銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集)   作:銀推し

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 ※これは本編とは関係の無い短編ネタとなります。
2024/06/15 より発売の『りゅうおうのおしごと!19巻』発売記念短編です。
原作13巻以降の話となります。



短編 空銀子がんばる。

 

 

 

 ──現在地。

 ──東京都・渋谷区──千駄ヶ谷。

 ──東京将棋会館、玄関口前。

 

「……ふぅ」

 

 馴染みのある……とまでは言えないこの玄関口をくぐる時、身体に緊張が走るのはもう毎度の事。

 この将棋会館を訪れる時、それはもう間近に対局が迫っているから。特に関西在住の私にとって東京の将棋会館を訪れる用事は対局以外にはほぼ無い為、この建物を目にするとどうしても意気込んでしまう。

 それでも私は、あるいは私以外の棋士達も。その意気込みを闘志に変えて対局に挑む。それが棋士というものであって、この玄関口は戦いを前にして己が身を奮い立たせる為のものなのである──

 

 ……ま、そこから逃げ出したバカもいるんだけど。

 

「さてっと……」

 

 そう、いるのよね。そんなバカがこの世には実在する。

 実に困ったことに、私のすぐ身近にいるってんだからほんとに困ってしまう。

 

 十月某日──そのバカが逃げ出したのは今から四日前の事。

 自身にとって念願のプロ棋士デビュー戦、人生の晴れ舞台となったその対局の終了後、足早に玄関口から出て行って──逃亡した。そんな姿が当日将棋会館にいた関係者やメディアの人達に目撃されている。

 彼等に話を聞いたところ、その姿は大層痛ましかっただとか、気の毒な様だったとか……まぁオブラートに包まず言うなら無様な姿だったってことね。対局に負けて泣き喚きながら逃げ出したとなればそれも当然だけど。

 

 プロ棋士になって初の公式戦。当人も気合を入れていたであろうそれに敗れるのは、まぁいい。

 その負け様があまりにも酷くて、悔しくて逃げ出したってのも百歩譲ってまぁいいんだけど。

 しかしだ。それからもう三日が経過して、未だその姿を見せずに音信不通というのは頂けない。つーかほんとあいつ一体何考えてんのよバカなの死ぬの?

 

「そりゃバカなのよね……うん知ってた……知ってたけど……」

 

 つまりは行方不明。電源が入っていないらしくスマホも通じないので、あのバカが今どこにいて何をしているのか全く分からない。

 連絡手段が無い以上こちらからは手の出しようがなく、殆ど詰みの状態。こうなっては時間が解決してくれるのを待つしかない。今は暴走しているけど次第に冷静になったら帰ってくるでしょうし放っとけばいいのよあんなバカは。

 そう思って……しかし一日、二日と経って、三日目に突入してもまだ帰ってくる気配が無かった為、仕方無くこうして私が東京まで出向いたってわけ。

 

 はぁ? なんでこの私があのバカを探す為にわざわざ東京まで行かなくちゃならないのよ──

 ──とは思わない。えぇ思わないわよそんなのぜーんぜん思わないんだからね。

 てかほんとマジでめんどくさいわね一体何なのよあいつ一発ぶん殴りたいんだけど──

 ──とは、まぁ、ちょっと思うけど。でも……いいの、いいのよ別に。うん、全然いいの。

 

 だってこれは──私の義務だから。

 対局に敗れて無様に逃げ出した愚かな弟弟子、九頭竜八一を。

 あのバカを探して連れて帰る。それは空銀子の、あいつの姉弟子である私の義務なのだから。

 

 

 

 ■

 

 

 

 バカの行動を読むのは難しい──

 ……とか言われるが、実はそんな事もなくとても簡単だ。何故なら相手はバカだから。

 

「玄関口から出て……その後どっちに行くかってなったら──」

 

 ──南かな、と私は読んだ。

 千駄ヶ谷将棋会館はそこそこ入り組んだ場所にあるんだけど、玄関口から出て右手側に少し進めば長めの道路がある。その道路なら南にずっと伸びているので一気に一直線に走り抜ける事が出来る。

 対局に負けた悔しさとか情けなさで頭の中が一杯になって、我を忘れた挙句の暴走──それなら狭い路地を闇雲に進むより一直線に進んだ方がそれっぽいだろうし、あいつの性格的にもそうしそうだし。

 それと将棋会館の北側には千駄ヶ谷の駅があって、当然ながら駅周辺には人が多い。逃亡するなら混雑する方向よりも逆方向に向かう方がベターだろう。

 

「問題は……その後どこまで進んだのかってことなんだけど……」

 

 南に進路を取って、最終的に足が止まったのは何処なのか……それが問題よね。

 ここから闇雲に探してもしょうがないので捜索範囲を絞るべく、とりあえず東京都内は外した。

 これも私の読みだけど東京にはいないと思う。理由としてはそれぐらい酷い負け方だったから。記念すべきプロ初の公式戦であれはないわよねあり得ないでしょ、って言いたくなっちゃうぐらいの大悪手に詰みの見逃し……そして惨敗。

 あんな無様な対局を晒してしまった悔しさは相当尾を引くはず。そのエネルギーを走った距離に換算したとしたら東京は越えるだろうなと私は読んだ。

 

 という事で──早速だけど千駄ヶ谷から電車に乗って南へ移動、神奈川県に入った。

 乗り換えを挟んでも一時間と掛からない距離だ。うん、やっぱりこの程度は越えているわね。

 

「神奈川、神奈川か……」

 

 神奈川県ね……うん、あんまり知らない。

 というか正直なところ、関西在住の私はこっちの地理なんて全然詳しくない。将棋会館のある千駄ヶ谷周辺から釈迦堂先生のお店がある原宿辺りまでが限界といったところだ。

 でも大丈夫、私が知らない事を私よりもバカな八一が知るはずないからね。という事でどうせ八一も神奈川県には詳しくないので土地勘のある場所に向かったとかそういう可能性は無いはずだ。

 

「となると……人が多い場所? は……川崎、武蔵小杉、横浜……」

 

 スマホで検索した電車の行先案内を睨みながら目に留まった駅名を呟く。

 この辺は関西在住の私でも耳にした事がある有名な地名、都会だ。神奈川なんて知らない土地だし、せめて聞き覚えのある場所を選ぶ……っていうのはちょっと浅い読みかな?

 そもそもそういう冷静な思考があるのなら走って逃げ出したりなんかしないはずだからね。常軌を逸した行動を取るバカが相手である以上、一般人の思考をそのまま当て嵌めてはいけない。

 

「でもまぁ、人が多いところの方が目撃証言はありそうだよね」

 

 その意味で都会を攻めるのは間違っていないはず。

 ただ一つ気掛かりなのは、八一は中学生で、対局の時には学生服を着ていたということ。

 そんな恰好で夜遅くに都会の街をブラついていたら警察に補導されたっておかしくない。大阪だったら夜十時を過ぎたら基本的にアウトで、それは多分神奈川でも同じぐらいだと思うんだけどな……ほんとにあいつ夜とかどうしてるんだろ、公園で野宿とかって結構危険じゃない?

 

「……危険、危険……か」

 

 ふと脳裏をよぎった想像に一旦思考を止める。

 ……一応、そういう可能性だって考慮していない訳ではない、んだけど。

 

「本当はこういうのって警察を頼るのが一番なんだろうけど……」

 

 これは中々難しい問題で……思わず私はふぅ、と息を吐く。

 そういう可能性もある、ってのは分かっている。つまり八一が帰って来ないのは逃げ出したからとかじゃなくて、何らかの事故や事件に巻き込まれたから……という可能性だって皆無とは言えない。

 そうでなくとも行方不明者を捜索するなら警察に相談した方がいいってのは分かっているんだけど……でも、出来ればそれは最後の手段にしたいと思っている。

 だって、対局に惨敗して逃げ出して。それで行方不明になって捜索願を出されて警察の厄介になるだなんて。そんなのあまりにも……あまりにも情けなくて恥ずかしいじゃないの。清滝一門の恥と言う他無い。

 

 ていうかね。あのバカはあんなんでも『二十五年ぶりの中学生棋士誕生!』とかって騒がれていて、それが理由であの対局は多くのメディアの取材が入るぐらい注目度が高かったのよね。

 その結果があの酷い将棋でしょ? で泣き喚いての逃亡劇でしょ? 幸いまだ全貌が明らかになっていないからか『九頭竜四段は対局後、我々メディアの声に返す事も無く将棋会館から去っていった』程度にしか書かれていないけど、その後三日以上も家出状態だと知られてしまったらどんな悪し様に書かれてしまうか分かったものではない。

 だからこそここが分水嶺。これ以上の恥の上塗りをしない為にも、あのバカのなけなしのプライドを守ってあげる為にも、まだこの件を知るのが私と桂香さんと師匠という身内だけで収まっている内になるべく隠密に済ませたいのよ。

 

「その結果、こうして私が苦労する羽目になるんだけどね」

 

 あーあ。姉弟子になったのが運の尽きっていうか、バカな弟弟子を持つと大変よね、ほんとに。

 勿論本人自らの意思で帰って来るのが一番、それなら私のこの行動が完全な無駄足になったとてグーパン一発ぐらいで済ませてあげるつもりでいるけど……未だそうなってないから私はここにいる訳で。

 まぁいいや。このまま手をこまねいていてもしょうがないし行動を開始しよう。ちょうど終着駅に辿り着いた電車から降りて、最初の出発地点として選んだのはここ川崎駅。

 ここまでは電車の移動で楽だったけど、ここからは地道に足で稼ぐしかない。私は鞄の中から一枚の写真を取り出すと、そこに写る呑気な顔をしたバカに向けて宣言した。

 

「待ってなさいよ……八一」

 

 ──いざ、バカを探しに。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ──そして、日も暮れた頃。

 

「あ゛~~……」

 

 と、ゾンビのような声で呻く私、空銀子。

 

「う゛~~……」

 

 辺りも暗くなってきたし、なにより私がゾンビみたいになってしまったので本日の捜索活動は終了。

 宿泊先として選んだホテル(予約はネットで桂香さんにしてもらった)の部屋に入るなり、私はすぐさまベッドの上に突っ伏した。

 

「……つっっかれた」

 

 今日一日の活動を終えての感想──疲れた。

 ……あ、成果報告? 成果は無し。八一発見出来ず無念也。

 

「つかれた……」

 

 つかれた。それしか口から出てこない。つかれた。

 つっかれた。つかれたの。つかれたわよ。だってずっと歩いてたんだもん。

 

「あ゛あ゛あ゛ぁ~……つかれたぁ」

 

 知らない土地を歩くのはただでさえ疲れるってのに、それでやる事が人探しとか。

 ていうかほんとに徒歩でてくてく歩き回っての人探しとか、なんなの? バカの顔写真片手に道行く人に「このバカ知りませんか?」って声掛けて回って、なにこれ。この高度情報化社会で一体なにやってんの私は?

 ていうかそうよそうじゃないどうして私は文明の利器を使わないの? SNSで八一の情報を検索してみよっと。うーん対局の感想しか出てこないわねそれなら行方不明者情報提供求ム!って書いて拡散すれば……あぁでもそんな事したらあいつの現状が多くの人に知れ渡っちゃうし……うーんうーん……。

 ……とか頭の中で煩悶しながら、結局私は今日徒歩で川崎を出発してから武蔵小杉を経由して、新横浜を通過してここ横浜まで歩いた。

 移動距離は駅換算したら二十ぐらい? とにかく一日中歩き続けて、もう限界。つかれた死ぬ。

 

「しぬ……」

 

 しぬ。つかれたしぬかもしれない。

 だって、実はね、なんと驚くべきことに……私って、体力が無いのよね。そもそも。

 それでいて身体も弱いしでこういう事は根本的に向いてないのよね、今更だけど。ていうか今日これで明日もまたこれとかもうほんとうにしぬかも。

 まぁいいや明日のことなんて考えられないもう疲れたし眠いし寝よう。あぁでもシャワー浴びたいな。でも疲れたな。寝ながらシャワー浴びる方法ないかな。

 ていうか夜ご飯食べてなかった、ご飯食べないと。食べに行く元気なんて無いからコンビニで簡単に食べられるもの買ってきたんだけど……それすら食べる元気がない始末。

 たった一日で散々な有様だ。この捜索活動が長引いたら一体私はどうなってしまうのか……。

 

「あいつころす……」

 

 ころそう。バカをころそう。

 この私にこんな手間を掛けさせるだなんて。出来の悪い弟弟子を持つとほんっとーに苦労する。

 

「ころすころすころす……」

 

 見つけたら八つ裂きにしよう。

 絶対にそうしよう今決めた。

 

 ぜったいに……やいちを……みつけて……やつざきに……。

 

 

 ……くぅ、くぅ。

 

 

 

 

 

 

 ──で、翌日。

 

「……ふぅ」

 

 翌日とはいってもやるべき事は昨日と何も変わらないんだけどね。

 昨日一日で渋谷区千駄ヶ谷から南下して横浜市まで来た。今日もこのまま南進する予定だ。

 

「分かってはいたけど……そう簡単には見つからないわよね……」

 

 一口に神奈川県といっても広い。その中の横浜市一つをとっても広い。

 その中からたった一人のバカを探し出すというのはとても困難だ。さすがに私一人でどうにかなる規模ではないので、手掛かりを得るべく地元の人に聞き込みをしているんだけど……まだ成果は無い。

 

「目撃者とかいないのかな……泣き喚きながら走っていくバカなんて目立ちそうなもんだけど……」

 

 せめて一人でも見つかれば。『あぁ、そのバカなら向こうに走っていくのを見たよ』とかそんな情報が一つでもあれば気持ち的に大分楽になるんだけど。

 

「やっぱりあれよね、対局の終わった時間帯がよくな……、っ!」

 

 ピキリ、と足先に走った痛みに思わず歩を止めた。

 

「……痛い」

 

 一旦しゃがんで靴を脱いで、痛む箇所が触れないように靴の履き心地を調整する。

 昨日のダメージが身体に蓄積している。一日中歩き続けた足にはしっかりとマメが出来ていたし、一晩の休息では回復し切れなかった疲労感が今も全身に残っている。

 これも懸念すべき事項と言わざるを得ない。私は体力に自信がある人間じゃないってのに、今日は昨日よりも更に悪化したコンディションで捜索活動を行わなければならない。

 

「……ふん、これぐらいは覚悟の上よ」

 

 そんな私の状態を見越していたのか、昨日の夜寝落ちした後に桂香さんから『銀子ちゃん、くれぐれも身体には気を付けてね? ていうか無理に八一くんの捜索をしなくてもいいのよ? 帰ってくるのを待つか、もう警察に相談しましょう?』というメッセージが来ていた。

 今日の朝に『問題無いから』とだけ返信したけど……甘い、甘いよ桂香さん。最後の警察はともかくとして、事ここに至ってあのバカが自主的に帰ってくる可能性なんて皆無なんだから。

 

「ほんっとあのバカは……バカは死ななきゃ治らないって言うけど……」

 

 そう、私が一番ムカついているのはそこだ。

 対局に惨敗して、悔しさのあまり後先考えず逃げ出した──それはしょうがないとして。

 しかしそれからもう五日目。これだけ時間が経てば頭の中が冷静さを取り戻すのにも十分なはずで。

 冷静な頭で考えれば自分がどれだけ愚かな事をしているのか分かるはずだし、一向に帰って来ない事に師匠や桂香さんが心配している事だって分かるはずだ。

 

 にもかかわらず、未だに帰って来ないどころか連絡の一つも寄こさないとはどういう了見か。

 どうもこうもない、あのバカは文字通り逃げている。自分自身の行いから逃げて、師匠や桂香さんに心配を掛け続けている事への申し訳なさからも逃げて、惨敗した対局と向き合う事からも逃げて。

 全てを放り投げて自棄っぱちになって、もう将棋なんて止めてやる! ──と、そんな事を思っているに違いない。

 

「っ、……」

 

 思わず握り拳に力が入った。

 そんなの許さない。将棋から逃げるだなんて……そんなの絶対に許さないんだから。

 バカはバカである故、誰かがバカの目を覚ましてやらなくちゃならない。

 その為には──私が、絶対に。

 

「……よし」

 

 行こう。今日こそ見つけてやる。

 足は痛いし、身体もダルいし。それでもバカを探さなくちゃならない。

 ──こういう時、頼れるものは何か。

 

 それは気合だ。気合である。気合で探すしかない。

 絶対に八一を八つ裂きにしてやる。その強い想いがエネルギーとなって私の足を動かすのだ。

 

 

 

 

 

 

 ──そうして、気合でひたすら歩を進めていると。

 

「……わぁ」

 

 時刻は四時を回った頃、そこで私の歩みを止める出来事があった。

 朝早くから出発して横浜市を越えて、鎌倉市に入ってから更に歩くこと数時間。

 視界の先には──

 

「海……」

 

 そう、海が見えた。

 東京の千駄ヶ谷から南下し続けて、遂に神奈川県南部の海岸線まで辿り着いたようだ。

 

「きれい……」

 

 視界一杯に広がる海は午後過ぎの日光をきらきらと反射していて、率直に綺麗だなと思った。

 私は直射日光に弱いので海水浴を楽しいと思った経験がなく、それもあって海に来るなんてもう随分ぶりの事だ。久しぶりの光景に思わず見入ってしまう。

 

「………………」

 

 海水浴は好きじゃないけど海自体は嫌いってわけじゃない。

 独特な香りがする潮風は涼しくて心地いいし、波の音を聞いていると気分が落ち着く。

 もう十月だから海水浴のシーズンじゃないけどまだ寒いって程の気温でもないので、サーフィンをしている人の姿もちらほら見える。

 

 ……うん。海、いいよね。  

 

「……だけど」

 

 今は別に海はどうでもよくって。

 私はスマホを操作して地図アプリを起動して、現在地点を確認する。

 

「……うーん、どうしようかな」

 

 問題はここ、歩きに歩いて神奈川県南部の海岸線まで辿り着いてしまったということ。

 ここから更に南へと進む道は無いので、東か西かのどちらかに進路を変えなければならない。 

 東に向かうと横須賀市方面、西だと藤沢市や茅ヶ崎市の方へと進む。どっちにも馴染みは無いので正直どうでもいいんだけど、当然ながら八一はどちらか一方にしかいないので全然どうでもよくはない。

 

「東か……西か……」

 

 東に進む場合、横須賀市の先には三浦市があって、その先は神奈川県の端っこなので行き止まりだ。だから八一を追い詰めるのには絶好の場所と言えるわね。あくまでそっちに八一がいれば、の話だけど。

 一方西へと進む場合、茅ケ崎市の先には平塚市や小田原市などがあって、そのまま海岸線沿いに進むと静岡県の県境だ。行き止まりは無いので捜索エリアはこちらの方が断然広くなる。

 

「……むぅ」

 

 悩む。どちらを選ぶか。東か西、どちらか一方にしか八一はいない。 

 ここの選択を外すのは大きな痛手だ。取返しのつかない致命傷になるかもしれない。

 ならば読む、読むのだ。八一が向かったのはどちらか……八一は醜態を晒して逃亡していて……どうせ行先なんて考えちゃいないはずなんだから……あいつが取る行動といったら……。

 

「……西ね」

 

 私は西に進路を変えた。

 千駄ヶ谷から南に進んできて西に方向転換、つまり右折したということ。八一は利き手が右なので、無意識の中で進路を変えるなら右折する可能性が高いのでは、っていうそれだけの理由だけど。

 

 でも……八一だしね。

 子供の頃からずっと一緒にいる相手なんだから、あいつの行動ぐらい私には読めるのよ。

 ううん、読めなきゃいけない。私はあいつの姉弟子なんだから。

 

「……ふぅ、もう少し進もうかな」

 

 まだ日暮れまで時間があるし、このまま海岸沿いを少し散歩がてら捜索しよう。

 目指せ藤沢、茅ケ崎、平塚、小田原。どうせならそのまま静岡県に入ってすぐにある熱海でゆっくり温泉にでも入ろうかな。

 あーそれもいいかもしれないわね。ちょうどよく疲れているし温泉旅行に計画変更しようかな、もう八一なんて放っておいてさ。

 

 ……嘘だけど。探すけど。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ──そして、日も暮れた頃。

 

「……つかれた」

 

 あの後、疲れた身体に鞭打ちながら海外沿いを二時間近く捜索して。

 すると『近くのホテルで予約が取れたわよ』と桂香さんから連絡が入った為、本日の捜索活動は終了。

 進んだ距離は……知らない。越えた駅数なんて数えてないしどうでもいい。とにかく朝から歩いて歩いて歩き回って、日暮れにはもう疲労困憊の体でふらふらと、どうにか宿泊予定のホテルまで辿り着いたのだった。

 

「……う゛~」

 

 ……部屋に入って、人の目が無くなると途端に気が抜けてしまう。

 私はすぐさまベッドに横になる……前にケアをしてから。絆創膏が、痛み止めが、湿布が必要だ。あぁ、じわじわと熱を帯びた身体が……う゛~、いたい。

 

「う゛~……う゛~……」

 

 捜索二日目の感想──つかれた。

 本日も成果は無し。八一発見出来ず誠に無念也。

 

「う゛~~~~あ゛~~~~」

 

 つかれた。つかれた。ほんとにつかれた。つかれたつかれたつっかれたぁ~あ~~。

 もう足が痛い。足いたいよぉ足いたいんだもん。マメが出来たところもそうだけど、足の張りというか、筋肉痛がもう限界を超えた限界で……脚部全体が悲鳴を上げている感じ。

 あぁ、こんなことになるならもっと運動しとけば良かった。ううんそれも違うよね、だってそもそもこんなことをする予定なんてなかったしー。

 

 ていうかさー、ほんとあいつさー。私にこんな苦痛を強いて申し訳無いとか思わないのかしら。

 そりゃまぁあいつはまだ中学生だからね? プロになったもののまだ未熟な部分も多いからしょうがないよね? って擁護するコメントとかネットにあったけどそれいったら私なんてまだ十三歳だからね? 

 うら若き十三歳の乙女が。疲れ果てた身体をベッドに投げ出しただらしない恰好で。太ももからふくらはぎまで両足全てを覆うぐらいに何枚も湿布を張って。足の指には絆創膏を巻き巻きして。

 こんな哀れな姿に誰がしたのか。あぁどうして、私はインドア嗜好の棋士なのに。どうしてこんなに身体を張らないといけないのか……。

 

「う゛ぅ~~……あしいたいよぉ……つかれたよぉ……」

 

 あー駄目だ。もう思考回路が足痛いと疲れただけで一杯になっちゃってる。

 昨日から今日まで計二十四時間以上捜索をしても八一は見つからない。ムカつくぐらいに見つからない。

 これだけ足を痛めて、これだけ疲れて、頑張って。それでもサッパリ成果が無いというのが一層堪える。ほんと無駄足を踏んでいる気分っていうか。

 

「……ううん、違う」

 

 枕に顔を埋めたまま首を横に振って、頭に浮かんだ思考を否定した。

 うん……違うよね。これは無駄足なんかじゃない。だって着実に前進しているのだから。

 まだ成果こそ無いものの確実に八一に近付いている。そういう実感があるのよね。

 

 ……え、根拠? 

 根拠なんて無いわよそんなもん私の直感に決まってるじゃない。

 私は私の直感を信じる。棋士だったらそういう時があるってもんでしょ。

 

「そうだよね。私も……あいつも、棋士なんだから」

 

 ……よし。まだ早い時間だけど今日はもう寝ちゃおうかな。

 晩ご飯なんて明日の朝食と一緒でいいしシャワーも明日の朝でいいや。夜はもうとにかく休む、とにかく休んでちょっとでも休息の時間を増やすべきだ。

 なんせ明日もまた歩く、歩き回る。だったら少しでも身体を癒して足のダメージを減らさないと。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ──で、翌日。

 

「……はぁ」

 

 やる事は昨日までと同じ。徒歩で地道に、付近の人に目撃情報を尋ねながらの捜索活動。

 当ても無い、成果も無い道行き。自然と溜め息も増えてしまう。

 

「……ふぅ」

 

 特に……なんか今日は溜息が多い。今日は朝から気が重かった。

 昨晩は前向きな気持ちだったはずなのに、朝になったら一転してテンション急落っていうか。

 というのも……身体がだるい。朝起きたらもう信じられないぐらいに身体がだるかった。この二日間で回復し切れず蓄積された疲労が全身に気だるさと重さを加えている。

 

「……はぁ」

 

 相変わらず足は痛むし、もはや足と言わず全身の節々が痛むし。

 今の私はそういう状態で、となれば今まで通りとはいかずに当然歩みも遅くなる。初日や昨日までに比べて歩くペースが一段と落ちてしまった。

 元々私は身体が丈夫じゃないから、こうなるのも想定内といえば想定内なんだけどね。どう強がったところで体調悪化の影響が隠せるものではない。

 

「……はぁ」

 

 あぁ、身体が痛いな。

 八一は……何処にいるんだろう。

 

「……今日で六日目、か」

 

 ふと思い出す。八一が行方不明になったあの対局日から今日で六日目だ。

 私が最後にあいつと会ったのは……当日の朝。あいつは十時から行われる対局の為に朝早くから東京へ向かったので、その時に「いってらっしゃい」って声を掛けて以来だ。

 

「……あれ? 私……いってらっしゃい、なんて言ったっけ?」

 

 よーく考えるとなんか違ったような気がする……。

 たしかあの日は……八一は朝六時過ぎの新幹線に乗る為五時に目覚ましをセットしていて、そのアラームで同じ部屋で寝起きしている私も目を覚ました。

 でもまだ眠かったし起きる時間でもなかった私は「うるさいから静かにして」とだけ告げて、そのまま毛布を頭から被って寝直して……それきりだったような気が……。

 

「今思うと……身支度ぐらい手伝ってあげれば良かったかな……」

 

 ちょっとそっけない対応だった、かも。あの日は八一にとって晴れのプロ棋士デビュー戦だった事だし、身支度の手伝いぐらいサービスしてあげたら良かったかも。

 でも……しょうがないじゃない。私、朝は本当にダメなのよ。頭に血が回り出すのに三十分は掛かる体質なの。そんな私がいたって邪魔になるだけだもん。

 けれどももし仮に、もし仮にこのまま八一がずっと行方不明で音信不通のままだったら……あの時の「うるさいから静かにして」が八一との最後の会話になるかと思うと……それはやだな。あんなの会話じゃないし。どうして私はあの時……ていうか、あぁもう、なんでこんなことで後悔しないといけないのよ。

 

「でも、そっか……六日か」

 

 もう一週間近く八一の顔を見ていない。そんなこと……あったかな? 

 こんなに長い時間……私達が離れ離れになったことなんてあったっけ?

 

「…………うーん? ある……かな?」

 

 あいつと出会ったあの日からずっと、私達は同じ部屋で一緒に生活して、何処へ行くにもずっと一緒で。

 そんな生活環境だから一日顔を合わせない事だってそう無いのに、一週間となると……あるとすれば時々私が体調を崩して病院に入院していた時ぐらいか。

 私が入院すると八一は決まって「銀子ちゃん、ぼく毎日お見舞いに来るよ!」と言ってくれていたんだけど、実際はよくスッポかされていた。あいつはアホだから、病院のベッドに一人でいるのがどれだけ寂しい事かも知らないで、私がいなくなって広々とした部屋で悠々自適に将棋を指していたに違いない。

 それでもさすがに六日間も空くってことは無かったと思うから……もしかして、今回が初?

 

「そっか。初……かも」

 

 数えて六日間。時間にしたらほぼ一週間。

 そんなに、なのか。その程度、なのかは分からないけど。 

 

「………………」

 

 これは……率直な疑問なんだけど。

 あいつって……八一は、今……寂しくないのかな?

 今何処にいるのか知らないけど、もう一週間近くも自宅に帰ってこないで、一人きりで。

 師匠や桂香さん、と……会えなくて──

 

「………………」

 

 ──わたし、と。

 ……会えなくて。寂しくならないのかな。

 一週間程度はなんともないのかな。男の子はそういうこと気にならないのかな。

 

 私だったら。私は──

 

「……寂しい、のに」

 

 ぽつりと零れた。

 私は……寂しいのに。八一に会えなくて、寂しい。

 会いたい。私は八一に会いたい。会いたいよ。会いたいのに。

 会いたいから、こうして──

 

「……八一のばか」

 

 大体対局に敗れた時だってそうだ。そもそもどうして逃げ出したりなんかしたのよ。ばか。

 逃げ出したりしないで……どうして、どうして一直線に私のところに帰って来てくれなかったのか。それが悲しいし、寂しい。

 プロ棋士初戦に負けたからってなんだ。惨敗した対局なんて、涙が出る程に悔しい思いなんてお互い何度もしてきているはずなのに。その都度悔しさに耐えながら負けた対局を一緒に検討して、次はそんな思いをしないように努力して……そうやって強くなってきたはずなのに。

 それなのに、たった一度の負けで全てを投げ出して連絡の一つもよこさないだなんて……そんなのあんまりじゃない。ひどい、ひどすぎる。八一のバカ、いじわる、根性無し。

 

「ばかばか……ばかばかばかばか……絶対に見つけてやる……」

 

 八一への恨みつらみが、罵詈雑言が、今だったら無限に吐き出せる。

 これを八一本人へぶつける為にも、なんとしても見つけ出さなくちゃいけない。

 

「けれど……何処に逃げたんだか……」

 

 本当に本当に、それだけが問題。ほんとあのバカ今何処にいるってのよ。

 これだけ探しても見つからないとなると……もしかして、私……選択肢を間違えた?

 

「……その可能性は……」

 

 ──ある。と、言わざるを得ない。可能性の話なら否定は出来ない。

 例えば昨日、私は神奈川県南部の海岸線まで南下してきて、そこから西に向かうことを選択した。……けれどももしかしたら西じゃなくて、東の横須賀市の方に八一はいたのかもしれない。

 もしそうならこのまま西に進んでいても意味が無い。今からでも引き返した方がいい……んだけども、さりとてそれを決定付ける材料があるわけでもなくて。

 

 あるいは最初の選択から。東京都千駄ヶ谷の将棋会館から南の方角じゃなくて。東や西、それどころか北に向かっていた、なんて可能性も。

 それだって十分あり得る。例えば最初は将棋会館から南に向かって走っていたけど信号待ちに当たって、その都度青信号の方へと進んでいる内に次第に南とは全然違う方角に……みたいな感じで。

 

「もしそうだったら……見つかるわけないよね……」

 

 最初の一歩目から悪手を指していたとしたら勝機なんて皆無だ。

 八一が南に向かっていないのならこうして神奈川県内を捜索したってなんの意味も無い。たとえ隅から隅まで探し尽くしたって八一の目撃情報なんか一つも出てこないだろう。

 というか実際にこれだけ探してもなんの成果も得られていない以上、最初の一歩目が間違っていた可能性は十分あると言える。

 

「……ていうか……一番の問題は……」

 

 そもそも私は。これだけ探しても、と言い張れる程に万遍無く探しているのだろうか。

 ここまで通って来た神奈川県内、川崎市と横浜市と鎌倉市はなんとなく捜索した気分になっているけど、実際は聞き込みこそしていたものの真っ直ぐに歩いてきただけだ。

 一つの市だけでも当たり前に広くて、私一人で隅々まで回りきれるわけないのに。昨日一昨日で私が歩いてきた道、その一つ二つ隣の路地裏に八一がいた……なんて可能性を否定する事が出来るだろうか。

 

「……別に、そんなの、最初から分かってたし」

 

 そう。それはまぁ、分かっていたことで。

 私は八一と違ってバカじゃないから、こんなこと……こんな、私一人の手で探し出すなんて無謀だってことは最初から分かっていたんだけど。

 そんなの無茶よ、って桂香さんにも散々言われたし。そりゃ分かっていたけど……でも、それでも、何もしないわけにもいかなかった、というか。

 

 だって。……会いたいから。

 帰って来ないのなら、探しに行くしかないじゃない。

 

「………………」

 

 それに……多分だけどね、八一だって本当は家に帰りたいって思っているはずで。

 けれども勢い任せとはいえ一度は将棋から逃げちゃって、それが負い目になって引っ込みが付かなくなっちゃったから今も意地を張っているだけ。だから切っ掛けさえあれば帰って来られるはずで。

 だから本当は八一の方も私が迎えに来てくれるのを待っている……と、そう一方的に決め込んで。それで私はあいつを探すことにしたんだけど。

 

「でも……この分だといつまで掛かるか……」

 

 次の対局日までには見つけたかったんだけどな……ちょっと難しいかもしれない。

 やっぱり人手が足りない。人手か……最初から警察に捜索願を出すべきだったのかな。所詮ただの家出だから真剣に捜査して貰えるかは分からないけど、するとしないじゃ大きく違うのも事実なわけで。

 いやでもそれは私が意地張ったからじゃなくて、大事にしたくないってのも事実だったし……。

 

 でも……もしも、もしもこれが行方不明じゃなくて、本当に事故や事件だったらどうしよう。

 もしそうだったらさすがに私一人でどうこうしている場合じゃない。今すぐにでも警察に相談しないと、下手したら取り返しの付かない事態になってしまうかもしれない。

 ううん、もしかしたらすでに手遅れになっている可能性も……一人で捜索なんて無謀な事をしていないで、もっと早く警察に相談していたら間に合ったのに……なんて可能性も──

 

「……だめだ」

 

 気持ちが弱気になっている。思考がネガティブになっている。

 きっと疲労の影響だ。これはよくない、私は一度立ち止まってぶんぶんと頭を振った。

 

「ふぅ……大丈夫、大丈夫だから」

 

 大丈夫、私の選択は間違っていない。

 この先の道程の何処かに八一はいて、今も内心では私が迎えに来てくれるのを待っている。

 事故や事件に遭遇するなんて稀なことで、そんな事態に直面したらさすがの八一だって正しい判断を出来るはずだから、すでに連絡の一つぐらいあるはずだ。

 よってそれが無い以上今も八一は元気でいるはず。ついでに言えば私も元気で、まだ全然歩けるし、このぐらいの痛みなんて全然大したことない。

 

「そう、そうよね……そうに決まってる」

 

 たとえ選択肢がいくつあろうと、私が八一のことで間違えるはずなんてないんだから。

 八一は絶対にこの道の先にいる。それを……私は、私の読みを信じるだけだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ──そして、その日の夜。

 

「……はぁ」

 

 今日一日で藤沢市内を通過して、茅ケ崎市を少し進んだところで捜索活動を終了。

 ホテルに着いて、自分の部屋に入って早々にベッドに直行。今日も身支度と身体のケアを終え次第すぐに就寝して回復に努めるつもりだ。

 

 そういえば、ホテルの予約を取って貰う時に桂香さんと少しやり取りをしたんだけど。

 八一がいなくなってから明日で一週間になる。師匠とも色々相談して、もし明日になっても音沙汰無しだったら警察に相談すると決めたらしい。

 

「……だってさ、八一」

 

 あーあ、警察だって。

 あんた明日までに私に見つけられなかったら警察に逮捕されちゃうわよ。ご愁傷様。

 

「……あれ? 逮捕は違うかな?」

 

 まぁいいや、似たようなもんでしょ。

 とにかくそういう事になったようで、だからもう後は警察に任せて銀子ちゃんは帰ってきなさい、的なことも言われたけど、それは無視。

 警察に頼ればすぐに解決してくれる、ってのは楽観視し過ぎで実際はそう簡単な話じゃないはずだ。八一が行方不明になったのはあくまで東京都千駄ヶ谷からなのだから最初はその付近を捜索するはずで、すぐに隣県の捜索に移ったりはしないだろうし、そうなったとしても千葉や埼玉の方に行くかもしれない。

 対八一の読みにおいて右に出る者はいない私ならこっちのルートが正解だって分かるけど、八一を知らない警察がそれを真似するのは不可能というもので、それなら私がこのまま捜索した方が早い。

 

「明日か……明日……明日こそ……」

 

 ていうかまぁそういう細かい理屈云々は正直どうでもいいんだけど。

 だって警察に相談しようがしまいが、私の気持ちはもう止まらないから。

 

 私が進む道の先には八一がいる。絶対にいる。いるから。

 私は……八一に追いつく為に、日々前進しているのだと、そう信じているから。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ──で、翌日。

 

「すみません、ちょっといいですか? この写真を見て欲しいんですけど……」

 

 毎度のように近くにいる人に声を掛けて、もはや定型文となった言葉を繰り返す。

 それでも成果は得られず、めげずに繰り返しながらここまで歩いてきたわけだけども。

 

 しかし──時に転機とは。

 それまでの流れとか脈絡とは一切関係なく、突然訪れるもので。

 

「あぁこの子、向こうの店で働き出した子だよね?」

 

 ドクンと心臓が飛び跳ねた。

 あった。遂に。どれだけ聞き込みをしても成果が得られなかった八一の目撃情報が、ここで。

 しかも──向こうの店!? で働き出したぁ!?

 

「ど、どこのお店ですか!?」

「ほら、すぐそこに見えるサーファーショップの……」

 

 指差された方向にあるやや小さめな店舗。お礼もそこそこに一直線に向かって。

 本当にそこに八一がいるのか。ていうかなんでサーファーショップなんかで働いてんのよ意味分かんないんだけど。単にさっきの人が見間違えていたとか、よく似た他人とかって可能性も十分にある。

 

 ここで期待をしちゃうと、もしハズレだった時の落ち込みが辛い、けれど。

 もし私の読みと選択が全て当たっているのだとしたら、ここら辺が妥当な地点でもあって。

 

「ここに……いるの?」

 

 そんな事を逡巡しながら、そのお店の入り口が見えるところまで辿り着いて。

 そっと店内を覗いてみると── 

 

「あ……」

 

 ──いた。

 そこに。八一がいた。

 おバカが、おバカな顔をして、せっせとお店の商品を並べる手伝いをしていた。

 

「……っ」

 

 あぁ……いた。本当にいた。八一がいた。

 なんか、普通に八一がいる。生きて動いている。それが……そんなの、当たり前なのに。 

 あいつ……なんだ、全然元気そうじゃないの。もう……心配して損しちゃった。

 

「……っ、はぁ」

 

 ……なんか、なんだろ。やけに熱くて……あれだ、今日は日差しが強いのかも。

 ここは海岸沿いだから私には日差しが強すぎて……なんか、目が滲んじゃう。

 心臓だってさっきからずっとバクバク音を鳴らしていて……うるさいぐらいで。

 

「すぅ……ふぅ」

 

 こんな状態での再会は……ちょっと、やだ。

 だって、こんな込み上げた状態じゃ……逆にこっちが心配されちゃうっていうか。

 だから、うん、落ち着いて私。一旦深呼吸して息を整えて……すぅ、はぁ。

 

「……うん」

 

 準備──よし。

 さぁ、八一に会いましょうか。

 私の四日間に及ぶ努力の成果が、ここに。 

 

「そこの店員さん」

「あ、いらっしゃいませー!!」

 

 そいつは元気な挨拶と共にこちらを向いて。

 その瞬間──

 

「……って」

 

 ──表情が凍りつく。

 という言葉の実例にピッタリなぐらいに。

 

「あ、あ、あぁ……」

 

 口をあんぐりと開けて、目を大きく見開いて、驚愕の表情。別名バカの表情とも言う。

 まったく、感動の再会シーンだってのにもうちょいマシな顔出来ないのかしらね、こいつは。

 

「久しぶりね、八一」

「あ、あ……あねで、し」

「そうよ」

 

 見せつけるようにゆっくり頷く。

 私は姉弟子、このバカの姉弟子だ。

 

「な、なんっ、なんで……ここに?」

「なんで?」

 

 それ聞く必要あるかしら?

 わざわざ迎えに来てあげた以外になにがあるってのよ。

 

「帰るわよ、バカ八一」

「あ、う……うぅ……」

 

 すると八一は。狼狽えながらも状況を理解したのか。

 唇をわなわなと震わせながら、恐怖やら何やらが入り混じったような表情で。

 

「お、おれ……」

「なに」

「……おれ、俺もう将棋やめる! ここで働きながらサーファーになる!」

「ぶちころすぞわれ」

 

 そう返した私は、そりゃあもう恐ろしい程に眼光を光らせて、途轍もない顔をしていたそうな。

 まぁ当然よね。散々迷惑掛けといて何言ってんのって話だし。超足痛いし。超疲れてるし。

 

「ひぃいいいいいっっ!!!」

「帰るっつってんでしょ。とっとと支度しなさい」

「は、はいぃ……っ!」

 

 逆らう余地など無い事を知った八一は脱兎のごとく店の裏手に引っ込んでいって。

 この店の店長だろうか、今日までお世話になっていたらしい人と挨拶する声がしばし聞こえて、その後五分もしない内に戻って来た。

 

「もういいの?」

「は、はい……」

「あっそ。じゃあいくわよ」

「はぁい……」

 

 店を出る。八一もすごすごと付いてくる。

 

「ふん……」

 

 九頭竜八一は神奈川県茅ケ崎市の沿岸沿いにあるサーファーショップにいた。

 一週間ぶりに見たその顔は……うん、何も変わっていない。一週間程度ならそりゃそうか。

 

「で」

「は、はい……?」

 

 ……一週間ぶりに、八一と再会したわけだけど。

 

「……で」

「……で、って?」

 

 ……で、それがなんだって話なんだけど。

 

「……なんか、ないの?」

「え?」

「なんか……言いたいこと、ないの?」

「え、と……」

 

 私の言葉に返さずそのまま沈黙する八一。

 この様子を見る限り、どうやら……言いたいことは、なさそう。

 

「……あっそ。ならいいんだけど」

 

 ……うん。

 まぁ……無いなら、別にいいんだけど。

 

「………………」

「……姉弟子?」

「それじゃあ……とにかく、帰るわよ」

 

 うん、帰ろう。とにかく帰ろう。そうしよう。

 とにかく茅ケ崎にて犯人確保だ。困難な道程だったけどとにかくこれで任務完了ね。

 とりあえず桂香さんに連絡を入れて……あそうだ、帰りの道も調べないと。

 

「ここから大阪は……近くの駅から小田原まで行って新幹線に乗るのが一番早そうね」

「あ、姉弟子……その、俺……殆ど金持ってなくて……」

「でしょうね。言っとくけど貸しだから」

「は、はい……」

 

 しっかしこいつ、ろくにお金も無いのにここでどうやって生きていくつもりだったのか。

 

「あんたさ、どうしてこんなとこにいたわけ? 一週間前は千駄ヶ谷で将棋指してたのよね?」

「それ、は……なんというか……気付いたらここにいた、というか……」

「は? どういうこと?」

「いや、あの……それは……」

 

 言いたくないけど無言を貫く事も出来ないと思ったのか、八一はぽつぽつと語り出す。

 

「あの……あの対局の後、俺……負けて、悔しくて。特に終盤の見逃しとか、もうなんか、すっごく悔しくて……それで、ちょっと……おかしくなったっていうか、やけになったっていうか」

「知ってる。将棋会館を出たあと走って逃げ出したんでしょ?」

「……はい。それで……無我夢中で走ってて、そしたらいつの間にかこの辺に辿り着いたらしくて。そのままの勢いで海を泳いでいたら、なんか勘違いされたらしくて、さっきの店の人に助けられて……」

「その縁であのお店で働くことになったってわけか、なるほどね」

 

 こうして話を聞く限り大体の読みはあってたわね。さすが私。

 というか助けて貰った上に働く場所まで用意してくれたなんて八一も運が良いわね。この様子を見る限り最低限の衣食住は確保されていたのだろう。公園で野宿とかしてなくて良かった。 

 

「それで? 一週間も将棋から逃げていて何か得られたものはあった?」

「ええっと……あった、ような……なかった、ような……」

「どうせ何もなかったんでしょ? 将棋以外の世界であんたが生きていけるわけないんだから」

「いや……だからそれは……サーファーになるっていう道を……」

「はっ」

 

 鼻で笑ってやった。

 

「それ、本気で言ってるわけないわよね?」

「……まぁ、その」

「プロ初戦に惨敗して悔しくて……って気持ちは分からないでもないけど。でもそれで一週間も家出して、連絡もしないで皆に心配掛けるってのは違うんじゃない?」

「………………」

「こんなとこで油売ってないで、とっとと家に帰って頭切り替えて負けた対局の検討をする。……それがあんたのすべき事だったんじゃないの?」

「……ですね」

 

 目線を下げて俯いたまま、八一は何の反論もしてこない。

 こちらがぶつけているのは正論中の正論とはいえ、出来たばかりの傷口に触れているのと同じ。普段の八一ならもうちょっと躍起になって言い返してきそうなものだけど……ない。

 どうやら相当なばつの悪さがあるのか、先程からずっとしょぼくれた顔をしている。

 

「………………」

 

 こいつがこういう顔をしていると──

 

「……だから、なんか言ったら?」

「……え?」

 

 何か言って欲しい──という気持ちとか。

 何かして欲しい──という気持ちだって、その輪郭がぼやけて崩れていく。

 

 だって、こいつは私の弟弟子だから。

 こいつがこういう顔をしていると、私は姉弟子として、しっかりしないといけない気分になる。

 だから……ここで、私が、感情を出すのは、なんか違うような。

 

 そりゃあ八一が悪くて、もう一から百まで全部が自業自得と言えばそうなんだけども。

 でも、それでも……こんなに弱っている八一に追い打ちを掛けるのも、なんか可哀想だし。

 

「……ま、いいわ。後は戻ってから師匠にちゃんと叱って貰いなさい」

「……はい」

 

 叱り役だって私じゃなくて適任がいるし。

 師匠からたっぷりとお説教を貰って、その後は昔みたいに桂香さんに慰めて貰えばいい。

 それで次の日になれば……うん、それでもう表面上は一件落着でしょう。

 

 だから……でも。

 

「………………」

 

 でも、それなら私の役目はここまでで。

 私はこいつを叱る気分にはなれないし、慰めることだって……私には出来ないし。

 私は姉弟子だから。迷子になった弟弟子を見つけてあげて……それが義務だから。それだけで。

 

(……でも、それなら)

 

 それなら、私にとって……これは、どういう、ものだったのか。

 というか……八一は。八一にとってこれは、どういう出来事になるんだろう。

 

 対局に敗れて、逃げて。逃げた先でしばらくアルバイトしながら将棋から離れてみて。

 そしたら姉弟子が、怖い怖い姉弟子が連れ戻しに来て、終わり。そんな程度だろうか。

 

(私は……)

 

 この四日間、神奈川県内をひたすら歩き回って。

 今だって足はズキズキと痛んで、身体中が痛くて、度重なる疲労にちょっと熱も出てきて。

 でもそんなの八一は知らない事だから気に掛けたりはしない。今回の事だって、どうせ思い出に残るのは惨敗を喫したプロ初対局の事だけで。

 その後の事なんて……私が連れ戻しに来た事なんて、どうせ大したことじゃないだろうから。

 

 でも、それなら……それは、なんだか……なんというか。

 なんか……損、をした、気分、というか。

 

(……損? 損ってなに?)

 

 なにそれ。どうして、なんで私がそんな気持ちにならなければいけないの?

 だって、私は八一を探してして、無事に見つけた。自分の義務を果たしたんだから。

 だったら八一が無事に見つかって、良かったね──って、それでいいんじゃないの?

 

 それでいいはずなのに、どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないの?

 どうしてこんな……つらい、というか、満ち足りない、ような、気持ちになるんだろう。

 損ってなに? じゃあ私は得をしたかったの? なにか得をする為に八一を探していたの?

 ううん違う、そんな事は無い。そんな事はない……はずなのに。

 

「……あの、一つ気になったんですけど」

「……なに」

「その……この場所に俺がいるってこと、姉弟子はどうして分かったんですか?」

「それは……そんなの、勘よ、勘」

 

 分からない。今の気持ちを的確に言い表す事が出来ない。

 私が八一を探していた理由は……あぁ、そういえば八つ裂きにするとか言ってたっけ。

 あの時は結構本気だったんだけどな……でも無理、とてもじゃないけどそんな気分にはなれない。

 だって私は。あんなに必死になって八一を探していたのは、叱る為じゃなくて──

 

「そういえば……あれから一週間ってことは……姉弟子、次の例会の日もうすぐなんじゃ?」

「……まぁね。今週末だけど……まだ数日あるし、今から準備すれば全然平気よ」

「……すみません、姉弟子。俺のせいで」

「………………」

 

 ──謝らせる為なんかじゃなくて。

 そうやって申し訳なさそうな顔をされると、私は何も出来なくなってしまうから。

 さっき、ようやく八一を見つけたあの瞬間には……あの時にはあったはずの気持ちが、今は。

 

「……別に、気にしてない。あんたにこういう目に合わさられるのなんて……慣れてるから」

 

 どうしてか分からないけど……さっき見つけた時よりも余程泣きたい気分になった。

 そんなの私にとってはしょっちゅうあることだから、泣かなかったけど。

 

 

 

 

 ■■■

 

 

 

 

「──って」

 

 ──って。

 

「──いう事が、あったじゃない」

「………………」

 

 ──いう事が、今から三年前にあった。

 

「あったよね?」

「………………」

「あの時のこと、覚えてる?」

「………………」

 

 私ははっきりと覚えているけど。

 あの時私は中学一年生で、こいつは──

 

「ちょっと八一、聞いてんの? あんたのプロ初戦の時に──」

「あった! あったね! ありましたよえぇありましたとも!!」

 

 封じていた記憶の蓋が空いたのか、途端に八一は大音量を上げて叫び出した。

 

「何よ急に大声出して、うっさいわね」

「いやだってそれ俺の超超ちょー黒歴史じゃん! 今更その話が出てくるなんて思わないじゃん! 思い出すだけで嫌な汗かいちゃったじゃん!」

 

 騒ぎ立てる八一、うるさい。

 この様子を見る限り、どうやらあの時から変わらず今もトラウマ級の悪夢になっているらしい。

 そんな話をどうして私がし始めたかっていうと──

 

「しょうがないじゃない、思い出しちゃったんだから。ほら、私だってプロになった以上もう少ししたら体験することになるんだし」

「あぁそっか、それで……」

 

 そう。先月に最終戦を迎えた奨励会三段リーグ戦での結果、私は念願のプロ棋士となった。

 となると次に待ち受けるのはプロでの初戦だ。時期的にもうちょっと先の話になると思うけどいずれは初戦の相手や日付が決定して、人生で一度きりのそれを私も体験することになる。

 で、そんなことを考えていたらふと思い出した。三年前に行われた八一のプロ初戦にまつわるあれこれ、あーそういえばあんなことあったなーあの時は大変だったなー、と色々思い出してきた。

 

「でもさぁ……だからって人の恥部をそう簡単に突いてくるのは良くないって……」

「じゃあ勝てば良かったのに。なんで勝たなかったの?」

「そりゃ出来るもんならそうしたかったよ!」

 

 当人にとっても大変だったんでしょうけども、私にとってもあれは大変だった。本当に大変だった。

 本当に本当に大変だった事を思い出したので、あれから三年経った今、八一にぶつけてみた。

 だってさぁ、ムカつかない? そのままにしておくのなんて。

 

「あんたにとっては黒歴史であり恥部だから、もう全部すっかり忘れてた?」

「いや、忘れてたわけじゃないっつーか……むしろ忘れたくても忘れられないっつーか……でも積極的に思い出したくなるもんじゃないよねー、みたいな?」

「ふぅん……」

 

 プロデビュー戦こそ敗れたものの、その後は対局相手だった山刀伐さん相手に八一は何度か勝利しているし、何ならプロになってから一年後には将棋界最高峰の冠である竜王位を獲得している。

 そうまでしてもあの敗戦の苦さは中々払拭出来ないものらしい。対局内容を未だに思い出せるけどあれだけ無様に負ければそりゃそうか。

 

「ま、あんたの惨敗っぷりについては今更どうでもいいんだけどね。私が引っ掛かっているのはその後のことで。まぁそっちの方こそあんたにとってはどうでもいいんだろうけど」

「い、いやぁ……別にどうでもいいって事はないっすけどね……そっちも……」 

「ほんとにぃ? どーせ『そういえばあの後一時期サーファーショップでアルバイトしたっけなー今思えばあれもいい経験だったなー』とかその程度でしょ?」

「い、いやいや! そんなことはないって、ホントに!」

 

 慌てた様子で首を振る八一だけど……うーむ、あやしいわね。

 あの時の私がどれだけ苦労したのか。果たしてこいつにその自覚はあるのだろうか。

 

「探したの。私ね、探したのよ。あんたを」

「はい……そうみたいっすね……あの、その節はご迷惑をお掛けしました……」

「あんたさ、一度も連絡してこなかったじゃない? だから何の手掛かりもなくてね? でも警察に相談して事を大きくしたくもなかったからね? 仕方なく私は地道に歩いて探すことにしたわけ」

「はい……ホント、ごめんなさいマジで……」

「計四日間、神奈川県内を一日中歩き回って探したわけ。死ぬほど疲れるわ身体中が痛むわ足の指に血豆は出来るわ熱は出るわで結構大変だったのよね。今となってはそれもいい思い出だけど」

「……うぅ」

 

 言い返す言葉も無いのか小さく唸るだけの八一。

 私が一つ事実を突きつける度にその頭の位置が垂れていって、もうそろそろ床に付きそうだ。

 

「あの時の私は中学一年生で、当然ながら学校とか将棋の修行とかもサボらざるを得なくて」

「……うひぃ」

「それでも私は姉弟子だからね。行方不明になった二歳年上の弟弟子を探してあげたわけ」

「……はひぃ」

 

 力なく悲鳴を上げる八一。

 こうして事実を並べると三年前のこいつの情けなさが、格好悪さがよく分かるってもんよね。

 

「その結果、私は見事にあんたを見つけて無事連れ帰る事に成功したわけで」

「………………」

「めでたしめでたし──って感じで、私にとってあの一件はそういうものなのよね。色々と苦労したけど、言っちゃえば姉弟子の役目をちゃんと果たしましたよーってだけの事で」

 

 当時はそんな感じで、私の頑張りは日の目を見る事もなく雑に片付けられたような気がする。

 というよりも……そうやって自分を納得させるしかなかったと言うべきか。

 

「けど……あんたにとってはどうなのかなって、気になっちゃって」

「………………」

「特に……ほら、今の私はさ、ただの姉弟子ってだけじゃ……ない、わけだしぃ?」

 

 ……ちょっと声が上擦っちゃった。

 あれから三年経った今、私は……ほら、あれが、あれで、こうして、こうなって。

 だから、私は八一の姉弟子なだけではなくて……こ、恋人に、なった。ので。

 

「どうなの? なんか……ないの?」

「………………」

 

 姉弟子としての義務だけじゃなくて、空銀子だからこそのものを。

 それを……こいつは。ただの弟弟子じゃない、私の恋人になった八一は分かってくれるのか。

 

 あの時には伝わらなかった想いを。

 果たして、今はどうか。

 

「──う、うわぁぁぁぁん!! 銀子ちゃあああぁぁぁん!!」

 

 結果──泣き付いてきた。

 

「ごめぇん……ごめんよぉ銀子ちゃあん……」

 

 う、ううーん、これじゃ情けなさは変わっていない、けど。

 それでも「すみません姉弟子」と謝られるよりかはマシなような。ちょびっとだけ。

 

「ごめん……ほんとごめん……あの時の俺は、なんていうか……ものすごくバカだったから!」

「知ってる。ていうかそんなの今もじゃない」

「そうだよね知ってるよね今もだよね! 今も俺銀子ちゃんに迷惑掛けっぱなしだもんね!」

「うん。まぁあんたに迷惑掛けられるのは今更慣れっこだから別にいいんだけど」

 

 私がそう言うと、八一は更に情けない顔になって。

 

「うぅ……そういえばあの時もそんな感じだったね。銀子ちゃんは全然怒ってなかった……ホントはめちゃくちゃムカついててめちゃくちゃ怒りたかっただろうに……」

「そんなことは……ないけど」

 

 人の気も知らないで……あんな顔をしていたあんた相手に怒れるかっつーの。

 

「言っとくけどね、あの時私が本気で怒っていたらあんたは八つ裂きになってたわよ」

「だよねぇ……正直言って俺もそれぐらいは覚悟してたんだよ」

「でもまぁそこはね? 私だって鬼じゃないし? それに……まぁ、悔しくて逃げ出したくなる気持ちも分からないでもないから、そこはぐっと堪えて許してあげたわけ」

 

 ……正直なところ、そこについては……もにょもにょ。

 私も三段リーグ戦終盤に……ちょっと、ちょっとやらかしちゃったのでここについては強く言えない。

 まぁなんて言うか、お互い様ってとこよね。それに私のあれは結果オーライっていうかそのおかげで八一と付き合う事になったようなもんだからね。

 それに引き換え八一の時は……今でこそこうして笑い話にもなるし、まぁあれもいい思い出かなって振り返れる程度のものではあるんだけど。

 

「だからね、別に怒り足りないとか謝り足りないとかって言うつもりは無いんだけど……」

 

 それでも──あの時の、姉弟子でしかなかった中学一年生の私にとっては。

 苦労の末に八一を見つけたのに、どうしても満ち足りない感覚になってしまったのも事実で。

 

「ただ……もうちょっと何かあっても良かったんじゃないかなー、とかって思うわけ」

 

 あの時言葉に出来なかったあの気持ちを。今だったらもう少し的確に言い表す事が出来る。

 あれは損とか得とかじゃなくて、私はただ──報われたかった。ただそれだけ。

 

「せっかく頑張ったのにさ、ありがとうの一言すらないんだもん。ひどくない?」

「だねぇ……ヒドい奴だねぇ俺……」

「あんたがひどい奴だって事もわりと知ってたからあの時は流してあげたけど。でもねぇ……私の頑張りに対してもうちょっとこう……あるじゃない?」

「そうだねぇ……ホントそう思うよ……」

 

 ぺこぺこと反省しきりの八一。

 これでちょっとはこいつも己の不甲斐なさを──は、今更どうでもよくて。

 じゃなくて、姉弟子という存在の偉大さを──も、今更当たり前の事だからいいとして。

 

 そうじゃなくて……この私の……大切さ、みたいなものをね?

 価値というか、有難さというか……とにかくそういうのを噛み締めて欲しいところだ。

 そういう事をね、あるんじゃないかなーって期待してたの、あの時は。あれだけ頑張ったんだしそれぐらい望んだって罰は当たらないと思わない?

 

「……ほんとになぁ、あの時の俺は……配慮が無いっつーかなんつーか……多分銀子ちゃんの事まで考える余裕が無かったんだろうなぁ」

「そうね、きっと自分のことだけで一杯一杯だったんでしょうね。なんせバカだし」

「ほんとそれ。周りが見えてなかったんだよ。今になって思えばせめて連絡の一つぐらいすべきだったし……てかほんとなんの手掛かりも無かったのによく見つけたよね。人力ローラーなんてどうやってやったの?」

「んなもん気合よ気合。あんたとは気合の入り方が違うのよ」

 

 実際問題本当に気合と読みだけで乗り切ったようなものだ。あとは運。

 今思うとかなり無謀で無鉄砲で中学一年生がするような事じゃないとは思うけど、当の八一がそれ以上に無謀でおバカだったんだからしょうがない。

 

「すごいです姉弟子。さすがです姉弟子。御見逸れしました姉弟子」

「よろしい。当時の八一もそれぐらい謙虚で低姿勢だったら良かったんだけどね。まぁどうせあんたは考え無しだから、私が死ぬほど苦労して人探しをした事なんて知らなかったんでしょうけど」

 

 私が呆れ交じりにそう告げると、

 

「あ……いやー……」

 

 八一はいつかのようにばつの悪そうな顔になって。

 

「実はね、一応それは知ってたっちゃあ知ってたんだけど……」

「えっ、そうなの?」

 

 これは意外な事実。てっきり今日この時まで何も知らないのかと思ってた。

 

「実はあの後……家に帰ってから桂香さんに色々聞いてさ。姉弟子が学校休んでまで俺を探してくれていた事とか、毎日歩き回ってすごく苦労していた事とか。すごく心配してくれていた事とか」

「……別に心配はしてなかったけど」

「それで……『ちゃんとお礼を言って、銀子ちゃんを労わってあげてね』って言われて……」

「……言われて? あの後家に帰ってからあんたに労わられた記憶なんてないんだけど」

「そ、それが……あの時はなんか……本当に、本当に申し訳無さ過ぎて、それで……銀子ちゃんになんて言えばいいのか分からなかったんだよね……」

 

 こ、こいつ……桂香さんのナイスアシストを悉く無駄にする奴め……。

 

「時々思うんだけどね、あんたって一度死んだ方がいいわよ」

「ごめんって! だから今言う! 今言うから!」

 

 そんなの今更言われても、と私が返す間も無く。

 

「銀子ちゃんっ!」

 

 わ、わわ……っ!

 ぬっと八一の両手が伸びてきて私の身体を包み込んだ。要するにハグ。

 

「ありがとう銀子ちゃん。あの時俺のことを探しに来てくれて、本当に感謝してます」

「……ん」

「あの時さ、俺……本当は銀子ちゃんが迎えに来てくれて嬉しかったんだ。申し訳なさも一杯だったからロクに顔も合わせられなかったけど……本当に、嬉しかったのも事実で」

「……そうなんだ」

 

 八一の言葉が、耳元から聞こえるそれが、私の身体中に染み渡っていく。

 八一の腕が、私を抱き寄せて、私を包み込む力加減、ぬくもりが心地いい。

 ……ずっとこうしていたい。

 

「ああいう切っ掛けが無かったら俺一人じゃ中々帰れなかったと思うし……それにあの時、一週間ぶりに銀子ちゃんと会って……銀子ちゃんが全然いつも通りだったからさ。それがなんかホッとしたっていうか、すごい安心したんだ。だから……ありがとう」

「……うん」

 

 あぁ、これを……あの時の私に、中学一年生の頃の私にこの体験をさせてあげたい。

 あの時、八一を見つけて。それで……そのまま私をぎゅっと抱き締めてくれて。「ありがとう」って、「嬉しかったよ」って言ってくれていたら。

 そうしたら私は……それだけで良かったのに。全部報われたのに。

 

「三年遅い。バカ」

「ごめん……」

「ばかばかばーか。ほんと甲斐性無しなんだから」

「ごめんってぇ……」

 

 全くもうっ! 本当にバカでどうしようもないバカ弟弟子なんだから! バカ八一!

 と罵りながら、中学一年生の空銀子が中学三年生の八一をポコポコと叩いている、私の頭の中にそんなイメージが思い浮かんだ。

 

「でも……次は頑張るから!」

「次? ……ってまさかあんたまた家出するつもりなの? 懲りないわね」

 

 私がそう言うと八一は「そうじゃなくて!」と首を振って。

 

「次は俺が探す番ってこと! 次は俺が銀子ちゃんを探し出すから!」

「って言われてもね、私は家出なんてする予定は無いんだけど?」

「そりゃそうだろうしそんな予定無いに越したことは無いけどさ。でもほら、この先人生何があるかは分からないじゃん? 実際銀子ちゃんだってこの前は結構危うかったし」

「うっ……」

 

 思わず唸る。三段リーグ戦終盤でメンタルを崩した時の事を指摘しているなら、ううむ。

 あの時は……まぁ、結構恥ずかしいことをしちゃって、八一にも結構迷惑を掛けた。一度そんな事があった以上、次は絶対に無いと否定しきる事が出来ないのも確かで。

 

「だからさ。もしも銀子ちゃんが俺のそばからいなくなったら……」

 

 互いの距離をくっつけていた抱擁を少し緩めて、互いの目と目を合わせながら、言う。

 すると八一の言葉は、まるで予言かのようにも聞こえて。

 

「その時は……今度は俺が、迎えにいくから」

「………………」

 

 私が、八一のそばから、いなくなる。

 そんな事……想像したくはない、けれど。

 

「……ほんとに?」

「うん、約束するよ。何処にいても絶対に迎えにいくから」

 

 私が何処にいても八一が迎えに来てくれる。

 それなら……それなら、どんなに離れちゃっても大丈夫だよね。

 そう八一は約束してくれた。それなら──

 

「……そっか」

 

 これからも、八一のそばにいられるのなら。

 あの時頑張った甲斐も……あったかな。

 

「じゃあ……しょうがないわね、それでチャラにしてあげようかな」

 

 私がそう言って笑うと、八一も「良かった」と表情を緩めた。

 

 

 

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