雪崩れ込む【ガネーシャ・ファミリア】は、戦場の熱気を発しつつも、誰もが違和感と危機感を覚えていた。
敵が冷静過ぎる。
この侵攻は奇襲。
(だが、
嫌な感覚に眼光を鋭くしつつ、既に始まってしまった戦いを中断はできないとシャクティは号令と共にヴィトーたちの確保にかかる。
「いいえ、貴方方のお相手はそちらです」
だが、ヴィトーがまるで指揮者のように腕を振ると、音を立てて通路の壁が開いた。
「グギャアアアアアッ‼」
「コボルトに
ベルがコボルトヴィオラスに街中で襲われた件は、既に【ガネーシャ・ファミリア】が把握済みの事件だ。
モンスターがいるはずもないオラリオに脈絡なく現れたモンスターが、
「盾を構えろ!」
シャクティの指示の下、憲兵たちは
実力派である【ゴブニュ・ファミリア】の鍛冶師たちによって、秘密裏かつ突貫工事で造られたそれは、
人工的に軽量化されたことで、元の
ならば、
防具ごと肉と骨を圧し潰そうとするコボルトヴィオラスの触手だったが、上級冒険者たちの巧みな技術によって、鞭は勢いを大幅に減衰させ、弾かれた。
「コボルトヴィオラスは対処済みですか。数さえいれば上級冒険者相手でも戦えるのですが……さすがに都市の憲兵相手では分が悪い」
ベルが散々手こずった触手も、既に情報が暴かれている今は脅威になり得ない。
事前の打ち合わせ通り、触手を受け止め、勢いをなくしたそれを切断することで、コボルトヴィオラスたちを捌いていく【ガネーシャ・ファミリア】はいよいよヴィトーたちが集まる
(今のうちに‼)
形勢は考える必要もなく【ガネーシャ・ファミリア】が有利。
ならばこのまま急いで彼らと合流しようと地を蹴るベル。
背後から矢や魔法を嗾けられることを警戒しつつ、ベルは作戦通り全速力でアジトからの脱出を目指す。
そんな彼らに対し、ヴィトーは慌てることなく懐からとあるアイテムを取り出した。
それは、【豊穣の女主人】の従業員たちが休憩時間によく遊んでいるゲーム。
この状況には余りにもそぐわないその名はトランプと言う。
「……? なんのつもりだ?」
「気を付けろ! ひみつ道具かもしれん!」
場にそぐわない不自然なアイテム。
保護をしている少年のおかげで、それに嫌と言うほど心当たりがある【ガネーシャ・ファミリア】の面々に緊張が走った。
疾走するベルも嫌な予感を感じつつ、討伐隊まであと少しと言ったところまで迫る。
「ベル・クラネルがこのまま【ガネーシャ・ファミリア】と合流するのは面倒です。『なにか、想定外の出来事が起こって彼を妨害してくれないでしょうか』」
戦場の騒音の中、ヴィトーの声は良く通った。
一体何を、と困惑する間もなく、先程開いた通路の壁からコボルトヴィオラスが飛び出す。
「なっ!?」
「まだいたのか!?」
余りにも都合の良すぎるその個体が、幸運にも【ガネーシャ・ファミリア】の目をすり抜けてベルに襲い掛かる。
「くっ!?」
一度倒した相手とは言え、今のベルにとっては
咄嗟に
なんとか肩の
「坊主……っ!」
「おっと、『【ガネーシャ・ファミリア】が救援にいけないほどの援軍が、たった今到着すると非常に助かるのですが』」
ハシャーナがベルの救援に向かおうとするが、
幸運、と片付けるには余りにも出来過ぎている。
「あの野郎まさか……っ!?」
「状況をいいように操れんのか!?」
二度も起きた異様な幸運。
そこから導き出される答えにハシャーナとモダーカは目を見開く。
シャクティの判断は早かった。
あれがどの程度の力を持つかは未知数。
だが、偶々敵を見逃す。偶々援軍が到着する。
その程度の力はあるのならば、それは無視するわけにはいかない脅威だ。
「あのひみつ道具を奪え‼」
対
炎・雷・風・氷……様々な属性の魔力弾がヴィトーに殺到するが、それらが男の身を焼くことは無かった。
「『そろそろ変異体も到着するころでしょうか』」
また一枚、見せびらかすように掲げたトランプが消える。
同時に床が開き、中から巨大な影が現れた。
射線上に突如として現れた影は、魔法攻撃を尽く受け止めるがビクともしない。
「超大型級のモンスター!?」
「また極彩色のモンスターの新種……!」
イルタの忌々し気な声に、ヴィトーは嘲るように鼻を鳴らす。
現れた新種のモンスターは、簡潔に言ってしまえば
数多の
「あれは
鈍色の剣を携え、ヴィトーはベルの前に回り込んだ。
ヴィトーの言葉通りなら、【ガネーシャ・ファミリア】の援護はすぐには来ない。
「しかし……恐ろしいひみつ道具ですよ。まさか、ここまで上手くいくとは」
「……っ」
「ええ、このタイミングで【ガネーシャ・ファミリア】が襲撃に来る。私がこのトランプに願った通りだ」
ヴィトーはそう嗤った。
嵌められたと悟ったベルは何処からがヴィトーの仕込みだったのかと、寒気を感じる。
ガネーシャの勘。
シャクティの判断。
タイムパトロールとの合流が難しいタイミング。
ヴィトーの正体をあの段階でドラえもんたちが知ったこと。
歓楽街で
あの日に起きたベルとヴィトーの偶然の出会い。
……或いは、もっと前から?
「【しあわせトランプ】、と言うそうでして。このトランプは一枚消えるごとに一つ、願いを叶えてくれるという優れものです」
予想は出来たとはいえ、出鱈目すぎる効果だ。
回数制限だって、トランプの枚数分と考えると無いに等しい。
「しかし、便利な道具と言うのはついつい使ってしまうモノ。既に私は結構な数を使ってしまっていましてね。もう49回程使ってしまっているのですよ」
トランプの枚数は52枚+α。
ヴィトーの言葉が正しければ、残りは3枚程度。
これを少ない、などと思うことは出来なかった。
「……数回願いを叶えられるなら、貴方方を全滅させるくらい容易いですけど、ね」
ヴィトーはカードをまた一枚、懐から取り出す。
さて、何を願いましょうかと余裕ぶって顎に手を添えた後、いやらしく唇を歪めた。
「こういった願いはどうでしょう? 『あの厄介な盾がなくなればいいのですが』」
その瞬間、地面が揺れた。
【ガネーシャ・ファミリア】により、
その巨体が崩れ落ちたことにより、地震と勘違いしてしまうほどの揺れが
流石、【ガネーシャ・ファミリア】。あんなに大きなモンスターをもう倒すなんて。
ベルは援護が予想よりも早く来れそうだと安堵と共に、彼らがいる方を見て、予想外の光景に思考を停止した。
(
先ほどの援軍の中にいた
それらが宙に浮かぶという常識外の光景は現実離れしたもので、【ガネーシャ・ファミリア】の
この一瞬の思考に生じた空白が隙だった。
宙に浮かぶ
冒険者を囲むコボルトヴィオラスたちもこのような光景は予想できていなかった。
予想できていないが故に、コボルトヴィオラスと
それを見たコボルトヴィオラスはこう思った。
ああ、邪魔だな、と。
「不味いっ!?」
シャクティがこの後に起こる事を想起した時には遅かった。
視界を埋める邪魔者をどかそうと、触手を振り回すコボルトヴィオラス。
鎧の上から冒険者を叩き潰せるだけの硬さを誇るそれらは、脆いモンスターである
攻撃の衝撃により弾ける極彩色のモンスターたち。
飛び散る体液の性質は溶解。
突如として冒険者たちに降り注いだ破滅の雨。
冒険者は直撃を避けるために盾で身を守るよりほか無かった。
「ぎゃあああああっ!?」
「熱いっ、熱いいいいいいっ!?」
だが、手持ちの盾で飛び散る液体全てを防ぐことなどできない。
僅かな飛沫が容赦なく冒険者の体を溶かし、屈強な男たちが悲鳴を上げる。
「盾を手放せ!」
そんな中、シャクティの切羽詰まった声が響く。
何故、と疑問を覚える暇もなく、統率の取れた【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちは団長の指示に従って盾を投げ捨てた。
そして、手元から離れた盾の姿に団員たちは指示の意味を理解する。
「
「これでも溶けるのかよ!?」
まるで、炎に溶かされる蝋細工のように原形を留めずひしゃげていく盾の姿。
手放すのがおそければ、溶解液が担い手にまで届いていたことは想像に難くない。
「あの厄介な盾はもうない! 同胞たちよ! 【ガネーシャ・ファミリア】に世界是正の鉄槌をっっ‼」
間髪入れずに、
たった一枚のトランプ、たった一度の願いが形勢を逆転させる。
「さて、次の願いは……」
「【ファイアボルト】ッ!」
更に畳みかけようとするヴィトーを止めるため、ベルは速攻魔法を行使した。
しかし、ヴィトーは炎雷を見ることもなく、あっさりと回避する。
「お止めになったほうが賢明ですよ。私はレベル4で、貴方はレベル2。戦いになどなり得ません」
「関係ないっ!」
ベルとて冒険者だ。
目の前の敵との力の差など感じている。
それでも、この危険な相手を放っておくこと等できなかった。
ここでヴィトーを野放しにすれば、どれだけの被害が【ガネーシャ・ファミリア】に出るか分からない。そう分かって逃げられるほど、ベル・クラネルと言う少年は薄情ではない。
「ふふっ、ええ、そうでしょうね。そうですとも! 貴方はそう言う性格だ!」
そんなベルの決死の想いなどお見通しだと嘲るヴィトーが接近する。
ひみつ道具のカードを持ったまま、鈍色の剣を振り上げた。
当たれば間違いなく
「くっ」
「ほらほら、これでどうですか?」
ヴィトーは知覚ギリギリの攻撃を続け、ベルを追い込む。
その気になれば簡単に絶命させることも可能。だが、見せびらかすように左手でしあわせトランプを弄ぶ。
(あのひみつ道具が使えれば……っ!)
活路はある。
ベルが今日使えるひみつ道具の中には【チョーダイハンド】と言う名のモノがあった。
ヴィトーに不審に思われないために、取引前にダンジョンに潜ることは出来なかったため、試すこともできなかったが、名前からして十中八九相手の持つ物を譲ってもらえるひみつ道具だろう。
効果も使い方も不明なままだが、それを使う事しかベルがしあわせトランプを奪う方法はない。
(だけどっ、ひみつ道具を具現化する隙が……っ)
ひみつ道具の具現化には数秒の隙が生まれる。
レベルアップしたことによって、その時間は多少は早まっているが、格上相手に見せられる隙ではないのだ。
「おっと、遊んでばかりでは怒られてしまう」
「まっ……」
しあわせトランプを使おうとしていることに気付き、止めようとするベルを蹴り飛ばしつつ、ヴィトーは願い事を口にする。
「『ガネーシャ・ファミリアは決して逃しません』」
その瞬間、団員の一人が持っていた『鍵』がドロリと溶けた。
「なっ……」
「溶解液がかかっていたのか!?」
「す、すみませんっ」
「謝るな! あの狐面の仕業だ!」
いつの間にかかかっていた少量の溶解液。
量が僅かだったせいで効果が現れるのが遅く、発見が遅れた。
これで【ガネーシャ・ファミリア】は脱出の手立てを失ったことになる。
「いけませんねぇ。そんなに私の左手ばかりに注目していると……!」
消えるしあわせトランプに注視しすぎて、疎かになった足元を引っかけられる。
背筋に虫が這うかのような浮遊感の後、視界が揺れ、転倒。
そこに突き立てられる
ゴロゴロと転がりながら回避する無様な姿を罵ろうと口を開きかけた一瞬。
「ベルッッ‼」
既に鍵として使い物にならなくなったそれを、団員から奪い取ったモダーカがヴィトーに向かって投擲する。
油断していたヴィトーは初めて動揺したように目を見開き、回避行動をとった。
このままでは当たらない。そう判断したベルは手を突き出し、砲声した。
「【ファイアボルト】ッ‼」
3条の炎柱。
何者よりも早い炎は投擲された鍵に着弾し、その低い威力故に鍵を破壊せず、押し出した。
「なっ!?」
加速する。
投擲を確認したと同時にヴィトーが脳内で計算していたより、ずっと早くなった鍵は剛速球、と評していいほどに伸びた。
鍵は
そんなものに触れればレベル4と言えども無傷では済まない。
飛沫であっても当たることは出来ないと、ヴィトーは身を大きく捩った。
それこそ、ベルが求めた隙。
「チョーダイハンド~」
光が収束する。
ベルはこの状況を打破する唯一の切り札を切った。
手のひらを模した飾り物が先端につく棒は、以前出したまあまあ棒に近い形状だ。
「くっ……‼」
「そのトランプを下さい……下さい! 欲しい! 頂戴!」
前に使ったことがあるまあまあ棒のように、特定の言葉がトリガーになるとアタリを付けて、それらしいキーワードを並べていく。
体勢を立て直したヴィトーがベルに襲い掛かるより早く、チョーダイハンドは効果を発揮した。
「……やられましたね」
ヴィトーはつい先ほどまでの剣幕が嘘のように、左手に持つしあわせトランプをベルに渡した。
ベルは慎重にそれを受け取りつつ、チョーダイハンドの効果が途切れた時、いきなり攻撃を再開される可能性を警戒し、後ろに下がる。
「……ふふふ。本当に、私の思い通りにやってくれました」
「……!?」
切り札を失ったはずにもかかわらず、全く慌てていない。
それどころか、この状況すら計算通りだと嘯くヴィトーの言葉にベルの方が動揺する。
「そのしあわせトランプは願いを叶えてくれる優れもの。この言葉には嘘はありません。ですが……言っていないことが二つあります。一つは願いを叶えることに言葉はいらないという事。いや、それどころか持ち主が無意識に思った事すら願いとしてカウントする点。これには困りましたよ。くだらないことを思えば、トランプが反応してどんどん残数が減っていくのですから。おかげで52枚全てを使ってしまいました」
ヴィトーの突然の解説を何とか飲み込んで思考する。
ヴィトーはしあわせトランプを最初に説明した際に使用した枚数は49枚。つまり、それから3枚トランプを使ったという事だ。
【ガネーシャ・ファミリア】の盾を失わせるために1枚。
このアジトの鍵を壊すために1枚。
(そして、残りの1枚は今の説明を踏まえると……言葉を発さずに使った。きっと、モダーカさんの投擲を躱すために)
無意識に攻撃を回避しなければ、と強く思ったことでカードを使ったという事だ。
だが、ここで疑問が生まれる。
52枚全てを使ってしまった、とヴィトーは言った。
ならば、今、ベルの手元にある最後の1枚はなんなのか。
「そしてもう一つ。……それはですねぇ。最後に残った
「まさか……!」
「そうっ! それこそ最後の1枚! 本当に焦りました! 予想外に最後の1枚を使ってしまったせいで、貴方に持たせる前に不幸が発動するところだった! そうなれば……52枚分の不幸を貴方に押し付ける計画が台無しでしたから」
頭の中が真っ白になる。
ベルがわが身可愛さにヴィトーのことを放置していれば、ヴィトーは自滅していた。
ここで勇気を振り絞って戦ってしまったことで、ヴィトーは一切のデメリットをベルに押し付けることに成功したのだ。
「そう設定された通りっ! 貴方は他者を見捨てられない! アハハハッ! 全ては……私の計算通りだったんですよっ‼」
狂笑を上げる男の声が遠い。
1枚であれほどの力を見せたひみつ道具。
その効力が52枚分、反転して返ってくるのだとしたら。
「ご自慢の【幸運】では精々1枚分を打ち消せるかどうかと言ったところでしょう。これでいい。これで最も厄介だった貴方の特性は封じられた!」
呆然と、ヴィトーから奪ったカードを見つける。
「ベルッ‼ それを俺に寄越せ‼」
血相を変えたモダーカが強引にベルの下に駆け寄る。
その判断は早かった。
心優しいベルが、他者に押し付けたがらないであろうことも理解している彼は、ジョーカーを強引に奪おうと体が傷つくことも構わず進む。
「しかし……距離がありすぎましたね」
そんなモダーカの奮闘を嘲笑うかのように、不幸の束がベルに襲い掛かる。
手始めは亀裂。
頭上から聞こえるビキビキと固い何かに罅が広がっていく音に、敵味方が仰天する。
「……なるほど、築千年ともなれば、こういったことも起こりますか」
決壊。
よりにもよってこの日、この時間。
ベルと【ガネーシャ・ファミリア】が隔てられている状態で天井の金属が崩れた。
岩雪崩のように降りかかる鉄塊。
それらから必死に逃げている間に、ベルは
それを捕捉しているのは一人だけ。
「さあ、悪夢はここからです」
ヴィトーと
悪意たちは嗤った。
チョーダイハンドはgmgn様からのリクエストです。
コメントありがとうございます。
現在も活動報告でリクエストを募集していますので、気軽にコメントしてください。
だからこそ、危険と感じたら即座に撤退するようベルに指示し、自分たちもベルの回収を優先していたのですが……
しあわせトランプで状況をいいように引っ掻き回し、原作を読んでベルの性格を把握して、彼が足を止めざる得ない状況を作り出したヴィトーに上をいかれました。
神会開催! ベルの二つ名!
-
秘奥の少年《ワンダー・ルーキー》
-
千の小道具《サウザンド・ガジェット》
-
狂乱野兎《フレイジー・ヘイヤ》
-
魅成年《ネバー・ボーイ》
-
不思議玩具箱《ワンダーボックス》
-
超耳兎《エスパル》
-
奇妙な兎兄《ストレンジ・ラビッツ》
-
開封兎《エルピス》
-
幼女好兎《ロリコン・アナウサギ》