ダンジョン上層部。
オラリオを統括する大神ウラノスがダンジョンを封じるために行う『祈祷』。
その影響を最も受ける場所なだけあって、世界三大魔境に数えられるダンジョンの中でも事故が起こりにくい易しいエリアである。
それこそパーティーを組んでいれば、まず死ぬことは無い。(ソロの場合は運悪くモンスターたちに囲まれてやられるケースもあるようだが)
しかし、それは5階層から一変する。
モンスターの出現頻度の増加やダンジョンの構造の複雑化、更には状態異常を引き起こすモンスターなど冒険者を追い詰める要素が増え始めるのだ。
ある程度探索に慣れ初めたために、注意が疎かになった初心者が迷宮の悪意に対応しきれずに起こる死亡事例はここから爆発的に増加する。
ここを生き延びられるかどうかが、冒険者としての最初の試練。
エイナがベルの
駆け出し冒険者はこの階層到達前には、地道な力の蓄えが必要不可欠。
ソロならば尚更能力を向上させるために、4階層で足踏みする期間が必要とされる。
常人以上の成長速度を誇るベルであっても、装備の一新などの用意が必要なのだ。
「ふっっ‼」
「ギシャアアッ!?」
苦戦は
そんな覚悟とは裏腹に、ベルはモンスターの大群を前に大立ち回りを演じていた。
「ギギギギギギッ‼」
「はああぁぁぁ‼」
神の刃が
短刀が上空から下降したパープルモスの羽を断つ。
ヘスティア・ナイフを賜ってから必死に練習した
「──ガッ……!?」
断末魔を上げるキラーアント。
同時にダンジョンの壁が崩れる音が耳に入り、新たなモンスターの出現を察知する。
ベルは新たに現れたキラーアントにもヘスティア・ナイフを見舞おうとするが。
(抜けない!?)
先ほどの刺突が深く刺さりすぎたのか、キラーアントの固い甲殻に引っかかりを感じた。
その隙を逃さず襲いかかる新たなキラーアント。
するとベルはヘスティア・ナイフを離し、左腕の緑のプロテクターで迫り来る鋭い爪を防いだ。
敏腕アドバイザーのエイナが選んだだけあり、ヘファイストスの銘こそないがプロテクターは正面から凶爪をぶつけられてもびくともしない逸品。
迷宮に映えるエメラルドグリーンの色彩の頼もしさは、悪意に満ちたダンジョンでベルに勇気を与えてくれた。
攻撃ばかりに意識が向いて隙だらけな頭部に白刃を叩き込むと、ベルはちらりと自身の後方で活動する新たな仲間を確認した。
「ベル様、お強い!」
先日仮契約した
実を言うと、【ソーマ・ファミリア】の団員だという彼女を連れてくることは少々不安だった。
リリ(リリルカさんと言うと嫌がられた)の話し方だと【ソーマ・ファミリア】の団員たちが彼女を除け者にしていて、パーティーを組んでもらえないということだったが、それはあくまでも彼女視点での話。
もしかしたら単に腕が悪くて組んでもらえないだけかもしれない。
少々失礼な考えだがそんな可能性も考えていた。
だが、リリの仕事ぶりはベルのそんな考えが見当違いだったことを悟らせる。
(戦いやすい)
ソロの時とは比べ物にならないくらいに。
まず、バックパックがいらなくなった。
ウエストポーチに最低限の
倒したモンスターの死骸をどけてくれるのもありがたかった。
いつもならモンスターの死骸が邪魔で、時間が経つごとにエイナに常々言われている1対1の状況による、正面からの戦いに持ち込みにくくなる。
しかし、今日はリリが倒したモンスターを戦闘領域から避けてくれるので、いつもより広くフロアを使って戦うことができた。
足の速さを使った『ヒットアンドアウェイ』こそベルの真骨頂。
ベルはここに来て初めて自分の戦い方が
(仲間が一人いるだけでここまで違うのか!)
仲間を呼び出すキラーアントを優先的に倒してから、足元のニードルラビットの突進を躱す。
今まではその流れをつくるために全力で取り組まなければならなかったが、サポーターが雑事を引き受けてくれるおかげでその他のことに気を配れる余裕が生まれた。
なら、一つ試してみよう。
思い浮かべるのはあの日握った刀のようなひみつ道具【名刀電光丸】。
今日のスロットにあのひみつ道具はない。
あの超常的防御を使えるのはずっと未来のことだろう。
だが、あの剣技はしっかりと体で覚えている。
「キュウウウゥゥッ‼」
「……っ、せぇー、のっ‼」
再び助走をつけて飛び込んでくるニードルラビット。
それを正面からベルは迎え撃つ。
額の鋭い角がベルの胸元に迫る。
武器の材料にもなる突起は、当たれば確実にベルの命を奪うだろう。
己の命を脅かす殺意を前にしながらも、ベルの心臓は規則正しいリズムを奏で続けた。
ヘスティア・ナイフをその角に滑らせる。
弾くのでも、防ぐのでもなく、受け流す。
最小限の力で直線を捻じ曲げたベルにニードルラビットの武器は届かない。
「キュッ!?」
胸を抉る勢いのままダンジョンの壁に激突したニードルラビットは、首をあらぬ方向に曲げて沈黙した。
その成果にベルはほっと息をつく。
(名刀電光丸の防御の再現。まだまだ十分じゃないけど、少しはできてきたかも)
明らかに格上な極彩色のモンスター。
その攻撃を受け流す技術は正しく規格外だが、あの戦いの後にベルは考えた。
名刀電光丸が動かしたのはあくまでベル自身の身体。ならば、あの剣技を再現することは困難だろうが不可能ではないのではないかと。
一度ベルの身体は最適解を経験している。
答えを知ってその過程を積み重ねるのと、答えを知らずに模索していくのとでは成長速度に大きな差があるはずだ。
そう考えてあの瞬間の動きを真似てみたが、想像以上に上手くいった。
(力に無理に対抗するんじゃなくて、その方向性を誘導する。名刀電光丸を使ったときみたいにスムーズな受け流しじゃなかったけど、形にはなってきた)
とは言え、もしもう一度あのモンスターの攻撃を受け流せと言われても無理だろう。
受け流すと言ってもベルはその力の全てを逃しているわけではない。
ナイフを握る手に残る衝撃は、名刀電光丸を使っていた時にはないものだった。
おまけに関節が鈍く痛む。身体に負担がかかるやり方だった証拠だ。
改めてひみつ道具の凄さを感じた。
ベルがあの領域に辿り着けるまで一体どれだけかかるのか。
「焦っちゃダメだ……一歩ずつ、確実に」
サポーターの恩恵は凄い。
冒険を支援してくれる存在がいることで生まれる余白。
それを有意義に使えば成長の足掛かりになる。
今まで苦労をするだけ成長できると思っていたけど、こうやって楽ができるっていうのも人が成長するうえで大切なのだとベルは理解した。
(まだ【
この先さらに下層に潜るのならば、ソロではいられなくなる時がきっとくる。
そうなる前に腕は確かな彼女と専属契約を結ぶのはおかしくはないだろう。
勿論、ヘスティアやエイナと言った第三者の意見を聞く必要はあるが。
問題は僕がサポーターのお眼鏡にかなうかに尽きる。
サポーターは自分では戦えない。つまり、その収入は冒険者の働きに依存している。
それにダンジョンは命がけ。弱い冒険者があっさりやられたら次はサポーターの番だ。
実力のない冒険者について行って道連れになるなど絶対に御免だろう。
ベルの実力がこの先の階層に相応しくないだろうとリリが判断すれば、話はここまで。
【
今回の仮契約はベルがリリを見定めるためのものだが、同時にリリもベルを評価する機会でもあるのだとベルは考えた。
これはサポーターと冒険者のアピール合戦。
ベルがリリをサポーターとして雇いたいと思ったように、リリにもベルと契約したいと思わせなければならないのである。
「ああああああぁぁ‼」
そう考えたベルは、残存するモンスターの群れに飛び込む。
ルーム内の戦場を完全に掌握したベルを止めれるものなどおらず、モンスターたちは次々と蹴散らされる。
「ベ、ベル様‼また産まれてきましたぁ~」
もう何度も見ているモンスター誕生の瞬間。
壁から這い出ようと動くキラーアントは標的をリリに定めた。
リリの警告にベルは即座に反応。
全身のバネを使い跳躍、ステイタスで強化された足でその頭に跳び蹴りを見舞う。
足に嫌な感触が伝わり、産声揚げようとしていたモンスターは、壁に埋まったままダランと力を失った。
「あっ、これじゃ魔石採りにくい……」
倒した後にサポーターにとって仕事がやりにくい形になっていることに気が付く。
失敗した。これでは減点されてしまう。
ちょっと落ち込みながら、ベルは残るモンスターを葬るために再び群れに切り込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(何、アレ……)
リリの目の前で繰り広げられる少年の戦い。
それは異常な光景だった。
両腕で二つのナイフを自在に操り【
この光景を他の冒険者が見たらどう思うのだろう。
やるじゃないかと褒めるのか、まだまだだと告げるのか、少し嫌な性格ならこんなことで手間取っているのかと嘲るのかもしれない。
オラリオの冒険者の中ではまだまだ中堅にも至れない未熟な立ち回り。あの程度の冒険者はいくらでもいる。
だが、少年のキャリアが半月だと言ったら?
おそらく一様に顔を引きつらせるだろう。
『まだオラリオに来たばかりで……恩恵を貰ってから1カ月もたってないですから、ダメなところも多いかもしれないけどよろしくお願いします』
仮契約を結んだ時、そう言ったベルに嘘はなかったはずだ。
人を騙せるような性格には見えなかったし、こんな無茶苦茶な設定を騙る意味もない。
(半月?あれが?何の冗談ですか……っ)
14
この数字は今日ベルが葬ったモンスターの数だ。
1体ならば容易く葬れるだろう。キラーアントはともかくパープルモスやニードルラビットなど武器があれば容易く殺せる。
だが、たった一人でこの数を立て続けに相手取ることがどれだけ難しいか。
これだけの連戦ならば、運が悪ければ前衛が複数いるパーティーを組んでいたとしても万が一はあるものだ。
「ベル様は本当にお強いですね。本当に駆け出しなのですか?」
魔石を回収しながら周囲を警戒するベルに問いかける。
するとベルは『強い』という言葉にキョトンとしながらこう返した。
「そんなことないよ。僕より強い冒険者なんていくらでもいるでしょ?」
謙遜などみじんも感じさせない表情。
彼は思った通りを口にしただけなのだ。
なるほど、今のベルの実力はそこらへんにいる冒険者Aと言ったところだ。
エキスパートには至れない普通の冒険者。
そんな彼らと肩を並べていることに彼は何の違和感も持たないのだろうか。
(……いえ、持たないのではなく、持てないのかもしれません)
ベルの所属しているのは【ヘスティア・ファミリア】という名前も聞いたことがない、団員がベルだけの新興派閥だという。
閉鎖的な【ファミリア】という制度では、リリのようなよっぽどの事情がない限りは他派閥の冒険者と交流せず、パーティーも内輪で組む。
先達を持たない【ヘスティア・ファミリア】で一人冒険者を行うベルには、一般的な冒険者の強さが分かっていないのだ。
恐らく、彼の中の冒険者像は子供の頃に読んだ御伽噺の英雄か、街の酒場で耳にするような武勇伝がもとになっている。
だから自分は強くないと
それはリリが何年かけてもたどり着けない世界だと気が付かずに。
(羨ましいですよ。一人で何でもできる力があって)
きっとベルは天才なのだろう。
他人の努力を嘲笑うように駆け上がる可能性の塊。
リリのような底辺で這いつくばる者には、ただ見上げるしかできない。
卑怯だ。
その才能が欠片でもリリにあれば、きっとリリはこんなリリじゃなかった。
「……まあ、ベル様の強さは武器に寄るところも大きいのでしょうが」
「そうだよね……ちょっとナイフに頼りすぎかも」
「失礼ですがそのナイフはどちらで手に入れたのですか?駆け出し冒険者であるベル様では……」
「うん。不相応かもしれないけど、僕の神様から頂いたんだ。友達に無理を言って譲ってもらったんだ」
「……いい神様ですね。」
リリの神様と違って。
酒造りに没頭して
リリの嫉妬が膨れ上がっていく。
綺麗な心を持っていて。
冒険者の才能に溢れていて。
いい神様と巡り合うことができて。
この差はなんだ。
未来に溢れた
絶望の淵に落とされたときに現れたのがこの少年なんて、もし運命とやらがあるのなら、それはきっとリリを嫌っている。
「……」
「リリ?どうかした?」
「いえ、何でも。それよりベル様、良かったらこれからもリリを雇ってくださいね」
「うん、神様たちに相談するけど、いい返事ができるようにしておくね」
こんなに恵まれているなら、もう少し不幸になってもいい。
惨めな思いをして、歪めてしまえ。
この少年を貶めたらどうするか。
みっともなく泣き喚させてもいいし、怒り狂わせるのも悪くないだろう。
ひょっとしたら激情のまま手を出してくるかもしれない。
そうなればリリの勝ちだ。彼はもう二度と輝けなくなる。
どの道未来がないのなら、好き勝手やって破滅させてもらう。
「はい、リリはいつもバベルにいますから。ゆっくりお考えになってください。リリは決して逃げませんよ!」
ベルを決して逃がしもしないが。
リリは湧き出る悪意を仮面に隠し、見た目相応の子どものような、満面の笑みを浮かべた。
ヘスティア・ナイフ奪われず。
今作のリリの目的は盗みではなく、ベルを貶めることです。
自分が不幸ならお前も不幸になれと言う、めんどくさい拗らせ方をしちゃいました。