そう、また強くなったのね。
世界の大穴を塞ぐバベルの塔。
その最上階からオラリオを見下ろす女神は、硝子越しに見える白い影に熱い視線を注ぐ。
「それでいい。貴方はもっと輝いて?あなたにはその義務があるのだから」
その瞳に宿すのは深い愛。
母のように慈しみ、女王のように支配的な絶対愛。
フレイヤはベルの魅せる魂に夢中になっていた。
彼の持つ淡く輝く透明な魂。
悠久の時を生きたフレイヤですら見たことがない、その魂がどんな変遷を辿るのか、興味が尽きない。許されるのならば、些事を一切投げ出して彼だけを見ていたいと思わせるほどに。フレイヤは倒錯的な慈愛のまま、蠱惑的に唇を曲げる。
「あら?……また気が付いたのかしら?」
視線の先の少年が不安げに顔を振っている。
ジッ、と見つめているといつも勘づかれてしまう。
ファミリアの
こうして遠目に見守っている現状に思うところがないと言えば嘘になる。
見初めたその瞬間に取り込むことも容易だっただろう。
既に
ロキやガネーシャのファミリアならばともかく、新興勢力のヘスティアなどフレイヤにとっては何の脅威にもなりえないのだ。
それをしなかったのは興味が湧いたから。
フレイヤが直接かかわると、どうあってもその影響を受ける。
彼を自分色に染め上げるのではなく、彼自身がどんな色を纏うのか。
自分のものにするのはその後でいい。
……後は、彼の無邪気な笑みにその気をなくしてしまったからだろうか。
ああいった少年に欲望全開で迫るのは粋ではないと、気まぐれな女神は思ったのだ。
(とは言え、何もしないのも面白くはないわね)
気まぐれであるが故に、ちょっとだけ手を出すことにした。
彼の物語に大きく干渉する気はないが、僅かばかりの手助けならば構わないだろう。
既に彼の中で芽生えかけている可能性を引き出すだけの話だ。
「最近はちょっと魂が曇ってきているし……ね?」
周りを見る余裕ができたのか、近頃は色々なものを背負い込むようになっていると思う。
悪いことではないが、今の彼の器を考えると頼りなくもある。
不可思議なアイテムを使えても、自力がないものが生き抜けるほどこの都市は甘くない。
魂を見るフレイヤの瞳は、他の神によるステイタスを見抜けるわけではないが、今の彼に決定的にかけている物があることくらいは見破っていた。
そろそろ『魔法』は使えていいだろう。
このまま、あの素晴らしい色が霞むのは彼女の本意ではないのだ。
部屋の隅にある本棚の内、中段の分厚い書物の背表紙に指を引っかける。
その本はそのまま彼女の手の中に落ち、重厚な重みをフレイヤに伝えた。
いくつか
(これをオッタルに……いえ、止めておきましょう)
突然、大柄な偉丈夫が本を持って会いに来たらベルはどう思うか。
きっと怖がって震えながら委縮してしまうだろう。
オッタルもオッタルで表面上は無表情でも、この後どうすればいいか分からずに大いに狼狽えるはずだ。
その結果、子兎のように震える少年に、分厚い本を突きつけ続ける猪男というシュールな光景が展開されることがフレイヤには容易に想像できた。
それはそれで見てみたい気もするが、どちらにとっても可哀そうなので止めておこう。
(別に手渡す必要はないわ。彼が手にするだけでいい……そうなるとあそこね)
あの一方的な出会いがあった大通り。
そこで経営される店。
あそこに本を置くだけでフレイヤの目的は達せられるだろう。
月夜に照らされる中、フレイヤはクスクスと少女のような笑みを見せる。
「……あの時の少年か」
故に、彼女にしては本当に珍しく。
傍に控える従者の声を聞き逃した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ベルさん……大丈夫ですか?」
「え?」
シルさんが用意してくれた昼食のバスケットを返却しに行ったとき、僕は突然問われた。
質問の意図が分からず、困惑していると、シルさんは言葉を続ける。
「なんだか最近、思い詰めているようでしたので……」
心配そうに彼女は僕を見つめた。
そんなに僕の様子は変だったのだろうか?……変だったかもしれない。
何せ考えることが多くなり過ぎた。
リリのこと。
それに今もどこかで暗躍している
立て続けに悩み事が増えて、
リリにもこの前気付かれたし、エイナさんも心なしか勉強量を減らしているように感じた。
もしかしたら僕が自覚していた以上に参っているのかも。
「休養はちゃんと取られてますか?」
「はい……この前もお休みを貰いました」
まあ、その休日は柱に頭突きして気絶して、娼館に空からダイブするという休息とは程遠い日になったけど。
というか悩みの種増やしちゃったし。
「うーん。そうなると普段から気を緩める時間が必要かもしれませんね。趣味とか」
「趣味……ですか……」
特にこれといったものは思いつかないが。
強いて言えば英雄譚を読むことだろうか?でも、今は手元にないし……
神様の本でも貸してもらおうかな?難しそうだけど。
「あ、そうだ!」
うんうんと唸っていると、シルさんが何かを思いついたようにポンと手を叩き、壁に立てかけてあった白い本を手に取った。
「これなんてどうですか?」
「え?これってインテリアじゃ」
「いえ、どうやらお客様のどなたかが忘れた物らしくて」
「……いいんですか、そんなの読んで」
「ちゃんと返していただければ大丈夫。ミアお母さんはこれが店にあることをよく思ってませんから、預かっていただければむしろ助かります」
ここは冒険者の客が多いし、冒険者の持ち物ならいい刺激を受けれるかもしれない。
いや、でも、人様の持ち物を勝手に持ち出すのはなぁ……。
その時、シルさんははにかんだ。
「ベルさんの力になりたいけれど、私にはこのくらいしかできませんから、どうか、受け取ってください」
結局僕はシルさんの言葉に甘えて本を受け取った。
その時ちょっとシルさんの柔らかい手が当たって、帰り道にちょっとどきまぎした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ホームに戻り、早速僕は読んでみた。
まだ神様は帰ってこないし、じっくりと読めるだろう。
まずはパラリと表紙をめくる。
『自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・めざせマジックマスター編』
どうやら頭を空っぽにして読める本らしい。
『ゴブリンにも分かる現代魔法!その一』
ちょっと読む気が失せかけたけど、せっかくシルさんが持たせてくれた本。
感想くらいは述べなくてはと我慢する。
『魔法とは先天系と後天系の二つに大別できる』
おっと、内容は割とまじめだ。
どうやら魔法に関するモノらしい。
子供の頃から英雄たちが繰り出す必殺の魔法に心惹かれた身としては興味深い。
これ幸いと内容に没頭する。
ふむふむ、先天系とはエルフや
『その潜在的長所から修行・儀式による魔法の早期習得が見込め、属性に偏りが見られる分、総じて強力かつ規模の高い効果が多い』
つまり彼らは勉強しまくることで魔法を発現してるのだろうか。
エルフは博識というイメージはここからきているのかもしれない。
ところで一文一文の間に走っている数式の羅列は何なのか。
いや、気にしなくていい。
僕が気になるのは先天系ではなく、後天系。
『後天系は
……よく分からない。
具体的に何をすればいい?
分からない。分からない。だからより文字群に意識を向ける。
視線をぶつけるように、或いは引き込まれてるように。
ページをめくる。
『何事に関心を抱き、』
文字の海に埋没する
『認め、』
他に視界に映るものはない
『憎み、 』
意識に上ることもなく、ただ思考の声も文字の羅列をなぞる
『憧れ、 』
これは文章なのか、思考なのか、
世界が広がるいや自分がぼやける?違う境界が溶け込んだ
『嘆き、 』
分からない数式は何時の間にか思考の裏に張り付いて
それはここから学んだものなのか自分の内にあったものか
混迷する内心の声は意味なんてなくてそれでも脳は文書の意味を分かってしまうんです
『崇め、 』
認識が大きくなって文字群が絵になった
めはなくちみみ
ぐにゃりと歪んだ数式がそんな要素を纏め上げる輪郭に
いつ頁をめくったかもわからない。きっと僕はこの内容は観て見ていないのだ
『誓い 、 』
違う、そうじゃない、間違った
これは絵じゃなく顔でした
ううんちょっと違って【僕の顔】
見切れた絵画の顔面体
いいやそれでもなくて【
僕も
『渇望するか。
本から意味が溢れた
氾濫する知識を僕は全て飲み干して
否否否否否否否
ぽちゃんと逆に飲み込まれた
引き鉄は常に己の中に介在するけど、心は広がりすぎて意味不明
そんな僕を
欲するなら
虚偽を許さない鏡はここにある
じゃあ、始めよう
僕にとって魔法って何?
きっと強い物、モンスターを倒す英雄の神秘
起死回生の一手
僕にとって魔法って?
力
弱い自分だって倒せる偉大な奇跡
立ちはだかる全てを倒して未来を切り開く力
僕にとって魔法はどんなもの?
炎
全てを燃やして、飲み込んで、温かくて、消えない
魔法に何を求めるの?
雷のように速く、速くあの人に恥じない存在に
あの人の隣へ、その瞳に……
それだけ?
いいや
叶うのなら届くのなら手を伸ばしていいのなら
英雄になりたい
たった一日だけの友達たちのように、冒険を超えて英雄に
誰も取りこぼさない英雄に
あの人が認めてくれるような、彼らが笑ってくれるような英雄になりたい
子供だなぁ
でもそれが
そう、それが僕だ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「魔法が発現している……」
「えええええええええっ!?」
寝落ちしてそのまま朝になっていたベルは、何故か隣で一緒になっていたヘスティアに仰天した後、早朝のステイタス更新を行った。
するとヘスティアの口も手も止まり、怪訝に思っているととんでもないニュースが飛び込んだ。
ベル・クラネル
Lv.1
力:B765 耐久:D503 器用:B798 敏捷:A832 魔力:I0
《魔法》【ファイアボルト】
・速攻魔法
《スキル》【
・ひみつ道具を具現化できる。
・使用可能な道具は一日三つ。
・一日ごとに内容は変化する。
・現在使用可能なひみつ道具。
【ヤセール】【夢たしかめ機】【強力うちわ「風神」】
【
・早熟する。
・
・懸想の丈により効果向上。
「っっ……」
思わず早朝から騒ぎそうになる口を懸命に噛み締めた。
魔法っ……僕にも魔法が!
早速試したい!
「神様‼行ってきます!」
「ちょ、ベル君!?」
浮かれるベルはそのままダンジョンに向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ダンジョン一階層。
幅の広い一本道に現れたゴブリンが僕を見つける。
唸り声をあげて迫るモンスターに右腕を真っ直ぐ突き出す。
イメージはくうき砲だ。
「【ファイアボルト】‼」
手のひらから発射された炎雷はジグザグに進み、ゴブリンを貫いた。
そして爆光。オレンジの火華が咲く。
ゴブリンは断末魔の叫びすら上げる間もなく黒焦げになった。
「すごい……」
サポーターとして同行したリリの掠れるような声が聞こえる。
後ろから見守っているモダーカさんも驚いたような気配だ。
(よしッ……!)
ステイタスの数値とは違う、目に見えた変化に僕は拳をぎゅっと握った。
近づけた。
この魔法があれば、もっと先に……
──でも、僕が弱いことに変わりはない。
「……」
高揚していた頭が一瞬で冷めた。
魔法だ。目に見えた進歩だ。
だから何なのか。
これでリリの心は開けるか?
春姫さんを救えるのか?
ただ手から炎が出ても何も変わらないのだ。
(念願だった魔法なのに……こんなにも心が重い)
自然と握っていた拳から力が抜けた。
ダメだ、全然心が整っていない。
考えれば考えるほど袋小路に入ってる。
「……ありがとうございます。魔法は試せました。さぁ、予定通り今日は8階層へ……」
その時、ベルは視線を感じた。
無遠慮な銀の視線……ではない。
もっと荒々しい攻撃的な視線だ。
「!?ベル様!前からモンスターが!」
同時に通路を覆い尽くすようなモンスターの群れが迫りくる。
決してモンスターの出現頻度が多くないはずの一階層で。
しかし、その内容が妙だ。
知らない。エイナさんに上層のモンスターの情報は叩き込まれている。
にもかかわらず、いま迫りくる群れにいるモンスターたちは見たことがないものばかり。
「おいおい……なんで中層のモンスターがいるんだ!?」
答えたのは歴戦の冒険者であるモダーカさん。
それは余りにも絶望的な
ミノタウロスが数匹出たあの時に匹敵する窮地。
「ベル‼リリルカ‼決して俺から離れるな!どう考えても人為的だ!」
剣を構え、僕たちを背中に庇うモダーカさん。
大丈夫、モダーカさんは上級冒険者。あのモンスターたちは倒せる。
問題はその後、これを引き起こした何者かによる次の手だ。
(
モダーカさんが警戒しているのは、モンスターに対処している隙に僕が不意打ちされること。
だから全神経を集中して周囲を警戒する。
それは間違いじゃなかった。
「眠れ」
「な!?」
相手が強引にその上を行っただけで。
警戒していたにもかかわらず反応できない速度で接近、それでも辛うじてガードをした剣の上から腕力だけで吹き飛ばす。投石機で打ち出されたかのような勢いで壁に激突したモダーカさんはガクリと意識を失った。
一連の流れをまるで認識できなかった僕とリリはその存在の大きさに圧倒された。
あの時の女の人じゃない。
あの怪物的な威圧とは違う、王者の威風。
顔はヘルムに隠れているが、その視線は真っ直ぐと僕を見据えている。
マントで体を覆っているから、どんな体形かは分かりにくいが優に2
背に背負う大剣は僕の身長よりも大きいかもしれない。
「……なんたる脆弱。なんたる惰弱」
その言葉は動けずにいた僕に向けられたものか。
慌ててナイフを構える。
「その情けなく震える腕はなんだ。その曇った
あの狂気の狭間にいる者たちとは違う、強烈な自我を見せる声色に僕はそう判断する。
ならこの人は何で僕を襲う。
僕に対して何故怒りを向けるんだ。
「あの御方に見初められたというなら示せ、お前の可能性を」
ズン、と大剣がダンジョンの地面に刺さる。
それだけで辺りが揺れた。まるでダンジョンが悲鳴を上げてるみたいに。
「出来ぬのなら……ここで死ね」
意識が途絶しそうなほどの圧力。
リリなんてもう腰を抜かしてしまっている。
自分の顔が引き攣っているのを自覚しながら、僕は振り下ろされる大剣をみっともなく悲鳴交じりに回避した。
【