極彩色のモンスターたちを蹴散らし、狂信者たちを次々と捕縛した憲兵たちはあっという間に戦闘を収束させる。
流石は都市の憲兵、群衆の主と歌い手がいれば高らかに勝利の詩を歌い上げたことだろう。しかし、皆その表情は険しかった。
「ベル・クラネルの行方はまだ分からないのか」
「申し訳ありません。後を追おうにも
「……復旧にはどれだけかかる」
「5分で終わらせます」
通路を埋める高純度の金属の山。
常人ならばそのうちの一つを10
(時間がかかりすぎる)
だが、一秒ですら惜しい今の状況ではなんの慰めにもならない。
レベル2のベルを害するには、5分と言う時間は多すぎた。
「糞ッ……俺があの時、あいつのカードを奪えていたらっ」
「落ち着け、モダーカ。過ぎたことを悔やんでいる暇はないだろうが」
度々護衛役を任じられているため、ベルと距離が近かった2人の声がシャクティの耳にも届いた。そして拳を握る。
ハシャーナの言う通り、悔やむのは後だ。
自らの無能などいくらでも謗ることが出来る。
今すべきは、本当の意味での最悪……ベル・クラネルが戻ってこないという可能性を少しでも減らすことだ。
「イルタ。
「駄目だ姐者。こいつらは持っていない」
捕縛した狂信者たちの身体を調べていたイルタは、シャクティの問いかけに苦虫を嚙み潰したような表情で返した。
想定外が起きたのならば敵のアジトになどいつまでもいるべきではない。しかし、先の一戦でヴィトーが使った奇妙なひみつ道具の効果で【ガネーシャ・ファミリア】が所持していた唯一の鍵は溶解液に晒されていた。
(今、私たちがすべきは脱出手段の確保と、ベル・クラネルとの合流)
そして、その中でどちらを優先すべきか。
情を捨てた天秤の下、シャクティは決断する。
「私たちは鍵の回収、或いはその他の脱出手段の確保に当たる。ベル・クラネルの追跡はハシャーナに任せる」
すまない、と心の中で少年に詫びる。
心情で言えばなりふり構わず彼を救いに行きたいが、鍵を失った自分たちではベルと合流できてもそのまま心中してしまうかもしれない。
故に、シャクティは脱出手段を優先した。
その結果として、ベルが手遅れになる可能性を承知しながら。
「了解。坊主は俺が連れ戻しますよ。必ず」
「……頼むぞ」
「よっし‼ お前も来い! モジャーゲ‼」
「だから自分はモダーカですっ‼」
「おっ、調子戻ってきたじゃねぇか」
駆け出すハシャーナとモダーカを見送り、シャクティも部隊を纏めて移動を開始する。
広大な迷宮からあるかも分からない脱出手段を探す。
まるで砂漠の中から宝石を見つけ出せと言わんばかりの気の遠くなるほどの難題だ。
「
「「「はっ!」」」
シャクティは少しでも早く脱出手段を見つけ出すために、レベル5の感覚を生かし、極彩色のモンスターたちによる耳障りな鳴き声を手掛かりに探索を開始する。
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将棋、と言うボードゲームがあるらしいと神様から聞いたのは何時の事だっただろうか。
大昔の戦争好きの王様に戦争を止めさせるために、とある高僧が考案したというゲームが元になっているそうだ。なんて話をバイト仲間の神様が教えてくれたと言っていた。
そんなボードゲームが長らく愛されているのはその奥深さ故だと言う。
一手一手に意味があり、策略があり。凄まじい達人だと何十手も先を見据えて打つのだとか。
まるで未来を作っているみたいだな、なんてその時の僕は漠然と考えていた。
「……はぁ…はぁっ」
出入りする空気が擦れて発する、喉の痛みと熱が僕の意識を何でもない過去の情景から引き戻す。
「まだ諦めませんか? これほど力の差を目の当たりにして? あらゆる手札を無効にされて尚?」
ヴィトーさんは鈍色の
それに言葉を返す余裕なんてない。相手から視線をそらさないように閉じられそうな瞼に力を入れ、気を抜けば握力を失いそうになる我が身を奮い立たせんと歯を食いしばることしかできない。
「……実に結構っ‼」
果たして僕の無様な姿はどう映ったのか。
彼は喜色を浮かべて襲い掛かってきた。
喉元を抉ろうとする刺突を転びかけながら躱し、速攻魔法で反撃……と見せかけて、右手に注目してがら空きになった顎を目掛けて左足を思い切り蹴り上げた。
修繕された
「おっと危ない」
しかし、あっさりと躱される。
絶対に予想は出来ていなかったはずだ。
だけど、敏捷に任せた強引な回避ではない。反応速度の速さによる反射的行動でもない。
まるで初めから当たらないことが決まっていたかのように、僕の足は空を蹴った。
「っ!? 【ファイアボルト】ッ‼」
「ほう?」
起死回生の一撃を外すという事は、致命的な隙を相手に晒すという事だ。
足一本で立つ形になった今の僕はどう見ても格好の獲物。
危機感と共にそれを理解した僕は、フェイクとして伸ばしていた右手を砲声。
ヴィトーさんを牽制すると同時に敢えてバランスを崩す。そして、重力に従い背中から倒れそうになることに逆らわず、敢えて右足で地面を蹴った。
その結果、空中で独楽のように回転しながら
「上手い上手い」
だがそれも笑顔のまま
まただ、またごく自然に弾かれた。絶好の隙を作り出したはずだったのに。
歯噛みする僕は着地しようとして、
「……うっ!?」
ガクンッ、と倒れそうになる体を気合で持ちこたえた。
それが自分の隙になると理解しても、無防備に仰向けになるよりはましだ。
「いけませんねぇ‼
「……っ!?」
そこに振り抜かれる悪の剣。
咄嗟に腕に装備された
ギャガガガガガガッッ‼ と嫌な音が腕の骨を伝って耳に入る。
吹き飛ばされるように転がった僕は
「あ……ぐっ」
転がっている最中に額の何処かを斬ったのか、左目がドロリとした赤い液体に侵される。
いくら投げ捨てても戻って来る
目の前の悪意のように。
「素晴らしい……絶望的な力の前に屈さず、僅かな勝機を求めて全霊を尽くす。まるで物語の中から飛び出した『英雄』のようではないですか」
素晴らしい、と口にしていながらその笑みは悪意に溢れている。
童心に返ったように興奮しているようだが、それを微笑ましいと思う事はベルにはできなかった。
(おかしい……)
体中の痛みに耐えながら、僕はこれまでの戦いで感じた違和感に戸惑っていた。
(なんで、僕は負けているんだ?)
ヴィトーさんの自己申告では彼はレベル4。対して僕はレベル2。
きっと僕の思考を聞けば誰もが「何を当たり前のことを疑問に思っているんだ」と呆れるだろう。
そう、格上相手に負けるのは当たり前のこと。それはいい。
いやよくはないけど、今は置いておく。
(負けた理由が分からない。どうやって僕の攻撃に対処したんだ?)
格上の存在との戦いと言うと、僕が最もやられたのはアイズさんだろう。
何も分からないままやられることはあったけど、それは僕が認識できていなかったからだ。
彼女の動きが速いから眼が追いつかなかった。彼女の剣技が段違いだったからフェイクと本命を見抜けなかった。
相手が格上過ぎてよく分からないまま負けることは多かったけど、その程度のことは後から推察できたのだ。
だが、今回は違う。
(ヴィトーさんが振った剣はレベル4とは思えないくらいに手加減されていた。下手したらレベル2の僕の方が早いくらいに。なのに、何故か迎撃されて負けてるっ)
実力で負けるなら分かる。
だけど、これまでの戦いでヴィトーさんが見せただけの力で僕を圧倒するのは不可能だ。
ヴィトーさんが全部読み切っていて、最小限の動きで僕の攻撃を捌いているならまだ分かりやすかったけど、さっきの
なのに対処された。ヴィトーさんの見せた速さなら僕の蹴りは躱せないはずなのに。
意味が分からないが、そうとしか言えない理不尽が先ほど展開されていたのだ。
(格上だから強いとかじゃない。この違和感の元をどうにかしないと大番狂わせなんて絶対無理だ)
まるで世の中の法則に手を加えているかのような不条理。
ひみつ道具と戦うとはこういう事なのだと実感する。
(しあわせトランプのジョーカーはあくまでも不幸を押し付けるだけのはず。躓いたり、額を斬って左の視界が潰れたのがそれにしても、さっきまでの異様な展開は説明つかない)
ここまでの違和感がしあわせトランプによるものならば、途方もなく難しいが、効果が無くなるまで耐えきればいい。
だが、これまでいくつものひみつ道具を使って来たベルは、その楽観を捨てる。
(しあわせトランプのジョーカーだけじゃない。まだヴィトーさんは他のひみつ道具を使っている!)
冷や汗が流れた。どこにひみつ道具はある?
彼の服装の中に紛れ込んでいるのか、巧妙に隠してあるのか。
それとも既に使った後だからここにはないのか……?
疑い始めれば全てが怪しい。不味い、ドツボに嵌っている。
(何とか逃げないと……)
勝ち目が全く見えない戦いなんてやるわけにはいかない。
エイナさんも言っていただろう、冒険者は冒険しない。
ここは冒険すべき時じゃないんだ。
やがて一通り笑ったヴィトーさんは剣を小さく振った。
ああ、不味い不味い不味い。あの視線、この気配、ここで終わらせようとしているのか。
地の利は向こうにあって
このままでは逃げるなんて到底不可能だ。
活路を見出すために何とか時間を稼がないと。
「では……」
「なんでっ」
「ん? ようやく話してくれましたね。一人でしゃべり続けるというのは中々心にくるものなので、話し合いは無理かと思っていたのですが」
「どうして……貴方はここにいるんですか」
なんとか会話を捻り出そうと口から出たのはそんな疑問。
だけど、実際に気になっていることだった。
ヴィトーさんはまるで本気を出していないけど、とても強いのは伝わってくる。
強豪派閥である【ガネーシャ・ファミリア】にアジトが踏み込まれている以上、僕みたいな木っ端冒険者よりも、第一級冒険者もいるあちらの対処をするべきのはずなのだ。
だが、ヴィトーさんは【ガネーシャ・ファミリア】にまるで関心を示さなかった。
警戒はしていても、自分の中の優先順位で【ガネーシャ・ファミリア】を僕より低い位置に置いたままに見える。
それが理解できなかった。
「【ガネーシャ・ファミリア】なら指揮官のいない部隊なんてあっという間に倒せるはずです」
「でしょうね。既にあちらは終わっているはずでしょう」
「なら、なんで……」
僕の疑問にヴィトーさんは何でもないように答えた。
予想もできないかった、異様な答えを。
「あんな脇役に興味はありませんよ。所詮、物語の本筋に関わることもできない連中です」
「……な、なにを言っているんですか?」
その言葉の意味を自分の中で咀嚼するのに時間を要した。
脇役? 物語の本筋?
場にそぐわない曖昧な単語にいよいよ混乱する。
「ふむ、どこから説明すればいいものか……そうですね。もっと端的に言ってしまえば、私は【ガネーシャ・ファミリア】などと言う者どもより、あなた一人の方が脅威だと思っているんですよ」
「僕が……?」
過大評価もここまでくると笑う気すら起きない。
何か、聞き違えてしまったのだろうかとすら思ってしまう。
(もしかしてひみつ道具を使っているから?)
真っ先にそれらしい理由として思い付いたのはそれだ。
対外的には友人に貸してもらっているという事になっているが、僕自身がひみつ道具を具現化していることに気が付いたとすれば……そんな仮説を頭の中で組み立てていると、ヴィトーさんはおかしそうに言葉を続けた。
「もしかして、ひみつ道具を使えるから貴方を脅威だと見ている。そんな風に勘違いしていらっしゃいますか?」
「違うんですか?」
「ええ、全く。貴方がひみつ道具を使っていることには心の底から驚きました。ですが、それは貴方を調べる過程で分かったこと。そこは本命ではありません」
「ならどうして……」
「それを説明するのはやぶさかではありませんが……言ったでしょう? 何処から説明すればいいか分からないと。貴方が途中で逃げ出してしまってはお教えできませんよ」
薄く笑うヴィトーさんに僕の心臓は跳ね上がった。
バレていた。こちらの時間稼ぎの意図は初めから。
そのうえで彼は話に乗っていたのだ。
「話途中で退散されては、器の小さな私としては癇癪を抑えられないかもしれません。できればゆっくりと話すために、私の自室に来ていただけませんか」
「……」
「乗りませんか。えぇ、それが普通だ。しかし、貴方は乗らぬわけにはいられない」
会話の主導権を握られつつある。
そう感じた僕は黙りこくったが、そんな反抗を楽し気に見るヴィトーさんは口にした。
無視できない言葉を。
「あの可愛い娘さんも……直にこちらに着くでしょう」
「な……っ!?」
唇で弧を描き、ヴィトーさんは僕に背を向けた。
ついて来い、という事だろうか。
(どう考えても罠……だけどっ)
ヴィトーさんの最後の言葉。
娘……恐らくはノエルの事をどうしてここで口にしたのか。
ハッタリだ。ハッタリに決まっている。
そう思いたくても、ひみつ道具の出鱈目さをよく知っている僕は、頭に浮かぶ無数の『もしかしたら』を無視できない。
特定の人物をここに連れてくるなんて、ひみつ道具にかかれば朝飯前だ。
(……ハシャーナさんは、駄目だ。来ない)
藁にも縋る思いでヴェルフが作ってくれた、人を探知する装備を見た。
【ガネーシャ・ファミリア】が救援に来てくれるならば、迷わず退避できたかもしれない。
だが、
それはつまり、ハシャーナさんはまだあの戦場にいるという事だ。救援は期待できないだろう。
僕の前にある選択肢は二つ。
情報から目を背けて闇雲に逃げ回るか、それとも危険を承知で虎穴に入るか。
「……っ。畜生っ!」
思わず口汚くなりながら、僕はヴィトーさんを追った。
それが罠だと知りながらも、彼の言葉を無視することが僕にはできなかった。
ここで逃げてノエルに何かあったら。そう思ってしまった。
……
ベルが
神会開催! ベルの二つ名!
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