オラリオの観光名所。その多くは有力ファミリアのホームなのだと誰かに聞いたことがある。
ホームとはファミリアの誇りであり、帰るべき場所。だからこそ、神々はありったけの資金を持って最高のホームを作ろうと躍起になる。
派手好きならば絢爛とした宮殿のようなホーム。職人肌ならば仕事のためにとことん効率化したホーム。あるいは下界の人間たちにはまだ早すぎる先鋭的なデザインのホームなんてものもあるかもしれない。(アイアム・ガネーシャとか)
何れにせよ、有力なファミリアとなればホームにとんでもなくお金をかけているものだ。ヘタにいいホームを作ったせいで貯蓄がない……なんて笑い話もよく聞く。
今、僕の目の前にそびえ立つホームも、そこで暮らすS級ファミリアに相応しいお金がつぎ込まれているのだろう。
僕たちのホームはタダ同然の事故物件だから、こんな立派なホームの前に立つと緊張する。
最も、この緊張はそれだけが理由じゃないけれど。
「ベル様?本当に行くんですか?」
リリが心底嫌そうに聞いてくる。
正直僕も嫌だ。でも、あれを聞いて行かない訳にはいかない。
「迷惑かけちゃったし、ちゃんと謝らないと……」
そう、僕たちが【ロキ・ファミリア】のホームである黄昏の館の前に立っているのは、決して観光している訳じゃなく、先日の騒ぎについて謝りに来たのだ。
特に、ベートさんに。
あの人がキューピッドのやによって植え付けられた恋心の暴走は、今やオラリオ中に知れ渡り、神々によってあることないことを脚色されている。
秘めていた欲望を解放しただの、いや、もともと冒険者たちに厳しかったのは年増(ロリコン基準)ばかりだからだの、好き勝手言われている。
中にはギルドの
「いいと思いますけどねぇ……道を塞いだあっちも悪いですし」
「どっちが悪いって話じゃないよ」
神様も「ロキと関わるだけ疲れるし、いかなくていいよ」とは言っていたけど、人の心を徒に混乱させるようなことをしたならやっぱりナアナアにしちゃいけない気がする。
今まで忙しかったから来れなかったけれど、今日こそちゃんと謝らないと。
「まあ、【まあまあ棒】がありますし、怒っていても大丈夫ですね」
「……」
はい。ウソ言いました。
確かに忙しかったけど謝りに来るくらいの時間はありました。
でも怖いんだもの。
割と殺されても仕方ないことしてると思いますよ神様。
行かなくちゃいけないのは分かっていても、中々踏ん切りがつかなかった時にスロットに現れたのがまあまあ棒だ。
その名前から怒りを鎮める効果があるのではないかと考えて、今日行動に移ったというわけだ。
さっき神様に「ジャガ丸くんって色んなソース出してますけど、節操がなさ過ぎてぶっちゃけ迷走してますよね?」とジャガ丸くんを侮辱(?)する発言をしながら口元をまあまあ棒で押さえたら、「ジャガ丸くんを馬鹿にするなー!」とキレていた神様の怒りが引っ込んでいたから間違いないだろう。
ふつふつと腹の底に煮えたぎるものを感じると言っていたので、時間稼ぎにしかならないだろうが。
怒りを鎮めるひみつ道具を持っていくなんて誠意が足りないと自分でも思うけど、あのままだと怖くて無駄に時間を浪費してしまうと思ったのだ。
(神様に持たされた
とは言え、いざその時が来るとなるとウダウダしてしまうもの。
服装に失礼はないかな?とか、アポイント取れなかったけど大丈夫かな?とか。
今更考えても仕方のないことを考えるフリをして時間を稼いでしまう。
(ああ!もう!考えていると一歩も動けない!)
パンパンッ、と自分の顔を叩いて気合を入れる。
まあまあ棒はただのお守り。誠心誠意謝罪しなければ意味はないのだ。
勇気を振り絞って、男女二組の門番に声をかけようと一歩踏み出した時。
「「あっ」」
「……」
目的の
突然現れたベートさんに僕とリリは思わず声を出してしまう。
それに対してベートさんは無言。無表情。
感情が見えないのが逆に怖い。
虚無、とでも表現できそうなほど
まるで感情が抜け落ちたような生気のないその冒険者が、あの日、地下水路で出会った冒険者とは到底思えない。
「…………テメェら」
ベートさんは僕たちを見ると初めは静かに見つめるだけだったが、やがて全身の毛を逆立たせる。
どうやら感情を失ったというのは気のせいだったらしい。
色を失ったかのように消失していた生気がどんどん増大しているのが分かる。……それを人は怒りというのだろう。
「ノコノコホームに来やがって…………っ」
噂にきく
狼王の怒りを察知して、黄昏の館近くで食べ物を
あ、駄目だコレ。
第一級冒険者の威圧感にランクアップも果たしていない新米が抗えるはずもなく、ベルの足は自分のものではないかのように動かなくなった。
リリも圧倒的な覇気の奔流のせいで顔を青くしている。
そして、なにしたんだ!という無言の悲鳴を門番はあげていた。
ごめんなさい。
「ベル様!?あれを!?」
「まあま…………」
「させるか!オラァ‼‼」
まあまあ棒を取り出してベートさんに向けたところで世界がグルンッと回った。
雲一つない青空だ。
まるで鳥のようにその中に浮かぶ僕は、視界に移る景色に混乱する。
(あ、あれ?ここどこ?)
時間が引き伸ばされたように遅く感じる中、僕は景色の隅に鋭利な建物を見つける。
あれは……黄昏の館だろうか?
先ほど見た物より短く感じるそれを確認した時、自分が空中に蹴り上げられたのだと分かった。
痛みすら感じない早業。
全く予備動作を知覚できなかった僕には、辛うじてまあまあ棒を突き出す動きにカウンターで合わせられたのだろうと推察できただけ。
うん。よく考えたら第一級冒険者にひみつ道具を使う余裕なんてないや。
そう結論付けると同時に引き延ばされた時間は終わり、僕は重力の定めに従って石畳の上に崩れ落ちるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「謝りに来てんならややこしい道具使ってんじゃねぇよ。また例のアレかと思っただろうが」
「ごめんなさい」
あの後、門番の人たちの視線が怖かったので僕たちは黄昏の館から退散し、エイナさんとの待ち合わせに使った広場に来ていた。
あの日は休日だったからカップルも多かったけど、今日はあまり人はいないようだ。
本当はどこかのお店に入るべきなんだろうけど、ベートさんは「いいから早く用件を言え」と嫌がったのでここで謝罪をさせてもらっている。
「っていうか何でお前が謝ってるんだ。お前あの時何もしてねぇだろうが、あのクソ神はどうした」
「えっと……神様はロキ様に会うのを嫌がっていて……」
物凄い剣呑な表情になっていくベートさん。
僕もそうは思ったけど、神様はバレると不味いとかよく分からないことを言って来なかったし。
今だけは恨みますよ神様。
「アーリリガワルカッタデス。ベートサマゴメンナサイ」
「そこのガキの誠意の欠片もない謝罪もむかつくけどな……」
そしてリリの棒読みによる謝罪もひどい。
薄々感じていたけど、リリってもしかしなくても冒険者が嫌いなんだろうか。
冒険者を見る目が時々厳しいと言うか……今ほどじゃないにしても、リリの様付けには複雑な感情が見え隠れしているような気がする。
出だしは最悪だ。
これ、喧嘩売られてるって思われてもおかしくない。
「本当にごめんなさい……あの、これよろしければ」
ロキ様には会いたくなくても、一応悪いとは思っていたベートさんに何もしないのもどうかと思っていたのか、神様が僕に持たせたジャガ丸くんの詰め合わせを入れた袋を手渡す。
「……なんでジャガ丸くんなんだよ」
「神様がこれが最上級のお詫びの品だって聞かなくて」
これに関しては本気で言っていたような気がする。
稼ぎが少なくて、バイトの賄い物のジャガ丸くんでお腹を膨らませていたことが悪かったのだろうか。神様は立派なジャガ丸くん
「お前、もっと自分の意見言っとけ。神なんざ手綱を握らねぇと際限なく暴走するもんだぞ」
「……はい」
「ヘスティアさまはのんびりした性格ですけど、そういう神様でもこだわる時は妙にこだわりますからね」
ベートさんやリリの言っていることはよく分かるんだけど、相手は神様だし、中々難しい。
神様もちゃんと考えがあって、同行に拒否したように見えたし、あまり口出しすべきじゃないと思ったんだけど。
(でも二人に言われるってことは、あまり良くない状況なのかな)
取り敢えず帰ったらちゃんと二人で話し合おう。
「それで?ベート様は今、どんな状況なのですか?市中だと噂に尾ひれはひれついていますが」
流れを変えないと脱線し続けると思ったのか、リリがベートさんにあの後どうなったかを聞いた。僕は怖くて聞けなかったのに凄い度胸だ。
するとベートさんは露骨に嫌そうな顔をした後、舌打ち一つして教えてくれる。
「別に大して変わらねぇ。雑魚どもに目の敵にされんのは今に始まったことじゃねぇ」
フン、と鼻を鳴らすベートさんだったが、そこには虚勢もあるだろう。
その台詞には彼らしい傲慢さが欠けていた気がした。
「うちのファミリアの連中は、今はゴタゴタしてそれどころじゃねぇしな」
「?なにかあったのですか?」
「
なんでも先日の大規模テロで使われたモンスターの
僕たちと地下水路であったのも、その調査の一環であるんだとか。
「フィンの指示で
「
(ダンジョンの中に……街?)
気になる言葉があったが話の腰を折るわけにもいかない。後でエイナさんに聞いてみよう。
リリが言うには上級冒険者の集まるリヴィラならば、深層のモンスターを地上に降ろそうという動きに全く気が付かなかったとは考え難いのだという。
それこそ、ダンジョンにもう一つ入り口があったということがなければ。
「今は18階層に降りるための準備をしてるんだとよ」
「【ロキ・ファミリア】なら中層程度、その日のうちにでも行けそうですが」
「ああ。だが
親指?何かの暗示だろうか。
分からないことだらけの僕は今まで会話に入れなかったけど、一つ気になることがあった。
「あの、ベートさんは行かないんですか?」
「ホームを開けとくわけにはいかねぇだろ。遠征でもなけりゃ幹部全員が出払うことなんざねぇよ」
「……アイズさんは行くんですか?」
「ああ」
リリは言った。【ロキ・ファミリア】ならば中層程度、その日のうちに行けると。
遠い。僕の目標はとんでもなく遠い。
今の僕は上層でやっとなのに、あの人たちはその上のランクすら散歩気分で踏破できるんだ。
改めて突き付けられた現実に、しかし、僕の心が揺らぐことは無かった。
(必ず……僕もその場所へ)
心の中で再度決意を固める。
ふと、ベートさんから視線を感じた気がした。
何かと思って彼の方を向くが、ベートさんはリリの方を見て「うざってぇのはこの騒動が終わってからだな。面倒な噂流しやがって」と話していた。……気のせい、だったのかな。
「……」
「……」
「……」
話すことがなくなると、気まずい沈黙が漂う。
あまり長話するのも失礼だし、この辺りで区切るべきなのだろうか。
でも、謝罪する側からそれを切り出すのは失礼なような気もする。
悶々としていると、ベートさんは舌打ちを一つし、僕からまあまあ棒をひったくった。
「あ、あの……?」
「こいつを口につければ怒りを抑えられるんだな」
「は、はい」
まあまあ棒の使い方を確認したベートさんは、自分の口に白いバツ印を当てた。
驚き、目を見開く僕たちを尻目に、ひみつ道具を外したベートさんは僕を真っ直ぐ見た。
「お前を意気地なしだと見下したことは謝る」
「……え?」
「ミノタウロスから逃げるお前を馬鹿にして、嘲笑ったこともあった。だが、この前の戦いでこっちの目が節穴だったと分かった。……悪かったな」
突然言われた謝罪にどうすればいいか分からず、あたふたとしてしまった。
それを見て、ベートさんは不機嫌そうになり、もう一度まあまあ棒を口に当てる。
「……じゃあな、精々くたばるんじゃねぇぞ」
そう言うと、ベートさんはまあまあ棒を僕に放り投げて
(……何だったんだろう)
粗暴な冒険者というイメージだった青年の予想外の行動で、未だに戸惑い続ける。
こうして僕の謝罪はよく分からないまま終わってしまった。
ヘスティアが来なかったのは、ロキに会ってヴィオラスの件を突かれたら、異端児のことを隠し通せる自信がなかったからです。悪いことをしたとは思っているので、後日、ロキのいないところで直接謝りました。
ベートを見る目が元から最悪というのは嘘ではありませんが、あの噂によってベートがどんなにカッコイイことを言っても(でもこの人ロリコンなんだよな)と思われるようになったことには参っています。
ドラえもんはどの回に登場してほしいですか?
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3巻(VSミノタウロス)
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4巻(日常回)
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5巻(VS黒ゴライアス)