迷宮都市オラリオ。世界の中心とすら言われるこの場所の起源は、千年前に人々がダンジョンの大穴に築いた蓋である。
幾度となく人類を滅ぼしかけてきた
世界に二度とモンスターを蔓延らせないという英雄たちの決意。それがこのオラリオの発端だ。
そんな使命を持つ都市にとって、
ダンジョンに繋がる大穴をぐるりと囲む壁は圧巻で、原始的ながら重厚な質感はモンスターの牙や爪など寄せ付けないであろうことが一目で分かった。
恐らく、この世のどんな要塞よりも堅い守りは外敵のためと言うよりも、中から現れるモンスターを閉じ込めるためのものだ。
最も、現在のオラリオにそこまで逼迫した空気はないが。
千年前とは違い、今は守る対象であるはずの人類、
現在、ベルとアイズが来ているのは北西よりの市壁外縁部。
未だ日が昇らない時間帯に早起きして来たベルだったが、その目はバッチリと覚めていた。
(アイズさんと二人で訓練……まだ実感が湧かないや)
高すぎる高嶺の花。それが目の前の少女だった。
冒険をする中で、何度か出会う事はあったが距離が縮まることは無く、むしろ自分の醜態を重ねるだけだったベルとしては、この機会に何としてもお近づきになりたい。
訓練であると分かっているが、思春期の少年としては甘いイベントの一つも期待してしまうもので、そんな風に湧き上がる欲望を必死に抑えていた。
「ごめんね、こんなところに呼び出して」
「いえっ、大丈夫です!」
何故こんなところで訓練することになったかと言えば、いわゆるファミリア間の都合と言うところだ。
新興かつ零細ファミリアの【ヘスティア・ファミリア】ではあまり縁がなかったことだが、他派閥と交流があるという事はオラリオでの縄張り争いに巻き込まれることがあるのだという。
例えば、抗争が起きれば友好的な派閥に力を貸し、敵対的な派閥には武器を向けると言ったように、このファミリア間での友好関係と言うモノは馬鹿にならないらしい。
都市最強派閥なだけあって敵も多い【ロキ・ファミリア】の幹部であるアイズに教えを乞うとなると、ベルもそうしたパワーゲームに巻き込まれる恐れがあるとアイズは懸念し、市壁と言う人目のない場所を選んだ。
流石に【ガネーシャ・ファミリア】にはアイズとの訓練については報告済みだが。
アイズが傍にいるならば問題はないだろうとシャクティも判断し、二人だけの訓練が出来ている。
「それで……幻のジャガ丸くんは?」
「今日は味のもとのもとは出てないですね……」
「……そっか」
グイッ、とやや前のめりになって尋ねるアイズ。
幻のジャガ丸くんが余程気になるのか、その目は爛々と輝いている。
リヴェリア辺りが見れば眉間を抑えた後、みっともないと教育的制裁が下ることが間違いなしの食欲。年頃の少女としてそれはどうなんだという言動である。
百年の恋も一瞬で冷めそうな残念ぶりを見せるアイズだが。
(あージャガ丸くんに必死なアイズさんも可愛いなぁ)
ベルはアホなので特に問題はなかった。
恋は盲目と言うか、もうアイズなら何でもいいだろと言うべきか。
ベルにとってはアイズの魅せる一つ一つの挙動が、アイズにとってのジャガ丸くんなのだろう。
訓練前とは思えないぽわぽわした空気になるが、ちょっと天然が入っている二人は気にせずに話続けた。
「まだ何か方法が……今日のひみつ道具はなに?」
「【風船いかだ】【かたづけラッカー】【まねラジコン】です」
「むむむ……」
(かわいい)
諦めずに可能性を模索するアイズだが現実は非情だった。
どう考えても食べ物とは関係がなさそうな名前ばかりである。
「らじこんって言うのは何? もしかしたら幻のジャガ丸くんをコピーできるひみつ道具かも」
「意味は分かりませんでしたけど、残念ながら相手の動きを真似るアイテムでした」
どうやら本当に不可能らしいと結論を出したアイズは目に見えて落ち込んだ。
ヴェルフの狂乱ぶりを知る身としては、あまり出ないほうがいいひみつ道具だと思うのだが。
「分かった。まだ序盤。遠征が始まるまで余裕はある。まだ大丈夫……」
全然大丈夫じゃない様子で呟くアイズ。
この人はギャンブルをさせたらダメな人なのだろう。
少しの間自分に言い聞かせていたアイズは、やがて深呼吸を一つして落ち着いた様子になる。
「待たせてゴメン……それじゃ、やろっか」
「はい! お、お願いします」
緩んだ気を引き締める。
ここからはアイズの一言一句も聞き逃せないと集中して……
「それで……なにをやろうか」
「え?」
「昨日からずっと考えていたんだけど思いつかなくて……素振り?」
「……えーと」
ベルも薄々気が付いてはいたがアイズは天然だ。
頭が悪いわけではないのだが、マイペースと言うか。
まるで叱られている子供のように小さくなるアイズは、世間で言われるクールな女性冒険者像からかなり乖離していた。
でもそんなアイズさんも素敵です。
「そもそも私は君の戦いをあまり見たことが無い」
「そ、そう言えば僕がアイズさんと会ったときって、僕自身の力で戦ったことってそんなにないですよね」
ミノタウロスの一件に関してはどうか思い出さないでいただきたい。
「極彩色のモンスターとの戦いで使ったあのナイフが主体?」
「
「その腰に着けている奴だよね」
「はあ、……っ!?」
どこかぽわーとした雰囲気が突如として凍り付く。
それが目の前のアイズから放たれている剣気だと理解する前に、ベルの体は反射的にナイフを構えていた。フリュネの時のように、慮外の力を受け流さんとその驚異的な集中力を解放する。
引き延ばされた世界の中で、目に映る情報は色を失い、音も風を切り裂く鋼の奏で以外は耳に入らない。
己の思考すら置き去りにした脳はアイズの剣の予想される軌跡を分析。何とか対抗しようとナイフをギリギリその軌道に割り込ませる。
筋繊維一本のミスすら許されない繊細な防御。
そのために限界まで見開かれた
(え……っ!?)
武器を、捨てた?
僕を斬るんじゃないのか?なんで。
そんな混乱する思考は無理矢理打ち切られた。
胸部に走る衝撃。突き刺さる痛みに肺の中の空気を全て吐き出す。
「がっ…ぁ……?」
悲鳴すら出せない激痛。
くの字になった体のおかげで、辛うじて胸の兎鎧に突き刺さるアイズの右足を視認する。
剣姫が……蹴り?
チカチカする視界は切り替わり、薄暗い空を映し出す。同時に感じる風圧。
後ろに吹き飛んでいるのだと理解したのは急速に流れゆく雲のおかげだ。
すぐに背中に走る衝撃。
市壁の
悲鳴すら上げることができず、落下しかけたベルは。
「ごめん……強くやっちゃった」
吹き飛んだベルより早く後ろに回っていたアイズによって助けられた。
お礼を言おうとするが、口から出るのはせき込みだけ。
(ランクアップしてなかったら……あのまま気絶してたかも)
一瞬で戦闘不能に追いやられたことに驚愕しつつ、ベルは何が起きたのかを振り返る。
アイズは会話の最中に剣を振り、ベルはそれを迎撃……しようとして放り投げられたアイズの剣に視線を誘導された。そして剣に気が向いてがら空きになった胸に蹴りを叩きこまれたのだ。
思い返せば単純な攻防。しかし、ベルはあの瞬間。何も把握できなかった。
恐るべき速度だ。
「うん……大体分かった」
アイズはベルが回復するのを待ってから話始めた。
一連の流れで分かったということは、どう考えてもいい意味ではないだろう。
「まず、君は凄い集中力がずば抜けている。あんなに早く切り替えができるとは思ってなかった」
「え?」
ボロクソに言われることを覚悟し、身構えていたベルは予想だにしない好評に戸惑う。
「あのまま剣を振っていても直撃は避けれただろうし、受けの技術もしっかりしている。……とても1か月の経験しかないとは思えないくらいに」
「……ありがとうございます」
「でも、集中しすぎてる」
(集中……しすぎている?)
それの何が悪いのか。反感ではなく、純粋な疑問としてベルはそう思った。
限界まで集中しなくては、格上の攻撃を受け流すなんてできないはずだ。
「防御に全部の集中を割いたら駄目。少なくとも、ダンジョンでそれは通じない」
「なんで……」
「攻撃の手段は一つじゃない。君みたいに武器を持つ手だけ注意していたら、それ以外の部分の奇襲にやられる。そもそも、ダンジョンでは何体もモンスターが出てくるから、一体だけに気を取られるのは危ない」
言われてみれば覚えがある理屈だった。
最近のダンジョン探索でも、意識外からモンスターの奇襲を受けることが増えているとは感じていた。
下の階層に行くようになったから、それだけモンスターが手ごわくなったのだと納得していたのだが、真相はそうではなかったらしい。
「えっと……集中するのが駄目なわけじゃなくて……んと、それだけを見るのがだめだから、君の集中力はかけがえのないものだから……」
途中しどろもどろになりながら、アイズはベルの弱点を指摘する。
ベルは集中の加減が下手なのだ。
格上と戦い、深い集中を要する場面が多かった
ベルは戦いにおいて、集中を100か1かでしか切り替えていない。
「凄い集中するってことは、凄い疲れること。いつまでも続くわけがない。1時間持てばいい方だと思う」
一日中ずっと。
遠征などでは何日もダンジョンに潜る上で、そのやり方ではすぐに集中力が底を尽きる。
「集中力も、体力みたいに考えて配分するのが大切、だよ?」
「配分……もう一度お願いします!」
鉄は熱いうちに打てと言わんばかりにベルは身を乗り出して、先ほどの再現を願い出る。
アイズはそれに一つ頷くと、静かに剣を構えた。
(集中力を限界じゃなくてまずは半分程度に……)
集中の対義語は雑念だ。
何か考えて集中を中和するのはどうだろうか、とベルは試してみた。
(あーアイズさんやっぱ美人だないつもののんびりしている顔と戦っている時の顔のギャップが堪らないそれにあの鎧はどうしてあんなに露出多めなのか造った人は変態に違いない先生と呼ばせてください青や銀のアーマーの色と目も覚めるような金髪がベストマッチしてるよそうそうアイズさんと言えばやっぱりあの金髪だこの世のいかなる金銀財宝ですら霞むような高貴な色合いに一流の職人が丁寧に一本一本拵えたんじゃないかと思うくらいに更々な長髪きっと風に吹かれたら太陽の光も反射して幻想的何だろうないや夜空の下で月をバックに湖を佇むというのも捨てがたいぼんやりとした輝きはさながら湖のようせいのようだろうこれでエルフ耳があれば完璧……)
「すごい隙だらけ」
「ぐえー!?」
「集中を抑えるって言うのは余計なことを考えることじゃないよ」
「ハイスイマセン」
ちょっと煩悩が噴き出してしまった危ない危ない。
鞘付きとは言え、頭にガツンと良い一撃を貰いクラクラするベルは欄干に腰かけた。
「多分、君が集中しすぎちゃうのは、受け流すときにどうやって動くかまで頭で考えているから」
「え? 普通はそうじゃないんですか」
「うん。みんなそういう動きは無意識にやってる」
ことなげに言うが考えずに動くというのはどういうことだ。
いくらイメージしようにも想像がつかない指示にベルは頭を悩ませる。
「無意識?……無意識?」
「あ、言い方が悪かった……? えっと、その、この時こうすればいいと言うか」
首をひねってブツブツと呟き始めたベルを見て、慌てて言葉を変える。
ああでもない、こうでもないと悩んだ後、何かを思い付いたようにポンと手を叩いた。
「数学の公式」
「……はい?」
「この問題の時はこの公式みたいに、この攻撃の時はこの受け方って言うのを決めておけば、受け流すときに色々考えなくていいよ」
(……僕数学分かんない)
会心の言い回し‼ とドヤ顔になっているアイズだが、一般農民でしかないベルに数学のたとえは分からなかった。
だが、言いたいことは何となくわかる。要は予め体に動きを覚えさせろという事だろう。
「今から受け方を実際に見せて……あ」
その時再びポンと手を叩くアイズ。
「まねラジコンは動きを真似る」
「はい」
「つまり君が私の動きを真似れば簡単に体に覚え込ませられる」
「おぉー」
アイズのアイディアにパチパチと拍手を送るベル。
教え子に褒められてうれしいのか、無表情ながらどこか得意気のアイズ。
何故か彼女の背後に幼いアイズが胸を張ってムフーとしていた。かわいい。
意気揚々とアイズは持ってきていたひみつ道具を早速二人の頭にセットする。
「じゃあ、やろう」
「え?」
「まずは相手が振り下ろしをしてきた場合」
「ちょ、待ってくださいここは……」
アイズは大型のモンスターを想定し、振り下ろしてきた
最小限の動きで大きな隙を、アイズの達人の技はまねラジコンを通してベルの体に伝わり全くずれなく再現された。無論、この動きはナイフように調整されたもの。アイズに抜かりはない。
「うん。できてる」
「うわぁ、凄い……」
「そしてここからっ」
「あ、ちょっと待ってください!?このままだと……」
反撃の手段を教えないのは不親切だと感じたのか、そのまま想像のモンスターの頭目掛けて回し蹴りを繰り出す。
アマゾネス姉妹ほどではなくとも、練度の高い鋭い一撃はベルに伝わり。
メキョリと音がした。
「あ」
思い出してほしい。
ベルは先ほどのアイズの一撃でふらつき、欄干に腰かけていたのだ。
そんなところで回し蹴りをすればどうなるか。
石でできた市壁で、加減しているとはいえレベル2には十二分に速い速度でベルは回転し……
そのベルの弱点は欄干に減り込んだ。
「くぁwせdrftgyふじこf不2雄lp!?」
「あわわ……」
この世のものとは思えぬ絶叫を上げるベル。
男ではないアイズには分からない痛みにのたうち回る少年に、アイズは右往左往するばかりだ。
その動きがベルにも伝播するので、凄まじく異様な光景になっている。
太陽が顔を出すまで続いた地獄の後も、第一級冒険者の動きに振り回されるベルは似たような光景を繰り返しつつ、受けの技術を伝授されるのだった。
今まで必殺技みたいなノリだった受け流しを、基礎スキルにしようと言うお話でした。
ようは剣術の受けの型の伝授です。
ベルは今までそういうのなしに全部その場で組み立てるという、非効率極まりないやり方をやってました。
なんで【ガネーシャ・ファミリア】が指摘しなかったかと言うと、見守っている団員たちは変わった型だなーとは思いつつも、そんなアホなやり方してるとは想像してなかったんです。