とある魔術の叛逆者   作:オキシドール大魔神

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不幸 hard_luck.

 上条詩菜(かみじょうしいな)のお腹に、新たな命が一つ宿った。その事実に詩菜はもちろん、夫である上条刀夜(かみじょうとうや)もたいそう喜んだ。

 順調に出産予定日を迎えたが、一つのトラブルが発生した。

 生まれた赤ちゃんが、泣かなかった。赤ちゃんは泣くことで肺呼吸を始めるため、泣かないということは呼吸をしていないことを意味している。

 もっとも、産婦人科医らにとっては、この手のトラブルは頻繁ではないにせよ珍しくもない。

 冷静かつ迅速な対応の結果、赤ちゃんは数時間後には無事に詩菜の腕に抱かれた。トラブルはあったにせよ、無事に赤ちゃんを抱くことができた夫婦は幸せの絶頂だった。

 ……しかし、その幸せは長くは続かなかった。

 赤ちゃん――当麻(とうま)と名付けられた――は、生後からわずか三ヶ月で病気を患った。

 もっとも、病気を患ったこと自体は不運だとしても、これも別段珍しいケースではない。

 本当の悲劇の始まりは、その後だった。

 当麻は、医療ミスにより意識不明の重体に陥った。何とか生き延びて退院するころには、生後から換算して一年と二ヶ月も後のことだった。

 最初の誕生日を病院で迎えた当麻の不運は、退院後も続いた。

 詩菜が当麻を乗せたベビーカーを押して街を歩けば、上から鉄骨が降ってきた。

 刀夜が運転する車で買い物に行けば、車上荒らしに遭い、後ろから衝突された。

 一家でピクニックに行けば、通り魔に襲われた。

 その都度、軽い入退院を繰り返した。

 外出すると災いが降りかかると判断した夫婦は、息子を連れての外出は極力控えた。

 それでも、理不尽は止まらなかった。

 二歳になった当麻は、母乳と離乳食からシフトして幼児食を食べるようになった。詩菜手作りの幼児食を食べて、当麻は倒れた。幼児食に使われた食材の一つに劇薬が混入されていたためだった。

 当麻は二ヶ月ほどの入院を強いられ、詩菜は病院に泊まり込んだ。

 それは不幸中の幸いだったかもしれない。なぜなら、隣人の煙草の不始末による火事で住んでいた賃貸マンションの一室が燃えたからだ。

 刀夜は仕事で、当然ながら当麻と詩菜は病院に居たため無事だった。

 もしも当麻が入院していなかったら、当麻と詩菜は火事に巻き込まれていたかもしれない。そんな風に、夫婦はポジティブに考えるよう努めた。

 やがて、当麻は無事に退院した。

 刀夜は、妻と息子を迎えるため新たな借家を借りていたが、そこでも悲劇は起きた。

 刀夜が仕事中の上条家に、窓を割って不審者が侵入した。

 まず、息子を守ろうとした詩菜が、しかし何もできずにロープで縛られた。不審者はその後、怯えて動けなくなっていた当麻を捕まえて暴力を浴びせた。顔面の原形が分からなくなるほど、当麻はボコボコにされた。

 口をガムテープで塞がれた詩菜は、一部始終を泣きながら見ることしかできなかった。

 不審者の凶行は、それで終わらなかった。

 詩菜を、強姦(レイプ)した。

 その間に、窓の割れた音を不審に思った近隣住民の通報でやってきた警察により不審者は現行犯逮捕されたが、詩菜の局部からは白い液体が垂れ出ていた。

 悲劇は完了してしまっていた。

 当麻は入院、妊娠まではしなかった詩菜もメンタルクリニックに通う羽目になった。

 それだけの悲劇があっても、詩菜も当麻も何とか壊れなかった。何とか踏ん張った。

 心配になった刀夜は、もう一度オートロックがあるマンションに住もうと考えた。

 宅配などの業者を装うなどオートロックでも一〇〇パーセント安全なわけではないが、ただの無防備な借家とオートロックがあるマンションを天秤にかければ、安全なのは当然後者だ。

 そもそも、一〇〇パーセントの安全などこの世の中には存在しないし、『たられば』を言い出せばきりがない。

 安全度、実際に守り切れるかどうかはともかく、刀夜はできることなら家族と四六時中一緒にいて『守れる状況』にいたかった。

 だが、働かないとお金がない。お金がないと、生活できない。

 守る守らない以前の問題。結局、刀夜は働くことしかできなかった。

 そうして刀夜は、出張先の海外でテロ事件に巻き込まれ死亡した。

 その訃報は、詩菜と当麻にとって今までのどの不幸よりも堪えた。

 それでも、詩菜は折れなかった。

 幼い当麻の心のダメージは計り知れない。ここで自分が折れれば、おそらく当麻も壊れてしまう。そう思ったから、詩菜は踏ん張った。その母親を見て、当麻も踏ん張れた。

 そんな母子を、一笑に付すように、嘲笑うかのように、不幸は止まらなかった。

 当麻に降りかかった理不尽の数々が近所で広まり、当麻は疫病神のレッテルを貼られた。

 近所の人間達は当麻を蔑み、陰湿な暴力を振るって排除しようとした。

 たとえば、当麻に向かって自動車が突っ込んできたら、周囲にいる人物は否応なく巻き込まれる。

 巻き込まれた側はたまったものではないだろうが、当麻に過失があるわけでもない。

 巻き込まれたくないのなら関わらなければいいだけなのに、人間達は関わらないのではなく、積極的に排除する動きを見せた。

 両親以外で当麻と普通に接してくれたのは、従妹の竜神乙姫(たつがみおとひめ)だけだった。彼女だけは、理不尽に巻き込まれようと『だって、おにーちゃんのせいじゃないじゃん』と当然のことを言って、当麻に懐き続けた。

 しかし、彼女の両親がそれを認めなかった。無理矢理二人を引き離し、会わせないようにした。

 母親以外のたった一人の味方を失った当麻は、さらに意気消沈した。詩菜もさすがに限界を迎え、体調を崩して入院した。

 詩菜が横たわっているベッドの側で、当麻はふと呟いた。

 

「ぼく、めいわくだよね。死んだほうがいい?」

 

 その瞬間。

 息子にこんなことを言わせてしまったのがあまりにも情けなくて、詩菜は涙を流した。

 

「……ごめんなさいっ。……本当にごめんなさい……っ!迷惑なんかじゃないっ。私は、当麻さんが大好きなの……っ」

 

 詩菜は息子を抱きしめて、謝った。

 そして、心の中で誓った。

 理不尽なんかには絶対に負けない。屈しはしない。

 母子の絆は、逆に深まったのかもしれなかった。

 

2

 

 しかし、ついに決定的な出来事が起こった。

 ある日、学園都市から『上条当麻の不運について調べたい』という旨の文書が届いた。

 学園都市とは、東京西部を一気に開発して作り出された街。

 『記憶術』や『暗記術』という名目で超能力研究、即ち『脳の開発』を行っている上、あらゆる科学技術が最先端。それがどれほどのものかと言えば、『外』より数十年ほど文明が進んでいるレベル。

 そんな学園都市で調査すれば何か分かるかもしれない。

 もちろん、当麻を研究材料の一環として見ているだけの可能性は高い。

 だから、本音を言えば預けたくない。できれば己の手で守りたい。

 しかし実際問題、現状では当麻を十分に守れているとは言い難い。命だけは何とか繋ぎ止めているだけだ。本当は、藁にも縋らなければいけない。

 悩んだ末、詩菜は当麻を学園都市に預けることにした。車が故障していたので、学園都市近く行きのバスで当麻を連れて行った。

 その道中、バスジャックが起きた。

 拳銃を持つバスジャック犯はバス内を徘徊し、詩菜らの目の前で止まった。

 

「そのガキ、気に入らねぇな」

 

 一人ぐらい殺しても問題ねぇか、とバスジャック犯は銃口を当麻に突き付けた。

 気に入らないからとりあえず殺す。

 今までのどの理不尽よりも、理不尽だった。

 

「当麻さんっ!」

 

 詩菜は当麻を庇うように両手を広げて立って、直後に銃声が響いて、倒れた。

 その直後、その隙をついた勇敢な若者がバスジャック犯を取り押さえて、凶行はそこで終わった。

 だけど、当麻にとっては、やっぱり手遅れで。

 倒れた詩菜から広がる血だまりを見て、当麻は発狂した。

 

「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 当麻はバス内を震わせるような慟哭をあげて、やがて気絶した。

 

3

 

 上条当麻が目を覚ましてから最初に視界に入ったのは、病院の個室の天井だった。

 

「ん、どうやら目を覚ましたようだね」

 

 穏やかな声は横合いから。

 上条は首だけを向ける。

 そこに居たのは、カエルのような顔をした白衣を着ているおじいさんだった。

 上条は、バスでの出来事をゆっくりと思い出して、質問した。

 

「おかあさんは?」

 

「……すまない。僕の未熟な腕では、死者を蘇らせることはできないんだ」

 

 医者は渋い顔で謝罪した。

 

「おかあさんは死んだの?」

 

 医者は無言で、首を縦に振った。

 

「……じゃあ、ぼくも殺して」

 

 病院に上条と彼の母親が搬送されてきた時、母親は既に息を引き取っていた。

 肉体的には無傷の上条をひとまず引き取り、その際、これまで上条が受けてきた理不尽を知った。その境遇から、彼の気持ちと言いたいことは推測できる。

 その上で医者は、はっきりとした口調で答えた。

 

「それは、できない。僕には、絶対にできない。なぜなら、僕は医者だからだ。人を助けたいから医者になった。その対極の行為にある殺人など、僕には死んでもできない」

 

 上条はまっすぐと、しかし感情が死んでいる瞳で医者を見つめながら、

 

「ぼくは、生きていたってみんなにめいわくをかけるだけなんだ。だから、殺してよ。()()()()()()よ」

 

 医者の推測した通りの発言だった。推測した通りだったのが、とても悲しかった。

 年端もいかないどころではない、生まれてからわずか五年の子供が『生きているだけで迷惑がかかるから殺してほしい』なんて考えを思い浮かべられてしまうのが悲しかった。

 上条当麻にとっては、生きていること自体がこの上なく辛いのかもしれない。

 だけど。

 

「何と言われようと、僕にはできない。『死』は救いではない。少なくとも僕はそう考えている」

 

「……」

 

 上条当麻は無言になった。

 視線を下げて、ただ暗く深く、意気消沈していった。

 医者はその様子を見て、かける言葉が見つからなかった。医者にできるのは自殺の防止くらいだった。

 

 

 

 上条当麻をどう立ち直らせるか。

 悩んでいる医者の下へ、一本の電話があった。

 

4

 

「こんばんは」

 

 消灯後、ベッド上の上条の目の前に『人間』が投影された。膝まで届く長い銀髪に緑の手術衣を着ている『人間』の投影は逆さまだった。逆さまなのに、長い銀髪は床に向かって落ちておらず、水中にいる時のように揺蕩っていた。

 目の前の不可思議な光景に、絶望に満たされて思考もままならない上条は特別な反応はしない。

 もっとも、思考を巡らせたところで上条では、いいや、上条に限らず誰であろうとも、その現象を正しく説明するのは不可能だろう。

 

「こんばんは」

 

 ただただ単純に、何の考えもなく、挨拶は口をついて出た。

 

「さて、私がここに現れた理由だが、結論から言うと君の力が欲しいためだ」

 

 思考停止していた上条でも、さすがに当然の疑問が浮かんだ。

 

「ぼくの力がほしいって何?」

 

「君の右手には、幻想殺し(イマジンブレイカー)という力が宿っている。それが異能の力であるならば、神様の奇跡(システム)でさえ打ち消せる貴重な代物だ」 

 

 困惑から上条の眉がハの字になる。目の前の人間の言っている意味が理解できない。

 

「よくわからないけど、ぼくは死にたいんだ。だから、えっと」

 

 上条の様子を察した人間は、自らの名を名乗った。

 

「アレイスターだ」

 

「あれいすたーがぼくを殺してよ」

 

「君が死にたいと思うのは『皆に迷惑をかけて辛いから』だったな」

 

 なぜそれを知っているのかは疑問だが、そんなのはどうでもいいと言えばどうでもいい。

 上条は疑問をスルーして、端的に答える。

 

「うん」

 

「ならば言わせてもらおう。君が死ぬのは、私にとってはこれ以上ない迷惑だ」

 

「……え?」

 

「私は君の力が欲しい。だから君に死なれると迷惑という話だ。それに、君が死ねば従妹の竜神乙姫も悲しむだろう」

 

 何で乙姫のことを知っているのかなどの疑問は、虚を衝かれたことで抜け落ちていた。

 

「それにだ。『殺人はいけないこと』というのは分かるかな」

 

「うん……」

 

「では、そのいけない殺人を私にさせるのは、迷惑ではないのかね」

 

「あ……」

 

 盲点を突かれて、上条は呆然とする。

 

「自殺もまた同様だ。自分で自分を殺す……それもまた人が人を殺すことに変わりはない。であれば、それはいけないことなのは分かるだろう」

 

 まだ幼い上条は、何も言えない。

 

「私に限らず他人に君を殺させるのも、自殺しようとしても、人殺しである以上はいけないことだ。君が死ぬのは私にとっては迷惑だし、竜神乙姫は悲しむだろう。であれば、君は死ぬべきではない」

 

「なら……なら、どうすればいいの?生きても死んでもめいわくになるなら、ぼくはどうすればいいの?」

 

「死ねばそこで終わりだ。つまり、迷惑をかけたらかけたままで終わる。だが、生きていれば挽回できる」

 

「ばんかい?」

 

「失敗を君自身で取り戻せばいいということだ。そもそも、程度こそあれ迷惑をかけないなど誰しも不可能だ。生きていようが死のうが、ね。大事なのは、迷惑をかけないことではない。世のため人のため、何より自分自身のために、両親が産んでくれたことに感謝し、限られた人生をできるだけ笑って生きていくことだろう」

 

 両親が産んでくれたことに感謝し……という言葉が上条の心に響く。父も母も、たくさんの愛情を注いでくれた。自分を守ろうとしてくれた。それなのに『死にたい』というのは、天国の両親が悲しむのではないか。

 

「……わかった。ぼく、がんばって生きてみる」

 

 ようやく出た上条の前向きな発言にアレイスターは微笑して、

 

「私も無責任ではない。君に術を与えよう。その身に降りかかる不運を軽減はできないが、撥ね退ける強さを得ることは可能だ」

 

 強くなって、不運に負けないようにする。

 というのが何となく分かった上条は、

 

「……わかった!」

 

 こうして、上条当麻はアレイスターが敷いたレールの上を歩み始める。

 それは幸福なのか。はたまた不幸なのか。

 決めるのは、上条当麻自身だ




自分は基本ハッピーエンド主義者です。
そのためキャラ退場もあまり好きではありませんが、今回は上条に『強くなる』という動機を強く持たせるために、刀夜と詩菜のキャラ退場を含めて徹底的に理不尽な目に遭ってもらいました。

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