【フレイヤ・ファミリア】による【剣姫】襲撃事件は、瞬く間にオラリオ中の人が知る出来事となった。
【フレイヤ・ファミリア】の輪を乱す行動が許されたわけではないが、今回の件を蒸し返す人物は意外なほど少ない。
この街に来たばかりのベルとヘスティアにはピンと来ない話だが、フレイヤの気まぐれで騒動が起こることはオラリオでは
住民たちの話題も【フレイヤ・ファミリア】の無法への批判と言うよりは、最強ファミリア論争の一環と言った趣が強いようである。
最終的に【剣姫】が無数の手と地獄の炎を召喚したという斜め上の結末が、人々の妄想を掻き立てて好き勝手な考察が横行していた。
【ガネーシャ・ファミリア】やギルドも厳重注意こそ送っているが、それ以上には至らない。
実害がほぼ無かったことで、そこまで大事にしなくてもいいだろうとなったらしい。
「納得できるかああああああああ‼」
これにお怒りなのがヘスティアである。
アイズによれば【フレイヤ・ファミリア】の目的はアイズではなくベルだ。
フレイヤが何故ベルに執着するのかは分からないが、フレイヤのヤバさは天界にいた頃から有名すぎる。
好きすぎて殺しちゃった☆ などと言う可能性が大いにある。女神の愛を舐めてはいけない。
フレイヤに狙われているというアイズの話が本当ならば、ヘスティアにはこの一件で終わりとは思えなかった。
だからこそ、ギルドや【ガネーシャ・ファミリア】に厳しい処置を取ってほしかったのだが、相手は大派閥。
新興のファミリアにどうこうできる相手ではない。
(ヘファイストスは『後で私からも言っておくから、今は退いておきなさい』って言っていたけど……)
フレイヤの派閥に喧嘩を売れば今の【ヘスティア・ファミリア】等瞬く間に刈り取られる。
それはヘスティアとて理解していることだ。
だからと言って泣き寝入りすれば、今度はいつ襲われるか分かったものではない。
フレイヤを対抗するとなるとアンチ・フレイヤな勢力と結ぶことが考えられるが。
(フレイヤアンチの筆頭ってイシュタルだよなぁ。ちょっと怖いから無理かも……)
ヒステリックな性格のイシュタルと、のんびりしたヘスティアは同盟相手としては相性が悪いだろう。そもそも話を持ち掛けてもまともに取り合ってくれないかもしれない。
「そもそもあんまり殺伐としたのは嫌だなぁ」
インドア派なヘスティアにとって敵意や殺意であふれる空間は大の苦手だ。
先日のダンジョンに入った時もそうだが、根本的に争いごとに向かない
天界でディオニュソスが発作を起こしたときも、あの殺気立った空間が嫌で十二神の座を返上して自分の神殿に引き籠ったものだ。
「そうなると向こうにコイツと敵対しないようにしようと思ってもらうしかないけど」
至難の業だ。
そうできるだけの実力がないからアンチフレイヤと結ぼうと考えたのだ。
如何に成長著しいとはいえ、ベルがあっさりと【フレイヤ・ファミリア】の幹部たちクラスに追いつけるはずがない。
結局、最初の問題に戻ってしまった。
(力が無いファミリアが大派閥に意見……ん?)
その時、ヘスティアの脳裏に何か引っかかるものがあった。
いたはずだ。天界のご近所さんで兎に角立ち回りが上手い男神が。
「ヘルメスはファミリアのランクこそ低いけど、オラリオでは結構な存在感がある……ってヘファイストスが話してたっけ」
オラリオでも便利屋としての地位を確立させている。あのうさん臭い神は団長がレベル2と言う中堅より少し下程度のファミリアの主神だが、その実ウラノスの手駒と言う意見もあるくらいには油断できない。
「ヘルメスのトコがあんなにうまく立ち回れるのはヘルメス自身の人脈と……それに伴う情報力」
正に曲者のファミリアだ。
腹の探り合いが苦手なヘスティアやベルが到底まねできるものではないだろうが、ヒントにはなる。
「何かフレイヤの気を逸らせる情報で誤魔化すくらいしかない」
フレイヤの弱みを握って……と言うのも考えたが、どう考えても後で抹殺される未来しかないのでパスだ。
そもそも脅しは敵対と何も変わらないわけだし。
「ボクの情報網は近所のおばちゃんたちレベルだけど、ひみつ道具なら何かあるんじゃないか」
非常に情けない話だが、ヘスティアにフレイヤを驚かす情報が入るほどの情報網はない。
だがひみつ道具なら話は別だ。
なにかいい道具が出るかも知れない。その望みを抱いて待ち続けること三日。
ついにお目当てのひみつ道具を発見した。
その名も【サキ鳥】。
ひみつ道具の名にふさわしい。凄まじい性能のアイテムだ。
その見た目は木に留まる何羽かの赤い鳥。
最初は外れかと落胆していたが、ウマタケのような意思を持つアイテムであることを期待して情報収集を依頼したところ、見事にその役目を果たしていた。
「ビッグニュース! ビッグニュース! 明日、タケミカヅチのジャガ丸くん。新商品入荷!」
「なんだとおぅ!? ここで勝負を仕掛けて来たか! 後でおばちゃんに教えよ」
「ビッグニュース! ビッグニュース! ミアハ、女の子口説く!顔真っ赤か!」
「それはニュースじゃなくていつものことじゃないか? ナァーザ君にチクっとこ」
次々とオラリオ中に放っていたサキ鳥たちが、噂を聞きつけて戻ってくる。
役に立つものからどうでもいい情報まで、都市中の噂話がヘスティアの耳に飛び込んできた。
「流石に【フレイヤ・ファミリア】をあっと言わせるような情報はなしか……」
しかし、市街の噂ではフレイヤと取引できるほどのモノは無い様だ。
ヘスティアは噂話をメモに記入しながら、フレイヤの興味を引く内容の情報が無いことにため息をついた。
(多分、今のオラリオで最も噂話は集まったけど、うん。不味いかも)
都市中に流れる数々の噂。
その中には幻のジャガ丸くんやら、歓楽街の怪物やら、果てにはギルドの幽霊など、ベルが関わっていると思わしきモノも多々ある……というか、今のオラリオの異変のほとんどに何らかの形で関わってしまっている気がしなくもない。
(……これ、隠すのもう無理じゃない?)
サキ鳥は市内に出回っている噂話を集めるひみつ道具だ。
つまり、今日一日だけで既にこれだけの目撃情報があるわけで、真相が出鱈目すぎてそう簡単に辿り着かないと思いたいが、情報戦が強いファミリアならば恐らく気付ける。
都市最強派閥として団員の層も厚い【フレイヤ・ファミリア】が真相に辿り着いている可能性は大いにあった。
(最悪、【フレイヤ・ファミリア】には【
フレイヤを出し抜くどころか、薄々察しつつあった現状の危うさを再認識することになったヘスティア。
ドカリと椅子にもたれかかるように座る彼女は大分疲れていた。
「ビッグニュース! ビッグニュース! ヘファイストスに恋の予感! お相手は赤髪の眷属!?」
「へー。ヘファイストス誰かと良い感じなんだ。悪戯できるひみつ道具出たら遊びに行こー」
「ビッグニュース! ビッグニュース! ベル歓楽街に再チャレンジ! しかし【
「へー。ベル君は後でお仕置き決定だな」
さらっと明かされたベルの現状にジト目になるヘスティア。
サキ鳥だけ置いてアイズと訓練に行ったはずなのに、何故歓楽街にいるのか。
この間怒られたばかりなのに何をやっているのだろうか。
自分の眷属がそんなに女に飢えてしまっているとは思えないので、また何かを背負い込もうとしているようだが。
「ビッグニュース! ビッグニュース! リリルカがナァーザに新アイテムの作成を依頼したところ、ナァーザは床に鼻をこすりつけている模様!」
「どういう状況なんだそれは」
「ビッグニュース! ビッグニュース! 【
「一週間前か……ならあの襲撃とは無関係かな? これをフレイヤに教えれば恩を……ないな。絶対に気にも留めなそうだ。むしろイシュタルの恨みを買うだけ損だから関わるの止めとこ」
次々と舞い込むうわさ話に、初めは熱心にメモを取っていたヘスティアも次第に聞き流すようになる。
流石は世界の中心と言うべきか、サキ鳥たちは交互に戻って来ては情報を口にしていき、また出ていくを途切れずに続けていた。
既に一時間近く休みなしにペンを動かしていたヘスティアの怠け者の部分が睡魔を引き寄せる。
(情報屋って大変なんだな……ボクには無理……)
既に舟をこぎ始めている頭を叩いて何とか覚醒させる。
眠いよー。ベル君が帰ってきたら説教より前に膝枕してもらお。と全く集中できず雑念全開なヘスティア。
わずかに残った主神としての責任感がベルを守るために、とヘスティアの手を動かす中(眠気に負けてミミズみたいな字だが)、窓から新たな噂を持ってきたサキ鳥が入って来て……その瞬間、神としての勘が最大級の警鐘を鳴らす。脳内で鳴り響くアラーム音がヘスティアの眠気をかき消した。
「トップシークレット‼ トップシークレット‼」
(掛け声が違う……?)
戻ってきたサキ鳥の様子がおかしい。
まるで警告するかのように常とは違う文句を口にする。
ヘスティアにはそれは選択を強いているように聞こえた。
聴くか、聴かないか。その覚悟を問われている。
心は警鐘を鳴らす。聴かないほうがいいと。
自分は分不相応な情報を得ようとしている。
神の勘は怯えていた。
その警告の果てにある、悍ましき悪意を感じ取って。
だが、ヘスティアが選んだ答えは傾聴だった。
背筋に凍るような悪寒を感じながら、それでも無知である罪を許さなかった。
その決意が、ヘスティアに真実への鍵を渡すことになる。
「ディオニュソス乱心! ディオニュソス乱心! 突如暴れだしたディオニュソス、酒蔵にて大暴れ! 「あの糞女神が‼」と叫びながら落ち着かせようとする団員に暴行!」
サキ鳥の告げた噂話は過激な内容だったが、大袈裟に警告するほどのないようではないと他の神々なら判断するだろう。
だが、ヘスティアは違った。
その噂話を聞いた瞬間、脳裏に閃光が弾ける。
想起するのは神の宴。
あの時、遠目で見えたディオニュソスの浮かべた笑み。
そして、天界で何度も見た
場違いにも浮かんだその感情が再びその姿を現した。
(確証はない……そもそもただの噂だ。でも、だけど)
これが何を意味するかは分からない。
なぜサキ鳥が警告を発したのかすら今はヘスティアには判断できない。
ただ、自分が知ってはいけないことに足を踏み入れたことは理解できた。
「ただいま戻りました……神様?」
気が付けば日は暮れていた。
何かから逃げ惑ったように髪を乱した様子のベルは、ヘスティアの常とは違う様子に気が付き不思議そうな顔で訪ねてくる。
そんないつもと変わらないベルに少し笑みをこぼし、ヘスティアは迷いを捨てるように一つ深呼吸した。
「おかえり、ベル君。疲れて帰って来ている所悪いんだけど……ちょっといいかな?」
「はい」
「……ふふっ、まだなにも言ってないよ」
「神様の望むことならなんだってやります。僕は、神様の眷属です」
普段の少年なら慌ててしどろもどろな解答をするだろうに、今日ばかりは迷うことなくヘスティアの望む答えをあっさりと返した。
今のヘスティアの動揺が伝わっていたのかもしれない。
ベルのヘスティアへの忠誠は揺るぎないものだ。
彼女が望むなら、ベルは何でもする。
彼はそう自分に決めていた。
「なら、遠慮なく我儘を言わせてもらうね……少し、膝を貸してくれないかな」
「……はい。どうぞ」
ベルの膝の上に頭を乗せる。
包み込むような温もりが、人肌を通してヘスティアの心に滲みた。
「……」
ヘスティアは戦う神ではない。
ロキやフレイヤのように智謀策謀を張り巡らせることなんてできないし、タケミカヅチのように神域の武芸を披露できるわけでもない。
かつて
それでも、この少年の前では背伸びをしていたいから。
早すぎる成長をしていく彼の背に刻まれる刻印に相応しい存在でいたい。
だからどんなに怖くても。恐ろしくても。
この温もりを忘れなければやせ我慢できる。
女神は微睡みの中で、そう誓った。
成長するベルと違ってヘスティアは不変の存在。
強くなんてなれませんし、賢くもなれません。
それでも、彼に相応しい神様でいたいと願うのです。