薄暗い道に二組の足音が響く。
かつて頓挫した都市計画の名残である地下水路。
そんな場所を歩くなんて滅多にない経験だろう。
リリは前を歩くベルの背を追いながらキョロキョロと物珍しげに辺りを見渡した。
(こうしていると年相応の女の子みたい……っていうのは失礼かな)
出会ってからまだ数日しか経っていないが、今のリリが見せている表情は珍しいものなんだろうなと感じる。
何時もは大人びている少女の浮かべる無邪気な笑みに少年も頬を緩めた。
「それで『地下水路に響く謎の声を暴け』でしたか?ベル様は目星をつけているのですか?」
「それがさっぱりでさ。風の反響なんじゃないかと思っていたけど、
「こんなことでレクリエーションをしようなんてベル様の神様は変わっていますね。」
「あはは……」
恐らくヘスティア的にはリリの見極めはついでで、主目的は探検したいだけなのだろう。
この日のためのしおりをわざわざ作っている辺り、ヘスティアも娯楽好きな神の一柱なのだとベルは感じた。
一般人にとってみれば下水道など精々工事中にチラリとみる程度の物だ。
中に入る機会など、そう言った仕事をしていない限りほとんどない。
だからこそ、稀有な経験を得てオラリオの地下水路に足を踏み入れた者は、想像するような汚水の臭いがほとんどないことに驚く。
地上に比べれば違和感はあるかもしれないが、オラリオが誇る魔石製品の一つである浄化柱によって、下水道とは思えないほど衛生は保たれていた。
そうでもなければベルたちは地下水路にはとても住めなかっただろう。
「しかしこのダンジョンのような雰囲気……まるでダイダロス通りですね」
「ダイダロスは都市計画に深く関わっていたらしいし、影響を受けているのかもね」
奥から聞こえてくる水流の音にかき消されないよう、ベルとリリは普段より大きな声になる。
ここに引っ越したばかりの時は音がうるさくてなかなか寝付けなかったものだ。
「そろそろ着くよ」
「ベル様はよく迷いませんねぇ……」
「毎日のように行き来しているからね。最初の頃は迷って大変だったよ」
特に引っ越し初日が大変だった。
地図を渡されても複雑に入り乱れた構造のせいで、自分たちの現在位置が分からなくなり、半泣きで地下水路を彷徨ったのである。時々襲ってくるレイダーフィッシュから逃げ惑いながら。
……本当に、あの時の僕を見捨てなかった神様には感謝しかない。
「先日ベル様がレイダーフィッシュの群れに襲われた時、あんなに的確に対処していたのは普段からここのレイダーフィッシュを相手にしていたからですか」
「うん。……ここのレイダーフィッシュは土の中は泳がないけどね」
「本当に何をしたんですかベル様」
リリのジト目がベルに刺さる。
それを曖昧に誤魔化しながら、【ヘスティア・ファミリア】のホームに向かう。
ホームと言っても簡素な扉があるだけだが。
その前で仁王立ちして待ち構える幼女。
「待っていたぞ!サポーター君!」
『リリルカ・アーデ君 大☆歓☆迎‼』と書かれた大きな紙が、扉の上で強烈に自己主張している中、応援団のように声を張り上げるヘスティア。
(それ止めてくださいって言ったのに……)
リリを迎えに行く前に恥ずかしいからはがしておいたはずなのに、復活している用紙にベルは顔が赤くなっていることを自覚する。
明らかにヘスティアの身長より高い位置にあることが、ヘスティアの気合の入れようを物語っていた。きっと脚立を持ち出してギリギリまで準備をしていたに違いない。
リボンでゴッテゴテにデコレーションしてあることと言い、神特有の行動力の高さは恐ろしい。
「神様!?恥ずかしいからやめてくださいって言いましたよね!?リリが呆気に取られているんですけど‼?」
「いいや、ベル君‼こういうのは最初が肝心なんだ‼舐められたらお終いだぞ!」
「どこのマフィアですか!」
「【ファミリア】なんて大体そんなもんだ!」
とんでもない爆弾発言がヘスティアから飛び出す。
確かに【ファミリア】には神々の代理戦争的な側面と言う物騒な所もあるが、それを言ったらダメだろうに。
ポカーンと言った表情をしているリリの次の反応が怖い。
「お、面白い神様ですね」
「うん、滅茶苦茶引いてるねリリ……」
ベルの専属サポーターと神様のファーストコンタクトはかなり騒がしかった。
ヘスティアらしいと言えばそれまでだが。
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「コホンッ、それでは改めて、サポーター君歓迎のレクリエーションを開始するッ‼」
結局、ヘスティアにあまり強く出れずに折れてしまったベルによって、ヘスティア謹製のデコレーションはそのまま、レクリエーションは開始された。
「ごめんね……いきなりもめちゃって」
「いえいえ、お二人は本当に仲がいいのだと分かりましたから」
「今日は実に天気も良く……」と長話が始まったヘスティアをよそに、ひそひそと話し合うベルとリリ。
と言うか地下水路なのだから天気はあまり関係ないのではないだろうか。
「……さて、早速レクリエーションを始めたいけど、その前にやるべきことがあるんじゃないかい?」
話半分に聞かれたヘスティアが若干拗ねながらも、レクリエーション前の挨拶が終わった時、ヘスティアは突然そんなことを問いかけた。
「やるべきこと?」
「自己紹介でしょうか?」
ベルとリリは困惑したように声を上げる。
「サポーター君は惜しいね。正解はアイスブレイクだ!」
「アイス……なんですか?」
「ア・イ・ス・ブ・レ・イ・ク!何かを始める前に、メンバー同士で交流することさ!僕とサポーター君は初対面だし、まずは緊張をほぐすことから始めよう」
ヘスティアの言葉になるほどとベルは頷く。
このままレクリエーションをしていてもぎこちない進行になりそうだとは思っていたし、場を温めることも必要かもしれない。
(場を温める。だからアイスブレイクなのかな?)
これからは共にダンジョンに潜る仲間になるのだし、仲良くなって損することもないだろう。
心の氷を打ち砕く。確かに必要なことだ。
こういうことに気が回らないのもまだまだだな、とベルは反省する。
「ベル君の持つアイテムの紹介ついでにちょっとしたゲームをしようか」
「ゲーム?」
「うん。この【雪製造機】を使ってね!」
ホームを出る前に出したひみつ道具をドーンと出すヘスティア。
探索には使えないから置いていこうとベルは思っていたのだが、こういった使い方があったのかと感心する。
戦闘だけがひみつ道具の使い道ではない。もっと頭を柔軟に働かせるべきなのだろう。
「さっきあそこに雪を用意したんだ。この雪を使ってそれぞれ絵をかいてみよう。」
「せっかく雪を用意したんですから雪合戦とかにはしないんですか?」
「ふっ、そしたら怪我をしてしまうぜ。……ボクが」
下界において神々の身体能力は一般人以下。
タケミカヅチのような武神ならともかく、グータラ引き籠り女神なヘスティアには荷が重い。
「……」
「あれ?リリ?」
そこで、余りにも反応がないリリを心配して、ベルが声をかけた。
リリはギギギ……とぎこちなくベルを見る。
「ベル様。なんですかコレ」
「雪製造機だけど?」
「雪製造機だけど?じゃないですよーー‼」
あたり一面に広がる雪景色。
何かの間違いじゃないかと言うほど現実味の薄い光景に停止していた思考が再起動を果たす。
「明らかに性能おかしいですよね?なんでそんなマジックアイテムをベル様が持っているんですか!?」
「えーと、実はある知り合いに貸してもらっていて……」
先にヘスティアと考えていた言い訳を出す。
正直苦しすぎる言い訳だが、ベルのスキルによるものとはリリも思わないだろう。
「これ、しかるべきところに売り払えば一財産築けますよ」
「貸してもらったアイテム一日しか使わせてもらえないから……もらえるアイテムも日替わりだし」
「どんな条件ですか……」
やはり納得いっていない様子だ。
ブツブツと文句を言っていたリリだったが、ふと、あることに気が付く。
「待ってください。もしかしてこの前の怪奇現象って……」
「ごめんね」
「ああああ‼やっぱり‼何がどうなったらあんなことになるんですか!?」
やはりと言うか、当然と言うべきか気付かれた。
前日にあんなことがあったのだから仕方ないが。
「えっと、まず魔石の袋を忘れちゃったから【どこだかドア】でホームに取りに戻ろうとしたんだけど……」
「戻ろうとしたって……え?ひょっとして瞬間移動していたんですか?」
「うん。ドラえもんさん……僕にひみつ道具を貸してくれている人(?)に効果は聞いていたんだけど、上手く使えなくて」
もしかしたらドラえもんさんが言っていたのは別の道具だったのかもしれない。
最初に名前を見た時にあれ?こんな名前だったけ?ってなったし。
「1回目はリリの真上で、2回目はこの地下水路に繋がっちゃったんだ」
「レイダーフィッシュはここのモンスターでしたか……」
「うん、汚水ごと流れてきて襲い掛かってきたから、咄嗟に手に持っていた【ドンブラ粉】と【動物ライト】を投げつけたら……」
「ダンジョンの地面を泳ぎだしたと」
タネが分かればくだらない失敗談だが、あの時のリリからすればホラー体験のようなものだ。
帰る時も泳ぐレイダーフィッシュとゴリラが出てこないかびくついていたというのに。
「アイテムの名前的に考えて、レイダーフィッシュがどこでも泳いでいたのがドンブラ粉、あのゴリラは動物ライトとやらの仕業ですか?」
「投げつけたライトをレイダーフィッシュが噛んだら誤作動して……何匹かゴリラになった」
「ひどい真相ですね」
まだ何もしていないのに体が怠い。
そんなリリにヘスティアはニコニコと話しかける。
「……いやー、傍から聞いている分には面白いね」
「巻き込まれると全然面白くないですけどね」
「分かる」
「か、神様!絵って何を描くんですか?」
アイスブレイクまだしていないにも関わらず、打ち解け始めているリリとヘスティアの様子に居心地が悪くなってきたベルは慌ててゲームの説明を促した。
「おっと、そうだったね。まー木でも描いておいて」
「超適当!?」
「雪に描くのが木ですか……もうちょっと捻ってもいいのでは?」
「木の枝で描くから捻っていることにならない?」
もうグダグダだがヘスティアの言う通りに絵を描き始めるリリとベル。
ヘスティアは彼らの描く絵を真剣な表情で見つめるのだった。
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(しかし木ですか。いざ描けと言われると困りますね)
木と一言に行ってもその種類は様々だ。
葉の形や枝の長さ、木の実の有無などあれこれと考えなければならない。
メンバーの個性をすると言う意味では中々適しているのかもしれない。それをヘスティアが意図しているかはあの様子では怪しいが。
「ベル君の木は大分太めだね?」
「せっかく雪がこんなにありますから、大きく使おうかと」
「うんうん、良いことだ」
木を描いている間もベルとヘスティアの雑談が地下水路に響く。
大したことのない話題でも穏やかな表情で、時には笑い声すら含む二人の会話を静かにリリは聞いていた。
「……」
「リリの絵は凄いね。幹も地面も塗りつぶされていて」
「……え?そ、そうですか?」
「僕なんて適当に線を引いただけだし、ちゃんと塗っておこうかな?」
「おっと、パクりは厳禁だぜ」
そんなことをする奴はおしおきだー、と言って枝でベルをつつくヘスティア。ベルも口ではやめてくださいよーと言っているが、本心ではこのじゃれあいを楽しんでいるようだ。
「でもリリは枝とか葉っぱは描かないの?」
「ええ、形だけしっかりしていれば木に見えます」
しかしこのままでは見た目が寂しいのも事実。
適当に草もはやしておく。
「あんまり適当にしないようにねー。後でボク的に最下位だった人には今日一日このマントを着けて貰うよ」
「ちょっ、神様それって」
「使い方が分からなかったひみつ道具」
「厄ネタじゃないですか!」
既にひみつ道具の厄介さは身に染みているリリは冷や汗を垂らした。
(しまった、適当にし過ぎた)
これでは罰ゲームは確実だ。
チラリと
ベルの絵はよく言えばまとまっている。悪く言えば無難な木だった。
(微妙、ですね。神様的には尖ったデザインのリリの方が受けはいいかもしれません)
「はいしゅーりょー」
「直前であんなこと言うなんてひどいですよ神様」
「いやーびっくりする君たちの顔は面白かったぜ」
あははと笑うヘスティアに脱力しながら同じように笑うベル。
そこには新興で最小単位の
リリの知る者とは違う。
(……ここが、ベル様の
すぐ傍にいるはずの二人が何故か遠く感じられて、リリはその光景から目を逸らした。
自分が情けなくて、リリはすぐに従順で物わかりの良いサポーターの仮面をつける。
そんな彼女をヘスティアは何も言わずに見ていた。
少女の心を覆う氷はまだ砕けない。
ちなみに最下位はベルだった。
ヘスティア曰く無難すぎて面白くなかったかららしい。
と言うワケで前回使ったひみつ道具は【どこだかドア】【ドンブラ粉】【動物ライト】でした。
皆さんはいくつ分かったでしょうか?
感想欄に正解者がいて驚きました。おめでとうございます。
マイナーかつ引っ掛け問題のどこだかドアがあったのに……やはり問題作りは難しい。
ちょっと悔しいので、いつかまたリベンジします。
成功報酬として悩んでいたドラえもん登場を決定しました。
3巻(VSミノタウロス)、4巻(日常回)、5巻(VS黒ゴライアス)のどこで出すか、アンケートを用意しましたので皆さまの意見をください。
※ドラえもんが出るだけだとつまらなくなってしまうので、決定した回に厄ネタぶち込みます。
ドラえもんはどの回に登場してほしいですか?
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3巻(VSミノタウロス)
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4巻(日常回)
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5巻(VS黒ゴライアス)