妹の明は小学2年生です。
第2話【当たり前の最終日】
《2015年7月30日 山奥》
「ほら、そろそろ着くから起きるんだ、二人とも」
夏の日差しに温められた車内でうたた寝していた私は、運転するお父さんの呼び声で目が覚めた。パーキングエリアで早めのお昼を食べた後、車に揺られているうちにどうやら寝てしまったようだ。
でも起きたばっかであんまり理解が追い付かないな、どこ向かってるんだっけ?
「
そこでようやく意識がはっきりした。そうだ、私たちは東京の家から埼玉県のおばあちゃん家に向かってたんだ。
よくテレビとかでやってるポツンと一軒家、そんな感じの山奥におじいちゃんとおばあちゃんは2人だけで住んでいる。
誰にも邪魔されず広大な土地で思いっきりバドミントンの練習をする。
それが毎夏ここに泊まりに遊びに来る目的の1つだ。
おじいちゃんは元プロのバドミントン選手で、70歳近いのに老いなんてないかのように私をボコボコにする。毎年圧倒的に負けてしまうけど、生き生きとしたおじいちゃんとやるのはとても楽しい。
後はおばあちゃんの料理が食べたいとか、かわいい妹がはしゃぐ姿が見たいとかそんな理由だ。
「バドミントンクラブ部長として、みんなに情けないところは見せられないしね」
そう、何を隠そう私は部長なのだ。名前の響きがかっこいい、という自分でも少々アホっぽい理由で手をあげたらそうなった。
あの時のみんなの驚いた表情はとても面白かった。まあそうだよね、6年生の中で1番下手なのに立候補するなんて……。
理由を正直に言ってみると、みんな笑って承認してくれた。それにしてもなぜか心配する声が多かった。私ってそんなにアホな子じゃない……よね?
そんなわけで部長になったからには、せめてみんなと同じくらいには上手にならないと。
今夏のこの山での秘密の特訓にはそんな思いも持参してきた。
「っとと、そんなこと考えてる場合じゃないね。ほら明、起きて」
「ん、、、ぅん~? ふぁ~。ついたの? ともちゃん」
「うん着いたよ、しっかり起きてね」
隣にある肩をゆすると、むにゃむにゃと言いながら明が起きた。
私とお揃いの茶色がかった黒髪のショートカットを触りながら茶色のクリっとしたかわいい目をこすっている。以前、なんでその髪型なの? と聞いてみたら、「ともちゃんと一緒がいいの」と言ってくれたのをふと思い出し、にやけてしまう。
ガタガタと険しい山道を抜けてようやくおばあちゃん家に着いた。この家は森に囲まれて大きな畑もあるところだ。
毎年夏のお泊りから帰る時ここの野菜をくれるんだけど、スーパーなんかの野菜とは比べ物にならないくらいみずみずしくっておいしい。
畑の奥には、今はもう機能していないが昔この建物は神社で、おばあちゃんはそこのアルバイト巫女さんだった。たまたま訪れたおじいちゃんがおばあちゃんに一目ぼれして、そのまま結婚する流れになったらしい。
あまりに通い詰めたせいで神主さんとも仲良くなり、神社がなくなる際には神社ごと買い取ってしまうほどになった。
今では使いやすいように神社をリフォームして、そこに2人は住んでいる。
「おお~来たか」
「久しぶりー、おじいちゃん!」
駐車場に行っている最中、年相応の白髪頭で涼しげに青い甚平を着たおじいちゃんが顔を出してきた。私たちは一旦降りて、駐車する父さんを置き去りにして玄関にいるおじいちゃんのもとに駆け寄った。
「遠かったろう? 疲れてないか?」
「車の中でたっぷり寝たから大丈夫! 明もぐっすりだったんだよ」
「よくねたー」
「おお~そうかそうか。寝る子は育つ、いいことだ。ほらほら、こんなとこだと暑いだろう。婆さんが涼しい部屋を用意して今か今かと待っていたぞ。」
「すずしいへやッ! わーい!」
「ちょ、ちょっと明。待ちなさーい!」
夢中で走り出す明を追いかけ私たちは玄関で靴を脱ぎ捨て、おばあちゃんの待つ部屋へ向かう。床は木で作られているので、足の裏がヒヤッとして気持ちいい。
扉を開けると、
「おや、よく来たね、灯ちゃん明ちゃん、いらっしゃい」
丸メガネをかけたおばあちゃんが赤い浴衣姿で、せんべいを片手に優しい声で出迎えてくれた。
青い甚平と赤い浴衣と。一風変わっているけれどいつ来ても変わらない光景を見て、なんだかようやく私の夏が始まった感じがしてきた。
「長旅だったでしょう? 疲れてない?」
「もう、それさっきおじいちゃんにも聞かれたよー。大丈夫だって」
「あらあら。じゃあ、お腹はすいてない?」
「すいた~! もーペコペコ。あかり、おにくたべたい!」
「そう言うと思って、晩御飯はから揚げでーす! 今日は灯ちゃんの誕生日だから、腕によりをかけて作るから期待してね」
「「やったーー!!」」
「ふふっ、楽しみにしててね」
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それからしばらくの間私たちは、おばあちゃんが出してくれたおせんべいを食べ、この1年間にあった出来事を話しながらゴロゴロしていた。
「そういえば最近地震多いけど、ここら辺は大丈夫なの?」
「すっごいんだよー。グラグラ〜グラグラ〜」
「ここの山はしっかりとした土地だし、建物もリフォームしてあるから倒れる心配も無いし、大丈夫よ」
「でも気をつけてね、ここにはあんまり人こないんだから、何かあってもすぐには助けが来ないんだからね」
「心配ありがとね」
「なにかあったら あかりがおそらをとんで たすけにきてあげる!」
「まぁ! それはとても楽しみだわ。明ちゃんが来てくれるなら百人力ね」
最近頻発している大規模な地震のことを話題にしていると、誰かが扉を開けて入ってきた。
「おう、ここにいたか2人とも。お袋も久しぶり、ただいま」
「お疲れさま、お父さん。遅かったね」
「おつかれー」
「父さんと少し玄関で話しててな。2人とも大きくなったなぁ、って言ってたぞ」
「お帰り
「ああ、お願いする。暑くて喉カラカラなんだよ」
「待っててね、今準備するわ」
お父さんが開けた扉の上にある壁掛け時計を見て、あることに気づいた。
「あっ、もうこんな時間。それじゃあそろそろ私、夕ごはんまでバドミントンしたいんだけど、おじいちゃんどこにいるか知ってる?」
「えーっと……」
「さっき、畑に行くって言ってたぞ」
「オッケー、じゃあ行ってくるね。明はどうする? お姉ちゃんと一緒に行く?」
「あついのヤー。ここにいるー」
「分かった、じゃ行ってくるね」
「熱中症に気を付けるんだぞ」
「わかってるってー。行ってきまーす」
「いってらっしゃーい」
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少しギシギシと鳴る廊下を渡って玄関まで行き、脱ぎ捨てられた明の靴を整えて、靴を履いて扉を開ける。
来る時よりもさらに強くなった夏のギラギラした日差しに照らされた青い広大な土地が、目の前に広がる。
木々に風に揺られざわめき、一種の楽器の演奏のように聞こえてきた。木の隙間からタヌキがひょっこり現れてきそうな自然感がそこら中に漂っている。
わざわざ運動用に着替えた半袖シャツの隙間から吹く風が心地いい。耳を澄まさずともセミの大合唱が聞こえてくる。
東京の空気がおいしくないとは言わないが、ここの空気を知ってしまうと、あれ? もしかして東京まずい? だなんて思えてしまう。
ありふれた言い方だが、本当に自然は心を洗い流してくれる。
清い空気を肺に入れ、体には今日こそ勝つぞと気合を入れてラケット片手に畑へ向かって歩き出す。
しばらくすると鍬を振るっているおじいちゃんが見えてきた。あれ、なんか見覚え無い鍬振るっているな。
「おーい、おじいちゃん。鍬新しくしたのー?」
「おおぉ、灯ちゃん。そうなんだよ。この前、蔵に泥棒が入ってな、まぁすぐに捕まえたんだが。盗られるものなんて何もないと思ってはいたんだがな、泥棒の話によるとこの神社にはまだ神具があったらしく。金が無く神具を溶かして売るつもりだったらしくてな」
「そんなことがあったの!?」
どうやら私がいなかった間に大事件があったらしい。
「そ、それでどうなったの?」
「それが既に溶かされてしまっててな」
「ええっ、溶かされちゃったの!?」
「ああ、それで原型がなくなったとはいえ捨てるってのもなんだから、もう一度溶かして鍬にしたんだ」
「ほえ~、そんな事件があったんだ……」
「前のは古びてて使いにくかったしな。そうして出来上がったコイツの名前はカネアキだ!」
「カネアキってまんまじゃん……」
鍬だから金に秋でカネアキって……。いつも通りの壊滅的なネーミングセンスだなぁ。
「いい名前だろう」
「ぅん~。んー、まぁそんなことはいいんだよ。ほら、バドミントン一緒にやろう?」
「そんなことって……、まぁ灯ちゃんがいいならいいんだけどな。えーっとバドミントンか、ちょっと待っててな」
「はーい」
「去年に比べてどれくらい灯ちゃんが強くなったのか楽しみだな」
「ふふん、去年の私とは訳が違うよ。今年こそ勝つ!」
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それから畑仕事を中断してくれたおじいちゃんと3時間ほどバドミントンしていると夕飯の時間になった。
「2人ともー、そろそろごはんですよ~」
おばあちゃんがわざわざ私たちを呼びにきてくれた。
「おや、もうそんな時間か。それじゃ灯ちゃん、ご飯食べに帰ろうか」
「ちょ、ちょっと……はぁ、はぁ……もうちょっと待って……」
「ほほぅ、去年は座り込んでたのに今年はふらふらしながらもちゃんと立っている。ちゃんと成長しているな、若さの為せる力だ」
「そういうおじいちゃんは……老いの為せる力?」
「はっはっは。まだまだ若いもんには負けていられんのでな」
今日も一試合も勝てなかった。私も強くなったはずなんだけどなー。
おじいちゃんは年を取るたびに強くなっている、そんな気さえしてくるほどの強さ。バトル漫画ではないけれど、強すぎてなんだか楽しくなってくる。
けれどもそろそろ動かないと。お腹の虫の訴えに応えるべく疲れた体をどうにか動かし歩き出す。
家に着き手を洗い、火照った体に冷たい水を浴びせる。じわーっと体に例えようもない感覚が染み渡ってくる。この瞬間が、生きてるって感じがして気持ちいい。
汗もしっかりタオルで拭いて湿った服を洗濯かごの中に入れ、来るときに着ていた服に着替え直してから部屋の中に入る。
すると中から涼しい風に乗ってとても香ばしい唐揚げの香りとサクサクとおいしそうな音が聞こえてきた。
見ると、明が温かそうな唐揚げをほおばっていた。
「ともちゃん、これおいし〜よ!」
「あー! 明もう食べてる!」
「心配しなくても灯ちゃんの分もたっぷりあるわよ」
「よしっ、も―お腹ペコペコなんだよ。おじいちゃんにコテンパンにされてさ、超疲れた」
「ふふっ、お疲れ様」
「おや? 婆さん、
「朝暁なら
「もうそんな時間なんだ。となると、お父さんとお母さんが来るのはあと2時間後くらいかな。そんなに待ってらんないし、いっただきまーす!」
大きな唐揚げと、焼き鳥やポテトがのっている皿に手を伸ばす。テーブルの奥にはおじいちゃんが丹精込めて作った畑の野菜が山盛りに積まれている。それらに舌鼓を打ちながらみんなでワイワイと食事を楽しんだ。
途中、明が勢い良く食べ過ぎてのどに詰まらせてしまったりすることもあって大騒ぎになった。
「2人が帰ってきたら、みんなでケーキを食べましょうね。灯ちゃん用にプレゼントもあるわよ」
「やったー! ありがとうおじいちゃん、おばあちゃん! あーあー、お父さん達早く帰ってこないかなー」
プレゼントやケーキに胸を膨らませながら、お父さん達が帰ってきたらみんなで持ってきた花火をやりたいな、明日は明と一緒に森に行って川遊びしたいな、そんなことを考えていた。
にぎやかな雰囲気に包まれて、今年の夏のおばあちゃん家での1日目がゆるやかに過ぎようとしていた。
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美味しい食事、心地いい部屋、おじいちゃんとの練習、おばあちゃんの笑顔、お父さんの声、お母さんの温もり、幸せな誕生日。
永遠に続くものだと思っていた。当たり前だと、そう認識していた。無くなるなんて、考えたこともなかった。
今となってはもう、遥か彼方の遠い記憶。ここが私の幸せの最期。
毎年の光景、いつも通りの日々だった。だけどその日常が何よりも大切なものだったなんて、今更になって気づくなんてね。
もう、取り返しがつくわけがないのに。