学園都市は子供が人口の八割を占める特異な街である。その性質上、夜になればなるほど、街中を歩く人たちは普通の都市よりも少なくなる。深夜にもなれば、その数は限りなくゼロに近い。
学園都市の主な治安維持機関は二つあり、一つは
風紀委員は、子供たちで構成され、風紀を乱すものを取り締まる役割なのは学園都市の『外』と変わらないが、その職域は学校外にも及ぶ。能力があるとはいえ、子供が子供を取り締まるので、一般的には子供同士のけんかを止めるくらいが上限だ。
警備員は、学園都市の教師が掛け持ちでやっているもので、主に学校外で発生する危険、凶悪な事件の解決に当たる。教師と掛け持ちなので、全員が全員体を鍛えているわけではないが、それでも最低限の武術と最新鋭の武器などの使い方は叩き込まれている。ド素人の犯罪者はもちろん、強能力者程度なら制圧できる程度の武力は有している。
いずれにしろ、治安維持機関は学生や教師で成り立っているため、深夜の学園都市で外出している人間は、やはり相当少ない。深夜から未明にかけての治安維持は、自動警備ロボットなどに任せている部分が大きいのが現状だ。
それゆえに、深夜以降に起きた事件であるならば、警備ロボットに打ち勝てる実力と監視カメラなどの映像等を細工する技術を持ち、よほど派手な痕跡を残さなければ、事件を闇に葬ることだって難しくはない。
――今回の事件も、それに該当することとなる。
学園都市は高い壁で覆われており、『外』との交流はいくつかあるゲートを介して行われる。
無論、ゲートには監視員もおり、自動警備ロボットなども配置されている。
侵入者の制圧に時間がかかるようなら、無人兵器も投入される。
人海戦術によるゴリ押しでもない限り、武器を持った軍人程度なら通さないレベルのセキュリティだ。
少なくとも、科学的なセキュリティなら世界でもトップクラスと言える。
だから、
「ハローアレイスター。この『神の右席』
ゲートの管制室まで侵入して尋ねる彼女が尋常ではないのだ。
ヴェントは、気絶している無傷の監視員をどうこうするわけでもなく、端末を操作するでもなく、銀色のハンマーを携えて喋っていた。
『別に魔術師なら、理由などいくらでもあるだろう』
端末の表示は何ら変わっていない。声だけが管制室に届いていた。
「魔術師の存在を認知している、と。科学王国の王がそれを知っているってバラしたらどうなるのカナぁ?」
ニヤニヤと笑うヴェントに対し、アレイスターは鼻で笑ってから、
『君の口を封じれば済む話だろう。こちらには「テロリストを止める」という大義名分もあるわけだしな』
「魔術師そのものは知っていても、私の実力までは正しく把握していないみたいね。魔術師を知っているなら
まるで予告本塁打のように、ハンマーを端末に向け、
「……ま、そんなのは殺しに行けばわかる話か。冥途の土産に私も教えてアゲル。私の『
アレイスターは、どうせ口封じするから『魔術師を知っていること』をバラした。
だからヴェントも、意趣返しとして自らの魔術の種を明かした。そもそも『天罰術式』は種がわかったところで対策できないものだと自負している。
『「神の右席」。ローマ正教の最深部でも、やはりその程度の認識か』
この発言には、さしものヴェントも眉をひそめる。
確かに『神の右席』というのは名乗った。だが、ローマ正教の最深部の枠組みとまで言った覚えはない。
魔術師の存在どころか、所属まで最初から把握していた?
『まあ無理もない。
虚言や妄言の類いには聞こえない。
何かある。
『神の右席』前方のヴェントをもってしても存在すら把握していない上に、戦力的にも対抗できるような何かが。
その上で、
「だったら、その切り札諸共潰してアゲル。お前があのアレイスターであってもそうでなくても、私が殺してやる」
ヴェントが死ぬか術式そのものが破壊されない限り天罰術式は解除されないため、それによって気絶した人間が時間経過で目覚めることはない。気絶した人間は、密閉空間にいない限り酸欠で死ぬことはないが、栄養を摂取しなければ緩やかに衰弱、やがて死ぬ。
ヴェントにとって天罰で気絶した人間は、もはや路傍の石と同じ。わざわざ学園都市を駆け回ってちまちま殺しに行く必要などない。
故にヴェントは、すぐそばで倒れている監視員をスルーして管制室を後にした。
ゲートが破られて数分後。
アレイスター以外にも、その事実を知って周辺のモニタリングを始めた者たちがいた。
ただし、ヴェントとアレイスターのやり取りは聞いていなかったため、そのモニタリングはやや混乱に見舞われた。
『こちらは唯一君が倒れた。呼吸、脈はあり命に別状はないが、目を覚ます気配はない』
「こちらも土御門が同じ状況です。土御門以外の他のメンバーは寝ていますが、起こしても今回は厳しそうですね」
上条勢力は、上条当麻と共に行動する一派と木原脳幹を中心に行動する一派がある。アジトも別々だが、定期連絡と緊急時はこうして連絡を取る。
上条は頭の中で、術式の種を明かそうと思考を巡らせる。
『唯一女史と土御門さんを含め、気絶した人の共通項は何か』
モニター越しに考えていることをあえて口に出しているのは、
『監視員はともかく、我々が魔術師に対してのアクションは目視のみ。故に、気絶の必要条件の一つは、かの魔術師を目視することだろう。私はそもそも純粋な人間ではないから、上条君は右手に幻想殺しがあるから効果がない可能性もあるから、目視以外の必要条件については私たち以外を基準として考えよう』
低い声で言葉を紡ぐ
「同感です。では、目視した時間について、そちらはいかがですか。こちらで最初にモニタリングを開始したのはおそらく土御門で、俺が気付いた時にはすでに彼はモニターに突っ伏していました」
『こちらでこの異状にいち早く気づいたのは加群君で次が私、唯一君は寝ぼけ眼をこすりながら一番遅くモニタリングを始めているから、目視した時間は条件ではないだろう』
『監視員と土御門さんは男性だが、唯一女史は女性のため性別ではない。監視員と唯一女史は大人だが、土御門さんは未成年だから年齢でもない。私が気絶していないことから距離および国籍や民族でもない。体格もそこまで差はないから違う……』
木原加群が次々に要素を羅列して否定していく中、木原脳幹が続ける。
『他に考えられる要素は……外的要因に当てはまりそうなものがないなら、残る可能性は内的要因、か?』
「……なるほど。感情がトリガーなのだとしたら、確かに説明がつきます」
『矛盾しないのは確かですね。仮にそうだとして、トリガーになる感情とは何か』
上条はモニターで改めて襲撃の様子を見る。
靴を含め全身は黄色で覆われている。服のベースはワンピース風で、フードがついておりそれを被っている。手には先端が有刺鉄線で覆われた十字の形をしたハンマーを持ち、それだけが黄色ではなく銀色だ。
舌からはチェーンでつながれた十字架も見受けられる。
そして、それらよりも異彩を放っていたのは目元に施された過剰な化粧と、そこら中にピアスが刺さっている顔面だった。
率直に思うのは、
「……嫌悪感」
蛇のような鋭い目つきをコーティングする厚化粧は威圧感があるし、顔面にいくつも刺さっているピアスは左右非対称で、とてもではないが美しいとは思えない。醜いとかではなく、『ムンクの叫び』のような不気味というか怖いというか、そういう意味で美しくない。
まるで、第一印象でわざと嫌われようとしているように見える。
『嫌悪感、か。確かにそれが一番有力な線かもしれない。唯一君は魔術師を一目見てすぐに気絶した。喜怒哀楽を抱くような時間もなかったはずだからな』
『監視員はともかく、ある程度の場数を踏んでいる土御門さんや唯一女史が恐怖心を抱くとは思えないし、嫌悪感がトリガーの最有力候補でしょうね』
「俺は正直嫌悪感ありますけど、それでも気絶しないのはやはり幻想殺しがあるからでしょうね。脳幹先生は人間ではなくて犬だから、ですかね。いや、そもそも嫌悪感を抱いてないですか?」
『別にセンスは人それぞれだからね。ただの事実や事象に対して思うことはさほどない。大事なのは過程や背景だ。それで言うと彼女の魔術には、いささかのロマンも感じられない。そういう意味では、今は嫌悪感を抱いているよ』
つまり、彼女を一目見たときは『独特なメンテナンスが施された顔』程度の認識だったが、その意図が嫌悪感を抱かせるように設定されたのだとしたら、それはつまらない、と言っているのだ。
これは正直少々話が脱線してしまうのだが、上条は聞かずにはいられなかった。
「脳幹先生なら、世界中を敵に回してでも貫きたい信念がある、というのはロマンを感じると思ったんですが」
『自分のやりたいことを貫いた結果として世界中が敵に
元々、木原脳幹のロマン云々は彼の主観によるもので、誰もが納得できる論理性があるわけではない。
よって、ここについて拘泥することに意味はない。
「脳幹先生ありがとうございました。話を脱線させてすみませんでした。俺も彼女の魔術は好きじゃないです」
『全然だ。むしろロマンについて話せる上条君との会話は楽しいよ。さて、話を本題に戻そうか。嫌悪感を抱かないなんて芸当ができる人間は、ここにいる加群君と引きこもりのアレイスター含めごくわずかだろう』
『襲撃の様子を見る限り、学園都市の無人兵器でも歯が立たない。私も今でこそ嫌悪感を抱いてないが、そのうち抱いて気絶してしまうかもしれない』
「であれば魔術師の迎撃は俺か脳幹先生が候補で、適任は俺でしょうね」
得られる情報量や速度、何より救世に関する制限を減らすため、上条は表の治安維持機関ではなく裏の世界に身を置いている。
そのため、表立っての派手な行動は上条にとって決して好ましくはないが、その観点で言うなら木原脳幹のほうがより好ましくない。
たとえば、人と喧嘩している姿一つとっても上条と脳幹を比べたら後者のほうが目立つだろう。上条なら多少まずい場面を見られてもまだ言い訳が聞くが、木原脳幹はそれがより難しいというのが一点。
また、木原脳幹は歴戦の猛者ではあるが、彼自身の武力は外付けの装備に依存する。脳幹本体は特別頑丈なわけではないし、特別な防衛で身を守っているわけでもない。つまり、攻撃が当たれば普通にダメージを負うし死にもする。
その点、上条は『死なない』ことに重きを置いた魔術師のためそのリスクもない。
以上から、上条当麻と木原脳幹の二択なら上条がふさわしい。
『いつもすまないね』
「いえ。俺も俺で経験値がほしいので、むしろありがたいです」
上条には、経験値の獲得という能動的な理由もある。
ノーリスクではないとはいえ、上条にとって強敵との戦いは望むところだ。
『ならば次は、魔術師が何を目的としてどこへ向かうかだな』
魔術師にとっては学園都市の存在自体が目障りだ。
攻め込む理由自体は無数に考えられるが、黄色い魔術師は投入された無人兵器を壊しただけで、街そのものの破壊はしていない。
視認させた後に嫌悪感を抱かせるだけで人を気絶させられるのなら、わざわざ人を殺して回るとも考えにくい。気絶から目覚めない人は適切な処置をしなければいつか死ぬ。いずれ死ぬ人間をいちいち殺して回るのは、大量虐殺そのものが目的でない限り非効率だからだ。
であるならば、だ。
「無差別な破壊や殺戮が目的でないなら、特定の個人もしくは施設を狙うとして」
『その対象についてもっともシンプルに考えるなら、この鋼と電子の街を築き上げた人間、アレイスター=クロウリーもしくは』
『彼が鎮座する「窓のないビル」だろうな』
一通り議論がまとまったところで、『それでは行ってきます』と言ってモニター切断まで見届けた木原脳幹と加群の二人。
最初に切り出したのは木原脳幹だった。
「とりあえず決め打ちで送り出したまではいいが、上条君は無人兵器を破壊した魔術のほうの分析はしているだろうか」
本来ならそこまで分析して送り出したかったが、何せ時間が時間。襲撃者の撃退は夜明け前に終わらせたい、を優先した結果だ。
「大丈夫ですよ。うちの当麻は鍛え方が違いますから」
木原加群は倫理と道徳を持ち合わせ、基本的には法規を守る冷静で理知的な人間だ。
老若男女にかかわらず、苗字に『さん付け』を徹底し(同姓が複数いる場合は除く)、目上でも目下でも敬語を使い、他人を不快にさせる可能性がある言葉やハラスメントにつながりかねない不用意な発言を控え、絶対や一〇〇パーセントなどの断定的な物言いは極力しない彼が、上条当麻にだけはそれをしない。
それが意味するところは、
「まったく君は、上条君に対してだけは親バカな一面があるな。いや、君たちは師弟関係だから師バカ……だと語呂が悪いから師匠バカか」
「すみません。当麻に関してはやや年の離れた弟くらいに思ってしまって……」
ラブラブのカップルを茶化したら思いの外素直に惚気られたような反応だが、あらゆる面で自信過剰な姿など見せない彼がここまでの反応をするのは、尋常ではない信頼関係のなせる業だろう。
そんな二人の関係性に、木原脳幹は強いロマンを感じる。
「では、上条君は『窓のないビル』に向かう道中に彼女の魔術を分析できると信じているわけだね」
「無論です」
多くをべらべらと語らず、あえて簡潔な物言いで終わらせるところも信頼の強さを窺える。
木原脳幹の分析では、彼女の扱うもう一つの魔術は『風』。
カメラ映像では派手な炎や電撃を出しているわけではなく、銀色のハンマーで無人兵器を直接殴打する場面もあったが空振りしている場面もあり、そのどちらでも無人兵器は破壊された。
つまり、彼女は不可視の攻撃を繰り出せることになる。不可視の攻撃でオーソドックスなものといえば『風』。
『目視された際に嫌悪感を抱かせるだけで気絶させる』反則級の術式に割いてきたリソースを考えれば、それに付随するオプション的な魔術を錬磨する時間はそれほどなかったはずなので、凝った魔術ではなく『風』あたりで落ち着くだろうという観点からも『風』が正体だろう。
「彼女が扱う魔術は『風』だと私は考えるが、『風』だと仮定した場合、どんな使い方をしてくるかの分析まで行えているだろうか」
「それも無論です」
『風』ができることは割とあり、攻撃面では単純に吹き飛ばすこともできるし、風の形状によっては切り裂くこともできるだろう。もしかしたら竜巻を生み出すことも可能かもしれない。
風によって空を飛べれば機動力や自由度も飛躍的に上昇するだろうし、風を纏うことができるなら防御面でも盤石だ。
それらをすべて踏まえたうえで、上条のスペックと照らし合わせて考えるならば、
「彼女がどこまで『風』を操れるかは不明だが、分析さえできれば特に問題ない相手だろうな」
「はい。懸念点があるとすれば、街の破壊や当麻以外の人的被害と、今回の出来事が公にならないようにできるかどうかですね」
木原脳幹すらそう思うのだから当然と言えば当然なのだが、木原加群にとって上条当麻の勝利はもはや前提。
そこに関しては当然のように一分の疑いもなく、それ以外の心配が多少ある程度、といったところだ。
木原加群は着用している白衣の襟を正しながら、
「分析も含めてこと戦闘に関しては経験値の関係もあるので口出しはしませんが、その他のバックアップやケアは我々で行いましょう。当麻の救世活動にケチがつくのは、彼も我々も望むところではありませんし」
相変わらず師匠バカの一面が多分に出ているが、それを茶化すほど木原脳幹は野暮ではない。
正直なところ、上条当麻の『救世にこだわる』思想は青臭い理想論だと感じている。不遇な人生を歩んでもなお――いいや、だからこそ不幸な人を少しでも減らしたいためなのか、どんなに茨の道だとしても救世を掲げ貫き通そうとする姿勢には、ロマンを感じざるを得ない。
木原脳幹にとっても、そんなロマンにケチがつくのはごめんだ。
だから、どれだけ青臭くても、師匠バカが当たり前のように協力させようとしてくるのも、気持ち良く飲み込めるのだ。
「アグリーだ」
そして、木原脳幹と木原加群も動き出す。
木原脳幹の読み通り、前方のヴェントは『天罰術式』の他に風を操る魔術も習得している。それを利用して宙に浮かび移動するのは造作もない。
ヴェントは管制室を出てから上空三〇〇メートルほどまで浮かび上がり、『窓のないビル』目掛けて猛スピードで直進していく。
纏っている風は、Gをはじめとする高速移動による弊害をほぼ無効化、物理的な攻撃ならほぼ弾くほどの防御力を誇るため、その気になればビルを貫いて強引に進むことも可能ではあったが、三〇〇メートルに達する高さのビルなどほぼない。
結果、ヴェントはものの数分で『窓のないビル』屋上の真上に辿り着き降り立つ。
アレイスターの殺害予告をしていたせいか、屋上の周囲には無人兵器が待ち構えていたが、銀のハンマーを一回転しながら薙いで暴風を巻き起こし無人兵器群を一掃する。
「ホント、話にならないわ」
もしかしたら細かい違い、どころか実は大きく違うのかもしれないが、ゲートの無人兵器も『窓のないビル』の周囲を警護していた無人兵器も破壊の容易さでいえば大差ない。
こんなので止められると本気で思っていたのだろうか。
ヴェントにとっては、科学だけでなく全世界とも戦えると自負している『天罰術式』があるため、どんな敵が迎え撃ってきたとしても勝利しその先の目的を達成する――のは当然ではあるが、こうもあっさり事が進むと拍子抜け過ぎてもはや馬鹿馬鹿しさすら感じる。
こうなってしまうともう、さっさと終わらせて帰ろうという気分にしかならない。
右手に掲げた風纏うハンマーを思い切り振り下ろす。無人兵器をたやすく破壊する威力の風のハンマーを受けてなお、『窓のないビル』は無傷だった。
(……どんな技術が使われているかわからないけど、わざわざ引きこもる以上は、それなりの防御力はあるってコトか)
硬いものを殴ったというよりは、タイヤでも殴った後のような気持ち悪い手応え。
イージーすぎた学園都市侵攻の中で初めてぶち当たった壁だが、退屈が紛れるわけではなく、むしろ面倒くさいという感情しか湧いてこない。仕方なく二撃目をどうしようか考え、とりあえずもう一度殴ろうと今度はハンマーを両手で持って真上に掲げたところで、――甲高い音とともに手からハンマーの重量感が消えた。
「……は?」
とりあえず顔を真上に向けると、粉々に砕け散った銀のハンマーの破片が降り注ぎ風の鎧によって弾かれていくところだった。
そして事態は、ヴェントに思考の余地を挟ませなかった。
ぐいっ、と彼女のフードが何かに強く引っ張られ、第七学区から見て北東方向にそのまま投げ飛ばされる。
(なんだ、なんだなんだなんだっ!?????)
疑問はいくつもある。
いくつもあるが、疑問をいちいち精査している暇などない。
不安定な姿勢で宙を舞い視界が高速でぐるぐるしている中でも、自分を投げ飛ばしたであろう気配が迫るのを感じているからだ。
本来ならば風の鎧があるため防御姿勢も回避行動も取る必要はないのだが、つい先ほど風の鎧を破られて投げ飛ばされている以上、追撃を食らわないとは限らない。
そんな論理的な思考をする余裕がないヴェントは、しかし本能レベルで危機を察知し自らの意思で上空へ舞い上がる。
結果、不意打ちを仕掛け続けた上条当麻の連撃はここで打ち止めになる。
鋭い蹴りは空しく空を切り、重力によって落下していく。
上と下。
分かたれた両者は思考を巡らせる。
(クソクソクソ!私がこんな後手に回る羽目になるなんて……アレイスターが言っていた『かの存在』とかいうのはアレか!?)
身体的なダメージはまだ負ってはいないが、それ以上の屈辱をヴェントは感じていた。
何せハンマーが破壊されるまで接近にすら気づかず、風の鎧を破られ無様に投げ飛ばされ上空へ逃げさせられている。
意図は不明だが、初手に投げ飛ばしをせずに殺しにかかられていたら……。
(……絶対に殺す!!!)
(ファーストプランは失敗。だが奴が俺の思った通りの性格ならば、まだチャンスはあるはず)
落下していく上条は、ヴェントほど空中を自在に動き回れないが、足から魔力を放出すれば直線的ではあるが身動き自体は取れる。
だが、ここではまだ無理に追撃を仕掛けない。機動力に差がある現状では追撃が実を結ぶ可能性は低い。
上条の目的はもちろん襲撃者の撃退だが、そのための過程は大事だ。襲撃者の撃退自体ができても、その過程で街が破壊され死傷者が出ては意味がない。
そのような被害を極限まで抑えるために、買い取ったうえで意図的に大部分を更地にした第一九学区へ彼女を運びたかったのだが、追撃をしてそちらの方向へ逃げるように仕向けるのは至難。
それゆえのセカンドプラン。運べないなら招くまで。
魔術師とは、限りなき願いや譲れない信念を抱いている。まして襲撃者は、単独で学園都市に乗り込んでくるほどだ。
傲慢で勝ち気な性格が尋常ではないなら、先ほどまでの攻防に屈辱を感じ自分を殺しに来る。
もはや挑発すらしなくても第一九学区に向かう自分を追ってくるはずだが、念のためダメ押しをしておく。
上条は左手の人差し指を襲撃者がいるだろう方向へ向け、そこから魔力の弾丸を放つ。
当たらなくても防がれてもいい。
こちらの存在をより強く意識させられれば、それでいい。
上条は両足から魔力を放出し、第一九学区の方向へ飛んでいく。
一方で、届いた青白い魔力の弾丸をヴェントは念のため回避する。
弾丸は何発も来るわけではなく、下から感じる強大な気配は明後日の方向へ向かっていく。
(……誘っている)
先ほどは気配を消して不意打ちをしてきたのに、あえて気配を出すのはそういうことだろう。
誘う以上は罠の可能性もあるが、それに怯えて追いかけない選択肢はない。
プライド的にもそうだし、その誘いに乗らなかったところでどうせ阻んでくるのは目に見えているからだ。
どっちみち取り除かなければならない障害。
天罰も効かず、風の鎧をも破る規格外の敵だとしても。
(科学は潰す!それを阻むなら誰が相手でも叩き潰す!)
強大な気配の向かう方向へ、ヴェントも飛び出していく。
(……天罰術式、か)
『窓のないビル』内部。
ホルマリンのような色の液体で満たされた円筒の中に逆さで浮かんでいるアレイスターは、モニターを眺めながら考える。
(せっかくの侵略者だ、
アドリブを効かせたくても、なかなかどうして上手くはいかない状況に思わず苦笑してしまう。
もっとも、そういう運命を選び取ったのは自分だし、そこで折れるつもりは毛頭なく抗う以外の選択肢はないのだが。
そういう点では、アレイスターはヴェントに多少のシンパシーを感じていた。
何せ、天罰術式は『嫌悪感』を抱かせることが発動のトリガーだ。
なるほど、こと戦闘においては反則レベルだが、冷静に考えればそれはつまり、世界中のすべてを敵に回す、誰からも好かれず嫌われる前提ということ。
どこかのゴールデンレトリバーが聞いたら、『ロマンがない』と一蹴しそうな常軌を逸した覚悟。
彼女にそこまで決意させた根源は、
(おそらくは、家族の死)
ヴェントについては――というよりローマ正教『神の右席』については調べていた。
その枠組みのすべてはまだ分からないが、事前に分かっていた情報と今回襲撃してきてからヴェントのみ集中して収集しなおした情報から、そのような仮定を導き出した。
アレイスターや学園都市の兵器がヴェントの家族に手を出したわけでもないのに学園都市を襲ってきたのは、
(――復讐者の性、かな)
たとえば、上条当麻が今の人生を歩み時始めたきっかけの一つは両親の死だ。父親である上条刀夜は出張先のテロ事件に巻き込まれ、母親である上条詩菜は学園都市に来訪するためのバスの中で狂人に殺された。
では、そのテログループを殲滅すれば気が晴れるのか。バスの中で母を殺した狂人を引き裂けば何かが報われるのか。
答えはノーだ。
そんな目先の復讐だけでは何も変わらない。
そう思ったから、アレイスター=クロウリーも上条当麻も、己が人生のすべてを費やし邁進し続けているし、ヴェントも家族が死んだ事件の根源と思っている科学そのものを憎み、そのシンボルである学園都市の中枢『窓のないビル』の破壊およびアレイスターの殺害を目論んでいる……といったところだろう。
(ヴェント、君の覚悟は認めよう。しかし覚悟とそのための準備なら、我々も負けてはいない)
ヴェントがどれだけの覚悟をして人生を捧げてきたとしても、こちらにも負けられない理由がある。
アレイスターは、自分が戦うわけでもないのに、本人どころか誰に聞こえるわけでもないのに宣言する。
「さあ勝負だ。前方のヴェント」
互いの意地をかけた勝負は、もうまもなく始まる。