鮮血が舞う。
膝をつくのは白髪を泥に汚した少年だった。
対峙するザニスは対照的に無傷。
勝ち誇った顔で剣を弄ぶ。
「何か奥の手でも隠しているのかと思えば……全くの無策とは呆れさせてくれる」
「……っ!」
それは予定調和の光景だ。
レベル2にレベル1は叶わない。
よほど規格外の魔法なりスキルなりがあれば別だが、そうした一握りの天才でなければこの理は絶対だ。
「他に仲間を伏しているのかと警戒してもそんなものはまるで姿を表さない。常識的に考えてお前のような愚か者に助力する者などいるはずもないか」
剣を無造作に横向きに振る。
技術など欠片も感じさせない力任せの一撃。
冒険者になってようやく一ヶ月のベルの方がまだ巧い。
一人前の冒険者が見れば間違いなく失笑ものの剣撃。
だがそれを、神の恩恵が必殺の領域に昇華させる。
視認すら困難な一撃。
ベルはそれを守りに秀でた二刀の構えで何とか防いだ。
この劣勢は戦う前から承知の上。
冒険者たるもの戦う前に敵を知るべし、とは彼の担当アドバイザーの言葉だったか。
彼女の言いつけを愚直に守る少年は既にザニス・ルストラの公開されている情報は予習済である。
(レベルひとつ違えば生物が違うのと同じだ。ザニスさんとの戦いは人間相手のものだと思わない方がいい)
この戦いのために
アイテムだって貧乏ファミリアが備えられる限界まで用意した。
対人の戦いだって、性能の悪い頭なりに可能な限り叩き込んできた。
そんな準備があっても遠い。
レベル差の理不尽を改めて実感する。
「しつこいぞ野兎が!」
弱者の涙ぐましい努力の跡を感じ取ったザニスは嘲笑した。
狐じみた印象を与える顔は嗜虐の色を宿し、暴力に酔うように攻撃の手は過激になっていく。
息ができない。
空気を欲する口を開くために食い縛っている歯を緩めれば、それが致命の隙になってしまう。
あの暴虐の剣を受け止めるなど論外。
ベルに許されたのは受け流すか、避けるか。
最初は距離を取るつもりだった。
最も高い
たが想像を超えた
レベル1の取り柄など知ったことかと潰してくる上級冒険者。
万全を期してなお埋め足りない力の差に怯える心を叱咤する。
精一杯の抵抗で目の前の男を力の限り睨み付けた。
それが気に入らなかったのか、ザニスの攻撃は激しさを増す。
「~~~~~~~ッッ‼」
満足に呼吸もできないベルは、声にならない叫びを上げながら懸命に捌いた。
受け流し損ねて度々走る痛みに顔を歪ませても、決して相手から眼をそらさない。
絶望的なまでに聳え立つ壁がどれだけ高いのかも分からず、無謀なまでに腕を酷使した。
レベル2とはこのオラリオの中では決して強いとは言えない存在だ。
上級冒険者の中では第三級に分類され、都市外ならば強豪とされていても世界最高峰の戦力を誇る迷宮都市では中堅以上のファミリアならば必ずいて、最高峰のファミリアでは雑兵にもなれない。
力、速さ、堅さ、技術。
どれをとっても
だが、ベル・クラネルにとっては今こそが一番の窮地だ。
ベルが格上と戦う時。いつも傍にはその格上と戦える誰かがいた。
現に
だからベルは敵を倒さなくても自分の役割を果たすだけで良かったのだ。
(でも、ここに僕を助けてくれる人なんていない。この人は僕自身が倒さなきゃいけないんだ!)
煉瓦で舗装された地面を転がる。
大きく振りかぶられた一撃で吹き飛ばされた。
倒れた先に出来ていた水たまりは水しぶきを上げ、息の上がった僕の体を冷ます。
「──ハハハッ‼」
哄笑ともに迫るザニス。
それに対し、ベルは咄嗟に水たまりの泥水を掬い、ザニスの顔面に投げつけた。
顔が汚れることを嫌がったザニスは後ろに飛びのき、高揚していた気分に水を差したベルを忌々し気に睨みつける。
ベルもこの絶好の機会に距離を取り、ゆっくりと息を吐き、吸った。
(ああ、良かった。これでもうちょっとだけ頑張れる)
取り入れた酸素が血管を巡り全身に広がる。
呼吸ができたところで劇的に強くなるわけじゃないけれど、空っぽになりかけていた体力に悪あがきするだけの力は溜まったのではないだろうか。
これならまだまだ粘っていられる。
結局、ベルがザニスに勝利できるとすれば相手の失策以外にない。
少なくともベルにはそれ以外思いつかなかった。
ならどうやってザニスの失敗を引き出すか、それを考えていた時ふとヘスティアの言葉を思い出す。
『また店長に叱られた……疲れているとどうしても集中力が……』
人間の集中力というものは長続きしないものだ。
作業が長引けばそれだけ注意が散漫になり、思わぬミスをしてしまうもの。
ならば、格下を倒すのに梃子摺れば?
倒せる相手が倒せない苛立ちと、変化の少ない状況でミスを誘発できるのではないか。
だからベルは決めた。
粘って、粘って、粘り続けて、相手が致命的な失敗をするまで耐えようと。
幼い頃の自分がこんな勝ち方をした英雄を見たら「カッコ悪い!」と拗ねるだろう。
祖父は割と気に入ってくれそうだが。
ドラえもんやのび太は……飽きて途中で寝てそうだ。
ぼんやりとしつつある頭の中で浮かんだ想像につい笑ってしまった。
「……っ何が可笑しい‼」
それを挑発と受け取ったのかザニスは激昂して攻撃を再開する。
足を使った戦いはもうできないだろう。
そんなことをすればあっという間に体力が尽きる。
だからベルは両の足で立った。
守るべき女の子の前で、傷だらけになった体で。
もはや殺意を隠さないザニスの突き。
線ではなく、点の攻撃は捌きにくい。
だからこの攻撃には
二刀を
真っ直ぐと正面の敵を突き刺すための力は、正面の物体には強いがそれ以外の場所から加わる力には弱く、すぐに影響を受けてしまう。
例えるなら弓の矢だ。
どんな速度で飛んで行ったとしても、横風の影響を受ければ狙いとは全く別の場所に向かってしまう。
ザニスの剣に双剣を滑らせたベルは、そのままザニスの懐に飛び込む。
視線と視線がぶつかり合った。
脳裏に思い描いていた蹂躙劇とかけ離れた光景に目を見開くザニスをよそに、渾身の力で剣を弾き上げる。
剣はくるくると宙を飛ぶと、甲高い音を出しながら闇の中に消えた。
「待っ────────」
「ああああああああああああああっっっ‼‼‼」
その隙を逃がさず、全力で頭突きを見舞う。
レベル2の敏捷で向かっていた反動をカウンターに変えて、ベルの額に何かがつぶれる感触と共に雨水以外の液体がかかった。
砕けた眼鏡が地面に転がって泥まみれになったことも気に留めず、ベルは双刀を捨てて飛びつくように殴り掛かる。
今しかない。
今、この瞬間に全てを出し切る。
潰れた鼻を追撃するように直突き。
畳みかけるように左腕は回し打ちを放つ。
(息を整える時間を与えたらさっきまでの繰り返しになる‼ここで、一気に‼)
一撃、二撃、三撃、四撃、五撃。
ベルが攻撃の手を緩めることは決してない。
体全体を連動させて、攻撃の手を休めることなくつなげていく。
毎日欠かさず続けてきた鍛錬はベルを裏切ることなく最高の連撃を実現させた。
熱い。
体が炎になったようだ。
体内を駆け巡る熱は刹那の力。
限界はすぐに来ることをベルは感じ取っていた。
だから、もっと力を籠めろ。
泥水にまみれて痛む傷口の熱すら体を巡るそれと同じだと錯覚して、限界以上に力を出す。
その対価にブチブチと体中の糸が切れていく光景を幻視する。
無茶は力の前借だ。
必ずその代償を払う時が来る。
……そんなの知ったことじゃない。
今はとにかくやれ。
お前の望むモノはなんだ。
お前の望む未来はどこだ。
ベル・クラネルの決断を今こそ示して見せろ。
「────あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」
獣じみた
この声を聞いた住民はこれを発した人間が、あどけない少年だとは誰も思わないだろう。
そう、今の少年は獣だ。
がむしゃらに勝利を求める血に濡れた兎。
非力で、臆病で、だけど守るべきもののために牙を剥く。
「……舐めるなああああああ!?」
だが少年の攻勢は長くは続かない。
地力で勝るザニスは決して無視できないダメージを受けつつも健在だ。
出鱈目に振るった拳は苦しまぎれもいいところだったが、熱に浮かされ攻撃に没頭していたベルは回避できない。
九撃目の打撃と半ば相打つ形で食らってしまう。
腰が入っておらず、レベル2の
しかし、そんなラッキーパンチがベルの連撃を止めた。
即座に荒々しい蹴りを見舞ったザニス。
その息遣いは荒い。
歯牙にもかけなかった相手からのまさかの反撃。
潰れて血を流す鼻の痛みが屈辱を燃え上がらせ、
「このっ、汚らしい底辺冒険者が‼誰の、誰を相手に喧嘩を売ったと思っている!?」
仰向けに地面に倒れたベルを容赦なく踏みつける。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすその姿に普段の理知人を気取るザニスはいない。
「夢に酔った無知蒙昧の輩が‼何を勘違いした!?貴様などマジックアイテムがなければそこらの鼠にも劣る畜生だ‼私はレベル2だぞ!?貴様などっ、貴様など!?」
力任せにベルの腹部を踏みつける。
何度も、何度も、鬱憤を晴らすように。
上級冒険者による甚振りはベルの骨を砕き、内臓に傷をつける。
口から吐き散らした嘔吐物はやがて血の混じったものに変わった。
「ベル様っ……!ザニス様!分かりました!もう、ホームに戻……」
「喋るなアーデ‼」
ひみつ道具の効力を発揮するために、
「すでにからくりは見えている!貴様らの切り札のマジックアイテムは条件を満たすと発動する‼貴様が【ホームに帰ろうとすること】がその条件だ‼」
翻弄される団員たちを見てある程度の推測を立てていたザニスは、リリの妨害を防ぐ。
第三のひみつ道具【すて犬ダンゴ】。
ドラえもんが来たという22世紀において、捨てたペットが再び家に戻ってくることが無いように食べさせるというこのひみつ道具の効果は家に帰れなくなること。
時にアクシデントが、時に他人が、ホームに戻ることを妨害する。
ベルとリリはそれを【ソーマ・ファミリア】との戦いのサポートとして使っていた。
「それならばホーム以外の宿を用意して飼殺す気だったが……これまで我々に守られておきながら恩を忘れた裏切り者が‼もういい‼ここでそのガキと死ね!アーデっ‼」
リリがソーマ・ファミリアに戻ろうとすると事故が起きるというならば、ホームに返さずに首輪だけつければいい。
そう考えていたザニスだったが、ベルの手痛い反撃によって頭に血が上り、リリの粛清を口にする。
(たかがサポーター風情にここまでこだわったのが失敗だったのだ‼ガキともどもモンスターの胃の中にぶち込んでくれる!)
怒りのままリリすら抹殺しようと少女に向かうザニス。
その足をベルの腕が掴んだ。
「……あ?」
力などない。
先ほどの連撃への仕返しとばかりに加減もせずに十数回腹を踏みつけ、胃の中のモノをすべて吐き出させたのだ。
現に足を掴む腕は震えていて、絶え絶えの呼吸など擦れている。
だが、ザニスを射抜くその視線は。
暗く澱んだ街で力強く色を発する
それは、どうしようもなくザニスの神経を逆立てた。
「何だその目は~??……何なんだ‼」
リリまで向かっていた体を反転させ、ベルの頭をボールのように蹴飛ばす。
その衝撃で少年の体が僅かに浮き上がり、水しぶきと共に石畳の上に落ちた。
リリの悲痛な叫び声が木霊す中、ザニスはベルの喉元を踏みつける。
「まだ分かってないのか!?何処まで愚かなのだお前は‼死ぬんだよ!お前も、アーデも、化け物共の餌になって死ぬんだよ‼」
引き離そうとしたリリを一蹴し、足に力を籠める。
空気を求める口がぱくぱくと開き、痙攣するようにベルの体が震えた。
それでも瞳は変わらない。
「それかこの期に及んで誰かが助けてくれるとでも勘違いしているのか?だとしたら御目出度いことだ」
それが気に入らなくて、もう一度少年の頭を蹴り飛ばした。
そして苛立ちのまま傍で倒れるリリを蹴り飛ばそうとして、また、ベルに止められる。
もつれかかるようにザニスの足にしがみつくベルを無様と笑い飛ばそうとして、再び少年の変わらない瞳に気づいた。
「っ……いい加減見苦しいぞ‼現実を理解しろ‼お前は弱者で‼俺は強者だ‼敵うはずなどないのだ!こうして時間を無駄にさせていることを申し訳ないとは思わないのか?恥ずかしいとは思わんのか!?」
少年を振り払う。
もはやあちこちを切り傷とずり傷、そして打撲痕で飾るその姿は痛々しい。
喉すら傷めたのか何度もむせ込み体をふらつかせる。
そんな少年を前にザニスは一歩下がっていた。
無意識のうちに、本能が少年に屈していた。
それに気が付き再び顔を赤く染めあげる。
(追い込まれている……?何故だ!立っているのは私で、ボロ雑巾のように転がっているのが奴だ。既に死体同然の奴に何故……私が追い込まれる!?)
視線がザニスを射抜く。
体は碌に動かない、声など出すのも億劫だ。
それでも、その真っ直ぐな魂を体現するかのように透き通った瞳が告げていた。
『貴方には絶対に負けない』
「その目を見せるなアアアアアアアァァァッッッ‼‼!?」
半狂乱になってベルを叩きつける。
執拗に顔面を狙い、少年の白髪を彼自身の血で染めた。
ついには馬乗りになって殴りつける。
止めようとするリリの声など耳に入らない。
「止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ……っ」
気づけば少年は息も絶え絶えな状態だった。
意識はもうろうとしているはずだ。脳に何らかの障害を抱えていたっておかしくはない。
だが、真っ直ぐな瞳は変わらないまま……
「ひっ、ぐ……!」
その視線に耐えられず、半ば救いを求めるようにキョロキョロとあたりを見渡す。
その瞬間。
「あ……」
黒いナイフを見つけた。
「ひ、ひははははは……ひゃはははははははははは!?」
狂気的な笑いを纏うザニス。
ああ、最初からこうすればよかったのだと仮初の余裕の仮面を被り直す。
殺してしまおう。
殺して、魂のなくなった死体からこの赤い瞳をくり抜いてしまえばいい。
後は
いつだったか見た悪党どものアジトの鍵などよりよっぽど綺麗な赤色だ。
そんなことを考えて、笑いながら少年のナイフ拾う。
「駄目じゃないかァ~得物はもっと大切に扱わなきゃああああ!?」
振りかぶった黒い刃が目指すのは少年の左胸。
駆け出し冒険者には不釣り合いな己の武器で死ぬがいいとザニスは狂笑をもって勝利を確信する。
少年に止めが刺されようとし、リリの叫びが口から零れた瞬間。
鈍い音を立てて兎鎧が主を守った。
「……は?」
呆然と弾かれた刃を見る。
業物だったはずだ。
対峙していてこの武器にだけは背筋がひやりとするくらい。
武器の鑑定などできないザニスですらわかる業物。
それが何故弾かれる?
(アーマーが優秀だった?いや、ナイフの刀身が死んでいる……?)
紫紺の光を放っていた刃が、ザニスの手の中では沈黙している。
ザニスには知る由もないことだ。
このナイフは少年の主神がありったけの想いを込めて贈った神の刃。
ベル・クラネルを生涯の伴侶とし、彼の女神の眷属以外に握られることを拒絶する、真の意味での
業物が鈍らに変貌したことによる動揺。
これこそベルの求めていた最大の隙。
ヘスティア・ナイフをザニスの傍に捨てたのも全てはこのための布石。
声にならぬ雄叫びを発し、ザニスの顔面に掴み掛る。
既に勝負はついたと油断していたザニスは、突然の攻撃にバランスを崩して倒れ込んだ。
(このまま頭を石畳に叩きつける気か!?)
ベルの狙いに気づき、だがそれは耐えられると冷静に計算するザニス。
歯を食いしばって反撃に備えた。
だがザニスは忘れていた。
ベル・クラネルをひみつ道具頼りの冒険者と侮るあまり、彼のそれ以外の武器を。
この状況でベルだけが許される世界の唯一。
詠唱不要の速攻魔法を。
「ファイアボルトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼‼‼」
大雨の中に小さな火が瞬いた。
ザニスを石畳に叩きつけると同時に発動した炎雷は掴まれたザニスの顔面に勢いよく炸裂する。
絶叫すら燃やされるザニス。
最弱の魔法とは言え、その威力は馬鹿にできない。
魔力の衝撃と石畳に叩きつけられた衝撃、そして口の周りの酸素を燃やされたことにより、ザニスの想定を超える威力の一撃は容易く男の意識を奪った。
「……」
その光景をリリは忘れられないだろう。
顔から煙を立ち込めさせながら気絶する
それでも、リリに向けてくれたのは笑顔だった。
体中が痛くて、無理矢理作ってくれた不格好な笑みがこの戦いが真に終わったのだと理解させる。
「リリ……」
今でも戸惑う心はある。
自分はここにいていいのか。
罪を償わなければいけないのではないか。
汚れた自分に彼の傍にいる資格などないのではないか、と。
だが、もう我慢はできない。
この少年と一緒にいたい。
偽らざる想いが溢れ出す。
いつか、報いを受けるのかもしれない。
それでも今この瞬間だけは恥知らずな未来を願わせてほしいと思う。
「もう、大丈夫だよ」
少年の笑みにまた、涙が溢れ出す。
幼子のようにコントロールの効かない感情の渦に身を任せて泣いた。
気が付けば雨はとうに止んでいて。
憎たらしいほどに青い晴天が少年と少女を見守っていた。
三つ目のひみつ道具は【すて犬ダンゴ】でした。
結構感想欄でも正解者が多かったですね。
そして、ザニスとの因縁にもついに決着。
……これ普通死なないかな?
この後、顔面火傷でのどが焼肉状態のザニスに容赦なくスナオンを突っ込む合法ロリの姿があったとか。