制作スタジオに勤めてるんだが、俺はもう限界かもしれない 作:実質勝ちは結局負け
父親の付き合いで連れてこられたパーティで、スクリーンの向こうの憧れだった人に初めて会った。
膝を折って目線を合わせて、頭を撫でられた事をよく覚えている。
「役者に向いている」
嬉しかった。
☆☆☆
未成熟な起伏のない肢体。身に纏っているのは、純白のワンピース。
肌は透けるように白く、サラサラとした色素の薄い髪はツーサイドアップに結われてる。
幼くも精緻に整った容姿は何処か浮世離れして、下界に舞い降りた天使を思わせる。
今年で小学校を卒業し来年の春からは中学生になる百城千世子が、星アリサに導かれるまま芸能事務所スターズの末席に加わる事になって一ヶ月は経つだろうか。
千世子は星アリサから直々に、役者になる為の演技指導を受けていた。表情や発声、所作に至るまで基礎的な事を叩き込まれる。
レッスンを一通りこなした千世子は事務所内の談話室のソファに座り、ぼんやりとニュース番組を見ていた。
スポーツの試合結果やタレントのゴシップに続いて、音楽の情報を女子アナウンサーが楽しげな声で発信してくる。
『結成から半年、人気バンドグループのAnPがデビューして初のファーストアルバムをリリースしました! なんと週間アルバムチャートで一位を達成し、今後とも更なる活躍が期待されていますっ』
少し上ずって半トーン上がったアナウンサーの声。
これまで伝えたニュースと今のトピックでは、声色が少し違っていた。わずかに上がった口角からは、喜びの感情が読み取れる。
──ああ、きっと彼女はこのバンドが好きなんだろうな。
生まれつき人の感情を読み取る事に長けた千世子は、画面の向こう側のアナウンサーを分析する。
そんな事をしていると、背後から気配を感じた。
振り返るとそこに立っていたのは、星アリサ。
スターズの女社長にして、元女優。
スラリとした手足。伸びた背筋。質の良さそうなタイトスーツを身に纏い、かきあげた髪は肩の辺りでウェーブしている。
美しくも近寄りがたい雰囲気を放つ薔薇のようなその人は、切れ長の瞳にスクリーンに映るバンドのミュージックビデオを映していた。
「おはようございます、アリサさん」
「ええ、おはよう千世子」
「人気ですよね、彼ら。所属はウチの事務所らしいじゃないですか、やっぱりアリサさんがプロデュースしたんですか?」
「プロデュースというよりも、見つけただけと言った方が正しいかもね」
同じ空間に居て、黙ったままというのもおかしな話。
千世子が話題を振ってみるも、いまいち釈然としない答えが返ってきた。
アリサは千世子から視線を外し、談話室に備え付けられている自動販売機で飲み物を二つ購入した。一つはブラックの缶コーヒー、もう一つは──。
「牛乳かぁ」
「添加物と合成着色料のジュースを飲むよりよっぽど身体にいいわ」
「……ありがたく戴きまーす」
紙パックの小さな牛乳を手渡して、千世子の対面にあるソファにアリサは腰掛けた。
ストローをパックに突き刺して牛乳を飲む。飲めないことは無いが、後味があまり好きでは無い。
アリサが缶コーヒー飲んで、一息ついた後口を開く。
「芸能界でプロデュースをする場合、時間とお金を掛ければ売れる事ってそんなに難しくないわ……アイドルも歌手も役者もね」
「そういうものなんですか?」
「そうね。宣伝費と事務所のコネだけで売れるなんてことも、別に珍しい話じゃない。この世界、新人をダイヤの原石って呼んだりするでしょう? プロデュースはそのダイヤの原石を加工してラッピングして、如何に価値のある宝石に見せるようなものなのよ」
「じゃあ演技指導を受けてる私は、ダイヤの加工段階なんですね」
千世子がそう尋ねると、アリサは綺麗な微笑をたたえる。無言は肯定ということだろう。
別に悲観する事じゃない。石ころはどれだけ磨いても石ころ。宝石になる可能性があるだけ、千世子は恵まれている。
「……でも時々あるのよ。加工もラッピングの必要もないトリプルエクセレントのダイヤモンドを、偶然見つける事が」
「アリサさんにとってのダイヤモンドが、あのバンドなんですね」
「半分正解、半分不正解ね」
辺りに人の気配がない事を確認して、アリサは言葉を繋いだ。
「バンド全体じゃなくて、ボーカルただ一人。カエデだけが輝いてみえた。二百人も入らないような薄汚れた小箱のライブハウスで、観客なんて二十人も居ないステージの上で、心の底から楽しそうに歌ってた」
ふーん、意外。
千世子はそう思った。
アリサは処世術として喜んだり驚いたりする事はあっても、自分の感情を表に出す事の無い人だと思っていたから。
大きな瞳で、感情を隠し切れていないアリサを観察する。
「その日のうちにスカウトして契約して、一週間もしない内に音楽番組の生放送に新人枠としてねじ込んだら、あっという間にこの国の音楽シーンを席巻した……お喋りはこのくらいにしておきましょうか、迎えの車を裏口に付けておくから気を付けて帰りなさい」
「はーい。アリサさん」
送迎の車の後部座席。
小さな体を大きな背もたれに預けて、窓の外を眺めながら千世子は考える。
「どんな人かな? 」
☆☆☆
通路の脇に寄せられたホワイトボード。
派手な蛍光色で塗装された長尺台車には、段ボールが積み重なっている。
視線の先では、黒いシャツを着たスタッフの人達が慌ただしく作業をしていた。
ピンと伸びた背筋で前を歩くアリサの背中を千世子は追いかける。
スタッフ用の通路を抜けて階段を上がると、騒めきのような音が漏れ聞こえる。
一階から二階へ。上りきった先。アリサによって開かれた扉の向こうは、関係者席と呼ばれるものだった。
「カエデさんのライブ、私も行きたいってワガママでしたか?」
「私も顔を出すつもりだったし、一人増えたところで構わないわ」
「なら良かったです」
お台場海浜公園やビックサイトの展示棟がある東京某所。
商業施設の中にあるキャパ3000弱のライブハウスで、カエデがフロントマンを務めるバンドAnPのファーストライブが行われようとしていた。
バンドの人気に対して箱の規模が小さいのは、有事の際にスタッフが対応出来るようにという事だろうか。
彼等のチケットは販売から僅か五分でソールドアウト。
AnPがスターズ所属でなければ千世子が彼等の後輩でなければ、こうやって会場に来ることは出来なかっただろう。
騒めきや熱気がうねりとなって会場を支配する中。
──暗転。
繊細で柔らかなギターの音。
それに歌声が重なると、会場から音色以外の一切の音が消えた。
美しい音だけが響く空間にベースの音が加わって、ドラムが優しいグルーヴを生み出していく。
たったワンフレーズたった一小節を耳にしただけで、一瞬で引き込まれた。
暗闇からスポットライトが当てられ、カエデの姿が映し出されると同時に曲はサビに入る。
その歌声は雨粒が落ちた時の水面のように、波紋となって感情を揺さぶる。
千世子の胸を無性に締め付けてきて、天性の歌声とはこういったものなんだろうと思った。
一曲目が歌い終わると、一拍おいて割れんばかりの拍手と歓声が会場を包む。
素晴らしい音楽に出会った高揚感や、歌声に心を揺さぶられた衝撃や、さまざまな感情の発露がうねりとなって爆発した。
あまりの観客の盛り上がりに驚きながらも、嬉しそうにフロントマンであるカエデがMCに入り、バンドメンバーの紹介を始める。
そのときにはもう、千世子はカエデの音楽に心を掴まれていた。
☆☆☆
スターズに入って半年。千世子は未だ世に知られぬまま、ひたすらに自らの魅せ方を追求した。
表情の作り方。言葉の選び方。服装所作体型、すべてを調整する。
カメラごとの性能、レンズサイズの感覚、千世子を映す媒体についても徹底して調べ上げる。
あの日。彼の音楽に感情を揺さぶられて、千世子には一つの欲求が芽生えた。
──彼が創る音楽を演じてみたい。
たったそれだけの理由が、千世子を突き動かしていた。
彼が創る音楽を演じる。
当面の目標が出来た千世子は自らを綺麗に魅せる技術の他に、事務所の後輩という立場を利用してカエデとの距離を縮めていった。
敵を知り己を知れば百戦危からず。ではないが、彼の音楽を演じたいならば、彼のことを知る必要があると思ったからである。
学校が終わって友達と別れると、目立たないところに見慣れた送迎の車が停めてあって、後部座席に乗り込んで事務所に向かってもらう。
車窓を開けて外の風に当たりながらぼんやりと外を眺める。
赤信号で車が止まった窓の外。
道路脇にギターを持った男の人が目に留まった。通行人に向けてギターをかき鳴らしながら、カエデが作った曲をカバーして歌っている。
──なんて耳障りなんだろう……うるさいなぁ。
演奏技術が拙く張り上げた声は音程がズレて、聞くに堪えない。同じ曲の筈なのに、カエデの千世子の心は全く揺れなかった。
雑音を消すように、車の窓を閉めた。
コンビニに寄りたいから。ドライバーにそう言って、事務所の少し手前で降ろしてもらう。
板チョコを二枚購入。レジ袋をぶら下げながら、事務所に入った。カエデへの差し入れのつもりで買ったが、別にいなければ誰かにあげれば無駄にならない。
未だデビューしていない千世子が事務所に向かう理由は、演技指導のレッスンに他ならない。
だが警備のおじさんにカエデが来ていること、レッスンまでにはまだ時間があることを確認した千世子は、三階にあるレッスン室ではなく、地下のある部屋へと向かった。
天井が高く仕切りのない部屋。
背の高い棚が何個も造り付けられている特殊な部屋は、元々は倉庫だったという。
では今は何かというと、カエデが事務所内に作った作曲スペース。
造り付けの棚の奥には、ピアノ、ベース、ギター、アンプ、マイク、オーディオ類といった音楽機材の他に、PCを始めとした録音機材が揃っていた。
そっと扉を開けると、薄暗い部屋の中で青白い光がリノリウムの床に一つの影を映す。
静かに近づくと質の良さそうな回転式のオフィスチェアに浅く座り、シンセサイザーに音を打ち込んで作曲に没頭しているカエデの姿があった。
ゴツゴツとしたヘッドホンに付けて、真剣な面持ちでモニターに向かうカエデを、千世子は少し離れた棚に背を預けながら見守る。
五分ほど経っただろうか。カエデはぐっと伸びをして椅子を回転させると、そこで千世子に気づいたようだった。
「来てたなら、声かけりゃいいのに」
「あははー、カエデさん集中してたし、ほら邪魔しちゃ悪いじゃん?」
「別にいいのに。で、何か用か?」
「んー、ちょっと早く着いたから、カエデさんの顔見に来ただけ」
特に要件もなく訪れた千世子に対し、カエデはあまり驚いた様子はない。
それは千世子が半年という時間をかけて、カエデとの距離を縮めた成果だった。学校が終わり事務所を訪れるたびにこの倉庫兼作曲スペースに立ち寄っては、宿題をやったり他愛もない話をした甲斐はあったようだ。
カエデが倉庫の奥からオフィスチェアを出してきて、千世子に座るよう促した。
お礼を言って、さっき購入したチョコを渡す。
「ありがとー。あ、これ差し入れのチョコ、一緒に食べよ?」
「おー、さんきゅーな。じゃあなんか飲み物持ってくるわ」
「わたしバニラクリームフラペチーノがいいなぁ!」
「おっけー、リンゴジュースな」
「えー、味気なーい」
半年間で培った表情の使い方と声の使い方。
小さく肩を落としてコミカルに落ち込んで見せると、カエデは少し笑って席を立つ。
部屋の隅には小さな冷蔵庫が設置されていて、その隣に電子レンジと電気ケトル、包装された紙コップだけが置いてある折り畳み式の長机があった。
缶コーヒーと紙パックのリンゴジュースをカエデが持ってきて、一方を手渡してくれる。
「いっつもブラックコーヒーだけど、美味しいの?」
「ふふふ、コーヒーは大人の味……千世子にまだこの美味しさは分かるまい」
「じゃあ、一口ちょーだい……──なにこれ、まずーい」
「まだ子供だな、千世子は」
顔をしかめる千世子を、カエデは可笑しそうに笑って包装を取ったばかりの板チョコを口直しに差し出してきた。
チョコを齧りながら、千世子は思う。
──まだ子供でよかった。
千世子とカエデの歳は七つ離れている。
もっと歳が近かったら、半年でここまで距離を詰めるのは難しかったかもしれない。大人になればなるほど、人間関係には打算や利害が付きまとうようになるから。
宿題を見てもらったり、ワガママを言えるのは子供の特権だ。
幼い見た目で妹のように接するから、警戒心が解くことが出来た。
他愛もない話をしながらチョコを食べ終わって、一息ついたタイミングで千世子は言った。
「さっき作ってたのって新曲だよね?」
「あー、まだ途中までしか出来てねーけど」
「わたし聞いてみたいなぁ……ところでチョコは美味しかった?」
「……なるほど、そうきたか」
上目遣いでワガママを言うと、カエデは困ったように笑ってギターを取った。
カエデのライブに行くまで、千世子はクラシックなどは聞いても、音楽番組に出ているようなバンドやポップスはあまり聞かなかった。
悪くはないけれど何処か似たような曲調の音楽が多く、何となく耳馴染みがいいだけで新しい感動はないと思っていたからだ。
だからカエデの奏でる音楽には衝撃を受けた。
他と比べ飛びぬけたメロディセンスから作られた旋律に、まるで心臓に直接手で触れてくるみたいに、心を震わせる天性の歌声。
トリプルエクセレント。最高位のダイヤモンドに与えられる称号で、星アリサがカエデの才能を例えたのも、頷けるほどだった。
弾むようなメロディが倉庫に響く。
たった四小節のイントロの後、天上の楽園をモチーフにした歌が軽やかでありながら何処か寂しげなメロディと共に続いていく。
どうしようもなく心が揺れた。
☆☆☆
「じゃあ、レッスン行ってくるね」
「おお、頑張ってこいよ……あ、そういえばこれ、渡すようにアリサさんに言われてたんだ」
「ん……企画書?」
そろそろレッスンの時間になり、部屋を出て行こうとする千世子をカエデが呼び止める。
手渡されたのは、ホッチキスで止められた何枚かの企画書だった。
「アリサさんの話だと、今度出す新曲のMV演じる役者をオーディションで決めるらしいんだ」
「へぇ……そうなんだ」
手渡された企画書にざっと目を通す。
企画書の内容は、楽園の天使の配役をオーディションで決めるというものだった。
おそらく千世子と同年代の子役が何人も受けに来るだろう。
彼らのMVは動画サイトで何百万回も再生されている。その新曲のMVに出たとなれば、一気に顔を売ることができる。
「で、興味があったら千世子も受けてみたらってアリサさんが──」
「受けるね、カエデさんの曲……わたし演じてみたい」
「お、おう。応援してるぞ」
「あははー、頑張らなきゃ」
素直な気持ちを伝えると、カエデは少し戸惑ったように言葉を返してくる。
これまで真剣な声音でカエデと話した事がなかったから、驚かせてしまったかもしれない。
意図的に声を少し弾ませて、口角を上げて千世子は微笑んだ。
倉庫の玄関まで見送られて、エレベーターに乗る。
扉が閉まると、千世子は手渡された企画書を愛おしそうに撫でた。
「……必ず受かるから」
火を掛けたフライパンでドロドロに溶けたバターみたいな色をした目を細めて笑う。
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