ベルがひみつ道具を使うのは多分間違ってる   作:逢奇流

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力無き者たちの切望

「クラネル様?」

「え……あぁ、すいません」

 

 呆けていた意識が引き戻される。

 目の前で心配そうに僕の顔を覗き込む春姫さん。

 話の最中なのに相手が心ここに非ずな様子では不安にもなるだろう。

 

(いけない……今は春姫さんを優先しないと)

 

 自分があれこれ抱え込みがちなのは理解している。

 だから目の前のこと一つ一つに取り組んでいけばいい。

 それが僕が見つけた答えだったはず。

 

 だというのに、全く集中できてないのは先日のアイズさんの夢が原因だろう。

 あれが何を意味するのかは分からない。

 結局、あのあと夢の意味を聞くことは出来なかったからだ。

 心傷(トラウマ)に関わることを興味本位に聞き出すのはどうかと言う判断もあるし、アイズさん自身もあの夢に関しては深くは話そうとしていなかった。

 精々、ユメかんとくいすを使って何か干渉しなかったかと聞いてきたことぐらいだ。

 アイズさんに師事されたとおりにしか口を出してないと言うと、不思議そうな顔で首をかしげていたが。

 

 もう終わった話だ。

 今あのことを考えていてもできることは何もないし、頭の奥隅に情報として留めておいて保留するのが正しい。

 

 そう割り切ることができればよかったのだが、あの夢を見た衝撃は大きかったようだ。

 こうして春姫さんの前に来ているのに、未だに心が整理できていない。

 

「なにかあったのですか?」

 

「い、いえ!? ちょっとボーっとしちゃっただけです。すいません、話している最中なのに」

 

 春姫さんにすら心配されるとは失態だった。

 今日は春姫さんの周囲を探るという目的もある。潜入や逃亡に有利なひみつ道具は今日は使えない以上、いつも以上に慎重にならなきゃ行けないのに。

 

「最近は鍛冶師の人の新作装備のために、もうガンガンとダンジョンに潜ってますから疲れちゃったのかもしれないです。今付けている【伸蛙(ノビエール)】もヴェルフさんが作ってくれたもので、今日はひみつ道具じゃなくてこれを使って……」

()()()()()

 

 なんとか矛先をずらそうとしたが、春姫さんらしからぬ力の籠った声に二の句が継げなくなる。

 怒っている……と言うよりは叱る感覚に近いかもしれない。

 翡翠の瞳に映る僕は気まずそうに口を結んでいた。

 

「なにか、あったのですね?」

「……まあ、はい。個人的なことですけど」

「話してはもらえませんか」

「え……」

「クラネル様には今日まで良くしていただきました。それなのに貴方様が辛そうな顔をされていては、春姫も心苦しく思います」

 

 そう話す春姫さんの声は何時ものようにオドオドとしたものではなかった。

 真っ直ぐとこちらを見据える狐人(ルナール)から視線を逸らしそうになって、それは卑怯だと自分に言い聞かせた。

 僕は春姫さんの心を開かせようとしているのに、こっちはそれを拒絶するなんて筋が通ってない。

 彼女を助けたいと思って来ているのに、逆に悩みを聞いてもらうことになるなんて物凄く情けないけど、無意味な意地を張るところではないだろう。

 

 とは言っても、自分が何に悩んでいるのか。正確に伝えられる自信がない。

 アイズさんのプライベートのことが含まれているとか、そもそもあの訓練は内緒のモノだとか、理由は色々あるが一番はこのモヤモヤを自分の中で言語化しきれていないからだ。

 

 なんとか言葉にしようとして頭を捻る。

 春姫さんは中々口を開かないでいる僕の言葉を静かに待ってくれていた。

 やがて纏まり切らないながらも、僕は自分の中の不安を口にする。

 

「僕はある冒険者の人に助けられて……それでその人を目標にしてきたんです」

 

 始まりはあの日。あの場所。

 ミノタウロスに追い詰められて、みっともなく喚いていた醜態の記憶。

 そして、そんな嫌な気持ちすら霞む溢れんばかりの恋心。

 

 現実を突きつけられて落ち込むことはあったけど、絶対に追いついてやると誓った。

 

「いっぱいダンジョンに潜って、たくさん冒険をしました」

 

 あの8階層の屈辱の敗走。

 怪物祭(モンスターフィリア)での大規模テロ。

 朱い女の人と戦った地下水路。

 謎の襲撃者からの逃亡劇。

 リヴィラの街での攻防。

 

 身の丈に合わない戦いを潜り抜け、着実に力を付けた。

 彼女の隣に立てる。ひみつ道具に使われるのではなく、使いこなす冒険者を目指して。

 

 そうして訪れた契機。

 レベル2(ザニス)との死闘。

 絶望的な戦いを乗り越えた自分は確かに成長した。

 

「浮かれていたんだと思います。器の昇華(ランクアップ)が出来て、もうあの頃の弱かった自分じゃないんだと。憧憬に一歩ずつ近づいているんだって」

 

 事実、大きな前進だったはずだ。

 そしてそれに驕ることなく、寧ろさらなる力を求めて走り続けた。

 だからこそ、ランクアップを果たしたばかりにも関わらず、既にレベル2上位に迫ろうとしているとエイナさんにも太鼓判を押されている。

 進み続けていることに実感を持ち、いつか必ず彼女のいるところに辿り着けると確信すらもっていたのだ。

 

 ただ、僕にとってはアイズさんの隣が目標(ゴール)であったとしても、あの人にとってはそこは通過点でしかないと今になって気付かされた。

 考えれば当たり前のことだ。

 僕の成長に合わせて、アイズさんが成長を止めているのではないのだ。彼女は進み続けている。

 

 そして、その到達点はきっとあの悪夢なのだろう。

 モダーカさんがレベル6に到達していると話していた【剣姫】が、為すすべなく敗れ去る異常な強さのモンスター。

 あれがアイズさんによる妄想の産物だとはとても思えなかった。

 つまり、彼女は知っていたのだ。あの埒外の怪物を。

 そしてアイズさんの目標は恐らく、あの怪物を倒すことだ。

 最強と名高い剣士を一蹴する絶望を乗り越えんと力を磨いているのだろう。

 そうならば、隣に辿り着いてお終いなどと言うことがあるだろうか。

 

「自分の到達点が思っていたはるか先にあるんじゃないかと思った時、無性に怖くなったんです。明確だと思っていたのに、霞みたいに曖昧になっちゃって……」

 

 必ず辿り着くと誓った。嘘じゃない。

 今だって憧憬への想いは変わらず燃え続けている。

 だけど、熱の切れ間。渇望の中にある冷静な自分が囁く。

 

 一体どこまで走るんだ?

 僕は本当に近づけているのか?

 憧憬があの絶望に挑む時。僕はその隣に立てるようになれているとは思えない。

 

 水を刺すそんな軟弱な思考に負けじと情熱と言う炎に薪を入れて、我武者羅に鍛えることで考えないようにした。

 そんな欺瞞じみたやり方に心が疲れたのかもしれない。

 

「僕は、何をしたら強くなれるんでしょうか? 僕のやっていることは全部無駄なんじゃないでしょうか……」

 

 ポロリと出た言葉で胸のモヤモヤの正体を悟った。

 自分は見失っているのだ。憧憬に追いつくための道標を。

 最初は憧憬と同じくらい強くなればいいと、そう思っていた。

 アイズさんと同格の第一級冒険者になれば、この想いを伝える資格ができるんじゃないかって。

 

 でも、そうじゃない。

 朧気ながらそれに気付けたのは仮面の人物に襲われたとき、加勢に入ったアイズさんがレベル6に至っているとモダーカさんに教わってからだ。

 あの人も強くなろうとしている。

 考えれば当たり前な理屈が僕には衝撃だった。

 

 そして先日の夢で確信した。

 あの人の求める渇望の前には、アイズ・ヴァレンシュタインでも無力な存在なのだと。

 否、だからこそ渇望している。

 力を。最強の称号を。

 

 彼女はいつか、その領域に手を届かせるのかもしれない。

 その時、僕には何が出来るのか。

 今までのように。あの悪夢のように。

 このままだと彼女の戦いを見守ることしかできなくなる。

 

「僕は……弱い」

 

 震える声で拳を握りしめた。

 どこまで傲慢なんだと自分に向けた嘲笑を漏らす。

 こんなこと、人に話すことじゃない。

 春姫さんからすれば何が何だかわからずにいい迷惑だろう。

 

 握り締めると力故か、それとも腸で煮えくり返る激情故か。

 馬鹿みたいに震える手を、春姫さんは優しく包み込んだ。

 

「いいえ、クラネル様はお強い方です」

「……そんなことありません。戦いでは結局ひみつ道具頼りで、運に助けられて偶々上手くやれてきただけです」

「いいえ。いいえ、違います」

 

 ゆったりとした口調で僕の言葉を否定する。

 まるで子供をあやす母親のような優しさで彼女は囁いた。

 

「私に戦うことは出来ません。ですが、何度も戦う冒険者様を見守らせていただいて、分かったことがあります。それは英雄様のような華々しい戦いを出来ない方であっても、戦う意思には貴賤はないという事でした」 

 

 遠くを見るように春姫さんは窓の外から覗く青空を見た。

 彼女の眼にはそこにどのような光景が投射されているのだろうか。

 【イシュタル・ファミリア】と言う、Sランク派閥に最も近い大勢力に在籍する彼女は多くの戦いを経験しているはずだ。それこそ、僕の探索のように小さな範囲ではない。本物の冒険である遠征すら経験していてもおかしくはない。

 

「私は御覧の通り無力な存在です。自衛も碌にこなせないのに今日まで生きてこられたのは、イシュタル様と言う強大な庇護者があってこそです」

 

 春姫さんは戦える人ではない。

 体の動かし方を見てもドが付く素人であることは明白だったし、そもそも気性的に荒事には全くと言っていいほど向かない人だ。神様といい勝負かもしれない。

 

「もし春姫が強ければ……そう空想の羽を広げたこともあります。ですが、私に戦う才能があったとしても、何も変わることは無かったでしょう」

「……」

「紛いなりにもモンスターをじかに見る機会がありましたから分かります。あの爪や牙には私の命を容易く奪い去ることが出来るのだと」

 

 獣人は他の亜人(デミ・ヒューマン)と比べ、動物たちが持つような感覚、野生の勘に非常に優れている。

 それこそ、戦いにおいてはすぐに相手が格上かどうか分かってしまうのだと聞く。

 春姫さんのような、お世辞にも好戦的とは言えない人にはモンスターの脅威を他の種族よりも理解できてしまう分、戦いを殊更に避ける傾向があるのかもしれない。

 

「そう思えば体が竦み上がり、私は震えることしかできません。……どんなに強くても、必ず勝てるわけではありませんから」

 

 春姫さんの言葉は至極当然のことだ。

 強いだけで勝てるなら、僕がザニスさんに勝つことなんて不可能だった。

 

「だからこそ、冒険者様の心の強さは尊いものだと春姫は思います」

 

 微笑む彼女は寂しそうに笑った。

 自分にはできないことだからこそ、彼女には眩しいのだろう。

 

「強くなんてないです。今も迷い続けています」

「それでも、クラネル様は進むことが出来ました。武器をその手に掴み、願いのために戦う覚悟を持てたのです。それは誰にも恥じることのない、貴方様だけの強さのはず」

 

 貴方の想いをずっと聴いてきた。

 貴方の戦いにずっと心を踊らされた。

 貴方の強さは私が知っている。

 

「例え行く道が見えなくても、貴方の歩んだ軌跡は確かに残っています。それをどうか忘れないで下さい」

 

 重なる手に伝わる熱が腸の激情を鎮めた。

 ……本当に情けない。この人も今はつらい筈なのに、元気づけられてしまった。 

 

「ありがとうございます。ちょっと、落ち着きました」

「はい。春姫の言葉が少しでもクラネル様のお力になれれば幸いです」

 

 ぴょこぴょこと尻尾を揺らしながら微笑む春姫さん。

 最近はこうした反応も自然と見せてくれるようになった気がする。

 僕の恥をさらす結果になっちゃったけど、こうして心の距離を近づけることが出来たのは良かったかもしれない。

 

「それにしてももうダンジョンに潜っていることは隠さないんですね」

「……コンッ!?」

(あ、無意識だったんだ)

 

 僕の指摘に春姫さんはビィィン‼ と尻尾を立てて慌てる。

 わたわたと手を振る春姫さんは正直とても可愛い。

 

「え、えっと、実は私っ、こう……地図を……」

地図書き(マップ・マン)ですか?」

「はいっ‼ 春姫は地図書き(マップ・マン)なのです‼」

「あ、地図を書く専門職は地図作成者(マッパー)でした」

「コ、コーーンッ!?」

 

 やはりダンジョン知識ゼロ春姫さんはあっさりとカマかけに引っかかり、ダラダラと汗を流す。

 この世の何処に自身の職の名前を間違える専門職がいるのか。

 

「はわわわ……っ、ち、違うのです! こここここれはそのおおおおおおお!?」

「ちょ、春姫さん、あんまり大きな声出すと……」

 

 からかい過ぎたと思ったときにはすでに遅く。

 春姫さんは目をグルグルと回して支離滅裂な大声で叫びだしてしまった。

 完全にやりすぎ(オーバーキル)だ。

 

「春姫ー? どうかしたのかい?」

 

 不味い!

 春姫さんの声で先輩娼婦たちが集まって来ようとしている。

 

「すいませんっ、僕ちょっと逃げます!」

「も、申し訳ございません! クラネル様!」

「こっちもすいません! 色々聞いてもらってありがとうございました!」

 

 右手に付けられた新たな装備。

 ダンジョン上層のモンスター。フロッグ・シューターを模した赤い装置が特徴的な装備の名は伸蛙(ノビエール)

 フロッグ・シューターの一番の特徴である長く伸びる舌。これはそれを素材に伸縮自在なロープを発射する装備だ。

 

 キラーアントの牙を先端に付けているとはいえ、通常の武器に比べれば殺傷力は低い。

 だが、この装備の特徴はその応用性だとヴェルフは言っていた。

 例えば、建物の5階まで密かに潜入する時の移動手段に使った今回のように。

 

 拳を握り、手首を曲げると伸蛙(ノビエール)から細長い舌が発射された。

 僕の手の動きと連動するこの装備は難しいけど上手く狙えれば、突き刺すと言う使い方以外にも巻き付けると言ったやり方が出来る。

 ちょうど春姫さんの部屋から見える、魔石灯のアーム部分に舌がぐるりと巻き付いたことを確認すると、最後に春姫さんにぺこりと会釈して部屋の窓から脱出した。

 

 まだ昼間だから通行人の姿は少ないとはいえ、見つかったら大ごとだ。

 僕はポーチから用意していた壁と同色の隠蔽布(カムフラージュ)を纏った。

 これならよほど壁を注視しない限り影になっているから見つからない……はず。

 

 レベル2の身体能力(ステイタス)ならば5階から飛び降りることも簡単だが、そんな派手に動けば間違いなく戦闘娼婦(バーベラ)に勘づかれる。

 見つからないためにはおっかなびっくりロープを伝って降りていくしかない。

 

 上の部屋から春姫さんの言い訳が聞こえる中、物音を立てないように地面に降り立った僕は息をつく間もなく早歩きで裏路地を移動し、何食わぬ顔で大通り(メインストリート)に出た。

 

(ひ、ひみつ道具なしで初めて潜入できた……)

 

 【イシュタル・ファミリア】の勢力圏を抜けたところでようやく肺に溜まっていた空気を吐き出す。

 ひみつ道具を使っても潜入と脱出は生きた心地がしないものだが、今日は頼れる物が己の技量だけだからなおさら緊張してしまった。

 それでも気付かれることなく潜入できたことを安堵する。

 

(これで都合のいいひみつ道具を待たなくても潜入できるようになった。何度も同じルートを使うのはバレる危険が高まるだろうからやれないけど、これで選択肢は確実…に……)

 

 伸蛙(ノビエール)を撫でながら今後の展望を思い描くが、その言葉はしりすぼみになった。

 何故か。進んだ先にシャクティさんがいたからだ。

 凄い怖い顔で。

 

「……」

「ひぇっ」

 

 女性の顔を見て失礼な悲鳴を上げてしまった僕を許してほしい。

 だがシャクティさんは滅茶苦茶美人なだけあって、怒っていると凄みが凄いのだ。

 

「あ、あのっ! これは……」

「不用意な外出は控えるよう言ったはずだ」

 

 言い訳を考えつく前に頭に振り下ろされる拳骨。

 真っ昼間なのに一瞬目の前が暗くなった。

 

「~~~~っっ」

「まして、騒ぎを起こしたばかりの歓楽街に一人で来るとは何事だ」

 

 畳みかける正論の嵐にグゥの音も出ない。

 そのまま首ったけを掴まれた僕は抗うこともできないまま【アイアム・ガネーシャ】に連行される。

 これは不味い。きっとフリュネさんの時と同じく長時間の説教コースだ。

 顔を青ざめさせながらシャクティさんの様子を恐る恐る見ると。

 

(……?)

「……」

 

 何かを探る様な目付きで春姫さんのいる娼館を見つめていた。

 怒っていたりするわけではなく、なにか不可解なものを観るような……

 

「……探るか」

「え?」

「なんでもない。それよりも今日の説教には神ヘスティアも呼ぶからな」

「それだけはご勘弁を!?」

 

 神様はものすごく貞操観念が厳しい。

 娼館に入りびたりとか思われた日には僕を見る目は絶対零度のモノになるのは間違いないだろう。

 自身の悪行を親に知られんとする子供のように、僕は弁明を捲し立てた。

 結局、神様に全部告げられて僕に雷が落ちたのは言うまでもない。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 憎たらしい青空が今も自分たちを照らしている。

 いつもならば快活な笑みがよく似合う少女は、珍しくそんな風に思った。

 八つ当たりじみた感情をエルフとしての矜持によって恥じる少女……レフィーヤ・ウィリディスはため息をつき、部屋の片隅にうずくまる同胞に視線を向けた。

 

 フィルヴィス・シャリアはあれから一度も喋らない。

 それどころか壊れた人形のように虚ろな目でぼんやりと時間を浪費し続けている。

 

(どうすれば……)

 

 自問に対する答えは簡単だった。

 【ロキ・ファミリア】の団長に、幹部たちに分かること全てを告げればいい。

 フィルヴィスは間違いなくあの朱い女や仮面の男と何らかの関係がある。

 【ロキ・ファミリア】の団員として、それを報告するのは義務とすら言えた。

 

(だけど……)

 

 分かっていてもそうできないのは、レフィーヤはフィンのことをある意味で信頼しているからだ。

 フィンは徹底した現実主義者(リアリスト)だ。その判断に情が挟まることはない。

 そんな彼がフィルヴィスをどう扱うか。それが分からなかった。

 

 いきなり殺すことはないだろう。モンスターと融合しているとはいえ、フィルヴィスはまだ人間と言えるはずだ。

 だが、フィルヴィスが闇派閥(イヴィルス)と、一連の事件の黒幕と繋がっているのならば、その手が全く穢れていないと楽観などできなかった。

 

 人を殺せば恨みが残る。

 その恨みは加害者を庇護するものにも向かうだろう。

 闇派閥(イヴィルス)の大規模な作戦は阻止され続けているとは言え、局所的な被害は出続ける。

 その中にはきっと彼女が関わったものもあるはずだ。

 

 フィルヴィスを保護した場合、【ロキ・ファミリア】にもその恨みが向くことになる。

 小人族(パルゥム)再興のために名声を求めるフィンには面白くないことだ。

 そして、そんなリスクを負うだけの価値がフィルヴィスにあるとも思えなかった。

 

 無論、これは全てレフィーヤの想像だ。

 フィンはレフィーヤ以上に頭が良い。自分では思い付かないようなフィルヴィスの価値を見出だして、何事もなく保護されるかも知れない。

 それでも、レフィーヤは動けなかった。

 

(ディオニュソス様はこの事をご存知なの……?)

 

 レフィーヤの中で恐ろしい仮説が成り立とうとしている。

 現在、【ロキ・ファミリア】と同盟を結んでいる【ディオニュソス・ファミリア】はその実敵なのではないかと。

 

 フィルヴィスがモンスターと融合しているからと言ってディオニュソスが黒になるわけではない。

 ディオニュソスが知らぬうちに出し抜かれている可能性もなくはないのだ。

 下界の人間の偽りが通じない神が相手でそれが出来るかと言われれば難しいが。

 

(でも、私にそう思わせて内部分裂を仕掛けているのかも……)

 

 ディオニュソスが敵ならば何故【ロキ・ファミリア】に接近したのか。

 探偵の協力者が犯人など小説の中だけの話だろう。

 捜査の主導権を握っているならともかく、ロキとディオニュソスでは力関係に差がありすぎてそんな真似は出来るはずかない。

 

 つまり、ディオニュソスが黒幕ならばロキに近づくメリットよりデメリットの方が大きいのだ。

 

(でも神様の気紛れと言われればそれまで……)

 

 考えれば考えるほど分からなくなる。

 自分はどうすべきなのか。どうしたいのか。

 答えが出せず、ホームに帰ることすらできない。

 内通者の可能性に気付きながら、それを報告しないなど背信行為だとすら言える。

 

 フィルヴィスを一度【ディオニュソス・ファミリア】に帰そうと声をかけたときに見せた取り乱した姿。

 中層の食料庫(パントリー)でパーティーを組んだときの凛とした姿からは考えられないほどに、焦燥と恐怖に満ちた叫び声が忘れられない。

 

 ディオニュソスが黒にしろ白にしろフィルヴィスはホームに戻ることはできない。

 怪人(クリーチャー)であることが露見してしまった以上、必ず排斥される。

 そしてギルドや【ガネーシャ・ファミリア】を頼ったところで拘束され、重い刑罰が下されるだろう。

 

 つまり、彼女の居場所はもうどこにもない。

 ここ以外には。レフィーヤが拒絶しない限り、彼女の仮初めの居場所はここになる。

 既に身体の傷が再生しきっているフィルヴィスがまるで出ていこうとしないことが何よりの証拠だ。

 

 それを悟っていて突き放せるほどレフィーヤは薄情になれなかった。

 

(でも、こんなのいつまでも続かない)

 

 暫く留守にする旨の手紙は送ってあるとは言え、いつまでもホームに戻らなければ不審に思われる。

 黒よりのグレーである【ディオニュソス・ファミリア】にいたっては手紙など出せるはずがない。

 

 持って数日。

 それ以上は現状維持などできない。

 必ず選択を迫られるだろう。

 

 フィルヴィスを裏切ってファミリアに彼女を売るか、ファミリアを裏切って彼女を庇うか。

 どの道を選んでも後悔しかない。

 

「私、は」

 

 堂々巡りする思考が答えを出すことを阻む。

 こんなのあんまりだ。

 誰が好き好んで友達を売りたいと思うのか。仲間を裏切りたいと思うのか。

 

 残酷な選択肢を前に、力無き少女は動けない。

 何が正解なのか。

 悔いなき選択は何処にあるのか。

 レフィーヤは答えがほしかった。

 

(こんなとき……)

 

 終わりなき自問自答の中、不意に浮かんだ思考。

 

(彼なら……どうするんでしょう)

 

 愚かな選択の末に自分を救って見せた少年。

 彼ならば、迷わないだろうか。

 最低最悪な道を選ぶことを。




 伸蛙(ノビエール)はスローダンサー様のアイディアでした。
 コメントありがとうございます。
 ヴェルフの装備案はまだ募集しているので、気軽にコメントをしてください。

 ベルは道を突き進む力を切望し
 春姫は少年が曇らず駆け抜けることを切望し
 レフィーヤは間違った道を選ぶ愚かしさを切望する

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