銀子ちゃんを可愛い可愛い×5するだけの話(+短編集)   作:銀推し

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※これは本編とは関係の無い短編ネタとなります。
空銀子聖誕祭(2024)記念短編。ですが内容は誕生日とは一切関係ありません。
原作11巻以降の話となります。



短編 空銀子あれこれ考える。

 

 

 乗車券に記載されている指定席の番号を一度確認してから足を止める。

 行きの時よりも増えていた荷物を荷棚の上に乗せて、窓側の席に腰を下ろす。

 

「ふぅ……」

 

 座席のリクライニングを少しだけ傾けてから、私はほっと一息吐いた。

 帰路に就いてからここまで、徒歩にバスに電車にとあれこれ乗り継ぐ中々に忙しい道程だった。

 けれどもここからはこの特急列車に乗って大阪まで約二時間、ようやく落ち着けそうだ。

 

「………………」

 

 このまま座席に座っていて、到着駅に着いたら電車を降りて、その後はもう家に帰るだけ。

 帰路に就く──急遽始まったこの旅行の行程も残り僅かとなったからか、こうして一息吐いてゆっくりと落ち着ける状況になったからなのか。

 自然と脳裏には今回の旅行で起きた色々な事が、あれやこれやが思い浮かんできて。

 

「………………」

 

 私はギュッと手を閉じた。

 握り込んだ手のひらはちょっと汗ばんでいてじっとりとしている。

 

 ──緊張、している。

 

「………………」

 

 今いるここ──福井駅から。目的地の大阪駅まで、特急列車で約二時間。

 約二時間で到着する。逆に言えば今から二時間はずっとこのままという訳で。

 では問題。この状況は──これは、果たして、ゆっくりと落ち着ける状況と呼べるのだろうか。

 

「……喉乾いた」

「あ、さっき買ったお茶ありますよ」

「ちょうだい」

 

 答えは勿論バツだ。

 こんなの落ち着けるわけがないでしょ。

 

「どうぞ姉弟子」

「ん」

 

 手渡されたお茶を一口含んで、ごくり。

 こうして小間使いをする姿から分かるように私の隣の席には八一が座っていて。

 で、それは今回の旅行中ずっとで。ずっと八一が一緒にいて。

 

 で。

 

「………………」

 

 で、なんだけども。

 

 なんか、なんかね。

 なんか、今回の旅行中に。

 なんか、告白されたの。

 こいつに。

 

「………………」

 

 わたし。

 やいちに。

 告白されたんだけど。

 

 ──こ、告白されたんだけどっ!?

 

「……お茶」

 

 緊張のせいかやけに喉が渇いてしまう。ごくごく、ぐびぐび、お茶おいしい。

 だ、だって、だってっ! なんかね!? この、今隣に座っているこの男が、こいつが!

 八一が、九頭竜八一が! 私に、私が、空銀子が、告白されたの! よ、ね!?

 

 ……うん。そう、そのはず。私の記憶が確かならばそのはず、告白されたはずだ。

 あ、勿論告白と言ってもあれだ、悪事とか罪の告白とかそういう類のじゃなくて。もっと一般的というか、一番シンプルなやつというか、一番嬉しいやつというか。

 だからあの、要するにその……あ、あぃ、愛のっ、告白、というやつだ。 

 

 ……愛の告白を、あの八一が、この私に、したの。

 ほんとにしてきたの。これね、なんと嘘じゃないの。夢じゃないの。ほんとのことなの。

 ほんとに……本当に、告白を、された。これで一体どうやって落ち着けっていうの?

 

「……あー」

「ん?」

「……うー」

「どしたの?」

「……別に」

 

 訳も無くあーとかうーとか言っちゃう、そんな私を怪訝な目で見てくる八一。

 でも、だって、こんなのしょうがない。八一が、ここにいる八一はもうなんか今までの八一じゃないっていうか。ただの八一じゃなくて、ここにいるこの私を、空銀子の事が好きな八一であるわけで。

 その衝撃的事実を私は知らされてしまった。ついでに言っちゃうと私が八一のことを好きだっていう今更な事実も知られちゃったわけで。

 

「……うぅ」

 

 なんだかずっと心が落ち着かない。指先がムズムズして、胸の奥がトクトクと鳴っている。

 じっとしていられない、訳も無く大声とか出して騒ぎたい気分。ここが電車内じゃなかったら今すぐ立ち上がって奇行に走っていたかもしれない。そんな自分を否定しきれない。

 

「……お茶」

「よく飲みますね。そんなに喉乾いてたんですか?」

「……うん」

 

 奇行に走るのは良くないのでお茶を飲もう。ごくごくぐびぐび。

 告白されたのが昨日の夜なので、既に一日経って尚この精神状態である。あの告白が私にとってどれ程の衝撃だったのか分かるでしょ?

 全てが記憶に焼き付いている。あの一時を、あの時聞いた言葉も、感じた体温も……その余韻は今も熱を帯びて私の中から離れない。てかこんなの落ち着けるわけがないでしょ!

 

 だってだってっ、告白なんて、ねぇ!? 告白って、そんな事あるの!?

 八一が私のことを好きだなんて、そんな訳が無いから私はずっと辛い思いをしてきたってのに!

 それが急に、脈絡も無く、予兆も無く、突然に愛の告白だなんて。もう訳分かんないんだけど!

 いっそあれはただの同情心だって、メンタルを崩して弱り切っていた私を元気付ける為の方便だったんだー、って白状してくれた方が私の中ではしっくりくるぐらい、それぐらいに八一が私のことを好きだったという事実は私にとって納得出来ないというか、受け入れ難い。

 

 ……あ、待って。受け入れ難いってのはウソ。これは言い過ぎた。もう受け入れているから。

 ていうかね、別に告白されたのがイヤな訳じゃないのよ? むしろそんなのすっごく嬉しいに決まってるっていうか、嬉しくて嬉しくて、ほんとにもう死んじゃうぐらい嬉しい! ……ていうのが素直な気持ちなんだけどもね?

 ただ、あの、なんかね、なんか……なんか本当に唐突過ぎて。なにがどうなってこうなったのか全然分かんなくて……ていうか私ってほんの一昨日まで絶望のどん底にいなかったっけ?

 自分の弱さに絶望して死ぬ事すら考えちゃってたはずなんだけど。それがどうしてこんなことになってるのかな? ほんとに訳が分かんない。誰か教えて。

 

「三時過ぎには大阪駅に着きそうですね」

「そうね」

「そのあとどっか寄ります?」

「んー……別に、いい」

 

 私は静かに首を振った。

 この旅行は大阪駅を終着として解散した方がお互いの為だと思う。正直言えばもうちょっと八一と一緒にいたい気持ちはあるんだけど……でも無理、まだ、まだ恥ずい。

 特に大阪はダメだ。さっきまでいた福井県は私にとって全然知らない土地だったからまだ平気だったけど、大阪は、大阪はさすがに……私や八一の顔を知る人も多くて、知り合いとかに見つかっちゃう可能性だって高いわけで。

 もしも誰かに目撃されて、私達が付き合い始めたって事を知られてしまったら大変だ。……と思ったけれども、考えてみれば大阪という地元では私と八一が一緒にいるのは特段珍しい事じゃないので、それを見られたとしてもすぐに恋人関係だってバレたりはしないかもだけど。

 

 ……というか、まぁ、あの。まだ正式には恋人関係になったわけじゃないんだけども、ね。

 だって私はまだプロ棋士になっていない。連敗したとはいえ今季の三段リーグ戦はまだ残っていて可能性が潰えた訳じゃない。そんな状況で恋愛に現を抜かすわけにはいかないので、八一から受けた告白は最後まで行われる事はなくギリギリで中断した。

 

 返事をしていないとかではなくて、八一からの告白自体がまだ途中の段階で。

 だから私達の関係はまだ差し掛け状態で。差し掛けになったから……まぁ、その。

 

「………………」

 

 ……あの、その……一応ね?

 もうすでに結果は火を見るよりも明らかというか、実質的にはほぼ終局しちゃったようなものなんだけども、それでもまだ一応差し掛けだから。

 対局が差し掛けになったらどうするか。正式な手順を踏むなら……手番で次の一手を変更しないように、気持ちが揺らがないように、ちゃんと……ふ、封じ手を、して。

 

「………………」

 

 そう、封じ手を、した。

 正式な告白は完了していないんだけど、お互いの気持ちはしっかりと通じ合えたから……ね。

 だから……形式的に言えばまだ恋人にはなっていないんだけども、実際にはごにょごにょ……というか、とにかくそういう状態だ。

 

「……ふ」

「ん?」

「……ふへへ」

「姉弟子?」

 

 ……そうなの。封じ手、したの。

 封じ手、しちゃったんだけど。どうしよう。……八一と、キス、しちゃった……♡

 しちゃったよ! わたし! 告白だけでも信じられないってのにそのまま一気にキスまでっ! 

 キス。八一とキス……♡ しかもあんなロマンチックなシチュエーションでなんて、もう♡

 

「ふへへへ♡」

 

 私、ファーストキスを済ませちゃったの。えへへ……♡

 その相手が大好きな八一で。八一に告白されて。八一と好きだって通じ合って……えへへへ♡

 なんか、もう……もう言葉にならないよ。幸せ過ぎる。昨日という日が、あの瞬間が、これまでの私の人生で一番幸せで一番素敵な時間だったって断言出来ちゃう。

 だって好きで、告白で、キスで。きすを……きしゅ……きしゅしゅしゅ……。

 

「ふへへぇ……♡」

「姉弟子? どうしたんです?」

「な、なんでもないっ!」

 

 いけないいけない、なんか口元が勝手に緩んでた。

 緊張したり胸騒ぎがしたりする一方、身体の力が抜けてふわふわな気分にもなったりする。

 今の私はちょっと変かもしれない。自分の心と身体をコントロールするのが難しい。八一からの告白なんていう超大事件があった後じゃしょうがないとは思うけど……心身を落ち着ける為にもう一度お茶をごくごく、ぐびぐび。

 

「お茶ありがと、返す」

「あ、はい」

 

 そうして私が半分近く飲み干しちゃってから返したお茶を、八一は受け取って。

 しかしそのすぐ何かに気付いた様子で、

 

「あっ」

 

 と声を詰まらせた。

 

「あー……」

「なに?」

「あ、いや。……その、このお茶、姉弟子にあげますよ」

「え? 別にいいわよ、もう十分飲んだから」

 

 何故かこちらに戻されてきたペットボトルを私はそのまま突き返す。

 

「でもほら、姉弟子が持っていた方が」

「いらないって。元々あんたが飲むために買ったんでしょ」

「そうだけど……」

 

 一体何を気にしているのか、さっきから八一は随分と歯切れの悪い口ぶり。

 その様子を私が怪しんでいると、やがて八一は恐る恐ると言った感じで。

 

「その……それ、もう口付けたからさ」

「は?」

「ペットボトル、姉弟子が口付けて飲んでたから。だから……なんか、いいのかなって」

「……そ」

 

 ……そりゃ、口は付けたけども。

 だって、お茶飲んだし。口を付けなきゃ飲めないじゃないのよ。ねぇ?

 ……え、ていうかちょっと待って? それってつまり、これじゃ間接キスになるからってこと?

 

「──は、はぁ!? あんた急に何言ってんの!? バカじゃないの!?」

「ご、ごめん! なんか、うん、今のはちょっと我ながらバカな事を言ったかも!」

 

 バカの自覚があるらしい八一はバツの悪い表情になって目を逸らした。

 ペットボトルの回し飲みによる間接キスが気になった。どうやらそういう事らしい。

 

「回し飲みなんて、そんなの別に……今に始まった事じゃないでしょ」

 

 ハッキリ言って、回し飲み程度の間接キスだったら私と八一はこれまで何度も経験している。

 なんせ子供の頃からずっと一緒にいた相手、飲み物を共有する機会なんていくらでもあった。各地の将棋道場へ道場破りに行った際、八一のお小遣いで缶ジュースを一本買って二人で飲んだりだとか、そういう経験は本当に数えきれないぐらいしてきた訳で、今更その程度の接触をいちいち気にしたりなんかしない。

 ……正直に言うと、ある程度の年齢になってから私はなんか気になるようになったんだけど。でも八一は違う、こいつは今までそんな事を気にしたりはしなかったのに。

 

「今更なんなの? 今まで気になっていたんだったらもっと早く言いなさいよね」

「別に気になってた訳じゃないって! ただ、なんか……」

「なによ」

「いや、あの……」

 

 すると八一は。先程よりも一層歯切れの悪い口ぶりで。

 その指先で、口元を軽く撫でながら。

 

「……なんか、さ。昨日の……思い出すなって、思って。それで、つい」

「……そっ」

 

 ──そりゃ、思い出しちゃうけども!!

 間接キスの話なんてされたら当然昨日のキスを思い出しちゃうけども!!

 でも今ここでそういう事を言う!? あんたからそういう話を振られたら私だって気にしちゃうし思い出しちゃうじゃないの!!

 そりゃ実際のところは思い出すまでもなくさっきまでずっとキスの事考えていたしあんなの私の脳内に焼き付いて忘れようにも忘れられないんだけども、だからって今ここでそんな事言う!?

 

「……っ、あんたね……わざわざ思い出させるんじゃないわよ。バカ」

「ごめん……」

「……ばか」

「……ごめん」

 

 これは絶対に八一が悪い。

 その自覚あるのか八一も素直に謝ってくる。

 ……もっと謝れ。ばか。

 

「………………」

「………………」

「……で、どうすんのよ、これ」

 

 このペットボトル。こうなると途端にこいつの処理というか、扱いに困ってしまう。

 どうしても意識しちゃう。八一が変な事言い出さなければポイって手渡して終わりだったのに。

 

「銀子ちゃんが飲んでいいから」

「だからいらないって」

 

 一度は返そうとしたこのペットボトルを、ここで改めて私が受け取ったら。それだと先程の指摘を気にしてそうした感じになる、間接キスになっちゃうのを躊躇って受け取ったように見えちゃうじゃないの。

 でもね、私達はつい昨日間接どころじゃない直接なキスを済ませた間柄なわけで。あの封じ手をした今、今更どうして間接キスぐらいで変に意識したり照れたりする必要があるっていうのよ。

 

 ……と思ったけども、別にそんな無理して堂々としている必要も無いのかな?

 直接のキスをした後でも間接キスを意識しちゃうのって普通のこと? それとも変? 

 ……とか、あーだこーだ考えてる時点でもう意識しちゃってるというか。あーもう、なんで私がこんな恥ずかしい事を考えなきゃいけないの。これは発端の八一が責任もって処理するべきだ!

 

「あんたが悪いんだからあんたが受け取りなさい」

「まぁ俺は別にいいんですけど……いいんですね?」

「いいもなにもさっきからずっとそう言ってんじゃないのよ」

 

 押し付けるようにペットボトルを渡す。

 すると八一は渋々受け取って自分の席のドリンクホルダーに置いた。

 

「……変な事考えないでよね」

「考えないですよ! 大体ペットボトルの回し飲み程度で……ねぇ? 小学生じゃないんだから」

「言っとくけど最初にとやかく言い出したのはあんたの方だからね」

 

 自らの発言を棚に上げての八一の言い分に呆れながらも、私には気になることがあった。

 ペットボトルの回し飲み程度。その言い分は本当にその通りで、その程度の事を気にしてとやかく言う八一というのは実に珍しい。

 珍しいっていうかもはや奇妙だ。だってさっきあいつが言っていた事ってつまり……私が口付けたペットボトルを見て昨日のキスを思い出して意識しちゃった、ってことだよね?

 

 ……あの八一が。そんなことを?

 これを奇妙と言わずして何と言う。

 

「ねぇ、八一」

「なんです?」

 

 こちらを向いたその瞳を、私はじっと見つめる。

 こうしてみる限りだと私が知る八一と変わりはない。……けど。

 

「……な、なに?」

「………………」

「姉弟子、どうしたの?」

「……別に。八一の顔が見たくなって」

「え……」

 

 八一の瞳を、じぃっと見つめる。

 するとその瞳は、次第に落ち着きを無くして揺れ動き始める。

 

「……姉弟子、近いって」

「なによ、駄目なの?」

「駄目っていうか……俺の顔なんていつでも見られるじゃん」

「いつでもって程じゃないわよ。実際ここ最近は会ってなかったし」

「そりゃ姉弟子の大事な対局が近かったから……姉弟子対局前は一人で集中したいタイプでしょう」

「それはそうだけど、あんただって私よりもあの弟子共優先で動いてるから……てちょっと、なんで目をそらすの?」

 

 その瞳がすっと逃げる。

 逃げた瞳を私が追って、するとまた逃げるを繰り返す。 

 

「いやだって、なんか近いし……」

「だから駄目なの?」

「駄目じゃないけど……つーかなにこれ!? なんの時間!? なんの意味があるの!?」

 

 私の放つ眼力に押されたのか、八一は声を荒げると共に顔ごと背けた。

 

「……照れた」

 

 照れた。八一が。あの八一が。

 あの鈍感将棋バカが。私と見つめ合っていたら照れちゃって、そっぽを向いた。

 

「照れたわね、八一」 

「あのねぇ! そんな至近距離でガン見されたら誰だって照れますって!」

 

 八一は顔を赤らめながらそんな反論をしてきたけど、しかしそれは嘘だ。私には分かる。

 あの八一が空銀子にガン見された程度で照れるはずがない。少なくとも私が知る八一なら、少し前までの八一だったらそんな事は一ミリも気にせずに、けろりとした顔で「なに? 俺の顔になんか付いてる?」とでも答えたはずだ。

 

「照れたんだ……」

「べ、別にいいじゃん照れたって! だって顔近いし! いきなりだったし!!」

 

 照れてる。どう見ても照れてる。

 あの八一が、私を見て、私をちゃんと意識していて、結果こうして照れている。

 

 ……うわぁ、うわぁ。すごい、なんかすごい。

 これってやっぱり昨日の告白の効果だよね。さっきの間接キス云々言い出した事もそうだけど、あまりに変化が凄くて……私が一番よく知っている相手のはずなのに全然知らない人になってる、みたいな。

 そりゃ好きな相手に見つめられたら照れるのは自然な反応で、おかしくなってるわけじゃないんだけど……そんな八一がここにいる事が私にとっては驚天動地、青天の霹靂なわけで。

 そっか、そっかぁ……告白するとこういうふうになるんだね。八一が……未だに信じられないけど、こいつって本当に私のことが好きなんだ……。

 

「バカ八一。これぐらいで照れないでよ」

「これぐらいって表現する程の距離じゃなかったでしょうよ……」

「大体今更意識し始めるってなんなの? ちょっと遅すぎないかしらね」

「それは……なんつーか……ノーコメントで」

 

 うー、なんか今更だけど、なんか、なんか、やっぱり落ち着かない。ムズムズする。

 八一は私が好きで、私は八一が好き。それを意識するとなんか……身体中がわなわなしちゃう。

 

 だけど、それじゃあ駄目だよね。

 だってさ、これからはこの距離感が普通になるんだから。

 お互いに好きだってことを自覚して、この感じに慣れていかなくちゃいけないんだよね。

 

 ……えへへ♡

 

「えへへ♡」

「なに?」

「ううん、なんでもない」

 

 一瞬で素に戻った私は平然と首を振った。

 いけないいけない、少し幸せに浸るだけでこんなに浮かれていたらこの先が思いやられるわね。

 

 でも……いいな。いいよね、これ。

 この……私を意識してくれる八一っていうの? これ……嬉しい。すっごく嬉しい。

 こいつってば超が付く程の鈍感で私のことなんかちっとも意識してなかったから。だから……私はこういうのをずっと経験してみたかったんだ。

 

「姉弟子、なんだか楽しそうですね」

「そりゃあね。さっきは随分と珍しいものが見られたし。あんたが私をす──、ッ!?」

「ん?」

「──ううん、なんでも?」

 

 せ、セーフ。『す──』の後を口走りそうになった寸前で言葉を飲み込んだ。

 まだ『好き』は言葉にしちゃ駄目だった。それはまだ、一応、封じ手中だからね。まだ告白を完了させていないという扱いなのだから『好き』と口にしてはいけない。

 その先は私がちゃんとプロになってから。じゃないと歯止めが効かなくなりそうだし、それぐらいは我慢しなきゃ駄目なんだけども……あぁ、でも、気になる。

 

 気になる。気になるよね。駄目だって分かっているけどやっぱり気になっちゃう。

 そもそもこいつってさ、一体いつから私のことを好きだったわけ? さっきも言ったけど八一は私のことなんか全然意識していなかったはずで、だから『好き』なんて……そういうモーションみたいなのを私はこれまでちっとも感じなかったんだけど。

 全くの脈無しだと思っていたから私だって何も期待していなかったし、だからこそ『これはもう将棋で振り向かせるしかない!』って思って躍起になっていたのに。

 

 それなのに……告白って。ねぇ?

 急にそんな事をされちゃったら私が驚いたり疑ったりしちゃうのも当然だと思わない?

 その気があるならもっと早く言って欲しかったんだけど……これって一体いつからなの?

 

 前に私のマンションで一緒に過ごした時、あの時はどうだったの? あれは半年前ぐらいだ。

 それともハワイの時は? あれは去年の十月ぐらいだけど……あの時から実はひっそりと?

 それとももっと前から? はたまた好きになったのはここ最近のことだったり?

 

 ……気になる。聞きたい。めっちゃ聞きたい。

 封じ手中という建前がある以上、自制すべきなんだろうけど……でも、聞きたいよぉ!

 

「…………(じぃ)」

「……あの」

「…………(じぃ)」

「だからさ……なんですか、姉弟子?」

 

 ──ねぇ八一。一体あんたはいつ私を好きになったのよ。正直に白状しなさい。

 という念を込めて、私は八一をじっと睨む。じっ。

 

「…………(じぃ~)」

「……言っとくけど、もう照れませんからね」

「これはさっきのとは違うもん。さっきとは違って今度は念を送ってるのよ」

「念って」

「感じるでしょう、私の念を。ビビッと来たでしょう?」

 

 びびびと念を送り続ける私。

 言葉には出せない、封じ手に封じられている以上こうするしかない。どうか伝わってほしい。

 テレパシーを習得しろなんて無茶を言うつもりはないけど。でも……だってほら、なんせ私と八一は同じ気持ちだったわけだし? ね?

 そうでしょ? そうなんでしょ? だったらさ、だったら伝わるかもしれないじゃない? てか伝わらないとおかしいと思う。天下の竜王だったらそれぐらい読み取りなさい。

 

「どう? 伝わった?」

「いや全然。てか姉弟子、言いたいことがあるなら直接言って下さいよ」

「はぁ、あんたも読みが浅いわね。直接言って済むのならわざわざ念なんか送らないでしょ? 私がこうして念を送っている意味をもっとよく考えなさい」

「んなこと言われても……俺エスパーじゃないんで……」

「……あっそ。じゃあやめる」

 

 これ以上は無駄骨になると察した私は念を送るのを終了した。

 ……まぁ、うん。さすがに念は無茶だった。なんかちょっとイタい子になりかけてたし。

 でも……ううーむ、気になるなぁ。これを聞くのはプロになるまでお預けかなぁ。それまでもやもやした想いを残しちゃうけど、これ以上を望むのはさすがに贅沢というものか。

 

「……そういや、俺もちょっと姉弟子に聞きたいことあったんすけど」

 

 とか思っていたら。

 私の送った念が混線しておかしな伝わり方をしたのかどうか、とにかく八一が口を開いて。

 

「……あの、別にこれ、言いたくないなら答えなくても全然いいんですけど」

「なに」

「その……実際のところ……昨日のあれって、どうなんすかね」

 

 昨日のあれ?

 

「は? なにが?」

「ほら、昨日のあれ。その……姉弟子って、いつぐらいからそうだったのかなー、とか思って」

「え?」

「いやだから、姉弟子ってさ、いつぐらいから俺のこと……とか、思ったり、したり?」

「………………」

 

 ……思ったり、したり? じゃあないっつの。

 ──そっちが聞くんかい! と思わずツッコみそうになった。

 

「あ、あんたがそれを聞くわけ!?」

 

 ツッコんじゃった。

 だってこいつ、ついさっき私が送った念と同じこと聞いてくるんだもん!

 

「いやだって……気になるじゃん……」

「そりゃそうでしょうけど、だからって──」

 

 ──私だって気になるけど我慢しようとしてたのに! って言おうとしたけどふと思った。

 考えてみれば昨日の一件、あれは八一主導の告白だった。いくら私が内心ずっと八一のことを好きだ好きだと想っていたとはいえ、実際に告白してきたのは八一の方からになったわけで。

 形式上は八一がその気持ちを打ち明けて、私がそれに返事をした形。となれば告白して想いを伝えた側の立場としては、相手の気持ちがいつからあったのか気になるのは当然なのかもしれない。

 

「ほら、前に姉弟子からあんたのことなんて大嫌いだーとか散々言われてたからさ。それもあってなんか……結果的に今こうなったけど、実際はどうなんかなーって、気になっちゃって」

「え? 大嫌いなんて言ったっけ?」

「言ったよ。今年の一月ぐらいにさ、姉弟子に桜ノ宮に連れていかれて……その時に」

「あぁ、あの時か。ていうか桜ノ宮に連れていかれたとか言わないでよね。人聞き悪い」

「いや事実じゃん!」

 

 八一が声を荒げる。うるさい。

 桜ノ宮というのは大阪駅からすぐ近くの距離にある関西でも有数のホテル街だ。それも単なるビジネスホテルとかではなくて、要するに……宿泊ではなく、ちょっと休憩するホテルが多い所。

 で、今年の初め頃そこに八一と一緒に入った。なつかしいな。あの時は八一があまりに鈍感バカ過ぎて頭にきたので大嫌いと連呼した覚えがある。

 

「今だから言うけど……あの時に姉弟子から『大嫌い』って言われたの俺結構ショックでさ……でも、結局あれは嘘だったってことなんだよね?」

「ううん、嘘じゃないけど。あの時はちゃんと大嫌いだったから」

「えぇー……」

 

 八一が悲しそうな顔になる。

 

「……だ、大嫌い?」

「うん。あの時はね」

「じゃ、じゃああの時は俺のこと大嫌いだったけど、そこから今日まででこう……ぐわーっと一気に好感度を稼いだからこうなったってこと?」

「ううん、それも違うけど。ていうかね、そんな単純な話じゃないの。いつからどうとかあの時この時どうだったとか好感度とか、そんな簡単に一言二言で言い表せるものじゃないのよ」

 

 呆れた私はふぅ、と嘆息してやった。やーれやれ。

 全く、八一もまだまだお子ちゃまね。恋心なんて複雑怪奇なものを日にち区切りで理解しようとするだなんて経験の浅い証拠だ。好感度とかそんなゲームじゃないんだから。

 とはいえ実際のところは意外と簡単で『子供の頃からずっと好きだった』の一言で言い表せるんだけど、まぁいいや。

 

「ちなみに。それってあんたはどうなのよ」

「俺?」

「そう。あんたは……ほら、いつぐらいから、私のこと……どうだったのよ」

「それ、は……まぁ、そうっすね……うん、確かに姉弟子の言う通り、そんな簡単に言い表せるもんじゃないですね」

「ちょっと、人の言い分をパクらないでよ」

「いやでも実際そうなんですって! いつからってのは……なんか、ちょっと難しくて」

 

 照れ笑いのような表情で言葉を濁す八一。ぬぬぅ、弟弟子のくせに生意気な。

 難しく考えずに『子供の頃からずっと好きだったよ』って言ってくれるだけでいいのに。けち。

 

「ま、まぁ過去のことはいいじゃないですか。今更言っても仕方ない話ですし」

「……そうね。ていうかこれもあんたから言い出したことなんだけど」

 

 あの時どうだったの? とか、この時はどうだった? とか。そういうことが気になっちゃうのは私達の関係性の長さ故ってのがある。

 私達は一般的なカップルと比較したら段違いってぐらいに一緒にいた時間が長いからね、その分お互い過去の時々で気になることが多いってのはしょうがないことだと思う。

 とはいえ今更言っても仕方ないってのは私も同意だ。結局過去がどうであろうとも、肝心な今がこうなっているのだからこれ以上望むべくもない。結果が全てってやつよね。

 更に言っちゃえば。過去よりも今よりも、より大事なのはもっと先の事かもしれないし。

 

「………………」

 

 ……そう、そうなんだよね。ほんとに。

 昨日の告白があってから色々考えてたんだけど……この先のことが重要なんだよね。

 

 これまでのことを気にするよりも。これから先に目を向けることの方が遥かに重要なわけで。

 これから……どうしよう、私。八一とちゃんとお付き合い……出来るのかな?

 

「……うーん」

「姉弟子?」

 

 そう、お付き合いだ。恋人になってお付き合いをするのよね、これからは。

 しかし何を隠そう私空銀子はつい昨日初めて彼氏が出来た身、恋愛経験など皆無に等しい。

 よってここから先はもう未知数、有効な指し手が一つも分からない。まぁこれまでも有効な指し手なんて全然分からなかったっちゃ分からなかったんだけど、それは置いといて。

 とにかく……この事実は無視出来ない。これからは八一とお付き合いをするのだ、姉と弟という関係から恋人という関係に進んだ今、ここからはより一層慎重な指し手が求められるだろう。

 

「……ううーむ」

「姉弟子、どうしたの?」

 

 ……ハッキリ言ってあんまり自信無い。

 ここから私はどう動けばいいのか、攻めればいいのか守ればいいのか。

 飛車を振ればいいのか、角を交換すればいいのか、まるで定跡が分からない。誰か次の一手を教えて、アドバイスちょうだい、いっそ研究会とか開いてほしい。

 しかし残念なことに私の周囲には私に負けず劣らずの恋愛弱者共しか存在していない為、参考になる話なんか聞けそうにない。研究会なんて以ての外だろう。

 だって将棋指しだもん。私も含めて、ずっと将棋ばっかやってきた連中に恋愛のいろはなんて分かるはずがないよね。

 

 そして……勿論ながらこれは私だけではなくて。

 私と同じように、物心ついた時からずっと将棋指しだった八一だって同様だ。

 

「ね。そうだよね」

「え? なにが?」

「そうよね? 八一」

「え、ええっと……はい」

 

 ほらね。こいつだって恋愛経験値では私と同等なのよ。じゃなきゃ許さないしー。

 まぁそれでも一応は年上な分ね? そこはちゃんとリードして欲しいなーとか思いますけども?

 けどね、私は九頭竜八一っていう男を知り尽くしているからね。将棋以外の事について八一に過度な期待を抱くのはよくない。決して過信せず慢心せず、私の方でも備えておく事が重要だ。

 

「ふふん、あんたの事なんてお見通しなんだからね」

「え、なにいきなり、なんか怖いんだけど」

 

 まずデートは? 恋人っていったらデートだよね。でもデートってどうすればいいの?

 デートって要するに二人でお出掛けすることだよね。八一と二人で出掛けた経験ならこれまで幾度とあるけど、あれをデートって呼ぶのはなんか違う気がする。

 一番デートっぽかったのは……ハワイの街を二人で歩いたあの時かな? でもあの時だって……あの時は竜王戦第一局の真っ只中だったから、八一の頭の中はきっと翌日の対局の事で一杯だったはず。デートっぽいなと感じていたのは私だけかもしれない。

 

 となれば。こうして恋人になった事だし、お互いが意識した正式なデートをしてみたい。

 でもさ、デートプランとかを考えるのって基本的に男性側だよね? だったら八一に任せておけばいいのかな? 女性側は当日着ていく服装とか身だしなみとかに気を配っていればいいの?

 でも八一だよ? 超将棋バカのこいつにデートプランとか任せちゃって大丈夫? やっぱり私が考えた方がいいかな、そうすれば少なくとも無難で安定感のあるデートには仕上がると思う。

 

「無難、安定……別に悪いことじゃないわよね?」

「そりゃまぁそうなんじゃないっすか?」

「そうよね。特に最初なんだし」

 

 うん、安定を取るならそっちだ。

 けれども……ほら、なんかデートプランとかそういうのってさ、男の人の……見栄? っていうか……沽券? みたいな部分に触る要素だったりするのかな。

 ほら、初デートなのに女性にリードされては男が廃る、みたいな話。特に私は姉弟子とはいえ年下だし、八一がそういうことを気にするっていうなら私としては全部信頼して任せちゃってもいいんだけど──

 

「……任せてもいい?」

「え?」

「任せるからね」

「あ、はい。え、なにを?」

 

 そうね、ここは八一に任せてみよう。

 やっぱりこういうのは弟弟子の役目だよね。ちゃんと姉弟子様を満足させるデートプランを考えておきなさいよね! って言いながら八一のおでこをツンってつっつきたい。しないけど。

 とにかく弟弟子の役目はそっち。一方私は姉弟子として、たとえ八一がどんな酷いデートプランを用意してこようとも笑顔で受け入れてあげる、そういう寛容の心を私は持っているからね。役割分担はこれで正しいのよ。

 

 ……それにさ。たとえその内容がダメダメだったとしても……それはそれで。

 だってほら、八一が私を楽しませる為に、私の事を想ってデートプランを考えてきてくれる、っていう……それだけでもう嬉しいじゃない? 嬉しいよね。そういうの経験してみたいの。

 

「ふふっ……いい、いいね」

「なに?」

「もう、八一のくせに生意気なんだから」

「え、なんで?」

 

 あ、どうしよう、なんか考え始めたらワクワクしてきた。

 八一は私をどんなところに連れていってくれるのかな。初デートの定番といったら映画館とかかな? あるいは遊園地とか……水族館とかもいいかもね。

 ただ私はこの目立つ外見もあって人混みの多いところは好きじゃないし、直射日光が当たる所も苦手。それは八一も知っているからそういう所は外してくるかもって読むと……屋内で混雑しない場所。そうね、静かなカフェでランチとかもいいな。

 私は体力も無いし活動的な人間じゃないからね、あんまり詰め込み過ぎなデートプランは合わないかな。昼過ぎからカフェで八一とゆったり過ごして。そのあとちょっと街をぶらついて。疲れたらまたちょっと休憩して、って感じで、派手さは無くとも穏やかに過ごせるデートがいいな……。

 

 ……って、休憩?

 

「休憩……」

 

 ……疲れたら、休憩、する。

 ──ということは?

 

「休憩……」

「休憩?」

「きゅうけい……」

「したいの? 疲れたなら眠っていいよ。大阪着く頃には起こしてあげるからさ」

 

 ……休憩。

 休憩──は、どうする?

 

「……は、はわわ」

 

 休憩。そうだ、休憩はどうしよう。

 ど、どうしよう。休憩、休憩もあるんだ。その可能性を考慮してなかったっ!

 ど、ど、どうしよう。八一を信頼して任せた結果のデートプランが初手ホテルで休憩とかだったらどうしよう!?

 

「はわわわ……!」

「はわわ?」

 

 さ、さすがにあり得ないかな!? 初手ホテル休憩はさすがにあり得ない一手だよね? 

 で、でも八一だ。八一に過度な期待は厳禁だって言ったばかりじゃないの。事前研究は万全にすべし、あり得ない可能性だって十分起こるべきと見た方がいいだろう。

 もし仮に初デートの初手がホテルで休憩だった場合、それは……それでも私は寛容の心で受け入れてあげなきゃいけない? それとも一発ビンタかましてもいい? さすがにいいよね? さすがにそれはビンタだよね?

 

 で、でも待って、初デートでビンタなんかかましたら全部台無しになっちゃうよ……。

 それに……たとえそんな初手だったとしても、それでも。それでも八一が私を想って考えてくれた結果のデートプランだとしたら……うれしい。

 う、うれしい……か? どうだろうか、私は今自分に嘘を吐いてはいないだろうか。てか私を想って考えた末が初手ホテル休憩とかどないなってんねんコラとツッコみたくなってしまう所だ。これを手放しに喜べというのはさすがにハードルが高過ぎるような……。

 

 ──って、あ。……違う、待った。

 読めた。これはそもそも考え方が違う、見方が違うんだ。

 だから、もしかしてこれは──!

 

「──そういうことなの!?」

「え、なにが!?」

「そういうことなのね……」

「ねぇ姉弟子、さっきからどうしたんすか?」

 

 初めてのデートで、初手ホテル休憩という暴挙としか思えないような一手。

 それはつまり……それは。私とホテルで休憩したいっていう、八一の欲望の表れに他ならない。

 

 ……そっか。そうだよね。その可能性だって考慮しなくちゃね。

 八一としても初めて恋人が出来たんだから。だったらそういう事だって考えちゃうよね、自分の気持ちが強く出過ぎちゃったとしても責められないよね。

 初デートの初手で──というのはあまりにもがっつき過ぎだと思うけど、一方でそれは経験不足で定跡を知らないが故に指してしまった暴発の一手と見る事も出来る。

 

 ……ていうか。さ。

 ……あの。やっぱり……そういうことも、するんだよ……ね。

 こ、こいびと、だもんね。そりゃ、え、えっち、とかも、するんだよね……。

 

 ……は、はわわわ、や、八一と……!

 や、やいちと、やいちと、えっち……えっち……!

 どうしよう、そんなこと、かんがえられないよぉ! あたまが、あたまがあつくなる……!

 

「……きゅう」

「きゅう?」

 

 ……わかんない。わたしは、まだ、わかんない……けど。

 でも、やいちは……そういうこと、考えてるのかな。わたしと……したいのかな。

 

「……ねぇ、したいの?」

「え?」

「したくない?」

「えっと、なにが?」

「どっちなの、ハッキリ答えて」

「え、はい、じゃあしたいっす。いやでもだから、なにを?」

 

 ひゃ、ひゃわわわわっ! や、やっぱりしたいんだっ! 八一のすけべ……! 

 ……で、でも、そうだよね……八一だって、……男の子、だもんね。

 し、したいんだよね。わたしと……えっちな、こと、を。を、をををを……!

 ……うぅ、ばか。ばかやいちぃ……。

 

「……ばか」

「はぁ」

「ばか。ばかばか。ばかやいち!」

「えっと、なぜに?」

「……ふんっ、自分の胸に聞いてみなさい」

 

 もう! ほんっとーにおバカなんだから!

 そもそもねぇ、初デートの初手でホテル休憩なんていくらなんでもがっつき過ぎ!!

 八一のすけべ! えっち! 八一がこんなえっちになってたなんてお姉ちゃん悲しい!!

 

「……でも、いいわ。そっちがその気ならね、こっちも覚悟は決めたから」

「へ?」

「いつでも掛かってきなさいってこと。あんた相手に逃げの一手なんか絶対にしないから」

「はぁ……」

 

 そ、そうだ。いつまでも慌ててなんかいられない。私も覚悟を決めないと。

 えっちなことは……そりゃあね、いずれは……あるし。恋人になった以上、遅かれ早かれ直面する事態な訳で……いざって時に心の準備がどうとかこうとか情けない事は言いたくない。

 たとえ八一が初デートの初手で暴挙に走ったとて、それでも迎え撃つ準備はしておかないと。

 

 だから、えっと。まずは、えっと、準備、しないとね。……あれ、準備って、なんだろ。

 ええっと。え、えっちなことをする時は……あ、下着、今使ってるのよりももっと、もっと大人っぽい下着を買いにいかなくちゃ。

 あとは、な、なにを、どうすれば。からだを、磨く? あ、エステ? エステに通う? それともヨガ? ヨガを始める?

 他には、えっと……あ、あれのあれをちゃんと確認して。それで危ない時には、あの……ゴムのやつ……は、八一に任せたらどうせ忘れそうだから私の方でも一応持っておくとして。

 あとは……場所、は……ホテルの、予約状況を確認しとく? のは、さすがに早すぎるかな?

 

 ……な、なんか、色々やることあって。いろいろ……は、はずかしい。

 

「……ふぅ、明日から忙しくなりそうね」

「そうなの? でも姉弟子次のリーグ戦まで女流の試合は無いし仕事だって入れてないんじゃ?」

「それでも色々やることがあるのよ。あんただってちゃんと準備しておきなさいよね」

「そりゃ勿論。つっても俺はまだ帝位戦まで少し日にちがありますからね、スケジュール的には余裕ですよ」

「ふんっ、気楽なもんね。こっちはエステにヨガまで始めなきゃならないってのに」

「姉弟子そんなこと始めるの!?」

 

 何をビックリしているんだか。ていうかねぇ誰のためだと思ってんのよっ!

 どれもこれもみーんな八一のせい、いつの間にか八一がとってもえっちな男になっちゃっていたから必要に迫られた準備だってのに。

 まったく、姉弟子にこんな手間を掛けさせるだなんていい度胸してるわよねこのエロ弟弟子は。

 

「でも……これじゃ不公平よね。あんたも少しぐらいなんかしなさいよ」

「なんかって?」

「そりゃあ……ほら、男の人は……身体を鍛える? とか、運動したり、とか?」

「運動? をするにしてはまだちょっと暑いような気がするけど……でもそうだなー、棋士なんて年がら年中運動不足みたいなもんですしちょっとは運動しとかないと……」

「そうそう。ちょっとは体力付けないと」

 

 ……そういえば、八一ってその辺はどうなんだろう。ほら、身体とか、身体とか。

 一見して分かる限り太ってはいないし痩せ型なのは間違いないけど、一方であまり筋肉があるようにも見えない。そりゃ棋士なんだから身体をムキムキにする必要も無いので当然と言えば当然だけど。

 でも実は脱いだら凄いって線も……いやぁ、ないかな? 至って普通の中肉中背ってやつ? 私は筋肉フェチとかじゃないし、右手さえ綺麗なら他は別にって感じなんだけど……でも、八一のお腹が弛んでいたらちょっとやだな。

 ……うん、お腹ぷにぷにはヤダ。そりゃムキムキになれとは言わないけどさぁ、でもまだ十代で若いんだしそこは頑張ってほしい。師匠のような中年太りをするのには早過ぎる、八一のお腹が出てきたら私がちゃんと注意してあげないと。

 

「……あんた、お腹はどうなの?」

「おなか? いや別に平気ですけど。さっき電車乗る前に昼飯食べたじゃないですか」

「……ふーん、そうやってはぐらかす所を見るとあやしいわね」

「はぐらかすってなに!?」

 

 どうやら八一はすっとぼけるつもりらしい。あやしいわね……さてはこいつ……。

 ふんっ、まぁいいわ。その時になったら直接触って確認してやるんだから。

 

「……んっ」

「ん?」

 

 ──その時になったら、って。

 ……その時のことを、考えちゃった。

 思わずせき込む、振りをする私。

 

「……ん、んぅ」

「姉弟子?」

 

 ……その時がきたら、直接、触る。触るんだよね……うん。

 私が触られるだけじゃなくて、私も八一の身体を触る。触ってもいい状況……なんだよね。

 

 う、うー……、あー、うー、そ、そうね、八一の身体かぁ。

 ま、まぁ……別にそんな、大して新鮮味は無いけどねー八一の身体なんかさー。でも私だけが一方的に触られるってのも癪だし、お返しに触ることだってあるわよね、うん。

 そうね、触りたいか触りたくないかで言えば……まぁ、触りたい、かな? うん、そりゃちょっとは興味ある。ていうか姉弟子として、弟弟子がどれぐらい成長したのか確認しておかないとね。

 そう、八一の……はだ、はだか、を。でも裸ってことはつまり全部見えちゃうわけで。全部ってことはつまり八一の大事な部分まで──って。

 

「ち、違うわよバカ!! なに変な言ってんの!!」

「えぇ!? 何も言ってないですけど!?」

「わ、私はもっと、その、胸板とか、右手とか、そういうところを言ってんの!! どさくさに紛れて変なとこ触らせないでよねバカバカ!!」

「だから何も言ってないですって!!」

 

 あぁもう焦ったぁ! 焦ったじゃないのまったくもうっ!!

 違うの。違うからね。八一のあれを触りたいって言ってるんじゃないのよ。そうじゃないの。

 私が触りたいって思ってるのはもっとこう……なんていうか、愛情的な意味で、というか。八一の身体に触れて……八一の存在を確認したい、愛情を確認したい、というか。

 そういう意味で、八一に触りたい……みたいな。そういう純真な気持ちのことを言ってるの。分かる?

 

「そう、そういうことなのよね。触って確かめられることってあるじゃない?」

「触る? なにを?」

「だから右手とか。重要でしょ?」

「右手……あぁ、それは……うん、その通りですね。それは重要」

 

 ほら、八一もうんうんって頷いてるし。

 だからね、触ってみたいなって思うの。八一の身体を。八一を……感じてみたい。

 この感じるってのも別に変な意味じゃないからね。そのままの意味で、八一に触れた感触を感じてみたいなって言ってるの。

 

(……八一に触れた感触、か)

 

 そんなの……そんなの昔は当たり前だったんだよね。

 昔はしょっちゅう八一と手を繋いでいたから、常に八一の存在を感じていた。

 そんなものを感じてみたいなって思う必要すらないものだったんだけど、そこにあった当たり前はいつの間にか失われていて。

 

(……でも。取り戻したんだ)

 

 うん、そうなる。なんていうか、結局私はそれを取り戻したかったのかもしれない。

 八一と恋人になったんだから、今なら……昔みたいに、それが、ここに。

 八一に触りたい、とか思わなくても当たり前に触れ合っていたあの頃のように。

 

 たとえば──今、この瞬間にも。

 

「………………」

 

 って口に出したわけじゃなかったから、単なる偶然なんだろうけど。

 

「あ……」

 

 ごそりと隣で動く気配がした。

 その時にはもう、八一の手が私の手を捉えていた。

 

「……っ」

 

 特に意識せず、肘掛けの上になんとなく置いていたから捕まえやすかったのか。

 すでにあった私の手の上に、八一の手が重なった。一つになった。

 

 ……ちょっと、なんなの。

 急にこんなの、ビックリするじゃないの。

 

「……なに」

「いや、別に」

「別にって……あんたね」

 

 ドキドキする。ドキドキしちゃうし。

 なにこいつ。急に手を重ねてきておいて、別に、じゃないでしょっつーの。

 

「そもそも……これ、封じ手は? 一応こういうのって……まだなんじゃないの?」

「それとは関係ないでしょ。これは別に……そんな大層なもんじゃないし」

「それ、は……まぁ、そうかもね」

 

 懐かしいようなドキドキするような感触、それを確かめながら小さく頷く。

 八一の言う通り、これはそんな大層なものじゃない。八一と手を繋ぐなんて子供の時から幾度となくしてきた行為、些細なスキンシップの一つ。わざわざ封じ手の開封を待つまでも無い行為だ。

 

「でも突然……突然なによ」

「いやぁ……なんとなく」

「なんとなくぅ?」

「うん、なんとなく」

 

 なんとなくですけど? 

 つーかなに? 手ぐらい重ねて文句あんの? とでも言いたげな態度の八一。

 

「なんとなーくだけど、銀子ちゃんがこうして欲しいって思ってる気がした」

「はぁ? ちょっと勝手に私を理由にしないでくれない?」

「まぁいいじゃんかこのぐらい、さっきも言ったけどそんな大層なもんじゃないっしょ」

「……あっそ、なら別にいいけど。でもね、そんな大層なもんじゃないって言うならこれまでも気にせずしてきたって良かったはずなんですけどね」

 

 私が指摘すると八一は「うっ」と喉を詰まらせる。

 

「そ、それは……」

「大層なもんじゃないのにどうしてこれまでは全然してくれなかったのかしら。不思議ねぇ」

「いやだって……それは……」

「気が利かないわよね、あんたって」

「……スンマセン」

 

 まぁ別に? こういうことして欲しかったってわけじゃないですけど?

 でもしたっていいわよね? そんな大層なことじゃないなら日常的にしたって平気よね?

 そんな意を込めて八一を軽く見つめると、八一も同じような事を考えたようで。

 

「じゃあ……姉弟子、これからはちゃんとします」

「ん……」

 

 これから。これからは……八一と手を繋げる。

 ずっと一緒だった幼い頃のように。随分遠回りしてこの関係に戻って来た。

 戻って来て、ここから。この先へと進んでいく。

 

「……でも八一、やっぱりこれ……こういうとこであんまりするのも……」

「え?」

「ほら、TPOってのもあるし、恥ずかしいっちゃ恥ずかしいっていうか……」

「えぇ? この程度のことで恥ずかしがっちゃうんですか? 姉弟子って初心だなぁ」

 

 ……なんだとぉ?

 

「……言ったわね。ならいいわよ、大阪駅で解散しようと思ってたけど予定変更」

「えっ」

「このまま仲良くおてて繋いだまま福島まで行ってやろうじゃないの」

「てちょっと、将棋会館まで行くんですか……!?」

「もちろん。この程度は平気なんでしょ?」

 

 絶対に冷やかされるってか騒ぎになりますよ!? と怖気づく八一を横目に。

 いいじゃない見せつけてやろうじゃないの、と私は少し熱くなった顔で笑うのだった。

 

 

 

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