一単語で「悪い」と言ってもその内容には実に多様性がある。僕はホグワーツの授業で身をもって学んだ。
例えば、一年生の時のロックハートの闇の魔術に対する防衛術は、ひたすら彼の自慢話を聞かされるだけで得るものがなかった点が悪かった。
ロックハートは自分の本を片手に持ち、空いた手を大げさに振り回して本の内容をよく再現していた——魔法なしで。僕のホグワーツでの一番最初の授業がこれだったので大いに失望した。てっきり呪文を教えてもらえるものと思っていたからだ。
彼から得られる指導は、時々生徒から一人選んでトロール役だとか雪男役だとかをやらせる時の演技指導だった。クラスメイトは指名されないように高く積んだ教科書の影に隠れたり、ロックハートと目を合わせないようにひたすら机の木目を数えたりしたものだった。初めに持っていた僕の期待も虚しく、結局一年生の間で彼から学んだ呪文は一つもなかった。
ロックハートの無茶苦茶振りはこれだけに留まらず、バレンタインデーには大広間をピンク色に染め上げ天井からはハートの紙吹雪を散らした。キューピッドに扮装させた小人にバレンタインカードを配達させるサービスまであった。アルバートがスリザリンの女子(とてもかわいかった)からカードをもらっていたので、ラッセルと一緒にからかってやったら一時間タップダンスを踊らされた。
四年生の時のアンブリッジの闇の魔術に対する防衛術は、実技を行わず延々と教科書を黙読するだけだったという点が悪かった。彼女が主張するには、「理論をしっかり身につければ必要となった場合におのずと使えるようになっている」とのことだった。詭弁にもほどがあるが、彼女は一年間を通してこの恐ろしく退屈な座学をやってのけた。
これだけだったらただの無害な教師としてみんなから憎悪を向けられるようなことにはならなかったが、ばかばかしい教育令なんかを出しまくったり授業の査察に来て妨害したり……等々しやがってみんなの不満が頂点に達した結果あんな大叛乱が発生した。
この二人の教師はそれぞれ悪い点が異なるためどちらがより悪いかなんて順位をつけることは困難である。これだけ見るとホグワーツの教師にはロクな奴がいないと誤解を受けるかもしれない。それは僕の本意ではないので良い先生も挙げておく。
一人目は我らがレイブンクローの寮監、フリットウィック先生だ。先生はどんな落ちこぼれの生徒でもOWLに合格するように指導してくれる。呪文学はからきしダメだったミッテルシュテットでも合格していたのだから間違いない。また、元気がない生徒の相談にものってくれる優しい先生である。僕が家庭で上手くいっていなかった頃、先生は部屋に呼び出して温かい紅茶とケーキを振る舞って話を聞いてくれた。
二人目はルーピン先生である。二年生の時に闇の魔術に対する防衛術の担当だった。前任者のおかげで僕はこの科目に何の希望も持っていなかったが、それをルーピン先生が拭い去った。闇の生物の実物を見せ、その対処の仕方を実際にやって見せて生徒にも練習させた。最初の授業でピクシー妖精を退治したときの鮮やかな杖捌きが記憶に残っている。僕たちはルーピン先生が好きだったのでずっと教えて欲しかったが、一年で辞めてしまった。これほどこの科目の呪いを恨めしく思ったことは後にも先にもない。
僕は先ほど悪い教師には順位がつけられないと言ったが、それはカロー兄妹を除いての話だ。あいつらは最悪の教師だ。
妹の方のアレクトは今年から必修になったマグル学を担当していて、マグルがいかに残忍で愚鈍な存在かを貧弱な語彙をもって懇切丁寧に教えてくれる。
「いわゆる思想教育をしたいんだろう」
と言うのはアルバートだ。
「だがやり方が洗練されているとは言えない。あいつに比べりゃかつてヨーロッパを支配したグリンデルバルドの方は言葉巧みに支持者を集めたそうじゃないか」
これはラッセルの意見だ。さすがに歴史に残る悪党と比べられたらアレクトの方もたまらないだろう。僕たちは大笑いした。
だが、そんなに笑ってもいられない。どんなに筋が通っていないような話でも何度も聞いていたら信じてしまうものらしい。ある下級生が、マグルはその昔魔力を手に入れるために魔法使いの赤ちゃんを焼いて食べたらしい、というようなことを友達にいかにも本当らしく話しているのを僕は聞いた。
「なんてかわいそうな赤ちゃん! マグルなんて助けてあげる価値もないね」
「マグル」と発音するときに思いっきり嫌悪感を表しながら相手は言っていた。こんな風にマグルに対する謂れのない中傷が子供の間で広まっている。
兄の方のアミカスは闇の魔術に対する防衛術を担当していて、防衛術ではなくむしろ闇の魔術を教えてくる。
新学期最初の授業はいきなり許されざる呪文の実技から始まった。さすがに死の呪文は除外されたが、他の服従の呪文、磔の呪文は練習させられた。真正面から反抗しても痛めつけられるだけなのは分かりきっていたので、僕たちは上手く出来ない振りをして呪文をかけ合い、互いに傷つけ合うようなことは避けた。服従の呪文をかけたときのラッセルのアホ面はめったに見れないもので少しおもしろかったが。
「レイブンクローのお前らはこんな呪文も出来ないのか? え?」
アミカスは馬鹿にしてきたが僕たちは聞こえない振りをした。こうして上手くやり過ごしていたが、こいつだって伊達に長年死喰い人をやっているわけではない。しばらくするとそうしてもいられない事態になった。
その日はいつもと違って授業が始まると僕たちは地下に移動させられた。部屋に入ると一年生から三年生くらいの生徒が数人、鎖に繋がれている。どの子も恐怖に顔を引きつらせ、目には涙を浮かべていた。いったい何なのだ? この状況は。
「どうだ? 出来の悪いお前らのために用意してやったんだ。今朝捕まえたばかりで活きがいいぞう」
アミカスは歌うように言った。その顔は満足げだった。ここまでくるとさすがに僕にもアミカスがこれからやろうとしていることが分かった。
こいつは僕たちに拷問をさせようというのだ。
「いいか、許されざる呪文をかけるには本気になる必要がある。しかしお前たちはどうにもそのことが分かってない。どうせ『でも同級生が相手だったら後で仕返しされるんじゃないか?』なんて考えているんだろう、お前たちは。ふん、臆病者め!」
アミカスは僕たちを睨みつけて罵った。
「そこで俺は考えた。同級生だから本気になれないのだ、ならば年下の弱っちいやつらにさせれば良いじゃないか。そういうわけで今日はゲストにお越しいただいた」
アミカスは哀れな下級生の側に行き、鎖をガチャつかせた。その子は恐怖で震えている。恐ろしい実技の時間が始まった。
僕の番が回ってくるといつも通り上手く術をかけられない振りをした。ところがアミカスはこれを見逃さず僕の方へ寄ってきた。
「バウマー、お前はどうにもこの呪文が苦手みたいだな?」
「はい、先生」
大丈夫だ。上手くやり過ごせる。僕は余計なことを言わないように気を引き締めた。だが、次の言葉で僕の意識は乱された。
「ところで、お前には妹がいるな? ハッフルパフで監督生の」
「……はい」
僕は口の中が渇いていることに気がついた。アミカスの方に目を向けないように前をまっすぐ見る。形勢が悪くなったことを敏感に感じとった鳶色の目が僕を見つめている。これから起こることでこの子は僕を恨むだろうか。
「お前の知っての通り、俺にも妹がいる。かわいいよなあ、妹ってもんは。え?」
首に臭くて生暖かい息がかかる。やめてくれ、これ以上は何も喋るな。
「あんまり兄貴の出来が悪いと優秀な妹は悲しむんじゃないかと俺は思うんだがな、お前はどう思う、バウマー?」
僕は何も言うことができない。のどに何かが詰まったように上手く息ができない。
「答えろ、バウマー!」
耳元で怒鳴られて思わず首をすくめた。
「……はい、そう思います、先生」
「じゃあ、やるべきことは分かるな?」
僕は杖を上げた。杖先が震えているのが目に入る。まだ幼い生徒がやめるように泣きながら懇願してきた。いったいこの子がどんな重罪を犯したというのだろう。ごくりと唾を飲みこんだ。
「バウマー! グズグズするな!」
「クルーシオ!」
途端に呼吸と悲鳴が混ざったような声が部屋に響きわたった。僕は耳を塞ぎたかったが、その術を持たなかった。一生耳が聞こえなくなればどんなに良いか。
「まだだ。もっと本気になれ! そして楽しめ!」
「クルーシオ!」
今僕が呪文をかけている物は人間じゃない。僕と同じ生き物じゃない。そうであってはならない。そうじゃなきゃ僕がこれを傷つけて良い理由などない。正気になってはいけない。そうじゃなきゃ気が狂ってしまう。悲鳴が頭にガンガン響いている。
「いいぞ! やれば出来るじゃないか」
肩に手を置かれた。終わった。解放されたんだ。僕は大きく息をついた。まだ身体が小刻みに震えている。胃から朝食が込み上げてきそうだったがこらえた。
ふとツンとした臭いがすることに気がついた。子供が粗相をしていた。鳶色の目から涙を流してしゃくり上げている。僕は目をそらして部屋の隅に移動した。
この日を境にしてこの科目で僕たちは優秀な生徒になった。下手に長引かせるよりは手短に終わらせてやる方が良いのだと思うようになったのだ。
……僕たちは危険な生き物になってしまった。必要とあらばためらいなく良心を捨て去る術を身につけた。
今日はクリスマス休暇前の最後のホグズミードに行ける日だ。三年も通っているとこの村でやりたいこともそれほどない。菓子を買ったり、インクやペン先を補充したりなどの用事が終わるといつものようにアルバート、ラッセル、僕の三人で連れだって三本の箒に向かった。
僕はアルバートに負けたのだから、ラッセルにまでバタービールを奢ってやる必要はないはずだ。なのに気づいたらラッセルもちゃっかり僕の金でバタービールを飲んでいる。納得がいかなかったが、その分宿題を見せてもらおうと気を取り直した。
ちょうど昼食の時間だったのでついでにビーフシチューも注文した。たまにはホグワーツの外で食事をするのも良いものだ。弱火でじっくりと煮込まれた牛肉からうまみがたっぷりと滲み出ているルーを味わう。そして柔らかくなった牛肉を口に含むとホロホロと崩れていって楽しい。この作業を無心で繰り返しているとあっという間に皿は空になってしまった。
僕は満足感でいっぱいになった。何があっても腹さえ満たされていればどうにかなると思える。かつての僕はこんな野卑で単純な考え方を嫌悪していたが、今はそうでもない。むしろ繊細で複雑に捉えがちな精神などとっとと捨てていなければ早かれ遅かれ気が狂っていただろう。単純さはときに救いにもなることを僕は知った。
シチューを食べて体が温まった僕たちは店を出た。村の掲示板や店の壁にもベタベタ指名手配のポスターが貼ってある。
「こんなに貼らなくてもポッターの顔くらい覚えてるんだがなあ」
僕がぼやくとアルバートが
「魔法省は俺たちの頭がボンクラだと思っているから親切でやっているのさ」
と涼しい顔で言った。
「ボンクラにボンクラだと思われるのは腹が立つなあ。という冗談は置いといて、仮にポッターを見かけても通報するか?」
ラッセルが聞いた。僕たちは顔を見合わせた。今はお尋ね者のハリー・ポッターだが、ダンブルドアが死んでしまってからは例のあの人に対抗しうる唯一の人物だと見られている。そして、彼がまだ捕まらず逃亡し続けている事実はまだ全てが終わってしまっているわけではないという僅かな希望の光になっているのだ。それを台無しにするようなことはするだろうか。
「さあな。……でもこの賞金はちょっと魅力的だと思わないか?」
アルバートが立ち止まって指をさした。振り返って見てみると僕は驚いた。ちょっとどころではない。そこに書かれていた金額は僕たちが生涯で稼ぐであろうガリオン金貨の枚数を超えていた。さすが生き残った男の子。文字通り桁が違う。
「こんだけあったら遊んで暮らせるぜ」
アルバートがニヤリと笑った。それから僕たちは城に着くまでずっと大金の使い道を話し合った。それはガリオンくじに当たった時の使い道と同じように起こりうるはずのないことを話し合う気軽なものだった。僕たちの中で一人、また一人と居なくなり、最後の一人になるまでこういった他愛もない話は続けられるのだろう。
城に帰ってきてレイブンクローの寮まで歩いていると、床に転がっている物体を見つけた。近寄って見てみると人だった。縄で縛られてうつぶせに転がされていたのだ。
「君、どうしたんだ? ……驚いたなあ、こいつ寝てるよ」
叩き起こして事情を聞いてみると、アミカスに糞爆弾を投げつけたら捕まってしまったが、仕置き部屋に連れて行かれるところでアミカスが校長に呼ばれたためそのまま放置された、ということらしい。
「だってあいつ、許されないことを言ったんだ。罰を与えてやったんだから僕は悪くない」
なんとも勇ましいことだが、いかんせん縛られたままなので間抜けなことには変わりない。
「どうする? こいつ」
僕は二人に聞いた。居合わせたのはこの三人だから、三人でこの男の子をどうするか決めるべきだろう。
「ほっとこうぜ。カローに目をつけられたくないだろ」
ラッセルはあっさりと言った。確かにカローに目をつけられるリスクを負ってまでこいつを助けてやる義理はない。
「そうだなあ。せいぜい明日の授業の教材になるだけだろうしな。なあ、お前磔の呪文はかけられたことあるか? それはそれは辛いぞ」
アルバートはニヤニヤしながら男の子に聞いた。とたんに彼は怖くなってきたらしく、顔は青ざめ、目には涙を浮かべてとうとう泣き出しそうになった。
「おどかさないで助けてよう」
僕は彼と目が合ってしまった。これは良くない。僕はあの鳶色の目を思い出してしまった。
「……君、人に何か頼むときにはそれなりの態度があるんだがね」
「おいおい、ポール、正気か?」
ラッセルが抗議してきたが僕は無視した。
「助けて下さい、お願いします」
「まあ、これでいいか。——ディフィンド!」
呪文をかけると縄はあっさりとほどけた。ついでに彼の腕に切り傷がついてしまったが、これはご愛嬌だろう。気が向いたらエピスキーでもかけてやろう。
「俺は知らないからな」
ラッセルは文句を言ってきたが、アルバートが
「まあ、この分じゃカローの奴も忙しくて忘れてるだろ。大丈夫だって」
と取りなしてくれた。見つからないうちに僕は寮に戻ろうと思ったが、アルバートが男の子に言った。
「少年、どうせ昼飯食ってないだろ? 何か食べさせてやるよ」
「アルバート、そうは言ってももう大広間には昼食は残ってないだろう?」
ラッセルの言葉に僕もうなずいた。だから僕たちは三本の箒で昼食を済ませてきたのだ。
「まあいいから、ついてこいよ」
アルバートは得意げに言った。意図が分からないが僕たちはアルバートについていくことにした。
「たまげたなあ」
僕はそう言うと同時に納得もしていた。小腹が空いたときにアルバートがどこから食料を調達してきていたのか、その疑問が解決したからだ。
今、僕は厨房で屋敷しもべ妖精たちに囲まれている。そのそれぞれがカーテシーだったり、胸に手を当てるお辞儀だったりをしてくる光景は壮観である。
「こいつにサンドイッチを出してくれないか? 俺たち三人には紅茶を——」
「かしこまりました!」
アルバートが言い終えないうちに屋敷しもべ妖精たちはお辞儀をして我先にと駆けて行った。そしてどう見ても一人では食べきれないくらいのサンドイッチを皿に盛り、ポットには熱い紅茶をたっぷりと入れて帰ってきた。
「今までずっとレイブンクローはスリザリンの次にいけすかない奴らだと思ってたけど、本当はグリフィンドールの次に良い寮だね。寮のみんなに言っとくよ!」
男の子はサンドイッチを口に入れてモゴモゴとさせながら言った。
「現金な奴め」
だが悪い気分にはならない。僕は彼にエピスキーをかけてやった。
「君、カローの奴らにいたずらするのは良いけどな、時と場合を考えた方が賢明だぞ。グリフィンドールは少し無鉄砲すぎるのがいかん」
ラッセルが男の子に説教を始めた。こういう面倒な事はラッセルに任せるに限る。
「でも、あんな奴らに我慢なんてできないよ!」
「それでもするんだ。いいか、俺たちだっていつまでもあいつらの言いなりになるわけじゃない。あいつらをボコボコにするチャンスは必ず来る。それを待つんだ」
「でも、そんな時が本当に来るの?」
「生きてさえいればな。その時以外であいつらをどうにかしようとして失敗したら、それこそ無駄死にだ。いいか、君の命はもっと大事なことに使うべきだ。こんな風に軽く扱っちゃいけないんだ」
分かったか、とラッセルが言うと男の子は存外素直にうなずいた。ラッセルはそれで満足して紅茶に口をつけた。
それから僕たちはカロー兄妹の悪口で盛り上がった。特に男の子のアミカスのモノマネには大いに笑わせてもらった。この芸は彼の十八番らしく何度もやってみせた。
僕は彼を助けることができて満足した。アンブリッジへのいたずらと同様に、僕の人生における数少ない勝利の一つとして輝くことだろう。