硝子を突き破る。
レベル2となり、様々な能力が強化されているとはいえ、流石に罅割れた硝子が突き刺さればベルの体も傷だらけになった。
だが、それに頓着している余裕はないのだ。
「懐かしいですねぇ。あの死の七日間から7年。大手を振って冒険者狩りが出来る時代ではなくなってしまったので、こうして逃げ惑う冒険者との鬼ごっこは心が躍ります!」
息を切らせて床に蹲るベルの耳にヴィトーの声が入った。
余裕ぶってゆっくりと歩く彼は、間違いなく狩人だ。それも、獲物を前に舌なめずりし、急所ではなく足先を狙う類の。
この箱庭の迷宮都市に閉じ込められ、ベルは遥か格上であるヴィトーから終わりの見えない逃亡戦を強いられていた。
既に体はボロボロ。
「くっ……」
傷は治らなくとも、体力を一時的に上げる程度ならば
腰に着けたアイテムポーチから乱暴にポーションの液体が入った瓶を取り出し、一気に飲み干す。気休め程度には体力を戻せたと確認したベルは、急いでアイテムポーチから次に必要なアイテムを取り出した。
「しかし、こうも狙い通りの場所に来て下さるとは。しあわせトランプの効果でしょうか? 小説では随分と【幸運】のアビリティに助けられてきた貴方が、皮肉だ事だ」
(声が近づいてきた。なら)
これで建物にヴィトーが入ってきたとしても、ベルはすぐに離脱できるようになった。
逃亡のための準備を整えたベルは、ヴィトーが来る前に終わらせなければと手を動かす。
魔石の破片を空になったポーションの瓶に詰め、もう一つの魔石には紐を巻きつけてから瓶に入れる。その後、手首に紐を巻きつけて準備は完了。
「ほらほら、早く逃げないと」
「【ファイアボルト】ッ‼」
建物のドアが開くと同時に速攻魔法を撃ちこむ。
この偽りの街にいるのはベルとヴィトーのみ。もしかしたらヴィトーの部下も潜んでいるかもしれないが、ベルの味方や一般人はいるはずがない。
自分以外の動くものは全て敵だ。
炎弾の成果を見届けることもなく、
そのまま建物の外に飛び出したベルは熱と共に自らの失策を悟った。
建物が集まる密集地帯。その中でポツリと空いた空き地。
洗濯物が干されていて、いるはずのない住民の生活が垣間見える場所だが、それを気味悪く思うことは出来ない。ベルがそれを視界に入れる前に、そこは跡形もなく吹き飛んだのだから。
「うわああああああっっ!?」
ヴィトーの仕掛けた爆弾だ。と吹き飛ばされながらベルは理解する。
爆発に直撃しなかったのは単にロープを巻き上げる力が想定より弱かったから。
先ほどの攻防の際に
結果的にそれに救われたのかもしれないが、爆発によって壁に叩きつけられてしまった。
「ぐ……くっ」
呻きながらも、ナイフを構える。殺気が、来る。
煙を裂いて現れたのはヴィトーだ。
振るう鉛色の凶器の向かう先はベルの頸動脈。
なんとか致命打を防ぐベルにヴィトーは囁くように語り掛けた。
「ここはシルバーバックに追いかけられた時に逃げ込んだ隠し通路。起死回生を果たした地が、今は貴方の敵」
「……? ゴホッ、ゴホッ……」
「ふふ……手持ちの解毒薬では【ダークファンガスの胞子】は解毒しきれませんでしたか? 上層の
ナイフが押し戻される。やはり力勝負では勝てない。
レベル云々以前に、毒に侵されてしまっているベルでは。
【豊穣の女主人】の樽や酒類が、ベルが入ると同時に破裂し、中にあった迷宮由来の毒物をばら撒かれたときの影響がまだ残っている。
「しかし……ダークファンガスの胞子を見た瞬間に
「……っ!」
「今の貴方はそこまでの技量はないようですね。レベル3になったわけでもないから当然……そもそもあれは9巻でのお話ですからね」
「さっきから……なにを」
「もう貴方が辿り着くことは無い。未来のお話ですよ!」
ベルの腹部にヴィトーの拳がめり込む。
胃の中のモノを逆流させながら前のめりに倒れるベルだったが、ヴィトーは更にベルの後頭部に肘打ちを喰らわせた。
「ぎっ!?」
石造りの地面に転がったベル。
床はオラリオの街とは流石に違うらしい、などと遠くなった意識の片隅で考えた。
「ふふふ……さて、そろそろ貴方の腕御一つでも……」
このまま眠ってしまいたい、と言う誘惑を振り払って右腕を突き出す。
先ほど即興で作り上げた
(……不発?)
とっておきのマジックアイテムはその力を発揮しなかった。
作る際に間違えていたわけではない。ハツメイカ―によって設計されたこのマジックアイテムは作りやすさがウリなのだ。
恐らく、たった今倒れた際に魔石を結ぶ紐が綻んでしまったのだろう。
「しあわせトランプの
困惑するベルを見て、なにが起きているのか理解したらしきヴィトーは嗤う。
そのまま突き出された右腕の手首を切り裂き、
「あっ、がああああああっ!?」
手首の筋を切られ、力を失った右手から零れる
それをなんとか左手でキャッチすると、ベルは目に溢れるほどの涙を溜めながらも、懸命にヴィトーを睨みつける。
ベルの懸命の抵抗は、しかしヴィトーを興奮させるだけだ。
「そんな熱い目で見ないでください! 自分が抑えられなくなる!」
笑みを浮かべて斬りかかるヴィトーの剣を左手のナイフで払い、ベルは立ち上がる。
そんな少年の姿にヴィトーは喜色を深めるが、ヴィトーが何かをするより早く、今度はベルが動いた。
ベルは敢えて傷ついた右腕を振り、手首から流れる血をヴィトーに飛ばす。
顔面にベルの血を掛けられたヴィトーがよろめく中、ベルは全速力で駆け抜け、当たりを囲む壁をレベル2の驚異的跳躍力で飛び越えた。
あわよくば、等と考えない。
相手は圧倒的格上で、今の自分は信じられないほど
一見すると絶好の隙に見える敵の失態に、ベルは飛び込まなかった。
「傷ついた右手を利用した血の目隠しですか」
ヴィトーは顔に付着した血を拭いとるとベルの足音が聞こえる方へ視線を向ける。
ヴィトーの油断があったとはいえ、鮮やかな逃走の手際だ。
「流石は未来の【逃走】の発展アビリティ持ち、とでも言っておきましょうか」
獲物を逃したというのにヴィトーに焦りはない。
もはやベルとヴィトーの戦いは結末が決まっている。それが逃亡戦だったとしても、何も変わらないのだ。
価値が確定している以上、あっさりと終わっては面白くない。もっと楽しませてもらわなくては張り合いがない、とヴィトーは独り言ちた。
「あぁ、しかし失敗しました。これほど力の差が歴然としている相手を逃がすなど、顔を覆いたくなるような失態です。ですが、仕方ないでしょう?」
ペロリと、ヴィトーは拭い去ったベルの血を舐める。
まるで子供の悪夢に出る道化師のように、唇の周りを血で染めたヴィトーは無邪気に呟いた。
「あんなにも、綺麗だったのだから」
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世紀の奇人・ダイダロス。
建造物に関しては間違いなく偉人であり、特に都市中央に
そんな彼だが、晩年はおおよそ余人には理解できないような作品を作ることに傾倒するようになる。
究極の美を求めて狂っただとか、ダンジョンの深淵なる魅力に取り込まれただとか、その原因に関しては様々な言い伝えがあるが、兎に角晩年のこれの作品は混沌としている。
巨匠の名を冠するダイダロス通り等、正にその象徴ともいえるだろう。
その構造は複雑怪奇。
よそ者どころか、普段から住み着いている住民ですら迷う事は多いのだという。
年に何人もの行方不明者が出ると噂されるそこは、もう一つの
まあ、何が言いたいかというと。
ダイダロス通りは迷子になりやすいのである。
「こっちで、いいの?」
「ギギギ……」
ノエルの手を引いてダイダロス通りを歩くローブの人物は、ノエルの問いに頷いて見せる。
とは言え、自信満々ではなく、「大丈夫だろ、多分」と聞こえてきそうな感じだが。
「ガ、ゴ」
「やじるし?」
ローブの人物が指さす先には住民が描いたらしき矢印があった。
迷わないために住民たちが用意した
「ガ……」
キョロキョロとローブの人物が辺りを見渡す。
矢印は分かりやすく、短距離だが、その分敵対者には読まれやすいだろう。
「……」
「……」
暫し、無言が続いた。
しかし、ノエルは結局好奇心を抑えられなかったらしい。
「どうして、たすけて、くれるの?」
ノエルの当たり前と言えば当たり前の質問に、ローブの人物は少し考える仕草を見せた後、ひみつ道具を使い喋り出した。
「お前の友だちにのび太っているだろう」
「うん」
「俺もあいつの友だち……じゃあないよな。図々しい。なんて言えばいいのか分からんがそうだな、あいつの世話になったもんだ」
そう言ってローブの人物は空を見上げた。
「俺は悪い奴でな、のび太に会っていろいろあった後。罪を償うためにタイムパトロールに行ったんだ」
「タイウ、パロール?」
「あーなんていえばいいんだ? 正義の味方って奴だ」
そこで裁判前の手続きのために留置場で待っていた時、時間犯罪者たちを率いたジャックがタイムパトロールを襲撃してきたとローブの人物は語る。
「じかんはんざいしゃ?」
「滅茶苦茶悪い奴らだ」
「どのくらいわるこ? しろひらひら?」
「し、しろ……? あ、ひょっとして
次々と捕まっていた時間犯罪者を解放したジャックは、ローブの人物も解放したらしい。
「せいぎの、みかたに、おこられないの?」
「怒られるだろうな。俺が更生すると信じてくれたタイムパトロールの奴らには悪いが……」
ローブの人物も初めは逃げるつもりが無かったらしい。
しかし、自分より早く解放されていた時間犯罪者……恐竜ハンターの言葉が無視できないモノだった。
『聞いたぞ。お前もワシと同じようにあのクソガキどもにしてやられたらしいな。ワシらと手を組め。奴らを共に血祭りにあげてやろう』
改めて言っておくと、ローブの人物はのび太に負けて捕まったのではなく、のび太との交流で改心して自首しただけだ。
にもかかわらず、恐竜ハンターがローブの人物のことを誤解したのは、ローブの人物が捕まってからジャック襲来までの期間が短かったからだろう。
「どっちの逮捕にものび太が関わっているからな。タイムパトロール内でも俺が自首したことを知らない奴らもいた。捕まってる悪党どもには俺の逮捕にのび太が関係している、としか伝わっていなかったのさ」
もしも、ジャックが襲ってきたのがもっと後だったなら、彼らは改心している己を開放しなかっただろうとローブの人物は語る。
事実、改心して更正しようとしている怪盗Xは無視され、彼が改造を施したひみつ道具だけが利用された。
「最初は断るつもりだったが、恐竜ハンターから物騒な言葉が出たからな。ここで無関係でいて、後でのび太に何かあるのが怖かった……おっと、止まれ」
通路の奥で蹲る乞食たちを見て、歩くノエルを制止する。
「少し遠回りが必要だ。こっちにこい」
「うん……」
ひみつ道具をはずす。
再び無言。
ローブの人物は乞食に扮した
やがて、
「もう喋っていいぞ」
「むねが、ばくばく、してる」
「なんとか誤魔化せたみたいだ。こっちから【ガネーシャ・ファミリア】へ行くぞ」
「うん」
「にしても面倒だな、こうやってひみつ道具を使わなきゃ喋れないのは」
「どうかしたの……?」
「なに、事故で言葉が喋れなくてな。ひみつ道具の【心の声スピーカー】を使っているんだ。これなら音声機能がなくても言葉を伝えられる」
そう言ってローブの中をみせると、そこには皿状のアイテムが取り付けられた不思議な形の道具があった。
「べんり……!」
「そんなに良いもんじゃない。心の声だから嘘はつけないし、余計な事も口走っちまう」
時間犯罪者たちに紛れ込んだ異物であるローブの人物としては、変なことを口走る事がないように、このひみつ道具を持っていることは隠していたのだ。
「お陰で大変だったぜ。会話ができないから上手く質問もできないし、この世界の人間との交渉にも参加できないから、奴らの悪巧みがどこまで進んでいるか分からない」
すぐにタイムパトロールにジャックや恐竜ハンターの居場所をリークする気だった彼は、のび太の襲撃が何時始まるのか気が気ではなく、逃げることがなかなか出来なかったらしい。
また、ローブの人物が改心しているとは思ってなくとも、自らの利のために裏切る可能性は考えていたらしい。
時間犯罪者たちの交渉の末に派遣された
「なんとかこの世界の奴らには感知できない時空の歪みを起こすことで、タイムパトロールが気付いてくれるのを願っていたんだが……なんでかドラえもんが見つけちまったんだよなぁ」
「ん? どらえもんはせーぎのみかた?」
「正義っちゃあそうかもしれないが、タイムパトロールではないぞ」
あんな騒ぎがあった以上、これまで以上に
そうなるともう自分にやれることはない、とローブの人物は悟ったらしい。
「いい加減限界だったからな。最後にあいつらの計画の要のお前を逃がしてトンズラこくことにしたんだ」
「げんかい?」
「ああ、最近は完全に蚊帳の外だった。ひみつ道具をレンタルしていることにも最近気がついたんだ」
【イシュタル・ファミリア】でドルマンスタインが取引するらしいと知り、時空の歪みを発生させるついでに調査もしていたらしい。
結局、取引の末に何かを貸したのは確からしいと言うことしか分からなかったが。
「さあ、俺の話はここまでだ。とっとと【ガネーシャ・ファミリア】に保護してもらってホームインからのサヨナラだ」
「ん? おー?」
最近何処かで聞いたことがあるようなスラングを使われ、首をかしげつつも同意しておくノエル。
ローブの人物はそんな少女を抱き上げて一気に走り出した。ここを一直線に進めばダイダロス通りを抜けてオラリオ東部に出ることができる。
「……」
そんな二人を建物の屋根から見下ろす影。
その頬には十文字の傷がついていた。
ドラえもんと出会った時に心の声スピーカーをつけていたのは、タイムパトロールに会った時に自分が嘘をついてないと簡単に証明できるからです。
神会開催! ベルの二つ名!
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秘奥の少年《ワンダー・ルーキー》
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千の小道具《サウザンド・ガジェット》
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狂乱野兎《フレイジー・ヘイヤ》
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魅成年《ネバー・ボーイ》
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不思議玩具箱《ワンダーボックス》
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超耳兎《エスパル》
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奇妙な兎兄《ストレンジ・ラビッツ》
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開封兎《エルピス》
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幼女好兎《ロリコン・アナウサギ》