境界が曖昧になっていく。
この世界における『ノエル』と言う個。
内と外とを隔てる心の壁。
(もどって……いくみたい)
そう思った時、ふと脳裏に浮かんだのはいつかの光景。
しんしんと降り注ぐ雪の中、一人ぼっちで団欒の灯を見つめ続ける『 』。
同じ神々の子でありながら、強すぎる神秘と希薄な自我によって人々と共存できない定めをノエルはやっと思い出した。
きっと、力を出し切りかつての『 』のように希薄な存在となったことで、自分の中の核心に触れることが出来たのだろう。
そして、夢とも言えない透明な空間は役目を終えたように沈黙し、ノエルの意識は覚醒に向けて急速に浮上した。
「……ぁ」
「ノエル、起きた?」
泥の様な微睡みを抜け、真っ先に感じたのは肌寒さ。
鉛に変わってしまったと思うほどに重い瞼を開ければ、この世で誰よりも信頼する少女の顔が映り込んだ。
「おかーさん」
「……もう、思い出した?」
「……!」
シルの言葉に目を丸くする。
そんなノエルを見て、シルは寂しそうに笑った。
炎雷の光に照らされながら、ノエルを抱きしめたシルは囁いた。
「分かるよ、お母さんだからね」
「……っ」
息苦しさにノエルの目尻から涙がこぼれた。
精霊である自分を気持ち悪く思われないか、それが怖かった。
だから、そんなことないよと抱きしめる熱が温かくて、人間の子供のようにノエルは泣いた。
「皆、ノエルを心配してきたんだよ? リューも、アーニャも、ルノアも、クロエも、ミアお母さんも、のび太君も、ドラえもんさんも、出木杉君も。そしてベルさん……お父さんも」
シルが顔を上げる。
つられて彼女の視線の向く先を見れば、脂汗を流しながら巨大な炎風を連射するベルの姿があった。
それだけではない。遠く、大きな怪物の下で【豊穣の女主人】のウェイトレスたちは戦っていて、のび太たちはベルと一緒に迫りくるモンスターをそれぞれのひみつ道具で倒している。
「……ぁ」
じわりと浮かんだ涙の先で巨大な怪物は嗤った。
空に描かれる
「不味い、全部撃ち落とすのは……」
「……そうだ! お願い、ヴィオラス‼」
余りの出鱈目な威力に圧倒されていたベルたちだったが、何かを思い付いたのび太が駆け出す。
のび太は手に持つ容器から出た液体をベルが寄り掛かっていた大きな植物にかけた。
「! オオオオオオオオオオオオッッ‼」
「これは……」
「グレードアップえきでパワーアップしたんだよ! 効果は一時間しか持たないから気を付けて」
ドラえもんの言葉を証明するように、ヴィオラスはその触手で降りかかる隕石全てを粉砕した。
パラパラと破片が降り注ぐ中、ベルは再び魔法を発動する。
「【ファイアボルト】‼」
冒険者たちを襲う隕石を薙ぎ払いながら、一直線に進む速攻魔法。
それに対し、穢れた精霊は
「【
短文詠唱による雷の強化。
更に無数の触手を盾に【ファイアボルト】を防ぐ。
無論、
「~~~ッッ‼ フフッ……」
そのダメージに表情を歪めた穢れた精霊だったが、それでも彼女は余裕だった。
「ピギュイイイイイ!?」
「グギャッ……!?」
それらは血管を浮かび上がらせて苦しみ始めたと思うと、体内から極彩色の魔石を飛び出させた。
魔石を抜かれたモンスターたちが灰化していく中、穢れた精霊は空中に浮かんだそれらを口に運び、美味しそうに咀嚼する。
「魔石を食べて……まさか!?」
「……アァ」
モンスターの力の源を取り込んだ穢れた精霊の身体がブルリと震えると、黒く炭化していた花弁が生え代わる。
「
この
厄介な特性を見せた穢れた精霊を苦々しく見つめる冒険者たち。
「……!」
戦い、傷ついていく彼らを見たノエルは決心する。
自分に出来ることをやると。
「おかーさん」
「それでいいの? ノエルの身体はもう……」
「わたし、もうみんなにきずついてほしくない」
シルにも、ベルにも、のび太たちにも、【豊穣の女主人】の皆にも、冒険者たちにも。
そして、変わり果ててしまった同族にも。
「だから、わたしのぜんぶをつかって、おわりにする」
戦いで竦んでばかりだった少女の願い。
そのためにノエルは自分を使い切ることを選択した。
「……っ」
それに対して、シルは叫ぶように何かを言いかけ、それをしてはならないと自分の口を噤んだ。
溢れ出る想いを抑え込み、ベルを見る。
「……? ノエル、何を……っ」
シルの視線に気が付いたベルが振り向き、ノエルの様子に声を上げそうになり、ノエルを抱くシルの視線で全てを理解した。
止めたいと言う想い、止めてはならないという葛藤。
それらをベルとシルから感じ取ったノエルは微笑み、二人の耳には届かない小さな声でありがとう、と呟いた。
「【ファイアボルト】!」
炎雷はモンスターではなく、ベルたちの目の前の地面に突き刺さり、雪が熱されることによって発生した蒸気がその場にいた者たちを包み込んだ。
それは目くらまし。ノエルのやろうとしていることへのベルのせめてもの援護。
「ノエル……!」
ベルはノエルを見た後、再び迫りくるモンスターたちに向き直った。
視覚を封じられれば、穢れた精霊もコボルトヴィオラスも様子を伺うしかない。
しかし、目の無い
速攻魔法を使えるベルに休んでいる暇などない。
だからその瞳に焼き付けた。ノエルの戦いを。
「……っ!」
ノエルの身体が光る。
もしもベルが蒸気の目くらましを作ってなければ、薄暗い空間で目立ちすぎていただろう。
かつて、数多の英雄たちを導き、切り開く力を授けたように。ノエルは穢れた精霊を打倒するための力を顕現させようとしていた。
「ぅ……くっ……」
苦悶に表情を歪ませるノエルをシルは静かに抱きしめる。
青い輝きに仄かな銀の燐光が重なり、ノエルの手の中で細長い物体を形成していった。
「!?」
冒険者たちを触手で振り払っていた穢れた精霊が弾かれるようにノエルを見る。
未だに蒸気は晴れず、彼女の眼に映るのはかすかな光のみ。
しかし、モンスターの本能か、それとも同じ精霊であったからか。
ノエルによって自分に通用しうる必殺が形成されていることは理解できたらしい。
「クッ!? 【
高速詠唱。
所々聞き取れた炎に関する単語から放たれる魔法を予測した冒険者たちは慌てて防御の構えをとる。オッタルもいざとなったら
(皆の警戒心が上がった? これから来る魔法はそんなに強力ってことだ!)
遅れて参戦したベルにはその魔法は分からないが、第一級冒険者が身構える魔法だ。
侮ることは出来ないといざと言う時のため、グレードアップえきをのび太から譲り受ける。
これで魔法の威力を更に底上げできるはずだ。
「【ファイアーストーム】」
しかし、穢れた精霊の繰り出した魔法は冒険者たちが考えていたものとは少し違っていた。
「
先ほどの円錐状ではなく、その名の通る炎の嵐として現れた魔法。
強力ではあるが、先程とは違い貫通性がない魔法では万全の態勢を敷いた冒険者たちは倒せない。
なんのつもりだと訝しんでいたリューは、やがてその狙いに気付いた。
「!? 炎が引き延ばされて壁に……いや、これはシルたちを囲もうと!?」
弱った精霊を殺すのに脅威力の貫通性は必要ない。
必要なのは得物を逃がさないための檻だと言わんばかりの非情な策。
(駄目だ、【ファイアボルト】じゃ防げない!?)
ベルの
炎の壁を突破したとしても、それはただ穴を開けただけ。
四方から迫る炎はノエルを殺すには十分すぎる。
ヴィオラスであっても守り切れない。
グレードアップえきで強化されていても、魔法が苦手であることには変わらないのだ。
ならばドラえもんのひみつ道具で……と考える前に炎の壁はそこまで迫っていた。
「一か八か、空いた穴から突破するしか……!」
それをすれば先ほどのオッタルたちの二の舞だと理解しながらも、やるしかないと腹を括る。
しかし、砲声しようといた瞬間、飛び込んできた影があった。
「させないニャっ!」
「な、アーニャさん!?」
炎の壁を飛び越えて現れたアーニャは、高速で槍を回転させて炎を散らす。
誰もが意表を突かれる中、真っ先に動けたのはアーニャだった。
敵の狙いに気付けたわけではない。そんなにアーニャは賢い
ただ、何よりも『家族』を大切にする彼女だからこそ、真っ先に無力な『家族』であるシルとノエルに意識を飛ばし、その危機を察知できたのだ。
この瞬間だけは、彼女は都市最速よりも速かった。
徐々に体を焦がしながらも、ノエルたちに迫ろうとする炎を決して近づけさせない。
頬を煤に汚しながらも、アーニャは力の限り立ち続けた。
「この、バカ猫っ!」
「こう言うノリ嫌いニャ!」
続けてルノアとクロエも到着し、アーニャだけではカバーできない部分の炎を防ぐ。
四方を囲む炎の壁は少女たちの苦悶と共に完全に食い止められ、ノエルやシルには火傷すら与えない。
「……アアアアァアアアアァァッッ‼」
「「「ぐっ……!?」」」
それを強引に圧し潰そうと、穢れた精霊は
力を増した炎の壁は3人の守りを徐々に押し込み始めた。
しかし、【豊穣の女主人】にはもう一人。頼れる
「リューお願い!」
「【今は遠き森の空。無窮の夜天に
詠唱が響く。
炎の壁に向かうエルフが何かをしようとしていると気づいた穢れた精霊は、極彩色のモンスターたちに指示を出して足止めしようとするが、リューはそれらを軽やかに躱し、詠唱を続ける。
「……相変わらず大した並行詠唱だ」
シャクティはそんなリューの姿を確認すると、団員たちに指示して遠距離攻撃による穢れた精霊の詠唱の阻止に動く。
リューを魔法で薙ぎ払おうとしていた穢れた精霊は、【ガネーシャ・ファミリア】の妨害に怒りの声を上げた。
「【愚かな我が声に応じ、今一度
レベル4でもトップクラスの敏捷を活かした助走によって、リューは高く、高く飛んだ。
マントが羽のように広がる中、その体から緑の光を迸らせ、号令と共に魔法を放つ。
「【ルミノス・ウィンド】!」
無数の魔力弾が炎の壁を削り取る。
薄く、引き延ばされた炎など、妖精の風の前には無力だ。
ノエルを殺す魔法は完全に消滅し、ノエルを隠していた蒸気も完全に晴れた。
そして、ノエルはシルの腕の中で『氷の槍』を創造し終えた。
「……ベルさん。これを使ってください」
「これを、僕が?」
「
「……なら、シルさんはこれを持っていてください」
ベルが渡すのは機械化機のリモコンだった。
「チョーダイハンドを奪われたら元も子もないですから、チョーダイハンドの能力を自分にコピーしておきます。これはそのための大切なものだから、シルさんが持っていてください」
「……分かりました」
シルに機械化機のリモコンを渡したベルは、膝を折ってノエルの持つ槍を掴んだ。
それは見た目通りひんやりと冷たくて、見た目よりずっと重かった。
「こんなに、重いんだ……」
噛み締めるように目を瞑る。
この重さを忘れないように。自分の中に刻み込んだ。
「おとーさん……」
「ノエル……」
「おわらせて、あげて?」
「うん、すぐに終わらせて来るよ」
ノエルはベルの言葉に微笑むと、目を閉じた。
その姿は微かに透明になり始めている。
ベルは立ち上がると穢れた精霊を見つめた。
「アアアア……アアアアアァアアアアァァアアアアッ!?」
怯えるように叫ぶ穢れた精霊は、ベルが持つ『氷の槍』こそ、自分の
憎々し気にベルを睨みつけ、身体に突き刺さる矢や魔剣の攻撃を無視して詠唱を始めた。
さあ、決着はすぐそこだ。
次回、穢れた精霊戦決着。
神会開催! ベルの二つ名!
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