『生きるためには喰うしか無かった』   作:ブラウン・ブラウン

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いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は時間軸を少し戻して明側です。


第42話【狂わなければ正気ではいられない】

 

──時間は少し巻き戻り、デパート旭に ”矢のようなものを発生させたもの” やバーテックスが襲来してくる直前まで遡る。

 

 

 

『さあ行こー!』

 

『ええそうね。行きましょう、 ”葵” 』

 

 今日は9月1日。白いバケモノが襲ってきた日から1ヶ月という節目と、もともとの防災の日を掛け合わせて、今一度緊張感をもってこの世界を生きていこうという流れになった。

 それで私はこの子…… ”葵” とこのデパートの避難ルートを巡ってみるという体で、これから探検をしに行く。

 

 元気な声とともに、私たちは動き出す。

 今日はいろんな人が動くからとの理由で、エレベーターとエスカレーターに電気が通っている。そのためこれらを使えば普段は階段を上るのが面倒で行かない上の階にも自由に行動できる日だ。

 以前はところどころ床に散らばっていた石のかけらも、皆さんが隙間時間を見つけては撤去してくれたおかげでスムーズに進むことができる。

 

『さいしょは7かいから!」

 

『ふふふっ。そうね、上の階から探検して行きましょう』

 

 もうこの子は今日がどんな日なのかを忘れている。こんなところもまた………… ”葵” にそっくりだ。

 一瞬暗くなってしまった幻想を、頭を振って払いのける。

 忘れなければ、狂わなければ。この世界で生きていけない。

 

 少々混雑しているエレベーターに乗っかってまずは7階へ。8階は天空恐怖症候群の末期と思われる人たちしかいない空間だから、探検には適していない。私も天空恐怖症候群を発症しているけれど、あそこの人たちの仲間入りはまだしていない。

 探検、といってもこのい1ヶ月ずっと暮らしてきた場所。7階から順々に見て回っていくけれど、さすがにもう目新しいものはそうそう見つからない。

 

『みて! すごいよコレ!』

 

 けれど、隣からかけられる楽しげな声。こんなにも楽しんでいるこの子を見て、うれしくならないはずもない。

 いつもは周囲が静かで少しピリピリしているのもあって声を大きく出すのがはばかられる空気が出ているから、久しぶりの周囲がざわざわしている環境に堪えていた元気を解放している。6階、5階、4階へとどんどん下がっていっても、その表情は依然として変わらなくはしゃいでいる。

 

 そして3階に行こうとエスカレーターに乗ろうとしたとき、それは聞こえてきた。

 

『バーテックスが来たぞーー! あの白いやつが襲って来たぞーー!!』

 

『えっ……』

 

『バー……ってと、ともちゃん……』

 

 ガシャンガシャンと壁に取り付けられたベルが鳴り、店内放送用のスピーカーから最悪の知らせが舞い降りてきた。

 スピーカーから聞こえてくるのは、聞いたことのない知らない男の人の声。いつも放送している布川とかいう男ではない。

 言っていることは本当なのか、それとも今日が今日だから避難訓練の一種なのか。半信半疑に恐る恐る窓の方に足を向かわせる。

 ”外を見る”という私にとってきつい動作のため、目を細めて見てみれば、遠くの方に一瞬白い何かが通ったように見えた。

 はっきり見えなくても分かる、絶対的な不快感。途端、呼吸が荒くなる。体から血液が噴出してしまうくらい、心臓が加速する。

 

『こういう時はこのあとどうするかも伝えなきゃいけないでしょう……!』

 

 きっと先に情報を得た人が、独自の善意で知らせてくれているのだろう。けれどこの場合は悪手だ。危険なことが起きた、だから何をするか、どこに避難をすればいいか。それを伝えてもらわなければいたずらに不安と混乱を招くだけだ。

 現に……、

 

『ど、どうしよう! エレベーターずっと上に行っちゃってるよ!?』

 

 表示を見れば、8階の番号が点灯している。この状況から考えられることは……、

 

『やっぱり、満員よね……』

 

 案の定、8階や7階から乗り込んできた人でいっぱいいっぱいになっていて、乗り込むスペースもない。

 

『だったら……こっちから行きましょう!』

 

 未だおどおどしているこの子の手を取ってエスカレーターの方へ向かう。

 けれどここは4階・男性の生活スペースの階。私たちがエスカレーターに行きたいようにここの人も同様で、女子供な私たちは我先にと逃げる男性に押し退けられて、なかなか逃げることができない。

 

『ここの男はほんっとうに……!』

 

 結局私たちがこの階を出られたのは、この階の全ての人が出終わった後だった。

 エスカレーターを下りていった先に待っていたのは、3階・女性の生活スペースにいた女性たちが駆け下りていっている姿だった。彼女たちも先ほどの彼らに弾かれてしまった組のようで、その決死の姿に同性の私たちもまた入ることができない。

 女性たちの群れの最後尾について3階から下りていく。その間にも、下の階から不安を煽る得体の知れない声のような音が聞こえてくる。この声は人間が出しているものなのだろうか。

 と、ここでようやく店内放送が再びかかる。今度はさっきとは別の人だ。

 

『みなさーん。今なら正面玄関から逃げられるっすよー。逃げてくださーい』

 

 平常時なら気が抜けるような間延びした男の声。緊迫した空気を和らげようとしているのか、はたまた煽っているのか分からない。

 それにこの人が言っていることも少し信じがたい。さっき4階で見た時は一瞬だったけど、ちょうど正面からこちら側に来ているように見えた。

 

『こんな時にウソ、なんてことはないわよね……?』

 

 さきほどの放送に一抹の不安を抱きながらも、最初の放送からずいぶん遅れてなんとか2階まで下りてくることができた。

 

 

 そのとき、信頼していたコンクリート製の地面が割れた。

 

『なっ……!!』

 

 突如として襲ってきた浮遊感。足場という絶対的な信頼を置いていたものが無くなり、一気に気が動転する。

 

『あ、 ”明” ちゃん!』

 

 視界の端にあの子を捉えた。とっさに手を伸ばすも、その手が届く前に1階に落下する。

 

『あ……うぅ……』

 

 いくら、たった1階分の落下。死ぬ確率は高くないとはいえ打ち付けた体に激痛が走る。そして鼓膜が破れるほどの轟音が発生する。

 土煙が晴れるのをしばし待つと、そばには ”明” ちゃんも倒れているのが分かった。たが、私とは違って何か軟らかいものが下敷きになっていて無事のようだった。

 

『 ”明” ちゃん大丈夫?』

 

『うっ……いたいよぉ……』

 

 痛む体を起き上がらせて、 ”明” ちゃんを起こしてあげる。

 一体何が。そう思い辺りを見渡すと、そこには白が広がっていた。

 

 最初は霧かと思った。なぜならそれほどまでに多かったから。

 次に雲かと思った。なぜならそれは悠々と青空に浮かんでいたから。

 三度見ればさすがに理解する。あれは、というよりこれはバーテックスの群れだ。今でも夢に出る、この悪夢が始まった7月30日に見た数に匹敵するほどの数。

 空の下という環境も相まって吐き気がする。

 

『あっ』

 

 軽く口から空気が漏れた。

 それは雲の一部、群れの一部のバーテックスと目が合ってしまったから。

 最悪中のわずかな幸いか、 ”明” ちゃんのことは恐らく角度的に認識されていなく、また気づかれたバーテックスも1体だけだった。

 

 考える前に体が動いた。

 両手を横に広げて自分を大きく見せる。後ろの ”明” ちゃんに気が付かれないように。

 吐き気も怖さも公開も全て飲み込んで立ちふさがる。

 

 当然のようにバーテックスは私の左半身にかぶりついて噛み千切り、宙に浮いた私を払うように首らしきものを振って、私をつまみ喰いして去っていった。

 

 喉が破裂するような声。赤子の泣き声よりもけたたましい絶叫を張り上げる。

 痛みで息を吸うのを忘れ、空気の出ない喉が灼ける。声の代わりに嘔吐物が口から飛び出す。

 地面の上をじたばたともがき苦しみ、右手で左側を確認する。

 ない、ない、ない。

 そこには腕の形をした赤い熱があるばかりで、あってほしい実体がない。

 果てしない激痛の中、右側を確認してみれば……、

 

『……ぇ』

 

 私の飛び散った血で顔に赤い斑点ができあがった ”明” ちゃんが何もケガがない状態で無事にいた。

 呆然とした ”明” ちゃんはフラフラと四つん這いになってこちらに寄ってくる。

 

『なんで……』

 

 困惑した ”明” ちゃんを見ていると、忘れられないあの日の記憶がフラッシュバックした……。

 

 

 

 

 

 

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 "葵" はとっても元気な ”男の子” だった。

 夫が早くに亡くなり、女手一つで育てていくにはパワフル過ぎるくらいの元気な男の子だった。

 葵という名前は希望や優しさなどの意味があるから夫と一緒に考えてつけた名前だけれど、当の葵本人には嫌われていた。

 幼稚園で「葵ちゃん」という女の子と同じクラスになってから、同級生から「葵ちゃん」と呼ばれるようになってしまった。

 小学校に入るとその動きはさらに勢いを増し、一部の生徒から ”女っぽい名前をしていて男らしくない” といじめを受けていたらしい。

 葵は優しい子だったからやり返すことはなかったけど、毎日どこかをケガして帰ってくる葵に私は何もしてあげられなかった。

 

 そしてあの日。夕食を食べながら思い切って葵にいじめられていることについて聞いてみた。

 

『葵なんて……こんな名前つけてほしくなかった!』

 

 そこで少し口論になって葵が家を出ようと玄関を開けた時、白が空から降ってきた。

 

『お母さん!』

 

 家の中に入って逃げようとする葵の右手を、私は掴むことができなかった。私が伸ばした右手は空を切り、葵は空から降ってきたバーテックスによって嚙み潰された。

 ……そこからどうやって生き残ったのかは覚えていない。私が覚えているのは、泣きそうな顔をした葵が私に助けを求めてきた事と、私の手が届かなかったことだけだ。

 

 

 

 

 

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 泣きそうな ”明” ちゃんの頬に手を伸ばす。

 

「ごめんね ”葵” 、助けてあげられなくって……。ありがとうね ”明” ちゃん、私を助けてくれて……』

 

『左、手……何で』

 

『ずっと ”葵” って呼んでごめんね……呼ばせてくれて、ありがとね……』

 

 頬に当てている右手に ”明” ちゃんの両手が重なる。私の左側よりもずっとずっと温かい手。

 

『お母さんって呼ばせちゃってごめんね……呼んでくれて、ありがとね……』

 

 あの日と同じ泣いた顔。けれど今度は手が届いた。

 血液とともに意識が薄れていく。

 最後にこれだけは。

 

『静かにじっとしているのよ……あのバケモノが来ちゃうからね』

 

 泣きながら『イヤだ』と首を振る”明”ちゃん。

 けれど、 ”葵” と同じ目には遭って欲しくないという私の思いは伝わっているはず。

 

 ”葵” 、今行くから。

 

 

 

 ”明” ちゃんの泣く声は、聞こえなかった。

 




次でこの章を終わらせたい。
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