それはおかしな心理ではないのだろう。
嫌なことがあって、逃避のために楽しいことに熱中する。
恥も道理も全部を放り投げて、時折思い出したかのように自傷する暗い愉しみ。
人は耐えらえない痛みの前に立ち尽くし、それを忘れようと酔っぱらう。
傍目から見ても、そして自分から見ても滑稽な振舞いを止められないのだ。
フィルヴィスが逃げたものは穢れ。
フィルヴィスが酔ったものは愛。
そして、その代価は罪。
ある日、理不尽で不条理な悪意によって変貌した身体。
それは誇り高い
エルフは脆い、と誰かは言う。
他種族と比べ、容姿的にも能力的にも優れ、寿命も長いエルフは大きな自尊心によって成り立っている。
誇りが貫けているうちはいいが、自信の拠り所をなくした途端に不安定になるのは有名だ。フィルヴィスもその例に洩れなかったと言うワケだ。
自分を見失った者は、自分以外の者に救いを求める。
家族、友人、恋人……依存先は様々だろうが、フィルヴィスは最も質の悪い物にそれを求めた。
それが神。正義の仮面を被った飛び切りの悪意。
自身が変貌した時に、その体を見せることがどれだけ恐ろしいことだったか。
人類にとってモンスターとは絶対悪。ならば、それ同質の存在になってしまった自分は、もうみんなの中には戻れないのだろうとフィルヴィスはすぐに悟った。
居場所が無い。自分を肯定してくれる者もいない。
それは想像を絶する恐怖だ。
『よく戻ってきた。フィルヴィス』
だからこそ、穢れた身体に構わず抱きしめてくれた神だけが自分の絶対だったのだ。
自身の仮面を脱ぎ捨て、その悍ましい野望を吐き出されても、フィルヴィスにその神から離れるという選択肢はなかった。
例えその選択によって、数多の命が屠られることを知っていたとしても。
(なのに、今更……)
狂ってしまったのは何時からだろうか。
神の素顔を知る唯一の使徒として、罪なき邪魔者を殺した時。
多くの罪に耐えきれなくなった心が魔法を発現させた時。
或いは……あの眩い同胞に出会ってしまった時。
初めて会ったときは興味は持たなかった。
自分とは違う、性格の良い少女だとは思ったが、関わりすぎるつもりはなかった。
どうせ、エニュオの目的が完遂されれば皆死ぬ。その時に自分の心に負担をかけるような真似をして何になるのか。
【ロキ・ファミリア】の信頼を得る……と言うよりは疑惑の目をそらすために
向こうは気にかけてきたが、所詮は他派閥。会う機会が少ない以上、自然と疎遠になるものなのだから。あの日、自分の姿が見られなければ、そうなっていた筈だ。
エニュオの命令で最近都市を賑わせている新人を始末しに向かったことで全てが変わった。
世界に嫌われているのではないかと思うほどに不運が重なり、あっという間にボロ雑巾に変わったフィルヴィスを偶々ダンジョンに来ていた彼女が見つけてしまったのだ。
『貴女は、フィルヴィス……さん?』
穢れた自分を見た者は始末する。それが鉄則だ。
自分からエニュオの正体に辿られる可能性が極めて高い以上、そうするのがフィルヴィスのあの場での使命だった。
にも関わらず、そうしなかったのは単にその気力が無かったからだ。
襲撃した冒険者パーティーの何気ない言葉。【
それはフィルヴィスが
殺しても殺したりないほどに憎い相手が自分と同じ存在になって、
それを、フィルヴィスは知らされてなかった。
その瞬間、絶対だった愛に罅が入る。
そうなれば愛の奴隷だったフィルヴィスの体は、糸を斬られた人形のように動かなくなるのは必然だったのだろう。
罅割れた依存に割り込むように、彼女は現れた。
「嗚呼、レフィーヤ……どうして現れたんだ。今更過ぎる。今更……」
フィルヴィスと
レフィーヤは事件を追う【ロキ・ファミリア】の一員なのだから。
後は団員に連絡を取って、ファミリアに引き渡せばいい。その筈だった。
だが、レフィーヤは何もしなかった。
フィルヴィスを保護し、敵からも味方からも隠し続ける。
ファミリアに対するある種の裏切り行為。
それをレフィーヤが行っていたのは……恐らく、フィルヴィスがどうしようもないほどに惨めだったからだ。
目を離せばあっさりと死んでしまうほどに、弱り切ったフィルヴィスを優しい妖精は放っておけなかった。
愚かな優しさは糾弾されるべきなのだろう。しかし、だからこそフィルヴィスの心に染み渡ってしまった。
その善意にズルズルと寄り掛かって、苦悩する彼女の傍に寄生し続ける。
かつて、高潔なつもりだった自分が見れば、恥を知れと吐き捨てる無様な姿だ。
『……絶対、助けますからね!』
やがて、彼女は覚悟を決めて言い放った。
そこにどんな決意があったのかは知らないが、愚かなことだ。
綺麗な彼女に救われる価値など、自分にはないというのに。
そう、振りほどくこともできずに無言で去るしかできなかった自分のなんと浅ましいことか。
結局、エニュオに見つけ出されて再びその手を血に染めようとしたのだからいよいよ救いようが無い。レフィーヤが危機になった途端、使命を放り捨ててしまったことも含めて。
いよいよ自分に失望しきったフィルヴィスが身を潜めたのは歓楽街だった。
エニュオの使命を自分の意思で捨てた自分は、もうあそこには戻れない。
最後に残ったレフィーヤとの再会の約束だけが心の支えになっていた。
「一度はレフィーヤの想いを無碍にする真似をしておいて、なんて厚顔な……」
もう何にも酔えない罪人は自己嫌悪の海に沈む。
迷宮攻略の最先端を行く【ロキ・ファミリア】の遠征は、他派閥と比べても長引く傾向にある。
数日で戻ってくるとしたら、それは遠征隊が壊滅的打撃を受けた時だけだろう。
レフィーヤがいないことを確認し、場所を貸してくれる
恐らく、この世界で最も無駄な時間を浪費しているフィルヴィスがそれを見つけたのは偶然だった。
誰もいない大通りにポツンと立ち尽くす青い狸。
自身も厄災に関してはトラウマを持つフィルヴィスとしては、何となく他人事に思えずに助けてしまったのである。
「……ドラえもん、お前はその、
「その単語については分からないけど、僕は猫型ロボットだよ」
「……
フィルヴィスが助けたドラえもんは不思議な存在だった。
当初は
深く詮索しなかったので、モンスターではないという事しか分からなかったが、どうもこの世界においては
因みに最初に狸の獣人かと聞いた時は烈火のごとく怒り狂った。気を付けよう。
「それにしてもこの辺りで探し物か」
あまり、いい物ではないだろうとフィルヴィスは呟いた。
エニュオの使徒として、大なり小なりこの都市の暗部に関わってきた身だ。ドラえもんは誤魔化しているが、厄介事の臭いがプンプンした。
(ドラえもんの言っていた特徴からして、恐らくはクノッソスの鍵。何故こんなところに転がっていることをこいつが知っているかは分からないが……)
「ドラえもん。迂回するぞ」
「え? でもここから真っ直ぐいったほうが近道じゃ……」
「だからこそ、だろうな。この道は見張られている」
最近は人通りが少ないとはいえ、歓楽街はオラリオの経済を回す重要な区画だ。
フリュネの噂を聞いていても、仕事のために泣く泣く訪れている人間は多い。
街ではそんな人間たちとすれ違う事が度々あったが、フィルヴィスはその中からきな臭い人物たちを度々見つけていた。
「……お前が探しているアイテムと関連があるかは分からんが、堅気ではない人間がいる。目立つのは避けた方がいいだろう」
口では関連を曖昧にしているが、十中八九
まるで何かを探すかのように、一般市民に紛れ込んだ彼らが歓楽街のあちこちを動いている。
(……もっとも、私たちの向かう先にはいないようだが)
幸いと言うべきか、
急いでクノッソスの鍵を手に入れれば、後はドラえもんを安全な場所まで送り届ければいい。
それで、この奇妙な道中も終わる。
「あの、フィルヴィスさん」
「……なんだ」
「なにも聞かないんですか……?」
ドラえもんの問いに数瞬意味を考えた後に納得する。
確かに、ドラえもん視点だと、フィルヴィスは何の事情も分からないままついて来ているように見えるわけだ。堅気ではないが人物がウロウロしている中で。
実際は
「別に、興味はないからな」
それを馬鹿正直に話す理由はないが。
話を断ち切り、黙って歩みを速める。これで話す気はないと理解してもらえるだろう。
我ながらいやな元エルフだが、円滑にコミュニケーションしつつ、距離感を保つなどと言う器用な真似ができない以上は仕方がない。
再び、会話は途切れ、少々居心地の悪い時間が始まるところを、ドラえもんが強引に会話を引き出そうとした。
「じ、実は僕が今探しているアイテムは悪い奴らのモノなんです。多分、見張ってる人たちはそれを狙って……」
「そうか」
「ごめんなさい。変なことに巻き込んでしまって」
「気にしていない」
ドラえもんとしては、犯罪組織に関わる厄ネタ探しに巻き込んでしまったことを悔いているらしい。おかしな格好をした生き物だが、随分と素直な性格をしている。
フィルヴィスの口数が少ないことも、もしかしたら怒られていると思ったのかもしれない。
「……私は本当に気にしていない。しかし、迂闊に首を突っ込んでいい話ではない事は確かだ」
「ごめんなさい……僕の友達が傷つけられちゃっていて、それで居ても立っても居られなくて……」
「友達、か」
やはり素直だ。穢れたフィルヴィスとしてレフィーヤと同じく、少々眩しい。
そんな風に思ったのがいけなかったのか、つい感情を乗せてしまった呟きをドラえもんは聞き逃さなかった。
「あの、何かあったんですか」
「なに?」
「フィルヴィスさん、なんだか悲しそうだ。お友達と何かあったんじゃ……」
悲しそう、そんな言葉が出てしまうほどに自分は参っていたらしい。
何とも身勝手な話だ。散々人を殺しておいて。
「私の自業自得だ。気にする必要はない」
「……」
「友人……と言えるほどのモノではないが、そうなれたら幸せだろうと思える人を裏切っておいて、そうしてまでやろうとしたことすら果たせず、挙句の果てに再びその人に縋りつこうという自分にほとほと愛想が尽きただけだ」
何を不幸自慢しているのか。
ますます自己嫌悪に陥るフィルヴィスにドラえもんは戸惑いながら声をかける。
「よく分からないけれど……要はフィルヴィスさんは自分勝手して友達に迷惑かけたってこと?」
「……そのまとめ方は嫌だが、有り体に言えばそうだな」
「ちゃんと友達には謝ったの?」
「……なに?」
「フィルヴィスさん、自分を責めてるのはいいけど、それを口にして伝えてないんじゃないかと思って。さっきから口数少ないし」
予想外の言葉にフィルヴィスは動揺する。
「謝って許される内容じゃないんだ」
「謝るのは、許してもらうためにやるんじゃないよ。もうしません、っていう反省を伝えるためのモノなんだから」
反省を伝えてどうなるのか。
やってしまった罪はなかったことにはならない。
レフィーヤの想いを踏みにじったことも。彼女が差し伸べてくれる手を掴めないほどに血濡れた己の手も。
「また難しく考えてる。そうやってどうせ意味ないって思いこむことが一番悪いよ」
「……」
何も知らないお前が勝手なことを、と怒るのは楽だろう。
実際、土足で心に踏み入られる真似をされて、苛立ちで頭が熱くなっている。
だが、真っ直ぐと自分を見る目を誤魔化すことは、辛うじて残る
(謝る、謝る……? そう言えば、私は謝ったことが無かった気がする)
ずっと許されないことだと思っていた。
自分のこれまでやって来た罪。これからやるかもしれない罪。
その重みに押しつぶされそうになって、無言の悲鳴を上げる。
何を今更、散々やって来たことだとそれを圧し潰して、また罪を増やす。
いつも心は悲鳴を上げていた。ごめんなさいと叫んでいた。
だが、それを誰かに伝えたことはあっただろうか。
絶対に許されるはずがない。当たり前だ。だから誰にも言わなかった。
言ったところで自己満足にしかならないと思って。
ずっと心の中に押し込めた。
(私の罪は誰も知らない。レフィーヤにだって、私は何も言っていない)
その気づきがどれほど衝撃だったか。
レフィーヤは察しているだろう、だが、フィルヴィス自身の口から告白はしていない。
「謝って、それで、許されるはずが……」
「だから、許されるかどうかの問題じゃないんだ。怒られるにしても、許してもらうにしても、まず第一歩は謝ることでしょう?」
「……っ」
ドラえもんの言葉に反論する気は起きなかった。
自分の殻にこもっていたフィルヴィスはまだ、なにも始まっていないのだ。
そんな結論がストンと胸に落ちる。
「そうか……まず、謝るべきだったのか」
掠れるような声と共に、フィルヴィスは頷いた。
許してもらうためではなく、始めるために。
「……ありがとう、ドラえもん。少し、気が楽になった」
「い、いえ。何だか好き勝手言っちゃってごめんなさい」
「いや、言ってくれて助かった。お前はまるで先生の様だったよ」
「それはまあ、教育ロボットだしね」
「……ん? 『ねこがたろぼっと』とやらではなかったか?」
「うん。猫型ロボットの教育ロボットなの」
「難しいな」
心なしかドラえもんとの距離が縮まった道中、特にこれと言った出来事があったわけではない。
後は、行きのように二人で、行きとは違って会話を途切れさせることなく歓楽街を抜けていく。
最後に、歓楽街の出口でドラえもんはフィルヴィスに礼を言い、足早にオラリオの雑踏の中に消えていき、フィルヴィスは再び歓楽街の中に消えた。
そして、二人が出会う事はもうなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
コツリッ、コツリッとミニチュアを並べていく。
約束の日まで後5日。それまでに予定通り完成させようと作業の手を緩めないヴィトー。
ヴィトーはどうぞ、とドアを一瞥することもなく作業を進める。
「ヴィトー様。例のクノッソスの鍵ですが」
「どうでしたか? まさか見つからないなどと言いませんよねぇ? もしもそうだとしたら私は……」
「申し訳ございません。
「ク、クハハハハハハッ! そうですかそうですか。では仕方ありませんねぇ」
ヴィトーは部下を見やることなく、愉快気にミニチュアを配置し続けた。
「任務に当たった皆様には、私からよく労わっておきましょう……よくやってくれました、と」
クノッソスの鍵の紛失。
正確には、気にも留めない演技をして歓迎した。
「あの化け物が襲ってきたときはどうなるかと思いましたが、なんとか憲兵さんに落し物は預けられそうでなにより。……いよいよ計画も大詰めです」
屋台のミニチュアを鏡の前に映し、分裂させる。
地図に記された通りにメインストリートに屋台を配置していくヴィトーを狂信者たちは見つめていた。
(何でもないように過ごされているが……)
(ヴィトー様って昨日、アレされてたよな)
(まだ分かんないだろ、アレされる前のアレで逃げ切れたのかも知れないし)
(と言うかヴィトー様顔色悪くないか。いままで部屋の暗さで気が付かなかったけど)
ひそひそと囁き合う狂信者たち。
上司をほっぽり出して逃げた手前、あの後何があったか聞く勇気が持てなかった狂信者たちはヴィトーに聞こえないように囁き合う。
「聞こえていますよ」
「「「「ひっ!?」」」」
いつの間にか自分たちをじっと見ているヴィトーに肝を冷やす狂信者たち。
ヴィトーはいつも通りの穏やかな表情だ。
「言っておきますが最後までは行く前に逃げました」
(最後手前まではいったのか……)
「皆さんが私を置いて逃げた件ですが……根に持っていませんよ。ええ、根に持ってなど」
(根に持っていらっしゃる)
時折見えるヴィトーの本音に狂信者たちが冷や汗を流す中。
ヴィトーはぽつりと呟いた。
「オラリオを滅ぼす時は真っ先に歓楽街を消しましょう」
何とも言えない沈黙が部屋を包んだ。
本作も投稿を始めてから一年が経ちました。
最近はリアルが忙しすぎて段々投稿ペースは落ちていくかもしれませんが……完結まで行けるように頑張っていく所存なのでよろしくお願いします。
因みにリアルで忙しい原因は勉強のせい。
社会人になればもう勉強しなくていい。そんなふうに考えていた時期が作者にもありました。
ここからは今話について。
フィルヴィスがなんで原作であんなに追い詰められたのかな、って考えると、全部自分の中で完結していたのがそもそもの原因ですよね。
誰かに自分の罪を話せていれば、途中で止まれたかもしれません。
ごめんなさいを言うのはそのための第一歩です。