MH ~IF Another  World~   作:K/K

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見通す者と崩すモノ

「どうやら彼はいい餌になってくれたみたいですねぇ」

 

 機嫌の良さそうな表情を浮かべながら、エムは開かれている地図の海の箇所へと赤い×印を描く。それをソファに座るエヌが見ていたが、エヌの表情はエムとは違い露骨な不快感が現れていた。

 

「てめぇのことだからその場所を選んだ理由があると思っていたが……そこに『アレ』の同類が潜んでいるんだったら最初から言っておけ」

 

 慇懃無礼な口調を捨て、乱暴な話し方をするエヌ。彼を少しでも知るものであったならばその態度に瞠目するであろうが、この喋り方こそがエヌ本来のものである。尤も彼の本性を知る者は片手で数える程しか存在しない。

 

「いやいや。情報を扱う者としては不確かなものを兄さんやエクス様に教える訳にはいかないよ。今回は結構強固に情報が守られていたからね。まあ、自慢の軍艦を数隻喪失、それもたった一匹にやられた、なーんてこと他所には知られたくないよね。面子に関わるし。しかし、彼も最後の最後で非常に役立ってくれたね」

 

 兄の乱暴な言葉も簡単に受け流し、今回の件で亡くなった貴族へ賞賛の言葉を向けるが形だけの褒め言葉であり、それ故に感情が込められていないことが浮き彫りとなる。

 

「何が役に立っただ。とんでもない置き土産を置いていきやがった奴に褒める言葉なんざ必要ねぇ」

「あはははは。死んだ人間を悪く言うのはどうだろう?」

「死ねば全てチャラになるっているんだったら後十数回は死んでも貰わないと割にあわねぇよ。チッ! せいぜいアイツの残した財産は有効活用させて貰うさ。遺族に支払う金にギルドの資金や俺の金を使うなんて馬鹿馬鹿しいからな」

「兄さんは金銭関連には厳しいねぇ」

「わざわざ尻拭いをしてやろうとしてんだ、文句なんて誰にも言わせねぇよ。本当なら、幹部会で吊し上げて二度とこんなことが起きないように見せしめにしてやる予定だったんだがな、尻尾の振り方を忘れて生意気にもこっちの言うことを無視した犬がどうなるかってやつをよ。……どっかの誰かさんのおかげで御破算したがな」

「要らない手間を省いただけさ。どうせ遅かれ早かれギルドから離れる人材だったし」

 

 エヌの不快感。自分たちに対し隠し事をしていただけでなく自分の思惑から外れることをされたことも含まれていたが、エムはしれっとした表情で言葉を返す。互いに顔付きが変わることはなかったが、場に漂う空気に重みと熱が混ざり始めていた。

 

「そこまでですよ」

 

 しかしそこに介入するエクスの声に、場の空気は瞬時に払拭される。

 

「先のことを真剣に考えてくれるのは嬉しいですが、それで仲違いしてしまえば元も子もありませんよ」

 

 穏やかな声は風に揺れる大樹の葉々が擦れ合うような心地よさを感じさせる。互いに本格的に熱が入る前に止められたことで急速に頭が冷えてきたらしく、エヌはバツの悪そうな顔となり、エムはエクスに頭を軽く下げた。

 

「色々と申し訳ございません。エクス様まで欺くような真似をしてしまい」

 

 このとき顔を背けていたエヌが小声で『俺ならいいのかよ』と愚痴る。

 

「いえいえ。エム君は昔から聡明な子でしたからね。きっと多くのことを考えた結果が今回の選択なのでしょう。エヌ君もきちんと話せば分かってくれますよ。――しかし彼には申し訳ないことをしましたね」

「その言葉感謝致します。まあ、必要な犠牲ですよ。これまで消えていった命の中にまた一つ加わるだけのこと。エクス様にそう思われるだけでもあの貴族も地獄で報われた気持ちになりますよ――あと申し訳ないのですができれば君付けは止めてください。僕もそれなりの年齢になるので……」

「ふふふふ。すみません。どうにも昔からの呼び癖は中々抜けない」

「……それでこれが今の『奴ら』の取り敢えずの住処でいいんだな?」

 

 エクスの一言で毒気が抜けたのか、まだ顔は顰めているもののエヌは話を先に進める。

 

「情報と『あの人』の言葉が正しいのなら、これで間違いないと思いますよ」

 

 エムの前に広げられた地図には、先程描かれた×印以外にも既に何箇所か印が描かれていた。とある孤島に一つ、とある砂漠に一つ、そして惨劇のあったナナ森にも×が描かれている。

 

「それなりの時間と人員を割いて分かったのはこの程度ですけどね。言い方は悪いですが正直な所、ナナ森での一件は、僕からしたらあの程度の犠牲でかなりの成果を持ち帰って来たと評したいな。前に編成したときはベテランが二十以上死んで、得られた成果が鱗一枚だけですからね。今回は本当に運がいい」

「俺らがそう思っても周りは納得しねぇよ。特にあのワイトは、な。けっ、俺らと同じで『奴ら』の怖さを知っている筈なのにな」

「あの人は良い人ですからねー。こっちの世界にはあまり向かない人ですけど、仕事を抜きにしたらお友達になりたいと思っているんですけど。僕、あの人をモデルにした小説を愛読しているんで」

 

 表向きは敵対的な態度をとっているものの、内心ではかなり高い評価をしている二人。その評価には彼らにしか理解出来ないある事情が含まれていた。

 

「……いい加減あの人をこちら側に招いてもいいんじゃないですか? あの人の人望はこっちにとっても有り難いものですし。――何より表向きとは言え相対する態度を取り続けるのは、僕らにとってあまり好ましいことではりませんし」

 

 エムの言葉にエヌは背けていた顔を向ける。その顔に険しさは抜けていたが、代わりに触れれば裂けてしまいそうな鋭さを持った冷徹な表情が露わになっていた。

 

「まだ早い。確かにあーだこーだと喚きあっているのは疲れるし鬱陶しいが、引き入れるには時期尚早だ。こっち側なんていつ沈むか分からない泥船だからな」

「私もエヌ君の意見に賛同します。我々は未だに全貌を掴んではいません。確かに彼の能力は魅力的ですが、このまま招いたとしてもその能力を十全に発揮できる環境は整ってはいません。高い能力の者を飼い殺しにする訳にはいきませんからね」

 

 エクスとエヌの言葉を聞き、エムは残念といった様子で肩を竦める。ただ二人に反論をしなかったことを見るに彼自身あくまで希望を述べただけに過ぎず、却下されることを前提に話したようであった。

 

「仮にこっち側のことを教えるにしても、彼奴が『アレ』を見つけるまでは教えることは出来んな」

「『アレ』……本当にあるんでしょうか? それを手に入れる為にわざわざここにいくなんて……」

 

 エムは地図に描かれたある地点に目を落とす。そこには他に箇所と同じ×の字が描かれている。

 

「ま、彼奴の目を信じろ、としか言えないな」

 

 

 

 

 同時刻。マガン雪山。

 周囲一帯が氷に包まれた山に囲まれ、春夏秋冬関係なく一年中零を下回る気温を保ち続ける氷の世界。そこで生息する動物は少なく、同時にその地方に住む人々も少ない。故にここは殆どが未開の地と化していた。

 そんな未開の地で、何層にも重なった氷の上に薄く雪が積もった雪原の真ん中で、一人の男が立っていた。見た目はおよそ三十代半ば。およそと曖昧な表現が入るのは、男の格好に問題があるからである。顔の上半分が、目の部分に色付きのレンズが嵌められた白の面で隠されているからである。更に男は凍死してしまうかもしれない気温の中で普通の衣服の上に白衣のみを纏うという、奇抜さと常軌を逸した格好が同居している。しかし、どういった訳かそんな薄着にも関わらず男は身震い一つもせず、そして低温の中であるのに吐く息が白くない。男は足下の雪の感触を確かめるように二度、三度踏み締め、そして――

 

「全く以ってクソつまらん景色だ」

 

 目の前に広がる景色に悪態を吐いた。

 

「何だ何だ何だ目の前に広がるこの光景は! 白! 白! 白! 代わり映えのしない白ばかりだ! つまらな過ぎて目が腐りそうだ! おまけに動物の一匹すら見つからない! つまらんところだと思っていたが実際に来てみると本当につまらん場所だなここは! 退屈過ぎて吐きそうだ!」

 

 悪態に悪態を重ね、物言わぬ自然を罵倒する。息吐く暇無く捲くしたてる男性の背後から、複数の足音が聞こえてきた。

 

「申し訳ないが勝手な行動は慎んでくれないか?」

 

 現れた男たちは全員共通した防寒用の帽子を被り厚手の白いコートを纏い、腰には柄の部分に印章が刻まれた剣を携えている。その内の一番年上の男がやや苛立った様子で白衣の男の行動を咎めた。

 

「すまないすまない。だがこんな阿呆みたいに同じ景色が連なる場所を歩いていると、いい加減嫌気が差してくるのでね。ついつい気分転換をしたくなるのだよ。君らは嫌気を覚えないのかい?」

「……その阿呆みたいな景色が見えるこの地こそ我々の故郷ですので」

「失敬失敬。そう言えばそうだった。君らの祖先も物好きだ――あるいは被虐嗜好が有るのかな?」

 

 悪びれた様子も無い白衣の男の態度に、白コートたちから殺気立った気配が湧く。誰もが白衣の男に対し憎々しげな眼差しと嫌悪の感情を向ける。しかし白衣の男はそんな情を向けられても口の端を吊り上げて笑う。排他的な感情に鈍感なのではなく、分かっていての行動であった。

 

「ヴィヴィ殿。些か口が――」

「すまないが名を呼ぶときは後に『先生』と付けてくれないか? そう呼ばれるのが好きなのだよ私は」

 

 呼び方を強要する白衣の男ことヴィヴィに、男たちは更に苛立ちを募らせる。

 

「……ヴィヴィ先生殿。改めて言わせてもらうが……」

「にしても本当に殺風景だなここは、彩が少ないとこうも心がささくれそうになるのか。他の連中を連れてこなくて正解だったな。ギルドの荒くれ者たちはただでさえ心がささくれている所か、腐っているような連中ばかりだからな。その点君らのような清廉潔白を体現したような兵士たちが護衛だと私も心強い。ああ、本当にあのとき心底くっだらないことで揉めてこのような形になって正解だった」

 

 会話を膨大な会話で遮り自分勝手に言葉を並べて行く。その中には自分を囲む男達――兵士――への皮肉や嫌味が込められていた。好感を覚えさせる気など微塵も無く、下手をすれば腰に差した剣に手を伸ばされてもおかしくはない言動である。

 

「……ここは我々の土地です。如何に貴方方の権力が強大なものであったとしても誰もかれもが好んで尻尾を振る訳では無い」

 

 ヴィヴィや兵士の代表が言っているように、本来ならばこの場所に来ていたのはヴィヴィと彼が連れて来たギルドの冒険者たちであった。他国に大勢の人間を連れ、しかも事情も詳しく教えない内密状態で勝手に調査をするという横暴極まりない行為をこの地でする筈であり、ソレに目を瞑るようにこの国の権力者の何人かの袖にそれなりの金品を送り込んでいた。だがいざこの国へと着くと思わぬ事態が発生する。国直属の兵士たちが監視の為に派遣されたのである。

 黙認される予定であったのにそれを裏切る行為。すぐに金を渡した連中へと連絡を試みたが返ってきたのは知らぬ存ぜぬといった回答であり、あろうことか賄賂を贈られたことにすらシラを切ってきたのである。

 この事態にヴィヴィはある推測を立てた。恐らくは金を貰った権力者のうちの誰かがこのことを洩らした。それを咎められたが賄賂を受け取ったことを見逃すとでも言われて洗い浚い情報を吐いたと思われる。罪に問われず、金も入るという浅はかな思考の末の行動。

 金を送るならばもっと悪知恵が働かない程頭の中身が空な奴にすれば良かったと、このときヴィヴィは後悔するのであった。

 だからといって仕事を放棄する訳にも行かず、そこでヴィヴィはある行動にでる。それは連れて来た冒険者たちを見逃してくれるならばそれ相応の礼を支払うというもの。時間を掛ければもっと別の方法をとるのであったが、とある事情であまり時間を掛けることが出来ないため、手っ取り早い方法を選択した。

 当然ながら兵士側に反発が起こる。何故自分たちが得体の知れない連中に手を貸さねばならないのかと、しかしそこは兵士に対し破格とも言える報酬を支払うというかなり強引な手段をとったのである。

 金に糸目を付けない方法。それに対し国側は金では無くそこまで必死になって探す対象の方に興味を持ち、一体何を探すのか調査することを決断した。

 国側は冒険者たちの自由な行動を禁ずることを止めなかったが、代わりに同じ数の兵士たちを同行させることを提案する。

 それを聞いた時点で相手の思惑を察したヴィヴィであったが、拒否せずにそれを承諾した。だがそのとき二つの条件を提示する。

 一つは代表者である自分が先導すること。そしてもう一つの条件は――

 ザクザクと雪を踏み締める音が兵士たちの背後から聞こえてくる。

 ただの足音。にも関わらずその音は重く、意識せずとも足音の持ち主に注意を向けさせるあるものが含まれていた。

 そのあるものとは威圧、あるいは本能的な恐怖。聞く者誰もが足音の持ち主からそれを感じ取っていた。

 最後尾から姿を見せたのは短く刈り揃えられた白髪の頭髪、そして口の周りを覆う長い白髭をたくわえた初老の男性であった。これだけならば誰も危機感など覚えはしなかったが、その初老の男性は見上げる程の巨漢の持ち主であった。

 少なく見積もっても二メートルはあろう身長。しかも体が長いのではなく大きい。全身に防寒用の毛皮の衣服を纏っている為に通常よりも大柄に見えるが、それでも子供の胴体ほどの太さだと見て分かる腕や脚。脂肪などの肥満による膨張では無く、明らかに研鑽によって積まれた筋肉による膨らみであった。

 そして何よりも目に付くのが彼の背負っている物体。自分の身長と変わらない長さを持ち横幅も人の胴体程ある筒状の物体。全体を白い布で巻かれている為、詳細は分からないが一見するだけで異様だと分かる。

 彼こそがもう一つの条件として同行を許可された人物であり、唯一ギルドの冒険者ではないという。その老いを全く感じさせない直立的な姿勢から、兵士たちは同じ軍出身の人物ではないかと推測していた。

 老人は目の前の揉め事にも口を挟まず黙ってその場にいる。兵士たちも最初に出会ったときから一度も彼の声を聞いてはいない。不気味なまでに寡黙であり名すらもヴィヴィから間接的に聞いたぐらいである。

 

「ディネブ殿もここで突っ立って喋っていないでさっさと先に行けと催促している。文句は後でまとめて聞くので先に行きましょう? 君らもこの先に何があるのか知りたいんだろう?」

 

 発作的に殴り飛ばしたくなる程の底意地の悪い笑みを浮かべ、兵士たちが何か言うよりも先に振り返って先へと進む。その態度に何人もの兵士が奥歯を噛み締めたり、拳を強く握ったりしていたが直接的な行動には移らず大人しくその後を追う。

 元より勝手に国に入ってきたことで印象など良くは無かったが、出発前に彼が言った――

 

『自分の命は自分で守りましょう。私も私の命を最優先で護るので。例え君らが目の前で死ぬことがあったとしても助けるつもりは無いので淡い期待は持たないでくれるね』

 

――という台詞で底辺まで落ちている。

 数々の敵意と殺気を受けながらも、鼻唄を唄う余裕を見せながらヴィヴィは雪原を進んで行く。

 上り下り。段差。亀裂。道中で行く手を妨げる困難な障害。この地に住み、日頃から鍛錬をしている兵士たちですら疲労を覚えるものであったが、筋骨隆々としたディネブはともかくとして痩身のヴィヴィは鼻唄を絶やすことなく軽々とした足取りでそれらを余裕で踏破していく。それは明らかに異常な姿であった。

 しかし兵士たちも誇りからか、弱音や愚痴などを洩らさずひたすら黙々とヴィヴィの後を追い続けて行く。

 だが追って行く内に兵士たちの胸中である疑問が湧いてきた。出発前に目指す地点を知らされていたが、距離を考えるとそろそろ中間地点を通り過ぎる筈であるが、地図で確認した目印となる山が見当たらない。前に進んでいるが明らかに最短距離ではなく、遠回りをする道を選んでいる。

 そのことに兵士たちは不信感を覚えていた。

 食糧などは十分に持ってきているが、悪戯に体力を消耗させるようなことをさせるヴィヴィに対し理由を問おうかと兵士長が声を掛けようとしたとき、ヴィヴィは急に鼻唄を唄うのを止め振り返る。

 急なことに兵士たちも驚くが、ヴィヴィの眼中には兵士たちの姿は無く、何処か遠くをみつめ口の端を不愉快そうに歪める。

 

「鬱陶しいな……」

 

 ぼそりと呟く言葉。そこには陽気など無く苛立ちが込められている。兵士たちも気になってヴィヴィが向いている方向に目を向けるも、そこには何もなく白い大地が広がるのみ。

 見ればディネブもまたヴィヴィと同じ方向を向いている。しばらく視線を左右に向けた後、ヴィヴィの方を見た。

 

「取り敢えずはほっときましょう。あれらと戯れるのが私たちの仕事じゃない」

 

 口を真一文字に固く結んだ無表情だというのに言いたいことが分かるらしく、間違っていないのかそれを聞いたディネブは視線を伏せた。

 

「一体どうしたのいうのですか?」

「大したことはないんですがね。ちょいとばっかし気になったもので。あ、別に気にしなくてもいいですよ。今の段階では実害はないので」

 

 それ以上は語るつもりは無いらしく、すぐに反転すると先程よりもやや歩調を早めて動き始めた。

 明らかに何かあったのだと分かるが、説明する気が相手にないので追及も出来ない。兵士たちはもう一度ヴィヴィたちが見ていた方角を見るが、雪の白さが見えるだけで何も分からなかった。

 仕方なく兵士たちはヴィヴィの後を付いて行く。

 ヴィヴィたちが去って間も無くした頃、ヴィヴィとディネブが見ていた白い大地に変化があった。積もる雪が隆起し、ヴィヴィたちの追って雪を盛り上がらせながら先へと進んで行く。

 その数は一つでは無く、複数であった。

 

 

 

 

 両脇にそびえ立つ山壁。ようやく目的地まで残り半分という場所に到達した。かなり迂回したルートで来たせいもあり、兵士たちに多少の疲労が見える。しかし、それでも弱音一つ洩らさない辺りを見ると精神的な屈強さが垣間見える。

 そのとき前方を歩く足音が止まる。釣られて兵士たちの足も止まった。

 声を掛けず立ち止まったヴィヴィ。休憩でもとるのかという考えが一瞬脳裏を過ぎるが、すぐにその考えは消え去った。短い時間しか一緒に行動していないが、少なくともヴィヴィという男は他人を気遣うような性格ではない。そしてなにより、立ち止まるヴィヴィからは声を掛けることすら躊躇われる程の刺々しい気配が撒かれていた。

 

「脅しも効果なしか……仕方ないな」

 

 呟くヴィヴィから殺気染みた気配が消失する。意図して放っていたらしい。

 

「剣、抜いた方がいいですよ」

「……何ですと?」

「ここで一戦交えますんで」

 

 何気なく言われた言葉に兵士たち全体に緊張が走る。

 柄に手を添えたまま前を見るが敵の姿は無い。後ろを見るがこちらにも敵の姿は無い。

 ならば何処から来るのか。その答えは――

 かつんという音を立て小さな氷の塊が壁の上から転がり落ちる。

 見上げた兵士たちが見たものは自分たちに向かって飛び掛かる複数の影であった。

 

「回避ぃぃ!」

 

 兵士長の声に、考えるよりも先に訓練で体に染みつかせた動きが兵士たちの身体を突き動かす。ある者は転がるようにしてその場から離れ、ある者は地面に体を投げ出すようにして避ける。

 全員が影の落下地点から逃げのびた直後、影たちの着地と共に積もっていた雪が水柱のように舞い上がる。

 

「抜剣!」

 

 号令に合わせ兵士たちは一斉に剣を抜く。この速やかな行動が兵士たちの命を繋げるものとなる。

 甲高い声を上げ、舞う雪を突き破りながら姿を見せる襲撃者。

 全身を白い体毛で覆い、顔に青、橙といった皮膚の色を持った猿に似た生物。それらが牙を剥き出しにし爪を掲げながら、自分たちから見て一番近い位置にいた兵士へと襲いかかった。

 

「おおおおお!」

 

 雄叫びを上げ、剣を構える兵士。それに怯える事無く白い猿は兵士の喉を狙って爪を振るう。それをとっさに剣の腹で受け止めるが、人並みの大きさを持つ白い猿の一撃は予想を上回る程に重く、両腕で受け止めることが精一杯であった。

 突進の勢いで押し倒される兵士。その間に白い猿は大きく口を開き、その鋭歯を兵士の喉元に突き刺そうとするが、その前に助けに入ったもう一人の兵士が馬乗りになっている白い猿の胴体に横薙ぎの一撃を叩き込んだ。しかし刃は喰い込むものの猿の体毛によって斬り裂くには至らず、結果として鈍器で殴りつけたような状態となってしまう。

 白い猿は苦しそうな叫びを上げて乗っかっていた兵士の上から飛び退く。

 窮地に追い込まれているのはこの兵士だけではなく、他の兵士たちもそれぞれ白い猿に襲われていた。だが幸いにも兵士たちの数が上回っている為に、一匹に対し複数で当たれる為に少し押されているものの怪我人はいなかった。

 しかし――

 

「くぅぅぅ!」

 

 数が優っていても当然の如く援護が間に合わない兵士も居る。奇襲を受けた際、最初の一撃は剣で防げたもののそこから腹部を蹴り飛ばされ、雪の上を滑り転がる。その拍子に握っていた剣が手から抜けてしまい戦う術も失ってしまう。

 何とか立ち上がろうとする兵士。そこを猿が追撃と言わんばかりに大口を開いて襲い掛かってくる。

 駄目だ。そう思った次の時、大口を開いた猿の口の中に白い物体が叩き込まれた。口の大きさよりも大きなそれを突き込まれた猿は歯が殆どへし折られ、衝撃で外れたらしく下顎がだらりと下がる。

 兵士が振り向くと背後には無言で立つディネブがおり、背中に担いでいた白い筒状の物体をあろうことか片手で軽々と突き出していた。

 その状態から猿の口に突っ込んであった筒を抜く。赤い血の糸を引き折れた歯を撒き散らしながら抜かれた筒を持ち上げると、痛みに悶える猿の脳天に躊躇なく叩きつける。

 重さと振るわれた勢いによって生まれた威力を叩きつけられた猿の頭は容易く割れ、その中身を外へとはみ出させるがそれでも破壊は止まらず、上からの圧力によって猿の眼球は飛出し、首は胴体の中へと押し込まれる。叩きつけた筒を持ち上げると、そこには頭が胴体に完全に沈み込み胴体の一部となったかのような死体があった。

 ディネブは撲殺した猿の死体に目もくれず、筒に巻かれている布を取り外す。猿の血と脳漿で汚れた布の下から現れたのは、果たして武器と呼称していいのか疑問を抱かざるを得ないものであった。

 布に巻かれた状態でも筒状のものであると分かっていたが、いざ布を取り外すと出てきたのはまさに大砲の筒そのものであった。

 全体は鉛色であり、大砲の側面と後部に持つための握りが備わっている。そして砲門の上下には挟むようにして折り畳まれた物体。ディネブが握りの部分を掴むと折り畳まれた部分が展開し、銀色に輝く刃が現れた。銃剣ならぬ砲剣とも言うべき装備である。

 ディネブは展開した武器を構えると、視線だけを動かし最初の狙いを定める。

 灰色の瞳に映る獲物は、二人の兵士に乗り掛かり何度も爪を突き立てている猿。二人の兵士も懸命に剣や腕に装備された籠手などで防いでいるものの、突破されるのは時間の問題であった。

 ディネブは後部に備えられた握りを持つ右腕を振り上げる。下から掬い上げるような形となった砲剣。そして左足を前に一歩踏み出し体の右半身を引くような構えをとった。

 大きく息を吸い、噴煙を彷彿とさせるような白い息を吐き出すと、衣服越しでも分かる程に両脚の筋肉が膨張する。

 溜め込まれた力。それが対象に向かって一気に爆発する。

 地を蹴り飛ばす右足。それによって積もる雪が爆ぜるようにして飛び散る。疾走する巨躯は瞬く間に最高速へと達すると勢いを全く殺さず、乗り掛かっていた猿の胴体目掛け刃の先端を突き立てた。

 猿の脇腹に埋め込まれた刃はいとも容易く反対側にまで貫通する。兵士たちですら刃を突き立てることが出来なかった体毛の鎧など、まるで無いかのように。

 貫いた刃もディネブもそれだけでは止まらず、更にもう一匹の猿を狙う。仲間の悲痛な叫びを聞いていた別の猿は兵士に攻撃を加えるのを止め、素早く距離をとろうとするがそれを上回る二歩目の加速が間を広げる所か縮め、逃げる暇すら与えずにその猿の脇腹に刃を捩じり込む。二匹の猿の悲鳴が重なり、白い平原にこだまするもディネブは眉一つ動かすことはない。

 二匹を貫いたままディネブは砲剣を真上に掲げる。猿は人と変わらない体格をしている為、少なく見積もっても数十キロはあり更に砲剣の重さを加えるならば百キロは超えている。にも関わらず持ち上げるディネブの身体は芯が一切ずれず真っ直ぐとしており、大地に根を生やしているのではないかと思える程ふらつかない。

 その体勢でディネブは大きく息を吸い込む。ただの呼吸である筈が周りの全ての空気が吸い込まれているのではないかと錯覚を覚えてしまう。

 それに呼応するかのように鉛色の砲身にも変化があった。砲身に白色の文字が無数に現れる。最初から刻まれていたものらしく、血管を流れる血液のように下から砲口に掛けて次々と文字が浮かび上がっていく。

 それが砲口まで辿り着いたとき、砲口から白色の光が漏れ出したかと思えば吹き付ける風を思わせる音が砲口から響き、白色の光が発射された。

 離れていた兵士たちの顔に雪国ではありえない温かい風が当たってくる、それは白色の光が放出する熱による余波であった。

 近くにいなくても感じる熱。それを直に浴びせられている猿たちはどうなったのか。

 その答えは雪の上に落下する複数の音が示していた。

 雪の上に転がる猿たち。しかしその身体が上半身と下半身が分かれた状態であった。高熱によって焼き斬られた切断面は完全に炭化しており、零れる血も内臓も無い。そのせいか地面に仰向けに倒れる猿たちは意識があるのか、瞬きや手を動かすなどしていたが、間もなくしてそれも出来なくなり絶命した。

 残酷とも言える所業。しかしそれを行ったディネブは眉一つ動かさない。最初から最後まで同じ表情のまま淡々と殺害を行っていた。

 場に漂う焼けた肉の薫り。それに敏感に反応するは猿たち。仲間を殺されたという情報の伝播が彼らに動揺と隙を生み出す。

 

「はああああ!」

 

 動きが鈍くなった猿に突進し地面へと押し倒す兵士。すぐにそこへ二、三人の兵士たちが駆け寄り剣を構えると、刃が刺さり難い胴体ではなく毛に覆われていない顔面に向けて一声に剣を振り下ろした。

 眼球、額、口など脆い部分に剣は刺さる。だが猿たちを侮らない兵士たちはそれで殺したとは考えず、剣を素早く抜くと再び剣を突き下ろす。

 傍から見れば残酷と言える光景であるが、生き抜こうとしている兵士たちにとって格好を気に掛ける余裕など無かった。事実、似たような姿があちらこちらで繰り広げられている。

 誰もが鬼気迫る形相で敵を排除していく中、ヴィヴィだけが身構えることも身を隠すこともせず顎に指を当てた姿で一人棒立ちしていた。

 その視線は襲ってきた猿たちに向けられ何かぶつぶつと呟いている。

 

「ブヤンゴ? ……いやドュリャンゴか? ……ブラングォ?」

 

 名らしきものを何度も呟くが、どれもしっくり来ないのか呟く度に首を傾げている。

 そんな無防備状態のヴィヴィを敵が放っておくわけも無く、一匹の猿がヴィヴィへと狙いを付け、牽制の為か手慣れた動きで地面の雪を掬い取り、それを握り締めて手の中で玉にするとヴィヴィに向けて投げ放つ。

 並外れた腕力で投擲された雪玉は、一直線でヴィヴィへと向かう。しかしヴィヴィの目には雪玉など入ってはおらず、ひたすら他の猿たちに向けられていた。

 雪玉が直撃する。そう思われた瞬間、ヴィヴィは視界を固定したまま首だけを動かしそれをあっさりと回避してみせた。

 

「うーむ……いまいち判り辛い……」

 

 まさに眼中に無いといった態度を取り続けるヴィヴィに対し、先程雪玉を投げつけた猿が今度は爪を振りかざしながら駆け寄ってくる。

 雪玉が当たらないならば直接攻撃を加えるまでといった考えからの行動。殺気立った様子で接近する猿にヴィヴィは未だに棒立ちを続けている。

 地を走る猿が間合いまで近寄り、ヴィヴィに飛び掛かろうとした瞬間、初めてヴィヴィの視線がその猿へと向けられる。仮面越しから浴びせられる視線。それを受けた猿はどういった訳か飛び掛かることはせず、その場で転び勢いのまま地面を滑って行く。

 数メートル程滑ってから猿は止まるが、猿は飛び掛かろうとした体勢のまま固まっており、動けないのか体を細かく震わせていた。

 

「ふぅ……ふぅ……一体何なのだ。こいつらは……」

 

 兵士長が荒い息を吐き額から汗を流しながら、猿に突き刺していた剣を引き抜く。既に残りの猿たちも兵士たちによって狩られていた。兵士長は戦い終えた兵士たちを見回す、細かい傷を受けたものは居るが動けない程の大怪我を負ったものはいない。数で優っていたことが幸いした結果であった。

 

「運が良かったな」

 

 戦いに不参加であったヴィヴィは笑いながら兵士長へと話しかける。その手には痙攣して動けない猿が掴まれていた。

 

「こいつらは本来ボス猿を中心にして動くみたいだが、そのボスとは離れてここに来たみたいだ。道理で判断と動きが悪い訳だ」

「……この獣のことをご存じで? 私たちは初めて見ますが……」

「いや、私も初めて見るよ。――だが私には分かるのだよ」

 

 仮面に填め込まれたレンズが光を反射し、きらりと光る。

 

「名はブヤンゴ、ドュリャンゴ、ブラングォのどれかだろうな。はっきりとは断定出来ないがどれかが近い筈だ。ここの気候と近い所に生息していたみたいだ」

 

 分かるといった割には曖昧な表現が混ざっている。

 

「はっきりとは分からないのですか?」

「済まないが無理だ。何せあっちの言葉はよく分からないからね」

 

 あっちという言葉に兵士長は怪訝そうな表情をする。ヴィヴィの言葉が正しいのならばこの猿たちは別の場所からここに住みついたということとなる。

 

「ああ、それと誰かこの猿を運んでくれないか? 研究用に役立つと思ったのでね。なぁーに、少なくともこの仕事が終わるまで動きはしないさ」

 

 そう言って猿を突き出す。それを見た兵士たちは誰もが嫌そうな表情をした。ついさっきまで殺し合いをしていた獣など運びたいとは思わない。

 動こうとはしない兵士たち。すると兵士たちを割って無言でディネブが近付いてきた。

 

「おー、流石ディネブ殿。やはり頼り――」

 

 そこまで言い掛け、ヴィヴィの言葉が止まる。同時に掴んでいた手が離され猿が地面へと落ちた。

 ヴィヴィの反応にディネブもまた背中に背負う砲剣に手を伸ばす。

 

「なんてこった……」

 

 声を洩らすヴィヴィ。その表情には明らかに焦りが見えた。

 ヴィヴィは一気に振り返るとその場から駆け出す。ディネブもまた何も言わずその後を追う。

 

「な! お待ちを!」

 

 いきなりの行動に兵士たちも驚くがすぐにその後を追って走り始めた。

 

「一体、一体何があったんですか!」

 

 走りながら叫ぶ兵士長。

 

「死にたくなければとっとと走れ! 少なくともあそこに生えている木よりも前に行けぇぇぇ!」

 

 指し示した方向には一本の枯れ木が立っている。余裕に満ちた声では無く必死な声での指示。その豹変に兵士たちの中に動揺が生まれる。

 

「あー、何てことだ! 折角会わないように道を選んできたのに! それは反則だろうがぁぁぁぁ!」

 

 ヤケクソ気味に叫ぶヴィヴィ。何かに恐怖している様にも見えた。

 そのとき兵士たちの体勢が一斉に崩れる。足元から伝わってくる浮遊感。それが走る兵士たちのバランスをおかしくしていた。

 

「地面が揺れている……?」

「くっ! 兎に角今は忠告通りにあの木まで走れ!」

 

 何かが起こっている。それを肌で感じた兵士たちはただひたすら全力疾走を続けた。

 そして全員が指定された枯れ木を超えたとき、それは起こった。

 先程まで前を通っていた崖。それが大きく揺れ動いている。崖からは大中小と大きさがバラバラな岩が落ち、長年張り付いていた氷塊もその揺れに負けて崩れ落ちて行く。

 背後からの轟音に怯え、振り向いた兵士の一人が見たものは今まさに目の前で崩れていく山の姿。

 

「何だ! 何だこれは!」

「ああ、ああ……。最短距離で来やがった……」

 

 虚ろに笑うヴィヴィ。口振りからして何かを知っている様子である。

 

「あれは一体何なんだ!」

「甘くは見ていないつもりだったんだけどなー……まさかそう来るとは……」

 

 兵士長の怒声も聞こえないのか独白するヴィヴィ。

 崩れ落ちて行く雪が舞い白く覆い尽くされる山。しかし、その中から明らかに岩や氷塊が落ちる以外の音が聞こえてくる。一定の間隔で聞こえてくるそれは足音のように聞こえた。

 

「まさか山一つくり貫いてくるなんて……」

 

 直後、崩落の音も消え去る程の咆哮が雪山へと響き渡る。その咆哮は舞う雪を吹き飛ばし咆哮の主を露わにさせる。

 全身を覆う甲冑を彷彿とさせる、いくつも連なった甲殻。大木よりも更に太く巨大な四肢。顎の部分は鋭角な形で発達しものを掬い上げるのに適した形になっている。

 極めつけはその体格。既存の生物を遥かに凌ぎ、軽く見ても三十メートル程の大きさがあった。

 山を突き破り別の山が出てきた。そう思える程に巨大な生物。

 

「準備運動は大丈夫か? ここからが本番だ」

 

 その生物を一目見て、ヴィヴィは覚悟を決めるように嗤った。

 

 




大きな武器と少女は萌える。大きな武器と老人は燃える。この作品は戦う爺とおっさんを応援しています。
という訳でようやく最初に出す予定だったモンスターを全員出せました。
読み返して見て思ったことですが自分の作品はおじいちゃんか中年が戦ってばかりですね。華が無いです。
そのうち若い年齢の人たちが活躍する話を書くかもしれないです。

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