「初めまして。メアリ・ハントと申します。」
赤褐色の美しい髪と大きな瞳。幼いものの美人な顔立ち。自信がないのか少し小さな声で挨拶をした侯爵令嬢。
それを見た俺の中に沸き起こった感情が恋であると知ったのは、随分後ことだった。
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「―ですからアラン様にもぜひご婚約をと思いまして、うちの娘など―」
双子の兄であるジオルド・スティアートが婚約した。公爵家に自ら婚約を申し込みに行ったらしいとのことで少し気になったが、それだけだった。―のだが周りはそうではないらしい。
この国には今4人の王子が居る。そのうち婚約していないのは俺だけとなったことで皆が俺との婚約を推し進めようとしている。面倒なことこの上なかったが相手は力を持った貴族だ。いくら王子とはいえ自分の一存だけで邪険に扱っていい存在ではない。ため息をつきそうになるのを抑えつつ話に耳を傾けた。
そうして決定された俺の婚約者はハント侯爵家の4女メアリ・ハントだった。そのことについて俺に思うところはない。ただ、完全に政略で決められた婚約。貴族社会特有の愛のない結婚をすることになるだろうことが少し嫌だった。そう思っていたのに―
「―本日は正式な婚約のあいさつに参りました。」
ここに来るまでは全く緊張なんてしていなかったはずなのに。心臓の音がうるさい。のどがカラカラだ。自分は今どんな顔をしているのだろう。彼女に差し出した手が震えそうになるのを無理やり押しとどめる。
「俺との婚約を受けてくれますか。」
この婚約は完全に政略によって決められている。だから断られることなど絶対にない。わかっているのに、わかっているはずなのに―
「はい。」
そう言って笑いながら俺の手を取ってくれたことが、この上なく嬉しかった。心臓の高鳴りはとどまるところを知らない。顔が熱い。もしも俺の魔法適正が火属性であったなら顔から火を噴いていただろう。視線を彼女の手に落とす。彼女の手は俺のそれに比べて小さい。その白くてきれいな手に半ば吸い寄せられるように彼女の手に口づけを落とす。婚約の成立を喜ぶメイドや執事たちの声がどこか遠い。彼女と視線を合わせる。彼女は優しく笑いかけてくれた。
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人が恋に落ちる瞬間を見てしまった。
私―メアリ・ハントは婚約者となったアラン・スティアートと共に中庭に向かっている。共に行こうと手を差し出すとおっかなびっくりといった様子で握り返してくれた。手のひらは熱く、少し汗ばんでいる。私に意識を割き過ぎて時々転びそうになる。あたしと目を合わせると真っ赤になる。そんな姿を見てこう思うのだ。もしも私が彼女と出会う前だったら彼に恋をしていたのだろうと。彼を見るたびに、胸の奥に小さな熱が生まれる。この火種が大きく育てば恋心になるのだろうと漠然と理解していた。
でも私はもう彼女と出会ってしまった。彼女の隣に立ちたいというこの燃え盛る炎のような気持ちの前では、その小さな気持ちが大きくなることはない。
「君はきっと緑の手を持っているんだね。」
「―緑の手?」
「植物を育てる才能を持った人の特別な手だ。君は特別で素晴らしい存在なんだよ。」
ほら、今もまた。ありがとうと彼に伝えると彼は心底嬉しそうな顔をする。でもその言葉を聞くのは2回目なのだ。もしカタリナ様より先にその言葉をかけていただいたら、きっと私は彼に恋をしていた。でもそうはならなかった。ならなかったのだ。
「そ、その。今度一緒にお茶しないか?〇日とか―」
「ごめんなさい。その日はカタリナ様のところに行く予定がありまして…」
「そうか…」
悲しげな顔をする彼に胸が締め付けられる。ごめんなさい。きっと初恋だったろうに、こんな女に惚れさせてしまうなんて。
小さな火種がこころのどこかでくすぶり続けているのを感じる。しかし私の中の燃料がその思いに使われることはこれから先無いのだろう。メイドに入れてもらったいつもと同じ味のはずの紅茶を口に運ぶ。少しだけ、いつもより苦い気がした。