飛び散る血しぶきで水晶が赤く染まる。
アイズとレヴィスの戦いは既に決着が付き始めていた。
【ロキ・ファミリア】の中で最も剣技に秀でるヒューマン。
かつては正義の派閥の【疾風】と並び称された次世代の英雄だ。
無論、それだけならばレヴィスには十分な勝機があっただろう。
だが、彼女の剣技に魔法による援護が合わさっては話は別。
水晶の柱の陰から次々とアイズを支援する魔導士二人。
一人は間違いなくレベル6、もう一人も破壊力だけならば第一級並みの砲撃持ちだ。
そんな都市最大派閥の名に恥じぬ魔導士による的確な妨害は、レヴィスの行動を確実に制限し、アイズを援護した。
【ロキ・ファミリア】の幹部を孤立させ、二人掛かりで仕留めるというのが今回の作戦の肝であったが、それを逆に相手にやられてしまっては元も子もない。
粘れば多少は道も開けるのかもしれないが、そこまでやる義理はなかった。
「ここまでか」
小さくレヴィスが呟く。
これ以上の戦闘続行は無意味である。
そうレヴィスが判断を下すまで時間はかからなかった。
「逃がさない」
だが、戦闘の中でレヴィスの脅威を十分に理解したアイズがレヴィスをむざむざと逃がすはずがない。
ここで仕留めなければ後の障害になることは目に見えている。
なんとしてもここで止めるとアイズは鋭くレヴィスに視線をやった。
だがここは水晶が乱立する要塞。
この地形は戦闘をする分にはアイズの味方だったが、レヴィスが逃亡するとなると途端に身を隠す場所が多いフィールドはレヴィスに味方する。
レヴィスの持つ圧倒的な身体能力をもってすれば、アイズの追跡を振り切ることも可能だろう。
「レフィーヤ!逃がすな!」
「【解き放つ一条の光】──」
それを許すわけにはいかない。
リヴェリアの指示にレフィーヤが詠唱を開始する。
いかにレヴィスが逃げようとも必中の魔法ならば関係ない。
ダメージを与えることはできなくとも、光の軌跡を辿った先にレヴィスはいる。
だがレヴィスにとってもそれは承知の上だった。
「──
レヴィスの声に呼応するかのように18階層に轟音が響く。
咄嗟に音がした方向……上空を見ると、太陽代わりの白水晶がガラガラと落ちてきている。
「天井に例の花型モンスターを待機させていたのか……っ」
要塞に攻撃を仕掛ける際に、いざという時のために撤退の準備をしておくことは当然だ。
まして、常識外の変貌を遂げていたリヴィラの街を攻めるとあればなおさら。
敵が既に撤退の手を仕込んでいたことをリヴェリアは理解する。
「已む得んか……レフィーヤ‼詠唱を中断しろ‼」
「え?このくらいの瓦礫なら回避しながらでも……」
「落ちてくるのは瓦礫だけではない……新種も共に落ちるぞ‼」
瓦礫のみでは目くらましにしかなり得ない。
だが、モンスターが落ちてくるとなれば話は別。
建物一つ覆えるほどの大きさを持つヴィオラスが、数十
物理的攻撃手段に高い耐性を持つヴィオラスを確実に仕留めるのは、大火力の魔法で魔石を砕くことができる高火力の魔導士だ。
しかし、魔法の詠唱には火力が高ければ高いほどに長文になるという特徴がある。
レヴィスに【アルクス・レイ】を撃った後に、複数体のヴィオラスを葬るための魔法を用意していたのでは間に合わない。
「数体のヴィオラスが落ちれば、バリケードとなっている柱が崩壊しかねない。今はモンスターの対処が先決だ」
師の言葉に、歯噛みしながら詠唱を中断する。
レヴィスを逃すのは惜しいが、そのために南東の守りに穴が開いては意味がない。
敵の戦力が集中しているのがこの地区なのだから。
上空から落ちてくるヴィオラスにリヴェリアとレフィーヤが対処し始めたことを確認し、レヴィスは脇目もふらずに逃走を開始する。
それを追うアイズだが、レヴィスの身体能力は風を纏うアイズと比する。
このフィールド内で追いつくのは不可能だとアイズには分かる。
このままこの区画を抜けるわけにはいかない。
レヴィスが
「……っ」
唇を結び、反転するアイズ。
最後に確認したレヴィスの無感動な表情を脳裏に刻み込む。
(次こそは……必ず)
久しぶりに胸に広がる悔しさを噛み締めながら、アイズはリヴェリアとレフィーヤの魔力に惹かれたモンスターたちを殲滅した。
指揮官とレヴィスという最大の戦力を欠いた
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「改めて礼を言わせてほしい。君たちの援軍が早急にリヴィラの街に辿り着いたことで状況は僕の想像以上に好転した」
天井の白水晶が輝きを失わないうちに
誰もが長かった戦いに疲れ果て、怠そうに仲間たちと勝利を分かち合う中、今回の防衛線の指揮官であったフィンがシャクティに感謝の言葉を送る。
「そして、ベル・クラネル。君にも感謝を。君の持つひみつ道具が無ければこうも鮮やかな勝利にはならなかっただろう」
続けて言われた言葉にベルは身を固くした。
モダーカには「謙遜もやり過ぎればタダの嫌みだからちゃんと礼は受け取れ」とは言われたが、フィン・ディムナは本来は雲の上の存在だ。
そんな人物に感謝を告げられている現状はどうも居心地が悪い。
「え、えっと……取り敢えず、戻しますね?」
「あぁ、もう
ベルはアスレチックハウスのスイッチを押して装置を停止させる。
すると、複雑怪奇な第二の迷宮と化していたリヴィラの街は、あっという間に元の粗雑な木造りにその姿を戻した。
「……説明は聞いていたが本当に元通りだな」
シャクティはベルが起こした超常の現象に頭を痛めながら呟く。
酒場で酒が入りすぎてついつい口を滑らせるものもいるだろうし、忠の
それだけベルの持つひみつ道具は規格外なのだから。
(偽の噂などで今回の全体像はぼかすことにしているが……人と駆け引きが通じない神が相手では真相を知られるのは時間の問題。どうするか)
今回のリヴィラ救援にベルを同行させた判断は全体を見れば成功だ。
敵指揮官の捕獲と言う出来過ぎた戦果は、間違いなく彼のおかげである。
しかし、彼の今後を考えれば手放しで喜べるものではない。
この先、彼は多くの者に注目される。
「あ、後はあれも解除しないと」
せわしなく持参のバックパックを漁るベル。
この後の苦労も知らずにいるその姿を見ると、どうも見ている方がハラハラする。
(あの少年に重ねているのか……我ながら女々しいことだ)
綺麗ごとのために目を回しながら奔走しているその姿を見ると、どうも昔のことを思い出す。
夕日がよく似合った妹のことを。
「え~と……あった!」
シャクティが在りし日に想いを馳せていると、暫くの間、ガサゴソとバックパックを漁っていたベルが弾んだ声を上げる。
その手に握られるのは赤と緑の玉が大量に入った半透明の袋だ。
オラリオでも珍しい素材でできた袋に注目が行きがちだが、このひみつ道具の真価を発揮するのは赤と緑の玉の方だ。
その名は【しずめ玉】と【うかび玉】。
一つのスロットに現れたこの二つのひみつ道具こそ、今回の防衛戦において重要な役割を果たした。
この中から緑色の玉を一つ掴み、武器庫として利用されていたこの街の元締めの人の店の床に放り投げる。
すると床が水面のように波打ち、その中から緑色の物体が浮き上がってくる。
(うっ……)
生理的な嫌悪感を引き立てるその姿に、分かっていてもつい顔をしかめてしまう。
アイテムなのか、それともモンスターなのか。
嫌に生物的な質感のあるそれは、完全に地面の中からせり上がる。
これこそが冒険者側の秘策。
物体に赤い玉を当てて地中に沈めるしずめ玉と、それを地上に引き出す緑色のうかび玉。
このひみつ道具のことを知らなければ絶対に隠し場所が分からない。分かったとしても手の出しようがない、奪わせないという事に関してはこれ以上ないこのひみつ道具が3つ目だった。
「もっと時間があれば水晶の柱を埋めて敵を下から刺したり、敵が一か所に集まったところで足元から火炎石を浮かび上がらせて君の
(この人コワイ)
どうしてこう、えげつない使い方を考えられるのかとベルは戦慄する。
のび太辺りなら部屋の片づけを誤魔化す、みたいな微笑ましい使い方になるだろうに。
にこやかに悪魔のような使い方を披露してくるフィンにどう表情を返したらいいか分からず、曖昧な表情でその場を逃れようとするベル。
「まあ、過ぎた話は置いておくとして。問題はこの宝玉をどうするかだね」
フィンが言った通り、この緑の宝玉の処遇をどうするかが問題だ。
「詳しく調べたい。我々に預けてもらっても構わないか?」
「ンー。今回はそちらに借りがあるしね。何か分かったら教えてくれ」
「ああ、勇者の知恵はこちらとしても是非頼りたい」
本心を言えば【ロキ・ファミリア】で確保したかったのであろうが、今回は【ガネーシャ・ファミリア】に助けられた都合上フィンはあまり好き勝手なことは言えない。
極東では餅は餅屋とも言う。
都市の治安維持に尽力してきた
「しかし、今回の依頼の報酬はきちんと別途で払ってもらうぞ」
「はは、お手柔らかに」
如何にもな団長同士の会話を繰り広げる二人にすっかり置いてけぼりを食らったベル。
これはもう退席したほうがいいのだろうかとも思ってしまう。
レベル1で貧乏且つ弱小ファミリアである彼にとっては、都市を揺るがす巨悪との戦いなど物語の中でしか縁がないものだった。
はっきり言って場違いもいいところだ。
何かないかと視線を右へ左へと移動させていると、フィンがその様子に気が付く。
「ああ、済まなかったベル・クラネル。こちらだけで盛り上がってしまった」
「そうだな……クラネル。お前はもう退席しても構わない。精々おまえの分の謝礼もふんだくっておこう」
「これは手強そうだ」
そう言って再び団長としてのお話を再開させる二人。
ベルは少し狼狽えた後、「し、失礼しました」と声をかけてから元締めの店を出た。
(なんだか……凄かったな)
話のスケールがもう【ヘスティア・ファミリア】とは違う。
正に英雄たちの戦いが終わった後、と言う感じでつい浮き上がってしまう。
14歳の少年としてはああ言うカッコイイ大人の会話はツボなのだ。何言ってるのかはよく分からないけど。
「よう!坊主!終わったか?」
「あ、ハシャーナさん。はい。先に僕だけ帰されて、今はフィンさんとシャクティさんの二人で会話中みたいです」
建物の外で待っていたハシャーナがベルに声をかける。
ベルとしてもハシャーナとは色々と報告したいこと、話したいことが山ほどあったのでちょうどよかった。
「せっかく18階層に来れたわけだからな、適当に辺りをぶらつくか?」
「はい!」
ここに来たばかりの時は抗争の真っ最中だったから自粛したけど、色々な木材を使ったつぎはぎだらけの冒険者の街は一種の
今は街の機能の修復中とはいえ、一度アスレチック化したおかげで被害はそこまで大きくない。
商魂著しい者の中には戦勝記念として商品の販売を始めていたりする。
「ここは素人なら一度は痛い目見るところだが……坊主はこの戦いによく貢献していたからな。今日はお前からぼったくろうとする奴も少ないだろう」
そこはいないと言って欲しかった。
少し不安になりながらも、ベルは初体験である
そんな時、あの金色の長髪を人ごみの中に見つける。
(あ……アイズさん?)
アイズもベルに気が付いたのか少し目を開いてこちらに視線を向けた。
突然現れた想い人に動揺したベルはあたふたと狼狽える。
(えーと、えーと、そうだ!この前に逃げちゃったお詫びを……)
前回つい逃げてしまったことを謝ろうと、なけなしの勇気を振り絞って声をかけようとする。
ベルの周りから空気が逃げてしまったかのように、肺に上手く酸素が入ってくれないが、何とか息を整えて一歩前に踏み出した。
できるだけ自然体で近づけるように…実際は全身真っ赤だが…自分に言い聞かせながら、妙に重くなった体を動かしてアイズを目指す。
そんなベルに対してアイズはプイッ、と顔を背けた。
「!?」
初めに断っておくが、これはアイズがベルを嫌がったと言うワケではない。
ただレヴィスとの戦闘で心に余裕がなく、己の中から湧き上がる衝動を恥じていたアイズは今はこんな自分を見られたくはないと思っていた所にベルとタイミング悪く鉢合わせしてしまったのである。
そのため、居心地が悪くなってつい顔を背けてしまったのだ。
……人の心を読むことなどできないベルに、そんなことが分かろうはずもないが。
(き、嫌われてた?やっぱりあんな失礼な態度をとっていたから?)
年頃の少年の硝子の心がそれに耐えられるはずもなく。
せっかく振り絞った勇気も沈下してしまう。
じわっ、と目頭に熱いものを感じたベル。
あんな失礼なことをしていい関係を築きなおせるなんて、馬鹿な期待をしていたと羞恥で体中に力が入る。
良くない反応を返してしまったとアイズが気が付いた時にはすでに遅く。
「あの……」
「ご、ごめんなさああああああああああいっ!?」
既に想い人の言葉を受け止める気力をなくしていたベルは逃走を開始した。
手に持っていた赤い玉をばら撒きながら。
「ちょっ、馬鹿お前!?」
あたり一面に散乱したしずめ玉は容赦なく周りにいた物や人物を沈め始める。
「おい坊主!赤い玉をまき散らすな……って逃げ足早!?」
「これ洒落になんねぇぞ!?」
「沈む沈む沈む!?」
「また……逃げられた……」
途端に阿鼻叫喚となる辺り一面。
しずめ玉に当たらなかった一部の冒険者が、沈みゆく同業者や物を引き留めるがそれでは一時的に留める以上の効果しかなかった。
特に何故か心理的に大ダメージを受けていた剣姫は、凄まじい速度で沈んでいったと、とある冒険者はのちに証言している。
最終的に恥も尊厳も捨て去った冒険者一堂による命乞いが、リヴィラの街中に響いたことで事態に気が付いたベルが慌ててうかび玉を使用し、冒険者たちに土下座することで騒ぎは一段落した。
冒険者たちも大した損害は出なかったので、どこでもドアで地上に送ってもらうことを条件にベルを許したと言う。
実はレヴィスが逃走に使った仕掛けはオリヴァスが用意していたものでした。
危険地帯に攻め込むわけですから、退路は確保していたのです。
何処でもドアとか言う移動チートで、あの仕掛けの範囲外に飛ばされたから彼は逃げることができなかったわけですが。