始まりはギルドが提出した一件の意見書。
モンスターを地上に出して見せ物にするという、地上の守護者たるギルドの存在意義を揺るがしかねないこの意見書は何故かギルド内で十分な議論を行うことなく
神々によって開催されるオラリオの最上位機関が型破りなこの案に乗らないはずがなく、
そして例年、言い出しっぺであるギルドはこのイベントの裏方として参加してきた。
冒険者のサポートとは無関係なこの業務に、内心思うところがありながらも従事する職員たち。
しかし今年は今までにはない緊張感に包まれている。
「エイナ……
桃色の髪が特徴的な同僚の不安気な声。
いつもならすぐに大丈夫だよ。と言えるエイナも今回ばかりは声をつまらせてしまう。
先日の魔石の大量発生。
そして、そこから明らかになった
ギルドと【ガネーシャ・ファミリア】はこれに対し、選択を迫られた。
すなわち、
最終的にはご覧の通り開催されるに至ったわけだが。
エイナは
あの暇神たちは厄介事が大好物だし、多分これが正解なのだろう。
「【ガネーシャ・ファミリア】も例年以上の警備をしているし、色んな大ファミリアも独自に警戒態勢を整えているから
心にもない考えだ。
ここは世界の中心たるオラリオだ。
エイナも同僚たちもこの街に何年も住んでいたのだから争いの臭いを嗅ぎつける嗅覚は自然と身についてしまっていた。
その嗅覚が告げていた。今日、なにかが起きると。
(装備を身につけている冒険者も多い。みんな不穏な空気を感じているんだ……)
ギルドに戦力はない。
様々な思惑の入り乱れるオラリオで中立性を保つために、創設者である神ウラヌスの方針で職員には
実際に
自然と職員たちの口数も少なくなる。
空気のひりつきを肌で感じるほどの静寂。
それを切り裂いたのは一つの知らせだった。
「モンスターが現れたぞ!」
ギルドが想定した中でも最悪の展開。
現れたモンスターは上層の対処しやすいモンスターばかりだが、それは決して朗報ではない。
何故ならそれらは【ガネーシャ・ファミリア】が
「ガネーシャ・ファミリアが
「出てきたのがよりによってダイダロス通り……!」
「住民でも迷うんですよあそこ!?今からじゃとても避難が間に合いません!」
「落ち着け!」
慌ただしくなる職員たちを班長である獣人の男性が一喝する。
彼自身も動揺はしているが、それを表に出さずに指示を出す。
「チュール‼すぐに都市中のファミリアに応援要請を‼フロットは【ガネーシャ・ファミリア】に事の詳細を確認しろ!それ以外の者は避難誘導を行え!」
「はい!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ヘスティアとベルが屋台を回っていたとき、それは突然現れた。
地上にいてはならない大型のモンスター。
壊れた拘束具を身に纏うシルバーバックの登場に阿鼻叫喚に陥る市民たち。
そんな市民に目もくれず、シルバーバックが一直線に向かったのは……
「へ?」
「神様!」
ヘスティアだった。
本来は本能のまま暴れまわり、無差別に人々を襲うはずののモンスターの奇妙な行動に、混乱して逃げ惑う市民たちは気がつかない。
我先にと走りだし、モンスターの進行方向とは逆方向に逃げ出す。
迫るシルバーバックの腕から辛うじてヘスティアを守ったベルは砕かれた道路に息をのむ。
(シルバーバックって確か……!)
9階層から出現するミノタウロスと同じ大型のモンスター。
駆け出しの冒険者が間違っても1対1を挑んではならない上層の強豪モンスター。
「それが何で神様を狙ってるんです!?知り合いですか!?」
「そんなわけあるか!ボクだって初対面だよ!」
神様にちょっとおかしな質問をしてしまう程度にはテンパっているベルにあのミノタウロスの姿がフラッシュバックする。
(最低ランクの僕の装備じゃ戦えない!神様をつれて逃げないとなのに……!)
きっと逃がしてくれない。
普通とは様子の違うあの狂気じみたあの眼光がヘスティアを見逃すことはないだろう。
まるで何かに取り憑かれているかのように息を荒げるシルバーバックの姿に気圧されるベルは、何とかモンスターの視界から外れようとヘスティアを連れて街を逃げ回る。
「‼待つんだベル君‼」
しかしオラリオに来て日が浅いベルとヘスティアに土地勘などあるはずがない。
あっという間に追い詰められて、気がつけば年期の入った建物たちが並ぶストリート、ダイダロス通りまで逃げてきてしまった。
もう一つの迷宮とも称される貧民街。
奇人ダイダロスの悪意があるとしか思えない設計により、毎年行方不明がでるこの住宅街に逃げ込むなんて自殺行為だが、もう逃げ場はない。
「っ!戦います!神様はこれを持って逃げてください!」
たずね人ステッキを神様に渡し、シルバーバックに突撃する。
たずね人ステッキでミアハ様でも探せば、この街からは抜けられるはず。
ならばベルのすべきことはこのモンスターの足止め。
正直すぐに逃げ出したいけど、戦うしかない。
臆病な心を奮い立たせる。
そう、ベルはただの新米冒険者ではない。
彼には規格外のスキルがある。
「名刀電光丸~」
使用可能なひみつ道具のうち、たずね人ステッキは戦闘向きではない。
ウマタケはよく分からないけど、馬も竹も戦闘で大活躍はできないと思う。
ならば残っているのは名刀電光丸のみ。
わざわざ名刀とついているのだし、一発逆転の性能を秘めていると信じて具現化する。
現れたのは黄色い刀身の刀。
奇抜な見た目のものが多かったひみつ道具の中では地味な部類だが、今は関係ない。
持っていた短刀ではどうにもできないシルバーバックを相手に、牽制できるだけの間合いがあるこの刀は今のベルには心強かった。
(ひみつ道具があって良かった)
もしベルにひみつ道具がなければ、ベルとヘスティアは為すすべなく倒されていただろう。
そう考えるとギャンブル性が強いが、起死回生の手段を手にできる【
「……いくぞっ!」
あくまでも一番は神様だ。
勝てはしなくても、負けなければ神様が逃げる時間を稼げる。
ベルは決死の覚悟で戦いに臨んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ベル君‼」
咄嗟に伸ばした手は虚しく空を切る。
レベル1とはいえベルはステイタスを刻んだ冒険者。
一般人以下に能力を制限した神に反応できない素早さでモンスターに向かっていく。
ヘスティアにはベルの気持ちは伝わっていた。
痛いほどに。
彼はヘスティアが無事に戻ることを最優先にして、自分が犠牲になる覚悟をしてしまった。
本来は誰よりも臆病なのにあんな顔をさせてしまった。
恐怖と絶望に溺れながらも、それでもヘスティアを怖がらせまいと貼り付けた、心の底から絞り出した小さな勇気を纏った顔。
そんな決意をさせてしまったことがたまらなく悔しい。
(でもこのナイフなら……‼)
天界の神匠たるヘファイストスが鍛えたこの武器ならあのモンスターを倒せる。
そう確信するヘスティアはベルの決死行を止めようと声を張り上げようとして……
「──────────へ?」
ありえない光景に思考を停止させてしまった。
そこにあったのはベルとヘスティアが予想していたワンサイドゲームではない。
いや、
ただ圧倒していたのがベルであるという点が予想とは決定的に異なっていた。
「ガァアアアアアアアアア!?」
この場で最もその事実に度肝を抜かれたのはシルバーバックだっただろう。
モンスターの殺戮生命としての本能が目の前のヒューマンを格下と判断していたのに、その判断を容易に覆す超常的剣技を披露しているのだから。
異常事態の原因である少年は目を白黒させながらも何とか刀を握る力を強めた。
「ぐっ……‼くくっ……‼」
(ベル君が力んでいるのはモンスターを斬るためじゃない。滅茶苦茶な動きで敵を自動的に斬ろうとするあの刀に振り回されないように必死に握っているんだ!)
ヘスティアがそう理解した瞬間、ベルは腕を振り下ろそうとしたシルバーバックの懐に一直線に飛び込んだ。
その動きにモンスターは意表をつかれる。
それは決してベルの動きが急激に早くなったわけではない。
鋭くなったのだ。
今まで刀自身が勝手に動き回っていたところに、ベルの滑らかな体捌きが加わった。
少し離れたところからそれを見るヘスティアはそう感じた。
その感覚は正しい。
刀に振り回されるだけだった先ほどまでと違い、ベルは名刀電光丸の動きに合わせて体を動かすことで剣を振る速度を僅かに上げていたのである。
無論、ベルはこのひみつ道具の動きに完全に適応したわけではない。
しかし、何度も剣が振られるうちにある条件を見つけ出していた。
それはカウンターである。
名刀電光丸は相手の繰り出す攻撃の威力によって返す刀の威力を決めているとベルは感じていた。
ならば、シルバーバックに大振りの一撃を振らせることでこちらも強力な斬撃を放つのではないか?そう判断したのだ。
大振りの一撃を誘発させるためにベルは敢えて大きな隙を晒した。
名刀電光丸が自動的に防御することが前提なほどに大きな隙は、予想外の抵抗に苛立つシルバーバックは簡単に釣られてしまう。。
名刀電光丸の動きにベル自身の体も合わせる。
腕だけではなく、足、腰、手首……体全体を連動させたほんのわずかな後押し。
それは劇的なものではないがシルバーバックの予想を上回る斬撃を生み出した。
「ガァッッ‼」
左切り上げの一撃は特性の拘束具をバターのように両断し、そのままするりとシルバーバックの体内に侵入すると、胸元の魔石を切り裂いた。
流れるような一連の動作にシルバーバックは信じられないといった表情でベルを見る。
斬られた実感がないまま魔石を失ったシルバーバックは灰となった。
「か、勝っちゃった……」
ベルの呆然とした声が人のいなくなった住宅街によく響いたがヘスティアはそれ所ではない。
(あれ?このままだと僕の武器の存在感
この後でヘファイストスが作ってくれたナイフを渡すとする。
ベルはきっと喜んでくれるだろう。
しかし、内心思うのではないか。
『ぶっちゃけあの刀のほうが強くない?』と。
(ひ、ひみつ道具は今日だけだし……毎日使えるこのナイフのほうがいいに決まってるし……)
だが今回の活躍は良すぎる。
なんだあの動き超カッコよかったじゃん。惚れ直しちゃったぜ!
……あの後に渡さなきゃいけないの?
例えるなら星が付いたレストランに行った後に、レシピ本片手に作った自分の手作り弁当を彼氏に渡すみたいなものだぞ。
絶対比較されるじゃん。
何かある度に『あーあの時のひみつ道具があったらな』って僕のナイフを持ちながら思われるとか超嫌なんですけど!?
「せ、せっかく2億の借金までして……」
「?神様、何か言いましたか?」
「な、なんでもないよっ!借金とか言ってないから‼」
「いや、その反応は絶対不穏なこと言ってましたよね。借金……?」
なんだか悲しくなって開こうとしていた包みを丁寧に戻していく。
このまま封印してしまいたい。
とうとういじけて地面にのの字を書き始めたヘスティアにベルが困っているのが見えた時、ヘスティアはあることに気が付いた。
(住民が出てこない……?)
ダイダロス通りの窓という窓が閉められている。
その間から僅かに覗く人影はこちらから確認できていた。
そんな彼らに見ているのに誰も助けてくれないなんて薄情だな、なんて軽口を逃げてるときに思い浮かべていたし。
彼らはモンスターから逃れるために家に隠れているという予想が正しければ、もう出てきてもよさそうだが。
(つまり、まだ終わっていないのか?)
辺りはまだ騒がしい。
さっきまで逃げるのに夢中で気にしてなかったがかなりの大騒ぎだ。
「ベル君……これが例の
「そうですね。シルさんのことは気がかりですけど、一旦ホームに戻ったほうがいいかもしれません。」
「そもそもこの騒ぎの中で呑気に祭りに参加してる奴なんていないさ。」
財布を忘れたらしいウェイター君には申し訳ないが安全第一で撤退するべきだ。
そう考えてホームに引き返そうとするベルとヘスティアだったが、その判断は遅かった。
「‼なんだ……あのモンスター」
人口の迷宮の奥から姿を現したのはモンスター。
しかし、シルバーバックとは違う種類のモンスターだ。
それは道に溢れる洪水のように何体・何十体も現れた。
それは芋虫の様な見た目で嫌悪感をあおる音を立てながらゆっくりと前進していた。
それは極彩色のモンスターだった。
エイナの講義の中に該当するモンスターを見つけられなかったベルは、それを新種のモンスターと判断する。
「新種があんなに……!?」
「ま、まずいぞベル君!?」
「逃げましょう!失礼します!」
「うわぁ!」
ヘスティアを横抱きに抱えてベルは走る。
錯乱したのか「こんな状況なのにボクは心から幸せを感じてしまっている……っ」と意味不明なことを言っているヘスティアを連れ、安全な場所を求めて登った屋根から周囲を見渡すが……
「だめだ……あたり一面新種のモンスターばかり……」
ダンジョンでもないのにどうしてこんなにいるのか。
そこら中に芋虫型のモンスターがいる悪夢のような光景にめまいがする。
「これじゃどこに行けば安全なのか……あっ」
ある。
この状況でも確実に安全な場所。
都市最高の剣技を持つあの人。
(……また情けないところを見られるなんて、死んでも嫌だけど。)
今は意地を張っていい状況じゃない。
使えるものは何でも使わなければ。
「神様、たずね人ステッキを使ってください。」
「え?」
「アイズ・ヴァレンシュタインさんを探してほしいんです。」
「‼」
ヒューマンの中では最強なのではないか、なんていわれるヴァレンシュタインさんならこの状況でもきっと楽勝のはずだ。
なら、たずね人ステッキでヴァレンシュタインさんと合流できれば神様の安全は確保できるのではないだろうか。
「むむむ……ひじょーに抵抗があるけど、仕方ないか」
神様はいかにもいやいやですといった顔でステッキを転がす。
……なんでそんなに嫌がっているんだろう?
「向こうのほうだね。行こうか。」
神様の要望で再び横抱き(お姫様抱っこと言えと神様に言われた)に神様を抱えてステッキが示した方向へ屋根を伝いながら向かう。
(結局、何も変わってない。こんなで僕は本当に強くなれるのかな……)
心に小さな
ベルはそれを振り切るように少し遠い屋根に向かって跳躍した。
ヘスティアはそんな少年をジッと見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結論から言えば、その判断は
ステッキはベルたちをその力量に見合わない最悪の戦場に導いてしまう。
ステッキの言うとおりに進んだベルとヘスティアはその光景に絶句する。
──芋虫型のモンスターだったものが辺り一面に散乱している
──アマゾネスの姉妹がドロドロになった武器を捨て、溶解液で皮膚が溶け始めた拳で極彩色の群れを殲滅し
──金の髪の少女はモンスターとそれを操っていると思しきテイマーたちに囲まれ、戦場で孤立していた
──芋虫型のモンスターと同じ極彩色の肌を持つ異形。
顔のない蛇に花弁が付いたかのような
──そして、その前で倒れ伏す腹部から大量の血を流す
『前座は終わり。さぁ、あなたはどうするの?』
立ち尽くすベルの耳に妖しげな女の声が聞こえた気がした。
ベルは自分たちが大きな運命の流れに巻き込まれてしまったことを本能で感じとる。
場違いな修羅場に来てしまった哀れなウサギをモンスターたちは見逃さない。
あっという間に囲まれて逃げ道を見失う。
絶望的状況。
シルバーバックを葬った時にはあんなに頼もしかった名刀電光丸も、今のベルには棒切れのように軽かった。
エニュオがやられっぱなしで終わるはずがありません。
原作の2割り増しくらい本気度が上がっています