ここから灯は下へ下へと転げ落ちます。
今回は白糸陽視点からスタートしていきます。ちょい短めです。
《2015年11月下旬 白糸病院》
〈白糸陽 視点〉
──最初に異変に気が付いたのは、患者と一番触れ合っているアタシだった。
「んー? なんだか最近みんなの治りが悪いような……?」
手に持つ注射器を手慰みに回しながら、ここ最近になって回復が悪くなった患者さんたちのことを思う。
きっかけは患者の咳だ。
その人はもともと喘息持ちで、肺炎のような症状を発症したためバーテックス襲来の日よりも少し前に、この白糸病院に入院してきた。
そしてあの日、この奇跡の注射器をゲットしたあの日から、限られた薬での治療をやめて注射器での治療をするようになった。
この注射器の効果のおかげで日に日に調子も改善していき、つい最近まで完治に近い状態まで回復していた。……回復していたはずだった。
「ごほっ……! あー、なんだか最近ちょっと喉の調子が良くないんだよなぁ。もう冬の季節だからかねぇ」
病室に入ると、ちょうど件の患者さんが咳をしていた。
「失礼しまーす。ホント最近寒いですよねー乾燥もしちゃいますし。加湿器とかあればいいんですけど……アタシ作の手作りペットボトル加湿器で我慢してください」
「んまー陽ちゃんの頼みじゃあ、おじさん断れねぇなぁ」
「ははっありがとうございます」
たしかに冬で空気が乾燥してはいる。十一月ももう終わりを告げようとしている、冬の時期。喘息持ちの人にとっては大変な季節ではある。
けれど、たぶんこれが原因ではない気がする。
「それじゃ早速、お昼の分の注射していきますよー。腕出してくださーい」
そう言って私が取り出すのは、いつもの奇跡の注射器。透明で少し輝いていて、大抵の症状や傷なら治すことのできる奇跡の注射だ。
……けれど、今この液体は薄くはあるけれど、白く濁ってしまっている。
この濁りが始まったきっかけははっきり分かっている。
あの日、初めてバーテックスを倒すことができたあの日。転んでしまい間違ってバーテックスの破片を注射器の中に入れてしまったあの日。
あの日から液体が濁り始めてしまった。
「今日はいつもよりも少し多く注射しておきますから、我慢してくださいね」
濁った液体は以前よりも治癒能力が低くなっていて、ちょっと見た目も悪い。
灯ちゃんは、中の液体は聖水のようなものだから時間が経てば消えるって言ってたけど、数日経っても全然消える気配もないし小さくもなっていない。灯ちゃんの言うことを疑っている訳じゃないけど、どうなっているんだろう?
しかもちゃんと計ってないから違うかもだけど、たぶんこの濁りは日に日に濃くなっている気もする。
濁りが進むたびに液体の治癒能力も落ちていっている気もするし、もしこのまま濁り切ってしまったらどうなるんだろう?
「はい終わりましたよー。それじゃあまた来ますね」
ゆっくり丁寧に腕から注射器を抜く。今日注射したのは以前の1.3倍の量になっている。
効き目が薄くなってきているぶん多めに注射しないと効き目が悪くなってしまう。オーバードーズにならないかが心配だけどどうなんだろう? 奇跡の注射器とはいえ不安がないと言えば嘘になるけど、前例もないものだし緊急事態だから仕方がないと割り切ろう。
最悪オーバードーズになって依存症状になったとしても、ここは病院で院長はお父さんだ。きっと治療の解決方法を見つけ出してくれるはず。
何より一番重要なことは、ここにいる患者さんたちをお父さんを見つけて帰ってくるまで無事に生き延びさせること。
アタシは今、お父さんから患者さんを預かっている。お父さんの娘として、この病院の院長の娘として、一度預かった命には責任を持たなければならない。
アタシがみんなを守っていかなくちゃ。
「そのためには……と」
周囲を振り返り、誰も見ている人がいないことを確認してから、自分の左腕に注射針を刺す。
「今灯ちゃんも来て調子もいいんだし、アタシが倒れるわけにはいかないから、ね」
そう一人ごちながら、さっきの患者さんに注射した倍の量を自分に注射していく。
別に特段体調が悪いわけでもけがをしている訳でもない。けれど、ここ最近は灯ちゃんが来てバーテックスのことを教えてもらったり、戦い方まで教えてもらったりと、自分からは何も行動してこなかったアタシの4か月間と比べると激動の日々だった。
肉体的にも疲労は溜まっているし、きっと精神的にも疲れているに違いない。もともと運動はあまり得意ではないアタシにとっては、いつ倒れてしまってもおかしくない状況にある。
だからこれは、その予防接種のようなものだ。気絶に対する予防接種。
注射器の取り扱いを知っているのも、この注射器の力を使えるのもアタシしかいない。アタシが倒れたらみんな餓死してしまう。お父さんから預かっている命が台無しになってしまう。
それだけは避けなければいけない。
「それに、一応のオーバードーズの影響もチェックできるし」
試せることは試して、出来ることは無理をしてでもやっていこう。
昼食という名の過剰な接種を終えて、アタシは次の患者さんが待つ病室まで歩いて行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《2015年11月下旬 白糸病院》
〈岩波灯 視点〉
最近、ほぼ治りかかっていた二人の容態が芳しくないような、そんな感じがする。
『なんかちょっと、体がダルい……かも?』
『きっと、ずっと身体も動かさずに病院のベッドの上にいるから体が鈍ってるんだろ。走り回ろうにも病院内は走っちゃいけないしな』
『そうなのかな~』
『オレも全然動いてないからなー。体が重いぜ……』
なんてことをついこの間まで話していたと思ったら、
「あー、オレ37.1度……最近体がだるいと思っていたら、また風邪か……?」
「明は37.2度になってる。……風邪なのかな? 何でだろう、毎回注射してもらっているのに」
マコトと明が発熱をした。微熱だけど、ずっと体がだるいと言ってきてのコレだから少し心配になる。
「ようやく動けるようになってきたと思ったらこれかよ……」
「なんか体がぽかぽかするよ~」
「明も熱あるんだから暴れない! とりあえず二人とも安静にして寝ててね。解熱剤と、あとマスクがあるかどうか聞いてくるから」
「おー、妹は俺が見ておくから頼むわ」
「よろしく!」
病室を出て、どこにいるか分からないけど陽ちゃんさんを探しに行く。
にしても、本当に何でだろう。毎食注射を……というか、いまや毎食が注射になっているんだけど、なんにしても毎回あの回復薬を打ってもらっているのに発熱なんて……。
あの回復力を知っているからこそ、この発熱の症状に違和感を抱いてしまう。
もしかして、あの注射でも対処できないほどの変なウイルスでも取り込んでしまったんだろうか……。
「とりあえず私も罹ったら大変だし……って私、この体質的に病気に罹るのかな?」
明に言わせれば『勇者体質』。おそらくバーテックスと戦えるように神様かなんだかが変えてくれた私の体質。
もうこの体質にも慣れてきて、かなり前から睡眠を必要としていない。きっと眠っている間に襲われることを心配した神様からの配慮なんだろう。実際のところ、寝ようと思えば寝ることは出来るけど、実際に寝ているときに取り返しのつかないことがあったから、それが怖くてもう簡単には寝ることが出来ない体になってしまった。
この体質を考えれば、ウイルスなんていう身体的に悪影響の塊は受けつけないんじゃないか?
……なんて考えたけど、同じ「勇者」である彼女の薬が効かない今、この体質が発揮されるかどうかもちょっと怪しい。
やっぱり人間、慢心せずにきちんと風邪対策をしよう。
「……あっ、陽ちゃんさん!」
「ん?」
などと考え事をしていたら、ちょうど前から歩いてきた彼女と出会えた。
「どうしたの灯ちゃん?」
「この病院、解熱剤とかありますか?」
「そりゃ病院だからあるけど……もしかして、誰か熱あるの?」
「ちょっと前からマコトと明がだるいって言ってたじゃないですか。それでさっき熱を測ったら微熱があって」
「そう……」
「……?」
あまり反応が良くないけど、どうしたんだろう。
「どうしたんです?」
「えっと、ね……」
「はい」
「ん~うん。これを見てくれる?」
と言って突き出されたのは、いつもの注射器だった。
「って注射器じゃないですか。これが……あれ?」
「そう。なんか最近、正確に言うとアタシがバーテックスを初めて倒したあの日、ちょっと注射器の中に入れちゃったじゃない? それからちょっとずつなんだけど、液体が白く濁ってきてるんだよね」
「あっ本当だ。たしかに前見たときよりちょっとだけど白くなってますね。……って、あれ? これって……」
一瞬言葉が詰まった。
液体が白くなっていることもびっくりだけど、そんなことよりもこれは……、
「気づいた? なんかこのバーテックスの肉片、大きくなってる気がするんだけど?」