『生きるためには喰うしか無かった』   作:ブラウン・ブラウン

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いつも読んでいただきありがとうございます。
 
今回も別視点。平 薄(ペラさん)です。


第33話【たった1ページで終わる薄っぺらな人生】

《2015年8月10→?日 デパート内・男子トイレ》

 

 夜。

 トイレの電気も点いていなく、各自に配られたハンディライトを使わなければ、道を歩くのもはばかられるほどの暗さ。今夜は新月。月明りもなく世界は闇に包まれている。

 ぴちょんぴちょんと、どこかからか雨漏りしている音が聞こえる。その水しぶきの音も夜の涼しさを演出している。

 

 そんな中、ボクはトイレの床に座り込んで便座に寄りかかっていた。

 

「はあ、はあ……ううぉええ…………」

 

 頭の中で点滅するのは、白。膨大な質量を持った巨大な白き異形。

 デパート前で遭遇したあのバーテックスが、頭から離れない。

 いくら吐いても込み上がってくる嘔吐感。喉を覆っていた粘膜は、とうに便器の中に吐き出されて炎症を起こしている。

 先ほど食べた夕食はとっくに吐き出し切ってしまい、もう腹の中には何もない。それなのにまた気分が悪くなって、唾液だけが口から流れ落ちる。

 

「まだ、大丈夫なはず…っす……」

 

 左手を胸に、右手を顔に当てて自分の安否を確かめる。

 眼を開けるのも億劫になるほど重たいまぶたを指で持ち上げる。しかし、指を話した途端すぐに元の虚ろなまなざしに戻ってしまう。

 何度やっても結果は変わらないので諦めて、今度は口元に手をあてる。

 

「大丈夫。まだちゃんと笑えてる、はず……」

 

 むにっと指で強引に笑顔を作り、誰もいない空間に向かって笑って見せる。

 しかしそれも悲しいほどに不自然な笑みで、どんな人が見てもとても笑っているとは思ってもらえないような、ひきつった表情になってしまった。

 なんとか修正しようとしても、頬が小刻みに震えるだけで何も変わらない、薄っぺらな笑み。

 そんな自分の様子を見て、口から乾いた笑い声がこぼれる。

 

「はっ、こんなんじゃあの人たちに叱られるなぁ」

 

 顔を触りながら自分を嘲笑していると、顔からパキッと何かが割れるような音がした。不思議に思っていると、顔から固形状のものが転がってきた。

 見てみると、それは人間の皮膚のように見えた。質量がないのか、重さは少しも感じない。と視認した途端、それは幻のように霧散していった。

 

「とうとうこんな幻覚まで、笑えない」

 

 精神が壊れてきている。それが幻覚とはいえ、とうとう目に見えて分かるようになってきた。

 いや、何を今更。壊れているのは元からか。

 

 ずっと昔、まだ子供だった頃。その時からすでに自分は壊れていた。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 ”平 博”。

 確か自分は最初そう名付けられた。

 人と分け隔てなく接してみんなを博愛し、たくさんの物事を知り博識になってみんなの役に立つ。この名前にはそんな意味が込められていた気がする。 

 

 しかし小学生の時に名前を矯正された。

 理由は単純で、それは自分が出来損ないだったからだ。

 

 自分の両親は2人とも名のある役者だった。

 ドラマにもたまに出るくらいには実力もあって、出会いも共演したドラマがきっかけだったらしい。

 それからしばらく経って子供、つまり自分を授かったけど、両親は慎重な人で、無事に出産出来てしっかりとした子供に成長するまで世間には公表しなかった。

 

 両親は当然のように自分にも役者の仕事に就けさせたかったようで、自分が幼い頃から演技の練習をたくさんさせられた。

 この役者の世界で1番を目指すお前は、他の世界の1番を知らなければならない、と無駄に分厚いギネスブックを覚えるようにも言われた。

 今から考えると、あんな幼い子供が演技なんて、よほどの天才でしかできないものだったと思う。

 しかし、両親の求めるところはとても高く、いくらやっても自分はそこまで持っていくことができなかった。

 両親曰く、”表現が薄っぺらい”のだとか。今の名前もここから付けられている。

 知り合いに裁判官がいるとかなんとかで、普通はこんな理由では通らないはずの改名申請が通り、今はこっちの名前が正式名称になっている。

 

 結果として、自分は世間には両親の子として認定される事なく今日まで生きてきた。

 

 

 それでも自分は両親に認められたくて、薄っぺらいと言われても練習をし続けた。その頃にはもう両親も見限っていて、練習に付き合ってくれなくなっていた。

 自分には才能がないと言われ、それでも練習しようとすると無駄だと殴られる日々に、心がだんだんついて来なくなってきた。

 そんなときだっただろうか、小学校帰りの通学路を歩いていると、道端に1冊の漫画が落ちているのに気が付いた。なんだろうと思い近づいてみると、それはとある長編ものの漫画だった。

 以前読んでいた漫画だったから久しぶりに読んでみるか、とページをめくってみると、そこには自分の知らないとある少年が描かれていた。

 

 最初のページは地下に作られた牢屋のシーンから始まっていた。そのキャラクターはそこに捕まっていて、奴隷としていつもひどい仕打ちを受けていた。

 見ているこっちが痛くなるほどの拷問。立ち読みをしている自分も少し引いてしまった。

 しかし、その少年はずっと笑っていた。

 

 痛めつけられるのが好きなのではない。ただ悲観していないくてヘラヘラとずっと笑って、苦しいのを耐えているだけだった。

 どれだけ殴られても馬鹿にされても、いやな顔一つせずただただずっと笑っていた。奴隷の身分で人生のどん底のはずなのに、それでもきっと明るい未来が来ると信じて、痛い時も苦しい時も笑っているようなやつだった。

 今となっては何年も前のことだから、その少年の名前はもう忘れてしまった。だけど、とても共感の出来る好きなキャラクターだった。

 

 今の自分にどこか似ているような気さえした。

 へたくそに笑う彼を見て、自分も笑えば苦しくなくなるのかと思った。そういえばもうずいぶんと笑っていない。

 自分の表情を鈴に確認できるようにと、普段から持ち歩いている手鏡を取り出して、それに向かってにっこりと笑いかけてみた。

 

 

「はは、コレじゃこいつのこと笑えないじゃん……」

 

 鏡の中にいたのは、少年よりもひどい顔をした自分。10人中何人が、この顔を笑顔と捉えてくれるだろうか。

 でもなんでだろう。少しだけ心が軽くなったような、そんな気がしてきた。

 

「はははっ、あははははっ!」

 

 やっぱり彼と自分は似た者同士だったみたいだ。笑っているだけでつらい気持ちも我慢できる。

 彼は自分のことを”ボク”と言っていた。かれに倣って自分も……”ボク”もそうしよう。ボクは彼で、彼はボクなんだから。どんなに辛くっても”ボク”なら乗り切れる。

 

 これなら少なくとも笑っている演技ならできる、そう思って両親に見せに行った。

 相変わらずの罵声に加え、気味が悪いと言われてしまったけど、いつもよりも心が痛くない、苦しくない……感じがする。

 やっぱり笑顔はすごいものだ。笑っているだけで元気づけられる。

 

 その時からボクは笑いの仮面をつけるようになった。

 

 

 

 急に笑い出すようになったボクを見て、クラスのみんなは最初は戸惑っていたけどすぐに慣れてくれた……らどれだけよかったことか。

 実際は両親と同じような反応をされた。気持ち悪い・何を考えているのか分からない・不気味だからこっちに来ないで。

 常識的に考えたらみんなの反応は普通だと思う。でもボクにはもうこれしか無かった。

 だからどれだけ悪口を言われても笑い続けた。

 

 それから何年続けても、みんなの反応もボクの演技力も変わらなかった。

 辛くないはずなのに、なんだか呼吸が苦しくなってきて、一度笑うのをやめようとしたことがあった。

 仮面をイメージしていたから、顔から剥がす感じで笑いを取り払おうとしたとき、どうしようもないほどの恐怖がボクを包み込んだ。

 

 ダメだ。これは取れない。取っちゃあいけない。一度つけた面はもう外せない。外してしまったら、次こそもう自分が分からなくなってしまう。どんな恐怖が押し寄せてきた。

 

「何、なんだよ、今の……ははっ。ま、まあ大丈夫……っすね」

 

 こんな時でも仮面は機能していて、へたくそな笑い声が口からこぼれ落ちた。

 この仮面のせいで嘘を吐くときは、漫画の彼の喋り方になるようになってしまった。お調子者のような、人を心配させないような、そんなへらへらとした喋り方。ボクにお似合いの喋り方だ。

 辛い苦しい、そんな弱音は全て仮面に吸収され、笑顔となって世界に放出される。

 外したら自分が保てなくなる。だからボクは仮面をつける。ヒビ割れた自分の顔も隠せない薄っぺらな仮面で、今日も涙を流しながら笑う。

 苦しいと、その一言さえ言えぬままに。

 

 

 

 

 

 そしてその仮面も、世界が壊れた衝撃でとうとう壊れてしまった。

 岩波ちゃんの存在のおかげで、なんとか最後のひとかけらを落とさず保てていたけど、先日のバーテックス襲来で限界を迎えた。

 バラバラになった最後のひとかけらが手から顔から零れ落ちる。

 つけ直そうと思っても、かけらは粉末状になりトイレの奥底に消えていってしまった。

 

「ああっ! 俺の大事な……ってアレ? ”ボク”って”自分”のこと”俺”って言ってたっけ”私”?」

 

 ボク……? 自分……? ……ああ、もう分からない。何も、分からない。幼い頃からの演技のし過ぎで、いろんな役の記憶が混ざり■■という存在が分からなくなっていたようだ。

 ■■が立っている地面が、絶望の泉に沈んでいく。

 

 もう■■が何なのか分からない。

 どういう話し方をしていて、どんなことを喋って、どんな友達がいたのか。何も分からない。

 けどもういい。どうせ思い出したって意味のないことなのだから。覚えているモノがあった世界は全て壊れてしまったんだから。

 

 ■■の人生は奪われてばかりだった。

 与えるべきであるはずの親から奪われた。

 娯楽を奪われ、努力を奪われ、愛を奪われた。

 おかげでこんなにも薄っぺらな人間が出来上がってしまった。

 なにが『薄』だ。

 違う。そんなんじゃない。■■の名前はそんなんじゃない。

 勝手に期待して勝手に取り上げて。

 ■■の名前は『薄』じゃない、「博」だ!

 たくさん勉強して「博」識になって世界を「平」和にできるくらい立派な人になってほしいと、そう願われたはずなのになんで……

 

 仮面が無くなった■■はもう笑えない。残ったのはあまりにも空虚すぎる存在だけ。仮面が取り外された今、世界を自分の目で確認する。

 まず思い浮かんだのは、どうしてみんな生きていられるんだろう、ということ。

 元の世界だって死にたくなるような世界だったのに、今のこれは地獄以外の何物でもない。

 

「つらい……くるしい……いたい……」

 

 あぁやっと声に出せる。待望の瞬間だ。何年ぶりだろうか、自分の気持ちを言葉に出来たのは。

 

「もうつらいだろ……こんなせかい」

 

 今度は解放された■■が、みんなを解放してあげないと。ここにいてもただつらいだけだ。

 

 とそこまで思った途端、男子トイレの入り口が開く音が聞こえてきた。

 

「うおぉ夜のトイレは暗えな」

 

 どこかで聞き覚えのある声だ。多分バーテックスが襲来してきた時、男子の階層をまとめていた男の声だろう。

 トイレの水を流して扉を開ける。これで仮面は完全に消え去った。

 

「いやーホント暗いですよね」

 

「んあぁそうだな」

 

「ボクは大丈夫っすけど気をつけてくださいね〜」

 

 そう言ってトイレを出て急いでさっきまでいた■■のスペースに戻る。

 と同時にビニール袋に嘔吐する。

 

「おぅえええ……か、っぺ。まだ、まだもう少し続けないと……」

 

 みんなを救う手段が見つかるまでは、まだ演じ続けなくては。

 仮面のない笑顔というものは気持ちが悪すぎる。ちゃんと笑えているだろうか。

 必死にもがいているみんなを心配させるわけにはいかない。

 こんな世界は苦しいだけだ。早くみんなを解放してあげないと。

 みんなを救う手段が見つかったら、そのときは……。

 

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