グーパー、グーパー。あらためて治療された腕を動かしてみる。
ひねってねじって動かして……何の問題もない。液体が入ってきたことによる違和感もないし普通に動く。
かすり傷程度だったとはいえ、傷跡もきれいさっぱり無くなっている。注射痕の辺りからは、なにやらうっすらと神聖さすら感じられる。
絆創膏を貼らなくても、痕から液体が漏れ出てくる心配もなさそう。刺した瞬間に回復しているから大丈夫なんだろうか。
「あ。ゆっくりしていって、って言ったけど、別にずっといてもいいからねー。部屋数にはまだ少し余裕あるし」
「は、はい……」
まだ驚きがおさまらない。同じ勇者であってもここまで違うのか。戦闘に特化している私と回復に特化している陽ちゃんさん。前衛と後衛で役割分担されているみたいで興味深い。この力を私たちに与えた? 存在は一体何を考えているんだろうか。
にしても……戦闘に特化、ねえ。自分で言ってなんだが、とてもじゃないが今の私には笑えない話だ。
「それじゃ、この注射がすごいって理解してもらえたところで、今度こそ、この2人の治療始めていい?」
「はい! お願いします」
「はいよー」
なんにせよ、回復能力があるんだったら大歓迎だ。さっきは突然だったから止めちゃったけど、今度は効果もわかったし安心して見ていられる。
「それじゃまずはこっちの男の子から……。はーい、プスー……っと。はいオッケー。いやー、この注射器だとアルコール綿で患部を消毒しなくてもなんかきれいになるから便利なんだよねー。そんなに資源があるわけじゃないし助かるんだー」
とてもスムーズな様子で注射を打っていく。その動きは、平和な頃インフルエンザの予防接種をしてくれた看護師さんくらいに手慣れた手際だった。
「そんな簡単に……ずいぶん手馴れているんですね」
打たれたマコトは、荒くつらそうな呼吸から少しずつ落ち着いた呼吸へと変化していった。拭いてもすぐに出てきたおでこの汗の出の勢いも落ち着きを取り戻しつつある。
「まあ、お父さんの……院長の娘としていつかこの病院を継がなきゃいけないからね。基本的な治療のやり方とかは多少身に付けているつもりだよ。それにこの注射器は他の注射器よりもなんか打ちやすいんだよねー。少なくとも練習キットのやつじゃ比べものにならないくらい」
と話をしながら、続けて明にも同じように注射を打つと、明の真っ赤になっていた顔もわずかな赤みを残して高熱と共に徐々に引いていった。
「万能注射器だけど、さすがに一発打って『はい完治』って言えるほど超万能じゃないから、もう何回か打たないと完治ってわけにはいかないんだ。それに過剰に打ち過ぎるのもよくないから、今日の治療はここまで!」
「それでもすごいですよ! って、そういえばまだ言ってなかった。二人を助けてくれてありがとうございます」
「医者は患者を助けるのが仕事だからね。灯ちゃんは……」
「私はさっき診てもらったところくらいなんで大丈夫です。助けてもらった私が言うのもなんですが、無駄遣いしないようにしてくださいね」
「それに関しては大丈夫、心配いらないよ。なんかよく分かんないんだけど、どれだけ使ってもすぐ補充されるんだよね。ほら」
見せられたメモリを読んでみれば、たしかに治療の前と今とで値が変わっていないことが読み取れる。薄く発光する透明な液体で注射器の中が満たされていた。
「本当だ……」
「だから、どれだけ使っても大丈夫なんだよ。すごいでしょ」
……すごすぎる。私の力は今のバーテックスが蔓延っている世界でしか有用じゃないけど、陽ちゃんさんのはいつのどの世界でだって超強力な力になる。
生きていくための食料、死なないための回復。それがこんなにも簡単に、そして無尽蔵に行えるなんて、まるで神の所業だ。
「……陽ちゃんさんって、勇者って言うより救世主って感じですね」
ふと思ったことをポロッと口にすれば、しかしそれはすぐに否定された。
「救世主だなんてそんな、仰々しいよ。アタシはただの中学一年生。それに、それを言ったら灯ちゃんのほうがよっぽど勇者っぽいじゃない。あの白い……バーテックスがたくさんいる外を、二人も抱えてここまで来たんだから。…………少なくとも私には……」
「? 陽ちゃんさん?」
「……っ、ううん。この話はまた後で! ささ、治療も済んだし、2人はこの部屋で休んでもらって、次はこの病院を案内するよ」
「そう、ですね。二人の容態がちょっと心配ですけど……よろしくお願いします」
「大丈夫! バーテックスが現れてからの死亡率は…………、あー、この注射器のせいでの死亡率はゼロなんだから」
「?」
なにやら含みがあるような言い方に聞こえたけど……。
「っよし! それじゃ行こっか。まずはこのフロアから」
「は、はい」
いまだ若干の困惑状態な私の手を取って、陽ちゃんさんと私は新しい拠点になりそうな、白糸病院の中を巡ることになった。
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「んま、と言ってもウチの病院は他の病院よりも少し小さいくらいで、大して物珍しいところはないんだけどね」
と、意気揚々と出発した矢先に、案内はあまり意味がないことを告げられた。
今は先ほどいた3階から降りてきて、1階にいる。
「1階部分は外来で来た人向けに外科内科小児科とか基本的なものが揃ってて。あ、奥の方に行けばレストランもあるよ。……今は営業してないけど」
営業しても食べるものが外から入ってこないからねー、とバーテックスが現れてからの世界ではありふれた閉店理由を教えてもらった。
「ここのカレーは特に美味しくって、お昼時にはお客さんでいつも満席だったんだけどねー」
「私たちもこの数ヶ月で何回かレトルトのカレーを食べたんですけど、やっぱりお店のカレーとは全然おいしさが違いますよね」
「あ~話してたらお腹空いてきたー。……どうしようかな。いつもよりも少し早いけど、お腹も空いたし一発決めちゃおうかな」
そう言うや否や、肩から下げたポシェットから先ほどの注射器を取り出して、自分の腕に注射をし始めた。
今陽ちゃんさんが打っている液体には、回復効果以外にもお腹を満たす効果があると言っていた。つまり、これが彼女の、と言うかこの場所での──、
「──ふぅ。一応これでお腹いっぱいにはなるんだけど、口に入れて歯を動かしたりしてないから食べた感じがしないんだよねー」
「ここではこうやって食事を?」
「そ。でも手軽にお腹いっぱいになるけど、やっぱりカレーとかハンバーグーとかオムライスーとか、そういうものを食べてお腹いっぱいになりたいって思っちゃうんだよねー」
こんな世界じゃそんな贅沢は言ってられないけどさ、と少し陰りのある苦笑いを浮かべる陽ちゃんさん。
たしかにすぐに食事がすんでかつ栄養バランスも完璧とくればひどく魅力的だけど、それと引き換えに食の楽しみが無くなってしまうのは考えものだ。
それを恐らくバーテックスが現れてからの数か月間ずっとやってきた陽ちゃんさんのことを思うと、何とも言えない気持ちになる。
食事の面だけを考えてみると、私たちは結構恵まれていたのかもしれない。
いつだったか、デパートで食べたナンのことがふと頭の中をよぎった。
あれは、とてもおいしく──楽しい食事だった。
1階を見終え、2階へ。電気の止まったエスカレーターを上って移動していく。
「2階部分は外来 + 手術室とかがあるフロアになってて。それ以降の3階から一番上の5階までが患者さんが入院する病棟になってるよ」
「ということは、他にも生存者が?」
「いるよー。見に行く?」
「ぜひお願いします!」
やっぱり生存者は他にもいたんだ。陽ちゃんさんの言葉の雰囲気的に良そうな感じはしていたからとても喜ばしい。
エスカレーターに戻り3階へ上っていくと、入院病棟にたどり着いた。
入り口のプレートには301、302、303……と、書かれていて、その下には数名の名前が記されていた。
「ん~じゃあ適当に……、303号室にしようか。こっち」
きょろきょろとフロアを見渡している私の腕を引き、303号室まで連れていかれた。
閉められていた入り口のドアを開けると、その部屋には4つベッドがあり、そのうちの2つに人が寝転がっていた。
中年の男性と若めの男性。中年の男性は眠っていたが、若い男性の方は私たちの──具体的には見知らぬ人物であろう私のほうを見て驚いた顔をしている。
「お邪魔しまーす」
「──っと、そうか。もう夕食の時間に……。ええっと、白糸ちゃん? そっちの女の子は……?」
「こんばんはーオガタさん。こちら、さっきウチに来た灯ちゃんです」
「ええっ、ちょ……。こ、こんばんは……」
「あ、どうも……。え? さっき来たって、どういうこと? ……もしかして、助けが来たのか!?」
「いえ、灯ちゃんとあと二人が来ただけで……」
「っ……まぁ、そうだよな……。悪い、ええっと灯ちゃん?だっけ? ここは良いところだし、ここには白糸ちゃんの魔法もあって安全だからゆっくりしていきなー」
「よ、よろしくお願いします」
目に見えて落ち込まれたことにより、若干の申し訳なさが込み上げてくる。
でも、そりゃそうだ。今まで見てない人物が子供の姿とはいえ急に現れたんだから、助けが来たんだって勘違いされても仕方がない。
「あ、夕食はもう少し待っててくださいねー。今、灯ちゃんを案内している途中なんで」
「あいよー。じゃそれまで、もう一眠りでもしていようかね……」
「ええっ!? 私は後回しでいいですよ」
「いいのいいの。向かいのマスダさんはー、今は寝てるから今度でいっか……よし。それじゃ次の部屋行ってみよー」
「ええっ……し、失礼しましたー」
「んー」
一人先に行ってしまった陽ちゃんさんを追うように病室を後にする。
人を待たせている、ということが分かった以上あんまりゆっくりはしていられない。テキパキと見て回って、早く夕食の時間にしてもらわなくては。
その後も同じように、病室に入っては挨拶をして、二言三言会話をしたら次の病室に行く、を繰り返した。
患者さんは20代から60代くらいまでの人が多く、皆がベッドの上でゴロゴロと生活をしていた。
けれど入院しているのにも関わらず、具合の悪そうな人や怪我をしている人は誰もいなかった。皆が皆健康体で、活力に満ち溢れているような様子だった。
十中八九あの注射の影響だろう。あの回復力の注射を毎日受けていたら、そりゃどんな怪我でも治るに違いない。
3階と4階が終わり、5階の挨拶回りをしていると、前から6.70代ほどの女性が話しかけてきた。
「あーいたいた、やっと見つけた。陽ちゃん探したわよ」
「マキノさん。どうしたんですー?」
「この前お薦めしてくれた本を読み終えちゃってね。次の本が読みたいなぁと思って」
「分かりました。それなら後で持っていきますねー」
「お願いねぇ。それと……」
と言いながら私の方を一瞥し、
「隣の子、もしかして院長先生が連れてきた子? やっと帰ってきたの?」
「あー、違います。彼女はまた別でして……」
「あらそうなの? ごめんなさいねぇ。えっと、隣の……」
「岩波灯です」
「岩波さん。陽ちゃんのことよろしくねぇ。この子、院長先生がいなくなってから塞ぎ込んじゃってて心配で心配で……」
いなくなった? 院長先生って陽ちゃんさんのお父さんのことだよね?
ってことは……。
言葉にされなくても、これまでの経験則的に大体の内容が察せてしまった。
「っ、マキノさんいいですってホント、大丈夫ですから」
「あらそう? 陽ちゃんがそういうならいいのだけれど。それじゃおばちゃんは帰ろうかしら。本、お願いねぇ〜」
「はーい分かりましたー。…………ふぅ」
おそらく自身の病室を帰っていくマキノさんを見送った陽ちゃんさんは、ひとつ大きなため息を吐いた。
「あー、もしかしたら気づいてるかもだけど、さ」
頭をかきながら私の方へ体を向け、ぽつりぽつりと話し始めた。
「今マキノさんが言ってたように、お父さんここにはいなくってさ。……出ていっちゃったんだよね。
化け物が現れて三日目だっけかな。最初は大混乱だった病院内もほんの少し落ち着いてきた頃、お父さん『自宅で動けずに助けを待っている人がいるかもしれない』とか言って、医療道具と他のお医者さん数人を連れてここから出ていっちゃったんだ」
「外には化け物がいっぱいいて危険だ、やめて、って言っても全然聞いてくれなくて。それから……今日になってもお父さんはまだ帰ってきてないんだ」
さっきまでの元気な陽ちゃんさんはそこになく、その顔からは悲しみの感情がうかがい知れた。
「探しに行きたくても私にはお父さんが残した患者さんがいてみんなを助けられるのは私だけだし、なによりあんな人喰いの化け物がいる外になんて怖くて行けるわけがない。
だから少しでも時間が空いたら窓からお父さんが帰って来ないかを見ていて……そうしていたら灯ちゃんを見かけたんだ」
「そう、だったんですね」
「お父さんじゃなかったけど、灯ちゃんと出会えてよかったよ。ここにはわたしたちみたいな子供はいないからね。……みんな我慢だけの生活に耐えきれなくなって、……死んじゃったんだ。ひどいよね、ここ病院なのにさ」
そう言いながらチラと注射器に目をやる。
お腹も減らなく傷も治る……だけど、その先に希望がない。どれだけ生き長らえられても、その先に希望がなくては人は生きていけない。
私はその希望の重要さを痛いほど知っている。
だから、
「……ってごめんね、急に暗い話して」
「……あの、」
「ん? どうしたの灯ちゃん」
「私と一緒に、あの化け物を倒しませんか?」
ここにいる人たちに、なにより彼女に希望を持ってほしいから。
気づけば私は彼女に向かって右手を差し出していた。