「なんで坊主が店の前に吊られてるんだい……」
「ワカリマセン……」
【豊穣の女主人】に突如として飾られた現代アートと化していたベルは十数分後、異変に気が付いた店員たちによって救助された。
ミアの呆れかえった表情にベルは羞恥心で顔を赤らめる。
アレは恥ずかしい。
「御免ミアお母さん。見失った」
「悪意のない監視者かと思っていたんだがね。なんでそんな行動を取るのか」
「……ニャ? ひょっとして母ちゃん気付いていたのかニャ?」
「まぁね。
無差別テロにしても大した被害はなく、何かの作戦の陽動にしても何も起こらなすぎる。
まさかこれが監視者の一時のテンションに任せた行動とは夢にも思わないミアが訝し気に顎を撫でた。
「……」
「あれ? 子供、増えたんですね。ひょっとしてのび太君の話に出てきてたしずかちゃんですか?」
「しずかちゃんじゃないよ。日本人じゃないじゃない」
「この世界の住民にそれが分かるわけないだろうに」
自分をじーと見つめる少女に気が付いたベルの言葉に対するのび太たちの発言に彼は苦笑する。
そう言えばこの世界の人間は、のび太たちの世界の人間よりも、見た目がカラフルなのだと言った話を前に聞いた気がした。
「シルが拾ってきた新しい子供ニャー。ウチは託児所かっつうの」
「ミャーの猫耳を弄りまくってもう大変なのニャ‼ このおさかなさんは‼」
「お、おさかな?」
「ニャハハ! ミャーが付けたコイツの名前ニャ。親しみを持てるさいこーの名前ニャ」
「アーニャ? 私その名前却下したよね?」
怖い笑顔でアーニャを見るシル。
アーニャのビビりまくった「フニャガッ!?」と言う悲鳴が漏れる中、少女(おさかなさんではない)はベルの下へズルズルと近づいた。
「……」
「え、えっと?」
「おゆき、いっぱい。つめたくなぁい?」
「これは僕の髪の元々の色で……し、シルさん? この娘……えっと」
「ノエル、ですよ」
「ノエルちゃん……なんだか幼すぎると言うか……」
少女は確かに幼児と呼ばれる年齢のようだが、それにしても常識を知らなすぎではないか。
神々がよく言う「ふしぎちゃん」と言う奴だろうかと戸惑うベルは、少女を拾ったというシルに疑問をぶつけた。
「そうなんですよねぇ。記憶が無いからでしょうか」
「記憶が?」
「はい。帰る家も分からないみたいで……」
その話を聞いて真っ先に考えたのは
犠牲者ゼロと報じられてはいるが、実際の所は謎だ。
嫌なことに巻き込まれている可能性は、一カ月程度とは言えオラリオで生活したベルには有り得ないものではないと思えた。
「【ガネーシャ・ファミリア】に聞いてみましょうか? もしかしたら捜索依頼が届いているかもしれません」
「ありがとうございます。お願いします。……きっとないでしょうけど」
「シルさん?」
「何でもありませんよ」
にこっと笑ったシルにベルは嫌な予感を覚えた。
これは話を強引に変える時の顔だ。
主にベルがダメージを受ける話題で。
「そ・れ・で? 何でベルさんはなんでお店の前に吊るされていたんですか? ひょっとして厄除けのお守りになってくれてました?
「なんで吊るされたのかは僕にもワカリマセン。こっちが聞きたいです。なんでお店の前に罠があったんですか?」
「そりゃ、あたしが聞きたいよ」
下手人と思われる黒ローブを今度見かけたら、一発拳骨を食らわせてやると指をぽきぽき慣らすミアから無言で離れる店員一同。
行かれる店長の恐ろしさを知る彼女らは黒ローブの冥福を今から祈った。
「そもそも少年は何であそこにいたニャ? 今日は朝からダンジョンに潜って来るって言ってなかったかニャ?」
「えっと、あそこにいたのはマジックアイテムの取り扱いに失敗して……」
「ベルが頭に付けていたのは【人間機関車セット】だよね」
「うん。凄い速さで走れたのはよかったんだけど……まったく止まれなくて、ダンジョンを抜け出しちゃったんだよねぇ……」
思いっきり街中をひみつ道具で爆走した事実に目を遠くする。
これもう隠蔽不可能かもしれないなぁ……。
実際にはちょうどその時間帯に住民たちは謎の集団幻覚を見ており、頭に変な帽子被って煙を立ち上げながら爆走する少年のことも幻覚と思っていたが。
現時点での少年がそれを知ることはなかった。
「罠で暫くバタついたら止まれましたけど」
「エネルギーを使い果たしたんだと思うよ。また石炭と水を食べない限り大丈夫」
「え゛……冒険者君何食べてんの」
「お、美味しかったですよ?」
ルノアにドン引かれたことにへこみつつ、これからどうしようかとベルは独り言ちる。
ダンジョンに残っている仲間たちに合流したいが、それには一つ問題がある。
「じー……」
「の、ノエルちゃん?」
何故かズボンを引っ張ってジーと見つめ続けているノエルだ。
幼女を振り払って出ていくのはお人好しなベルには憚れた。
「ノエル? ベルさん困っているよ?」
「……もふ、もふ……」
「ノエルはベルさんの髪が気になっているみたいですね」
「そうなの? はい」
ベルは何故だか僕の髪の毛気にする人多いよな~と思いつつ、膝を折ってノエルの手が届く位置まで頭を下げた。
ノエルは表情の変化は乏しいがどこかご満悦な様子でベルの頭をくしゃくしゃにする。
(アーニャさんやクロエさんもこんな感じで弄られたのかな……)
ちらりとベルはノエルの足を見た。
先ほどから床を這うように動き回る少女の足は痛々しい傷跡がある。
(ドラえもんさんなら治せるはず……いや、このままってことは出来ないのか)
傷が治らない
のび太たちの世界には魔法はないらしい。正確には個人の情念で芽生えるステイタスに裏打ちされた固有魔法は。
如何に技術が進んでいるとは言っても、ない物には対抗策など用意できない、という事なのだろうか。
「……」
「わっ」
「こうしたほうが触りやすいでしょ?」
無性に胸が締め付けられたように感じられて、少女を持ち上げ、肩車する。
少女は最初は戸惑っていたようだが、直ぐに髪を弄ることを再開する。
軽かった。
生まれてきて一度も物を食べていないんじゃないかと思う位に。
この少女に何があったのかは分からない。
ただ、こんな小さな少女に降りかかった不幸を想うと、ベルは
「ふわあぁ……たかい、ね……!」
静かに幼い興奮を発するノエルが体を揺らす。
少女の存在をしっかりと認識するベルは、自分の動揺を悟られまいと唇を意図的に緩めた。
「僕の髪ばかりじゃなくて、あの人の耳も触る?」
「フニャ!? こっち巻き込むニャ白髪頭‼」
「ねこみみ、さわる!」
「フニャアアッッ!?」とベルの頭の上から手を伸ばすノエルに猫耳を蹂躙されるアーニャの叫び声が木霊す。
そんな三人を見て、店の人たちは笑っていた。
「……これはまた随分と賑やかなことになってるな?」
いつの間にか、店内に現れていた青年の声にベルは振り向いた。
「あ、ヴェルフ……」
「ひみつ道具の暴走が収まって一安心ってとこか。だがなにやってるんだ? これは」
その言葉にベルはバツが悪そうに笑った。
ヴェルフも肩車されている少女の足の傷を見て、なんとなく事情を察したのか追及はしてこなかったが。
「そろそろリリ助たちと合流するぞ」
「うん……ごめんね、ノエルちゃん。ここまでみたい」
「あ……っ」
ノエルを肩から降ろすと、ベルは人間機関車セットを持ち上げる。
そろそろダンジョンに潜らなければ。
「それじゃ……バイバイ」
「ばい、ばい……?」
「お別れの挨拶だよ」
「え……いっちゃうの……?」
ベルを見上げる瞳に涙が溜まる。
それを見て今のは良くない言い方だったとベルは反省した。
お別れ、では冷たすぎる。
「ごめん、言い方が悪かったね。……また、会おうね」
「……うん」
名残惜しいがいつまでも【豊穣の女主人】に居座る訳にもいかない。
ベルはシルたちに挨拶をし、店を出た。
ヴェルフもそれに続こうとし……一度、ノエルを見た。
「……?」
「いや、悪かったな。なんでもない」
突然見られたことに動揺するノエルに謝罪し、今度こそヴェルフも店を出る。
だが、少女からは見えないその表情は険しかった。
(なんで精霊がいるんだ……?)
ヴェルフは振り返らず、ベルの横に並ぼうと歩を速めた。
芽生えた疑問を飲み込みながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごめん。ヴェルフ」
「いや、ありゃ放っとけないのも分かる」
ベルは道草を食ってしまったことを謝罪したが、ヴェルフはそれに関して特に蒸し返す気はなかった。
ダンジョン探索を放置したことは良くないが、彼が少女を蔑ろにしていたら、それはそれで怒っていたであろうと思ったから。
「ノエル……あの娘、記憶が無いんだって」
「あの妙に幼い態度はそれが原因か」
「足の傷もポーションじゃ治らないみたい」
「明らかに時間が経ちすぎているからな。それに、
冒険者でも
しかし、少女の傷跡から見て取れたのは、ギザギザとした刃。
傷跡を細かくつけ、仮に
それは、異様なタフさを持つモンスターには意味がなく、脆弱な人間を痛めつけるにはもってこいの武器。
「本当に嫌になるな、
ヴェルフは
ただ、今回のことで嫌な連中だと確信を持っただけだ。
「【ガネーシャ・ファミリア】にも伝えておけ」
「怖がらないかな」
「あいつらが直接会えなくても、そういう被害を受けた人間がいるってことは知っていたほうがいいだろ」
ヴェルフを見て怯えていた通り、人見知りの少女の様であるため、【ガネーシャ・ファミリア】の団員を見て怯えるかもしれないという懸念はあるが、ベルに紹介してもらえれば大丈夫だろうとヴェルフはこの話題を打ち切った。
「しかし、なんであの店にいたんだ?」
「実は店の前で罠にかかって宙吊りに……」
「どういう状態だよ」
ヴェルフの至極真っ当な問いに苦笑しつつ、あの辺りでぶら下がっていたんだよ、と【豊穣の女主人】を指さした時。
一人の男が目に入った。
「……」
「ベル?」
もう通勤の人ごみは落ち着いてきた時間帯とは言え、今日は久しぶりの快晴。
そろそろお店も開店し始めると考えれば、人がメインストリートを出歩いていること自体はそう不思議ではない。
男が持つモノが無ければ。
(あの形……!)
覚えがある。
前に似たようなものを彼は何度か使っていた。
男の両手に収められている緑色の箱型のアイテムを。
ノゾキアナから風景を捕え、スイッチを押すそのアイテムは正に……
「カメ、ラ……!?」
ひみつ道具が生み出す異世界のアイテム。
それを見たベルの脳裏に浮かんだのは先日の死闘。
ミノタウロスとの戦いの中に割り込んできた謎の人形。
(もし、あれがみんなが言うようにひみつ道具と同じものだったのなら……!)
あの男が持つそれもひみつ道具なのではないか。
そんな疑問がベルの脳裏に走る。
「……」
「お、おいっ」
気が付けばベルは男に向かっていた。
どくどくと、痛いくらいにはねる心臓の音に後押しされて。
ひみつ道具の凄さはベルが一番よく分かっている。
未だ使いこなせずとも、その力に支えられてベルはここまで来たのだから。
だから、もし、もしもその力が
想像もつかないほどの厄災に至るはずだ。
これが正しい選択かは分からない。
だけど、もしもそのカメラの効果が人々に害をもたらすモノなら……
黙っていることはベルにはできなかった。
パシャリッ、と男がシャッターをきる音がする。
男は風景をレンズに収め、手慣れた様子で様々な建物を見て回っていた。
「あのっ」
「ん? ……おや」
意を決し、発せられたベルの声に男が振り向く。
赤髪に細目。貼り付けられた笑顔が特徴的な男は、ベルを見た一瞬、なにか驚いたような素振りを見せた。
「これはこれは……最近巷を騒がせる新人さんではないですか。私になにか御用ですか?」
「……その、アイテムは」
「ふむ? これに興味がおありですか。中々お目が高いようで」
男は丁寧な物腰でベルに応対する。
「それは……なんですか」
「ちょっとした趣味のオモチャですよ。そう悪い物ではありません。間違っても魂を奪ったりなどしないですとも」
「魂……?」
「冗談です冗談。昔、これを見てそう反応した人がいたと、このカメラを譲ってくれた方が仰っていたので」
くつくつと笑う男はそう言ってベルに向き直った。
「初めまして、新しい英雄様。私は単なる暇人……ヴィトーと申します」
この時、細められた瞳の先に何を宿していたのか。
ベルにはまだ分からなかった。
本エピソードのメインキャラクターであるヴィトー。
いろいろ拗らせてしまっている彼ですが、こっちではさらに凄いことに……