TS喫茶物語   作:ヒィミ

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本編 三話

穏やかな土曜の昼下がり。

勿論例外はあるだろうが、企業勤めのしがないサラリーマンが羽根を休める日。

 

 独身、恋人なし。交際経験も無し、そんな俺は車を走らせる。

ハンドルを握る俺は頭の中で、ハルとの会話を思い出す。

 

『お兄さん。デートの経験、あります?』

『いや、ないけど』

『やっぱりですか。ひょっとして、お兄さんは明日も今のような格好をするつもりなのでは?』

 

 言外でその格好はダメだと言ったハル。

チラリと見る自分の格好は俺にとって、一種の普段着となりつつあるスーツだった。

 

 着慣れない頃は、なんだか堅苦しい感じがしていたスーツも、慣れてしまばコーデを考えなくてすむ最強の普段着だ。

そんなこんなで、ここ七年ほど、俺は洋服と言うものをほとんど着ていない。

 

 そんな俺だ。当然近頃の流行など知らないし、女性受けのする服装を自分で選べ、などと言われてすっかり困り果ててしまっていた。

 

『スーツは、やっぱり駄目か?』

『明日行く場所は映画館ですよ』

 

 その後、一緒に来て選んで貰えないかと頼んだ。

 

『遠慮なしですね。勿論、ダメです。ていうか、デート前日に他の女性と出かけるって、お兄さんはアホなんです?』

 

 と、真顔で説教され、服については結局自分で何とかする事になってしまった。

 

「はぁ。……デートに来て行く服がない」

 

 まさか、この言葉を自分が言う事になるとは思わなかった。

 

 大型ショッピングモールへと向かう車の中で、俺は溜息を吐く。

 

 これが、奈留との、片思いの女性と出かける機会が来た事への、嬉しい悩みなのだから始末に終えない。

 

 

 

 

 デート当日。時刻は十三時。

俺は住宅街の一角で一人、立っていた。

 

 頭上から降り注ぐ日差しを、聳え立つ木々が邪魔をして、そこに立つ俺に日陰というものを提供している。

閑静な日曜の住宅街。その一角に何をするでもなく立っている俺は、はたから見たら不審者そのものなのではないだろうか。

 

 しかし、他人から見たら不審者な俺も、別に目的もなくここに立っているわけではないのだ。

 

 奈留が指定した待ち合わせ場所。それがここだ。

何もない、特に目印となるものがないこの場所が、どうして待ち合わせ場所になるのか。

 

 それは、ここが、俺達にとって意味のある場所だったからに他ならない。

 

 昨日の帰り際、奈留は俺の耳元で、内緒話でもするかのように言った。

 

『翔梧君。明日、いつもの待ち合わせ場所で、十三時に集合ね』

 

 いつもの。その言葉が意味する所に俺はすぐに気がついた。

再開したばかりである俺達の、いつものという言葉。

それはつまり例外なく、「昔の」という言葉が頭に付くということである。

 

 昔の俺と奈留が、待ち合わせに使用していた場所。

それは、俺達が始めて出会った場所で。小学生だった六年間、毎朝会っていた場所。

奈留の家と俺の家の中間地点。この場所から俺達は毎朝一緒に学校へと通ったのだ。

 

 しかし、奈留もよくそんな昔の事を覚えていたな。

俺も人の事は言えないが。

 

 その時、遠くからこちらに向かって走る奈留の姿が視界に映った。

腕時計を見ながら走る彼女が危なっかしくて、俺は声を上げる。

 

「奈留! 急がなくていいから。ゆっくり、前見て来い!」

 

 その声が届いたのだろう。

その場で一瞬立ち止まり、その後とてとてと駆け寄ってきた。

 

「はぁ、はぁ。翔梧君。遅れちゃって、ごめんなさい」

「たったの数分だろ。気にすんなよ。それよりほら、お水」

 

 肩で息をする奈留。この暑さの中を走ったせいで、額には汗が滲んでいた。

鞄から新品のペットボトルを取り出し、渡す。

 

「あ、ごめんね。ありがとう」

 

 ペットボトルを傾ける奈留。その唇に俺は、自然と目が奪われる。

リップクリームか何かを塗っているのだろうか。

赤く濡れるそこは、どうにも色っぽい。

 

「んっ、っく、ぷはぁ。あー、お水美味しっ。……あっ、半分以上飲んじゃ、って、ああ! グロス付いちゃってる。ご、ごめんなさい!」

 

 必死に口元を拭い取ると、キャップをして、そのまま俺に差し出した。

「グロス残ってないと思うけど」なんて言いながら、自分の飲みかけのペットボトルを異性に渡す女性が彼女の他にいるだろうか。

 

 自分の物として、俺に預けておく。というわけではなく、借りた物を返そうという行為。

明らかに俺にペットボトルを返却しようとしているのだ。

 

 奈留の子供っぽさ。そう片付けてしまうには、少しばかり程度が過ぎる。

もしも、俺以外にやってしまったら……。

そう考え、少しだけ注意する事にした。

 

「あ、えっとな。……その水は奈留にあげた物だから。そのまま持ってていいんだぞ」

「えっと、そうなの?」

 

 首をかしげ、「ありがとっ」なんて無邪気に言って、彼女はペットボトルをバッグに仕舞う。

今、自分がしようとした行為の意味になど、全く気付く様子はない。

 

 子供のような無邪気さ。

可愛らしいと、流してしまっていいのだろうか。

俺の中で葛藤が広がる。

 

 いつか、誰かが言っていた。

 

『何、翔梧。間接キスなんて気にしてるの? 子供ね』

 

 俺が気にしすぎだと、そういうことなのだろうか?

女性と接した経験の少ない俺だから、気にしてしまうことなのか?

 

「翔梧君?」

 

 俺が黙っていた所為だろう。

奈留が心配そうに俺を見つめていた。

 

「大丈夫? 体調悪い?」

 

 視界一杯に、奈留の顔が映る。

 

 近付く奈留の顔は、とても可愛らしく、そして綺麗だった。

 

 普段喫茶店で見る彼女は、可愛らしいと表現されるような女性である。

 

 一方、今日の奈留をなんと表現しようか。可愛い。勿論、それも間違いではない。

白のノースリーブに、ピンクのロングスカートという装いは、彼女の清楚さと可愛らしさを存分に引き出している。

普段の喫茶店で見るポニーテールをほどき、長いさらさらの黒髪は頭の上で三つ網のカチューシャを作っている。

唇は乾燥という言葉を忘れたように、ぷるぷるしていた。そんな彼女は、俺が過去に出会ったどんな女性よりも可愛らしいと言って差し支えないだろう。

 

 しかし、今目の前にいる女性の魅力は、それだけだろうか。

 

 うっすらと、派手にならないメイクを施した彼女。

おそらく俺なんかでは知りようもない技術が詰め込まれた奈留の顔。

そこには可愛さと言うよりも、奈留の、大人の女性の美しさがあった。

 

「奈留」

「ん?」

 

 長々と、遠回りをしてしまった。

結局のところ俺は、

 

「自分の飲んだペットボトルを男に返すのは、やめたほうがいい。勘違いされるぞ」

 

 俺以外に、そんな事をして欲しくないだけなのだ。

 

 おそらく奈留は昔の性別の所為で、異性との距離が無意識に近くなってしまっているのだろう。

しかし、その事実を知っている人は多くない。

 

 何も知らないで、奈留から飲みかけのペットボトルを渡されたりしたら……誰だろうと勘違いしてしまう。

勿論俺だって例外じゃない。今だって、心臓がうるさくて仕方がない。

 

 俺の視界では、やっと気が付いたらしい奈留が、顔を真っ赤に染めていた。

その顔を俺は、まともに見ることが出来ない。

 

 今直視してしまえば、きっと俺は今日にでも告白を強行してしまうだろう。

そうすれば、振られて終了だ。当然気まずくなって、折角の再開の感動も一週間で終わってしまう。

 

 だから、今日のところは取り合えず、冷静になろう。

いつまでも外に立っているわけにもいかないし、映画の時刻もある。

 

「あ、えっと。奈留。そろそろ行こうか」

「う、うん。そうだね」

 

 頷く奈留。その姿を見て、俺は今更ながらやるべき事を思い出した。

 

「奈留。その服。凄く似合ってて、可愛いな」

 

 デート指南教本、初級編。

待ち合わせに女性が現れたら、まずは服装などを褒めるべし。(やりすぎ厳禁)

 

 デート初心者の俺は、取り合えず教本に忠実にいこうと思う。

初っ端から随分と遅れてしまったが、まだまだこれからだ。

 

「――っ。あ、ああ、ありがと。あの、翔梧君も凄くカッコいいです」

「お、おう。どうも……」

 

 昨日ショッピングモールで選んだ。というか、ほぼ店員に選んでもらった無難コーデはどうやら間違いではないらしい。

いまどきの服が俺なんかに似合うのかと心配だったが、なんとかなったようでよかった。

 

 一先ず、教本の最初の項目を消化し、俺達はそこから歩き出した。

 

 途端に、俺の手に何やらひんやりとした感触が伝わる。

――その正体は、見るまでもなく……。

 

「おい、奈留……」

「は、はいっ! な、なな、なんでしょうか」

 

 本当に……俺の隣にいるこの女性は、どうして平然とそういうことをするのか。

 

 しっかりと俺の手を握る奈留に、どうしたら異性の距離感という物を教えられるのだろう。

 

 まさか俺は異性のうちに入らない、とか言わないよな……。

そんな新たな心配事を胸に、俺にとって始めてのデートは幕を開けた。

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