ベルがひみつ道具を使うのは多分間違ってる   作:逢奇流

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君を呼ぶ声

 しんしんと雨粒がフードを濡らす。

 目を凝らさなければ雨粒は見えず、まだ濡れているという実感はさほどないが、空を覆う雨雲を見るにすぐにでも大雨が降り注ぐだろう。

 早朝の人々が活発に動き出す時間帯に湿った空気は中々嫌なものだ。

 小人族(パルゥム)であるリリにとっては、他種族は全て自分よりも一回りも二回りも大きな存在である。

 雑多な人の波の真っ只中はじんわりと暖かく、少し息苦しい。

 

 だがこの有象無象の中にいれば彼が自分の姿を見つけることは無いだろう。

 何せ今の自分の姿は小人族(パルゥム)ではなく妖精(エルフ)だ。

 【シンダー・エラ】の変身は本物さながらにリリの在りようを捻じ曲げる。

 エルフの特徴でもある長耳は触ったとしても紛い物だとは見破れない。

 リリのトレードマークにもなっていたあの大きなバッグパックも持っていない今、今のリリを見ても小人族(パルゥム)のリリの姿を想起することは不可能だ。

 

(……見つからないようにするためなら一度ベル様に見せたこの姿でいる必要はないのに)

 

 武具店のショーウィンドウに映るその姿は金髪のエルフ。

 ベルの本心を確かめようと……今にして思えば絆される心を必死に否定しようとしていたあの日に変身した姿だった。

 リリの【シンダー・エラ】の効果は絶大だ。

 リリがイメージできるものである限り、体格を大きく逸脱しなければ何にだって変身できる。

 それこそ、冒険者ですら見抜けないモンスターへの変身すら。

 

 なのに一度見られた姿を使っている理由は簡単だ。

 どうも、自分は少年に見つけてもらえることを心の何処かで期待しているらしい。

 

(愚かです。ベル様を遠ざけるためにあんなことをしたのに、見つけられたら何も意味がないではないですか)

 

 愚かと言えば先日の自分の行動も全てが愚かだ。

 泥棒の仮面も碌に被れず、重要な場面で本音を漏らすという失態。

 少年に出会う前のリリが見ればきっと嘆くであろうみっともない姿だった。

 あれでもうまくやれていると途中までは本気で思っていたのだから救いようがない。

 頭が回ることだけがリリの唯一のとりえだったはずなのだが、それすらも失うなど最早笑い話だ。

 

 あの少年と契約してから半月もなかったはずなのに、随分と遠い世界に来てしまった気がする。

 リリが十数年積み重ねた時間は、ベルと過ごした数週間に比べれば何ということもないものだ。

 きっとベルに出会うまでリリの人生は空白だらけだった。

 

(変な話です。あんなに怖かったザニスとあれっぽっちの思い出で立ち向かえるなんて)

 

 立ち向かう、何て言うと強くなったようだが実際は弱くなったのだろう。

 感情に振り回されて、一人で【ソーマ・ファミリア】を倒そうというのだ。

 勝ち目など全く見えないのに。

 頭の中で卑怯者の小人族(パルゥム)が囁く。

 諦めてしまえ。

 怠惰に運命を受け入れろ。そうすればいつか来る破滅の時までは穏やかに過ごしていられると。

 どの道お前は神酒(ソーマ)に敵わない。

 今胸に抱く想いも、あの魔性が簡単に塗り潰すのだから。

 

 それでも過酷な破滅に突き進ませるこれは勇気ではなく、無謀なのだ。

 分かり切った結末(敗北)に突き進む暴走に酔っている。

 

 恐怖と罪過に雁字搦めに縛られたこの決断は間違いだ。

 もっと賢い選択肢は幾つもあった。

 

(未練がましいですね……本当に)

 

 小人族(パルゥム)は勇気の種族だと誰かは言った。

 それに対し、リリはそんなはずはないだろうと否定する。

 もしそうなら、リリはこんな惨めなリリになっていない。

 少年たちと一緒に綺麗な所にずっといることができたはずだ。

 

 リリは何処までも薄汚れた泥棒だ。

 自由のためと信じた過去の行いにいつかは苛まれる。

 

 故に清算しなければならない。

 これまでの過ちを。

 

(もし、リリが自首をして今まであったことを洗いざらい話しても、ザニスは逃げられる)

 

 ザニスの恐ろしいところは、ギルドに【ソーマ・ファミリア】が素行の悪いファミリアだと思われながらも「この程度ならば放置して良い」と思わせる線引きの上手さだ。

 犯罪者一歩手前のよくある冒険者崩れのたまり場というのが、世間一般における【ソーマ・ファミリア】のイメージだと言える。

 実際は闇派閥(イヴィルス)に名を連ねてもおかしくないほどに危険なファミリアであるにもかかわらず。

 

 断言しよう。

 神酒の情報をギルドに与えても、ギルドはその危険性に気が付かない。

 神の力(アルカナム)を使用しているのなら分かりやすかったが、ソーマは零能の身。

 スペック的には一般人以下の能力しかないのだ。

 つまり、人を惑わすあの酒は正真正銘技術の産物。

 それの脅威を理解できる者がどれだけいるか。少なくとも書面だけでは分からない。

 仮に分かる者が現れても危険視されるのは主神(ソーマ)であり、ザニスはその陰に隠れて暗躍を続けるはずだ。

 

(【ソーマ・ファミリア】を、ザニスを終わらせるためにはもっと決定的な証拠が必要になります)

 

 そのためにリリはザニスの走狗に身を堕とした。

 ザニスの核心に迫るためには、組織の表層だけではなく、奥底まで見極める必要がある。

 ザニスの手足となれば、あの男の致命的な弱みを握ることもできるかもしれない。

 あの男がそう簡単に手掛かりを与えてくれるとは思えないが。

 

「……」

 

 雨が強くなってきた。

 俄か雨だと予想して傘を持って来なかった人たちが足早にそれぞれの職場に向かう。

 民家に降り注ぐ雨音が響く大通り(ストリート)を人々が小走りで行きかう中、思考に没頭する少女は己の体が濡らされていることにも構わず。先ほどと変わらぬ速度で歩みを進める。

 

 間違っている。

 ザニスの手足となるなんて間違っている。

 だってそれは、犯罪に身を染めるという事だ。

 あの荒くれ者が集まる【ソーマ・ファミリア】の冒険者たちですら、絶対に関わってなるものかと恐れるザニスという怪物の暗部。

 それは想像を絶する悪行だ。

 あの自尊心に溢れた凶暴な本性を知っていれば、それが人の道を踏み外した畜生の類に堕ちることを意味することは想像に難くない。

 

 いつか【ソーマ・ファミリア】を終わらせる。

 そのいつかの前にどれだけの犠牲の山を築き上げようというのか。

 

 リリは今まで殺人を犯したことは無い。

 それはリリの良心が咎めたと言うワケではなく、単に冒険者たちがしぶとくて潰しきれなかったからだが、そんな風にズルズルと最期の一線を超えなかったのは、そこまでする必要性に駆られることがなかったからだろう。

 だが、ここからはリリのエセ盗賊業とはワケが違う。

 もう殺しきれなかったから殺さなかったが通じる甘い世界ではなくなった。

 近いうちに必ずその手を血に染める時が来る。

 

 そうやっていくつもの屍を超えた先に得た結末に、どんな意味があるのか。

 

 心の奥底で悲鳴を上げる泣き虫の少女はそう叫ぶ。

 ベルと出会って気が付いた弱い自分が、最後の最後で躊躇する。

 

(でも、だったらどうしろというのですか!)

 

 仮にベルたちに全てを打ち明けて正規の方法で【ソーマ・ファミリア】を攻略しようとする。

 ある程度は通じるだろう。

 ファミリアの活動は大きく制限されるだろうし、分かっている犯罪行為だけを引っ張り出せば、団員たちを削ぐことだって可能だ。

 だがそこで終わり。

 人の心を狂わせる神酒が全てを御破算にする。

 

 あれはもはや理を破壊する反則(チート)だ。

 法も、駆け引きも、あれさえあればいくらでも捻じ曲げられる。

 あの神は盤外から勝負を有耶無耶にしてしまえる駒を作り出す。

 その手札をザニスは最大限有効に使うはずだ。

 

 上級冒険者は惑わされないという話だが、それは十年近く前の話。

 派閥の管理も放り出してひたすら酒を造り続けるあの神が、その領域のまま止まっているとは考えにくい。

 最悪の場合、上級冒険者どころか神すら酔わせる酒を作り出していてもおかしくはないのだ。

 

(きっとハシャーナ様辺りが聞けば話が飛び過ぎていると笑うでしょうね)

 

 これは神酒(ソーマ)を経験してなければ分からない。

 こんな冗談のような使い方が本当にまかり通るから、ソーマは酒の神なのだ。

 

 【ソーマ・ファミリア】を倒すならば迅速に。

 反撃の隙も与えずに畳みかけなければならないのだ。

 手順を踏まなければならない正攻法では、ザニスの逆転の手を完全に封じることは不可能だろう。

 他ならない秩序の守り手(ガネーシャ・ファミリア)だからこそ、【ソーマ・ファミリア】に隙を見せてしまう。

 上級冒険者ですらないベルはそもそも論外だ。

 間違いなく神酒の虜にされてしまうだろう。

 

 だからリリは毒になる。

 【ソーマ・ファミリア】全体に根を広げ、気が付いた時には手遅れという状況を作り出す。

 それがリリの唯一できる戦いであり、最適解。

 

(勝率は0に等しいですが)

 

 それでも、これならばベルたちに被害は及ばない。 

 成功すればオラリオから膿が取り除かれ。

 失敗すれば馬鹿なサポーターの屍がさらされるだけ。

 今更裏切った冒険者を思い続けているなど、あの金勘定が大好きな男には絶対に理解できない。

 だからベルにザニスの牙が向くことは無い筈だ。

 

 それなのに。心の慟哭は止まらない。

 それでいいのかと胸に浮かぶ問いかけは消えてくれなかった。

 だがどうしろというのか。

 既にリリは選択した。

 少年の下から去り、闇にこの身を浸すという選択を。

 それを忘れてどうするのだ。

 迷いは致命の隙を生み出す。

 悪魔(ザニス)との戦いに、そんな余分なことを考えている暇はないのだ。

 

 そう言い聞かせても、心の中の少女は泣いたままだった。

 萎れた花を腕に抱く幼い少女の声はずっとリリを苛んでいる。

 それで本当にあの人たちに誇れるの?

 

(でもリリにはこれしかないんです。こうする以外にやり方なんて知らない)

 

 馬鹿のように泣きわめいて、ベルの助けを求められたらどれほど良かったか。

 だがそうすれば、ベルにどんな苦難があるか。リリにはよく分かった。

 あの優しすぎる少年は必ず、自分がつぶれそうになるまで背負ってしまうだろう。

 ひみつ道具という反則級の手札があっても、14歳の透き通るように綺麗な少年には酷な話だ。

 他者を頼ることを知らない少女は、そう言い訳して少年を遠ざける。

 自分が傷つくことはいい。

 それでも少年が傷つくと思うと……リリはベルの手を借りようとは考えなかった。

 

 雨はいつの間にか叩きつけるような勢いで地上に降り注いだ。

 動物たちにも予想外の豪雨だったのか、先ほどからあちらこちらで猫や犬が視界を横切った。

 それに人々が文句を垂れながら駆ける中、リリだけは変わらぬ歩みを刻み続ける。

 

 今から向かうのはダンジョンだ。

 ザニスは新たな商売としてダンジョン内のモンスターを壁外に売り飛ばす算段らしい。

 オラリオはかつて地上に蔓延ったモンスターを大穴に閉じ込めておくことこそ役目。

 そんなモンスターを態々売買することは間違いなく違反行為だ。

 これだけでファミリアを潰すほどのものではないだろうが、手札の一つにはなるかもしれない。

 

 リリに求められた役目は餌だ。

 と言っても食われてこいと言われているわけではない。

 リリをモンスターに変身させ、それにノコノコ釣られてくるモンスターを他の手下が囲んで捕獲するという事らしい。

 通常、モンスターとは同族意識を持たない孤独な生き物だ。

 人間を殺す際に同時に襲い掛かることはあっても、連携すること等全くない。

 それどころか、人間がいなければ同じモンスター同士で縄張り争いを起こすこともある。

 モンスターに化けておびき寄せるなど無意味……そう反論するリリにザニスは語った。

 下界の常識から外れた異端のモンスターのことを。

 

「……そう、ですね。もしかしたらそんなモンスターを知ったから揺らいだのでしょうか」

 

 明るみになれば下界の常識が一変するそのモンスターを知り、流石のリリも動揺せずにはいられなかったらしい。

 有り得ないものの衝撃に、心が弱ってしまった。

 情けないことに、無意識のうちに少年に助けを求めてしまったのだろう。

 

 何て都合のいい女だと自己嫌悪する。

 今からそのモンスターを貶めに行くのは誰だ。

 最低の選択肢だとは思っていたが、リリはどうやらモンスター以下の屑になるらしい。

 コソ泥にはお似合いの末路なのだろう。

 自分勝手な小人族(パルゥム)が少年に出会ってちょっとだけまともになり、芽生えた心によって自滅する。

 趣味の悪い神様ならばニヤニヤとしながら見守りそうな滑稽な物語。

 

 ベチャリと泥が顔にかかった。

 大雨の中慌てて走る馬車が泥をはねたのだ。

 こちらを確認した商人はフードから覗く長耳を見ると、コソコソと逃げた。

 神経質なエルフに時間を取られることを嫌ったのだろうか。

 

 どうせ泥などこの雨ですぐに流されると頓着しなかったリリは、ふとギルド前の広場に来ていた。思考に没頭して体がいつも通りのルーチンをなぞっていたらしい。

 ベルと契約していたころは、朝早くにギルドのアドバイザーに会うために、ダンジョンに行く前にギルド本部に来ていた。

 もう、ベルのサポーターではないのにこんなところに来てしまった。

 あの(ホーム)にいたくなくて、時間より早めにダンジョンに向かっていたが、知らぬ間に大分回り道をしてしまったようだ。

 すぐにダンジョンに向かわなければ。

 

 しかしリリの体は動かなかった。

 ギルドに来るまでのベルとの何気ない会話を思い出し、足が棒になったように縫い付けられる。

 広場で立ち止まるエルフの少女に奇妙なモノを見る視線が送られるが、こんな雨の中にいたくないと人々は次々と道を進んでいた。

 

 雨が少女を濡らす。

 フードに滲み込んだ雨水がずっしりと重さを伝える。

 下位も下位とはいえ、神の恩恵(ファルナ)を刻まれた眷属にはどうという事もない重さがリリをその場から動かしてくれない。

 頬をびしゃびしゃに流れていく雨は涙の様で、俯くその姿は帰る場所を失った孤児の様。

 こんな大雨の中飛び回るカラスにすら笑われている哀れな迷子。

 

 いっそこのまま水に溶けてしまいたい。

 弱くなってしまった少女の脳裏に少年との思い出が蘇る。

 それは数えるほどしかないのに、何度も、何度も再生された。

 

「──────リリっ‼」

 

 だから、最初は幻聴だと思った。

 あふれ出す未練が引き起こす現実逃避だと。

 けれど泣きそうな声で名前を呼ばれた記憶はリリの中にはなくて、思わず振り返ってしまう。

 

 そこにベルはいた。

 魔法で隠されているはずのリリを真っ直ぐと見て。

 兎のようにモフモフとしていた髪を少女と同じように泥水で濡らしながら。

 正真正銘、リリルカ・アーデに向けてその名を呼んでいたのだ。




 実際はソーマの神酒はそこまで極まっていないけど、最初の一度しか飲んでないリリの中ではトラウマも相まって実物以上に肥大化しています。
 神酒を悪意をもって使えばヤバいことになるのは、外伝読者の方ならご存知の通りですし、全てが妄想と切って捨てられないところが厄介ですね。

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