前半は「蛍井 鈴の独白」でお送りします。
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人生は1枚の絵だと思っていた。
大きな、どこまでも大きな白い紙があって、そこに「経験」という名の色を塗っていく。
楽しいことがあったら赤系で、悲しいことがあったら青系で、嫌なことがあったら黒系で、病気になったら紫のような色を塗っていく。
恋をしたときに赤で染めた場所も、いつしかその鮮やかだった赤は色あせて友愛のオレンジ色に変わったり。悲しい青は、それを上回る赤色で塗りつぶして楽しいものに変えたりする。
重ね塗りをすることは大切だけど、かといって下に塗った色も大切な思い出だ。
こうして様々な色を塗り重ねていくことが人生であり、人生を豊かにするものだと思っていた。
この考えが突如として崩れ去る。
2か月前のあの日。2015年7月30日。私の世界にいくつもの白い刃が突き刺さった。
いつものようにあのデパートの受付でしていた月末のことだった。
夜の10時過ぎ。私が夜勤の時は迎えに来てくれる光と一緒に帰っていると、きらりと夜空に流れ星が流れたような気がした。
「あっ、流れ星」
「ん? 本当か?」
「ふふーん、見逃すとはなんてもったいない。……あっ、また流れたよ」
「どこだどこだ」
見逃した光への慈悲と言わんばかりに、ふたたび夜空に流れてくれた星も見逃すとは。この注意力のない光にもう1回だけ流れてー、と思うと2つ3つ4つ5つとたくさんの白い星が夜空に動いているのが見えた。
「ほらほら、あそこに見えるでしょ。それにあそことあそこと……あれと…………あれ?」
動いている星が多すぎではないだろうか。今日は流星群が降るだなんて情報は、天気予報ではやってなかったと思うし……。
でも、それじゃあこの動いている白い星っぽいのは何なのだろう。
「ああ、あれか、ようやく見つけた。たしかに流れ星っぽい……いや、というよりなんかUFOみたいな動きじゃないか?」
「んん~?」
たしかに言われてみれば、流れ星みたいに直線的な動きをしていない。そして流れ星のように遠くへ行くのではなく……白い星はこちらに近づいてきているように思えた。
そして、ソレと目が合った、気がした。
「っ! な、なんかおかしくない? 隕石? こっちに近づいてきて、る……!」
その白い星の影はみるみるうちに近づいてきて、その正体を確認できる距離まで接近してきた。
断じて隕石などではない、白い楕円形の球体に趣味の悪い赤い文様のお面をつけたような異形な物体。そのお面には、顔の半分以上もある歯が生えていて……あ、口が開いた。
口が開いた隙間からは、唾液のようなものが糸を引いているのが見えて……、
「に、逃げよう!」
どちらから声をかけたかは覚えていない。ただあのバケモノに見つからないように必死で逃げ続けて、気が付いたら私の職場であるデパート旭に逃げ込んでいた。
これが私の、のちにバーテックスと名付けられる白いバケモノとの初遭遇だった。
私の白い大きな世界は、突如降り注いでいた白いバケモノによって喰い荒らされビリビリに破かれて、まるでジグソーパズルのようになってしまった。
そしてこのジグソーパズルも、大半のピースがバーテックスによって喰われてしまい、元の絵がどんなだったのか思い出すことが出来なくなるほどになった。
もう、元の世界には戻らない。
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そして、1か月前のあの日。世界は再び切り裂かれた。
世界が食い荒らされてからもなんとか残った紙片をつなぎ合わせて、歪ながらもどうにか精神を保っていられた。
そこに灯ちゃんが来てからは、世界に希望を感じられた。
あの恐ろしいバーテックスにも負けない強さを持った女の子。あの子の前で弱音を吐いたら不安にさせてしまう。
きっと彼女は大丈夫、と言ってくれるだろうけど心配はかけたくないから、彼女の前ではできるお姉さん像に見えるように心がけた。
けれどそれもダメだった。
帰る場所も職場も友人も知り合いも食料も仮初めの安全も出来つつあった非日常な日常も、そして光も失った。
別に恋愛感情を抱いていたわけではなかった。ただ光はずっと私のそばにいてくれる存在だと思っていた。小さい頃から一緒にいて私の世界を彩ってくれた、文字通りこの世界での「光」だった。
「光」を失ってはもう暗くて絵が描けない。どんな色を使っても、暗くて全部が黒に見える。
嫌な黒。つらい黒。残った僅かな私の世界が、黒で塗りつぶされていく。
最後に残った「灯ちゃん」というおぼろげな光源も、私の心を照らし切るには至らなかった。
さっき見た梅田駅の、惨憺たる有様。
もう、ダメだ。
この先に希望が欲しかった。「光」が無くても生きていけるような希望が欲しかった。
灯ちゃんから未来の自分宛の手紙をもらったとき、私は何も書けなかった。白いはずの紙が、私には真っ黒に見えてしまった。
そのとき『ああ、死のう』って自然とその考えに至った。
思ってしまったらもう死ぬしか考えられなくなって。3人を起こさないようにこっそり抜け出してロープを用意して準備する。
やり方はよく分かっている。この1か月間で調べる時間は十分にあった。
首を吊る輪ができたとき、3人に対して申し訳なさがこみ上げてきた。でも私にはもう出来ることがない。生きることもできない。だったらもう謝るしかなかった。
大人なのに子供を残して先立つこと。大人として希望を示せなかったこと。デパートのみんなを守れずに私だけが生き残ってしまったこと。
もらった手紙に謝罪の言葉を書いていく。「光」を失ったこの目では、うまく文字をかけているかが見えない。情けなく手も震えている。
『ごめんね』。
黒く染まったこの目でも、バーテックスだけは異様に白く映って、思わずその光源に飛びつきたくなることがあった。そうなる前に自分の手で終わらせよう。
願わくは、あの世で私の世界に色が戻ってきますように。「光」に照らされますように。
「ぅ……ぁぁ、かっ……」
締まる首と共に、視界が漆黒に染まっていく。
目の端から徐々に漆黒が侵食してきて……。本当の意味で黒く塗りつぶされたとき、私の思考と視界は何も映さなくなった。
もう、何も見えない。
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ぷらんと中に浮かんだ鈴さんの前で立ちすくむ。
「す、鈴さん……?」
返事は返ってこない。
「なに してるんですか……」
……返事は返ってこない。
「お、おい! 早く降ろさないと!」
マコトは、近くにあった倒れている台を持ってきてロープを外そうと苦心している。
「ううっクソ! 解けない!」
「……。……どいて。私がやるよ」
マコトを押し退け、鍬の刃を使って吊り下がっているロープを切断する。ドサッと上から落ちてきた鈴さんの体はやけに重たかった。昨日の冷たい夜風の影響か、鈴さんの体はひどく冷たくなっていた。
力づくで首に残ったロープを引きちぎりながら考える。
どうして鈴さんが? 昨日もいつも通りだったのに。ちょっと気になることはあったけど、こんなことになるなんて……。
お前には何も守れない。世界にそう言われているような気がしてくる。事実、2か月前のあの日から救いたいと思った命はほとんど取りこぼしてきた。
この力はなんのために? この手は何のために? 誰かを救うために神様が、おじいちゃんが授けてくれたものじゃないのか。
ああ……私は「勇者」たり得ない。
助けたい者を助けられず、助けた者にも希望を見せることが出来ない。
結局私の手に残ったのは、私の妹と私が直接命を助けたマコトだけ。……彼が助けたかったお母さんの命も私は取りこぼしてしまった。
亡くなった鈴さんに涙を流しながら声をかける2人を見て不安に駆られる。
この2人のことを私は守っていけるのだろうか。
ふと、あることを思い出す。
そういえば昨日の見張りは鈴さんからだっただろうか。
昨日は私だったから、きっとそうに違いない。
交代しに来なかったから私は朝まで寝ていたのか。……おかげでよく眠れたな。
──見張っていてくれなきゃ、私たちが死んじゃうじゃん。
「……っ!」
……ああ、最近人の死が軽く感じる。
人の死を見過ぎたせいか、この力に心が侵食されているせいか、それとも元々こういう人間だったのか。
悲しむ時間がどんどん減っていっている気がする。達観しているといえば聞こえはいいが、無関心になっていると言えるかもしれない。
鈴さんの遺体が近くにあるというのに、悲しみに溺れることが出来ない。悲しみ半分で周囲の警戒半分といったところだ。もしかしたら悲しみは半分もないかもしれない。
こんな唐突に死んでしまうのだから、殺されるのはもっと唐突になるだろうから。
「……行動するのは明日にしよう。今日は、鈴さんとここにいよう」
かといって私も鈴さんの喪失は、胸に穴が開いた気分になる。2か月前から一番頼りにさせてもらっていた人だ。悲しくないわけがない。
「なんで……! ねぇなんでうごかないの、ともちゃん」
「……なんでだろうね。私にも分からないよ」
どうして何も相談してくれなかったのか。どうして『ごめんね』と言って亡くなったのか。
死ぬことは『ごめんね』だけじゃ受け入れられないよ、鈴さん。
この日は何もしなかった。
それぞれが鈴さんの死を受け入れられるように思い思いの行動をとり、朝が終わり昼になって、昼も終わって夜になったところで床に就いた。
はじめはなかなか寝付けていなかった2人も、泣き疲れたのか、次第に寝息が聞こえてきた。
私はもう、寝ることはやめた。
鈴さんがいなくなって見張りができる人が私しかいなくなったことが理由の1つだ。明はもとより、マコトにはこれ以上精神的負担はかけられない。
2つ目は、この体ならずっと起き続けていられると思ったからだ。この中で私だけが非日常の非日常を生きている。逸脱した世界での異物だ。もうなりふり構ってはいられない。
私は生きて生かさなくちゃいけないから。
3つ目は……これが一番大きな理由、夜が怖いから。
私の家族が亡くなったのも夜だった。バーテックスが襲ってきたのも夜だった。そして私が寝ていて鈴さんが亡くなったのも夜だった。
夜は私の大切なものを奪う。
明けない夜はないけれど、夜は必ずやってくる。
空を見上げれば、浮かぶ星がバーテックスに見える時がある。そのまま私のとこまで落ちてきて、明とマコトを喰らっていく。そんな妄想が頭の中を走る。
頭を振ればその妄想は霧散するけど、時間が経つとまたよみがえってくる。
なかなか休まらないけど、程よい緊張感と捉えれば悪くはないだろう。
頼れる大人がいなくなって、とうとう私たちは、子供だけで生きていくことになった。
夜はまだ明けない。
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次の日。
目覚めた2人を引き連れて、中断していた移動を再開させた。
会話はかなり少なくなっている。
鈴さんのお墓を造り、手を合わせてから出発した。
願わくは、このお墓は壊されないでほしい。
また次の日。
鈴さんがいなくなった影響の大きさを感じる。
より慎重に行動しなくては。
また次の日。
少し会話の量が戻ってきた。カラ元気でも会話をすれば心が和らぐ。
その代わり、2人の食欲が減ってきているように感じる。
気のせいだろうか。
別の日。
やっぱり以前よりも減っている。ちゃんと食べないと、ただでさえ栄養が足りていないのに……。
私の体はこの極限状態にも少しずつ慣れてきて、2人よりもさらに少ない食事で大丈夫になってきた。
この、何が何でも戦えるようにしようとする力の在り方に、少し薄気味悪さを感じた。
別の日。
明が倒れた。熱がひどい。
本格的な冬の寒さに、弱っていた体が負けたんだろう。マコトも顔色が良くない。
「ど、どうしよう! 病院に……っ」
こんな世界で病院なんてやっているわけがない。
でも薬を飲ませてもあまり効果はないし、私じゃどうすることもできない。
無意味だと頭では分かっていながらも、近くにあったやや大きい病院まで2人を背負ってやってきた。
「……ははっ。何やってるんだろう。医者なんているわけないのに」
気が動転して訳が分からない行動をとってしまった。
正面玄関で2人を降ろし、座り込む。
「このまま2人も……」
と嫌なことが頭をよぎりそうになった時、病院中から足音が聞こえてきた。
「…………え?」
まさか本当に人が?
その足音はどんどん近づいてきて、その正体を私たちの前に現した。
「──はあはあ、っ大丈夫ですか!?」
その足音の人物は、女の子だった。私くらいの年齢の女の子で、こちらを心配そうな目で見ている。
走ってここまで来たせいで息切れをしている彼女の姿は、異様に白かった。
肌には粉をまぶしているのか白くなっていて、着ている服も白色で統一されており、髪まで白く染まっている。
久しぶりに会った生存者。それは異様なまでに白で統一されている女の子だった。
第4章本格スタートです。