銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集)   作:銀推し

69 / 78
※これは本編とは関係ない短編ネタとなります。

空銀子聖誕祭(2023)記念短編。
元々は八一君の誕生日(8月1日)に書き上げようとして間に合わなかったネタの流用となります。
なので銀子の誕生日というよりも八一君の誕生日に合わせた内容となっていますが、その辺は広い心で。
原作17巻以降の話となります。普通に銀子がいて普通に八一と会話してたりしますが、そういうものだと思って各自脳内で補完しながらお読み下さい。


短編 八月某日の空銀子

 

 

 

 

 

「いやぁ、今日もあっついねー!」

 

 コンビニへのおつかいから帰ってくるなり八一がそう言った。

 時刻はそろそろ夕方、歩いて十分足らずの距離だというのにその額には汗が滲んでいる。それを見れば先程の台詞が心から出た言葉だという事が察せられる。

 

「そうね」

 

 注文していたアイスを受け取りながら、私はとりあえず同意しておく。

 季節は夏、そりゃ暑い。とはいってもこの部屋は今も冷房がガンガンに効いているから全然暑くないし、私は一歩も外に出ていないから今日の暑さを知らない、熱中症アラートが発せられて外出する人々に警戒を促す程の過酷な外気温を実感してはいないけど。

 

「もう連日の真夏日やら猛暑日やらの繰り返し、分かっていたけど今年の夏も本当に暑いねー!」

「そうね」

「なんか聞いた所によると、近年の夏は二十年前に比べて平均気温が10度近くも上がってるんだって!」 

「そうなんだ」

 

 妙にテンションが高めな八一の言葉を適当に流しながらアイスを一口。うん、美味しい。

 やっぱり夏はアイスね。夏に食べるアイスは結構好き。一方で八一はおつかいが好きらしいので頼めばどんなに暑い日でもアイスを買ってきてくれる。持つべきものは便利な弟弟子である。

 

「夏は嫌いじゃないけどさ、ここまで暑い日が続くとさすがに参っちゃうよね!」

「まぁね」

 

 八一は意外と夏を好む。きっと市民プールで水着姿の小学生を合法的に観察出来るからだろう。

 ちなみに私は夏が好きではないので、こんな季節は早々に滅んでしまえと思っている。

 

「で、さ」

「うん」

「こんな暑い日はさぁ……アレだよね!」

 

「あれ?」

「アレだよ、アレ」

 

 あれ。あれとは何か。

 私が先を促す視線を向けると、八一は何かを掴むかのように丸めた右手を口元に当てて。

 

「キンキンに冷えたアレでさぁ、こう……ぐいっといきたいよね!!」

 

 言葉通りぐいっと、右手に掴んだそれを一気に飲み干すようなジェスチャー。

 さて問題、一体これは何を表しているのか。私にはサッパリなんだけど、その答えはきっと共感する人も多いのではと思う。この季節は特に。

 

「ま、私にはサッパリ分からないんだけどね。なにそれ?」

「ビールだよビール!! こんな暑い日にはキンキンに冷えたビールを飲むしかないっしょ!!」

 

 ビール、だって。八一の口から聞き馴染みの無い単語が飛び出してきた。

 それが意味するところは一つ。私は出来るだけ優しく聞こえるような声で応えてあげた。

 

「……誕生日おめでと」

 

 そう、つい先日の八月一日。その日はこいつ、九頭竜八一の誕生日だった。

 その日を以て八一は一つ年齢を重ねて、今年でとうとう20歳になった。

 それはつまり、お酒を飲んでも許される年齢になったという事である。

 

「ねぇ銀子ちゃん銀子ちゃん、誕生日プレゼントは?」

「そうね、気が向いたらね」

「気が向いたら!? 誕生日プレゼントってそういうもんだっけ!?」

「えぇそうよ、そういうものなの」

 

 四歳の時から一緒にいる相手への誕生日プレゼントなんてそんなもんよ。甘えてはいけない。

 というか私がプレゼントに何を用意したとかはどうでもいい、今回それは大した意味を持たない。何故ならこの部屋にはもっと重要なものがすでに用意されているのだから。

 

「それよりもなに? 二十歳になったからってもう夏場にビール飲むような男になっちゃったの? これじゃ師匠みたいな酔っ払い駄目オヤジになるのも時間の問題ね」

「いやぁ……まぁ正直さっきの流れはほぼほぼノリだったんだけど。ただ……」

 

 すると八一は、ちょっと困った表情になって部屋の片隅に視線を投げた。

 

「あれをどうにかしなきゃなーってのはあってさ……」

 

 そこに鎮座するもの。それはこの部屋に来た時から私もずっと気になっていた。

 そこにあるのは酒。酒だ。酒である。師匠の家で暮らしていた頃の夕食時によく目にしたお馴染みのビール瓶とか、私には銘柄が分からない様々なお酒の瓶やら何やらが所狭しと並んでいる。

 先日二十歳になったばかりの男がもうあんな大量のお酒を買い込むだなんて。九頭竜八一、実はこいつとんでもない酒豪だったのか……ってのは冗談で。

 

「……貰ったの? あれ全部」

「うん。二十歳の祝いといったらこれやー! って感じで会う人会う人みーんなお酒をくれた」

「そのシーンすっごい簡単に想像出来ちゃうところが嫌ね……」

 

 という事らしい。あれ全部八一が知り合いから貰った二十歳の誕生日祝いだそうだ。ちなみにその内の一人はあのヒゲ師匠だという事には確信が持てる。

 パッと見たところ日本酒とか焼酎が多いかも。私はお酒の知識がほぼ無いのでこれはただの直感なんだけど、なんとなくアルコール度数が高めなお酒が揃っているような気がする。

 

「なんかさー、普段はプレゼントどころか俺の誕生日すら知らないでしょ、みたいな人も今回ばかりはちゃんとくれる人が多くてビックリしちゃったよ」

「ふぅん、そうまでして二十歳になったばっかりの人間にお酒を飲ませたいのかしら。大阪在住の中年オヤジにロクな人間はいないわね」

「いや全員が中年オヤジだったってわけじゃ……てかこれ後で聞いた話なんだけど、どうやら成人祝いも兼ねているんだって」

「成る程ね。こうやって酒を飲める人間を増やしていく事で酒飲みの輪が広がっていくのね。ほんと大阪在住の中年オヤジにロクな人間はいないわね」

 

 成人祝いと称してお酒を贈られたら受け取った側は飲むしかない。祝い物を無碍には出来ないし、せっかく飲める年齢になったのだからと飲みたい気持ちだってあるだろう。

 そうやって飲ませて酒に慣れさせて同類を増やしていくのが酒飲みの手口という訳だ。結論、大阪在住の中年オヤジにロクな人間はいない。

 

「でもこれは善意っていうかさ、将棋の世界で生きていくなら嫌でも酒を飲む機会は訪れるからね。そこで潰れない為にも早めにアルコールには慣れておけってことなんだと思うよ」

「随分と好意的に解釈したわね。私はただ自分達に付き合える酒飲みを増やしたいだけだと思うわ」

「……まぁ、それもあるだろうけど」

 

 絶対に私の意見が正しいと思う。とはいえ八一が言っていた事も決して間違いではない。

 祝いの席や飲みの席など、将棋の世界で生きていく限り何かと酒は付いて回るもの。というか世の中で普通に働いている人だって多かれ少なかれそうなんじゃないのかと思うけど。

 一応今は『アルハラ』なんていう言葉もあるぐらいだし、お酒が苦手な人に飲む事を強要するのはご法度な社会になってきているけれども、生憎と将棋界は古い世界なので飲まなきゃいけない時は飲まなきゃいけない。

 

「ところで八一、二十歳になってから少しは飲んでみたりしたの?」

「ううん、まだ飲んでない。ちなみに二十歳になる前でも飲まされた事なら結構あるけどね!」

 

 だから別にお酒を飲むのは初めてではない。

 とでも言いたいのでしょうけど、それ、いい笑顔で言う事じゃないから。

 

「俺はジュースを飲んでいるつもりだったのに実はお酒が混ぜられていたりとかさ、よくあるよねーそういう事って」

「うわー未成年飲酒とか。警察にバレて逮捕されればいいのに」

「大丈夫大丈夫、その場合逮捕されるのは未成年に酒を飲ませた悪い大人達だから」

 

 八一の周囲には悪い大人がいるものだ。それが顔見知りでない事を祈るばかりね。

 

「酒飲み特有の悪ノリってやつなんだろうけどさ、こっちにも立場があるから辛いところだよね」

「……そうね」

 

 避けられるのなら避けたいけど、中々そうもいかないんだよ。と八一の渋い顔が語っている。

 特に八一は弱冠16歳という年齢で竜王位を獲得した。単なるプロ棋士ならまだしもタイトルホルダーともなれば出席しなければならない集いや催しが一段と増える。で、それらに参加しているのは基本オヤジ達ばっかりなのでおのずと酒の席になる。

 そこで未成年に酒を飲ませようとする悪い大人がいたとしても棋士側は上手に応対しなければならない。完全に無下にする訳にもいかないし、やんわりと断り続けるのにも限度がある。

 要するに立場に付随する面倒な責務というやつだ。私も女流位を獲得した時から内容は違えども似たような経験をする羽目になった覚えがあるので、この点について八一を責める気にはならない。

 

「とはいえ俺もようやく20歳になったわけで、これで無理やり飲まされる日々にもサヨナラ! 今日からは自分の意思で好きに飲める! だから飲む! そう、飲むんだ!!」

「ま、別に飲むなとは言わないけどね。事実あんたは二十歳なんだし。けど……」

 

 今日、ここには八一がいる。先日二十歳になったばかりの八一と。

 

「……わざわざ、ここで?」

 

 そしてもう一人、ここには私がいる。

 今年の誕生日を迎える前なので17歳、まだまだお酒を飲める年齢じゃない未成年の私が。

 

「うん。いやほら、そうは言ってもまだお酒には全然慣れてないし、一人きりの時に飲むのはなんかあったら怖いじゃん? その点今日なら銀子ちゃんが一緒だからちょうどいいかなーって」

「だったら桂香さんや師匠と一緒に飲みなさいよね。どうしてわざわざ私と? まだお酒が飲めない私の隣で自分だけ飲むってどうなの? 性格悪いわよそれ」

「いやそれは……え、てかもしかして銀子ちゃんもお酒飲みたいの? なら大丈夫だよ、今日からは俺が悪い大人になって飲ませてあげるから」

「いらない。死ね」

 

 今分かった。こいつもだ。朱に交われば赤くなるというように、大阪在住のロクでもない中年酒飲みオヤジ達に囲まれて育った八一の中にもその血は流れているのだろう。

 あぁ、こいつもきっといつかは酒浸りの中年棋士になって若い新人棋士にお酒を強いたりするのね。そうなる前に私がキッチリと引導を渡してあげよう。今決めたわ。

 

 ……え、私?

 ううん、私にはそんな酒臭い血は流れてないから。あんなロクでもない酒飲み達と一緒にしないで。

 その証拠に私は今の所お酒を飲みたい気持ちはゼロだ。幼少の頃より酒でべろんべろんに酔っぱらった師匠や桂香さんの姿を見てきた身としては、あんな無残な生き物と同類になりたいとは欠片も思わない。

 少なくとも八一の前では飲みたくないわね。八一の前であんな醜態晒したらもうお嫁にいけなくなっちゃう。

 

「まぁいいわ、飲みたいってんなら好きなだけ飲みなさい。ただしあんたがフラフラになるぐらい酔っ払ったとしてもお世話なんてしてあげないから、優しく介抱してもらえるだなんて期待しない事ね」

「ははは……本当の事を言っちゃうとね、ただ銀子ちゃんと一緒にいたいってだけなんだ」

 

 えっ……。

 

「そりゃ酔っ払いの世話なら桂香さんが一番得意だろうし、せっかく二十歳になったんだから師匠と一緒に酒を飲み交わしたいなって気持ちもあるんだ。そういう機会もおいおい作ろうとは思っているけど……」

 

 私と目を合わせて、八一がふっと微笑む。 

 そうやって優しく私を見つめる表情が、私は、大好きで。

 

「今は銀子ちゃんと一緒にいたいよ。せっかくこうして一緒にいられるようになったんだ、今は銀子ちゃん最優先かなーって思ってさ」

「八一……」

 

 ……しょうがないなぁ、もう♡

 

 

 

 ■

 

 

 

 という事で。

 

「よし……っと。銀子ちゃんはミネラルウォーターでいいの?」

「うん」

 

 栓抜きで瓶ビールの王冠を外して。一人分のグラスの中身を黄金色の液体で満たして。

 一方で私が持つグラスにはお水。そしてテーブルの上には八一がコンビニから買ってきた数々のおつまみやポテチなんかが並べられて。

 

「それじゃー銀子ちゃん、かんぱーい!!」

「はいはい、乾杯」

 

 キン、とグラス同士が交わる。

 こうして二十歳になった八一と、お酒を飲めるようになった八一と初めて乾杯を交わした。

 ……最優先という事なら仕方が無いわね。付き合ってやろうじゃないの、恋人として。 

 

 

 

 

 

 

 で。

 

「ぎんこちゃ~ん!」

 

 この声。

 随分とだらしなく間延びした、この声。

 

「ぎ~んこちゃ~ん!」

 

 この声を愛嬌があると捉えるか、鬱陶しいと捉えるかは人それぞれだろう。

 今日初めて八一のそれを聞いてみての感想だけど、私はとても鬱陶しいと感じた。 

 

「ぎ~~んこちゃ~~ん!!」

 

 酔った。八一は酔った。

 もはや分かり切っていた流れ、ここまで特段特筆すべき事項もない。

 ただ普通に食べたり飲んだり話したりしていて、気が付いたらこうなってた。

 

「ぎんこちゃん、ぎんこちゃん!」

「なに」

「お酒のんでるよ、おれ! いま!」

 

 その言葉通りにグラスを掴んで、ゴクリと一口。

 

「ほら! おさけ! 飲んだ! いやぁ~すごいねぇ~大人だねぇ~!」

「そうね、すごい酔ってるわね」

「そうだね~!!」

 

 大口を開けてケタケタと笑う八一。何が面白いのか全然分からない。

 なんか陽気だ。普段よりも遥かに陽気、八一は酔うと陽気になるタイプなのかしら。出来れば静かになってくれるタイプの方が有難かったんだけどね。

 

「いやぁ~、こうしてのむとお酒ってのも、こう……あじわい深いもんですなぁ~!」

「美味しいの?」

「おいしい!」

「へぇ、そうなんだ。でもあんたさっき乾杯した時に飲んだビールは苦いだけでよく分かんないーとか言ってたけどね」

「えぇ!? まっさかぁ! おれもうハタチなんすよ!? ビールぐらいよゆうっすよ!」

 

 そう言って八一は新しいビール瓶に手を伸ばす。

 すぐ手元にあるグラスにはまだビールが十分注がれているというのに、新しい瓶を開けようとする辺り明らかに判断能力が低下している。要するにバカになっている。

 自分は飲めると言い張りたいのだろうけど、私から見れば酒に飲まれているようにしか見えない。

 

「ほらこれ、みてこれぎんこちゃんこれね~クラフトビールって言ってね、ふつうのビールじゃないんだよこれ。すごいでしょオシャレでしょ」

「そうだねオシャレだね。でも八一、そろそろ飲むのは止めときなさい」

「えぇ!? なんでぇ!?」

「もう十分酔ってるじゃないの。これ以上あんたが酔っぱらうと本当に後処理がめんどくなりそうだからイヤ」

「そんなっ、そんな理由でおわりなんてやだ! もう飲み会終了なんてやだぁ! せっかくぎんこちゃんとはじめての飲み会なんだからもっとたのしみたい、初めてのお酒をもっとたのしもうよー!」

 

 酒瓶を抱えて駄々っ子のように首を振る八一。ウザい。

 もっとお酒を楽しもうよー、とは言うけど私はまだお酒を楽しめる年齢じゃない。ってことをさっき言ったはずなのにこいつは理解していなかったのかしら。

 お酒を飲んでいない私にとっては飲み会ではなくただ夕食代わりに酒のお供を摘まんでいるだけの会、そこに普段よりもめんどくさくなった八一に構ってあげなきゃいけないこの状況を楽しめと言うつもりなのか。

 

「ていうかさ、酔ってるからってダメってなにさ! いいじゃん酔ったって! お酒をのんだら酔うのはふつうじゃん! 酔うのがたのしいんじゃん!」

「うるさい酔っ払い。酔っ払いはみんなそう言うのよ」

「酔っ払いだっていいじゃん! おれもう二十歳だもん!! はたちだもーん!!」

「だもーん、とか言うな気持ち悪い」

「ひーどーいー!」

 

 全然ひどくない。二十歳になった男が語尾を伸ばさないでほしい。マジでキモいから。

 

「うぅ、つめたいなぁぎんこちゃんは。せっかく二人きりなのにー」

「冷たくないわよ普段通りでしょ。付け加えるとしたら二人きりだからって甘やかしてもらえると思ったら大間違いよね」

「じゃあたんじょうび! せっかくの俺のたんじょうび! これならどうですか!」

「どうですかって何をどうも無いんだけど。そもそもあんたの誕生日はとっくに過ぎてるじゃないの」

 

 せっかくの誕生日なんだから優しくしてよ! とでも言いたいのだろうが知ったこっちゃない。

 酔っ払いを甘やかすとロクな事にならない、酔っ払いには毅然とした態度で接するのが大事。それを私は酔っ払った師匠の世話を焼く桂香さんの姿を見て学んだのだ。

 

「やさしいーぎんこちゃんがーいいなー」

「うるさい酔っ払い」

「やさしいぎんこゃんがーおれはすきだなー」

「うるさい酔っ払い。ひっつくな」

 

 ヘンテコな拍子の歌を歌いながら酔っ払いが引っ付いてくる。鬱陶しい。

 これが酔っ払いの実態である。天下の竜王様もこうなってしまうと形無しね。

 

 ……ていうか。その、別にね、優しくしてあげるぐらい全然良かったんだけど。

 でも今日の八一は酔っ払ってるからダメ。これで酔ってなければ優しくしてあげたって良かったんだけど、なんか酔ってる八一に優しくしようものなら余計に調子乗りそうなんだもん。

 

「ぎんこちゃんー」

「なに」

「ぎんこちゃーんぎんこちゃーん」

「ちょっと、なに、邪魔なんだけど」

 

 鬱陶しい八一が引っ付いてきたと思ったらそのまま身体を密着させてきた。

 そのまま力を抜いてだらーっと私に寄り掛かるような恰好。とても鬱陶しいわねと思っていたら、八一がその手を私の腰辺りに回してきて。

 

「ぎんこちゃんのおなかだ、おなかー」

 

 お腹をもみもみ、もみもみと。

 なんだこいつ、ぶっ飛ばしてやろうかしら。

 

「ぎんこちゃん、おなかだね」

「そうね」

「ぎんこちゃんってさーおなか細いよねー」

「そうかもね」

「これさーもうちょっと太ったら? なんか細すぎてしんぱいになっちゃうよおれ」

「あんたね、女性に向かって太れとか言うんじゃないの」

「だめなん?」

「駄目に決まってるでしょ、バカ八一」

「そっかー」

 

 さっきはもみもみと表現したものの、正直なところ私のお腹に掴めるほどの肉は無い。

 その感触が物足りなかったのか八一は更に身体を倒しながら両手を私の腰に回して、お腹に抱き付くような態勢になる。

 

「ちょっとぐらい太ったっておれは気にしないけどなー、すりすり」

「……私が気にするの」

「そっかー。すりすり、すーりすり」

「っ…………」

 

 そして、お腹に顔を当ててすりすりと頬ずりを。

 ……な、なんだろう、これは。鬱陶しい、まぁ鬱陶しいんだけど。

 

「すーりすり。ぎんこちゃんすきー」

 

 これは……最大限好意的に解釈すると……甘えてるの、かな? 

 酔っ払うとこうなるの? こういうボディタッチが増えるもの、なのかな? 

 だったらそれは中々……いや、うーん、どう、どうだろ。いい、いや良くない? 

 む、むむぅ……良くはない、か? いやでも別にダメって訳じゃ──

 

「ねぇぎんこちゃん、おれ誕生日なんだけど。なんかちょーだい」

「っ、なんかって何を?」

「ぎんこちゃんがほしい。誕生日プレゼントはぎんこちゃん一年分がいいです」

「だーめ」

「なんでっ!」

 

 赤ら顔を跳ね上げて叫ぶ八一だったが、駄目なものは駄目だ。

 言うに事欠いて私を一年分だなんて。そんなの……そんなの、正直、あげてもいいんだけど。

 でもやっぱりダメ。普段の八一ならいいけど酔っ払いにはあげたくない。

 

「くれよーぎんこちゃんをー! ぎんこちゃんをおくれー!」

「うるさい」

「うるさくない! おれにはぎんこちゃんをいただく権利があります!」

「ない」

「あるー! あるったらあるんだよー!」

「語尾を伸ばすなっつってんでしょ」

 

 人の膝の上でぎゃーぎゃーと喚く酔っ払い八一。うるさい。

 私を頂く権利だなんて。そんなの……まぁ、その、八一にはあるだろうけども。

 

「くれー! ぎんこちゃんくれー!」

「うーるーさーい」

 

 ていうか、なんていうか。付き合ってからもう二年経つし、その間もあれこれ色々あったし。

 だからなんかもう、それ、私の感覚だと、とっくにもう全部あげちゃってるつもりなんだけど。

 それを誕生日プレゼント扱いにするのなら私にはあげるものが無くなっちゃうんだけど。それとも八一的にはまだ足りないって事なのかな。

 

「うぅ~、つめたいー。せっかくの誕生日なのにぎんこちゃんがつめたいよー」

「つめたくないから。今日だってこうして一緒にいてあんたのお酒に付き合ってあげてるじゃないの」

「そーだけどさぁ、そこにもっと愛情があればーいいなぁと思うんですよねぇわたくしは!」

「愛情?」

「そう! もっとイチャイチャしたい!」

 

 酔っ払った影響なのか、恥ずかしげも無く堂々と言い放つ八一。

 

「したい! したい!」

「………………」

 

 ……そりゃ私だって、イチャイチャはしたいけど。

 したい。したいはしたい。けれども節度は守らなきゃいけない、という気持ちもあって。

 で、問題はこのバカ。こいつは基本的に役に立たない、そういうイチャイチャムードな時の八一は待てが出来ない犬なので、節度を守る為には私が自制心を強くするしかないのだ。

 全くこのバカ八一、ほんとあんたは人の気持ちも知らないで、と言ってやりたい。言わないけど。

 

「おれはねぇ! ハッキリ言ってね! 一日中ぎんこちゃんといちゃいちゃしたいの!」

「っ……!」

「そりゃ毎日とはいわんけどさ! でも月一、いや週一ぐらいでそういう日があったっていいじゃん! いいじゃんかよーって思うの! おれは!!」

「~~~っ!」

 

 ──そんなの私だって一日中とあんたとイチャイチャしたいわよ!

 ていうか私は週一どころか毎日ずっとイチャイチャしてたって全然おっけーだもん! けどそんな自堕落な日々送ったら大変っていうか本業に支障が出ちゃうじゃない!

 だから私が自制してあげてるのに! あんたがそういう奴だから私が苦労してるってのに、その努力を知りもしないでぶーぶー言うんじゃないわよ八一のばかばか!

 

 ──と、言ってやりたい。言わないけど、言わないけど!

 私も酔っ払っていたとしたら言い返していたかもしれないけど、生憎と私は素面なのだ。

 

「はー、なーんか納得いかねー、なっとくいかねーっすわー」

 

 返事をしない私を見てか人の膝の上でへそを曲げる八一。

 いい加減重いからそこをどけと言いたい。というかこれだって甘えさせてあげてるんだからね?

 

「納得いかないってなにが」

「なんつーかなー、温度感っていうかさー」

 

 温度感?

 

「なーんかさー、おれとぎんこちゃんで温度感にちがいがある気がするんだよねー。おれはこーんなにもぎんこちゃんが大好きなのに、ぎんこちゃんはぜんぜんそうじゃないじゃん」

「……別にそんな事無いわよ」

「いーやあるね! ぎんこちゃんはつめたい、ぎんこちゃんはそっけない! 一体いつからこうなってしまったんだ、おれなんて今もぎんこちゃんへの愛情があふれてばくはつしちゃいそうなのに! うりゃ、うりゃ!」

「あ、あんたねぇ……」

 

 うりゃうりゃ言いながら人の太ももにその顔を擦り付ける八一。これは愛情が溢れて爆発しそうなのではなく単にセクハラをしたいだけだと思う。

 酔っ払いに言い聞かせるのも面倒なのでこれぐらいなら目を瞑るけど、度が過ぎるようなら容赦なく頭を引っ叩くので覚悟しなさい。

 

「私はずっと前からこうよ。ついでに言えばあんたは爆発しそうなんじゃなくてただ酔っ払ってるだけ」

「そうじゃなくってさぁ! ぎんこちゃんってほんとそういう……そういうとこあるよねー!」

「どういうとこよ」

「そういうとこ! そういうそっけないとこ! おれがこんなにも熱くなってるってのに、ぎんこちゃんったらずっとそんな感じじゃんか!」

「あんたが熱くなってるのはお酒を飲んだからでしょ」

「ほらー! すぐそういうこと言うー!」

 

 事実を言ったまでじゃないの。と言っても聞かないのが酔っ払いなのよね、めんどい。

 とか思っていたら、私の膝上を占拠していた八一が突如ガバっと起き上がって。

 

「ぎんこちゃんさぁ」

「な、なによ」

 

 じーっと視線を合わせてきた。

 その顔色は十分に赤い。けれども目の奥はまだちゃんとしているように見える。

 というか、なんか意外な程にその視線が鋭くなっている。一体何だと言うのか。

 

「そういうとこあるよね。おれは寂しかったのに」

「は?」

「まえのときもさー、ぜーんぜん連絡くれなくて。おれ寂しかったのに」

 

 ……なぬ?

 

「それって……」

「まえの、ぎんこちゃんがいなかったとき」

「………………」

「病気でぎんこちゃんがいなかったあのとき、全然れんらくくれなかったじゃん。音信不通だったじゃん。あの時おれずっと寂しかったんだよ」

 

 ……こ、こいつ、それを持ち出してくるとは。

 

「ぎんこちゃんがいなくてさー、おれずーっと寂しかったんだけどなー!」

「っ……」

「さみしかったんだけどなー! あーあーさびしかったなーまーじでー!!」

「………………」

 

 約二年前、16歳になった年の暮れから私は諸事情により入院をしていた。

 その療養期間は一年近くにまで及び、その間は私の方から八一に連絡を取るのを控えていた。今ではこうして体調を戻して八一と一緒にいるわけだけど、当時はずっと離れ離れだった。

 その件について、事後報告になったけど八一には一通りの説明をしたつもりだ。当時の私の事情を隠さずに話したし、その流れで一回はちゃんと謝った。

 その結果八一は受け入れてくれたし、当時の私にとってやむを得ない選択だった事も納得してくれた。なのでそれ以降、あの件について八一がどうこう言ってくる事は無かったんだけど。

 

「急にいなくなっちゃうんだもんなー! あんときはつらかったなー!」

「………………」

 

 酔っ払っているからなのか、普段なら言葉に出さないであろうものが次々と。

 

「なーんも教えてくれないんだもんなー! あんときはもう恋人だったのにさー! 恋人のおれになーんも教えてくれないんだもん! ぎんこちゃんは!」

「……ごめん」

 

 こうしてこの話を持ち出されると、基本的に私はごめんとしか言えなくなる。

 そして普段の八一は私にそういう言葉を言わせようとはしない。性格的にもそうだし、事情が事情だけにごめんと謝られる八一の方も申し訳ない気持ちになっちゃうんだと思う。

 なのであの件についてのこういう非難めいたというか、厭味ったらしい言葉を聞くのは始めてだ。まぁ八一の立場からしたら正当な恨み言なので私は文句を言える立場じゃない、じゃないんだけど。

 

「そりゃぎんこちゃんの気持ちもわかるけどさー! おれひとりだけ蚊帳の外なんだもん、おれだってぎんこちゃんとずっといっしょにいたのにさー!」

 

 こういうのはどうせなら酔っ払っていない時にぶつけて欲しかったなとは思う。

 これでは八一の本心なのか酔っ払いの妄言なのか紛らわしいじゃないの。さすがに口先だけの言葉じゃないとは思うけど──

 

「せめてれんらくぐらいはあってもよかったと思うんだけどなー、ぎんこちゃんのこえだけでもなー聞きたいときいっぱいあったんだけどなー」

「……うん」

「急にいなくなっちゃってね? とっても不安だったんだよ? おれは。あのときに声だけでも聞ければすっごいあんしんできたんだけどなー」

「……ごめんって」

 

 それとも。言葉には出さなかっただけで心の中にずっと貯め込んでいたのかな。

 そうだとしたら……酔っ払い相手とはいえ申し訳なさと、ごめんねという気持ちが膨らんでくる。

 

「………………」

 

 ただ、それとは別に……さすがにこれを言ったら怒られちゃうだろうけど。

 正直なところ、ここまで八一に寂しかったと言われるのはちょっと嬉しい気持ちもあって。

 

「ごめんね、八一」

 

 なんせ私はすっごい寂しかったから。

 自分で選んだ選択とはいえ、八一と会えない時間はとんでもなく寂しかった。

 なんかもう療養中なのにこれが原因で死んじゃうんじゃないかってぐらいに寂しかったので、その時に八一も同じ気持ちを抱えていてくれたんだとしたら……いけないことだとしても、やっぱり嬉しいと思ってしまう。

 

「あ、いやいや、そんなべつに……あのね、ちがうんだよぎんこちゃん?」

「何が違うの?」

「おれはね、何もべつにあやまってほしいわけじゃないんだ。ぎんこちゃんにも事情があったってことわかってるし、そんなことでぐちぐち言うつもりなんてありませんとも、えぇありませんとも!」

「だよね。それは私も分かってるけど、じゃあ何が言いたいの?」

「いやだからさ、おれはすっごいさみしかったわけ! だからぎんこちゃんもさみしがってほしいの! おれだけさみしがってたなんてそれこそさみしいじゃん!」

 

 それはそうだね。私もそう思う。

 

「そんなの……私だって寂しかったに決まってるじゃない」

「そのきもちが伝わってこないのがもんだいなんだよなー! 俺はこーんなにあつくなってるのに、ぎんこちゃんってばずっとそっけないからなー」

 

 だからあんたが熱くなってるのは酔っ払ってるからだって、とは言っても聞きそうにない。

 気持ちが伝わってこないと言われてもね、私がこういう性格なのは今更なので今更変えようがないし……っていうかね、そもそも私の気持ちとか、知りたいの? ほんとに?

 だってあの療養期間中に味わっていたあの寂しさを伝えろなんてね、そんなの本気でしようもんなら最低でも一ヶ月間はずっとイチャイチャしてなきゃ。そのぐらいしないと到底伝わらないって断言出来るからね。

 なのでそんなのは端から八一に伝えるつもりなんてない。だからそれはどうでもいいんだけど。

 

(これは……お酒の影響、だよね)

 

 今のこの、酔っ払った状態の八一がちょっと新鮮で……うーん、酔っ払い、かぁ。

 さっきのが八一の心の中にあって蓋をしてあった言葉なのだとしたら、それを聞き出せたのはお酒のおかげだ。アルコールの力が八一の心中を程良く開放的にしてくれたのだろう。

 そう考えるとお酒っていうのも案外悪くないのかも。特に八一って昔っからそう、一番そばにいるこの私相手にも言えない言葉を抱えたり秘密を作ったりしがちなので、その紐を緩める良い薬なのかもしれない。

 

「ほんっとぎんこちゃんってさー、昔っからずっとそうだよねー」

「そうね、そっけなくて悪かったわね」

「それもだけどさぁ、すーぐ俺のそばからいなくなっちゃうのもどうにかして欲しいんだよなー。こっちは何度も何度もさみしい思いをさせられてるんだから」

「……何度も?」

「そう。昔っからずっとそうじゃん、すーぐ俺のそばから離れてくんだもん。なんかもーわざとやってんじゃないのかって思うぐらい」

 

 ──けれども

 こういう見当違いな事を言ったりもするので、やっぱりお酒を信用してはいけないと分かる。

 

「ちょっと待って八一、ストップ」

「なにさ」

「そりゃ一年前のあれは私がしたことだし、色々と心配させちゃったのも事実だからあんたにはあれこれ言う権利があるのは認める」

「うん」

「けど『何度も』ってなに? あれ以外で私がいつあんたのそばからいなくなったって言うのよ」

「え?」

「というかむしろそれって私の台詞よね? 一年前のあれを除けば何度も何度も私のそばからいなくなっちゃう常習犯なのはあんたの方じゃないの」

「はいぃー?」

 

 はいぃー? じゃないから。そんなオーバーなリアクションを取られても困る。なんなのその訳分からないものを見るような目はムカつくんだけど。

 まるで私が頓珍漢な事を言っているような反応をされたけど、どう考えても私の言葉は正しい。だって私は八一のそばを離れようとした事なんてないし、一方で八一からは何度もそういう目に合わされた覚えがあるし。

 

「は? え? 常習犯? なんのこと?」

「だから……何度も私のそばからいなくなる常習犯じゃないのあんたは。まぁ過ぎた話だし今更とやかく言うつもりはないけど──」

「いやちがうちがう、おれじゃなくてぎんこちゃんでしょ。ぎんこちゃんってすぐおれのそばからいなくなっちゃうよねー、って話をしてたんじゃん。さてはぎんこちゃん酔ってるな?」

「バカ、あんたと一緒にしないでっていうかそもそも私はお酒飲んでないわよ!」

 

 先程からどうにも話が噛み合わない。お互いで真逆の事を言い合っている。

 これは八一が酔っ払ってるからか、まぁそうでしょうね、ほんと酔っ払いはこれだから困る。

 

「え、ぎんこちゃんそれほんきで言ってる? まさかわすれちゃってるとか?」

「それもこっちの台詞、どうせあんたがド忘れしてるんでしょ。あるいは自分にとっては些細な事だと感じて最初から気にも留めてないかのどちらね」

「いやいやそれはない、さすがに忘れるわけないっしょ。おれのそばからぎんこちゃんがいなくなっちゃう寂しさをなんど味わってきたとおもってんの、その度おれがどれだけ苦労して──」

「だからそれは私の台詞なんだけど!? 私のそばからいなくなってるのはあんたの方でしょ!?」

「はー!? はー!!? おれがいついなくなったっていうんですかー!? はー!?」

 

 はー!? はこっちの台詞なんですけど!? はー!?

 俺のそばから銀子ちゃんがいなくなっちゃう寂しさ!? それを何度も味わったってホントなにそれなんの話なに言ってんの!? 酔っ払ってるからって適当なことばっか言わないでくれない!?

 

「八一が! いなくなってたの! その度に寂しい思いをしてきたのは私!」

「ちがうよ! おれじゃん! それをあじわってきたのはおれの方!!」

 

 私の剣幕に負けじと八一も声を張る。その表情は必死でとても嘘を吐いているようには見えない。

 え、じゃあなに、こいつの脳内だと私は何度も八一のそばからいなくなっていてその度に寂しい思いをさせていた、その上で自分は私のそばから離れていったことはない。って本気でそう思ってるってこと!?

 

「あり得ない! 記憶の捏造も大概にしなさいよね!」

「ぎんこちゃんこそ! そんなにいうなら具体例をだしてよ! おれがぎんこちゃんのそばをはなれたっていう具体例をさぁ!」

「具体例ってそんなの数が多すぎていちいち思い出せないわよ! 自分の胸に聞いてみなさい、特にあんたが弟子を取って以降のこと!!」

「してない! おれはぜーったいにそんなことしてない! ぎんこちゃんこそ、そのころからいっそう態度がつめたくなった! これは絶対にまちがいないね!」

「そんなの当たり前でしょ!? その原因があんたにあるって言ってんのよ!! そもそも勝手に師匠の家を出たのは八一じゃない! それまではずっと一緒にいたのに!!」

「それはノーカンでしょ! そんなん遅かれ早かれそうなることじゃん! それいったらおれが前のアパートに引っ越してからはむしろ会いやすくなってたはずなのに、ぎんこちゃんってばぜんぜん来てくれなかったじゃん!!」

「だーからそんなの当たり前でしょって言ってんの!!」

 

 八一が以前のボロアパートで一人暮らしを始めた時なんて私は14歳の頃、中学二年生だ。

 八一は最終学歴中卒男なのでその頃はもう暇してたから勘違いしているみたいだけど、学生の私は普通に学校があったのだから平日はおいそれと行けるわけじゃない。

 そりゃ休日は入り浸っていた時もあったけど、それも八一が内弟子を取るまでの話だ。それ以後私があのアパートを訪れる頻度が減った事など言うまでも無いし、その原因が八一にあることも言うまでもない。そうでしょ!?

 

「じゃああのとき! おれのそばからぎんこちゃんが離れていっちゃうって一番感じたのはあの時だった、ぎんこちゃんの女王戦初挑戦のとき!」

「あぁその時ね、勿論分かるわよ。あんたが私の呼び名を姉弟子に変えたことでしょ?」

「ちがうよ! ぎんこちゃんが女流タイトルをとったことだよ!! あれのせいでおれがどれだけさみしい思いをしたか! タイトルなんて獲るのがわるい!」

「獲るのが悪いってなに!? そんなこと言ったらあんただって竜王位獲ったじゃない! あれだって私はすっごい寂しかったんだから!」

「それはぎんこちゃんがタイトル獲ったからだ! さきにとるほうがわるい!」

「なにそれ意味分かんない!! それに先にした方が悪いなんて言ったら八一の方がもっと先じゃない! なんたって私が一番最初に寂しい思いを感じたのは六歳とか七歳の頃なんだから!!」

「はぁ!? ちょっとまって意味わかんないって! ぎんこちゃんが六歳七歳のころなんかおれたち師匠の家で四六時中ずっと一緒にいたじゃん! それでなんでさみしくなるのさ!!」

「それは──」

 

 ……それはそうだけど、けれどもこれは物理的な距離の話じゃなくて精神的なものだ。

 ずっと隣にいた存在が、自分のそばを離れていく。何よりも切ないあの感覚を一番最初に感じたのは小学校低学年の頃だったはず。

 出会った時は私よりも将棋が弱かった八一がどんどん実力を付けていく。これは子供の頃に限った話じゃなくて、私が徒歩で進んでいる傍らを一足飛びで駆けていく様を見せられる度、そこに大きな距離を感じていた。

 

「それは、……とにかくあったの、そういう事が」

「ないよそんなこと! ぜったいに銀子ちゃんの勘違いだって!!」

「そんなことない! 実際に私はすっごく寂しかったんだから!」

 

 すぐ隣にいるのに距離を感じる事程寂しい事は無い。この気持ちは八一に分かるはずがない。

 ……けれどもこれは言えない。これを言うのはなんか悔しい。言ったら負けな気がする。

 それに当時の八一は当然ながらただ将棋を強くなろうとしていただけだ。そこに悪気なんて無いし、私のそばを離れていくのが目的だったわけじゃないって事も分かっている。

 

 しかし。それを以て八一が何もしていないって言い張るのだったら私だってそうだから。

 さっき八一が文句を付けてた女流タイトルとかもそうだけど、私だって全ての行いは将棋を強くなろうとした結果であり、八一のそばを離れようという意図があった訳じゃない。

 なのでお互い将棋に強くなる為の行動をノーカウントとして除外した場合、私には何も落ち度が無いけど八一には中学卒業と同時に師匠の家を出て一人暮らしを始めたという落ち度が残る。

 あれは明確に私のそばを離れようとした行為。以前そのように言質も取っている、よって悪いのは八一だ。 

 

「とにかくあんたが悪い」

「いーや、ぎんこちゃんがわるい」

「私が悪いわけない。とにかくあんたがフラフラしてたから、あんたが優柔不断なのが悪い」

「うっそだねー、おれはフラフラなんてしてない、おれはこどもの頃からぎんこちゃん一筋だもーん」

「あ、あんたね、言うに事欠いて……」

 

 子供の頃から銀子ちゃん一筋ぃ? だったら子供の頃にとっとと告白しろと言いたい。

 十六歳で付き合うまでに私が何度アプローチを掛けた事か。八一がボケボケのニブチンじゃなかったら絶対もっと早く落ち着いていたはずだ。ハワイでキス待ち顔まで作ったのにスルーされた事忘れてないんだからね?

 

「なんか思い出したらムカついてきた」

「えっ」

「まぁいいわ、酔っ払いと話していても埒が明かないって事が分かったから。この責任はあんたが素面に戻った時に取って貰うわね」

「なにそれこわい。ってかもうおれ酔ってないって。さっき大声だしてたら酔いさめちゃった」

「嘘おっしゃい。顔真っ赤じゃないの」

「うそじゃないってー」

 

 あのね、そんな赤ら顔で俺酔ってないってーとか言われても説得力が無いんだけど。

 さっきの言い合いを素の状態で言えたのならむしろ良く言ったわねと褒めてあげたいぐらいだ。酔ってなきゃ聞けない言葉もちらほらあったし。

 ……あったよね。もう一度いけるか、ちょっと試してみようかな。

 

「八一、もう酔ってないの?」

「うん、よってないよ」

「じゃあちょっと来て。それで私の目を見て答えてね」

「うん」

 

 私は八一の両頬に手を添えて顔を近付けさせてから、その目を覗き込んだ。

 ……っとその前に、スマホスマホ。

 

「どったの?」

「いいから、ちょっと待って」

 

 録画アプリを起動して、っと。うん、これでよし。

 

「ねぇ八一。八一は子供の頃から私の事が大好きだったの? 一筋だった?」

「そうだよ! おれはずっとぎんこちゃん一筋、ぎんこちゃんがだいすきー!!」

 

 ほーら酔ってるじゃないの。

 普段の八一ならこれは照れるはず。恥ずかしげも無くそんな事を言えるのが良い証拠だ。

 にしても良いものが録れた。この動画、後で酔いが冷めた八一に見せてあげようっと。

 

「すきだよーぎーんこちゃーん!」

「わっ、ちょっと!」

 

 ちょっとした悪戯に私がにんまりしていた隙を突いて八一が抱き付いてきた。

 横抱きになって私の首元付近に顔を埋める恰好。この酔っ払いめ、八一は酔っ払うと抱き付く頻度が増えるのかしら。それだと桂香さんとか他の人との飲み会には参加させられなくなるんだけどどうしよう。

 

「ぎんこちゃーん……♪」

「八一。その位置で吐いたら殺すからね」

「そんなことより! ぎんこちゃん、わかってくれた?」

「はいはい、分かったから」

 

 頷きながら左手で八一の頭をなでなで。

 言いたいことはなんとなく分かった。酔っ払い八一は普段よりも分かりやすい。

 

「おれはね、ぎんこちゃんが大好きなんだよ」

「はいはい、そうね」

「ちょっとー、はいはいじゃないでしょーよー、そういうところなんだってばー」

「………………」

 

 ……言わせたいのね。もう、分かったから。

 

「ふぅ……。八一、好き」

 

 言ってあげた。ていうか別に言いたくないわけじゃないんだけどね。

 こんなの付き合い始めの頃ならともかく、今じゃもう恥ずかしいってことも無いし。

 ただなんか……まぁ、そんなのいちいち言う必要もないよね? っていうか。わざわざ言葉にしなくても分かるよね? みたいな。

 とはいえまぁ私は言って欲しいんだけどね。そう、私はちゃんと言葉に出して言って欲しい。だから……つまり、私は言いたくないわけではなくて……ただちょっと、気恥ずかしいだけだ。

 

「ぎんこちゃん、すーき」

「はいはい、私も好きだよ、八一」

 

 とはいえこうもねだられたら仕方ない。ちゃんと言葉にしてあげようじゃないの。 

 どーせ相手は酔っ払い、明日になったら記憶に残っているかも怪しいんだから。

 

「ぎんこちゃーん、かわいいよー」

「んっ……八一、これ誕生日プレゼントだから」

「いいよそれで。誕生日ばんざーい」

 

 いいのか。一応ちゃんとプレゼント用意してきたんだけど。

 

「あーよかった、ぎんこちゃんがはなれていってないって再確認できた」

「……そういう理由なの?」

「うん。なんせぎんこちゃんったらすーぐどっか行っちゃうし」

「だからそれはあんたの方でしょ……」

 

 私は子供の頃からずっと。八一のそばから離れたいなんて思ったことはない。

 八一の方もそうだとか言っていたけど……怪しいものだ。こいつには数々の前科があるから。

 けれども八一に言わせれば私もそうらしくて。まぁ正直に言うと以前の入院の際には勝手に八一のそばを離れたので、他の件はともかく私にも前科一犯は確かにある。

 

「絶対に八一が悪い」

「ちがうよ、ぎんこちゃんでしょ」

「ううん、そっち」

「ちがうって、そっち」

 

 仮にお互いの主張が正しくて、お互い相手のそばを離れようとした事が何度もあったとしたら。

 そうだとしたら……なんか、運が良かったなというか、よく一緒になれたな、とか思っちゃうかも。

 特に私はそういう気持ちが芽生えてからずっと、本当にずっと八一が好きだったのに、当の八一には全然意識されてなかったというか、脈が無いのかなって思う事だって何度もあったから。

 

「八一が悪いー。反省しなさいー」

「いででで、暴力はんたいー」

 

 あの日々を思い出すと……今こうして八一が隣にいるのが……すごい、幸せというか。

 ちょっとした奇跡なのでは、とすら思っちゃう。ていうかこいつ子供の頃からずっと私一筋だったってほんとなのかなぁ? 今更確かめる術が無いからって話盛ってない?

 

「んー……、ぎんこちゃーん、なんかおれ眠くなってきたかも」

「ほら見なさい、酔っ払いの最期はそうなるのよ。もう十分飲んだしお開きにしましょ、片付けはしといてあげるから寝ていいわよ」

「ぎんこちゃんもいっしょに寝よ」

「やだ」

「なーんでー」

 

 片付けをしようと身体を起こしかけた私を逃すまいと八一が引っ付いてくる。邪魔で鬱陶しい。

 話盛りがちな八一はともかくとして、私の方は本当だ。本当に子供の頃から八一一筋だった、大変困った事にこのニブチン男がずっと大好きだったから。

 

「ちょっと、もう、邪魔だって、片付けするから放しなさい」

「だーめ、ぎんこちゃんどこいくの、いなくなっちゃだめだっていってるじゃんかー」

「あのねぇ、片付けするだけって言ってるでしょ。……ていうかあんた、もしかしてこんな些細な事もカウントしてるんじゃないでしょうね……?」

 

 こんな八一でも、まぁいいかな。

 初めてお酒を飲んで酔っ払った八一はとても邪魔で鬱陶しかったけど、それでも、好き。

 ていうか八一ってね、元々そういうやつだから。一緒にいるとムカつく事だって沢山あるし、時には悔しい思いだってさせられる。それは昔から今になっても大して変わらない。

 

 でも、それでも、好き。こんなにも八一が好き。一緒にいたい。

 だから仕方ないけど酔っ払いの面倒も見てあげちゃう。きっとこの先八一が酔っ払う度こういう事を繰り返すのだろう、ほんと優しくて根気のある私に感謝して欲しいぐらいだ。

 

「っ、この、どけ、じゃま!」

「ぐぇ!」

 

 すぐ近くにあった顔に肘を入れて強引に邪魔者を振り払って身体を起こした。

 哀れ八一は両手で顔を覆って「うえぇぇ~ん……」とか泣いてるけど知ったこっちゃない。もうめんどくさいのでとっとと眠って静かになって欲しい。

 

「こんなに飲み散らかして……よいしょ」

「……んー」

 

 と、そんな願いが届いたのか。

 飲み切った空き瓶やグラスをキッチンに置いて戻ってくると、うとうと瞼が落ちかけている八一がそこに。

 

「ちょっと八一、寝るならベッドに行きなさいよ」

「んー……」

「んーじゃなくて、ベッド」

「んー……いい、うごくのめんどい、ここでねる」

「フローリングの上なんかで寝たら身体を痛めるわよ。いいからベッドに行きなさい」

「んー……」

 

 すでに反応が鈍い。八一は芋虫のように丸くなって入眠間近といった様子。

 ま、放っておいてもいいんだけどねこんなの。でもやっぱり放っておけない、ような。

 全くどうしてくれようか、この居眠り酔っ払いを。

 

「……ふぅ」

 

 ……だったら、こうしてあげようか。

 って考えちゃうのは……うぅ、これは、やっぱり惚れた弱みっていうのかな。

 

「……あのね、私にここで寝ろっての?」

「……んー?」

 

 その意味を理解するところ、数秒後。

 

「……ん」

 

 今にも寝ちゃいそうだった八一がむくりと身体を起こした。

 

「起きられるじゃないの」

「うん。おきれた」

「寝る前にちゃんと歯も磨きなさいよ」

「んー」

 

 ふわぁと欠伸を一つ、ふらふらとした足取りで洗面所に向かっていく八一。

 

「……はぁ」

 

 ほらね? 私って優しいでしょ?

 こうやっていっつも八一の面倒を見てあげてるの。あいつの姉弟子になった日からずっと。

 

「……考えてみれば、これだけはずっとそうだったわね」

 

 恋人になる前も、恋人になってからも。お互いがそばにいる時も、いられなかった時も。

 八一と出会ったその時から、私が姉で八一は弟。師匠に破門されない限り、この関係性はこの先ずっと死ぬまで変わる事は無い。

 つまり今日みたいな夏場におつかいに出るのはこれからもずっと八一で、酔っ払いのお世話をしてあげるのはこれからもずっと私なのである。

 

「……ま、いいんだけど」

 

 ていうか先程ああ言った以上、今日も一緒のベッドで眠ってあげなきゃいけないわけで。

 あの酔っ払いと一緒に眠ってあげる私の懐の深さを誰か褒めて欲しい。えらいでしょ?

 

「む……」

 

 その時、バタンと。

 洗面所で身支度を終えた八一がベッドの待つ寝室に入る音が聞こえた。

 

「……すぐ眠っちゃうよね?」

 

 あれだけ眠そうにしていたのだからベッドに入ったらもう即ぐっすりだろう。

 そう、どうせあいつはすぐに眠っちゃうのだから、今日は変なことにはならないはず。

 でもまぁ、私が行くまで起きていたら……ま、まぁ、おやすみのキスぐらいは、べつに?

 

「………………」

 

 ……それとも、念の為シャワーだけでもサッと浴びてくる?

 その分時間は伸びちゃうけど、そこまで八一が起きていられたら……まぁ、べつに──

 

「……っ、あぁもう、よく見たら全然食べきってないじゃないの……まったく」

 

 とか、なんか色々考えていたらすぐあっちに行くのも違うような気がしてきて。

 とりあえず私は時間稼ぎをするべく、散らかったリビングの後片付けに戻るのだった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。