薄暗く、狭いダンジョンの中で響くゴブリンたちの声は小さい頃に見た
広々としたフロアでゴブリンと1対1で戦るベルは壁際に追い込まれないように注意して戦う。
目の前の獲物に
(来てるな……)
チリチリと首筋に視線を感じる。
視線の出所は天井。
トカゲ型のモンスターであるダンジョン・リザードがベルを狙っているのだろう。
こんな時はダンジョン・リザードの間合いに入らないようにするのが鉄則だが、目の前のゴブリンはなかなか執念深い個体らしく、上手く距離を取れない。
そろそろ攻撃してくる。
そう判断したベルは咄嗟に空になったポーションの瓶をゴブリンの顔に投げつけた。
大したダメージは入ってないけど隙はできている。
「!」
その間にダンジョン・リザードに目をやると今にも急降下しようとしていた。
咄嗟に腕を振ると、カウンター気味にモンスターの首をへし折った感触が伝わり、ベルは僅かに眉を歪めてしまう。
(危なかった……)
判断が遅かった。
もっと早くに戦い方を変えるべきだったかもしれない。
安堵して気が緩みそうになるのを抑える。
最後まで油断しない。上層とは言えここは世界で最も危険な地なのだから。
「やぁああああっ!」
仕切り直しだ。
また相手のペースに乗せられないように、今度は速攻で。
短刀を逆手に最後のゴブリンと対峙した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
戦いは問題なく終わった。
今回は少し長引いてしまったが、だいぶこの階層にも慣れてきたと思う。
とはいっても、アクシデントがあるとすぐに崩れてしまう程度の慣れだが。
(こんな時ひみつ道具が使えたら違ったのかな。)
ふと浮かんだ考えを首を振ってかき消す。
ヘスティアがホームに戻ってこないことでステイタスの更新ができず、今使えるひみつ道具が分からないということに気が付いたのはヘスティアが出かけた後だ。
【
ただ、そのおかげで自分の戦い方を見直せた気がする。
ひみつ道具は物にもよるが基本的に強力だ。
そのせいで知らないうちに依存しかけていた。
さっきの思考なんて正にその証と言えるだろう。
「ダンジョン・リザードの接近も、もっと早くに気が付けたはずだった。」
前にボロボロになった7階層への突撃。
本来なら駆け出しの冒険者が生還なんてできない、あの状況を何とか出来たのはひみつ道具のおかげだった。
実際、無くなった途端にボコボコにされたわけだし。
(ひみつ道具に頼らない強さも必要だ……)
アイテム頼りの冒険者がアイズさんと対等になんて成れるはずがない。
僕が目指すべきはひみつ道具に使われる冒険者ではなく、ひみつ道具を使いこなす冒険者。
それを再確認できただけでもこの空白の期間は意味があった。
「それはそうと……一度地上に戻ったほうがいいかも。」
ダンジョンからは空が見えない。
それ故に時間の感覚が曖昧になりがちなのだとエイナさんは言っていた。
ずっしりと重くなり始めたバックパックの感触に気が付いた僕は、自分が思っていた以上に長くダンジョン探索をしていたことに驚く。
「こんなに重いと戦う時に邪魔になるかな……」
まだ魔石を詰め込むスペースはあるけど、「まだ行ける」は「もう危険」の合図だ。神様と「無茶はしない」と約束したのだから大人しく引き返そう。
来た道を戻り、何事もないままダンジョンの入り口の大階段『始まりの道』にたどり着く。
太い円筒型にぐるりと沿うように設けられた螺旋の階段を上っていく。
僕と同じく帰路についている冒険者の数は多い。
こうやって見るとパーティーを組んでいるのは同じファミリアの仲間同士がほとんどだ。
(いいなぁ……。)
団員数が1の【ヘスティア・ファミリア】だと、あんな風に仲間内で冒険はできない。
ああやって同じエンブレムをつけて凱旋する光景には憧れるけど、現実は厳しいものだ。
(それに、あの装備かっこいいかも。)
色んな冒険者たちが集まるこの場所だと、あちこちに目移りしてしまう。
多分、他の冒険者たちにはおのぼりさん丸出しに見えるんだろうな、今の僕。
いつか、僕も新米の冒険者からこんな風に思われる時が来るのだろうか。
「あれ?」
空高くそびえ立つ『バベル』の塔。その地下一階で奇妙なものを見た。
巨大なカーゴだ。確か大きなファミリアが遠征時に使う奴だっけ?
ふわふわした知識を頭の片隅からひっっぱりつつ見ていると、ガタッとカーゴが一人でに動いて仰天してしまった。
「いっ!?」
その時僕は気が付いた。
この中身は荷物じゃない。モンスターだ。
(ひょっとして……ハシャーナさんが言っていた
モンスターは基本的にダンジョンの外に出してはいけない。
人類の天敵。絶対悪であるモンスターは人間社会に悪影響しか与えないからだ。
そんな常識を無視して行われるお祭りとはいったいどんななのか。
『今年もやるのか?』
『パンと見世物であろう……神はくだらんことが好きらしいからな』
『【ガネーシャ】の所もそんな役割だよな……市民に媚び売りなんぞさせられて』
少なくても、僕と同じようにカーゴを眺める冒険者たちからはあまり好意的には見られてない。
まあ、この中にはモンスターに傷つけられた人は沢山いるし、そういう感想も多いのだろうが。
【ガネーシャ・ファミリア】のハシャーナさんも、内心は納得はしてないように感じたし。
(あ……エイナさんだ)
見覚えある姿に僕の担当アドバイザーの姿を見つけた。
ギルドの職員達同士でなにやら入念な打ち合わせを行っていた。
(ギルドも関わっているんだ……いや、オラリオの経済とかにも関係しそうだし、当然かも)
忙しそうだし、声をかけるのはやめておこう。
今はこの階のシャワールームで汗を流すほうが先決だ。
僕は熱心に打ち合わせをしているエイナさんに背を向けて、ギルドが無料で貸し出しているシャワールームに向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日は中々の稼ぎだった。
神様が留守にしている間、できるだけお金をためて驚かせたいと密かな悪戯心を持つ僕は今日の収穫に満足する。
……借金返済には程遠いけど。
「ベル。」
「あっ、ミアハ様、こんにちは。お買い物ですか?」
「うむ。夕餉の支度だ。」
やることもないので、空いた時間を潰そうとぶらぶらと北西のメインストリートを歩いていると、ミアハ様に声をかけられた。
僕より大きな神様だから自然と見上げる形になる。
(いいなぁ……僕も今からこのくらい大きくなれるかな?)
僕も特別低いわけじゃないんだけど、子ども扱いされることが多いからこういう大人な男の人には憧れてしまう。
「時にベルよ。ヘスティアへのプレゼントは上手くいったのか?」
「はい!あの時はありがとうございました!」
「構わん。我らには使い道がないものだからな。必要としている者の手にあったほうがあれも本望だろう。」
神様への贈り物の時は本当にお世話になった。
ミアハ様は多くは性格があまりよろしくない神様の中でも珍しい。善良な神様だ。
裏表のない性格もあって、【ヘスティア・ファミリア】とは親密な関係を築いている。
「しかしベルにあんな技術があったとはな」
「はい?」
「あの大きな鈴をヘスティアの髪飾りに合わせて小さくしていただろう。ヘスティアにベルからのプレゼントだと教えられて驚いたぞ。鍛冶の心得でもあるのか?」
「……あっ、えっと……あははは……」
親密すぎてボロも出やすいが。
よく考えたらこの人たちから見れば怪しすぎる出来事だ。
譲った鈴が次の日には明らかに小さくなってるなんて気になるだろう。
ミアハ様は僕に鍛冶技術があると納得してるけど、ナァーザさんは怪しんでそうだな……
「あ、あの、ミアハ様。ヘスティア様の居場所を知りませんか?ご友人のパーティーに参加されてから二日ぐらい帰ってきてなくて……」
「二日……と言うとガネーシャの宴か。すまない。私は出席していないから見当がつかん。」
なんでもその日はナァーザさんと商品調合に勤しんでいたらしい。
役に立てない代わりにその時調合したポーションをやろうと渡されてしまった。
「そ、そんな、貰えません!」
「良き隣人への胡麻すりだ。今後もわがファミリアを御贔屓にな?」
片手を振ってミアハ様は雑踏に消えていく。
僕はぺこりとお礼をして、左腿のレッグホルスターにポーションをしまった。
(しかし、僕が
すごい勘違いをされてしまった。
鎚を振るって剣を鍛える自分を想像したけど、笑えるくらいに似合ってない。
いつも商品を眺める武具屋のショーウィンドウに映る自分は中性的で細いし、職人どころか冒険者にも見えないかもしれない。
苦笑いした後、自然と僕の目は商品に向いていた。
偶然、この店のショーウィンドウを見かけた日から、あまり良くはないけどこの店で展示されている武器を眺めるのが僕の日課になっている。
(ああ、この短刀はやっぱりかっこいいな)
魔石灯の光を跳ね返す純白の刀身は何度見ても飽きない。
欲しいなぁ……なんて身の程をわきまえない言葉が出てしまう。
これ一つで僕たちの借金が返済できそうな額で、今の僕じゃ手も足も出ないけど。
(ひみつ道具もいいけど、こういう自分だけの武器って憧れるなぁ……)
この白い短刀でバッタバッタと敵を倒す自分の姿を妄想しながら、僕はいつものようにガラスの先の商品を時間を忘れて見続けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ベルが食い入るようにショーウィンドウに並べられた商品を見ている店、その中でヘファイストスは仕事をこなしていた。
「そんな変な格好でいられても困るんだけど、分かる?」
最も
ヘファイストスの気を散らす原因となっているヘスティアは、ヘファイストスの嫌みが聞こえていないかのように床にひざまずいて土下座を続けていた。
丸一日床に額をこすりつける幼女神の姿を、ついに無視できなくなったヘファイストスはため息をついて羽ペンを置く。
「自慢じゃないけど、私の【ファミリア】の商品は最高品質なの。簡単に譲るなんて論外よ。」
ましてやオーダーメイドなどもってのほかだ、お金をためて出直してこい、とヘファイストスは先日の宴ではっきりと突っぱねた。
しかしヘスティアは宴が終わった後も何度も頼み込んできた。
その度に追い払ってきたヘファイストスだが、流石に根を上げてしまう。
仮眠後に目覚めてもずっとこの格好だったのは、もはやホラーだ。
今まで散々頼ってきたヘスティアだが、怒られるのは怖いのか一度ヘファイストスが突っぱねれば案外素直に引き下がってきた。
だが、今回は勝手が違う。
今回はなぜかしつこいほどに頼み込んでくる。
(ベル・クラネルがそうさせるの……?)
一度、ヘスティアの紹介で会ったことがあるヒューマンの少年の顔を思い出す。
ヘスティアの初めての眷属。
駆け出しながら妙なスキルを持つらしく、入団初日にホームを破壊したという。
話を聞く限り悪い子ではないのだろうが、トラブルメーカー。
それがヘファイストスの印象だった。
室内に差し込む夕日の光が2柱を照らす。
夜が近い。放っておけばヘスティアは倒れるまで動かないだろう。
このままでは埒が明かないと、ヘファイストスは姿勢を正してヘスティアに問いかけた。
「どうしてあんたがそうまでするの?」
「……あの子の力になりたいんだ!」
これが最後のチャンスだとヘスティアも感じている。
あらん限りの思いで言葉を続けた。
「高すぎる目標に怯まずに、あの子は変わろうとしている!それを手助けしてやりたいんだ!あの子の神として、ベル君の望む未来を切り開く武器が必要なんだ!」
「あんたの子どもにはスキルがある。又聞きでも強力だと分かるスキルが。それで十分なんじゃない?」
「……そうかもしれない。でも、ボクはあの子になにもできないのは嫌なんだ!」
ヘスティアが脳裏に浮かべたのはベルの血塗れになった姿。
あの時ほど無力な自分を呪ったことはなかった。
あの日、ベルに何があったのかは分からない。
分かるのは激情に駆られるほどの何かがあったということだけ。
「あの日からずっと思っている。もし、ボクがちゃんとした神様だったら、ベル君があんなに傷つくことはなかったんじゃないかって……」
神の恩恵はどの神が授けても同じだ。
眷属の素質・努力に合わせて効果を発揮する。
鍛冶の神の眷属が冒険者のスキルを発現することがあるし、薬の神の眷属が魔導のアビリティを得ることだってあるのだ。
だが、それは神の存在が全く眷属に影響を与えないわけではない。
ステイタスは眷属が何を感じ、どう学んだかで千差万別に変化する。
大きなファミリアが有望な人材を育成しやすいのは、そうした人材を作る環境・ノウハウが蓄積されているからだ。
例えばヘファイストスのファミリアが鍛冶のアビリティを発現させる眷属が多いのは、そうした教育環境が整えられている証といえる。
そう考えるならば成長に必要な素材を集める神の力量によって、眷属のステイタスの発展は左右されるという考え方は決して的外れではない。
「ベル君には絶対に才能がある!誰よりも速く、強く、高く飛ぶための資質があるんだ!……でも、僕はそのために必要なものを何も集められない……」
考えたくも無い仮定だが、もしベルが【ロキ・ファミリア】にいればベルのステイタスは今よりもっと伸びていたのは間違いないだろう。
もっと上質な装備に身を包み、同じ仲間と共により深い階層へ行って、サポートしてくれる先輩の下で良質な経験値を稼いでいた。
あんなに頑張って夜まで勉強しているベルなら、先人たちの知恵も水を吸うスポンジのようにどんどん吸収していたはずだ。
なんなら、ひみつ道具だって使いこなせる助言を貰えたかもしれない。
だからヘスティアは感じていた。
そんな環境を用意できない自分が、ベルの成長を妨げているのではないかと。
「あの子の枷になるのは嫌なんだ!もう、何もできないのはいやなんだよ……」
喉を震わせながら出た、ヘスティアの本心。
ヘファイストスはこれを無視することはできなかった。
甘やかしていると自覚しつつも、今の彼女なら手を貸したいと思ってしまっている。
「……わかったわ。作ってあげる。」
「ヘファイストス‼ありが……とと……」
立ち上がり、お礼を言おうとしたヘスティアだったが、長時間の土下座の影響で足が上手く動かずにフラリとよろめいてしまう。
それでも頬を染めて笑顔を見せるヘスティアにヘファイストスはくすり、と笑みを漏らした。
「ただし、ツケは払ってもらうわよ。何百年かかってもね」
「う、うん……わかってるさ!ボクのベル君への愛さえあれば借金なんていくらでも……!」
「あんたヒモに引っかかるタイプね。」
借金の多さ=愛ではないと後で注意しておこう。
そう考えながら、ヘファイストスは壁に貼り付けられたショートハンマーを取る。
「あんたの子の武器は?」
「え……?ナ、ナイフ」
それを確認すると『ミスリル』を取り出す。
「もしかして……ヘファイストスが作ってくれるのかい!?」
「なに?文句ある?」
「あるわけないじゃないか!ヘファイストスの作る武器ならきっと最高だ!」
神の力を封じられた以上、ヘファイストスにできること等限られている。
技量はともかくそれ以外は自分の眷属にも劣るのだが、ヘスティアは無邪気に喜んだ。
(こういうとこがあるから縁を切れないのよね……)
悔しいが、悪い気はしない。
「あ、でもヘファイストスの作る武器とかどんな値段なんだろう……?」
「なに?やっぱりやめる?」
「い!?ばばばばばバッチコイさ!……ベル君への愛をお金に変えるひみつ道具とかないかな……」
「それやったら値段十倍だからね」
軽口をたたきながらヘファイストスはこれから作成する作品を思い描いていた。
ただ性能がいいものでは駄目だ。それではベルは成長しない。
しかし粗雑品を作ることは鍛冶師の誇りが許さない。
ヘファイストスの名を背負う以上、情けない作品を作るのは自分を慕う眷属たちへの裏切りだ。
駆け出し冒険者に作る第一級の武器。
ひみつ道具なんて規格外なアイテムを持つ少年に見劣りしない神の武器。
なにより、大切な
与えられた難題にヘファイストスは静かに笑みを浮かべた。
今回は原作とあんまり乖離点はないかな。
何日もダンジョンに潜る遠征をする上での【