明日のために寝室で荷造りをしていると、アルバートがラジオを杖でコツコツとつついていた。周波数を合わせるためにダイヤルを回しながらぶつぶつと何かを唱えている姿は少し不気味だ。アルバートはここのところ毎日これをやっているが、理由を答えてくれないのでラッセルも僕もたいして関心を払わなくなっていた。やがてラジオから軽快な音楽が流れてきた。
「よし! きたぞ!」
アルバートが拳をあげて言った。数日にわたる努力が実を結んでとても嬉しそうだ。
「いったい何なんだ?」
ラッセルが読んでいた本から顔を上げて聞いた。ラッセルは荷造りを早々と済ませていた。
「ポッターウォッチだよ。新聞じゃ書けないことを伝えているらしい」
アルバートがダイヤルを回して聞きやすいように少しだけ音を大きくした。
「この声聞いたことあるな。ほら、クィディッチの実況で」
ラッセルの言う通り僕にもこの声には聞き覚えがあった。たしか名前はリー・ジョーダンだったはずだ。彼の熱の入った実況はホグワーツの名物で、時々入るマクゴナガル先生からの注意もあわせてみんなが楽しんでいた。
「でもラジオではリバーって名乗っているな」
「そりゃ反魔法省的な内容だからな。この分だと他の人も偽名だろうな」
それから三人でラジオを囲んで聞いた。この番組では死喰い人によって殺害された人の名前、マグル界への影響、ハリー・ポッターの現在などを伝えていた。何もかもが表では報道されていないことだ。番組は次回の放送を聞くためのパスワードを伝えて終わった。
「すごいや。アルバートはどこでこれを聞いたんだ?」
新聞では得られない情報を得て少し興奮しながら僕は聞いた。
「ラブグッドから聞いたんだ」
「へぇ、ラブグッド? それならまあ、知っていても不思議じゃないな」
ルーナ・ラブグッドの父親はザ・クィブラーというおかしな雑誌の編集長で、その性質をそっくり受け継いだ彼女も少々変わっていて僕たちからは浮いている存在だった。今となってはそのおかしな雑誌がまともな情報を伝えているというのは皮肉なことだ。
彼女はハリー・ポッターと親交があるらしく、去年のクリスマスパーティーは彼と一緒に参加したそうだ。さらにはホグワーツにおける秘密のレジスタンス組織の中心メンバーだという噂もある。そういうわけだから彼女が反魔法省派のラジオ番組の存在を知っているのは自然なことと思われた。
「それにしてもお前、ラブグッドと話すことがあったんだな」
僕はそちらの方が意外だった。ラブグッドはレイブンクローの同級生と話すことはあまりない。みんな親しくなる前に彼女の荒唐無稽な話にあきれてしまうからだ。
「まあな。薬草学の時に新聞じゃまともな情報が得られないって愚痴を言ったら教えてくれたよ」
「気を付けろよ。誰が聞いているか分からないんだからな」
ラッセルが聞きとがめて言った。薬草学の授業にはスリザリンの生徒——特に死喰い人の子供——はいないが、用心するに越したことはない。
「心配ないさ。その時はみんなスナーガラフと格闘していたからな」
アルバートはそう言うと大きなあくびをしてベッドに転がった。
「そういう問題じゃないんだけど……」
ラッセルは説教を続けようとしたが、アルバートが寝息を立てはじめたのであきらめて自分のベッドに戻ってカーテンを閉めた。
僕も中断していた荷造りを終えるとベッドに転がった。そして今日のポッターウォッチの内容を思い返した。すべての情報を鵜呑みにすることはできないが、新聞では絶対に掲載されない情報が得られるのはありがたかった。だが、この番組は長くはもたないだろうとも思った。死喰い人が血眼になって探し出すことが容易に想像できるからだ。その日がなるべく先であることを僕は願った。
キングズ・クロス駅には父と義母が迎えに来ていた。ホームでは久しぶりの再会に喜ぶ親子の姿がよく見られた。義母もエレナを離すまいとしっかりと抱きしめていた。僕は義母の腕のなかでもがいているエレナから目を離し、側にいる父の方へ近寄った。
「父さんも来てたんだ」
「物騒な世の中だからな。職場に言って休ませてもらったんだ。さあ、早く姿くらましで家に帰ろう」
僕は父の腕をにぎり、エレナは義母に手をガッチリとつかまれながらそれぞれ付き添い姿くらましをした。
僕たち家族が暮らす家はマグルの村から少し外れたところに建っている。だからといってマグルとは完全に関わらない生活をしていたわけではない。幼い頃、僕はまだ生きていた母に連れられてスーパーに行ったこともあるし、公園でマグルの子供と遊んだこともある。おかげで僕は他の人よりは少しマグルのことを知っている。このご時勢においてはそれが役に立つことはないだろうが。
夕飯までに時間があったので僕は村まで散歩することにした。この村はロンドンのような大都市と比べるとずっと小さなものだが、僕はこの村が気に入っていた。
暑い夏は川で水浴びをしたり、魚を釣って遊んだりした。村の子供と橋から川に飛び込んで度胸試しをしたこともある。それから店で買ったアイスを舐めて暑さをしのいだものだった。
今はもうクリスマスだから雑貨屋やパブでは色とりどりの飾り付けをしている。屋根には雪が積もっていて、お菓子の家に白いグレーズをかけているようだった。
ベンチに座って往来をぼんやりと眺めていると、酔っぱらったマグルたちが肩を組んでやかましく歌っていたり、小さな子供とその親が手を繋いで歩いたりしているのが見えた。こういう光景を見ていると、僕は落ち着かなくなってくる。このマグルたちは自分が理不尽な理由で痛めつけられることなど考えも及ばないようだ。もうマグルは僕には理解できない生き物になったように感じられた。それは僕にとって羨ましかったり腹立たしかったりする生き物だ。
そこまで考えて僕はにぎやかな村を背に家に帰った。
夕飯を四人で食べていると、やはり義母が聞いてきた。
「学校はどう? ひどい目にあわされてない?」
いい加減、この手の質問にはうんざりしていた。正直に答えたところでいったいこの人に何ができるというのだろうか。
ケムメリヒがホグワーツに帰ってこなかったこと、ミッテルシュテットが失踪したこと、カロー兄妹の横暴、生徒への拷問、これらすべてを知ったところで田舎で主婦をしている女性にできることがあるだろうか。無駄に心配させるだけで義母はますますエレナを離したがらなくなるだけだろう。
そうなることが分かっているので僕とエレナはホグワーツの実態を両親に伝えないようにしようと示し合わせていた。これもある種の親孝行だろうと僕たちは結論付けた。
「母さん、私たちは大丈夫よ。どこにも傷ひとつ付いていないじゃない」
「でも、良くない噂を聞くわ。今日だってホグワーツ特急が襲われたそうじゃない」
「確かに襲われはしましたが、クィブラーの編集長の娘がさらわれただけですよ。やつらは用が済んだらとっとと出ていきいましたし、それに——」
それに大した被害じゃないから良いじゃないか、という言葉を僕は飲み込んだ。
親がああいった記事を書いているのだから娘が連れ去られるのは不思議なことじゃない。彼女のことは気の毒だと思うが、それだけだ。こういうことには無関心を装う方が結果的に身を助けるのだ。
僕の部屋には僕がこれまで過ごしてきた年月が記憶されている。机には子供の頃の落書きが刻まれていて、インクで所々が汚れている。右側にはインク瓶が置いてあり、折れた羽ペンは端に寄せてある。机の引き出しには書きかけの小説をしまっている。僕は将来作家になりたかったのだ。
壁には本棚があり、かつて熱中して読んだ冒険小説がずらりと並んでいる。一番上の段には使い古した教科書を詰めていて、背表紙にはアルバートと書いたくだらない落書きがある。下の段には、魔法界で名声を集めている作家達の小説に混ざって、ケムメリヒにもらったマグルの小説も並べている。
これらの品々は僕にかつて感じた情熱や高揚感、恍惚を追体験させる物のはずだった。ところがどうだろう。どんなにページをめくり、一節を読んでも僕になんの意味をもたらなさかった。そこにあるのはただの文字の羅列でしかなかった。そんなものでは僕は救われない。
一冊、また一冊と確認していった。その中には雑誌や教科書もあった。床には本がひと山、ふた山と積み上がっていった。そしてとうとう最後の一冊が終わると、僕はかつて感じた身を突き動かすまでの衝動が失われてしまったことを認めなければならなくなかった。それはとても辛いことだった。
なんとなく、部屋が僕を拒んでいるように感じられた。僕もこの部屋がよく知っている親しい友人のものとしか思えない。部屋の品々から呼び起こされる記憶も僕自身の身体とうまく結びつかない。そこにあった感情は薄い膜で僕と隔たれているようだった。
僕は本を一冊ずつ本棚に立てていった。すべての作業が終わると僕は静かに部屋を出た。
僕はウッドデッキのベンチに座って星を眺めた。雪がちらついてきて、コートで厚着しても少し寒い。周りはしんと静かで眠っているようだ。
「兄さん、ここで何してるの?」
エレナがブランケットにくるまって立っていた。手にはポットとマグカップをのせたトレーを持っている。
「星を見てるんだ。エレナこそどうしたんだ?」
「兄さんが外に居るから様子を見にきたの。紅茶、淹れてきたから飲まない?」
エレナを隣に座らせ、僕はありがたく紅茶を頂戴した。そして一緒にブランケットにくるまって空を眺めた。
「エレナと義母さんが初めてここに来た時も雪が降っていたね」
「そうだっけ? 小さい頃だったからあまり覚えていないわ。でも、兄さんと雪合戦をしたような気がする」
「そうだ、僕も思い出した。年下の女の子だから手加減しようと思ってたのに、結構手強いから、むきになってしまったんだよ」
「私も勝ちたくてつい、魔法を使っちゃった。ホグワーツに入る前で良かったわ」
今なら魔法省に怒られてしまうもの、とエレナは続けた。その声が存外大人びていていることに僕は気づいてしまった。
最初に引き合わされてからもう八年近くになる。僕は十七になり、来年は最終学年だ。改めてその年月を感じさせられたような気がした。
ふと気がつくと、エレナが僕の手を握っていた。その手が冷たかったので僕は指を絡ませて体温を分け与えてやった。
「兄さんは、どうやってNEWTで受ける科目を決めたの?」
「進路相談かい? まだ時間はあるじゃないか」
「でも、レイチェルはもう決まってるって。癒者になりたいからずっと勉強してる。それを見てたらこのままでいいのか考えちゃって……。だから兄さんがどうしたのか参考にしようと思ったの」
「どうやってと言われてもなあ。僕はほら、とりあえず魔法省の採用で使えそうなものをとっただけだから」
事実、今年のアルバートと僕の時間割はほとんどラッセルに決めてもらったようなものだ。こんなにも面倒見の良い友人は得難いので大切にしなければなるまい。
「やっぱり魔法省に就職するの?」
「安定を求めるならやっぱり魔法省だけど、あまり自由がないからなあ。父さんみたいに適当なところで事務員をやってもいいけど」
「義父さんは別に適当に決めた訳じゃないと思う」
エレナは拗ねたような口ぶりで言った。冴えない父が思春期の女子に一定の敬意を持たれているのはかねてから不思議だった。僕には分からない魅力でもあるのだろうか、なんて考えていたが、エレナの鋭い眼差しを感じたので思考を止めた。怒らせるのは本望ではないのでエレナの手を撫でながら僕は言った。
「まあ、まだ時間はあるのだから僕みたいに適当でも大丈夫ってことさ。うん。だいたい僕らみたいな十代半ばの世間知らずが将来を決めようというのが無理があるんだ。悩むのも仕方ないよ」
エレナは白い息を吐き出して、
「そういうものかしら」
と言った。そして僕の方へ体を預けて来た。エレナから伝わる温かさと重みが心地よい。
「エレナ、重い」
「重くないわ」
そう言うとエレナはますます体重をかけてくる。僕は負けじとエレナの方へ体を預けた。
「兄さん、重いわ」
「重くないだろ」
僕たちの間ではこういうやりとりがお決まりになっていた。それは気心の知れた義兄妹の他愛ないやりとりだった。こういう身内でしかできない遠慮のない関わり合いを僕は求めているのに両親は距離をとって眺めてくる。そんな腫れ物のような扱いを受けるのはまっぴらだった。