制作スタジオに勤めてるんだが、俺はもう限界かもしれない   作:実質勝ちは結局負け

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第一話

『月刊ALL ROCK 八月号 巻末コラム

 ──あれから二年、追悼の意を込めて──』

 

 2010年代の後半、2015年から18年にかけて日本の音楽業界は、常にあるバンドを中心に回っていた。

『AnP』という名を聞いて、電気信号の増幅器より四人組のバンドメンバーの顔が思い浮かぶという人の方が多いだろう。

 ダウンロードコンテンツの増加によって音楽が量産されるようになった。可もなく不可もない万人受けするような楽曲がありふれた商業音楽の中で、彼らの楽曲は一際輝いて見えた。

 突然として現れた彼らは、抜群のメロディセンスと感情に響く天性の声で瞬く間に日本の音楽シーンを席巻した。

 彼らは二年前、人気絶頂にも関わらず突如として解散を発表した。解散の理由は明らかにはされていない。これは信憑性の無い噂に過ぎないがギター兼ボーカル、AnPの作詞作曲全てを手掛けるフロントマンのカエデが歌う事が出来なくなったからと言われている。

 現在カエデを除いたバンドメンバー3人は、それぞれスタジオミュージシャンとして活動しているが、未だにカエデは表舞台から姿を消し行方を知るものはいない。

 解散から二年が経った今でも、活動再開を望む声は多く筆者もその一人だ。

 今日、八月二十五日は七夕である。筆者は短冊にあの伝説的なバンドが再び始動する事を願って筆を置く。

 

 ☆☆☆

 

 スタジオ大黒天は東京の某所にある小さな小さな制作事務所だ。事務所にしては比喩じゃなく吹けば飛ぶくらいボロい。いや、まじで。

 雑多に並べられた三つのデスクのそれぞれに、デスクトップのPCと乱雑に積まれた資料の山。来客用のテーブルと一対のソファはかろうじて清潔を保っているが、老朽化した電灯のせいか未だ昼だというのに室内は薄暗い。

 そのデスクの一角に一人の青年が座っていた。

 三つあるデスクのうち、彼のモノだけにMIDIキーボードと呼ばれるピアノの鍵盤のようなものがある。このキーボードはめっちゃざっくりいうと、音を作曲ソフトに打ち込むためのコントローラーである。

 ヘッドホンに両耳を塞いで、真剣な表情でキーボードの鍵盤を弾く。

 そんな彼の名は、佐々木楓。かつては名の知れたバンドのフロントマンだったこともあるが、現在は安月給で従業員が片手で数えても二本指が余る弱小制作事務所のサウンドクリエイターであった。

 白いシャツから覗く、日焼けしてない青白い指。キーボードを弾く手が止まり、マウスを操作し打ち込んだ情報をファイルに保存し万が一に備え二重に保存したところで、ヘッドホンをデスクに置いた。

 深く息を吸い込んで一言。

 

「はぁ……あの忌々しいディレクターに不幸が訪れますように」

「ちょっとせんぱい、物騒な事言わないで下さい」

 

 振り返ると長袖ジャージにクラブショーツという機動性だけを考えた装いの女性が此方を胡乱気な瞳で見つめてくる。

 名を柊雪。飾り気のない端正な容姿。肩に掛かる程度の亜麻色の髪をヘアゴムで一つ結びにした彼女は、このスタジオ大黒天の助監督兼映像制作担当である。

 雪が楓をせんぱいと呼称するのは義務教育の間、小中と同じ学校で家も近所といういわゆる幼馴染の関係だからだ。

 楓はバンドマン、雪は映画監督とそれぞれ違う将来に進んだにも関わらず、今は同僚として働いている。世の中とは狭いものだ。

 

「……ギリのギリギリ納期に間に合いましたね、直前にリテイクを出された時は間に合わないと思いました」

「殺してやろうかと思ったわ、納期とリテイクは俺の三大嫌いなワードに入るからな」

「もう一つはちなみに何ですか?」

「やりがい」

 

 雪の渇いた笑いが室内に響く。

 今回、楓が引き受けた仕事は外注の依頼であった。我が社の雇用主である黒山墨字が仕事を引き受けない場合、楓と雪は他所の制作会社様の依頼を受け仕事をこなす。

 そうしないとまじで無収入になってしまうからだ。世知辛い。

 

「スタジオ大黒天改めクソミソ大貧民に改名しよう」

「せんぱい言い過ぎですよ……ちょっと人手が足りなくて、結構仕事が無くて、めちゃめちゃお金が無いだけじゃ無いですか」

「それはもう、クソミソ大貧民なんだよなぁ」

 

 今月の給料も振り込まれるか定かではない。それがクソミs……スタジオ大黒天の現状であった。

 それもこれも全ては二人の雇用主である黒山墨字のせいである。

 カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンと世界三大映画祭全てに入選しているが、日本では未だ無名な映画監督。それがスタジオ大黒天の演出家、黒山墨字である。

 墨字が仕事を選り好みしまくるのが、我が制作スタジオ困窮の原因だ。ふざけるな。

 頑張って働いてるのに、こんなの絶対おかしいよ! ブラック企業には奇跡も魔法も無い。ついでに血も涙もない残酷社会である。

 

「そういえば墨字居ないけど、何処ほっつき歩いてんの」

「さぁ、オーディションがどうとか言ってましたけど」

「事故って死んでる可能性あるな、一応0.2秒くらいは黙祷してやるか」

「せんぱい、それはただのまばたきです」

「おい、勝手に殺すな」

 

 不機嫌そうな低い声が扉から聞こえて来る。

 視線をやったその先には、安物の白シャツにジーンズ姿の男。前髪をヘアゴムで上げただけのさんばら髪。切れ長の瞳に顎髭。

 彼こそ黒山墨字だった。

 

「墨字さん! 私が持ってきた仕事また断ったでしょ?! 貴方が仕事しないと会社利益出ないんですよ! せんぱいの外注の仕事だって、単価めちゃくちゃ安いんですからねっ!」

「……えっ、嘘マジで?」

 

 柊雪は激怒した。必ずかの邪智暴虐の映画監督を取り除かねばならぬ。

 墨字が事務所に戻って来るなり、雪のお説教が始まる。つい二日前に見た光景を懐かしむように見ていた楓だったが、雪は最後に衝撃の事実を伝えてきた。

 楓には訳がわからぬ。徹夜までした仕事の単価がめっちゃ低かったなんて。

 もぅマヂ無理。ちょぉ頑張ったのに。つらたにえんの無理茶漬け。ぴえん通り越してぱおん。

 

「何より私とせんぱいの給料も──……」

「仕事してる場合じゃなくなったんだよ」

「はぁ!? そんな場合あります──……」

 

 ぶっちぶちに切れてる雪に臆することなく、黒山墨字は言葉を繋ぐ。

 切れ長の瞳が見つめる先は、縦長の硝子のさらに向こう。ビルとビルの隙間から差し込む陽の光を、まるで一筋の光明のように目を細める。

 

「なぁ……いつか必ず歴史に名を残すだろう役者の原石、そんな才能を見つけたらどうする?」

「……それは、自分のものにして育てますけど、そんな夢みたいな話──」

「夢じゃねぇよ」

 

 それだけ言って墨字は歩き出した。ガサゴソと自分のデスクから車のキーを取り出して、再び事務所の扉を開く。

 

「ちょっと! 今日これから久々に撮影でしょ!? どこ行くの!?」

「どこって……原石を磨きに」

 

 やけにいい顔をした墨字が再び事務所の扉を閉めた。

 バタンという音と共に、雪の盛大なため息が響く。

 

「はぁぁぁぁ、映画監督って生き物は全員ああなんですかね、せんぱい?」

「…………」

「あれ、せんぱい?」

「……」

 

 楓は現実を受け止められないでいた。

 まじかよ、ほんとに。めっちゃ頑張ったのに。これにはつらみざわしんごもビックリだ。

 

 ☆☆☆

 

 ハンドルを握る手に力が入る。

 継ぎ接ぎだらけの一軒家の前でスタジオ名の入ったミニバンを停車し車を降りた。

 男の黒いざんばら髪から覗く切れ長の瞳が、一人の少女を捉える。

 

 ──見つけた、やっと。

 

 見る者を魅了する優れた容姿。平均より少し高めのスラリとした身長。均整の取れた身体。

 そして何より、スターズ新人発掘オーディションで見せた異質な才。

 自分以外の誰かになる、歪な演技法。

 制服姿の少女に近づくにつれ、ヘッドライトに照らされた男の影が大きくなる。

 こちらを視認した少女の視線が交差する。

 

「一本の映画の為に70億人からたった一人を探し続ける。そういうバカを映画監督というんだが、俺もその一人なんだよ……随分苦労している」

 

 この身一つで海を渡り、幾つもの作品を作り上げてきた。日本に来たのは、ただ一つ。

 

「どうしても撮りたい映画があるんだ。その為に仲間を探している」

 

 墨字が撮りたい映画。その為の仲間。己が要求に応え得る人材を集めるのは容易ではない。

 何しろ数年がかりでたった二人。

 阿佐ヶ谷芸術高校という映画専門の高校で、自ら弟子入りを志願してきた柊雪。

 二十歳という若さの彼女はカメラワークなどの技量は未だ発展途上ではあるが、墨字と比べ円滑に人間関係を構築することが出来る。スタジオ大黒天がギリギリ潰れないのは、一重に彼女の直向きな努力の賜物であった。

 そしてもう一人。佐々木楓は、かつて日本を席巻したロックバンドのフロントマンだった。二年前人気絶頂のなか突如解散を決めた理由は、歌えなくなったからだと過去に語っていた。

 もともと好きで始めた音楽活動の筈が、名が知れ渡るにつれて多くの人の力や支えになっていることを知って怖くなったのだという。

 それを知って、かつて一度だけ彼らのミュージックビデオを撮った事のある墨字は楓を仲間に引き込んだ。

 自分の撮る映画には楓の作る音楽が必要で、大黒天での仕事はいわば彼をこの業界に引き留める為のものだった。

 

「ずっと待っていた。お前のような奴がこっち側に来るのを」

 

 映画監督は利己主義を具現化したような生き物だ。

 たった一つの作品のために多くの人を巻き込む事を厭わない。

 身体の内側に潜むエゴイズムの化物が、また一人うら若き少女をこちら側の世界に引き込めと囁いてくる。

 

「黒山墨字、映画監督だ。お前は?」

「夜凪景、役者」

 

 ☆☆☆

 

「場所が場所だから基本的には信用したけれど」

 

 精緻な人形の様に整った容姿をした黒髪の少女の言葉。それを聞いてスタジオ大黒天助監督、柊雪はほっと胸を撫で下ろす。

 久々の仕事に予定時刻より遅れてきた墨字が、うら若き女子高生を連れて来た時は流石にドン引きだった。

 

『もしもし、ポリスメン?』

『おいこら雪っ、通報はやめろ』

『話は署でゆっくり聞いてくださいますよ、誘拐犯』

『俺はこいつに芝居を教えてやるだけだ!』

『犯罪者はみんなそう言うんですよ』

『んな訳あるか!』

 

 どうやら彼女が件の原石ちゃんらしい。

 原石ちゃん……もとい夜凪景ちゃんの視線の先にあるのは、白と黒を基調としたキッチンのセットとそれを取り囲む数多くの撮影器具と大人達。

 撮影準備でごった返す現場の中央で長机とパイプ椅子を並べて、雪と墨字は景と向かい合うようにして席についていた。

 

「では改めて、スタジオ大黒天の黒山と柊です。今はまだ三人しか人が居ないけど、一応ちゃんとした会社なの」

「……三人? 二人じゃなくて?」

「うーん、せんぱいもう来ても良い筈なのになぁ」

 

 現場に向かう前。スタジオ大黒天で楓の言っていた事を思い出す。

 

『……ここは俺に任せて先に行け』

『意訳すると、徹夜で眠気が限界だから先に現場行っててって事ですか?』

『アッハイ(´・ω・`)』

 

 敵に囲まれた勇者の仲間が全滅を避ける為に、死を覚悟で勇者を助ける時のセリフNo.1のセリフだ。

 まかり間違っても来客用のソファに横になって、毛布に包まった人の言う台詞では無かった。

 一応会社を出る前にタイマーを設定しておいた雪だが、もしかしたらまだ眠りこけている可能性がある。

 待ち人の姿を探して琥珀色の瞳が人の出入りの激しい搬入口を見つめていると、キーボードケースを携えた細身の男性がゆったりとした足取りで現場入りしてくる。

 視線が合い手招きをすると、彼我の距離は縮まった。

 

「はよーざいまーす」

「うぃーす」

「おはようございます」

「……?!」

 

 楓の気怠げな挨拶に墨字と雪は応える。

 太陽は既に天頂を通過しお昼過ぎと言ってもいい時間帯にも関わらず、一日の始まりを告げる挨拶に景が戸惑っているのが分かる。

 

「ふふ、夜凪さん……この業界ではどんな時間帯でも挨拶はおはようございますなんだよ」

「不思議……何故かしら?」

「それはこの世界で二番目に意味のない質問だ、少女よ」

「なら一番目は何よ?」

「その質問d……イテッ」

「分からないんなら黙ってて下さいね、せんぱい」

 

 雪が丸めた企画書で楓の頭をこづくと、楓は大人しくなった。隙あらば小ボケを挟んでくるのは楓の悪癖の一つだと、雪は内心で溜息を吐く。

 目にかかる程度の長さで切り揃えられている髪は、脱色剤で色素を抜いていてプラチナブロンドに近い。バンドを解散する二年前までは黒髪だったが、本人曰く周囲には過去を知られていない方がやりやすいのだと言う。

 人並みに焼けていた肌はこの二年間の仕事で青白く、激しいライブで締まっていた身体は痩せ細ってしまった。正体を知る者以外は、『カエデ』と『佐々木楓』を結びつけることは難しいだろう。

 何か事情があるのか楽曲の印税は使っていない様で、雪と同じく貧しい生活を送っている不思議な人だ。

 

「ご、ごめんね夜凪さん。せんぱいの変なボケは無視してくれていいから……あっ、紹介するね! この人がウチのサウンドクリエイターの佐々木楓。せんぱい、彼女が夜凪景さんです」

「よろしくね、原石ちゃん」

「……げ、原石?」

「君が墨字が見つけた役者の原石なんだろ?」

「その通り、そしてこれから荒削りの原石を主演にCMを撮ってやる」

 

 景は戸惑いながらも、楓の差し出した手をとって握手を交わす。一通り名前と顔が一致したタイミングで、頃合いを図ったかのように墨字は景をここに連れてきた理由を明かした。

 景自身ほぼ拉致同然で無理やり連れてこられたことを鑑みて思うところはありそうだったが、さすがに主演CMとなると素直に墨字の言葉を聞いていた。

 

 ──父の日にシチューを──

 

 新発売となるシチューのウェブCM。

 初めて一人でキッチンに立った少女は、仕事から帰ってくる父のために慣れない手つきで手料理を作っている。

 喜ぶ父の顔を思い浮かべながら、味見をして終わる。

 

「……とこんな感じの企画だが、ここで弊社のサウンドクリエーター様に二つほど連絡事項がある」

「あいたた、どうしよう墨字ポンポンが痛くなってきた」

「演出家に仮病を使うその根性は大したものだ……良い知らせと悪い知らせがあるが、どっちから聞きたい?」

「どっちも聞きたくない」

 

 黒のパーカーに同系色のパンツ姿の楓が、何かを察したように腹痛を訴えている。

 しかし演技に関してはずぶの素人である楓の芝居が、世界三大映画祭全てに入選している墨字の目を誤魔化せるはずもなくあっさりと看破された。南無。

 

「なら悪い知らせだが、今からここで一つ作曲をしてもらいたい」

「寝言は寝て言うものだぞクソ髭、絶対引き受けないからな!」

「ちなみに良い知らせは、この仕事は上手くいけば大金が入ってくる」

「ふぅ……オーケー引き受けた、今日もお髭がチャーミングだね黒ちゃん」

 

 恐ろしく早い掌返し、雪でなければ見逃しちゃうかもしれない。

 大金というワードに分かりやすく気をよくした楓は、意気揚々とノートパソコンにMIDIキーボードを接続しせっせと情報を打ち込みにかかる。

 読んで字の如く現金な人だ。

 撮影用に組まれた偽りのキッチンに立ち、説明が長いと墨字にグチる景とそれに噛み付く監督を宥めてカチンコを鳴らす。

 さてさてあの黒山墨字の御眼鏡にかなった金の卵……お手並み拝見! 

 

 ──チャチャチャッ! (手際よく人参の皮を剥く音)

 ──カカカカッ! (手際よく玉ねぎをみじん切りにする音)

 ──ボォォォォォン! (突然のフランベ)

 

「カァァァット!!!」

 

 あれ、この撮影やばいかも……。

 

 ☆☆☆

 

 伝説の料理人の如き腕前を見せた景に、現場は不信感に包まれる。

 芝居というものを履き違えた景の演技は、信用で成立しているこの業界において拙かった。

 やばいかも、このままでは雪達は干されてしまう。

 

「私父親に料理を作った事がないの……戻るべき過去が無いわ」

「この際相手は誰でもいい、初めて料理を作った日の事を思い出せ……俺が撮りたいのはお前の愛情、誰かの為に努力するお前が観たいんだ」

 

 芝居とは何か、墨字にそう問われた景は思い出す事と答えた。

 景は自らの記憶の海を探り、そして訥々とその日の事を語り出す。

 

 カレーライスだった。

 ずっと料理を作ってくれた人が突然いなくなって、弟妹は毎日泣いていた。

 景はただ二人に笑って欲しくて、母親がよく作ってくれたカレーライスを作ろうと思ったそうだ。

 包丁なんて初めて持ったものだから、二人は心配そうに景を見つめていて……。

 

 瞳を閉じゆっくりと語られる景の思い出。その最中、まるでタイミングを図ったように、音楽が流れた。

 初めは二本の静かなヴァイオリン。次にチェロの重低音。そしてヴィオラの落ち着いた音色。

 弦楽四重奏だった。音色が重なり合うにつれ、次第に曲が厚みを増して初めて聴く筈なのに何処か懐かしくて切ない。

 その音色に呼応するかの如く、次第に景の纏う雰囲気が変化する。 

 

「……良い曲だなぁ」

「当たり前だ、仕事柄色んな作曲家を見てきたが……こと音楽に関して俺はアイツ以上の天才を知らない」

 

 琥珀色の瞳が、満足げに机に突っ伏す楓の姿に目を細める。普段の所作からは考えられないほど、楓の作る音楽は繊細で酷く感情を揺さぶってくる。

 思わず溢れでた言葉に、隣にいた墨字が尊大な言葉で肯定した。

 良くも悪くも嘘がつけない性格の墨字にさえ認めさせてしまう事こそ、楓に類稀な天賦の才がある事の証左だ。

 雑誌でコラムを書いているような音楽評論家が、演奏技術等を持ち出して素人には『分からない音楽』がさも崇高であるように語る。

 しかし本当に素晴らしい音楽は、たった一小節たったワンフレーズを耳にしただけで良いものだと分かってしまうものだ。

 楓の音楽に引っ張られるように、景の動きが変わった。

 急に子供みたいに不器用になって、玉ねぎを切る際に包丁で指を切ってしまう。

 

「とても痛かったけれど、二人が泣くといけないから笑ってごまかしたの」

 

 景の演技に息を呑まれ静まりかえった空間に、四重奏の音色だけが響いている。

 それはまるで人が変わってようで……。

 やはりこの人の、墨字の判断は正しかったのだと実感させられる。

 

 ──この子は本物だ。

 

 一体どんな半生を過ごせば、こんな表情が出来るのだろう。

 

「味は?」

「コゲて苦くて皆で笑っちゃった」

 

 ☆☆☆

 

「流石は黒山墨字と言いましょうか」

「たった一日であの子から、こんなにも繊細な表情を引き出すなんてね……」

 

 スターズは都内の一等地に事務所を構えた、業界でその名を知らない者はいない程の一流芸能プロダクションだ。

 広大な敷地面積を使い建造された、質の良い高層ビル。

 その最上階の一室でスターズの全てを束ねる女社長、星アリサはモニターに映し出された少女の変貌に下唇を軽く噛んだ。

 

「とても先のオーディションと、同じ人間とは思えませんね」

「役者のポテンシャルを、最大限に引き出すのが演出家の仕事……公開前に手に入れておいてよかったわ」

 

 液晶画面に繰り返し映し出されているのは、黒山墨字率いるスタジオ大黒天が制作をした食品関係のWEBコマーシャルだ。

『父の日にシチューを』というテロップの後に、覚束ない手つきで包丁を握る黒髪の少女が映されている。

 彼女……夜凪景は先日スターズで行われた新人発掘オーディションで、最終選考まで残り迫真の演技を披露してみせた。メソッド演技と呼ばれる得難い技術を独自に身につけた景を、たった一日で墨字は見事に使いこなしてみせたのだ。

 役者にとって相乗効果を生み出すのが、演出家の役割だ。演出家の腕が良ければそれだけ、役者は素晴らしい演技をする事が出来る。

 

 ──もっとも、必ずしもそれが役者にとって幸せとは限らないけれど。

 

 かつてどんな色にでも染まる事ができた天才女優は、それ故に自らの色を忘れてしまったのだから。

 

「スミス」

「清水です」

「我々も早々に手を打たなければいけないわね」

 

 アリサのその言葉に、屈強な身体に浅黒い肌の男、清水は僅かに目を見開いたようだ。

 

「カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンと世界三大映画祭全てに入賞している稀有な日本人、黒山墨字……それでも未だ国内で彼を無名たらしめているのは、彼が今まで金も名声も求めていなかったから」

 

 脳裏にあの尊大な髭面が浮かぶ。

『役者としての幸福を思い出させる』なんて事を言っていたけれど、アリサがスターズの子供達に与えたいのは役者としてではなくて人生の幸福だ。

 

「それに……まさかこんな所に居たなんてね」

 

 一流事務所の社長たるアリサが業界の人脈を使って入手した、未公開のWEBコマーシャル。

 スタッフのミスで恐らくは使われないであろう画に、とある人物が映り込んでいた。

 線の細い身体。色素の抜けた白金の髪。

 アリサの記憶にある二年前の姿とは幾分か変わってしまったが、かつて彼を育てデビューさせた彼女には彼の正体が一目でわかった。

 いや、間違うはずがない。何故なら彼は、二年前までスターズに所属していたのだから。

 二年前のスターズといえば、あの『AnP』の所属する事務所として有名だった。

 AnPのカエデ。本名、佐々木楓。

 彼は聴くものを一瞬で引き込む天才的なメロディセンスで、当時の音楽シーンを席巻した伝説的なバンドのフロントマンだった。

 覚束ない手つきで包丁を握る少女の映像から流れる弦楽四重奏は、聴くものの感情を揺さぶってくる。まるでカエデの唄う曲のように。

 

「厄介よ……奴は野望のために私たちの業界を壊しに来るわ。そのための武器を手に入れてしまった」

 

 夜凪景。

 はっきり言って彼女は底が知れない。

 メソッド演技。その役割を演じるために、その感情と呼応する自らの過去を追体験する演技法。

 役者の中でもほんの一握りしか習得していないそれを、恐らく独学で極めた末恐ろしい少女。

 彼女が墨字の元で育てられれば、恐らく同世代では右に出る者のいない役者へと成長するだろう。

 黒山墨字。

 彼は演出家として世界に通用する数少ない日本人だ。

 そんな彼がどうしても撮りたい映画があるという。その為だけに日本に来て会社まで作って、理想の人材を集めている。

 きっとそれが完成すれば、素晴らしい映画になるのだろう。

 それこそ既存の業界を壊すくらい、鮮烈なものを。

 一流の演出家が一流に育てた役者が主演を飾る映画。

 そんなものに一流の音楽が……カエデが作る楽曲が加わったらどうなってしまうのだろう。

 きっと傑作が生まれる。

 他に類を見ないような傑作が生まれてしまう。

 それを見た世間は過去の作品と比べて傑作を絶賛する。過去の役者と比べて夜凪景を称賛する。

 その時、比較対象とされた作品に関わったものは……夜凪景と比較された役者は、果たして幸福と言えるのだろうか。

 

 赤井ヒカリという少女がいた。

 少女は3万人を超えるスターズの新人発掘オーディションにおいて、最終審査まで残っていた。

 彼女は最終審査の直前に辞退し、赤井ヒカリに代わって最終審査に加わったのは夜凪景だった。

 圧倒的な才能の差からは絶望が生まれる。

 黒山墨字が業界を壊すということは、つまりそういう事なのだろう。

 

 ☆☆☆

 

 撮影終了後に景を自宅へと送り届けた後、雪は楓と墨字と共にスタジオ大黒天へと戻ってきた。

 帰社してすぐに所用があると言って墨字が出て行った為、現在ここには雪と楓の二人しかいない。

 到着してすぐに来客用ソファにダイブした楓に、雪は困ったような微笑みを浮かべた。いつもなら小言の一つでもいっていた所だが、今日の楓は本当に頑張っていたから見逃す形となった。

 

「Fooo⤴︎ 疲れたぁぁぁ!」

「お疲れ様でした、せんぱい」

「今日は我ながら頑張った! 10段階評価で11はあげたいくらい、頑張った!」

「じゃあそれ、11段階評価ですよね」

 

 雪は簡素なキッチン越しに、楓を労った。

 雪の手元にはコーヒーサイフォンが置かれていて、漏斗からフラスコへと澄み切った褐色の液体が移ろっていき、室内がコーヒー特有の香りで満たされていく。

 一般的なドリップ式と比べて淹れる時に手間が掛かるのだが、スタジオ大黒天にはこれしかないのだから無いものをねだっても仕方がない。ドリップ式を買うお金もない。

 最後の一滴が雫となり、褐色の海に波紋が広がる。

 それを契機にして、雪はフラスコをサイフォンから分離させる。マグカップに出来上がったコーヒーを注ぐと、白い湯気が渦を巻いて立ち昇り天井へと消えていく。

 出来上がったものを楓に手渡して、雪も対面のソファに腰掛けた。

 

「どーぞ、せんぱい」

「ありがたき幸せ」

「はい、どういたしまして」

 

 しばらく嬉しそうにコーヒーを飲む楓だったが、何か思いついた様にマグカップをテーブルに置いた。

 

「そうだ! 雪っ」

「今度は何ですか? せんぱい」

「今日の仕事で大分お金も入った事だし、金銭的な余裕は出てきただろ」

「そうですね」

「だから明日は休んでもいい?」

「ダメですね」

「……えっ」

 

 楓はまさか断られるとは夢にも思っていなかったのか、目を丸くして驚いている。

 訳がわからないと言った様子の楓に、雪はため息を一つ吐いて口を開く。

 

「あのですね、せんぱい。今まで私たちがどうして外注の仕事をしていたか分かりますか?」

「あの髭男が仕事を選り好みして、全然依頼引き受けないからだろ?」

「その通りです、でも今日夜凪さんがウチの事務所に所属しました。彼女を役者として育てる為には何をしたらいいですか?」

「今日みたいに制作の依頼を受けて場数を踏ませるとか?」

 

 墨字が現在活躍している俳優では納得出来ない、そう言ってずっと探し続けてきて、やっと見つけた原石が夜凪景だ。

 当然成長させる為にあらゆる手を尽くすだろう。

 

「そうですね。依頼を受けるとどうなりますか?」

「……仕事が増える」

「仕事が増えると?」

「……休みが無くなる」

「その通りです」

「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

制作スタジオに勤めてるんだが、

 俺はもう限界かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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