コツコツと、不自然なほどに人がいない通路を歩む。
おかしな気分だ。さっきまで戦っていた……と言うよりは嬲られていた相手についていくのは。
何かが間違っている。そんな焦燥感が胸の奥で渦巻いている。
そう感じていても、他の選択を選べないくらいにヴィトーさんとの力の差は圧倒的だった。
(……遊ばれてる)
ヴィトーさんの警戒を煽らない程度にあたりを見渡す。
奇妙な建造物だ。
ダイダロス通りにどうしてこんな建物があるのか。
人工物であることは舗装された床を見れば一目瞭然だが、それでいて人間が作ったにしては違和感だらけの混沌とした雰囲気も漂う。
普通の建物はきっちりと寸法を測って、規則性が素人目にもはっきりと分かるが、この建物はそうじゃない。まるで、ダンジョンのように不規則な構造をしているのだ。
内装は明らかに人工物だらけなのに、形や雰囲気は自然にできたダンジョンの様。そんな違和感に脳が混乱しているのか、眩暈を覚えた。
(ここを闇雲に逃げ惑っても遭難するだけだ。僕がここから逃げきる方法はこの人から探り出すしかない)
だから、都市を脅かす犯罪者にノコノコ付いて行っている。
頭のいい人たちからしたら「馬鹿野郎」と怒られてしまいそうだと自分でも思う。
けど、自力では他に思い浮かぶ手段が破れかぶれなものだから仕方ないじゃないか。
(見え見えの企てだけど、この人が戦う気のない今がチャンス。不意を突いて、大ダメージを与えるしかない。その後に逃げ道を聞き出す)
先ほどまでのひみつ道具も不意打ちならば効果を発揮しないかもしれない。
部屋に着いた瞬間は必ず気が緩む筈。そこを狙えば……
「道中無言と言うのも味気ないですね。気になっていることは沢山あるでしょう? よければなんでも答えますよ」
僕の考えに気付いているのか、いないのか。
ヴィトーさんは余裕綽々と言った様子で話しかけてきた。
(よしっ、会話の間でも隙を作り出せるように誘導するんだ)
話術に何てこれっぽっちも自信はないが、自信がないからやりませんなんて贅沢は言っていられない。
会話を途切れさせないようにして、情報を引き出しつつ、油断を誘うんだ。
「なら、さっきの言葉の意味は何ですか。娘って……」
「えぇ、貴方の思っている通り、最近【豊穣の女主人】に転がり込んだあの少女ですよ」
「っなんでノエルを!?」
「それについてはここ最近起きた異常気象について説明しなければなりませんね。既に御存知のことだとは思いますが、オラリオの四季ではありえない、早すぎる寒気があったでしょう」
オラリオの異常気象、と言うとのび太君たちと再会した日当たりのことだろうか。
確かに、オラリオでこの時期に雪が降るのは珍しいとリリが話していた筈だ。
神様は暖炉を使ってくれる人が増えてちょっと嬉しいと言っていたけど。
その異常気象と、ノエルを狙うことになんの繋がりがあるというのか。
「実の所、あの異常気象は本来の物語上は起こらない筈でして、私たちがノエルさんを捕獲しようとした際の彼女の抵抗によって引き起こされた物なんですよ」
「……やっぱりノエルの傷は貴方たちが!」
「それを言ったら私の部下はその時の足掻きのせいで氷漬けにされました。ここはお互いに両成敗と言うことにいたしましょう」
ふざけないでください! そう叫びそうになった時に僕は引っ掛かりを覚える。
「ふふっ、そう。貴方たちが家族ごっこをしていたあの娘は人間ではない。神々に最も近い神秘の種族……精霊です」
「……」
「驚いて言葉も出ない、と言った様子ですね。気持ちは分かります」
精霊。
数ある種族の中でも最も珍しく、人間社会とのかかわりが浅い種族。
世界中からあらゆる人が集まるオラリオでも滅多に見ることが出来なかったはずだ。
その特性はエルフ以上の
「疑問には思いませんでしたか? 自然治癒を阻害する
「……ノエルから精霊特有の気配は感じませんでした。あれは、貴方たちの仕業ですか」
「えぇ、まあ。安全に捕獲するために消耗していただく計画だったので、何度も何度も追い詰め、その度に力を使っていただき……現在のように僅かな力すら感知できないほどに弱体化して頂きました。記憶障害が出たのは流石に想定外でしたが」
「そんなに酷いことを……っ‼ なんのために!?」
「それについてはこの部屋で……おっと」
ヴィトーさんが部屋を見るために僕から目を逸らした瞬間、僕は絞り出すように腕を振り切った。
それを彼は見もせずに紙一重で避けて見せた。
「全く、油断も隙もありません、ね!」
「がっ……!?」
カウンターとして放たれた肘打ちが鼻を潰す。
鉄の臭いが鼻腔に広がり、ドロリと唇を汚した。
よろめく僕にヴィトーさんは容赦なく蹴りを放つ。
脇腹に突き刺さった衝撃に体がくの字に曲がる。
嘔吐感に呻きながらも、何とかナイフを突き出すが、ヴィトーさんはそれを簡単に弾き、距離を詰めた。
「さて、どこまで話したかねぇ。なんでそんなに酷いことを、でしたか。答えは簡単です。……この世界が物語だからですよ」
「げほっ、げほっ……だからっ、それとノエルを傷つけることに何の関係が……っ」
「私としては、この世界の秘密を知っておいてどうして今まで通りに過ごせるのかの方が理解できません。知っているのでしょう? この世界が一人の作家の空想であることを」
ここまで飄々とした態度を崩さなかったヴィトーさんが初めて苛立った。
掴み所のない策士の画面の先に僅かに見えたものは激情。
「私は絶望しましたよ。その真実を知ったとき、この世のあらゆるものが茶番になり下がったのですから」
「あ、がっ」
荒々しく僕の髪を掴み、ヴィトーさんは僕の顔を自分の顔に近づけた。
「さあ、行きますよ。貴方がここに来る瞬間をずっと待っていたのですから!」
ガツンッ、と脳を揺さぶるかのような衝撃が襲った。
地面に叩きつけられたと気がついたのは、チカチカと点滅する視界が
鼻に再び走った痛みを認識するより先に、僕の体はヴィトーさんによって扉の方に投げられた。
「うわあああああぁぁっっ!?」
砲丸と化した僕が直撃し、ドアが吹き飛ぶ。
それでも勢いは殺せず、僕はゴロゴロと部屋の中を転がった。
「ぐっ、くくっ……ここ、は?」
地面に叩きつけられた時の衝撃が未だに残っているのか、バランスを崩しかけながらも上体を起こす。
飛び込んだ先は部屋というよりは通路だ。
迷宮産の稀少金属によって作られていた通路とは打って変わってどこかおもちゃのような内装。
脈絡もなく雰囲気がガラリと変化したものだから、ドアから先が別世界に繋がっているかのような違和感を感じる。
(この感じ何処かで……そうだ! ガリバートンネル!)
内装に覚えた既視感。
一体何時のことだと記憶を辿ると、全く同じものを僕はオラリオに来たばかりの時に見ている。
神様の髪飾りを作るために【ミアハ・ファミリア】から貰った鈴を小さくする時に使ったあのひみつ道具だ。
(このひみつ道具を通った人は小さくなる……不味い!?)
唯でさえ力の差があるのに、ここで大きさのハンデが増えたらいよいよ勝てない。
慌ててガリバートンネルの入り口に戻ろうとする僕の前にヴィトーさんが立ち塞がる。
「何処へ行こうと言うのですか!?」
襲いかかるのは鈍色の嵐。
一撃でも喰らえば不治の呪いが発動してしまう。
強引に突破する事もできずにズルズルと後退するしかなくなる。
チョーダイハンドであの
この攻防のなかで相手の攻撃以外に気を割いたら、まず間違いなく対応出来なくなる。
なにより、既にそのひみつ道具を知っているヴィトーさんが発動を呑気に待っていてくれる訳がない。
(前にっ、前に出ないと……!)
「そんなに前に出たいなら望み通りにしてあげますよ」
「え……うわっ!?」
神様のナイフの軌道を予測したヴィトーさんは、その手に持つ剣をくるりと回転させ、神様のナイフの柄に
そして、レベル4の膂力にモノを言わせて強引に僕を引き寄せる。
ひたすら前に出ようとしていた僕は、踏ん張る事もできずに前のめりになる。
更にヴィトーさんは彼に向かって倒れ込む僕をヒラリと回避し、すれ違い様に膝蹴りを鳩尾にめり込ませた。
「~~~~~ッッ!?」
声にならない絶叫とともに吹き飛ばされる。
バウンドしてガリバートンネルから放り出されて、地面を削る勢いで転がった。
そうか、自分はボールだ。ふざけんな。
思わず浮かんでしまった汚い悪態は、口から出る直前、背中に走った衝撃で霧散する。
前方からの衝撃を殺すことばかり考えたせいでまともにぶつかってしまった。
衝撃と共に胃を逆流しそうなモノを何とか堪えながら、僕はあたりを見渡す。
(ガリバートンネルの出口は上空……だからあんなに転がって、こんなに体が痛いのか。態々段差を付けるなんて悪趣味だ。これじゃ、あそこからは逃げられない)
空高くに見えるガリバートンネルの出口。
それを忌々しく見ていると、視界の隅に有り得ないものが映った。
「え……? 市壁……?」
オラリオを外敵から守るための城壁。
オラリオに住むものならば、毎日見ているであろうそれ。
それがどうして部屋の中に聳え立ってるのか。
混乱する頭に新たな刺激。
それは、すぐ傍から聞こえる噴水の音。
咄嗟に振り返ると、更に有り得ないものがあった。
「……なっ!?」
僕が背中を強打したのは噴水だったらしい。
そこはいい。不自然だが、部屋の中に噴水を飾る変人もこの世にいるだろう。
だが、その先に見える者を室内に飾っている者など絶対にいない。
そもそも、飾れるはずがない。
「バベルの塔!?」
都市の中央に位置する神々の
そして、世界を絶望に追いやるダンジョンの蓋。
いよいよ動揺を隠せなくなってきた僕の前に、ヴィトーさんは軽やかに着地する。
(ガリバートンネルをこの人も潜った? なんのために)
僕をガリバートンネルに潜らせたのは、小さくなった僕を叩き潰すためではないのか。
訝しんでいると、ヴィトーさんは感情の読めない薄っぺらな笑みを僕に向ける。
「驚きましたか? 私の部屋の中に再現されたオラリオの街は」
「……これは、一体」
「ひみつ道具ですよ。映したものを模型にするひみつ道具でオラリオを再現しただけのこと」
ようやくここを説明できる、と彼は嗤った。
「ここは貴方のために作ったものです。この物語の主人公の墓標となる偽りの
「……っ!?」
声色に込められた殺意に思わず身じろぐ。
全く違う。今までの殺気がお遊びに思える濃密な悪意。
「ヴィトーさん……」
「ベル・クラネル。貴方はこの世界をどう思っていますか。全てが定められたこの物語を」
「……」
「私は、堪らなく、狂おしいほどに……憎悪していますよ」
刃が来る。
そう錯覚してしまうほどの瞋恚。
彼の憎悪に呼応するかのように、周囲の建物も軋んだ。
(……ただの模型のはずがない)
目の前の男の言葉に圧倒されながらも、僕の意識は彼以外、周りの建物に向けられていた。
ここは彼が用意したフィールド。事前にどんな罠があるか分かったものではない。
そう考えると、見慣れた風景であるはずなのに、何故か悍ましい姿にこの目に映る。
「さあ、開演です! 怯えなさい! 哭きなさい! この世界の中心たる貴方の無様がっ、この世界の無価値さを証明するのだから‼」
指を鳴らすと、市壁の向こう側に巨人が現れる。
いや、今の僕は小さくなっているから、大きく見えるだけで実際には普通の人間なのだろう。
ヴィトーさんの指示を受けた狂信者は、手に持っていた橙色の箱型のアイテムを固定する。
その形は最近、見かけた気がする。
(そうだ、あれは出木杉君が持って来たものと同じ!)
確か、ビデオカメラ、と言うのだったか。
そんなものを持ち出して、何がしたいのか。
それほどまでに、僕の無様を期待しているらしい。
鈍色の殺意を伴ってヴィトーさんは哄笑した。
僕は異様な雰囲気を撥ね退けるかのように、地を蹴る。状況を立て直さなくては。
そのためには、一度彼の前から離れないと。
オラリオによく似た敵地で、壮絶な鬼ごっこが始まる。
因みにガリバートンネルにいる間はヴィトーのあるひみつ道具の影響外でした。
それに気付く幸運は今のベルにはなかったけれど。
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