夢と言うのは人間にとって最も身近な不可思議だ。
その殆どは唐突で、何の心構えもなく見せつけられる。
天にも昇る様な幸せな夢を見ることもあれば、世界の終わりを幻視することすらある。
まるでもう一つの人生を体感しているかのような、ずっしりとした疲労感が残った時には夢と現実の区別がつかなくするものだ。
そんな風に多くの人々を惑わせる夢は時に人生のターニングポイントになる。
使命を告げるかのように進むべき道を指し示す夢、内なる危機感が形となって未来への不安を自覚させる夢、そして冷たい現実に引き戻す夢。
目を閉じれば浮かんでくるそれはもう一つの現実だ。
そしてまた一つ。少年の焦燥をかき乱す夢が。
少年に現実を突きつける幻想が浮かぶ。
ただし、普通とは違いその夢を見たのはベル本人ではなかったが。
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「ユメかんとくいす~」
光と共に現れたのは簡素な椅子を中心に置かれた数点の小道具。
ひみつ道具にしてはオラリオの家具と大きな違いはないように思える。
「監督は管理する人のことですし、恐らくは夢を自在に操れるひみつ道具ではないでしょうか」
ひみつ道具を出したはいい物の、全く使い方が分からずに悩んでいたベルに事情を聴いたリリは自身の仮説を話した。
「ダンジョンでは使えなそうだね」
「まず初めに使えるかどうか考える基準がダンジョンなのは気を付けたほうがいいですよ」
ダンジョンで呑気に寝ていられないし、今回は外れかとガッカリするベルにリリはジト目で突っ込んだ。
最近は素材集め、ひみつ道具の確認、エイナとのマンツーマン指導と寝ても起きてもダンジョンな状況が続いているのだから仕方ないのかもしれないが。
このままではダンジョン
「夢となると寝なきゃいけないわけだし、朝早い今の僕たちだと使えないかも」
「いえ、見てください。ここまでヘスティア様が全く話してこないと思いきや、堂々と二度寝を始めています」
「最近バイトづくしで久々の休日みたいだから許してあげて?」
スヤァ…… と
ヘスティアの周りにユメかんとくいすのセットを設置していく。
眷属たちの行動に全く気が付かないヘスティアを横目に、ベルとリリはひみつ道具を主神に向けた。
「これで、神様の見ている夢を見れるのかな?」
「……どうでしょう? 夢を今見ているかどうかも怪しいですし、そもそも夢は起きる数秒前に全部見ているという説もあった気がしますから」
話しながらモヤモヤとした形のアイテムをヘスティアの前に置く。特に何もない。
次にボックス型のアイテムのアンテナをヘスティアに向ける。
「あ……」
その瞬間。
モヤモヤの中にヘスティアの姿が現れて……
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「それで……どうなったの?」
「なんというか……悪魔みたいな顔でゲラゲラ笑うロキ様から兎と花を守っていました。その辺りには高笑いする象の仮面が飛び回っていて、隅っこでワイン瓶がぴょこぴょこ揺れていて……最終的に揚げたてのヘファイストス様が登場したとこで、収集つかなくなりそうだったからリリが口を挟んで強制的に終わらせました」
言葉にするとなんだそれはと言う感じだが、夢と言うのは大体あんな感じで混沌としているのかもしれない。
遠い目になってしまったベルをよそに、アイズは何か考えた後、振り返った。
「そのひみつ道具……私にも使える、かな?」
「え?」
「夢を書き換えることができるなら、やりたいことがあるから」
まさかこのひみつ道具に食いつかれると思っていなかったベルは、少々面を食らったがアイズの真剣な表情に思わず頷く。
(アイズさん……?)
今までの何処かのんびりとした雰囲気が霧散し、殺気立つとまでは行かないがどこかピリピリし始めている彼女の様子に戸惑いを隠せない。
その目の色は澱んでいるようにも思えた。
やがてユメかんとくいす一式を用意するベルは、そのままアイズが眠るのを待とうとするが。
「うわっ、早……」
あっという間に眠りにつくアイズ。
ゴツゴツした石畳の上だというのに全く苦にしていない様子だ。
遠征ではダンジョ深層と言う過酷な環境に、何日も身を置かなければならない第一級冒険者にはこの程度の条件下での睡眠なんて慣れっこなのかもしれない。
横向きになり、膝を抱える様な体勢で眠る彼女はまるで
自分などよりよほど強い相手に向かって、失礼ともいえる感想をこの時のベルは抱いた。
『……け、ベル』
(ん?)
『
(……んん?)
無防備すぎるアイズの横寝顔を見つめていたら、突如響く謎の声。
レベル6であるアイズが反応していないという事は、自分にしか聞こえていないのだろうかとあたりを見渡すベルはふと、この声に聞き覚えがあると思い至った。
そう、これはとても懐かしい声。
いつも村で騒ぎを起こしては怒られていた、愉快な……
『
(お祖父ちゃん!?)
寝込みを襲えぇーい、と頭の中で暴れまわる
瞳を閉じ、寝息を立てる彼女の顔に徐々に接近して……
『待つんだベル君‼』
そんな邪念に支配された行動を咎めるように、
『寝込みの娘を襲うなんて真似は許されないぞ! 特にその娘となんて絶対にダメだ! なんでボクじゃないんだっ‼』
(そ、そうだ。こんなこと絶対に許され……神様?)
後半何かおかしなことを口走っていたヘスティアの叫び声に応えるかのように、体が制止する。
しかし、光の加護の力はそれまで。
カチーンと硬直した体はそのまま動かず、二つの脳内に響く声に翻弄された。
『早く離れるんだ、ベル君‼』
『据え膳食わぬは男の恥よぉ!』
しかし、悲しきかな。人の善心が強ければこの世に
徐々に、徐々に押されていくヘスティアの声。
偉大なるスケベ心が天秤を破壊しようとしたその時。
「待っ……てて……」
「‼」
ずっと視界に固定されていたアイズの唇が震え、弾かれたようにアイズの下から離脱するベル。
依然、目を閉じたまま微かな寝息を奏でるアイズに脱力しそうになる中、最後の声が現れた。
『ふ~ふ~ふ~ふ~』
『うぬぅ……何奴!?』
『この
色々と空気をぶち壊す陽気な音楽。
デレレレ……と繰り返される聞きなれない音響に一番混乱しているのはベルだった。
『ぼくドラえもんです』
(ドラえもんさああああん!?)
なんの
『ぼくは狸じゃなああああい‼』
あ、すいません。
『ベル君。ユメかんとくいすを使って、アイズちゃんの夢を覗いてみよう』
(え、あっ、はい)
『そもそも初めからそういう予定だったじゃないか。なのにこんなことであたふたしてるなんて、君は実に馬鹿だなぁ』
(ご、ごめんなさい……)
猫型ロボットの言葉によって、自由が取り戻されるベルの肢体。
自己嫌悪と意外と口が悪いドラえもんによって凹みながらも、ベルはモヤモヤにアイズの夢を投射する。
そこに映っていたのは……
「……アイズさん?」
今もベルの前で横になっている少女と同じ髪の少女だった。
ただ、年齢が違う。
アイズをそのまま幼くした見た目の少女は泣いていた。
誰もいない荒野で、黒い風に晒されながら泣いていた。
──待ってて
やがてその瞳から涙が途絶える。
──必ず私が……
金の虹彩が黒く
狂おしいほどの衝動が、幼い体の中に満たされていくのをベルは見てしまう。
その衝動の名は殺意。
幼子には全く似合わない憎悪の仮面に包まれた彼女の姿に、ベルは何かを言いたくて……結局、その想いが言葉になることは無かった。
「……っ」
自分の無力に焦がされながら、ベルは予めアイズに頼まれていたように夢を書き換える。
「アイズさん‼」
「……?」
「僕です、ベル・クラネルですっ」
「ベ…ル……?」
突如世界に届いた声に動揺するアイズにベルは語り掛けた。
夢の配役も設定も意のままに出来るユメかんとくいす。
そのひみつ道具を知って、こんなことを考える人物などアイズだけだろう。
何も考えずに了承してしまったベルだったが、これでいいのかと自問する。
こんなに過酷な夢だとは知らなかった。
悪夢の中で自分を保ち続けるという残酷なことを、自分は支援していいのかと懊悩し、結局結論を出すことは出来ない。
少しの葛藤の末。
ベルは苦渋を滲ませながら、アイズの指示通りの言葉を発した。
「貴女はもう力のない子供じゃない! 貴女は……【剣姫】です!」
憧れた名前を口にすることが、こんなにも苦しくなる日が来るとは思ってなかった。
「け、ん……?」
「……貴女は剣を取った、もう、戦える」
幼子に剣を取らせる自分が堪らなく嫌だった。
それが彼女自身の願いだとしても、これはきっと間違っている。
何の根拠もないが、そう確信してしまう。
幼い少女が風に包まれる。
荒野に蔓延る黒い風ではない、無色の神風。
「……ありがとう。ベル」
アイズの声が舌足らずなものからベルの良く知るものに変わった。
聞く度に胸を高鳴らせた音色が、今だけは苦しい。
涙を流す少女の姿は消え、無表情の仮面を纏う剣士が風の中から現れる。
【剣姫】として悪夢の中に降り立ったアイズは体の調子を確かめるように拳を握り、開くという動作を繰り返し、一つ頷くとベルに礼を言った。
それがどれだけベルの心を苛んだことか。
(何が起きたのかは分からない……けど)
これはアイズの過去なのだろう、と予想は出来た。
夢は好きに見れるものではない。
にも関わらず、この夢を見ると確信した様子だったのはなぜか。
(
彼女の過去に何があったのか。
聞いてもアイズは答えてはくれないだろう。
そして、ベルもそんな予測に飛びついて知ることを恐れてしまっている。
(きっとこれは克服するための儀式なんだ)
だからこそ、アイズは夢のなかで【剣姫】になった。
都市最強の剣士となって、かつての無力を晴らそうとしている。
それならばいい。
彼女に剣を取らせたことは心苦しいが、これが彼女の心の傷を埋める一助になれば……
「……え?」
そう、信じようとしたベルの眼に信じがたい光景が飛び込む。
鮮血が飛び散った。
荒野の中で、赤い命の証が大地を潤したのだ。
「アイズ、さん」
都市最強の剣士。
決して負けない第一級冒険者。
そんな盲信がガラガラと崩れ去る。
勝負にすらなっていなかった。
アイズの剣撃はまるで届かず、敵の攻撃はいつの間にかアイズを苛んだ。
この攻撃が全く把握できないのはベルが未熟だからか。いや、そうではない。
今戦っているアイズすらも、敵の攻撃が見切れていないのは次々と増えていく傷で分かった。
血と肉が吹き飛び、骨も砕ける。
敗北は確定的だ。
それでもアイズの瞳は揺るがない。
それは冒険者の意地でも、人としての誇りでもなかった。
(分かっていたの……?)
その表情に動揺は見られない。
ここ数日の訓練のおかげで、アイズの僅かな表情の色を見分けることができるようになっていたベルはそれを察することができてしまった。
おかしい。あそこは夢だ。
夢を改ざんする権利はユメかんとくいすを使う人間だけのものではないことは、ヘスティアに使った際にロキに対抗してヘファイストス(揚げたて)を召還した時に分かったことだ。
つまり、アイズは夢の敵に勝とうと思えば、そういったように改ざんされるはずだった。
そうなってないということは、アイズは敵に勝てないと思っているからだ。
勝てないと知ってなんで挑んだのか。
あれがアイズの
「まさかっ」
ここでベルは己が思い違いしていたことに気付く。
アイズの目的は
寧ろ、逆。
「……傷を刻み込むために戦っている?」
まるで敵との距離を測るように。
アイズは自身の無力を確かめているのではないか。
そのために己に過酷を課しているのだとすれば、とんでもない自傷行為だ。
心の傷は体と違って簡単には治らないものだ。
当然、
「僕、は」
こんな自傷行為に手を貸してしまったことに青ざめるベル。
あんな憧憬の姿は見たくなかった。
自身の血肉を燃料に走り続けるアイズが、その先に迎える結末を思うと心臓を鷲掴みされたように胸が痛くなる。
涙で視界がぼやけ、視線は気付けばアイズの夢から自分の足元に移っていた。
この光景を見届けられるほど、まだベルは強くなかったから。
──雑魚にアイズ・ヴァレンシュタインは釣り合わねぇ。
また、かつての言葉がベルに牙を剥く。
見据える先が遠すぎる。
レベル2になったことで多少は近づいたと思っっていたことは錯覚だったのだ。
少女が強くなる理由を知った。
自分とは真逆の悲しい理由だ。
きっと彼女はそれを受け入れているのだろう。
ならば自分が口に出すのはお門違いだ。ファミリアでもない自分の言葉が届くとも思えない。
なにより、安易な同情はこれまで歩んできたアイズへの侮辱になる。
既にアイズは一角の人物。
新米冒険者に過ぎないベルの言葉など、彼女を動かすには軽すぎる。
……それでも。
それでも、それでも、それでも、それでも。
「……救われてください」
道理も打算もねく、こぼれ落ちた言葉。
涙をはらんだ言葉は誰にも届かず消えていく。
自身の言葉の無力さに、もはや自嘲すらできないベルは俯き続けた。
だから、気が付かなかった。
悪夢の中で小さく響いた鐘の音に。
そして、アイズを包む風が白い光を放ったことに。
予想外の事態に動揺しながらも放った一撃は、黒い風の先にいる敵に初めて届き……
夢は白い光に包まれて終わった。
アイズの偉業によって自信を失った原作。
アイズの見据える先を知り、自信を失った本作。