セシルはその両手に昼食の乗ったお盆を持ち、白くきれいに掃除された病院の廊下を歩いていた。 お盆に乗っている食べ物は白米、味噌汁、漬物などのシンプルな物だ。味は正直に言えばあまり保証できない。はっきり言って不味い。その代わりと言わんばかりに、栄養バランス等はキッチリと考えられているので体にはいい。良薬は口に苦しと言うやつかもしれない。違うかもしれない。
そんなことを思いながらセシルは今から訪れる患者の顔を思い浮かべる。
名をサヤトレイと言う名の少女だ。
この間は驚いたわね。と、セシルはそんな感想を抱く。何せ疲れて部屋に戻ろうとしたところに突如血まみれの女の子が見たこともない登場の仕方をしたのだ。
驚いたのはそれだけではない。その後も驚きの連続だった。
まず、異常なまでの回復速度。あの後先生を呼んで容態を見てもらった結果、全治一か月はかかるだろうという医師の判断した重症だった。全身のいたるところに火傷を負い、まるで焼切られたかのような切り傷も多数。骨も数本イっている。むしろ何で生きてるのこいつ? と言うか何で普通に喋れてるの? 痛みでショック死できるレベルの怪我だぜ? とでも言いたくなるような酷い有様だったらしい。
それがだ、一週間ほど過ぎた現在。傷口のほとんどは塞がり、火傷の後もほとんど消えかけ、ほぼ完治とさえ言える状態にまで回復している。それでもいまだ退院していないのは念のためだ。前例が全くないので、そこらへん少し慎重になっている。五日後ぐらいに退院できるとのことだ。
そして驚いたこと二つ目。彼女の着ていた衣服の事だ。見た目や手触りはただのボロ布にしか見えないのにこれがまた異常なまでに丈夫なのだ。どれほどに丈夫なのかといえば、この間セシルはその衣服を洗濯しようとしたら穴が開いていたのを見つけた。で、基本的におせっかいと言うか優しいセシルは、それを縫い直そうと裁縫用の針を布に通そうとした。そしたら針が折れた。布の分際で針の侵入を防ぎやがったのだ。あれは布の形をした別の何かだ、絶対。
そんな過去を振り返り、色々と謎な子よね。と思いながら歩くとやがて目的地へとたどり着く。
目の前にあるのは一つの病室の前であり、その個室の主の名前が書かれているプレートにはサヤトレイと記されている。そのドアを二度ほどノックした。
少しそのまま待って見る。しかし一向に中から返事がきこえることはない。
いつもの事だった。
「はいるわよ?」
そして、そう一方的に告げ、部屋の中へと入って行くのもいつもの事だった。
──帰りたくない。
それがサヤトレイの本心だった。
あそこは彼女にとって苦痛を与える場所でしかない。
すべての生命の源であるソウルを狙い襲い掛かってくる化け物や、理性の崩壊した不死の成り果てである亡者。それらに何度も殺し殺される日々。
友人や大切な人はいないのか。答えは否だ。ほんの数人、片手で指が事足りるぐらいの数少ないものではあるものの、過去には確かにいた。しかし、それらはすべてが亡者となり、全員が彼女の前から消え去った。
サヤトレイは割り当てられた病室のベッドに寝転がっていた。窓から差し込んでくる日光は思わず両手を広げ、太陽万歳と言いたくなるぐらいに気持ちがいい。しないけど。
時刻はちょうど昼時。ぶっちゃけ暇だ。が、かといって暇をつぶす何かをする気力もない。そんな実に無駄な時間を過ごしていた。
この世界に来てから一週間の時が過ぎようとしている。あの夜のあの後、セシルが医者を呼び、その医者の診察を受けた。全身の至るとこに火傷、切り傷、骨も数本折れてると言われ、重症どころか「何で生きてるの? というか何で普通に喋れてるの? 下手すりゃショック死するレベルだぜ?」とでも言いたくなるような……というか実際に医者に言われた。それほどの怪我だったようだ。
が、だ。グウィンの大剣によって火傷を負っていた自分の左腕を見る。そんな怪我があったように全く見えない。むしろついこのあいだ無理やり風呂に入れられた事もあって、いつも以上に綺麗な肌だった。ちなみに風呂は気持ちよかった。今度は一人でゆっくり浸かってみたい。
それはともあれ、すでにほぼ完治状態なこの回復力は、この世界の常識で言えばはっきり言って異常と言ってもいいほどのものらしい。
しかしそれは、彼女にとっては当然のことでもあった。
まず前提として、あの世界に存在するありとあらゆるものはソウルと呼ばれるもので構成されている。それは人や不死の身体も変わらない。
それを利用し、彼女を含めた不死達は数々の化け物を殺して奪ったソウルを自身に取り込み、自身を構築するソウルそのものを強化してきた。それは人の身体の作りそのものを作り変えているようなもの。
とある不死は、筋肉もまるでついていない細い腕にもかかわらず。巨大な特大剣を軽々と振るう化け物じみた筋力を持つ体に進化させ。
とある不死は、人の身体とまるで変わらない姿でありながら、心臓を一度貫かれたぐらいでは死なない生命力をもつ化け物へと進化していき。
とある不死は、脳味噌のつくりまでも進化させ、凡人には理解できようもない複雑な魔法の原理を理解し、使いこなせるような理解力……理力を手に入れ。
結果。最初の内は普通の人と変わらないが、ロードランで過ごす不死は何時しか文字通りの意味で「人間離れ」していく。いやまぁ、不死であるという時点で人間離れしていると言えるのだが。
つまりだ。今の彼女の身体はたとえ瀕死レベルだとしても、時間が経てばすぐ直ってしまうほどの身体なのだ。エスト瓶を使えば一瞬での回復も可能なのだが、この世界でエスト瓶の補充が出来るあてがないので今は温存している。
まぁ、今はそのことは割とどうでもよく。
「……これから、どうしようかな」
ここ数日、あまりに暇すぎて何度も考えていることを再び考え始める。
そして言葉はそのままの意味だ。火継ぎの使命はもう終わった。だからもう、やる事がない。
普通の人間であればやる事終わったら帰るべき場所に帰るのだろう。家とか、家族のところとか。 しかし、不死となり家から出たのは気が遠くなるほどに昔の事なので家がどこにあったか覚えていないし、そもそもここは異世界だ。元の世界に戻る方法などわからない。さらにそれらの問題をもしクリアできたとしても、自分と違って不死ではない家族はとっくの昔に死んでいるだろう。
つまり、帰る場所がどこにもない。
「はぁ……」
小さなため息がこの無音の空間の中に溶け込む。が、考えることはやめない。
「ここから……脱走してみる?」
今取れる行動の一つを考えてみる。怪我はもう治った。それ故にこのような選択も取れる。医者は万が一があるかもしれないからもうちょっと入院してろ的な言っていたものの、自分の身体は自分が一番知っている。問題ないだろう。
が、しかし。
「出たとして……どうする?」
この世界で暮らすのは無理がある。ここがロードランではない、と言うこと以外は何もわからないのだ。そんな世界で一人生きて行くのは不可能だろう。人が生活するには衣食住が必要と言われている。そのうち、衣服はロードランでずっと愛用してきたローブがあるし、住居はまぁ、慣れてるし野宿でいいだろう。が、食料は無理だ。その道の先には餓死と言う名の死神が待っている。死なないけど。
結局いつもと同じように、止めておこう、と言う結論が出る。入院期間は残り五日間だ。とりあえずそれまではここにいるとしようか。食料と寝床は確保されてるし。ご飯美味しいし。セシルが言うにはあまり美味しいものじゃないとか言ってたが、だとしたらこの世界の住人はどれだけ恵まれてるのだろう。羨ましい。
「それじゃあ……」
どうしよう。悩む。あと五日間は大丈夫ではある。が、それ以降はどうしようか。
だんだん考えるのがめんどくさくなってきた。
ようやく終われると思ったのに何でこんなめんどくさい事になってるのだろう。このような状況に陥ったのは、なにゆえであるか。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。
考えつつ、手元に盗賊の短刀を呼び出す。その短刀は鍛冶屋アンドレイの手で鍛えあげられた一品だ。とても大きな種火を使って楔を刻み込んだこの短剣は、シンプルで武骨な見た目には似合わないとんでもない切れ味を持っている。
「これで死ねればな……」
しかし、死ねない。いや、死にはするものの時間が経てば蘇る。いずれ亡者にはなるだろうが、そうなれば近くにいる人間を無差別に襲う化け物となるだろう。そうなるとまずい。理由は自分で言うのもなんだか自分はかなり強いからだ。
彼女も、燃えカスほどの力しか残ってはいなかったとはいえ、圧倒的な力を持つ神「薪の王グウィン」を殺せるほどに体を強力に作り変えているわけで。そんな彼女が亡者化し、人を襲い始めたら文字通り人間離れしている彼女を止められるものが何人いるだろうか。しかも何度殺しても生き返るし。何という無理ゲーなのだろう。
──亡者になれば楽になれそうだけど、できないかな。
致命的な一撃を叩き込む事に特化したこれを3回ほど心臓(……)に突き立てれば死ねるだろうに。そんなことを思いながら、所詮は大量殺人を刺激的にやるつもりは毛頭ないので、手で弄んでいた短刀を仕舞った時だった。この部屋にノックの音が響いたのは。
視線をそちらへと向ける。そのままじっとしていると「はいるわよ?」と言う声が聞こえ、セシルが中へと入ってきた。
「調子はどう?」
「平気」
そう笑顔で聞いてくる。なんでこんなに失礼な態度で接してるのにそんな顔が出来るんだろう? と思いつつも答えた。
「で、何の用?」
「昼ごはん、食べられる?」
と言って手に持っていたお盆を台の上に置かれる。ご飯、みそ汁、漬物といった質素な物だったが、不死となってからほとんど食事をとっておらず、しかも不死になる以前はまともな食事をとれなかった彼女にとっては、まともに食べる事が出来る時点で十分にご馳走と言えるものだった。
早速それを頂く。味噌汁を食べると言うよりも飲み干すという勢いで一気に飲み込む。完全に冷めていたが、それでも十分においしい。幸せだ。ご飯がおいしいと言うだけでこんなに幸せだとは。セシル《人》が隣に居なければもっといいのに。とも思ったがさすがにそれを口にするのは失礼だろうと心中でつぶやくだけにとどめる。
「ふふ」
「……なんで笑うの?」
「あ、ごめんなさい。ただ、すごくおいしそうに食べるから」
「あ、そ……」
ニコニコしているセシルから、気恥ずかしくなってきたので視線をそらし、再びご飯に箸をつける。米が美味しい。こっちもやっぱり冷めてるけど。そんなことを思いながらひたすらにご飯を口に運ぶ。完全に食べることに夢中になったせいで、先ほどまで考えていたことは脳裏から吹き飛んでいた。もういい。なるようになるだろう。
と、完全に思考停止を始めたサヤトレイにセシルが声を掛けた。
「ね、少し聞いてもいいかしら?」
「何?」
そう答えたサヤトレイの表情は無表情だ。そこに目立った感情はない。しかし近いと言うだけでわずかながらに嫌悪感が滲み出ている。
セシルもそのことに気づいたのだろうか。どことなく疑問顔で言った。
「私の事、嫌い? 何か嫌なことしたかしら……?」
「……いや、貴女だから嫌いってわけじゃない……から」
うん? と言っている意味がよく分からなかったのかセシルは首をひねった。セシルだから嫌いと言うわけじゃない。人だから苦手なだけで。むしろセシルの人間性的にはいい人なのだろうなとすら思っている。
でも、人間だからな……と思いつつ、セシルはやがて気を取り直したのかもう一度笑顔で問いかけを作る。
「サヤちゃんの事、色々聞かせてくれないかしら?」
「……」
「言いたくないのならいいけど……遠慮ならいらないわ」
「いや、遠慮ではない……から」
「そっか……それじゃあ、両親とか家の場所だけでも教えてくれないかしら? 帰るのは怪我が治ってからにはなると思うけど……」
「………」
そんなセシルの質問にサヤトレイは無言というか無視と言うか、とりあえず最悪に近い回答を返す。気を悪くするだろうなぁ……とは思いつつも、ほかに返答の仕方が思いつかなかった。ありのままに話しても信じてくれるはずがなく、かといって適当な作り話をしようにもあまり頭の出来がよろしくない上に口下手な彼女にとってそれは難易度が非常に高かった。北の不死院で門番をやっている不死院のデーモンを直剣の柄で倒すぐらいには難易度が高い。
セシルは無言を貫き通すサヤトレイを見て、何も聞き出せなさそうという事を悟ったのだろう。質問を変える。
「帰る場所はある?」
「……ない」
「そっか……」
そういってそれっきり口を閉ざし、何か考え込み始める。サヤトレイからしてもわざわざこちらから話しかけようとは思わなかったので、無言を貫き、再び食事へと戻る。漬物うめー。これが不味いとかどれだけ贅沢なんだ。
そこでふと、この世界の食事がうまいんじゃなくて、ただ単に自分がまともな食べ物を食べてこなかっただけじゃね? そんな考えに至り、過去に口に含んだ毒を取り除く苔とか、疲れが取れやすくなる草の事を思い出そうとした彼女に、考え込んでいたセシルが口を開く。
「ね、後で散歩に出てみない? 怪我もだいぶ良くなったでしょ?」
「……散歩?」
「うん、きっと楽しいわよ」
もちろん嫌だ。なんで貴女と一緒の時間を過ごさないといけないのだ。速攻でそんな結論を導き出したが、それを口に出す前にふと思い直す。
どうせ暇だしな。そんな単純すぎる理由だ。ここ一週間、ずっとここで寝転がっていたわけで、いい加減飽きが来ている。変わるものと言えば窓から覗く風景だけ。
それに、ここがどんな世界なのかという事にも少しだけ興味がある。元の世界と全く違う世界なのか、いくつか共通点があるのか。いろいろなこと。デメリットとしてはセシルが一緒という事だろうか。まぁ、そのぐらいのデメリットは我慢するか。そう思いつつ。
「まぁ……良いよ」
そう答え、サヤトレイは心から嬉しそうに微笑むセシルの顔を見た。