつもりだったりするのかな?」

「にゃあ」

「まぁペットを飼う経済力は問題無いだろうし、猫はペットとしては一般的だからそれなりに飼いやすい生き物だとは思うけど。でも野良の猫って病気があったりするから一度獣医さんに見せなきゃいけなかったりするんじゃなかったっけ? そこら辺の事知ってんのかなぁ銀子ちゃんは」

「うにゃあ」

 

 どうやらこの猫ちゃんは人懐っこい性格なのか、近付いても逃げる素振りを見せない。

 ならばと俺はこちらを見つめる灰色の瞳と視線を合わせたまま、腰を屈めて手を伸ばして──

 

「なでなで」

「……にゃ」

 

 小さな頭を優しく撫でる。

 すると猫ちゃんは心地よさそうに目を細めてころころと喉を鳴らした。

 

「おぉ、この手触りは……ふわふわしてる」

「……ふにゃ」

「うーん、これは確かに……猫を飼いたくなる人の気持ちも分かるなぁ」

「……うにゃん」

 

 そして猫耳もさわさわ。

 すると身を捩った猫ちゃんの白いしっぽがゆらゆらと揺れる。ううむ、かわいい。

 

「なでなで、さわさわ……」

「……にゃあ」

 

 この子の毛の色は艶のある綺麗な銀色。偶然にも拾い主であるあの子と同じ色をしている。

 もしかして自分と同じ毛色をしていたから感情移入しちゃって拾ってきた……とか、そういう理由だったりするのだろうか。

 

「にしても綺麗な銀毛だな……そういえばこの猫って品種は何なんだろう」

「うにゃん」

「猫の品種ってあんまり知らないんだよなぁ。アメショーとかマンチカンとか、そんなんだっけ」

「にゃん」

 

 そういう品種名こそは知っていても、その品種の特徴まではちょっと分からない。

 だからこの猫ちゃんの品種が何かまでは俺には判別できない。ペットショップに連れていけば分かると思うけど……まぁ野良猫だし雑種なのかな。

 

「まぁいいか。そういう込み入った話は銀子ちゃんが戻ってきてからにしよう」

「……にゃお」

「ほら、おいで猫ちゃん。お菓子……は食べさせちゃマズいだろうから、お水を飲ませてあげる。ミネラルウォーターなら大丈夫だよね」

「にゃ」

 

 俺がリビングに向かうと猫ちゃんも後ろをよちよちと付いてくる。かわいい。

 猫は気まぐれな性格とかって聞くけど、この子は随分と素直な性格をしているみたいだ。

 

 ……まぁ、その理由は分かるけどね。

 

「……さてっと」

 

 そうして俺はリビングにあった座布団の上に腰を下ろして。

 

「……あのさ」

「にゃあ」

 

 語り掛ける。

 俺の膝下まで歩み寄ってきた素直で人懐っこい猫ちゃんに対して、言った。

 

 

「……そろそろ良くないかな?」

「にゃー」

「いやあの、にゃーじゃなくてさ。この流れ……まだ続けるの?」

「にゃー」

 

 ……うん。いや、まぁ、その。

 こうして「にゃー」と鳴く生き物と言えば、猫の他にもう一つ答えがあるよねっていうか。

 

 それは何か。

 それは……猫の真似をして鳴く、人間だ。

 

 

「あの……銀子ちゃん?」

「にゃあ」

「だからにゃあじゃなくて」

「ふにゃ」

「………………」

 

 ……そうなんだよね。

 銀子ちゃんなんだよね。これ。

 

 

「にゃー」

 

 これは、空銀子だ。

 さっきからずっと「にゃー」と鳴いていたのは誰あろう空銀子ちゃんその人である。

 つまりこれは猫じゃなくて、猫真似をしている人間、空銀子四段(職業・プロ棋士)である。

 繰り返し三回も念押ししてしまったが、とにかくこれは空銀子ちゃんなのである。

 

 もうね、本当にビックリだよ。

 玄関ドアを開けたらさ、廊下の奥からこの銀子ちゃんが出てきたわけだよ。

 猫の鳴き声を上げてさ、猫の真似をして四つん這いになってこちらに歩いてくるわけ。

 しかもこの子、なんと猫の仮装までしてんのよ。ちゃんと猫耳と猫しっぽを付けてさ、そんで手には肉球型の手袋みたいのまで付けてんの。

 白のセーラー服を着て猫耳と猫しっぽと猫手袋を付けた完全ネコスタイルで、四つん這いになりながらにゃーにゃー言う銀子ちゃんを目撃した時の俺の衝撃を想像してみて欲しい。

 マジで頭フリーズしたから。最初はこれを現実だと認識出来なかったよホントにさ。

 

「にゃあ」

 

 と猫のように可愛く鳴く銀子ちゃん。

 その瞳にはなんら躊躇の色が無い。その表情は至って真面目だ。

 さも自らが猫である事を当たり前の事として振る舞っている、そんな顔をしていて。

 

「……銀子ちゃん」

「にゃ」

「………………」

「うにゃん」

「………………」

「にゃ?」

 

 これは一体……どうしたんだろうか。この子は一体全体どうしちゃったんだろうか。

 だって銀子ちゃんがこんな事を仕出かすなんて。普段の彼女だったらまずあり得ない。

 空銀子とはこういうボケやおふざけをするような子ではないんだ。銀子ちゃんが突然猫真似をするなんつー奇行に走るなんて……それはもう狂気の姿と言わざるを得ない。

 

 故にこれは只事じゃない。なにかがおかしい。

 そう感じた俺は咄嗟の判断で話の流れに乗ったんだけど……しかし、それでは駄目だ。

 そろそろ猫と戯れるのは止めて、おかしくなった銀子ちゃんと向き合う必要があるだろう。

 

「どしたの? なんで突然ネコに?」

「にゃー」

「にゃーじゃ分からないって。猫語で喋るのは止めて人の言葉を使ってくれよ」

「にゃあ」

「いやだから……」

「ふにゃ」

 

 駄目だこりゃ。

 相変わらずにゃーしか言わん。どうやら銀子ちゃんはまだ猫真似を止めるつもりは無いらしい。

 

 にしてもマジでなんでこんな事に? 

 ほんとに頭がおかしくなっちゃったのかな?

 もしかして将棋の研究に打ち込み過ぎて、許容量を超えた頭がパーになっちゃったとか? 

 

「でもなぁ。この子が研究熱心なのは今に始まった事じゃないしなぁ」

「うにゃ」

「だったらなにか……何かしらの理由があっての行動だったり?」

「にゃお」

 

 頭がくるくるパーになったからこその奇行じゃなくて、あくまで頭の中は冷静だとすると。

 何か理由あってこんな猫真似をしているのだとすると……理由、理由……いやでもこうまで猫になりきる理由って一体なんだ?

 例えば……なにかのイベントとか? 今日の日付は10月31日だけど……って、あ。

 

「……まさか、ハロウィンだからってこと?」

「にゃ……」

「いや違うか。ハロウィンだったら相手を怖がらせるおばけとかの仮装なはずだし、なによりもトリック・オア・トリートって言うはずだしな」

「……にゃあ」

 

 今日は10月の31日、ハロウィンの日だ。

 しかしハロウィンというのは子供達がおばけなどの仮装をして「トリック・オア・トリート!」と言って大人からお菓子を貰うイベントであり、なにも猫の真似をする行事では無い。

 まぁ最近は仮装の傾向もおばけとかに限られず何でもアリになっていて、子供だけじゃなく大人も仮装してパレードしたりわいわい騒いだりと、ハロウィンの形が変わっているのは確かだけど。

 

 しかし、だとしてもこれは。この銀子ちゃんの奇行の理由はハロウィンでは無いはずだ。

 だって猫になって「にゃー」と鳴き続ける姿が世間一般に言うハロウィンだとは思えないし。

 この銀子ちゃんを例えば桂香さんに見せたら「あらあら銀子ちゃん、ハロウィンを楽しんでるわね」とは言わずに「どうしたの銀子ちゃん、頭おかしくなっちゃったの?」と心配するはずだ。

 

「そうだよなぁ。あの銀子ちゃんがそんな馬鹿げた真似をするはずないよなぁ」

「にゃ……」

「だとするとこれはなんだろう……猫の日はにゃんにゃんにゃんで2月22日だったはずだし……やっぱイベントとかは関係無いのかな?」

「にゃあ」

「だったら猫真似をする意味とは一体……ただ単に猫の可愛さを俺にアピールしてる、とか?」

「にゃ」

「あ、そうなの?」

「にゃあ」

「それ、どっちのにゃあ?」

「うにゃん」

 

 やっぱり駄目だ。人間である俺には猫と意思疎通を図る事は出来ない。

 けど……猫の可愛さアピールか。正直、そんな理由でこの子が猫真似をするかと言われると微妙だけど、でも案外そういう大した事のない理由が正解なのかも、という気はしている。

 

 あるいはそれとも……。

 猫そのものではなくて、猫になった自分の可愛さアピール、とか。

 

「……なるほど。それはアリだな」

「にゃー」

 

 相変わらずの素知らぬ顔でにゃーと鳴く銀子ちゃん……いや、今は銀子にゃんと呼ぶべきか。

 とにかくこれはつまり、銀子にゃんなりのかまってかまってアピールなのかもしれないね。

 だってほら、今日は互いの予定が合って久し振りに二人で過ごせる休日になったわけでね?

 だからいつも以上に触れ合いたい、いつも以上にイチャイチャしたいと考えて、かまってかまっての思考が強くなった結果、空銀子は銀子にゃんになったのかもしれない。

 

「うにゃあ」

 

 そう考えてみると……どうだろう。

 なんか……さっきまでは奇行を繰り返しているだけにしか見えなかった銀子にゃんが、俺の愛情を欲するがあまり猫になっちゃったいじらしい姿に見えてきたではないか。

 

「ふにゃ」

 

 こんな猫真似をしてまで俺にかまって欲しいだなんて……。

 だとしたらちょっと可愛くない? いや超可愛いよね? ヤバいよね?

 

「そうか……そういう事なんだね? まったく可愛いヤツめ、うりうり」

「にゃ、うにゃぁ……」

 

 俺は両手で銀子にゃんの顔を抱えて、その頭をちょっとだけ雑にわしわしと撫で回す。

 普段なら嫌がりそうな行為だけど、銀子ちゃんならぬ銀子にゃんは文句一つ言わない。

 それはこの子が自らに課した縛り。今は人間じゃなくて猫になりきっているからであって。

 

「まぁこの際理由はなんだっていいや。とにかく銀子にゃんは人間じゃなくて猫、今日はもうとことんネコを貫き通すつもりなんだね?」

「にゃあ」

「そっか、分かったよ」

 

 銀子にゃんがあくまで「にゃあ」としか言わないのなら俺にとっては是非も無し。

 だったら俺は猫と接するつもりで、この子を猫として扱うのが最善の一手であろう。

 

「……よし。この子はネコだ」

「にゃあ」

「ここに居るのは一匹のネコ。猫にしてはちょっと身体の大きめなこの子の名前は銀子にゃん」

「にゃお」

 

 そう、この子は猫なんだ。

 という事で……では、さっそく。

 

「──銀子にゃんっ!」

「にゃっ!」

 

 俺は脇目も振らず銀子にゃんに飛び付いた。

 何故かって? そりゃもう俺の忍耐力がとっくに限界を超えてたからだよ!!

 

「ああ銀子にゃん銀子にゃんっ!! 銀子にゃーーんっ!!!」

「にゃ……ふにゃ……!」

 

 驚きに目を丸くしてるその顔も!! 猫耳を付けたその愛くるしい姿も!!

 銀子にゃん可愛い!! 可愛いよ!! 可愛いねぇ可愛いよぉ銀子にゃあん!!! 

 

「ああ可愛いっ! かわいいかわいい銀子にゃんかわいいにゃんっ!!」

「にゃにゃ……にゃ……」

 

 床を転がりながらその銀毛の中に顔を突っ込んでみたり、ほっぺを合わせて頬ずりしてみたり。

 プルプルと震える銀子にゃん、その全身を両腕でぎゅっとハグして思う存分に愛おしむ。

 

 だってねぇ!? そんなん当然つかこの銀子にゃんの可愛さったらないよねぇ!? 

 普段はあんなにもクールな銀子ちゃんが! 暴虐無比な女王、浪速の白雪姫がだよ!?

 あの銀子ちゃんが猫耳と猫しっぽを付けて四つん這いになってにゃあと鳴く銀子にゃん!? そんなんもう環境破壊兵器でしょうがこんなんかわいさの概念が壊れちゃうよォ!!

 ああもう本音を言えば玄関で出会った時からこうして飛び付きたかったっ! どうでもいい思考とかちっぽけな理性なんてとっとと捨ててにゃんにゃんしたかったんだよォ!!

 

「ぁぁああ銀子にゃぁあん……猫なんて駄目だよそんなの俺もう駄目になっちゃうよぉ……!」

「……ふにゃ」

「ああかわええかわええ……猫になりきってる銀子にゃん激ヤバかわ萌え萌えきゅん……!」

「……うにゃぁん」

 

 俺の豹変ぶりに驚いたのか、銀子にゃんは弱々しく鳴き声を上げるだけで。

 

「あそうだっ! 俺さ! 猫飼ったら猫吸いやってみたかったんだよね! 猫吸い!」

「にゃあ?」

「猫吸い! 知ってる!?」

「にゃん」

「知らないかな!? まぁどっちでもいいか!」

 

 俺はむくりと身体を起こすと!

 

「はい銀子にゃんっ! 仰向けになって!!」

「にゃ……」

 

 床に寝転んでいた銀子にゃんを仰向けの体勢にさせて!

 

「とうっ!」

 

 銀子にゃんが着ているセーラー服のすそをガバっとめくって!!

 

「にゃ!?」

 

 大きくはだけたお腹に頭から突っ込んだ!!

 

「ふにゃっ!?」

「はぁぁぁ~……猫だぁ……! これが猫吸いかぁ……!!」

「……にゃ、……にゃ」

「くんくん、クンクン!! ああいい匂い、銀子にゃんのいい匂いがするよぉ……!!」

「…………にゃぅ」

 

 猫吸い。それは猫を吸い込む事。飼い主が飼い猫のお腹などの匂いを嗅ぐ行為。

 それは言わば愛情表現の一種であり、主にリラックス効果などが期待されるらしい。

 

 分かるー! 猫吸い初めて体験したけどこれめっちゃクルわー!!

 だって銀子にゃんの真っ白なお腹が、ほっそりとしたお腹が目の前にあってさぁ……!

 うわわぁ……! 銀子にゃんのおなか、あったかいナリィ……!

 

「にゃおおぉん……! 銀子にゃあん……!」

「……にゃあ」

 

 その柔らかいお腹に顔面をぐりぐりと押し付けて大興奮な俺の一方。

 銀子にゃんの様子は先程と変わらず、か弱い猫はただ弱々しく鳴き声を上げるだけで。

 

「……ふにゃあ」

 

 ただそれだけ。猫となった銀子にゃんは俺のする事なす事に文句一つ言う事が出来ない。

 勝手に抱きついたり猫吸いしたりしちゃって、もしかしたらこの子は怒っているかもしれない。

 今もにゃあにゃあと鳴くその心中は穏やかじゃないかもしれない……けど、猫真似をしている限りは文句を言わずに俺の行為を受け入れざるを得ないわけで。

 

 つまりこれはこの子が何処まで猫を貫けるか。

 一方で俺は銀子にゃんが空銀子に戻ってブチギレるギリギリのラインを攻められるか。そういう一種のチキンレースみたいなものだ。

 ただそのラインを超えたら俺はぶちころされて、銀子にゃんは猫真似を貫けなかったという事になるわけで、双方敗北とも言える結果となるのがチキンレースとは大きく違う点だけど。

 

 ならば……双方敗北とはならないように。

 その上でこの状況を楽しみたい、銀子にゃんのギリギリを攻める次の一手とは。

 

「よし、なら次は……」

「にゃ……」

「あそうだ。さっきお水を飲ませてあげるって言ってたよね。用意してくるよ」

 

 俺は銀子にゃんのお腹から顔を上げると、持参したレジ袋を持ってキッチンへと向かう。

 そしてコンビニで買ったミネラルウォーターを袋の中から取り出して、キャップを外して……。

 

「ええっと……この皿でいいかな」

 

 用意したのはお皿。コップではなくお皿だ。

 底の薄い平べったいお皿の中に、ミネラルウォーターを汲んで……っと。

 

「はいどうぞ。銀子にゃん」

 

 それを彼女の前に差し出した。

 ミネラルウォーターの入ったお皿を。

 フローリングの床の上に置いてあげた。

 

「……にゃ」

 

 すると銀子にゃんは目を大きく見開いた。

 それは驚きの表情か。あるいは唖然とした表情と言ったところか。

 

 まぁそりゃそうだろう。

 だって床の上に置いたこのお皿が示す意味なんて一つしかない。

 これはまさしく猫のように、手を使わずに舌で舐めるように飲めと言っているのだから。

 

「ふにゃあ……」

 

 銀子にゃんは水を汲んだお皿をじっと見つめる。

 明らかに警戒している。そのまま猫パンチでも繰り出しかねない。

 

「……(ごくり)」

 

 そんな緊迫した空気に、ただならぬ雰囲気に押されて俺も息を飲み込む。

 

 犬猫のように水を飲ませる、まさにペット扱い。

 こんな失礼極まりない行い、普段の銀子ちゃんにしたら即グーパンが飛んでくるだろう。

 いいやこれは銀子ちゃんに限らず普通の人なら普通は怒る。というか俺だって怒ると思う。

 

 しかし……銀子にゃんならばどうか。

 猫は水を飲む際に手なんて使わない。ペロペロと舌で舐めるように飲むはずだし、そもそも肉球手袋をはめている状態では手を使う事は出来ない。

 だからこの子が真に猫なのだとしたら、こうしてお皿に汲んで差し出すのが正解のはずなんだ。

 

「……にゃ」

 

 ペット扱いを受け入れるのか。

 それとも人間に戻って俺をぶん殴るのか。

 その狭間で揺れているのだろう。銀子にゃんはにゃあと鳴くだけで微動だにしない。

 

「にゃ……にゃ」

 

 果たして空銀子はどちらを選ぶのか。

 人間か──それとも猫なのか。

 

 さぁ……どうなる!?

 

「……にゃう」

 

 すると……あ、銀子にゃんが動いたぞっ!

 両肘を曲げて低く屈んで、そのお顔をそーっとお皿に近付けて……!

 

「……(ぺろぺろ)」

 

 飲んだっ!!

 銀子にゃんがお水を飲んだっ!!

 

「にゃあ……」

 

 ぺろぺろペロペロと、何度も舌を出して銀子にゃんはお水を飲む。

 やはり恥ずかしいのだろう、そのお顔は真っ赤に色づいていて。

 

「……にゃあ、にゃあ」

「ぎ、銀子にゃん……!」

 

 あ……あの銀子ちゃんが。

 四つん這いになって身体を低く伏せて。

 ぺろぺろペロペロと、舌だけを使ってお水を飲んでる姿を見ていると……!

 

「……や、ヤバい」

 

 な、なんかこれはヤバい……! 

 これ、なんかヤバい性癖に目覚めそうだ……!

 

「……よし、お水は終了だ」

「にゃ……」

 

 なので俺は銀子にゃんの口元にあったお皿をそっと拾い上げた。

 これはちょっとヤバすぎてヤバい。銀子にゃんにお水を与えてはいけない。

 こんな背徳的過ぎる水飲みシーンを見てたらマジで俺の頭がおかしくなってしまう。

 

「ほら銀子にゃん、もう身体を起こして」

「にゃあ」

「でもさすがは銀子にゃんだね。手が出せない状況でもこんな方法で攻撃してくるなんてさ」

「にゃ?」

 

 四つん這いからおすわりの体勢になって、俺の言葉に小首を傾げる銀子にゃん。

 この子はさっき自分がどんな姿を見せていたか、それすらも理解していないに違いない。

 

 ……うん。やっぱり駄目だ。この銀子にゃんはあらゆる意味で危険過ぎる。

 猫で、ペットで、従順で。俺の言う事を何でも聞く猫みたいな空銀子にゃんなんて。

 そんなの言葉にしようがないくらいに素晴らしい存在なんだけど……でも、あまりに素晴らし過ぎて俺の精神力が持たないよ。

 

「だから……お楽しみはここまでにして、そろそろ銀子にゃんを人間に戻そうか」

「うにゃ?」

 

 この銀子にゃんを元の空銀子に戻す方法。

 いくつか挙げられるだろうが、その中でも一番簡単な方法を俺はすでに閃いていた。

 

「にゃん」

「てなわけで……いただきます」

「にゃあ」

 

 俺は両手を前に出して。

 そして一直線にそこを目指す。

 そこにある──慎ましやかな膨らみへと。

 

「えいっ」

 

 ふにっ、とした感触。

 

「っ────」

 

 おっぱいを、揉んだ。

 銀子にゃんのおっぱいを。両手でむんずと揉んでやった。

 

 どうだい? これが銀子にゃんを人間に戻す一番手っ取り早い方法だと思わないかい?

 まぁね。確実にブチギレられてぶん殴られるだろうけどね、それでもいいんだ。

 ここまでの諸々の謝罪の意を込めて、一発は銀子ちゃんにどつかれるとしようじゃないか。

 

 ……などと、俺はそう思っていたのだが。

 

 

「にゃあ」

 

 

 ──な、に?

 

「……えっ?」

「にゃあー」

 

 銀子にゃんは、ただ鳴き声を返すのみ。

 

「……嘘だろ?」

「にゃ」

「え、だって……おっぱいだよ?」

 

 両手をにぎにぎさせて、銀子にゃんのおっぱいを何度もみもみしてみても。

 それでも……銀子にゃんは。

 

「うにゃん」

 

 と、猫のように鳴くだけで。

 

「……え。ぎ、銀子ちゃん……怒らないの?」

「にゃあ」

「だって、おっぱいだよ? 俺今おっぱい揉んでるんだよ? ほら、もみもみーっと」

「にゃーお」

「……マジ?」

 

 反応が……変わらない。

 抱きついたり、猫吸いしたり、お皿で水を飲ませたりした時と全く同じ。

 

「なら……これは?」

 

 俺は次なる一手を打つ。

 震える手をそっと動かして、恐る恐る銀子にゃんのスカートを捲ってみる。

 

「……あ、ピンクだ」

 

 銀子にゃんの下着が見えた。

 すらっとした太ももの奥にある薄ピンク色のそれを俺がまじまじとガン見したって。

 

「にゃあ」

「………………」

 

 銀子にゃんは、ただ猫のように鳴くだけで。

 

「…………え。……ちょっと、待ってね」

「にゃ」

 

 なんだか……怖くなってきたぞ。

 俺はスカートから手を離して……銀子にゃんから距離を取るように一歩下がった。

 

「……なんだ? これ……こんなこと……一体、これ、どういう事だ?」

 

 分からない。

 銀子にゃんの思考が読めない。

 俺の目の前に居る存在が……誰よりも知っているはずのこの子の正体が分からない。

 

 だって俺におっぱい揉まれて、パンツをまじまじと見られても怒らないなんて事あるか?

 いや無いだろう、そんな事は。こんな事をしてあの空銀子が怒らないはずがない。

 だったら銀子にゃんは今、その心中ではもの凄く怒っているはずなんだ。……それなのに。

 

 なのに……こうしている今、銀子にゃんは怒る素振りすら見せやしない。

 こんな事があり得るのか? どうして銀子ちゃんはここまでされて怒らないんだ?

 

 その答えは……猫真似をしているからか?

 人間の言葉を喋れないから。いやそもそも猫はおっぱいを揉まれてもパンツを見られても気にしない生き物だから、だから怒らないのか。

 本当は怒っていて、その怒りを我慢しているだけなのかもしれないけど……でも。

 

「……でも、銀子ちゃんがそこまでする理由ってなんだ……?」

 

 そこまで怒りを耐える理由が。

 そこまでして猫真似を貫く理由が。

 空銀子が銀子にゃんになっている意味が……俺には全く分からない。理解出来ない。

 

 ボケやおふざけで猫真似をしたりするような性格じゃない空銀子が。

 おっぱいを揉まれてもパンツを見られても、それでも猫真似を止めない理由とは。

 

 そんな理由が……あるか?

 ……いいや。無い……と、思う。

 

「……だとしたら」

 

 だったらこれは……もしかして。

 もしかしてだけど……問題の大前提が違っているんじゃないか?

 

「けれど……まさか……」

「にゃ?」

 

 これは……答えとしては限りなく可能性の低いアンサーだとは思う。

 しかし、この状況を説明するとしたら……俺にはもうこれしか思い付かない。

 

「……銀子にゃん」

「にゃあ」

「銀子にゃん、きみは……」

 

 震える声で、俺は言った。

 

「まさか……きみは……本当に猫になっちゃったんじゃ……!」

 

 そう。つまりこれは猫真似などではなくて。

 空銀子は本当に猫になったのだ、という可能性。

 

「にゃあ」

「……そうなのかい?」

「にゃ」

「違うのかい?」

「にゃー」

 

 俺がどれだけ語り掛けても、銀子にゃんはやっぱりにゃあとしか返してくれない。

 けれどもこれは猫真似なのか。これは人間が猫の真似をして鳴いているのではなく、そもそも猫が猫として普通に鳴いているだけ……という可能性はないだろうか。

 

 まさかそんな馬鹿な事を、と思うだろう。

 いくら何でも現実的じゃない、とも思うだろう。

 

 でもさ、考えてもみてくれ。

 これは銀子ちゃんだ。空銀子ってのはね、もう存在自体が現実的じゃないんだよ。

 

 だってこんなに可愛いんだよ? 

 この可愛さがもう現実的じゃないでしょ?

 んで更に銀髪だよ? 銀髪。こんなに可愛い銀髪美少女が現実世界にいると思うかい?

 

 思えば俺は子供の頃からずっと思っていた。

 空銀子という生き物は現実的じゃない。おばけか、妖精か、それとも天使か。

 それこそファンタジー世界の住人だと言われた方が納得出来る、それが空銀子なんだよ。

 

 だからこそ──あり得る。

 銀子ちゃんに限って言うなら、非現実的な事が起こり得る可能性は十分にあり得るんだよ。

 

「……だから、君は猫になった」

「うにゃん」

「神のいたずらか、きっと野良猫の魂が君の身体に宿っちゃったんだ。……そうなんだね?」

「ふにゃ」

「そうか、もう猫なんだから答えられないよね。……でも、きっとそれが答えなんだ」

 

 多分だけど間違いない。

 空銀子は猫になった。ここに居るのは正真正銘一匹のネコなんだ。

 

「……もう元には戻れないのかな? 銀子にゃんが銀子ちゃんに戻る事は……」

「にゃうん」

「分からないよね。そんな事……。君にとっても突然の出来事だっただろうし……」

「にゃあ」

「銀子ちゃん……」

 

 もう……人間だった銀子ちゃんとは会えないのだろうか。

 もしそうだとしたら……悲しい。それはとても悲しい事だと思う。

 

「……でも」

 

 ──でも。

 銀子ちゃんと会えないのはとても悲しいけど、それでも悲しんでいる場合じゃない。

 

 だって俺はこの子の恋人なんだから。

 だったら俺は──改めて、猫に生まれ変わったこの子と向き合わなければ。

 

「……銀子にゃん」

「にゃ」

 

 猫になった銀子にゃんと目が合う。

 人間だった時から変わらない、綺麗な灰色の瞳を正面から見つめる。

 

「安心してくれ。君の事は……俺が飼うから」

「にゃっ……!」

 

 そうだ。猫となったこの子には飼い主が必要だ。

 銀子にゃんを迷い猫にしちゃわない為にも……俺がこの子の飼い主になるんだっ!

 

「俺が飼ってあげるからね! 銀子にゃんっ!」

「うにゃぁ……!」

 

 俺は再び銀子にゃんに抱きついた。

 温かくて柔らかい飼い猫の感触を感じながら、そのままフローリングの床に倒れ込む。

 

「今日から君は俺のペットだ。いいね?」

「ふにゃあぁ……」

「よし。いい子だね、銀子にゃん」

「にゃうん……」

 

 そして俺は銀子にゃんの左手を握った。肉球手袋をはめているその左手を。

 もう二度とこの手を離したりはしない。この手を繋ぎ直した時、俺はそう誓ったんだ。

 だから……その誓いを守る為にも、俺がこの子の飼い主になって生きていくんだ。

 

「空銀子が猫になったなんて知れたら将棋界は……いや、きっと日本中が大騒ぎだろうね」

「うにゃあ」

「でも大丈夫だよ。安心して。なにがあっても君の事は絶対に俺が守るからね」

「うにゃん……」

「お、喜んでくれているのかい?」

「にゃあん……」

 

 すると俺の愛情が伝わったのか。

 銀子にゃんは喉をころころと鳴らして、頬をすりすりと俺の胸元に寄せてきた。

 

「そっかそっか。よーしよし、かわいいね」

「にゃうん……」

 

 俺は飼い猫の頭を優しく撫でる。

 すると銀子にゃんは心地良さそうに頬を緩めて幸せそうに微笑む。

 

「なでなで……」

「ふにゃあ……」

 

 あぁ、なんて可愛い猫なんだ。

 人間だった頃も可愛かったけど、猫になってもやっぱり銀子にゃんは可愛い。

 この子の笑顔が曇らないように、俺が飼い主としてしっかりしないと。

 

「俺が飼い主になった以上、銀子にゃんには沢山贅沢させてあげるからね」

「にゃ」

「キャットフードは最高級のものを食べさせてあげるし、おやつのチャオちゅーるだって毎日のように食べさせてあげるからね」

「ふにゃ」

「猫用エステサロンだって毎週連れて行ってあげるからね。金に糸目をつけないで贅沢して、君を立派なセレブ猫にしてあげるからね」

「うにゃあ」

「君は何も心配しないで、これから猫として自由気ままに生きればいいんだ。身の回りのお世話は飼い主である俺がしてあげるからさ」

「うにゃあん……」

 

 にゃーんととろけそうな顔をしながら甘ったるい声で鳴く銀子にゃん。

 まるでマタタビの匂いに当てられたみたいにふにゃふにゃになってる。その顔を見てると、その声を聞いていると……なんかこっちまで嬉しくなってきちゃうね。

 

「これがペットを飼う事による癒やし効果ってやつなのかな……」

「ふにゃあ」

「あぁ、銀子にゃん……」

「にゃ……」

 

 この腕の中に居る存在が、飼い猫という存在が今はとにかく愛おしい。

 空銀子が猫になっちゃって。きっとこの先問題は山積みだろうけど……でも大丈夫。

 この愛しい存在は俺が守ってみせる。飼い主は飼い猫の為ならなんだって出来るんだ。

 

「差し当たって……まずは食事か」

「にゃ」

「あと、君のおうちが必要だよね。室内に置く用のペットハウスを買ってこようかな」

「ふにゃ」

「あ、ペットハウスやだ? 放し飼いがいい?」

「うにゃん」

「そっか。まぁとりあえずペット用品が売っているお店に行って色々と買ってくるよ。だから銀子にゃんはちょっとお留守番しててね」

「にゃ」

 

 こうしてペット用品を買いに行く為、俺は寝転がっていた床から身体を起こして。

 

「……あ」

 

 だがその時。

 ふと、脳裏の端で小さな疑問が生まれた。

 

「そういえば……野良猫の魂が銀子ちゃんの身体に宿ったって事は、元々の銀子ちゃんの魂は一体何処にいったんだろう?」

「にゃ?」

 

 空銀子の身体には野良猫の魂が宿った。

 その事はここに居る銀子にゃんが証明している。

 だが……その場合、空銀子の身体から追い出された元々の空銀子の魂はどうなったのか。

 

「もしかして……野良猫の方にいったのかな? 魂の取り替えっこ的な感じで」

「にゃあ」

 

 仮にそうだとしたら……それは。

 猫になった空銀子がここにいるように、空銀子になった猫が何処かに居るという事になる。

 この大阪の街の何処かに。空銀子の魂を宿した野良猫が存在しているという事で。

 

「もしそうだったら……銀子ちゃんの魂は……」

「……にゃ」

 

 人間としての意識を持ったまま、ある日突然自分が野良猫になったとしたら。

 空銀子の魂がそんな状況にあるのだとしたら……きっと銀子ちゃんは今、困っているはずだ。

 

 いや困っているどころか、あの子が野良猫として生きていくのは多分無理だと思う。

 まずエサが取れない。銀子ちゃんって運動神経悪いから獲物を狩る事とか出来なそうだし、コミュニケーション能力だって低いから仲間の猫達から食べ物を恵んで貰う事とかも出来ないはずだ。

 それと寝床にも困るはず。あの子はケンカも弱いから縄張り争いだって勝てないだろう。それに野宿とかも出来るタイプじゃないし……。

 

「銀子ちゃん……」

 

 もしかしたら今……銀子ちゃんは。

 猫社会の中から弾き出されて、何処かの公園の隅で小さく丸まって震えているかもしれない。

 そんな銀子ちゃんの現状を想像したら……なんだか胸の奥がキュッと痛んで。

 

「………………」

「……にゃあ」

 

 あの子とずっと一緒に居た俺には分かる。

 空銀子は猫として生きていく事なんて出来ない。

 銀子ちゃんってのはそういう子なんだ。そもそもあの子が生きてくには将棋が無いと──

 

 

「──あ」

 

 

 ……そうだ。肝心な事を忘れていた。

 

「……将棋」

「……にゃ」

「そうだ。銀子ちゃんじゃないと……猫のままじゃ将棋が指せないじゃないか」

「……にゃあ」

 

 将棋。それは九頭竜八一と空銀子を結び付ける唯一無二の代物。

 だって俺達は将棋で出会った。だから俺達の関係は将棋が無いと成立しない。

 

 弟弟子と姉弟子という関係でも。

 そこから進んで恋人同士になったとしても。

 どんな関係だったとしても、俺と銀子ちゃんには将棋が必要で……だからこそ。

 

「……銀子にゃん」

「にゃ」

「……ごめん」

 

 だからこそ、俺は頭を下げた。

 

「やっぱり……君の事は飼えない」

「にゃ……」

 

 この子の事は俺が飼うと宣言した、先程の言葉を自ら反故にした。

 猫のままじゃ駄目なんだ。銀子にゃんとは……猫とは将棋を指す事が出来ないんだから。

 

「俺は銀子ちゃんがいい。猫じゃなくて人間のあの子じゃないと駄目なんだ」

「にゃあ」

「この先銀子ちゃんと将棋が指せないなんて……そんなの絶対に嫌なんだ」

「……ふにゃ」

「だからお願いだ。銀子にゃん……元の空銀子に戻って欲しい」

 

 そう言って俺は両手と額を床に付けた。

 入れ替わった魂を元に戻すなんて。そんなのどうすればいいのか全く分からないけど。

 俺に出来る事なんて土下座くらいしかないけど……それでもどうにかするしかない。

 

「頼むっ! 銀子にゃん! 元の銀子ちゃんに戻ってくれ!!」 

「にゃ……」

「君が元の人間に戻ってくれるなら俺はなんだってする! だから……どうか……!!」

 

 それは心からの願いだった。

 心の底から願った事で、その願いは遠い空の彼方にいる将棋の神様の元に届いたのか。

 

「………………」

「…………銀子にゃん?」

「………………」

 

 長らくの沈黙の後。

 

 

「……ふぅ」

 

 と、息をつく声が聞こえて。

 

「……はぁ、疲れた。ずっと四つん這いになってたから身体が痛くなっちゃった」

 

 その声は──!

 

「銀子ちゃん……!!」

 

 俺は弾かれたように顔を上げた。

 すると四つん這いの体勢じゃない、ちゃんと身体を起こした銀子ちゃんの姿があった。

 

「銀子ちゃん!! 元に戻ったんだね!!」

「……えぇ、そうよ」

「良かった、良かったよぉ……!!」

「ちょ、ちょっと八一……!」

 

 あぁ、良かった……!

 感激のあまり俺は銀子ちゃんに抱きついた。

 

「ホントに良かった、銀子ちゃん……」

「……ん」

 

 この感触はさっきまでと変わらないけど、それでもこれはもう猫じゃない。

 銀子ちゃんは人間に戻ってくれた。俺と一緒に将棋を指す事が出来る唯一無二の存在に。

 

「野良猫に宿った君の魂が元に戻らなかったら……俺、もうどうしようかと……」

「大げさよ、そんな……」

「あそうだ、野良猫になっている間になにか危険な目に合わなかったかい? 近所のボス猫からいじめられたりしなかった? 怖い人間からエアガンで打たれたりしなかった?」

 

 俺がそう尋ねると、銀子にゃんは呆れたように半眼になって。

 

「しないわよ。ていうかね、私は別に野良猫になってたわけじゃないから」

「えっ、そうなの? 野良猫と魂が入れ替わってたわけじゃないの?」

「当たり前でしょ。魂の入れ替わりなんてそんな事が起こるわけないじゃない。バカ八一」

「……そっか」

 

 どうやら魂の入れ替わりではなかったらしい。

 野良猫になった銀子ちゃんが困っているはず……というのは俺の取り越し苦労だったみたいだ。

 

「まったく……ほんとにバカなんだから」

 

 そう呟いた銀子ちゃんの表情は、猫だった時よりも赤く染まっていた。

 

 

 

■ 

 

 

 

 こうして、空銀子は人間に戻った。

 がしかしこれで全てがハッピーエンドとはならないもので。

 

「……ところでさ、銀子ちゃん」

「なに?」

「ちょっと聞きたいんだけど……どうしてこんな真似をしたのかな?」

 

 そして、最後に残った最大の謎。

 この部屋を訪れて、銀子にゃんと遭遇した当初からずっと疑問に感じていた事。

 

「こんな本気の猫真似なんてして……一体どういう理由で?」

 

 空銀子と野良猫の魂が入れ替わった……という説は間違いだった。

 となるとやっぱり、銀子ちゃんは最初からずっと猫真似をしていたという事になる。

 

 しかし……何故。どうして。

 どうして空銀子は、あんなにも頑なに猫真似を貫いて銀子にゃんとなっていたのか。

 

「………………」

「銀子ちゃん?」

 

 その疑問を尋ねてみると、銀子ちゃんは顔色を読ませないような表情でゆっくり口を開いて。

 

「……八一」

「なに?」

「あんたさっき、私が元に戻るんだったらなんでもするって言ったわよね?」

「え、あ、うん、言ったけど……」

「だったらこの件について一切の詮索をする事を禁ずるから」

「えっ」

「勿論今日あった事を口外するのも絶対に禁止。いいわね?」

「え、でも……」

「でもじゃない。返事は?」

「……はい」

 

 こうして、それを尋ねるのは禁止となった。 

 ハロウィンの日に起こった銀子にゃん事件は、最大の謎が残される事となったのだった。

 

 

 




続き(銀子視点)はなるはやで書き上げる予定です。
(追記、後編上げました)
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