Pと青羽とアイドルと   作:パンド

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未来は知らなくて静香は知っている、そういう風潮、あると思います


『あのね静香ちゃん──ヒニンってどういう意味なの?』

 

 

 プロデューサーは追跡していた。

 ターゲットの移動した痕跡を探してシアター内を歩き回り、その足取りを掴んで今度はシアターの外にある生垣までやって来た。

 彼の読みに間違いがなければ、ターゲットはこの辺りにいるはずで。

 

(おっ、いたいた……やっぱりここか)

 

 幸先がいい。

 もう少し探し回る覚悟はしていたプロデューサーだったが、無事にターゲットの目視に成功。

 ここまで来てうっかり見つかることのないよう息を潜める。

 手に持った網の射程範囲をもう一度頭に思い浮かべ、狙いを定めるプロデューサー。

 一歩、また一歩と距離を縮めて、そして。

 

(3、2、1──今だっ!!)

 

「シャーーーーっ!!!!」

「あだだだだっ!!」

 

 プロデューサーの振った網は空を切り、ターゲット──もとい子猫の逆襲に遭うのであった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

「──と、まぁそんなわけで失敗したんだ」

「ふふっ、それは大変でしたね……はい、消毒終わり。絆創膏貼りますね」

「あぁ、ありがとう風花。悪いなわざわざ」

「気にしないでください、こぶんちゃんのこと、手伝いに行けなくて申し訳なく思っていたんです……言い出しっぺは私なのに」

 

 シアター組トップクラスのスタイルの持ち主──豊川風花はそう言って、プロデューサーの顔にできた引っ掻き傷へ絆創膏を貼っていく。

 

「でも正直、風花が言ってくれなかったら誰も気がつかなかったろうしな、それだけでも十分だ」

「もう、プロデューサーさん。ダメですよ〜、もうちょっと私達を頼ってくれないと」

「……そうかもな、次は誰かに手伝ってもらうとするよ」

 

 にしても。と、プロデューサーはため息を吐き。

 

「こぶんもいつの間にか成長していたんだなぁ……避妊手術なんて、考えてもいなかった」

 

 そう、避妊手術である。

 なお今回手術を受けるのは、元気と探検欲に定評のある小学生アイドル──大神環が拾ってきた、子猫の『こぶん』だ。

 飼い主は環だが、監督者はプロデューサーであり、この場合手術を受けさせる義務は彼に発生する。

 そういう事情があったので、彼は網を片手にこぶん捕獲作戦を実行していたのだった。

 

「飼い猫さんはだいたい生後6〜8ヶ月で手術を受けますから、タイミング的には少し遅いくらいなんですけどね」

「へぇ、それもやっぱり理由があるのか?」

「最初の発情期がその時期に来るんですよ、なのでその前に行うのが通例なんです」

「なるほど……なら、やっぱり早めに捕まえないとだな」

 

 確かこぶんは、もうそろそろ1歳になるはずだ。拾われてきた際に診てくれた獣医師が出した年齢から計算すると、少なくとも10ヶ月は過ぎている。

 問題は、プロデューサーがあまりこぶんに──というより、動物全般に好かれにくい体質であることだ。

 

「環がいてくれたら話は早かったんだが」

「帰省中ですもんね、環ちゃん。香川でしたっけ?」

「あぁ、お祖母さんの家に行ってくるそうだ。帰りは手術の翌日だったかな」

 

 なので飼い主の助力は願えず、自分でどうにかするしかないのである。

 他にも数名、こぶんを確実に捕まえられれであろうアイドルに心当たりはあるものの、こういう日に限って揃いに揃ってオフなのだ。

 病院には今週末、つまり4日後に連れていく手筈なので、手術前の絶食時間を加味すると今日明日で捕まえたいというのが風花の弁だった。

 

「でも避妊手術のこと、環ちゃんにはどう説明するか迷っちゃいますね……」

「それとなく(ぼか)すさ、それよりも次は成功させないとだ。また失敗したとなると、時間的にも流石に不味い」

「私も、レッスンが終わったら手伝います。ダメとは言わないでくださいね?」

 

 念を押すように言われたプロデューサーは、肩をすくめると。

 

「……分かったよ、よろしく頼む」

「はいっ、よろしく頼まれました♪」

 

 風花はレッスンに向かい、プロデューサーは捕獲作戦第2弾の前に事務仕事を全て片付けようと、ウィンドウを立ち上げた。

 すると、そんなプロデューサーの前に、シアター組のセンターを務める少女──春日未来が廊下から顔を覗かせた。

 未来はプロデューサーへ近寄ると、いつものように元気な声で話しかける。

 

「ねぇねぇプロデューサーさん、さっき風花さんと話してたことなんですけど──」

「ん? あぁ、未来か。悪い、今少し立て込んでて……急ぎの話か?」

「うーん、急ぎじゃないんですけど。プロデューサーさんが忙しいなら静香ちゃんに聞こうかな……? お疲れさまですプロデューサーさん!!」

「あっ、おい未来。行ってしまった……」

 

 そう言うなり、スタスタと歩き去ってしまう未来。

 今思えば、この時ちゃんと未来の話を聞いていれば、あんな事にはならなかったのだろうと、プロデューサーは過去の自分の迂闊さを呪うのだった。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 765プロライブ劇場は大きく分けて6つのブロックに分かれている。

 そのうち、平常時のアイドル達が過ごしているのは事務室か楽屋のどちらかであり、春日未来はその例に漏れず楽屋にて人を待っていた。

 すると程なく控え室へ、一人の少女がやって来る。

 

「あーっ、待ってたよ静香ちゃん!!」

「ちょ、ちょっと未来っ。急に飛びついてこないでよ、ビックリするじゃない、もうっ」

 

 腰まで伸ばした長髪に、凛とした佇まいのアイドル──最上静香は、自身の腰に抱きついてきた未来を引き剥がし、椅子に座らせると。

 

「全く、未来も少しは落ち着きというものをね──」

「え〜、でも静香ちゃんだっていつも大声出してるよね?」

「そ れ は !! 未来が突拍子もないこと言い出すからでしょ!!」

 

 言ってるそばから大声の静香であったが、未来は意に介さず温めていた質問をぶつけにかかる。

 

「でね、私静香ちゃんに聞きたいことがあって、本当はプロデューサーさんに聞こうとしたんだけど忙しそうだったから」

「私に? 別に聞くのは構わないけれど、どんな話なの?」

 

 本来聞こうとしていた相手がプロデューサーとなると……演技関係の話だろうか? と静香は予想した。

 あのプロデューサーは元役者で、こと演技の話になると非常に頼りになる人だ。

 もっとも、普段の行いというか美咲へのアプローチのせいで人としての評価はプラマイマイナス時々プラスなのだが。

 しかし歌のことなら兎も角、静香はあまり演技を得手とはしていない。

 ならば自分よりも適任者がいるのでは──なんて、そこまで思考を伸ばした静香に、春日未来は純粋な声でこう聞いた。

 

 

「あのね静香ちゃん──ヒニンってどういう意味なの?」

「んぶはぉ!!!!」

「静香ちゃん?!」

 

 静香は、盛大に咽せた。

 動揺して、普段ならあり得ない声を出してしまった。

 それに釣られて、未来も驚いた表情を見せる。

 けれど静香はそんなことは一切気にせず、未来の口から出た衝撃の言葉にひたすら混乱していた。

 

(ヒ、ニン? えっ、ヒニン? ヒニンって、避妊のことよね……? なんで未来がそんなこと……ま、まさか)

 

 まさか、そういう相手がいるのかと、静香の思考が飛躍する。

 それこそまさかであるのだが、今の静香は完全に冷静さを欠いていた。

 

「だ、ダメよ未来っ。貴女まだ14歳なのよ?! それなのに……早すぎるわ!!」

「お、落ち着いて静香ちゃん。私よく分からないけど、ヒニンって大人がすることなの?」

 

 大人がするというか、場合によってはしないというか。

 しかし未来の返事を聞く限り、そもそも彼女にはその手の知識がまるで無いように思えてきた。

 別に静香だって詳しいわけではないけれど、保健の授業で習った程度の知識でしかないけれど、未来のそれは自分以下だ。

 

「あのね未来。学校の、その……保健の授業で、そういう話は習っていないの?」

「う〜ん、聞いたことないかも。でも静香ちゃんは知ってるんだよね?」

「うっ、えっと、私は……」

 

 そう切り返されて、静香の顔が赤くなっていく。

 流石に、ここで知らないとシラを切るのは難しいか。いかに未来が細かいことを気にしない性格とはいえ、ここまでの話の流れで静香がヒニンの意味を理解していないとは思っていまい。

 というかだ、同じ学校に通っているはずなのに、なぜ未来は習ってないのだ。と静香は心の中でぼやく。

 クラスによって授業の進行度が違うことはあるだろうけれど、それにしたって遅い気がする。

 ……まぁ、ここで保健の先生への不満を募らせって仕方がない。静香はそう思うことにした。

 

「だいたい未来ったら、なんで急にそんなことを聞こうと思ったのよ」

 

 そもそもだ、なぜ未来は急にこんなことを尋ねてきたのか、そこを逆に聞くことで彼女は話の矛先を逸らそうとした。

 それが、すべての始まりだった。

 そして未来は、時に残酷なまでに純粋な少女は、混じり気のない邪気のない表情で、言うべきことを言う。

 

 

「え〜っとね、風花さんとプロデューサーさんが話してたんだ。ヒニンがどうとか、失敗したとか言ってたよ?」

 

 最上静香の、時が止まった。

 頭が、未来の言葉を理解しようとし、それを心が拒絶する。

 

(プロデューサーと、風花さんが……?? 嘘よ、なんで……そんな……)

 

 風花さん、豊川風花。

 元看護師で、笑顔が素敵で、夕焼けみたいに包み込んでくれる歌声が眩しい女性で。

 彼女とプロデューサーが避妊について話していて、そして失敗という言葉が出てきて。

 静香は頭の中がグチャグチャになってしまいそうだった。

 

「プロデューサーさんってなんでも出来る人だし、失敗したって言ってたのが気になって──静香ちゃん?」

 

 急に赤くなったと思ったら、今度は青ざめてしまった静香を見て、未来は心配そうに顔を覗きこむ。

 けれど、今の静香にはそれに答える余裕すらなかった。

 

(だって、だってプロデューサーさん、あんなに青羽さんが好きだって言ってて……)

 

 ところ構わず告白して、いつものようにフラれて、それでも好きだと公言し続けて。

 美咲だって、よく見れば満更でもない雰囲気で。

 なんとなく、あの二人はいつか付き合い始めるんだろうなと、静香はそう思っていた。

 もしそうなったら、お祝いの一つでも用意しようかなんて、考えていたのに。

 それなのに、なぜ風花と。

 いや、そもそも。

 なぜ、アイドルと。

 プロデューサーとアイドルが、そういうこと(・・・・・・)になったら、どうなるのか分からないはずがないのに。

 765プロは、このシアターはどうなってしまうのか。

 そして、自分自身は。

 

「……未来は、ここで待っててくれる?」

「静香ちゃん、どうしたの? 私も一緒にいるよ?」

「ありがとう未来、でも大丈夫。私が行くわ」

 

 静香は一人、事務所へ向かった。

 いつだって隣にいてくれる優しい親友に、今から自分がしようとしていることを、見られたくなかったから。

 

 

 

 ■ □ ■

 

 

 

 プロデューサーと初めて会ったとき、なんだか掴みどころのない人だなと、静香は思った。

 表情はよく動くし、口調だって場面によって変わるけれど──それが本心なのかが掴めない。

 面接を終えて、正式にシアター所属のアイドルとなった後もその印象は変わらず、この人は自分のどういうところを評価して選んだのか、よく分からなかった。

 だけど、だからこそ。

 最上静香は、あの日のことを生涯忘れないだろう。

 

「……プロデューサー。今、お時間大丈夫ですか?」

「あぁ、静香か。ちょうど一区切りついたところだよ、どうした?」

「未来から聞きました……その、風花さんとのこと」

 

 いつになく真剣な声で話す静香に、プロデューサーはなんのことかと考えたが、先ほど交わした未来との会話を思い出すと。

 

「あー、あれか。やっぱり未来には聞かれてたんだな」 

「なら、本当なんですか? プロデューサーが、えっと……失敗したって」

「あぁ。あまり知られると恥ずかしいから、風花と2人でこっそり終わらせるつもりだったんだが……」

 

 なにせいい年した大人が、子猫を捕まえようとして顔を引っ掻かれましたなんて、あまり吹聴したい話でもない。

 しかしこうして知られてしまった以上、この話がシアターに広まるのも時間の問題か。と、プロデューサーは年少組からの『なんでこぶんを捕まえようとしたのか?』なんて質問にどう答えたものか考えようとして──目の前の静香が、プルプルと震えていることに気がついた。

 

「──んですか」

「静香?」

「どうしてなんですか?!」

 

 静香は、気がつけば大声をあげていた。

 自分の勘違いだと思っていたかったのに、そう信じていたのに、決定的な言葉をプロデューサーから聞いてしまった。

 

「言ってくれたじゃないですか、プロデューサー。私のこと、誰もが認めるアイドルにしてみせるって」

 

 そして、父親にも絶対認めさせると。

 あの日、プロデューサーと共に父親と、今後のアイドル活動について話した、あの日のことを、静香は今でもはっきりと覚えている。

 

『最上さん、私はプロとして娘さんを──静香を、765プロに採用しました』

『この子には、アイドルとして成功する器があります』

『確かにそれは、貴方の望んだ彼女の将来ではないかも知れません』

『ですが私はプロデューサーとして、静香の将来に嘘をつきたくない』

「この子はなりますよ最上さん、誰もが認めるアイドルになる。私がしてみせます」

 

 嬉しかった。

 そこまで、自分のことを買ってくれているのだと知って、知ることができて。

 この人になら任せて良いのかも知れないと思えたのだ。

 自分の夢を。

 最上静香の夢を。

 

「嬉しかったのに、本当に嬉しかったのに……プロデューサーとなら、どこへでも行けるって思ったのにっ。どうして、こんなこと!!」

「待て、待ってくれ静香、さっきから一体なんの話を──」

 

 この期に及んで白々しい。

 はっきり言わなきゃ分からないのなら、言ってやると、静香は羞恥心を捨てた。

 

 

「──だから、風花さんと避妊に失敗したって話です!!!!」

 

 たっぷり。

 5秒ほど沈黙して、やがてプロデューサーはゆっくりと口を開いた。

 

「静香」

「なんですか、今さら──」

「猫の話な」

「…………え?」

「うん、猫の話。シアターで面倒見てるこぶんっているだろ? 環が連れてきた子猫、そろそろ避妊手術を受けさせないとって風花に言われたんで、俺が捕まえようとしてたんだよ……まぁ、ご存知の通り失敗したんだけどな」

 

 そこまで一息に説明して、プロデューサーは静香の様子を伺った。

 すると怒りで赤く染まっていた顔が、今度は拾い直した羞恥の赤に塗り替えられていく。

 猫。

 猫の話。

 子猫の、避妊手術の話。

 なるほど、つまりあれだ。

 自分の勘違いだったわけだ。

 勝手に勘違いをして、思い違いをして、プロデューサーに詰め寄って、勢いに任せてとんでもないことを──

 

「いやぁ、でも嬉しいよ。静香がそんな風に思ってくれてたなん──あだただだだっ!!」

「〜〜〜〜〜〜ッ!!!!」

 

 それ以上言わせるものかと、静香のヘッドロックが炸裂した。

 

「ちょ、静香っ。極まってる、バッチリ極まってる!!」

「ふーっ!! ふーーっ!!!!」

「猫かお前は!!」

 

 アイドルの照れ隠しで昇天していられるかと、必死に抜け出すプロデューサー。

 彼は静香の肩を抑えると、彼女が落ち着くのを待った。

 そして、十数秒が経過して。

 一見平静を取り戻したように見える静香は無言で、プロデューサーが壁に立てかけておいた網を掴み。

 

「……すみませんでしたプロデューサー。こぶんちゃんを捕まえてきます、私のことは探さないでください」

「いや、そんな家出少女の書き置きみたいに言わなくても……別に気にしてないって、むしろ広まる前に誤解が解けて良か──」

「行ってきます!!」

「あーおい、静香。行ってしまった……」

 

 さっきも似たようなやり取りがあったなぁとデジャヴを感じつつ、プロデューサーは事務作業へ戻ることにした。

 暫くすれば、静香も元に戻るだろう。

 これで本当に静香がこぶんを捕まえてくれたのなら助かるが、もし無理だったら風花も含めた3人で捕獲作戦でも練るかと、プロデューサーはその光景を思い浮かべて小さく笑った。

 

 一方その頃。

 楽屋で静香の帰りを待っていた未来に、静香と似たような話を聞かされ、似たような誤解をしたアイドル達が、必死の形相でプロデューサーのもとへ向かっていたのだが、今の彼にはそんなこと知る由もないのであった。

 

 

 

 




多分先頭に琴葉がいる

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