「また来れたね、10階層……」
霧に包まれた階層に初めて降りたのは一・二週間ほど前の話だが、その後は【ソーマ・ファミリア】とあれこれあって、再挑戦はできていなかったのでかなり久しぶりに感じる。
「あの時でも十分に通用していましたが、今のベル様はレベル2。以前とは比べ物にならないほど難易度が下がっているはずです」
「そう、なのかな?」
ギルドによって定められている適正階層はレベル2ならば中層だ。
そこそこ鍛えたレベル1が
とは言え、冒険者ベル・クラネルの
10階層以上の階層に至っては、ちょうどリリの離脱騒動が重なったこともあって皆無と言ってもいい。
ダンジョンにおける脅威の指標の一つである大型級モンスターが現れるのは上層後半から。そこでの経験が十分でないうちに到達階層を増やすのは問題だろう。
アドバイザーであるエイナさんも、せめて大型級の間合いに慣れてから中層を目指したほうがいいと忠告してくれた。
(何より、ランクアップ後の感覚のズレって言うものがどの程度なのかも分からないし)
ランクアップをする際に、エイナさんに特に注意されたのが器の昇華による感覚のズレだ。
僕の戦い方はレベル1であった時の身体能力を基に構成されている。
それがランクアップによっていきなり身体能力が上がるわけだから、戦い方に支障が出るのは当たり前だと言えるだろう。
それでも格下相手ならごり押しはできるだろうが、不測の事態になった時に自分の実力を十全に発揮できないというのは痛い。
だからランクアップした冒険者は、まずは自分の向上した
正直、普通に生活している分には何も変化はなかった。
神様はスイッチが入るとその差を実感するだろうとは言っていたけど。
「まずはインプ辺りから始めますか? 」
「そうだね……オークの重い一撃は今は怖いかも」
この階層に到達するまで殆ど戦闘はなかった。
多分、僕の前に上級冒険者が通ったんじゃないかな。
狩場を巡るならともかく、下の階層を進むならショートカットとするわけだから、道が重なることもあるだろう。
そうなるとダンジョンで飛び跳ねて確認するのもどうかと思ったので、前回苦戦したこの階層に来るまでステイタスのチェックはできなかったというわけだ。
「なら、前方にいるインプの群れを目標にしましょう。数は5体です」
「分かった。ひとまずリリは手出ししないで」
まだ向こうは気が付いていない。
つまりは
瞬時に脳裏で戦闘の流れをシミュレートした僕は右足を叩きつけるように跳躍した。
白色のカーテンを抜けて潰れた犬のようなインプの醜悪な姿が目に映る。
戦闘だ。
ナイフを握る力は不要な分まで入り切らないように、適度な脱力を意識しつつ力の解放の瞬間を待つ。得物の間合いとコボルトの首が重なる瞬間を待って、待って……戦いののろしを上げる時が来た。
ナイフで一閃する。そう脳が神経に命令したことを
カチリッ、と意識が切り替わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ヒィエ……?」
インプから上がった声は想像とは違い小さなものだった。
それは現れた
一体何が起きたのか分からないという困惑。
インプたちは硬直し、唯一声を出せたのは空高く舞い上がった首だけだった。
驚きはベルも同じだった。
だが、ベルのシミュレーションでは奇襲の最中にインプたちは自分に気づき、対応を遅らせつつも応戦してくるものだと思っていたのだ。
しかしインプはこちらに反応しなかった。
否、できなかったのだ。
(速い……これがレベル2の力)
ようやく同胞が一体やられている現状に気が付いたインプたちは、大慌てでベルに殺到する。
静寂を纏っていた草原に立ち込める殺気の数々。
レベル1の頃ならば竦みはしなくても、一筋の汗が額に伝ったことだろう。
「でも、今なら‼」
襲い掛かるインプを跳躍で躱し、すれ違いざまに脳天に一突き。
2体目のコボルトも自信が何をされたかすらわからず絶命した。
軽業師じみたアクロバティックに、目の前の敵の力を理解するインプたちだったがもう遅い。
「ヒィエ!」
「ヒギャッ」
それでも衰えぬ殺意は
慌てずに翡翠色のプロテクターから
ナイフの間合いを意識していたであろうインプたちに、間合いが長い短剣は不意打ち気味の一撃となり、一体は喉元を切り裂かれ、その攻撃に驚いた一体を
「ギャ!?ギャ!?」
あっという間に最後の一体となったインプが大いに狼狽える中、ベルは最後の得物に一気に接近する。
「ベル様!新手です!」
「!」
その時、リリの声がベルの耳に届いた。
どこか焦ったような声にベルは新たなモンスターに気が付く。
(ハード・アーマード!)
ベルと同じ体躯の
本来は11階層に分布するはずの上層では上位に位置するレベル1熟練者の壁。
10階層であるここには本来出現するはずがないモンスターに、ベルはダンジョンでは稀によくあるモンスターの階層移動があったことを悟る。
ハード・アーマードの特徴はキラーアントのような硬い甲羅。
ドワーフの怪力すら寄せ付けない防御力は、レベル1では白兵戦は困難。強力な魔法を発現してようやくだと言われている。
間違いなく11階層より先の難易度を上げるこの鉄壁は攻撃にも転用される。
「体を丸めた……っ、気を付けてください‼ベル様!」
(ハード・アーマードの回転攻撃!)
嘘か真か冒険者のパーティーを纏めて蹴散らすこともあるという玉弾。
力と速さを兼ね備えた一撃は上級冒険者へと至れる者の選別だ。
無慈悲な暴威があっという間にベルとの距離を縮める。
「ロオォォォォッ‼」
雄たけびと共に襲い来る車輪。
発見に遅れたベルの回避が致命的に遅れた。
その俊足を持ってしても回避は間に合わない。
迎撃しようにも、中途半端な一撃では弾き飛ばされるだけだろう。
力で対抗するのは困難。ならば魔法で迎撃する。
「【ファイアボルト】!」
タイミングをずらした二発の炎弾。
今までにない爆音が霧を揺らす。
より速く、より強くなった炎雷はハード・アーマードの突進を押しとどめた。
そして衝撃に耐えられず、攻撃の体勢を解除してしまったハード・アーマードは甲羅で守られていない腹部を見せてしまう。
暴かれた弱点に吸い寄せられるように遅れてきた炎雷が飛び込む。
「ガッッ!?」
断末魔と共にハード・アーマードは魔法で貫かれた。
レベル1では一対一など自殺行為と言われるほどに強力なモンスターを倒せたことに驚く。
(魔法も強くなっている……っ)
神様の言うとおりだった。
全然違う。段違いだ。
攻撃、速度、魔法までも。
今までの自分は何だったのだろうかと言いたくなる次元。
これが【ランクアップ】。これが神の恩恵。
ようやく憧憬に一歩近づけたという実感がベルを包んだ。
「ギャッギャア!?ギャアアアァァァァ‼」
生き残ってしまったインプは出鱈目な魔法の威力に混乱している。
足を止めてしまっているモンスターに手加減をする理由はない。
回収したヘスティア・ナイフで止めを刺した。
「凄いですね……レベル1の時の最終的なステイタスはどのくらい高かったのですか?」
「えっと……全部S」
「アビリティオールSですか。やっぱりベル様は滅茶苦茶ですね」
ちょっと引き気味に言われた。
ベルの戦い方はヒットアンドアウェイ。
本来ならば耐久は上がりにくいのだが、ザニスとの戦いでボコボコにされたのが効いたらしい。
治療してくれたナァーザさんは、下手をすれば後遺症が残っていてもおかしくないと言っていたくらい殴られていたから、最後の最後にグーンと上がったのは納得かもしれない。
(神様は凄い筈なんだけどなんか足りないような……とか言っていたけど。でもS以上なんてなるわけがないし……)
それとも何かスキルを獲得できるチャンスがあったとかだろうか?
神の勘と言うのは過程を無視して結論を見つけるものだから、はっきりと説明できないようだが。
「でもこれでレベル2の力はよく分かりましたね。大型のモンスターに慣れたらアドバイザーの方に中層に向かうための相談をしてみたらどうでしょうか」
中層と言う言葉に急に不安になる。
とんとん拍子でここまで来たせいでどうも不安だ。
この先にはミノタウロスだっている。
そうなった時にちゃんと戦えている自分がイマイチ想像できないのだ。
(やっぱりもうちょっと準備を……でもそれだといつまでたっても先に進めなそう)
今まではサクサク階層を降りられたのに、急に怖気づいてしまうのは5階層でミノタウロスに襲われたのがトラウマではないけど、頭の片隅で引っかかる。
襲われてからまだ一カ月も経ってないから記憶もまだ鮮明だ。
あの時よりはステイタスも成長しているし、もうちょっとまともな逃げ方ができると思うけど。
「‼ベル様!モンスターが集まってきています」
「もしかしてさっきのコボルトの声が聞こえたのかな?」
重い足音からして多分オークだと当たりをつける。
白兵戦と魔法はもう試したから、次はスキルを試してみようと
「フワフワ銃~」
腕から発せられる光が形を成す。
特に光の強さに変化はないようだ。
(あ、でも少し構成する速度は速くなっている気がする)
前までは5秒くらいかかってたのが少しだけ早くなっているのかもしれない。
1秒くらい。
ランクアップによってスキルの力が強化される時があるとは聞いていたから、もしかしたら生成のスピードが速くなるとは思っていたけど、1秒じゃ誤差みたいなものな気もする。
これは多分遠距離攻撃をする武器だ。
くうき砲と先端の部分が似ている。
「銃って言う名前なら使い方は分かる!」
標準を定めるための突起にオークを合わせ、引き金を引く。
何も起きなかった。
「……」
「……」
「……」
冷たい風が流れた気がする。
心なしかオークも困惑しているのではないか。
「使い方は分かる!」と自信満々にひみつ道具を構えたベルは羞恥心で顔が真っ赤だ。
ランクアップによる全能感でちょっと調子に乗りすぎたと反省した。
「ブグルァッ!」
気を取り直してと言わんばかりにオークが丸太のようだ腕を振り下ろす。
それを慌てて回避したベルはもう一度引き金を引くが変化はないままだ。
「ベル様!リリがそのひみつ道具を使うので投げてください‼」
「ご、御免!お願い!」
フワフワ銃を投げ渡すと、ヘスティア・ナイフを逆手に構える。
動揺したままでは10階層屈指のモンスターを相手するのは危険だと一つ大きく息をついた。
(まずは落ち着いて、このオークは
「【ファイアボルト】!」
4条の炎雷が当たりの
これでオーク対策である
後は素手のオークを倒すだけ……
「とはいかないか……」
「ギィエ!」
「ギャギャッ!」
インプたちや追加のオークが集まり始める。
ダンジョンと言うのは静かな時は本当に静かなのに、いざ戦いになると次々と現れるのはどうしてか。
「オオオォォォォ!」
既に棍棒を装備していたオークの攻撃を側転をするように辛うじて避ける。
その瞬間、ビキッ、と不吉な音がベルの耳に入った。
鉄が割れたような鈍い音に自然と眉間に力が入る。
(今のは……?いや、それよりも)
嫌な予感がするが今は後回しだ。
体勢を崩した所に襲い掛かるインプたちを蹴散らし、襲ってきたオークに向かいなおす。
オークがベルに対して再び棍棒を振りかぶろうと腕を上げると同時に、甲高い音が迷宮に響いた。
「え?」
そして異変がオークに起こる。
ただでさえ丸っこいオークの体がさらに膨れ上がり、風船のように宙に浮かび上がった。
その様子を言葉で表すとすれば『フワフワ』しているというのだろう。
(と言うことはつまり‼)
「な、なんとか使えました」
フワフワ銃を構えるリリは足元に転がる箱から金色の物質を拾い上げる。
(あれは……あまり尖ってないけど、矢じりみたいなモノ?ひょっとしてフワフワ銃と一緒に出てた?)
金色の物質をフワフワ銃の中央の部分を取り外し、そこに空いた6つの穴に詰めていく。
まるで矢を弓につがえるように、全ての穴に詰めたリリはフワフワ銃をもとの状態に戻し、再びモンスターたちに構えた。
そしてリリが引き金を引くと同時に、円状の部分が小さく動き甲高い音が再び響いた。
そして浮かぶもう一体のオーク。
これで攻撃力の高いオークは無力化された。
「リリ!ありがとう!」
オークの一撃を警戒する必要がなくなった今、数体のインプに苦戦するはずがない。
瞬く間に殲滅し、空中で動けないオークたちにも止めを刺した。
「ちょっと危なかったですね」
「うん。リリがフワフワ銃の使い方を見つけてくれなかったら危なかったかも」
「このひみつ道具とボウガンに共通する要素があって助かりました。それにしても、ひみつ道具ってああやって具現化するんですね。魔力も感じなかったですし、不思議なスキルです」
そう言われて、ベルはリリにひみつ道具の具現化を見せるのは今日が初めてだったことに気が付いた。
今まではスキルの詳細を知られたら良くないと隠していたが、もうそんな必要はないだろう。
「【ガネーシャ・ファミリア】の方々は知っていて、リリだけ知らなかったと思うとちょっと思うところはありますが……あの時のリリは信用しないほうが良かったですからねぇ。我ながら」
隠し事をしていたんだし、怒られても仕方ないと思っていたのだが、リリはさして気にしない様子だった。
多分正直に言ってたら情報売ってましたよー、と笑顔で言われてちょっと反応に困る。
「それはそうと先程の戦闘中に何かありましたか?少し、戦いにくそうでしたが」
「うん……何か、防具からビキッ、と嫌な音が」
「あーレベル2ですしねぇ。レベル1を対象にした防具ではベル様のステイタスについていけないのかもしれません」
「それって不味くない?」
「戦ってる最中に自壊とかは勘弁してほしいです」
どうやらベルが現在装備している防具……
初めて買った防具なのだから結構愛着はあったが、それにこだわって死んでは意味がない。
赤ん坊の頃は心地よかった揺り籠も、成長してしまえば窮屈なだけだ。
新しく買いなおすべきだが……
(作成者はヴェルフ・クロッゾさんだったよね……新作で良いのないかな?)
いつの間にファンになっていたのか。
ベルの頭の中にはエイナと買い物をしたときに確認していた名前が自然と浮かんでいた。
レベル2になって最初の戦闘は無双と課題発見。
実は戦闘中に今のベルの問題点も出ているけど、ベルは気付いていません。
次回はいよいよ兄貴分登場です。
後、モダーカさんは霧と同化しています。