銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集) 作:銀推し
静かな空気の中、響く駒音。
「………………」
それは将棋の空気、将棋の音。
学校終わりの午後、只今私は対局中である。
「…………うーん」
お相手は勿論こいつ、九頭竜八一。
私の弟弟子であって、今は色々と関係がギクシャクしちゃっている因縁の相手、バカ八一。
とはいえ将棋の前では別の話。たとえケンカして仲違いしている最中でもそういったいざこざを盤の中にまでは持ち込まない、それはお互いにとって共通のルールのようなもので。
「……ふぅ」
だからこそ私は今、こいつと将棋を指している。
盤を睨む集中した目付き、軽く息を吐いた八一の指先が駒を掴む。
そして一気に前方へ、私が自陣に組んだ囲いの中に飛び込んできた。
「……む」
思わず唸る私。
ぬぅ、ここで攻め手を変えてくるとは。相変わらずイヤらしい所を突いてくるヤツだ。
「………………」
中々次の手が出せない。悔しいけれど現状の盤面は私の劣勢と言わざるを得ない。
ここ最近の八一は一層強くなった。私が女王のタイトルを獲得して以後、八一の将棋に対する傾倒具合は更に強まったような気がする。
一方で私はタイトルホルダーになった事で取材などのお仕事が増加したのも相まって、ここ最近は八一との勝敗の星勘定が今まで以上に開いてしまっているのが現状だ。
──が。
「………………」
相変わらず、八一の視線はその盤面にのみ向けられている。
が、だ。生憎と私の視線はそちらには無い。今、私の視線は真っ直ぐ前だけを向いている。
目の前に居る……こいつを。
「…………ふぅん」
だってこれは将棋の勝負じゃない。私にとって今日の目的はそっちではないのだ。
これは言うなれば将棋をダシにした番外戦術のようなもの。けれども今日の勝負はその番外の争いこそが本命なのである。
このダメダメ八一に地獄を見せる為、私には用意してきた劇薬がある。
なんせムカつくし。散々イライラさせられてきた訳だし、やり返すのは正当な権利のはずだ。
そしてなにより、私にはこの劇薬を用意してくれた頼もしい味方がいる。
私には見える。今、私の頭の中にはあいつらがいる。3人の銀子達と18歳の八一がいる。
みんなが私を応援してくれている。そんなイメージが脳裏にくっきりと浮かんでいる。
こうして頼もしい援軍が付いている以上、もはや恐れるものなど無し。
という事で……そろそろ仕掛けるとしよう。
「………………」
しばし悩みの末、私はようやく受けの一手を返して。
そして、八一の手番になった瞬間、
「……あ、そう言えば」
「ん?」
そんな切り口から。
さも唐突に思い出したかのような口振りで。
「今日、学校でさ」
「うん」
なんでもない事を言うかのように、言った。
「クラスの男子から告白された」
「んぬぅ!!?」
入った。初っ端から右ストレートの一撃。
まともに食らった八一の口からは対局の静けさを裂く奇妙な大声が上がった。
「うるさい。急に大声出さないでよ」
「……え。……う?」
聞こえた言葉を頭の中で処理できないのか、目を白黒される八一。
とりあえず先程までの集中した表情は崩せた。滑り出しとしては上出来だろう。
「……え、姉弟子今なんて言いました?」
「うるさいから大声出すなって言った」
「いやあのそっちじゃなくて、その前に」
「だから告白されたんだって」
「……え、誰が?」
「私が」
「誰に?」
「クラスの男子に」
「………………」
私が──空銀子が、クラスメイトの男子から告白された。
ようやく事情を飲み込んだのか、八一は長い沈黙の後にゆっくりとその口を開いて。
「…………ほーう?」
ほーう? ってなんだ、ほーうって。
なんだか偉そうに相槌を打ってきた八一は、これまた偉そうにふむふむと大袈裟に頷き始める。
「……はー、なるほどねぇ」
「なるほどって、なにが」
「いやぁ、姉弟子に告白するような奇特で無謀で命知らずなヤツも居るんだなぁって思いまして」
あんだとぉ?
なんというムカつく返事。こいつ、どうやらぶちころされたいようだな。
「……っと、ちがうちがう」
「え?」
落ち着け私、落ち着いて。ここで逆上してしまっては何も意味がない。
あくまで私は平然としているべきだ。今攻めているのは私の方で、あたふたと情けなく動揺するべきなのは八一の方なんだから。
ほら、私の頭の中にいる銀子達も「冷静になりなさい」とアドバイスをくれている。そう、ここは一つ冷静になって……冷静に、次の手を。
「今日の帰りにさ」
「はぁ」
「告白をね」
「へぇ」
「されたわけ」
「ほぉ」
まぁ、勿論これは作り話なんだけど。別に私は告白なんてされてないんだけど。
けれどもその点は問題無い。アホな八一が私の嘘に気付くはずが無いからね。
「急に話しかけられてさ……突然の事だったからビックリしちゃった」
「ほうほう、そりゃまた」
「告白されるなんて、今まで全然考えた事も無かったっていうか……あるのね、こういう事って」
「みたいですねぇ」
今日の帰りにクラスメイトの男子から告白をされた(という設定の)私を前にして、八一はさもどうでもよさげな気のない返事を繰り返す。
「まぁでもそうっすねぇ。姉弟子も小学六年生ですもんねぇ。小六といえばそろそろ色気付いてくる年頃ですし、告白の一つぐらいされる事もあるのかもしれませんね、えぇ」
年上目線でなんとも偉そうに、余裕ぶった態度でぺらぺらと喋るバカ。
けれども私には分かる。これは効いている。八一は今分かりやすく動揺している。
自分の手番だと言うのに次を指さない、目の前の将棋から集中が切れているのが良い証拠だ。
「そっすかぁ、告白っすかぁ」
「そうだけど」
「姉弟子がねぇ……告白かぁ……」
「そうだけど?」
「……そうっすかぁ……」
ふふん、効いてる効いてる。さぁもっともっと動揺しなさいな。
この分だと18歳の八一が言っていた通り、今のこいつが私の事を全く意識していないっていうわけでは無いみたいだ。良かった。
ほら、私の頭の中にいるJKやJC銀子達もうんうんとしたり顔で頷いている。一方で18歳の八一はちょっと座りが悪そうな顔をしているけど。
「でもその……姉弟子に告白してきた男の子も不運って言うか、ちょっと可哀想ですよねぇ」
「は? なんで可哀想なの?」
「だって姉弟子に告白なんて、そんなんフラれるの確定してるじゃないですか。まぁ好きになっちゃったもんはしょうがないとしても、勝ち目ナシの勝負に挑むってのは中々可哀想な話ですよねぇ」
「………………」
……ふむ、なるほど。
今のセリフを聞く限り、どうやら八一の頭の中ではすでに結果が出ているらしい。
私が告白を拒絶した事になっている、お相手の男をフッたという事で確定しているようだ。
「……ふふっ」
「姉弟子?」
思わず笑みが溢れる。
まぁ、ね。そりゃあそう考えるのが自然な発想だとは思うけど。この私を、八一が知る空銀子の人間性を考えればそのような結論になるだろう。
私って自分で言うのもなんだけど将棋以外にはまるで興味を示さないような人間だし。だからもし実際にクラスメイトの男子から告白されたとしても返事はお断り一択だろう。
──けど、だ。
「別にそんなこと無い。フラれるのが確定してるなんて事は無いわよ」
空銀子が他の誰かを好きになって、それでもって八一を動揺させて追い詰める。
それが今回の狙いだ。であれば当然、ここは思わせ振りな感じで答えておく。
「…………ゑ?」
すると予想外の返しだったのだろう、八一の口から裏返ったような声が聞こえた。
「……え」
「……なによ、その顔は」
そしてまじまじと私を見てくる。
まるで目の前にあるものが信じられないと言わんばかりの表情で。
「ていうか八一、早く次の手を指しなさいよね。時間食い過ぎ」
「あっ、と、そ、そっすね……」
私に急かされて、盤面に目を移した八一は慌てた様子で次の手を打った。
しかしその一手に先程までの切れ味は無い。才能の冴えの欠片も見えない凡庸な手、盤外戦術の効果が如実に現れている。
「……え。あの……姉弟子」
「なに?」
「……いや、でも、まさか、そんな、姉弟子に限ってそんなわけ……」
「なにぶつぶつ言ってんのよ」
「いや、その……てかその告白って、もう返事はしたんですよね?」
八一は恐る恐るといった感じで聞いてくる。
その目が、言外に「勿論フッたんですよね?」と尋ねているのがひしひしと伝わってくる。
ふふふっ、完全に効いてるわね。
私にフって欲しいんでしょ? 私に恋人なんて作って欲しくないんでしょ?
だったらここで本命の一撃だ。もう返事はしたのか、ですって? そんなの勿論──
「………………」
「……姉弟子?」
……返事。返事……か。
どうしよう。あの夢の中で18歳の八一が授けてくれた作戦通りにするべきか。
それなら「告白はOKした。だから私、彼氏が出来たの♡」とか言うべきなんだろうけど。
そのつもりだったんだけど……でも。
「………………」
「……ちょっと、黙ってないでなんとか言って下さいよ」
八一が急かしてくる。けれども私の口からは次の言葉が出ない。
これは所詮作り話だ。作り話の告白に対する作り話の返事をでっち上げるだけの事。
……でも、それでも。
たとえ嘘で………それを言うのは、なんか。
「…………っ」
考えてみるとこれは難しい話だ。
あの時18歳の八一は『私はクラスの○○くんと付き合うからー』みたいな事を言えば即投了間違い無しだって言ってたけど、これは言う程に簡単な話では無いと思う。
だって、そんなセリフ……言えない。八一の前で……そんなこと。
自分の気持ちを裏切るような言葉……今でもこんなに、こんなに心が痛くなってるのに。
「……八一」
「はい」
「……えっと」
好きな人を前にして、別の人が好きだなんて言えるはずが無い。
ど、どうしよう、これは想定外だった。作戦の根幹に大きな欠点を発見してしまった。私の頭の中にいるJK銀子達も頭を抱えている。そんなイメージが見える。
けれども今更作戦を変える訳にもいかないし、となるとここは、ここは……!
「告白の返事は……まだ、してない」
「まだ、って……どうして?」
「その……か、考え中、だから」
私は絞り出すようにそう答えた。
というかそう答えるしかない。これでも自分的には良心が痛むギリギリのラインだ。
でもこの返しでは、こんな中途半端な答えじゃせっかくの劇薬の効力が下がっちゃうかも──
「か……考え中!?」
「うん」
「か、考えるってなにを!? なな、なんで、なにを考える事があるんですか!?」
「なにをって……そりゃ色々な事よ」
あ、良かった。大丈夫っぽい。
ちゃんと八一は驚愕してくれている。信じられないとばかりに目を剥いた表情をしている。
告白を受諾する可能性をほんの少し匂わせただけでこれとは、八一の中での私はよっぽど恋色沙汰に無縁な存在だと認識されているのか。
……それとも。
やっぱこれって……この八一はもう、わ、わたしが、わたしの事が……。
「え、え、え。てか姉弟子……もしかして、そいつの事好きなんですか?」
「……さぁ」
「さぁ、ってなんすか。自分の気持ちなんだから分かるでしょうよ」
「……だって、よく知らないし」
「知らない?」
「うん。一応クラスメイトだけど、今まで話したりした事も無かったし……」
さすがに「好き」とは答えられない。
ので、ここは自分の気持ちを分かっていないようなフリをする。
「あぁ、なるほど。まぁ姉弟子ならそういう事もあり得るか……」
私なら、という部分が気になるが……ともあれ八一は納得したようだ。
「で、でも、だったら答えは一つしかないじゃないですか」
「一つって?」
「そりゃあ……お断りでしょうよ。だって姉弟子、そいつの事全然知らないんでしょ? 知らない相手と付き合ったりはしないでしょう」
「……そうね」
「でしょ?」
私が一旦同意する素振りを見せると、八一は見るからにホッとした表情に変わった。
どうやらこいつは意地でもそっち方向に、私が告白を拒否する方向に持っていきたいようだ。
これってやっぱり……そういう事だよね?
あの夢の中で18歳の八一が言っていた通りだって事だよね?
つ、つまり……この八一は、わ、わたしの事が……す、好きなわけで。
好きだから、私への告白を成立させたくない、……ってことだよね? そうでしょ?
「……へへ。えへへ」
「な、なに?」
「う、ううん、別に?」
危ない危ない、気を抜くと顔がにやけちゃう。
でもやっぱそうなんだ。18歳の八一が言っていた事は正しかった、さすがは本人。今も私の頭の中で成行きを見守ってくれている18歳の八一に感謝の言葉を送りたい気分だ。
「ま、成長した本人が私の味方に付いた時点であんたに勝ち目は無かったって事ね」
「は? え、なんの話?」
突然の話にきょとんとする八一の一方、私は素知らぬ顔で「なんでもないわよ」と首を振る。
もはや状況は私の圧倒的勝勢。……だが、とはいえまだ勝ちが決まったわけでは無い。
18歳の八一が言っていた事が全面的に正しいのだとすると、この八一は私の事が好きで、けれどもその気持ちを自覚していないという事になる。
だったらその気持ちを自覚させてやらないとね。そうしてこその勝利というものだろう。ついでに言えばその為の劇薬なのだから。
「それで、えっと……知らない相手だから、付き合ったりはしないって話だっけ」
「はい。普通はそうでしょう」
「……どうかな」
「え?」
「知らない相手だからこそ……っていう考え方もあると思うけど」
だから私はそう答えた。
突然の告白に戸惑い「YES」と「NO」のどちらにも転びそうな状態の空銀子、のフリをする。
「いや、えっ、知らない相手だからこそって……それ本気で言ってます?」
「うん。そういう理由で付き合い始めるような人達だって居ると思うけど」
知らない相手だからこそ、付き合う。まぁ、世の中にはそういう人達だって居るだろう。
個人的にはそんな考え方はナシだと思うけど、この際それはどうでもいい。とにかく攻めて攻めて八一を揺さぶる事が大事だ。
「でもそんな、知らない相手を知りたいなら友達からでいいじゃないですか。てか姉弟子……マジでそいつと付き合うつもりなんですか?」
「だからそれは考え中だって」
「考え中って……」
私が曖昧な態度を取り続けているからか、呟く八一の眉間に皺が寄り出した。
恐らくこいつの思考としては、私がスパッと告白を拒絶するものだと思っていたのだろう。
告白を受けるのは論外として、こうして悩む素振りを見せる事すら想定外だったに違いない。
「姉弟子……」
だからこそ最初驚きが動揺に、そして動揺が苛立ちへと変わってきたのか。
もはや対局の事なんてすっかり忘れてそうな八一の表情はどんどん強張ってきて、
「それは……」
「ん?」
そして固い声で、言った。
「……駄目じゃないですか? それは」