いつもと同じ街。
いつもと同じ通り。
いつもと同じ人混み。
……なのに、どうしてこんなに遠い光景に思えるのか。
まるで別世界に迷い込んでしまったような戸惑いが纏わりつく。
(……ここで良かったよね?)
渡された簡素な地図は頭の中に叩き込んでいる。
記憶力はお世辞にも良いとは言えない僕だけど、ああいった取引の場所を記したメモをいつまでも持っていては先方はいい顔をしない。ヴィトーさんにも暗記したら捨てるように言われていた。
何故、そんな風にするかと言うと、万が一にでも見つかって、【ガネーシャ・ファミリア】やギルドに見つかれば、取引のオーナーである
だから、
先方に不快に思われ、交渉が【ガネーシャ・ファミリア】の面々が踏み込む前に潰れてしまうことを避けるために、その鉄則に従ったワケだが、正直後悔している。
頭の中の地図は薄っすらとぼやけていて、思い出そうとするたびに何処かが欠けていっている気がしてならない。
これまで行ったことのある階層の
「……ここが目的地のはず」
キョロキョロと辺りを見渡す。
取引、と言っていたから人の目のない建物とかを想像していたが、そこにあるのは少々小汚いが近くに浮浪者もポツポツと見える至って普通な建物。
とても悪い人間たちがお金をやり取りする場には見えないが。
「お待ちしていました」
「……! ヴィトーさん……」
突然背後から声をかけられて、弾かれたように振り返る。
そこには、相変わらず感情の見えない能面のような笑みを張り付けた人がいた。
「では、私について来て下さい。ドルマンスタインさんの下へご案内いたしますよ」
ごくごく自然体に街を歩くヴィトーさんに僕は黙ってついていく。
誰も、気にも留めていない。
ここに世間を騒がせる
バクバクと、外に聞こえそうなくらいに暴れまわる心臓の鼓動がうるさい。
そうだ、彼は
そんな人を相手に、僕は騙し合いをして、
乾いてしまった唇が乾燥した空気に触れて痛い。
ダンジョンにいる時と遜色ない緊張感に包まれた僕は、ここに来る前に行った最後の作戦会議を振り返った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ヴィトーだけを捕まえた所で事態は好転しないだろう」
シャクティさんの言葉に皆が頷く。
ガネーシャ様の勘、それを発生される何かはもう既に動き始めていると考えたほうがいい。
「この機を逃せば手遅れになるやもしれん……」との発言から、
幹部とは言え、ヴィトーさんが何処まで関わっているかは不明な以上、彼を捕まえ、さらに情報を全て引き出したところで、そのまま手掛かりが途絶えることになりかねない。
「だからこそ、今回はクラネルに囮の役目を依頼した」
「つまり、ヴィトーとやらが坊主を連れてアジトなりなんなりに足を運んだと同時に検挙しようってワケか」
分かりやすくていい、と好戦的に歯を見せて笑うのはイルタさんだ。
ヴィトー一人ではなく、
「なにより、ドルマンスタインと言う異世界の時間犯罪者を捕まえることが出来れば、確実に敵の計画を知ることが出来るだろう」
「ひみつ道具なんてものをバラ撒いている奴だ。計画の中枢にいることは間違いないだろうよ」
「ああ、モンモンカータの言う通り、時間犯罪者こそ、ガネーシャの勘の原因だろう。ドルマンスタイン・恐竜ハンター・殺し屋ジャックの三名、及びそれ以外にもいるであろう異世界人は最優先で捕獲しろ」
「はい! ……って、自分はモダーカですっ!?」
「それと、今回の作戦の文字通り『鍵』となるのがこれだ」
「……ドラえもんさんが持ってきた敵のアジトの鍵」
Dの文字が浮かび上がった赤い眼の様なマジックアイテム。
タイムテレビでこの不気味なマジックアイテムを使ったところを、実際に見たらしきドラえもんさんが僕の知らない所で恐ろしい戦いを乗り越えて手に入れたものらしい。
彼の友達としては、そんな時に力になれなかったことが申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
……ところで、ドラえもんさんは一体どんな戦いを経験したのだろうか。
なんか、物凄い震えていて、おかしな
共闘したって言うイルタさんは微妙な表情で「一応、お前も悪いからな?」って言っていたけど……んん?
「坊主のおとり捜査でこれまで所在が不明だった
「この作戦は未知数な部分も多い。生半な戦力では万が一もあるだろう。よって、私を含めた精鋭で片を付ける」
「団長も出陣するんですか」
「ガネーシャの勘だ。ここで手を抜くのは愚策だろう」
僕の思考が横道にそれた間にも話は進む。
【ガネーシャ・ファミリア】からすれば突然出てきた不確かな情報なのに、今できる最大の対処を行うつもりらしい。
派閥の最高責任者にして最大戦力であるシャクティさんが直々に動くとは。
「クラネル。お前はアジト内に我々が侵攻したと同時に撤退しろ。戦いになる前ならば、お前の足で逃げ切ることは十分にできるはずだ」
「でも、ヴィトーさんは僕より絶対に強いんじゃ……?」
「だからこそ、奴は我々を無視してお前だけを追う事はしないだろう。レベル1だった頃ならともかく、上級冒険者というものはそうやすやすと殺せるものではない。レベル2としては上位に位置するお前が相手ならば尚更だ」
むしろ、秩序や法が届かない裏社会だからこそ、同業者間での掟には厳しい一面があるらしい。
自分の都合だけで動いて、やるべきことをやらない奴は、悪党からもそっぽを向かれるものなのだとシャクティさんは語った。
「無論、そのまま逃げ続けろとは言わん。クラネルはモスキュートが保護を行い、速やかに撤退するように」
「だ・か・ら! 自分はモダーカですっっ‼」
「……?」
「なんで不思議そうな顔をしているんですかァ!?」
息苦しい会議の場でも相変わらずなモダーカさんに思わず笑みがこぼれる。
目ざとくそれを見つけられて、僕はモダーカさんにくしゃくしゃにされたけど、少しだけ肩の荷が下りたかもしれない。
その時、ふとあることに気が付き、挙手をして質問する。
「すみません。質問いいですか」
「ああ、なんだ」
「ドラえもんさんの協力は貰えないんですか? ひみつ道具は僕より断然安定して使えますし、ドラえもんさん自身、色んな冒険を乗り越えています」
ドラえもんさんやのび太君はそれこそ、世界をどうこうしてしまうような強敵と幾度となく戦っている。
この戦いでも頼りになるのではないか、そんな僕の問いかけにシャクティさんは悩む間もなく即答する。
「彼らの手は借りない。ここは私たちの世界で、この戦いは私たちの義務だ」
彼らの力を侮っているわけではないだろう。
ひみつ道具について逐一報告を受けていたシャクティさんは、もしかしたら僕以上にひみつ道具の可能性に気が付いているのかもしれない。
だが、その上で彼女はその選択肢を取らなかった。
ドラえもんさんにも、のび太君にも、命がけの戦いをする理由はないのだから。
「それに、彼らも狙われる可能性がある」
「え?」
「先日、我々にこの手紙が届いた」
【ガネーシャ・ファミリア】の中庭に落ちていたという手紙。
近くに落ちていた風船はドラえもんさん曰くひみつ道具らしい。
【長距離手紙風船コントローラー】と言う名のそれに括りつけられていたのは、宛名もない封筒。そして、その中に入れられていた飾り気のない紙だ。
そこには、新聞紙の切り抜きでこう書かれていたと言う。【豊穣の女主人】のガキを頂く、と。
「そんな……!?」
「ガキ、というのが具体的に誰のことか分からん以上、あの酒場の子どもは保護対象だ。戦いには尚更巻き込むことは出来ん」
「ノエルやのび太君たちは大丈夫なんですか?」
「ああ、既にあの酒場の主人には連絡済みだ」
なら大丈夫だろう、と納得する。
ミアさんは自分で言ったことは無いけど、明らかに第一級冒険者級。
下手をすればシャクティさんがいない【アイアム・ガネーシャ】より安全な場所が【豊穣の女主人】だ。
「しかし、この手紙を出したやつは何が目的なんですかね?」
「……? モダーカさん、それはどう言う」
「犯罪予告なんて
確かにモダーカさんの疑問は最もだった。
予告が無い方がミアさんの警戒心も下がってやりやすい筈なのに、なんでだろう?
ミアさんの力を知らない? それでも手紙を見た途端、【ガネーシャ・ファミリア】なりギルドなりを頼ることなんて想像がつくはずなのに。
「……陽動か?」
「アタシたちの目を酒場に惹いて、その隙に悪巧みをしようってわけか」
「或いは足の引っ張り合いの末の
「態々ひみつ道具を使っているという事は、送り主は異世界の時間犯罪者である可能性が高い。しかし、後は判断できんな」
結局、この話は保留となった。
仮説はいくらでも建てられるが、どれも空想・妄想の類からは脱せられない。
このまま話し合っても堂々巡りだろう。
ただ、心の中のメモに奇妙な犯罪予告を箇条書きで書き込んでおく。
「……奴らの目的は奴らを捕えた後で良い。いいか、くれぐれも無茶はしてくれるな。危険を感じたら作戦は中断する」
最後にシャクティさんは僕にそう言って最後の作戦会議を打ち切った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ダイダロス通りはもう一つの迷宮、なんて呼ばれるほどに複雑な構造の街だ。
ヴィトーさんが取引場所にここを選んだのは、万が一尾行されても容易に撒くことが出来るからだろう。
それが気になってシャクティさんに質問したところ。
「我々は治安維持組織であるが、同時にダンジョン攻略を深層まで行っている。ダイダロス通り程度ならば、迷うことは無い」
と言う頼もしすぎる返答を返された。
ダンジョン攻略と言うと【ロキ・ファミリア】の専売特許のイメージがあったが、流石はS
それに、ダイダロス通りは良くない噂も多い。
今回のような尾行は初めてではないのだろう。
(今もちゃんと追って来ているみたい。やっぱりすごいな、
背後から感じる視線に勇気づけられる。
ちゃんと追いかけてもらえているのはありがたい。
ヴィトーさんは気が付いていないみたいだし、このまま作戦は成功するかもしれない。
「ここです」
案内されたのは地下に繋がる隠し通路。
その先には大きな扉がある。
素材の鑑定なんてできないけれど、かなり堅そうだ。ランクアップした今でも壊せる気がしない。
ヴィトーさんは懐からあの目玉のようなマジックアイテムを取り出すと、頭上に掲げた。
マジックアイテムから発せられる朱い光に呼応するように、扉が一人でに開く。
「……すごい」
「それでは奥に参りましょう。あまり長時間開けていると怒られてしまうので」
人口迷宮の中にヴィトーさんは躊躇する様子もなく入っていく。
少し気圧される感じはあるけど、ここで突っ立っていても仕方ないと、僕も彼に続いた。
(……本当にダンジョンみたいだ)
隠されていた
ダイダロス通りもダンジョンに例えられることはあったけど、ここはもう瓜二つと言ってもいい。
明らかに人工的に作っれていると分かる金属で造られていなければ、僕はいつの間にかダンジョンに迷い込んでいたと錯覚するだろう。
「……あの、ドルマンスタインさんはこの先にいるんですか?」
「……ふふっ」
僕の問いかけにヴィトーさんは薄く笑った。
それに胸騒ぎを覚えると同時に、幾つもの視線が僕を貫いた。
「!?」
「おやおや……視線に鋭い、と言うのはこう言った感じなのですね。やはり文章で読むのと、実際に見るとでは随分と違いますね」
交渉事には大勢で来るのが基本なのだろうか。
いや、そうにしてもこれはおかしい。
これから交渉が始まるなら何で……視線に殺気が混じっているのか。
(罠っ!?)
偶然としか言えない出会いだったのに、初めから僕を陥れるつもりだったのか。
それともひみつ道具を探る僕を始末しようと考えたのか。
或いは
その可能性を考えなかったとは言わないが、やはり衝撃は大きい。
それでも体は事前にシャクティさんに言われた通りに撤退のために動く。
(ありがとうっ、ヴェルフっ!)
念のためだと急ピッチで装備一式を修理し、今朝方に渡してくれた専属鍛冶師に心の底から礼を言う。
これがあれば、いろいろと小細工が出来る。
ひみつ道具と合わせれば、このアジトからの脱出は可能なはずだ。
「突撃しろ!」
後方から扉が開く音と共にシャクティさんの号令が聞こえた。
【ガネーシャ・ファミリア】も侵攻を開始したらしい。これならこの場にいる
「……」
それでも、ヴィトーさんの笑みは消えなかった。
ドラえもんたちはあくまでも部外者。
向こうさんから突っかかって来ない限りは、このまま蚊帳の外です。まあ、当然突っかかって来るんですけどね。
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