「行ってきます!」
甘いホットケーキをお腹一杯食べて、歯磨きして、持ち物の最終確認もして、私は家を出る。
病気に掛かって約半年、長いようで、短かった私のお休みは今日で終わり。
私の中学生活。当たり前に続くと思っていた日常とは、少しだけ違う、変わってしまった私の人生。
隣にいるはずの彼は、いなくて。
彼とお揃いで着るはずだった学ランは、セーラー服に変わって。
見慣れない景色を、一人で歩いていて。
桜はとうに枯れ落ちて。
引きこもりの影響で、夏の日差しに負けそうだけれど。
「なんぼのもんじゃい! どんとこいっ」
なんちゃってね。
そんな悩み、もう卒業済みなのだよ、私は。
全部、ぜーんぶ。ひっくるめて、私は今を楽しむんだ。
一日過ごすごとに、近付く再開の日。
笑っていたらきっとすぐだもんね。
翔梧君と過ごした日々が、あっという間に過ぎ去ったように。
でもね、それにしてもだよ、
「夏……暑すぎだよ、もう……」
ちょっと歩いただけで滲む汗。
この日差しの辛さだけは、やっぱりまだ卒業出来そうもありません。
はぁ、辛い……。
夏の日差しと戦いながら、歩くこと十分ちょっと。
私がこれから三年間、通うことになる中学校に到着した。
「さて、どうしよう」
校門を抜けた私の目の前には、締め切られた昇降口らしき場所。
中には勿論、周囲にも同じ制服を着た人の姿は見えない。
それもそのはずで、現在の時刻は七時四十五分。
普通の登校時間より三十分程早いのだ。
そんな時間に来る生徒はいないので、必然的に昇降口が開いている筈も無かった。
「……本当に、どうしよう」
じんわりと焦りが募る。
転校生である私は、八時位までには学校に来るようにと言われているのだ。
そして、いざ来て見たら昇降口は締め切られ、人の姿はどこにもない。
私はどうしたらいいのだろう。
困り果てた結果、ひょっとしたら、他に入り口があるのかも?
なんて思って学校中を歩き回ってみた。
しかし、どこにも入れる場所は見当たらない。
十分位は歩いて、探せる場所は全部探した。
それでもどこにも、無くて。私は最初の昇降口へと戻ってきた。
校舎に付いている大きな時計が、五十五分を示している。
言われた時間まで、あと五分。このままでは遅刻だ。
そう思ったら自然と視界が滲んできた。
それでも、なんとか入れる場所を探そうと、私は歩く。
そんな時、私の耳に誰かの声が聞こえた。
「もしかして、鳴乃さん?」
その声に振り返ると、そこにはスーツ姿の女の人が立っていた。
ピシッとした女性が私の苗字を呼ぶ。
「そう、です」
「よかった。私はここの教師で、鶴木っていいます」
教師。そう聞いて、私はそれまで我慢していたものが、一気に溢れてしまった。
これが、私と鶴木先生の出会い。
沢山迷惑を掛けることになる、私の恩師。
先生に最初に見せたのは、くしゃくしゃになった泣き顔でした。
もう、恥ずかしすぎる……。
穴があったら埋まりたいです。はい。
「ごめんなさい、鳴乃さん。まさかそんなに早くから来ていたなんて。もう少し早く迎えに出ておくべきだったわ」
先生にあった安心から、溜めてた涙が一気に溢れた私。
『な、鳴乃さん、どうしたの!? えっと、取り敢えず立てる?」
私は先生に肩を抱かれ、校内へと入った。
そのまま、誰もいない部屋に連れて来てもらって、数分。
涙はすぐに引いてきて。次第に恥ずかしさに襲われる。
逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えて、先生にお礼を言う。
「そんなこと、ないです。あの、この部屋連れて来てくれて、ありがとうございます」
もし私があのまま、昇降口で泣き続けていたら……。
時間的にも、きっとそろそろ他の人達も登校してくる。
その中には、当然私のクラスメートになる子もいるはず。
私は転校初日からクラスメートに泣き顔を晒していたかもしれないのだ。
そうなれば、私の中学生活は今日を限りに終わっていた。
そうなるのを、咄嗟の機転で回避してくれた先生には感謝しかない。
「で、でも……さっきの事は、忘れてもらえたら凄く、助かります……」
「ええ。勿論もう忘れたわ」
「えっと、はい……ならもう、大丈夫です」
優しく笑う先生。
さっき会ったばかりで、初対面の筈なのに不思議と安心できた。
中学校には怖くて厳しい先生が沢山いるって聞いていたけど、優しい先生もちゃんといた。
こんな優しい人が私の担任の先生だったらいいなぁ。
そんな事を考えていると、先生が私の前に座った。
「それじゃあ、改めまして。私は
「志保先生? 奈留です。よろしくお願いします」
やったっ! 私の担任の先生だった。
よろしくお願いします。そう言った私に、先生は顔を近づける。
小声になって、志保先生は言った。
「鳴乃さん。あなたの体の事、なんだけどね」
「っ!」
突然の言葉に驚いて、体が固まる。
知っている、志保先生は私の事……。
「大丈夫よ。怖がらないで。私はカウンセラーも兼任しててね、その関係であなたの事を聞いたの」
「カウンセラー?」
先生はスクールカウンセラーっていう仕事もしているらしい。
生徒の悩みを聞いてくれる存在なんだって。
「私以外の先生は基本的に知らないから、安心してね」
「……はい。安心、します……」
私の体の事は隠そうと思ってた。
私の病気は普通じゃないって、ちゃんと知ってるから。
だけどやっぱり誰にも相談できないのは、少し不安もあって。
志保先生なら信頼できるって、会ったばかりだけどそう思えたから。
「志保先生なら、大丈夫です。……でも、他の人には……あの、知られたく、ないです」
「ええ。分かったわ。私も担任として、ちゃんと協力するね」
「はい。よろしくお願いします」
その後、先生と一緒に私の設定を確認していく。
私がこの学校で生活していくために作った偽の過去。
お母さんとお父さんとお医者様が話し合って作った設定は、志保先生にも伝えられていた。
だけど矛盾が出ないようにするために、一応最後の確認をしておこうって言われたのだ。
私は、お父さんの仕事の都合で引越してきた中学一年生。
幼い頃から病気がちで、小学校にはあまり行けていなかった。
今は体調もよくなって、普通に生活できるようになった。
だけど、今でもたまに検査で学校を休む日がある。
ざっくりとした設定はこんな所。
小学校に行けてなかったのは、女の子として生活する上での知識不足の言い訳として使う為に。
学校を休む日があるのは、体の定期健診で病院に行かなければいけない日の為に。
「私の設定は、そんな感じだったと思います」
その他にも細かな設定が沢山あって、例えば私にはお友達がいなかったことになっている。
私には女の子の友達がいなかったから、前の所での友達を聞かれた時に困るからなんだって。
それだけが、私は少し不満だった。
私には沢山じゃなくても、仲良くしてくれる子もいたのに……って思ってしまう。
「鳴乃さん? どうしたの?」
「いえ。なんでもないです」
でも、それは言っても仕方のないこと。
私の心の中に、ちゃんと翔梧君との思い出はある。
誰にも言えなくたって、ちゃんとあるから。
「ねえ、鳴乃さん。私にだけは、なんにも隠さなくても大丈夫よ。この部屋、ちゃんと防音になってるから。なんでも聞くからね」
「……はい。いつか誰かに話したくなった時……聞いてください」
幾ら志保先生でも、翔梧君との事は話せない。
思い出を話す。それは私が翔梧君の事が好きだと、言うようなものだから。
誰にも、バカにされたくない。私の大切な気持ちなんだから。
たとえいけない気持ちだと分かっていても、私の初恋は誰にもバカにさせない。
「無理して抱え込まないでね。私はいつでも、あなたの味方よ。……よし、そろそろね」
そう言って志保先生は立ち上がった。
それを見て私は気を引き締める。
いよいよだ……。
「鳴乃さん。そろそろ時間だけど、準備はいい?」
「はい」
先生の言葉に、私も立ち上がる。
心の準備はとうに済んでいる。
それでも、心臓はバクバクと早くなっていた。
うん。緊張している。
だけど、ここは強がってみよう。
「緊張は、してますけど。……でも、大丈夫です。準備バッチリですっ!」
行こう。新しい舞台へ。
翔梧君、行ってくるからね……。
「はい。皆さん、おはようございます。夏休みは満喫できましたか。今日から新学期、気合入れていきましょう」
1-4組。
私は自分がこれから過ごすクラス。その扉の前で、待機していた。
少し前に入っていった先生が新学期の挨拶をしている。
「さて早速ですが、今日からうちのクラスに転校生が来ます」
心臓のバクバクは過去最高潮に達している。
それを押さえつけながら、私はその時を待つ。
「鳴乃さん。入ってきてください」
その言葉が合図。
私はドアに手を掛け、一度だけ深呼吸をして、教室へと入って行く。
教卓に立つ先生の隣まで歩いていき、そこで立ち止まり、前を向いた。
クラス中の視線が私に向いているのが分かる。
「鳴乃さん。自己紹介をお願いします」
「はいっ。鳴乃 奈留です。父の仕事の都合で引越して来ました。これからよろしくお願いします!」
そのまま軽い自己紹介をする。その後、先生が私の設定を皆に話すのを隣で聞く。
私が自分で説明するよりもずっと分かりやすい。
――先生って凄いなぁ。って改めて思う。
それが終わると、先生は私の席を教えてくれた。
「鳴乃さんは、一番後ろの空いている席に座ってください」
「はい」
私の席は一番後ろという事で、クラスメイトたちの横を横断し、席に付く。
「私、
「よ、よろしくお願いします」
声を掛けてくれたのは隣の席の女の子。
ショートボブがとっても似合ってて、可愛い子だった。
凄く押しの強い子で、質問攻めを受ける。
気が付くと、さっきまでの緊張は何処かへ消えていた。
「ねぇねぇ、なっち。体育館に移動だって。一緒に行こう」
「うん。つ、つきなさん」
月菜さんは問答無用に私を手を引っ張っていく。
「なっち、一緒に帰ろっ」
「う、うん」
また、手を引かれた。
他の子とは、まだ少し距離を感じる。
なのに、この子だけは、違った。
「えっ、なっちの家あそこなの!? めっちゃ近くじゃん」
「えっと、そうなの?」
「うんっ。うんうん。あっ、そうだ! 明日から一緒に学校行こうよ!」
明日から登校が一人じゃなくなるらしい。
だけど、良いのかな?
月菜さん、ずっと私に構ってくれるけど……大丈夫なのかな?
転校初日から、お友達が出来ました。
月菜ちゃん。初めての同性のお友達。
グイグイ来られるのにめっぽう弱い奈留でした。
本編よりも過去話の方が書くの楽しい。