アイン・ルインはTS転生者だ。生まれは太陽系外圏に属するアステロイドベルトである。アステロイドベルトの特産品は鉱物資源であり、人類の採掘能力が限定的であった宇宙世紀初頭には逼迫する建設需要を満たす重要な場所だった。
しかしそれは過去の話である。月面からでも希少鉱物資源を採掘できるようになったUC0070年代。アステロイドベルトは主要産業を失った治安の悪い辺境でしかない。
アインの両親も多くのアステロイドベルトに暮らす人間の例に漏れず、社会の最底辺だった。母親は娼婦であり、父はブルーカラーの労働者。彼らに将来を計算できる能力はなく、五才になったアインを捨て、二人は蒸発した。
残されたアインは、施設で暮らしたが彼女は14の歳に娼館に売られそうになった。形骸化した前世の残滓が、アインの性的志向に影響したのかは不明だが、彼女は異性に恋愛感情を持ったことが無かった。そして、身体を売ることを完膚なきまで拒否したのだ。
アインは、自身の尊厳を守るために広報官であった老軍人の情を利用し軍に入った。老准尉に泣き落としだったり、縋り付いたりいろいろしたのだ。老准尉は良識を持ち合わせていたが、ノルマに追われていた。彼は、年齢を誤魔化していたアインにまんまと入隊許可証を与えてしまった。
転生者であるアインはジオン軍が起こす大虐殺を知識として知ってはいたが、今はまだ自分がその一部になった認識を持っていなかった。
彼女は、未来を想像できる余裕がある環境には居なかったのだ。ただ、自分の身体を売らなくて、ご飯が食べられて、安全な寝床が欲しい。マズローの欲求段階説でいえば、一番低度な欲求である安全欲求を満たすことしか、この不運なTS転生者は考えられなかった。
ジオン軍は徴兵をいきなり現場には投げ込まない。当たり前だが配属前に教育隊や必要があれば学校を挟む。その教育隊の一つにアインはいた。アインは最底辺の教育レベルであったアステロイドベルトの学校に通っており、前世の知識もあってか汚い字を書くことが出来るし、四則演算も出来るのだ。
教育隊では、行進訓練や走り込みや、基礎的な銃の撃ち方などを習う。アインはこのハードな訓練をそれなりに楽しんでいた。アステロイド育ちの野生児で体力が高いアインは、教育隊で優秀とみなされていた。
「ふへへ。転生チートじゃん」
アインは、興味本位で受けた空間認識能力計測シミュレーターの結果を見てそう呟く。シミュレーターは進路選択の機材として偶然にも用意されていたものだった。
「ふへへへ。私は
親ガチャを大爆死したアインは、案外ポジティブだった。というより一回死んで転生したせいで頭のねじが数本外れているだけかもしれない。
軍の適性試験から、彼女は航空学生になることを決めた。テストは案外簡単で、彼女は見事に航空学生になることが出来た。この時期のジオン軍は軍拡の真っ最中で、優秀な人材を
航空学校というからには戦闘機でのシミュレーションもあったりする。もっともそれはお遊び程度のものだが。しかし、このシミュレーターで同期に圧倒的な差をつけたアインは鼻の穴を膨らませていた。彼女は天狗になっていたのだ。
「また私、何かやっちゃいました?」
「あーうん。ルイン候補生。君、パイロットの素質有るよ。成績はイマイチだが熱心に質問する。性格は臆病と言っていいほど慎重だし、言われたことが出来る。それに目も悪くない。」
「ありがとうございます」
「君はアステロイド出身か。面倒な中央は難しそうだな。惜しいね。いい赴任先を知っている。君さえよければ紹介しよう」
「やったー」
アインはこの中年教官が宇宙戦闘機ガトルに乗っていたと聞いた時から、彼に接近していた。理由はもちろん出世とコネのためだ。中年教官は新兵器に関わっているという自慢をよくしていた。アインは原作知識でそれをザクのことだと見抜いていた。
ザクに乗れば出世が出来る。それにロボットに乗るのは男の夢だ。アインはTS少女なのだが、その心中はステレオタイプな乙女ではなかった。
「私、すごいですよね?」
「君のスコアは中々なものだ。天才と言っていいのかもしれない。私も現場では君のような天才を見たことが有る。かつての同僚なんだ」
「とある小隊指揮官が嫌な予感がするといって飛行ルートを変更したことがあってね。私は飛行ルートを変更することに反対したんだ。けれど、他の小隊長はそのA小隊長の意見を支持した。私は意固地になってAの意見を無視し、小隊を通常の飛行ルートで飛ばした」
「何が起こったと思う? 限定的な磁気嵐に襲われたんだ。機器が狂い方角が分からなくなった。暗黒の宇宙で目標物など存在しない。結果は遭難だよ。僚機は闇雲に飛び回って行方不明。私は推進剤の消耗を避けるためにエンジンを停止した。来るはずのない助けを待ったんだ」
「結果。Aが来た。どうしてここが分かったんだって聞くと。Aは勘だと答えた。結局助かったのは私だけで部下は殉職した。苦い思い出だ。私が見た天才とはAではなくて、殉職した部下のことだよ。シミュレーターのスコアはずば抜けていた。だが、経験不足だった。結果殉職した」
「私が君に言いたいのは驕るなということだ。君は天才だが、結局は経験と運がモノを言う。その才能を大事にしたまえ」
真面目な表情を崩した教官がアインの肩を叩いた。アインは、引き攣った笑みを浮かべた。飄々とした教官だが、締めるときは締めるらしい。
アインは調子に乗るのもほどほどにしようと考えた。
余談だが共和国軍航空学校は唐揚げが名物だったりする。空と唐を掛けているのだろうとはアインの推測だ。アインの説が正しいかどうかは不明だ。なにしろアインには親しい友人がいない。
アインは個人主義者で、他人をあんまり信用しない気質だったりする。同室のルームメイトのリンとも距離は微妙に遠い。決して仲が悪いというわけではないのだが、親友というわけではないのだ。これは、成育環境だったり、気質だったりが原因なのかもしれない。
航空学校での教育を修了し、アイン・ルインは正式な軍人になった。階級は軍曹である。ちなみに成績は上の中だった。
「アイン・ルイン伍長。辞令だ。受け取り給え」
「謹んで拝命します」
儀礼めいたやり取りを経て、アインが受け取った辞令には、宇宙攻撃軍第794中隊配属との文字があった。アインには配属先がどんな部署であるか、さっぱり分からなかった。
「教官殿、これはどのような人事なのでしょうか?」
アインは件の教官に、配属先の情報を求めた。
「配属してのお楽しみだ」
アインは感情がよく表情に出る。
「あー。そう不安そうな顔をするな。上官は多分ガデム大尉になる。私もあの人は知っている。人格者だ。心配することはない」
アインは朧気ながら原作知識というものを持っている。ガデムという名を聞いて、ぼんやりと知っているような知らないような気分になった。
「なんだその表情は」
鳩が豆鉄砲を喰らったような、もとい宇宙猫のような表情をアインは浮かべていた。くすんだブロンドのそれなりに顔立ちが整った少女が浮かべるには、あまり似つかわしくない表情だった。
ポニーテールを振り回し、アインは航空学校を後にした。