ベルがひみつ道具を使うのは多分間違ってる   作:逢奇流

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霊体散歩

 まじまじと自分の手を見つめる。

 農民として長年(クワ)を握り続けた手は、マメができていた。

 見慣れたいつも通りの手だ。色が青っぽい事と手の向こう側が透けて見える以外は。

 

「ゆ、幽霊になってる……?」

 

 目の前でストローを咥えたまま動かない自分の体を見て、一体何が起きているのかを理解したベルは途方に暮れた声で呟いた。

 

 始まりはいつも通り、ひみつ道具のスロットを確認していた時だ。

 【ゆうれいストロー】というひみつ道具を具現化して、その効果を確かめようとした時。

 ストローという名前から何か飲み物に関係するひみつ道具かと考え、水を入れたコップであれこれ実験していたら、「俺がガネーシャだ!」という声が【アイアム・ガネーシャ】に突如として響いた。

 驚いてストローを咥えたまま顔を上げてしまったベルは、その拍子に息を吐いてしまい、気が付いたら幽霊として魂らしきものを出してしまったのだ。

 

(いや、今の僕が魂なのかは分からないけど)

 

 神でもないベルには、魂というものがイマイチ理解できていないので、実際は魂ではないのかもしれない。

 とにかく、口から半透明のベルが出てきて、本体のベルは抜け殻になってしまったのだ。

 

「も、戻れるのかな?」

 

 このままでは大騒ぎだと何とか体の中に戻ろうとする。

 この不可思議な現象の原因は間違いなくゆうれいストロー。

 ならば、これを通れば元に戻れるかもしれないと、ベルは何とかストローの口に入った。

 

「──────ぷはっ、も、戻れた」

 

 あのまま一生幽霊という事はないようで一安心だ。

 ちゃんと戻れることができるのなら、安心してこのひみつ道具の検証に移れる。

 一呼吸して再び魂を吹き出す。

 

(まずは自分の状況を確認しよう。さっき確認した通り体は半透明。それに、どこか不健康な色だ。足は……ないや、なんだか煙みたいにゆらゆらしている)

 

 一般的にイメージされる幽霊像そのままの姿だ。

 ひみつ道具の凄さはもう十分に理解した気でいたけど、こんなオカルトめいた能力もあるなんて、やっぱり異世界の技術は凄い。

 【神秘】のアビリティもなしにこれを作ったと言えば、世のアイテムメイカーは一斉にひっくり返るだろう。

 恩恵(ファルナ)抜きでもここまでやれるのだと驚かされた。

 

「壁は通りぬけられるかな?……うん、できる」

 

 見た目だけではなく、しっかりと幽霊らしいことも可能なようだ。

 本体が無防備になってしまうとは言え、中々有用なひみつ道具なのではないだろうか。

 物をすり抜けるという事は、攻撃だって効かないのかも。

 その時、ふと閃いた。

 

(壁を通り抜けられるってことは、何処にでも侵入できるってことでもある)

 

 ならば行けるのではないだろうか。

 ずっと気になっていた春姫の所に。

 闇派閥(イヴィルス)や謎の襲撃者を警戒して、外に出れない状況が続いていたが、攻撃を食らうことがない幽霊の状態ならば大丈夫だ。

 

「早速……いや、ちょっと早いか」

 

 善は急げと春姫のいる娼館に向かおうとするが、太陽の位置を見てまだ人を訪ねるような時間帯ではないと思いなおす。

 ベルは元農民故に早寝早起きの習慣が身に沁みついているが、春姫がそうかは分からない。

 否、夜の仕事ゆえにこの時間帯は就寝時間である可能性の方が高いだろう。

 今すぐに会いに行くのは向こうに迷惑だとベルは考える。

 

(とりあえずお昼頃までぶらぶら散歩しようかな)

 

 今のベルはダンジョンに行けないせいでやることがない。

 【ガネーシャ・ファミリア】の手伝いをしようにも、保護対象者にそんなことはさせられないとやんわりと断られてしまった。

 おかげですっかり暇を持て余してしまった。

 これが穀潰し(ニート)という奴なのだろうか。

 

 とにかく、慣らし運転がてらに周囲を散歩してみよう。

 幽霊の状態ならばいつもとは違った発見があるかもしれない。

 

 【アイアム・ガネーシャ】の壁を透き通ってオラリオの街に繰り出す。

 

「とりあえずダイダロス通りにでも行こうかな、壁を透き通ったり空を飛べる今の僕ならそんなに迷わないだろうし」

 

 本当はこの際にリリのホームの様子を見ておきたかったのだが、ベルは【ソーマ・ファミリア】のホームを知らない。今からリリに聞こうにも、探られてると知ってリリもいい気はしないだろう。

 だから障害物が多いダイダロス通りで、建物を無視して進める今の体を試すことにした。

 

(今の僕が他の人に見えるかは分からない……慎重に進もう)

 

 気分は極東にいるという忍者だ。

 キョロキョロと周囲の人の目を気にしながら建物の陰に隠れていく。

 そして、顔をちょっと壁の向こうに通り抜けさせて中の状況を確認しつつ、建物を通過する。

 最初はびくついてあまり進めていなかったけど、徐々にやり方のコツが分かってきて移動ペースも早くなってきた。

 そうなると最初は一杯一杯で目に入らなかった周囲の情報も目に入るようになる。

 あちらこちらに存在する露天商の商品には鍵がかかり、家の扉の内側には厳重な鍵が欠けられている。

 そして、寝起きが速い子供ならば、既に遊びまわっていてもおかしくない時間帯なのに、人っ子一人存在しない。

 それが何を意味するのか。分からないベルではない。

 

(みんな怯えてるんだ)

 

 いつ現れるか分からない闇派閥(イヴィルス)の脅威に。

 かつて正義のファミリアたちによって壊滅したはずだった都市の闇を感じ、また、暗黒期のような時代が来るのかもしれないと感じている。

 暗黒期には人が死なない日はなく、誰もが苛烈な悪の陰に怯えていたと聞く。

 現在の冒険者の平均年齢が低いのは、かつての抗争で多くの先達が、後の世代のためにその命を散らしたからだとハシャーナは語っていた。

 普段の豪快な様子とは違う、どこか寂し気な表情をしていたのは、彼もその時代に偉大な先輩を失ったからだろうか。

 

 そんな犠牲と引き換えの平和が終わり、また騒乱の時代が来る。

 

(僕はその時どうするんだろう……?)

 

 死の恐怖に震えて、動けないでいるのか。

 力に敗れて、命を落としてしまうのか。

 狂乱に飲まれて、破滅の道を辿るのか。 

 

 いずれにせよ、ベル・クラネルの人生は大きな転換期を迎えるだろう。

 祖父の言っていた言葉、オラリオに行けば否が応でも時代の流れに巻き込まれるという言葉を実感する。

 英雄にだってなれる、という言葉に嘘はないのだろう。

 英雄に必要な試練はきっと有り余っている。

 レベル1では到底かなわない分厚い壁が。

 

 きっと、今の自分の悩みも、この巨大なオラリオの中ではありふれた悩みでしかないのだ。

 

「あれ?エイナさん?」

 

 ふと、街通りの中に制服姿のエイナさんの姿が確認できた。

 お店の店員を相手に、何か真剣そうな顔であれこれ尋ねている。

 ギルドの職員が街中にいるという事は、何かの調査をしているのだろうか。

 

「……その冒険者は【ソーマ・ファミリア】の冒険者で間違いなかったですか?」

「ああ、あの月と杯の紋章(エンブレム)は確かにソーマだ。この前もサポーターから金を奪ってたぜ。ただ最近は……」

 

 途中から聞き耳を立てたから、正確なところは分からないけど、【ソーマ・ファミリア】のことらしい。

 これはひょっとしてベルのサポーターであるリリのことが関係しているのか。

 もしそうなら、聞いておきたい。

 もしかしたら、彼女が自分のファミリアを話すときの何かを隠すような雰囲気のことも分かるかもしれない。

 

「……大変参考になりました。ありがとうございます」

「いいってことよ」

 

 そう思って近づいたベルだったが、生憎話はもう終わりらしい。

 エイナは別れを告げて、店から出た。

 

(あ……話が終わっちゃった……)

 

 ちょっと残念に思うが、こういうこともあるだろう。

 気が付くと、太陽は大分真上に上がっていた。

 そろそろ春姫も起きているかもしれない。

 そう考えたベルはあの日の記憶を頼りに春姫がいた娼館を目指した。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 オラリオの南東区画は他の区画と違い、かなり物静かだ。

 寂れている、とも取れるほどに活気のない街の風景は、世界の中心とまで言われるオラリオのイメージにそぐわないと何も知らない者は感じるだろう。

 しかし、この地域の特色を図らずも知ってしまったベルには、街の風景がどこか退廃的に思えた。

 

(まだ店は何処もやってないみたいだけど……そろそろ日が暮れる)

 

 ベルは夜の南東区画を知らないが、恐らく日が落ちた瞬間にこの区画は一変する。

 冒険者に一時の夢を見せる、ある意味欲望の都オラリオに最も相応しい姿となって。

 そう思うとどこかそわそわしてくる。

 人目を避けて歓楽街に潜入する足取りにも、自然と警戒心が強くなっていった。

 

「また同じ紋章(エンブレム)だ」

 

 そうして辺りに注意を向けているとあることに気が付く。

 あるエリアから建てられている建物のほとんどが、同じファミリアの紋章(エンブレム)を掲げているという事だ。つまり全部がある派閥(ファミリア)の縄張りだという事で……

 恐らく、女神を模していると思われる紋章(エンブレム)は娼婦たちによるファミリア。

 これだけの建物がそのファミリアの支配下にあると考えると、団員数は一体どれだけになるのか。

 

 規模は力だ。

 ダンジョンという無限の戦力を有する存在との戦いを、紛いなりにも経験するベルはそれをよく知っている。

 こういった店の護衛として配属されている眷属がどれほど強いのかは分からないが、店ごとに最低一人配属されていると考えれば、その数だけで脅威だと分かる。

 

(荒くれ者が多い冒険者を相手取る以上、例え非戦闘系のファミリアであってもとんでもない戦力を有していることがある。神様が言っていたのはこういう事かな)

 

 少なくともベルがこの区画で何かやらかした日には、戦える娼婦……所謂戦闘娼婦(バーベラ)たちにボコボコにされるのは間違いない。

 先日のみちび機による『春姫を奪え』なんて指示に従うことは、はっきり言って自殺行為だ。

 

(でも、みちび機が無茶苦茶な指示を出したのってあれくらいなんだよなぁ……)

 

 ベルの知り合いのとある酒場の店主は、かつて在籍したファミリアから脱退して独立している。

 春姫とその人の状況は全く違うだろうが、脱退という穏便な選択肢もありだと思うのだが。

 みちび機がその選択肢を提示する余地が無いくらいに、難しいことなのだろうか。

 例えば主神の性格が最悪で、脱退するのに無理難題を吹っかけて来るとか。

 

「あ、あれだ」

 

 そんなことを考えているとあの日落ちた極東風の娼館が見えた。

 そうそう、あの瓦でできた屋根を突き破ったんだった……あんな固そうな屋根だったのか。

 

 建物はまだ開店前で、中から時々人の声は聞こえるが、まだ開店の準備をしているわけではなさそうだ。

 これならば春姫と話す時間もあるだろうと、ベルは娼館の壁に近づいた後、建物の中に侵入する。……ちょっとドキドキしてきた。

 

(今の僕って不法侵入してるわけだし、拒絶されないかな)

 

 自分がかなり独りよがりなことをしている自覚はある。

 繋がりを失いたくないと考えての行動だけど、向こうからしてみれば迷惑だろう。

 それでもやってみよう……とは決意していたが、だんだんと不安になってきた。

 

 とにかく、もう一回話をしよう。

 そうでなくては何も決められない。

 

 やがて、あの日落ちたと思われる部屋の前に到着した。

 一応聞き耳を立てる……うん、着替え中とかそういうことは無いみたい。

 緊張をほぐすために深呼吸を一つした後、意を決して部屋に入る。

 

「こんにちは、春姫さん」

「?どなたで……!?!?!?!?」

 

 春姫の姿を確認したベルは彼女に声をかける。

 すると彼女は不思議そうに振り返り、ものすごいびっくりされた。尻尾をビーンと立てて。

 驚かれるであろうと予想はしていたが、想像の十倍近いオーバーアクションにこちらも面を食らってしまう。

 

(ど、どうしたんだろう?そんなお化けを見たみたいな……あっ)

 

 そう。今のベルはゆうれいストローで幽霊になっている。

 つまり春姫視点ではあの日であった少年が幽霊として現れているという事で。

 

「クククククククラネル様の足が無くて半透明で幽霊で!?!?」

「お、落ち着いて下さい春姫さん!?」

「つ、つまりクラネル様はあの後……キュ~」

 

 恐怖と混乱の極致に春姫はついに意識を失ってしまった。

 知り合いが幽霊になって現れたのだから無理もない。

 

 その後、何とか春姫にベルがまだ死んだわけではない事を伝えようとするが、春姫は起きてはベルの姿を見てまた気絶を繰り返してしまう、何とか現状を説明した頃には騒ぎを聞きつけた先輩娼婦が春姫の様子を見に来てしまい、ベルはさっきまで散々恐れていた戦闘娼婦(バーベラ)に追い掛け回されてしまう。

 

 何とか逃げ切ったら、魂が抜けたベルの本体を発見してお通夜状態だったヘスティアとリリの前で帰還し、半泣きになった二人にボコボコにされた。

 

 余談だがこの騒動の後、春姫は幽霊が取り憑いている事故物件であると噂され、客足がパタリと途絶えることになる。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 こうして彼の騒がしいくも平穏な日常は過ぎていく。

 しかし、この激動の都市オラリオでは誰もが大きな時代のうねりに巻き込まれる。

 彼の日常に終焉を告げたのは、一つの報告だった。

 

『リヴィラの街にて、闇派閥(イヴィルス)と思しき集団の襲撃あり。現在【ロキ・ファミリア】を中心に交戦中。至急援軍を送られたし。  -ハシャーナ・ドルリア』




 最近幽霊が活発になっているオラリオ。
 これ、フェルズとまた混同されるのでは?

 それはともかく。
 二巻もいよいよ終盤です。
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