MH ~IF Another  World~   作:K/K

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狂蝕の山

 この手紙を誰かが読んでいる頃には、私はもうすでにこの世にはいないかもしれません。この手紙は、私がこの数日の間に経験したことの全てを書き記したものです。これを読み少しでも危機感を覚えたのであれば、ギルドの冒険者たちでも国の兵士たちでもいいので報せて下さい。 

 私が生まれ、育ち、これから先一生を過ごすと思っていた故郷の惨状を。

 私が暮らしていた故郷の村は地元では×××山と呼ばれている山の中にあります。そこで、私たちは山に住む獣を狩り、その肉を食料にし、残った骨や皮、油を業者などに売って生計を立てていました。

 決して裕福とは言えない生活ではありましたが、今になって思えば日々の充実を感じていました。

 しかし、ある日を境にその日々は崩れていきました。

 切っ掛けは何だったのか。こうやって書きながら私はふと思い出しました。

 全てが変わり始めた日の前日。この地域では珍しく台風が襲ってきたのです。

 激しい雨風に襲われ、家が軋みを上げる中、家が壊れないようにずっと祈っていた記憶があります。

 そして、翌日になって雲一つ無い晴天を皆で見上げ、村人たちと無事であったことへの安堵を共有していたとき、一人の子供がこう言ったのです。

 

 

 ◇

 

 

「悪魔を見た?」

「うん。あたし見たの! すっごい雨や風の中を鳥さんのように自由に飛ぶ真っ黒な悪魔を!」

 

 昨日までの暴風や豪雨が止み、狩り場の確認をする為に集まった狩人たちを前に一人の幼子が興奮気味に告げる。

 流石に真に受ける筈も無く、狩人たちは互いに顔を見合わせ軽く笑ったり、肩を竦めるなどしてそれぞれが子供の戯言だと思っていた。

 

「本当に見たんだってば!」

 

 自分の言葉が軽く取られていることを感じ、地団駄を踏みながら顔を赤くして大声で言う。

 

「そのときのことを詳しく聞かせてくれないかな?」

「おいおい。子供と話している場合か?」

「何かと見間違えたのかもしれないとは思うが、『私』はこの子が嘘を吐くような子だとは思っていないのでね」

 

 若い狩人――『私』は膝を曲げ、幼子と同じ視線の高さにする。

 

「聞かせてくれるかい?」

「うん!」

 

 自分の話を真剣に聞いてくれるのが嬉しいのか幼子は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

「あのね。昨日、寝ていたときなんだけどね。雨や風がすっごくうるさくて途中で起きちゃったの。そのときにね、今どれだけ雨が降っているんだろうなーって思って窓を開けちゃったんだー。そしたら、風がビュービュー入ってきたり雨がザバーって入ってきて濡れちゃうって思ってすぐに窓を閉めようとしたの。そしたらそのときにね、空を見たら羽をバサバサ動かして飛んでく真っ黒が飛んでたんだよ!」

 

 あっちに、と言って指を差した方向を見たとき、思わず『私』と他の狩人たちは顔を見合わせた。

 そこはいつも狩猟用の罠を仕掛けている場所であったからだ。

 

「成程、気をつけるとしよう」

「真に受けるなよ? 気にしていたら仕事になんないぜ?」

「用心に越したことはないさ」

 

 『私』とて幼子の話を鵜呑みにしている訳では無い。ただ、いくら子供が突飛なことを言うにしても、それにはきっと何らかの理由や根拠があってのことだと思っている。嵐の中で飛んで行った悪魔、それが一体何を意味するのか。

 不謹慎ながら少しだけ好奇心が湧いていた。

 話を喋り終えた幼子に礼を言い、『私』と狩人たちはそれぞれ狩りの道具を持って狩猟用の罠が仕掛けられている場所を目指す。無論、幼子の話を確かめに行く訳では無い。

 台風の影響で恐らく壊れているであろう罠を仕掛け直す為に向かっているのである。

 村を出て、山道を登りおよそ二時間が経過したとき目的地へと到着する。

 

「あ~あ……」

 

 着くと同時に何人かの狩人は壊れている罠の状態を見て、顔を顰めるか、溜息を吐くなどをしていた。

 時間を掛けて仕掛けた罠が完全に使用できなくなっているのを見れば無理も無い反応であった。『私』も表情や態度には出さなかったものの内心では落胆していた。

 

「まあ、こうなっていることは予め予想は出来ていたことだし、さっさと直そう」

「はぁ……そうだな」

 

 気持ちを切り替えて壊れた罠を修復し始める。狩りの道具で獣を狩ることが主な方法ではあり収入源ではあるが、罠や仕掛けなどで獲れる獲物も馬鹿にできない程度には稼ぐことが出来る。そもそも今の両方での狩りによって村は裕福ではないが貧困とは言えないぐらいの水準を保っているので、どちらかが機能しなくなると一気に貧困へと傾いてしまう。

 そのことを分かっている狩人たちは、愚痴を溢しつつも作業の手を抜くようなことはしなかった。

 

「ん……?」

 

 そのとき一人の狩人が作業の手を止め、軽く顔を顰める。

 

「どうした? 手が止まっているぞ」

「さぼるなよー」

「ああ、分かっているけどちょっと待ってくれ。……何か臭わないか?」

 

 若い狩人のその言葉を聞き、他の狩人は鼻を鳴らしながらニオイを確認する。『私』もまた他の狩人と同じようにしてニオイを嗅いでみるものの、鼻の中に漂うのは木々の匂いや湿った土の香りぐらいであった。

 

「別に変なニオイはしないなー」

「もしかしてお前自身のニオイじゃねぇの?」

「茶化すなよ。確かに一瞬だけど臭ったんだよ。いやな臭いがな」

 

 直後、周りの木々の葉が激しく揺れる。台風の名残を感じさせる強い風が吹いたのだ。それと同時に『私』を含め、狩人全員が反射的に顔の下半分を手で覆った。

 吹き抜けて行く風の中で確かに感じたのだ。鼻を衝くような生臭さが混じった強烈な血のニオイを。

 

「こいつは……」

「近くに死体があるな……『獣の』だといいが」

 

 冗談っぽく言うがその言葉を聞いて誰も笑うことはしなかった。村があるからといって基本的には人の目が少ない山である。実際にそういったことに遭遇した狩人も少なくない。

 本音を言えば獣以外のそういったものを見たくも無ければ触れたくも無いが、知っていて放置することは人として心の欠けた行動である。

 何よりも狩人たちの間ではそういったものは速やかに対処する決まりがあった。山というものは自分の山で育ったもの以外の穢れを払うことが出来ず、他所から来た穢れは山を弱らせ獣などが獲れなくなるという迷信が混じったものであり、これによって狩人たちは山で見つけた獣以外の死体はどんな状態であるにせよ山の麓まで運んで埋葬しなければならない。

 大きく息を吸い、吐いた後気持ちを切り替え『私』はニオイがした方へと向かい歩いていく。その後ろ姿を見て、他の狩人たちは溜息を一つ吐いた後、後に続く。

 ニオイのした方には道が無く草木が茂っていたが、それらを掻き分けながら先を進む。やがて漂うニオイがより強く、鮮明になってくるのを感じた。

 場所は近い。

 前方に積み重なった木々の枝を携帯していた鉈で斬り払い、その先を見たとき『私』は言葉を失った。

 

「どうした?」

 

 立ち止まる『私』を見て、心配して仲間が声を掛ける。

 

「一体何が……こいつは!」

 

 他の狩人たちもそれを見て絶句した。

 先に広がる空間。そこには無数の獣の死体が横たわっていた。それも一体や二体ではない。軽く見ても二十は超えている。

 

「何てこった……!」

「若い雌から子供まで無差別かよ……」

 

 その光景を見て何人かが天を仰ぐ。だが決して彼らは獣の死を悼んでいる訳では無い。全く無いとは言わないが、彼らの中にあるのは自分たちの生活のことであった。

 死体の群となっている獣は彼らが狩猟の主にしている獲物である。肉や骨、皮など全てにそれなりの価値が付けられているものである。

 故に乱獲などしないよう村の掟で一度に狩る量は定められており、狩る獲物の性別すら決められていた。

 しかし、目の前の惨状はそういったものを全て無視しており、狩人たちは自然にこれがどれほどの影響を自分たちに与えるのか考えていた。

 

「惨いな……」

 

 横たわる一匹に近付き、その亡骸を観察する。

 

「どこの馬鹿だ……! こんなことをするのは!」

「山のルールを知らない余所者か! もしくは頭がとち狂った奴かのどちらかだ!」

 

 現状、肉食の獣に食い荒らされたようには見えない為、人間の仕業だと思い怒りを露わにする狩人たち。

 しかし――

 

「……違うかもしれない」

「ああん?」

「違うって……どういうことだ?」

 

 亡骸を見ていた『私』が人の仕業を否定する台詞を言ったので、他の狩人たちは訝しんだ表情となる。

 

「これを見てくれ」

 

 指差したのは亡骸の腹部。そこには半月状の窪みが無数に出来ていた。

 

「おいおい……どういうこった?」

「こいつは……」

 

 その痕を見て狩人たちは目を丸くする。腹に刻まれた痕は間違いなくこの獣たちの蹄の痕であった。

 

「こいつだけじゃない。他にも同じ痕が残っている奴もいる」

「おい、待て。そうするとなるとこいつらは殺し合ったっていうのか? 自分たちの群の中で? ありえないだろう!」

 

 縄張りやボス争いで戦うことはあったとしても死ぬまで戦うことはまずない。そんなことをすれば自分たちの個数を減らすことになってしまうからだ。本能的にそれを理解している筈の獣が殺し合いをするなど、今までに前例の無いことであった。

 

「……あながち間違いではないようだぞ」

 

 別の狩人が他の獣の死体に近付き、その口を開ける。だらりと中から垂れる舌、そして滴る血と何故か転がり落ちる肉塊。その肉塊には獣と同じ体毛が生えていた。

 

「見ろ。食い千切られた肉片だ。踏み殺すだけじゃなく噛み殺そうともしていたようだ」

「……嘘だろ? こいつら草食だろうが……」

 

 牙を持たない獣が草木を磨り潰す為の歯を用い、相手の肉を噛み千切る程の力を行使する。まさに異常であり、言いようの無い狂気が感じられた。

 

「体の武器になるものなら何でも使って殺し合ったのか……」

 

 想像するだけで嫌悪が湧く。

 一体どういった切っ掛けがあればこのような事態が起きるのか、全く見当も付かなかった。

 無数の死体を前に陰鬱な空気が狩人たちの間に流れる中、奥の茂みが激しく揺れる。

 その音を聞き、狩人たちは皆、反射的に携えていた武器を構えた。

 草木の擦れる音が近付いて来る。相手との距離が縮まっている証である。

 何が出て来るのかは分からず、狩人たちの表情に緊張が走る。

 やがてそれが姿を現した時、皆が一斉に息を呑んだ。

 現れたのは死骸となっている獣たちと同種の獣であった。だがその姿は壮絶の一言に付きる。

 四肢の内、一本は真横に折れて曲っており三本の足で身体を支え、胴体の至る所には血が付着し、所々抉られた箇所がある。その内の一つは内部まで達しておりそこから内臓がはみ出ていた。

 満身創痍。一目見ただけでもう長くは無いことが分かる。身体を支える三本の足は震え、その震えに合わせて抉られた傷から血が滴り落ちていく。体から流れ落ちる血は通常の血とは異なり、数時間外気に触れていたかのようにどす黒く変色しており、その血に塗れた獣の姿は横たわる獣たちの死体よりもくすんで見えた。

 一見すれば半死半生。だがその獣を前にして狩人たちは動くことが出来なかった。折れた足も血塗れの身体も些細なことに思える程、強く意識を向けさせられたのはその獣の眼であった。

 赤く輝く眼。通常の獣ならばまずありえないことではあるが何故かその獣の眼は輝いていた。その輝きには美しさなど皆無であり、その眼を覗くだけで背筋から汗が流れ落ちる。怒りも苦しみも映さない眼、何を考えているのか一切自分たちに悟らせない。

 

『キィィィィィィィィィィ!』

 

 赤い眼の獣が吠える。それだけで全身から鳥肌が立ち、武器を持つ手が汗で湿る。

 およそ草食の獣には似つかわしくない歯を剥いた顔を見せる獣。その口からは血が混じった涎がだらだらと滴る。その表情に正気の欠片すら感じられなかった。

 いつでも飛び掛かれる体勢を見て、狩人たちはより警戒を増す。

 だが、鳴き終えた獣が次に見せたのはその場で崩れ落ちる姿であった。倒れた獣は口から血を吐いた後、痙攣した後そのまま動かなくなる。

 暫しの間、警戒して様子を見ていた狩人たちであったが、やがてその中で『私』が手に鉈を持って横たわる獣に近付き、鉈の先端で二度、三度獣の身体を突く。

 

「……大丈夫だ。死んでいる」

 

 既に事切れていることを確認した後、周りを安堵させるようにそのことを告げる。途端、緊張の糸が緩み、何人かが大きく息を吐いた。

 

「何だったんだコイツは……」

「もしかしたら、殺し合いで生き残った奴がコレなのかもしれないな……」

 

 怪我の後が他の獣の死骸と同じことからそう推測する。

 

「でも目ん玉があんなに赤く光ってたんだぜ? 俺はあんなの初めて見たよ」

「俺だってそうだ。いくら変な病気を貰ったからって目玉が光るかよ」

 

 先程の獣の姿を思い出しながら、獣の死体を眺める狩人たち。絶命している獣の眼は既に赤い光を放ってはおらず、生気を失った眼をしていた。

 他に何かおかしな点はないかと『私』や別の狩人が獣の死骸を探る。

 

「何だ?」

 

 探っていた狩人が訝しげな声を出す。

 獣の死体に触れていた狩人の指先には黒い粉が付着していた。

 狩人は徐にその黒い粉を鼻先に近付け、その匂いを嗅ぐ。

 

「毒……って訳でもないようだが……」

 

 何も匂いがしなかったのか軽く首を傾げ、手に付いた粉を不思議そうに見つめた。

 

「どうかしたのか?」

「ん? いや……」

 

 何かを見つめている姿を見て『私』は覗き込むようにして尋ねる。そこで『私』は狩人の手に黒い粉が付いていることに気が付いた。

 その狩人は特に粉について気にした様子も無く反射的に手に付いた粉を払う。

 そしてそのまま他の狩人の話の輪の中へと入っていった。

 

「それでこの死体はどうする?」

「処分するしかないな」

「やっぱりそれか……勿体無い」

「こんな状態じゃあ、売れもしないし肉も喰う気がしないよ。それともお前が喰うか?」

「やめてくれ。俺だって食べる気がしないよ」

「だったら日が暮れる前に処分しよう。何人か村に戻って道具や油を取ってきて、残りはここで見張りだ。またさっきのような変な奴が出て来るかもしれない」

 

 年配の狩人が指示を出す。特に反対する者は出なかった為に皆、指示通りに動くこととなった。

 それから数時間後。

 狩人たちは掘った穴に全ての獣の死体を入れ、そこに油を撒き、火を点けて焼却していた。

 大きな火柱が立ち、獣の焼ける匂いが場に満ち、肉や骨が爆ぜる音が場に響く。

 そんな中で『私』は思い出したようにあることを呟いた。

 

「そう言えばこの辺りでしたね。あの子の言う真っ黒な悪魔が向かって行った場所というのは」

 

 それを聞き、何人かの狩人が『私』に視線を向ける。

 

「……なあ、お前だってそんな話を本気で信じている訳じゃないよな」

「心の底から信じているという訳じゃないさ。……だけどあの子が指した場所にこんな異様な死体が転がっていた。偶然、で片付けるのはちょっとね……」

「やめろよ、薄気味悪い。ならこいつらが悪魔の呪いで殺し合ったって言うのか? 馬鹿馬鹿しい!」

「あくまで可能性の話さ。私も本当に悪魔が居るなんて思ってはいない。――ただ」

「ただ?」

「もしかしたらこの世には悪魔のように見える生き物が居るかもしれない、と思っただけさ」

 

 『私』の言葉を聞き、会話をしていた狩人は何とも言えない表情をしていた。強く否定したいが否定し切れない。煮え切らない感情が顔に出ていた。

 

「ふん。ならここらで悪魔探しでもするか? お前の話が正しかったら、もしかして見つかるかもしれないぞ?」

 

 それを聞き、別の狩人が口を挟む。

 

「話に熱が入るのは仕方ないがあんまり馬鹿なことを言ってんじゃないぞ。こいつらがこんだけ数を減らしちまったんだから、当分は他の獲物を狩ることに専念しなきゃならないんだからな」

「分かっている。冗談だよ」

 

 本気で受け取るなよ、と愚痴りながらその狩人は『私』から離れていった。

 『私』とて決して本気で悪魔の仕業などとは思ってはいない。このまま何事も無く、普段と同じ日々を送るのが一番望ましい。

 だが、それでも一抹の不安が心に張り付いていた。本当に元の日々を送れるのであろうか、という不安を。

 

 

 ◇

 

 

 翌日。獣の処理の為に後回しになってしまった罠の修復をする為に再び昨日と同じ面子の狩人が集まっていたが、『私』はそこであることに気付いた。

 

「あいつはどうした?」

 

 『私』の言うあいつとは昨日、狩人たちの目の前で息絶えた獣の死体を調べていた狩人のことである。

 

「ああ、あいつなら今日は休みだ」

「休み?」

「何でも疲れが全く抜けなかったそうだ。それでも本人は行くって言っていたが俺が止めとけって言って無理矢理休ませた。あんな顔色を見せられたら休めってしか言えねぇよ。二日酔いしていたみたいに悪かったぜ」

 

 少しおどけた態度で言うものの眼が笑ってはいなかった。こちらを心配させまいと敢えて症状を軽めに言ったのではないかと『私』は考えた。それをわざわざ指摘するのも無粋で在る為、『私』は嘘であると分かりつつもその冗談に乗り、『なら二日酔いに効く薬草を後で届けないと』と自分も冗談を言った。

 他愛の無い会話であるもののほんの少しではあるが、不安が和らぐ。

 

「いつまでも喋ってないで行くぞー」

「ああ、分かった」

 

 他の狩人もとっくに準備出来ていたらしく『私』たちに催促するので、『私』は頷き、村を出て再び山へと向かうのであった。

 だが山の中を進むごとにある違和感を覚えていく。普通の人間ならば気付かない程細やかなものであったが、山で生活をする狩人たちはその違和感を敏感に感じ取っていた。

 誰も口には出さなかったが皆、心の中である共通の感想を抱く。

 

『静かすぎる』

 

 絶え間なく聞こえる鳥の鳴き声、時折、聞こえてくる獣の遠吠えや草木を踏み締める音。山に入れば必ずと言っていい程聞こえてくるそれらの雑音が、一切聞こえてこない。

 自分たちが落ち葉を踏みしめる音。衣服が擦れる音。それだけが耳に入ってくる。

 この不気味な沈黙が何なのか分からず、彼らは漠然とした不安を胸に抱いたまま昨日の罠場に到着すると、中断していた作業を再開した。

 その間に狩人は皆、冗談や軽口などを言い合っていた。一見すれば明るい雰囲気に包まれているようだが、その内心はいつまでも続く山の沈黙に耐え切れず、それから逃れる為の空元気であった。

 それは狩人たちも自覚していることであり、誰もが顔に笑顔を張り付けているものの心から笑っている者は誰一人としていなかった。

 台風で壊された罠を全て修復した帰り道、狩人たちは来た道を帰っていた。山はまだ静かであり、狩人たちの間でも会話が無い。

 罠の修復時に話の話題を全て話しきってしまった為、会話の種も無く空元気も底をついてしまっていた。

 大して疲労をしていないのに狩人たちの雰囲気は重く、それに合わせたかのように足取りも重い。

 何でもいいから山の音を聞きたい。そんなことを誰しも考えていた時、ある音が狩人たちの耳に届く。

 

 チチ、チチチ、チチチチチ、チチチチ。

 

 それは紛れも無く鳥の鳴き声であった。それもかなり近くから聞こえてくる。

 自然の音に飢えていた狩人たちの足は自然と声のする方に向けられる。

 茂みの向こうの地面近く。声で位置を把握した狩人たちは逃がさないように音を殺しながら接近し、その茂みの向こうを覗いたとき――

 

「なっ!」

 

 誰もが絶句した。

 血塗れの野鳥を取り囲む同種の野鳥たち。取り囲んだ野鳥たちは最早、羽ばたくことの出来ない血塗れの野鳥を執拗に啄む。

 

 チチ、チチチ、チチチチチ、チチチチ

 

 啄まれる度に上がる野鳥の苦鳴。だがそんなことなど一切構う事無く周りの野鳥たちは執拗に嘴を突き刺す。

 何度も何度も繰り返される攻撃。その都度鳴く野鳥。

 肉食ではない野鳥が行う残虐な所業は、狩人たちには悪夢のように見えた。

 やがて血塗れの野鳥は苦鳴すら上げなくなり、完全に息絶えてしまう。だがそれでも周りの野鳥たちは攻撃を止めず、野鳥の原型を崩すように啄み続ける。

 

「くそっ!」

 

 あまりに不愉快な光景に耐え切れなくなったのか狩人の一人が茂みから飛び出し、周りの野鳥を追い払おうとする。

 狩人が飛び出した音に反応し、啄むのを止め、野鳥たちは狩人の方に顔を向けた。

 野鳥たちの顔を見たとき、狩人たちは戦慄する。

 振り向いた野鳥の眼が赤く輝いていた。それは昨日見た獣と同じ症状である。

 

「こいつも……」

 

 飛び出した狩人の脳裏に昨日の光景が蘇る。

 そのとき、赤い眼の野鳥たちが狩人の動揺している隙を狙い、一斉に飛び掛かってきた。

 

「うわっ! くそっ!」

 

 慌てて手を振り回し、追い払おうとするが野鳥たちはそれをするりと避け、頭や目などを狙い嘴で突いてくる。

 

「待ってろ!」

 

 それを見た他の狩人は手に鉈や小刀を持ち、襲われている狩人に走り寄ると手に持つ武器を振るう。

 相手が小さい為に中々当たらなかったが、野鳥たちが逃げることをせずに距離を詰めてひたすら攻撃を繰り返していることもあり、やがて狩人の振るった武器がその身体へと命中する。

 首を半ば切断されるもの、胴体が半分千切れかかるもの、片翼が完全に斬り落とされるもの、とどの野鳥も致命傷を負いながら地面に落下する。

 しかし、それでも野鳥は赤い目を輝かせ、這いつくばりながら狩人たちの下へ行こうとするもすぐに限界を迎え、どす黒い血を吐き絶命する。

 

「なあ、これって……」

「ああ、昨日の奴と同じだ……」

 

 野鳥の死体を見て尋ねてくる狩人に『私』は同じことを考えていたのですぐに肯定した。

 木の実や虫などを食糧としている野鳥が同種の仲間を死ぬまで嬲り、人間相手に怯まずに襲い掛かる。昨日の獣と同じく、尋常では無く凶暴になっていた。

 

「一体どうなっているんだ!」

 

 事態について行けず半ばヤケクソ気味に言う狩人。だが、それを咎めるものはいない。誰もが同じ心境であった。

 

「分からない。……本当に分からない」

 

 恐ろしい早さで変貌していく山に『私』はそう言葉を漏らすしかなかった。

 

 

 ◇

 

 

 言葉に出来ない不安を抱えたまま狩人たちは野鳥を昨日の獣と同様の方法で処分をした後、いつものように獲物を探す為に山を駆け巡る。だが、静けさに満ちた山の中では全く獲物が見つからず、結局日が暮れるまで粘ったが成果を得ることは出来なかった。

 村にはそこそこの食料の貯蓄は有るが、村人全員で分けるとなると数日も持たない程度でしかない。

 

「今日の夕飯は干し肉だな」

 

 そう言って狩人の一人が無理矢理笑みを作る。それを見た他の狩人たちも似たような笑みを浮かべた。勿論、『私』も同じく笑みを浮かべる。

 言ったことが面白かったからではない。ただそうしなければ陰鬱な気持ちを引き摺ったまま村人たちに会いたくなかったからだ。

 空しい作り笑いであることは自覚している。しかし、自分たちの今抱えている不安を村人たちに伝播させたくなかった。

 村の入り口にまで帰ってくると出迎えの村人が何人か立っていた。今日の成果がゼロだったことを告げると村人たちは気にするな、こういう日もあると言ってくれた。

 気を遣わせてしまったことに申し訳無さを感じつつ、その温情を甘んじて受け、明日は必ず獲物を獲ろうと心の中で誓う。

 他の狩人たちと別れると『私』は一人自宅へと戻る。以前までは両親と暮らしていたが今は二人とも他界している為、独り暮らしをしている。

 自宅の扉を開ける度、昔の習慣でただいまという言葉が喉まで出かかる。それを抑えながら『私』は狩猟用の道具を全て置き場へ戻し、土や草などで汚れた衣服を取り換える。

 着替え終わると保存していた食糧を取り出し、簡単に調理してから食す。保存を優先している為、味も歯触りも良くは無いが贅沢も言えないので我慢しながらそれらを胃へと落とした。

 食後は、今日使用した狩猟道具の手入れをする。明日は必ず成果を出したいのでいつもよりも念入りに行う。

 道具の手入れを終えるともう既に星が輝く夜になっていた。

 夜更かしをして明日、十分の力を発揮出来なかったら困るのでいつもよりも少しだけ早く床へ着く。

 これで今日が終わる。『私』はそう考えていた。

 ――このときまでは。

 

 キャアアアアアアアアアアア!

 

 深夜。女性の叫び声で目を覚まし、転げ落ちるようにベッドから出る。

 目覚めたての頭が一気に覚醒する程の絶叫。明らかに普通では無い。

 獰猛な獣が村の中に迷い込んだのかと考え、『私』は狩猟用の道具を手にして家から出る。

 外には叫び声を聞きつけ、他の狩人たちも家から出ており、『私』と同じく狩猟道具を持っている。

 

「何処だ! 誰が叫んだ!」

「おい! 無事か! 返事をしろ!」

 

 日が出ていない為、月明かり程度しか照明の無い状態なので周囲を確認出来ず、呼びかけてみるが返事は無い。

 

「おい! 灯りを! 早く!」

「待て! 焦らせるな!」

 

 松明に火を点けようとしている狩人を急かすが、こういう非常事態に限って火の点きが悪い。

 

「――待て。静かにしろ」

 

 狩人の一人が何かに気付き騒がないように指示を飛ばす。それに従い、皆口を閉ざすと微かにではあるが音が聞こえてくる。

 まるで生肉でも叩いているかのような湿った音の混じった殴打音。

 

「こっちだ!」

 

 音の場所を聞き分けたのか、狩人の一人が走り出し、全員後に続く。

 間も無くして音源の場所へと着いた。そこは――

 

「あいつの家か?」

 

 今日、体調不良を理由に狩りに参加しなかった狩人の家であった。確かに家の中から先程の音が聞こえてくる。

 

「どうした!」

 

 勢い良く扉を開ける。だが何故かそこで立ち止まってしまった。

 

「何をしている!」

 

 入ろうとしないのを見兼ねて他の狩人が強引に押しのけて入ろうとするが、扉の向こうを見たとき同じく固まってしまった。

 灯りの無い部屋に何故か輝く二つの赤い光。それは正気を失っていた獣や野鳥と同じ光であった。

 まさか、という考えが狩人たちの脳裏に過ぎる。

 

「大丈夫か!」

 

 松明に火を点けていた狩人がようやく点いた松明を持って少し遅れて合流する。

 その灯りが部屋の中を照らした時、狩人たちは声を上げそうになった。

 双眸を赤く輝かせるのはやはり体調不良を訴えていた狩人であった。そしてその足元には顔の原型が無くなるまで殴打された女性が横たわっている。

 横たわる女性はその狩人の妻であった。

 

「何を考えている!」

 

 自分の妻にこのような真似をしたことに仲間の狩人は怒号を上げるが、双眸が赤く染まった狩人は獣のような声を上げると、怒る狩人目掛けて飛び掛かった。

 一瞬にして地面に倒されたかと思えば、跨れたまま頭を鷲掴みにされそのまま後頭部を何度も地面に叩き付ける。

 

「止めろぉぉ!」

 

 突然の凶行に仲間の狩人たちは一瞬反応が遅れてしまったが、跨る狩人を引き離そうと腕などを掴む。

 だが跨る狩人の膂力は凄まじく、狩人の二、三人が止めようとも動きが止められない。

 ついにはしがみ付く狩人たちを腕力で振り払い、自由になった両腕を下にいる狩人へ容赦無く叩き付ける。

 最初の一撃で歯と血が舞う。殴られた狩人の顔が拳の形へと変形した。ただ殴った方の手も無事では無く歯によって肉が裂け、その部分から骨が露出している。よく見れば指の方も何本か歪に曲がっており、明らかに折れていた。

 実の妻を殴打したときに骨折したらしいが、折れた指で拳を作っていることを理解した常人の神経を持つ狩人の何人かはそれだけで腰が引けてしまう。

 そのまま容赦無く殴り続ける狩人。それを止めようと『私』を含め、他の狩人たちがその身体にしがみついて止めようとするもののその度に振り払われる。

 

(どうする!)

 

 『私』は狂った狩人の腕に体を押し付け、辛うじて止めながらもどうやってこの暴走を抑えるか頭を働かせる。

 そのとき――

 

「そのまま離すな」

 

 しわがれた声。この中で最も年配の狩人の声である。

 何か策があるのかと、言われた通り押さえ続けた。

 ダンッという軽い音がする。あれ程まで強く暴れ続けていた狩人の腕から急速に力が抜けていく。

 この瞬間、『私』は呼吸をすることすら忘れてしまう程の衝撃を受けた。

 暴れていた狩人の顔を半分に割る鈍色の鉈。頭頂部から顔の半ばまで入り込んだそれは言い訳のしようが無い致命傷であった。

 鉈の柄を握る狩人はゆっくりと鉈を引き抜く。それに合わせて狩人だったものの体勢がぐらりと崩れた。

 血と肉、そして薄紅色の液に濡れた刀身が露わになり、やがて完全に抜かれると鉈の先端部分に見慣れない灰色の肉片が付着していることに気付く。それが何の一部かを悟ったとき、猛烈な吐き気が込み上げてきた。

 

「う、うおえっ!」

 

 堪えることが出来なかったのか若い狩人の一人が人目を憚ることも忘れ、嘔吐する。普段、獣などの解体などをして血や肉などに見慣れている筈であったが、やはり人と獣とでは受け取る衝撃が違い、割り切れなかったらしい。

 何度も吐く狩人に別の狩人が手を差し伸べ、死体を見ないように何処かへと連れて行く。

 『私』も気を緩めれば吐いてしまいそうになるのを懸命に耐え、腕にずしりと圧し掛かってくる狩人の死体を慎重に地面へと寝かせた。

 

「お前……」

「分かっておる。だが話は後だ。そっちの具合はどうだ?」

 

 年配の狩人は何か言いたげに話しかけられたがそれを後回しにし、先程まで殴打されていた狩人の体調を尋ねる。

 

「息はしているが、不味いな……骨までいっているかもしれない。山を下りて街の医者か術師に見せないと……」

「そっちは?」

 

 妻の方を尋ねるが、様子を見ていた狩人は無言で首を横に振る。既に手遅れであったらしい。

 

「なら早くそいつを医者に見せないとな。ワシが運ぼう。街までの最短距離を知っている」

 

 年配の狩人の申し出に狩人たちは思わず目配せをした。理由はどうであれ人を殺めている。この機に乗じて逃げるのでは、という考えが頭に浮かんでしまった。

 『私』も他の狩人と同様のことを考えてしまう。村の者が村の者を殺めた場合、村から追い出すという掟があるが、今回のような状況ではそれをそのまま適用するのは難しい。年配の狩人のおかげで救われた命もある。

 

「別に逃げはしない。裁くのであればきちんと罰を受ける。それに一人で行くわけじゃない。最低でも後二人は必要だ」

 

 皆の考えを見透かしたように年配の狩人は苦笑を浮かべながら、逃げる気など無いことを説明する。

 ここで議論していても仕方がないし、その間にも傷付いた狩人の命は弱まっている。

 狩人たちは素早く手伝う者たちを選別し、重傷人を運ぶための道具を用意、道具が準備できるまでの間に出来るだけの応急処置を重傷の狩人に施す。

 やがて即席で出来た担架の上に怪我人を乗せると、年配の狩人を先頭にして山を下りる準備が整う。

 その去り際、怪我人を運ぶ狩人の一人に『私』は近付き、小声で言った。

 

「仮に逃げるような真似をしたら……そのときは何としても引き止めてくれ」

「……分かっているよ」

 

 殺した理由が理由なだけにこのまま追放というのはあまりに酷である。ましてや年配の狩人には身内が居らず、追い出されでもしたら天涯孤独の身になる。同じ村で生きてきた者としてはそのような目には合わせたくなかった。

 松明で道を照らしながら数人に狩人たちが山を下りていく。

 そのとき『私』は指先から何かが滴るのを感じた。滴る液体に鼻を近づけると鉄と似たニオイがする。暴れ狂う狩人が殺された時、血が飛んだのを思い出し、そのときの血が付いたのだとすぐに分かった。

『私』は血を綺麗に拭う為、暗い場所から松明の近くに行く。そして、汗などを拭く為の布を取り出し、手に掛かった血を見たとき『私』は絶句した。手に付いた血は本来の赤色では無く、真っ黒な色をしていたのだ。時間が経てば血も黒くはなるが、血が付いてからそれ程の時間は経過をしておらず、またこのように光すら反射しないほどどす黒い色にはならない。

 付いた血の不気味さに慌ててそれを拭う。肌が痛みを感じるぐらい強く拭き、少しの汚れも残さないようにした。

 やがて完全に拭い終えたとき、ふと『私』は下りて行く狩人たちの方を見た。

 その背は既に小さくなっている。拭い終えた血と同じ色をした夜の暗闇の中に消えていくその後ろ姿を見ながら、『私』は何故か漠然とした不安を胸に抱くのであった。

 

 

 ◇

 

 

 松明の灯りを頼りに整っていない山道を怪我人を担いでひたすら走る。怪我の状態は時間が経過すればするほどに悪化していく為、少しの間も速度を緩めることが出来ない。

 通常の人間ならばすぐに疲労が溜まり動けなくなってしまうが山で育ってきた狩人たちにとってみれば慣れた道であり、担ぐ怪我人の重さも獲物を運ぶのに比べれば軽いものであった。

 山の麓にある街に最短で目指す一行。このまま行けば数十分後には医者に怪我人を見せることが出来る。

 だが事はそう思い通りには進まない。それどころか当人たちが望まない方向へ勝手に進んで行く。

 

「待て」

 

 年配の狩人が突如、止まるように指示する。その声に他の狩人はつい足を止めてしまったが、一刻を争う状況である為、すぐに指示の意味を問う。

 

「一体、どうしたんだ?」

「いる……何かがこの先に……姿は分からないが……こんな感覚は初めてだ……」

 

 声を潜めながら語る年配の狩人の顔からは血の気が引いており、明らかに緊張した状態であった。他の二人は何も感じなかった気配。長い年月を狩りに掛けてきた年配の狩人のみが、言い知れない恐怖を覚えていた。

 

「お前たち、道を変えろ。出来るだけここから離れた道を行け」

「そんなことは出来ない。今から道を変えるとこいつの命が危うくなる」

「変えなければ、死ぬのは一人じゃ済まなくなる」

 

 年配の狩人は腰に差してある鉈を引き抜いた。それを見て、狩人二人はびくりと肩を震わせる。しかし、その刃は二人には向けられない。

 

「……気付かれた。こうもあっさりと。鼻がきくのか、あるいは耳がいいのか……」

 

 気付かれたことに気付いた彼は、鋭い声を二人に飛ばす。

 

「いますぐ行け! ここでワシが少しでも時間を稼ぐ!」

 

 険しい表情で言うものの、いまいち現況を掴めていない二人は迷うような表情を浮かべる。もしも、年配の狩人が人を殺していなかったのであればすぐに従っていたであろうが、今の彼は人殺し。それ故に不信感が芽生えてしまい、その言葉を素直に受け取ることが出来なかった。

 哀しいかな老人の命を賭した行為はただの空回りとなっていた。

 だが、彼の焦りもすぐに狩人二人に伝わるものとなる。明らかに変化していく周囲の状況によって。

 最初に起きた変化は暗くなっていく周りの光景であった。いくら夜であっても、木々がそれほど生い茂ってはおらず空から月光が注ぐ中、それなりの明るさがあった。しかし、徐々にその光は薄暗いものとなっていく。月が雲に隠れた訳では無い、月光と狩人たちの間を覆う何かが光を遮り始めていた。

 周りどころか近くにいる者すら見えなくなっていく。手に持つ松明の光も周りを照らすことなく光を吸収されているかのように役立たずとなっていた。

 

「お、おい! 何だこれ!」

「し、知らねぇよ!」

 

 黒く塗り潰されていく中、見えなくなっていく仲間の存在を確かめるように大きな声を出し互いの存在を確認し合う。

 

「アレは……」

 

 狩人二人が混乱する中、年配の狩人は暗く染まっていく光景の中、前方に見知らぬ光を見つけた。

 最初は紫色の小さな光であったが、その光が大きくなるにつれ色が変化していき紫から青色へと変わっていく。

 

「不味いかもしれんな……」

 

 狩人として培ってきた経験が最大級の警鐘を鳴らすが、同時に最早手遅れであることを否が応にも悟ってしまう。

 やがて光は更に大きくなり、青から赤紫へと変色したとき――

 

 

 ◇

 

 

「遅いな……」

 

 怪我人を送り出してからかなりの時間が経過していた。夜が明け、既に日も高くなっている。

 だというのに誰一人、容態を伝える為に戻ってくることは無かった。

 必要以上に治療に手間取っているのかとも考えたが、それでも遅すぎる。

 結果が良いか悪いのか、未だに分からず待機していた狩人たちは気分が落ち着かなかった。

 

「……こっちから向かうか?」

 

 痺れを切らしたのか『私』は皆にそう提案する。他の狩人たちも『私』と同じことを思い、それを誰かが言うのを待っていたのか反対する者は無く、数名の狩人が選ばれ山を下りることが決まった。

 勿論、言い出した『私』も山を下りる面々の中に入っている。

 一応の準備を整え、『私』たちは怪我人を送る為に通ったと思われる道を辿りながら、万が一のことも考えながら年配の狩人たちの姿も探す。

 昨日と同じく相変わらず静まり返った山の中を見渡しながら、『私』たちは進む。

 しかし、特に何の発見も無いまま街までの残り三分の一程までの距離となっていた。

 このまま何事も無く、無事街に辿り着き、街医者の所に年配の狩人たちが居ることを願いつつ歩を進める。

 

「うっ!」

 

 そう思った矢先、風の流れの中に混じって耐えがたいニオイが鼻孔を刺激し、『私』は反射的に鼻を押さえた。

 強い鉄のニオイ。山の中で何度かそれを嗅いだことがある。ニオイを辿ると必ずと言っていい程、肉食の獣に襲われた獣の死体がある。

 ならばこのニオイを辿った先になにがあるのか。

 普通に考えれば、恐らくは獣の死体である。だがこのとき『私』はその考えを安易に肯定することが出来なかった。

 『私』は他の狩人たちに目配せをする。このニオイが何なのか探るという意味を込めて。

 狩人たちは首を縦に振り、先行する『私』の後ろに付いて行った。

 ニオイは街への道から外れた方向から漂ってくる。少なくとも『私』の記憶ではこの方角には何も無かった筈であった。

 生え茂った草を掻き分けて奥へ奥へと進む。先を進む毎にニオイが強くなってくるがそれに比例して道も険しくなり、垂れた蔦が進行の妨げをしたり、木々の間に張られた虫の巣が体に張り付き不快な気分になる。

 ある程度、奥まで進んだとき道なき道にある変化があった。

 折れた小枝、草を掻き分けた跡。明らかに人が通った形跡がある。その跡を辿り、更に奥へと進む。

 それから間も無くして目に映り込んだ光景。『私』はこれを生涯忘れないであろうと思いながら呆然と立ち尽くす。

 赤黒く変色した肉塊。本来がどのような形であったのか分からない程に原型が崩されていた。これだけならばまだよかった。元が何であったのか分からずに済んだ為に。だがその肉塊に混じり、あるものの切れ端が幾つも飛び出していたのである。

 動物の体毛や植物を加工して作られた布。それはとある村の女性たちが編み込み、衣服の材料となっている。

 『私』も良く見知ったものであった。何故ならば『私』もまた同じ材質の衣服を纏っている故に。

 更に追い打ちを掛けるように肉塊の近くには血で赤黒く汚れ、しわくちゃになった布。その近くには砕けた二本の棒がある。

 どう見ても怪我人を運ぶ時に『私』たちが急いで作った担架の残骸であった。

 認めたくはないが認めざるを得なかった。目の前に放置された肉塊がかつての村の仲間のなれの果てであることを。

 

「うっ!」

「ああ……あああ!」

 

 遅れてきた他の狩人たちも肉塊を見て顔を顰め、それの正体に気付き表情を蒼褪めさせる。

 ふらふらとした足取りで仲間の遺体とも呼べないものへと近付く『私』。怪我人を送った皆が全滅しているという現実に上手く体が動かせない。

 そのとき『私』は奥の茂みで何かが光るのを見た。よく見ればそれは狩人たちが持っている鉈である。

 慌てて近寄ると鉈とそれを持つ手が見え、そしてその先には茂みから飛び出して横たわる年配の狩人の姿があった。

 

「大丈夫か!」

 

 声を出し、横たわる年配の狩人の両肩を持ち上げる。

 

「あ……」

 

 そこで『私』は固まってしまった。何故なら持ち上げた狩人の重さが自分の想像よりも遥かに軽かったからである。

 両肩を持ったままよろめくように後ろへと下がると、年配の狩人の『上半身』が茂みから出て来た。

 そう上半身のみである。腹部から下はそこには無かった。

 

「つっ! う……! くう……!」

 

 僅かに開かれた瞼から覗く光の無い眼を見て絶叫を上げそうになる。いっそ喚きたくなる。胃の中のものをすべて吐き出し、何もかも見なかったことにして目の前の現実を全て否定し逃げ出したくなる。

 どうしてこうなったのか。何故、こんなことが起きたのか。考えても分からない。

 心の一部が死滅したかのような気分で『私』は年配の狩人の上半身を完全に引き摺り出すと、奥の茂みに入り残りの下半身が無いか探す。

 ここまで来ると半ばヤケクソであった。

 目的のものはすぐに発見することが出来た。

 上半身のみの遺体から数メートル程離れた先に下半身が残っていた。

 だがその残された下半身も普通では無い状況に置かれている。

 人の胴体よりも遥かに太い切り株に背を預けるようにして年配の狩人の下半身が残っていたが、切り株のすぐ側には倒木があった。

 明らかにその切り株のものと思われたが、そうするとおかしなことになる。

 切り株を見る限り何度も切り付けた痕跡は無く、明らかに一撃で倒されたとしか思えない程の切り口であった。

 つまりこの木は年配の狩人ごと切り倒されたということになるが、どう考えても異常である。

 『私』が知る限りこれほどの大木を一撃で倒す生物など記憶には無い。敢えて候補を挙げるならば竜種であるがこの地域に竜種などは存在せず、竜種であってもこれほど綺麗な断面を残して切断など出来る筈が無かった。

 一体何に襲われたのか。考えれば考える程、分からなくなってくる。

 そのとき『私』はふと遺体の下半身を見てあることに気付いた。衣服の一部に何か黒いものが付着している。

 『私』はその辺りに生えている葉を一枚取ると手に鉈を持ち、慎重な手付きで衣服に付いた黒いものを鉈で擦り、葉の上に落す。

 葉の上に広がる黒い粉。鉄粉、あるいは炭を細かく砕いたもののように近い。

 この粉を『私』は一度見たことが有る。山での最初の異変の時、後に凶暴化した狩人が見つめていた黒い粉と酷似していた。

 黒い粉。何故か『私』にはこの一連の異変に深く関係しているように思えた。

 何か特別おかしいという訳では無いが、『私』は自分が感じたまま注意深く観察をする。

 すると――

 

「おい」

「うわっ」

 

 観察の最中に声と共に肩を叩かれ、つい驚きの声を上げ、その拍子で手に持っていた葉を地面に落してしまう。

 

「何をぼうっとしてんだ。……早くこいつらを土に埋めるぞ。このままだと獣たちに食い荒らされるかもしれない」

 

 連れの狩人に言われて『私』は随分と気が抜けていたことを自覚する。血や臓物のニオイは野生の獣を引き寄せる。『私』たちから見れば仲間の死体ではあるが、獣たちにとってはただの餌でしかない。

 連れの狩人が言ったように一刻も早く土に埋め、ニオイを隠さなければ無惨な仲間の死体がこれ以上惨たらしいものとなる。

 色々と気になることはあるが、今はまず死んでしまった仲間たちの誇りと尊厳をこれ以上汚さないようにしなければならない。

 『私』たちは道具や木の棒、手などを使い適度な穴を掘るとそこに仲間の死体を入れ、土を被せる。

 仕上げに獣たちが嫌がるニオイを放つ木の実を潰し、土の周辺に撒いた。これで土を掘り返される可能性は低くなる。

 

「……行こうか」

 

 土に埋まった仲間たちの姿を目に焼き付け、『私』たちはこのことを伝える為に村へと戻る。

 葬った彼らをきちん埋葬するには人手が必要であり、どうしても一度は村に戻らなければならない。

 後ろ髪を引かれる思いで『私』たちはこの場から去るのであった。

 

 

 ◇

 

 

 村に到着する頃には既に日は大分傾いており、茜色の陽光が村を一色に染め上げていた。

 村に着くと村人の何名かが『私』たちの姿に気付き、近寄って来る。何故かその手には焼けた肉が載った大きな皿が持たれていた。

 『私』はその手の上に乗っているものに注目してしまう。

 

「それは――」

「おかえりなさい!」

 

 『私』が言うよりも先に村の女性たちから迎えの声が掛けられる。その声に気付き、狩人仲間も近付いてきた。

 

「どうだった?」

 

 そう尋ねられたので『私』は無言で首を横に振る。

 

「……全員か?」

 

 『私』の首が今度は縦に振られた。

 それを見た狩人仲間は沈痛な面持ちとなる。『私』にはその気持ちが良く理解出来た。彼らの無惨な遺体を見たときおそらく同じ表情を浮かべていたであろう。

 

「聞かせてくれ」

 

 狩人仲間に応じ、『私』は何があったのかを報せる為に他の狩人たちを集め、『私』たちが何を見て、何をしてきたのかを伝える。

 話が終わるまで他の狩人たちはそれを神妙な顔をして聞いていた。

 

「……そうか、分かった。明日、みんなであいつらを迎えに行こう」

「しかし、一体何に襲われたっていうんだ?」

「長いことこの山で生きてきたが、そんな化物なぞ見たことが無いどころか話すら聞いたことが無いな」

「山狩りでもするか?」

「ならもっと人を集めなくちゃならない。……適当なことを言って街の奴らやギルドの冒険者でも呼ぶか?」

「街の奴らはともかくギルドはな……足元を見られるかもしれないな、特に俺らみたいなもんは」

 

 全てを聞き終えた狩人たちは口々にこれからのことについて話し合う。故人を悲しむ素振りを見せないのは単に薄情だからではない。故人にとってきちんと葬ること、そして仇が居ればそれを討つこと、そのことが最上の供養であると分かっている為、先のことを考えているのである。

 話が大分煮詰まってきたとき、ふと『私』はあることを尋ねた。

 

「ところであの肉はどうしたんだ? 何か捕まえたのか? 最近、全く獲物を見なかったんだが……」

 

 『私』たちが山に入っていたときですら鳥の声一つ聴こえなかった状態で、しかもかなりの量の肉があることから大物もしくは大量に狩猟したことに『私』は驚きを感じていた。

 

「それがな……」

 

 彼らが言うには今日、山に入ったところ偶然にも特大の獲物を発見したという。それも数年に一度出会えるかどうかの獲物だったらしい。その獲物がこちらに気付かないうちに狩人たちが一斉に仕留め、今に至るという。

 その話を聞いたとき、『私』は漠然とした不安に襲われた。ここ数日の間、異常な行動を見せる獣を見たせいで神経が過敏になっているのかもしれないが、それでも聞かずにはいられなかった。

 

「獲ってきたやつに……何か変な部分は無かったか? ……例えば変なものが付いていたとか……」

 

 脳裏に過ぎるのは年配の狩人に付着していた黒い粉。それがどんなものであれ、山の異変の原因という確信は無い。しかし、黒い血を流す獣の姿を見ていた『私』には何らかの関連性があると思っていた。

 

「ああ、もしかしてここ最近、変な獣ばかり出ているから気にしているのか? 安心しろ。ちゃんと調べているし、食べている肉だってきちんと火を通してある。前のみたいに目だって赤くなかった」

 

 何も考えずに食べている訳では無いと告げる狩人。

 

「……そうか」

 

 『私』は差し出された肉の皿に目を落とす。厚めに切られた肉は炭火で良く焼かれており、赤身の部分や脂身の部分からは良質な獣の油が浮き出ている。

 人としての本能から肉のニオイが鼻孔に入っただけで喉が鳴り、口には唾液が溜まる。

 しかし――

 

「……すまない。今日は遠慮しておくよ。……仲間の遺体を見たせいか食欲が湧かなくてね……」

 

 本音と嘘が半分半分混じった言葉で差し出された肉を受け取らない。

 他の狩人たちも『私』が断る理由に納得したらしく、それ以上は強く勧めなかった。

 そして、『私』は先に家に戻ると言い、皆の集まりから一人離れて行く。

 仲間の死のせいで食欲が無いというのは決して嘘では無い。しかし、肉を食べなかった理由の全てでは無かった。他の狩人たちは十分に調べた後に安全であると判断して食べているが、『私』はそれに僅かな疑念を持ち食べるのを断った。

 果たして目に見える程の変化が無かったとして本当に身体に影響が無いのか。この山に起こった異常事態。何十、あるいは何百という年数を変わらずに送ってきた平穏を、僅かな間で狂わせていく姿無き存在。

 それが火で焼いた程度で無くなってしまうのか。

 全てが考え過ぎであり、ただの杞憂であって欲しいと願いながら『私』は独り家の中で保存用の燻製肉を齧るのであった。

 翌日。起床し、昨晩約束した通り他の狩人たちと共に亡くなった仲間をきちんと供養する準備をしていた。

 穴を掘る為の道具を用意し、村の中央に行く。しかし、どういう訳か『私』以外誰も居なかった。

 思わず首を傾げる。決して早起きをした訳では無く、この時間ならば既に二、三人程来ている筈であった。

 暫く待つと狩人の一人がやって来たが、その顔を見て『私』は思わず目を剥く。

 生気の無い土気色の肌と目。足取りは重く、『私』と同じ道具を持っている筈なのに両肩が下がり今にも落としてしまいそうであった。

 

「一体、どうした!」

 

 声を荒げて尋ねてしまう。それほどまでに真面な状態では無かった。

 

「……おう」

 

 一拍子遅れて返事を返す狩人。見た目だけでなく反応もおかしい。

 

「……何だか体が重くてな……うちの女房も子供も似たような感じになっちまってる……病気でも貰ったかな……」

 

 眼の焦点が合わない状態で淡々と話していくが、『私』はその姿が恐ろしくてしょうがなかった。

 直接視た訳では無いが彼から聞かされた症状はあの狂った狩人がかかっていた症状と良く似たものであったからだ。

 考え過ぎだと思っていた可能性、それが急に現実味を増していく。

 

「それなら……今日は止めにしよう。無理をして病気を長引かせてはいけない。いますぐ家に帰って養生してくれ」

「だけど――」

「いいから! 他のことよりも自分のことを気遣ってくれ!」

 

 引き下がろうとしない狩人に対し、『私』は声を荒げて帰るように言う。いきなり大声を出す『私』に狩人は面喰う。

 その態度を見て『私』はハッとしすぐに謝罪の言葉を言うと改めて丁寧な口調で帰宅を促す。

 狩人は『私』の様子に首を傾げつつも大人しくしたがい、家へと帰っていった。

 姿が見えなくなるまで見送った後、『私』はその場で膝から崩れ落ちる。その身体は寒くも無いのに震えていた。

 

(まさか……まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか!)

 

 既に手遅れなほどにことが進んでしまっていることに『私』は気付いてしまった。

 あの日、あの時、己の感じたものを信じて止めていればこのような段階まで進むことがなかったのではないか、という遅すぎる後悔と罪悪感が背に圧し掛かってくる。

 どんなに悔恨しても時計の針を戻すことなど出来ない。

 ふらふらとした足取りで『私』は家へと戻る。

 家に戻るとすぐにベッドに入り頭からシーツを被る。

 もしも『私』の考えている通り、昨晩食べた獲物が黒い粉によって侵されていたのであれば、後に起こる惨劇は容易く想像出来た。

 だが、今の『私』にそれを防ぐ方法など何一つない。

 ただ自分の想像がただの空想に過ぎず、全てが偶然であったと空しい祈りをするだけしかない。

 

(どうすればいいんだ? 本当に……本当に起こるのか? もしかしたら、もしかしたら……)

 

 根拠の無い希望に縋りながらただ時間は過ぎていく。

 やがて日が傾き、窓から射す光が紅色へと変わったとき、『私』の思い描いた最悪は現実を侵食し始める。

 始まりを告げる鐘の音は窓ガラスの割れる音であった。次に聞こえてくるのは悲鳴と怒号。

 『私』はそれを聞くと家から飛出し、恥も外聞も捨てて村に背を向けて逃げ出した。

 何処か遠くへ。村人たちの声が聞こえなくなる場所まで。

 耳を押さえ、後を振り返らず、ただ背を向けた現実から逃げ出す。

 

(何も出来ない……私には何も出来ない……)

 

 走って走って着いた先に獣が作ったらしい横穴を見つけ、そこに潜みひたすら時間が過ぎるのを待ち、震え続ける。

 灯り一つ無い夜の闇。一秒が永遠に感じられるような感覚を独り耐えながら、ひたすら時間が過ぎるのを待った。

 やがて朝の日差しが夜の闇を消し去っていくのを見て、横穴から出るとふらふらとした足取りで村の方を目指して歩く。

 数時間後、着いた村は『私』の知っているかつての村では無かった。

 咽かえる程に血のニオイが漂い、老若男女全てが死体と化した光景。原型を留めている死体など殆どなく、どれもが顔の形が変形していた。

 殴打の跡、噛み傷、引っ掻き傷、人間の持つ武器を使い死ぬまでひたすら殺し合ったのが分かる。

 『私』は堪らずその場で嘔吐した。

 

「地獄だ……ここは地獄だ……」

 

 不安定になる感情を抑えながらその場で座り込み途方に暮れる。自分がこれから何をすればいいのか全く分からない。

 暫くの間、その場でただ茫然としていたが、やがて何でもいいからしようとその場から立ち上がろうとしたとき――

 

「あっ」

 

 立ち上がる脚に力が入らず尻餅を突く。気を取り直してもう一度立ち上がろうとするが何故か脚に力が上手く入らず、立ち上がっても足元がふらつく。

 

「まさか……」

 

 『私』はこのとき逃れられない現実を知らされた。

 

 

 ◇

 

 

 これが私の村で起こったことの全てです。間も無く私もじきに正気を失ってしまうでしょう。もう既に山を下りる力もありません。

 この手紙を読んで下さった方、どうか黒い粉を見かけたら決して近寄らないで下さい。

 そして出来ればその黒い粉がなんなのかギルドに頼んで調べてくだされば、未練も無く逝けると思います。

 どうかこの手紙が誰かに読まれることを祈って。

 

 そこまで書くと『私』はよろよろとした足取りで手紙を瓶に詰める。

 そして残された体力を振り絞って村から少し離れた場所にある川まで行くと、その瓶を川へと流した。

 山を降りられない程不調な体では、これぐらいしか方法が無い。

 

(せめて……死ぬなら……家で……)

 

 徐々に混濁していく意識を辛うじて保ちつつ、村へと戻る。

 重い足取りで着いた村。しかし、迎える者はおらず、在るのは朽ちていく死体のみ。

 それを避けながら家へと向かう『私』。そのとき聞こえる羽ばたく音。

 音の方へと目を向けた『私』が見たものは、天空から舞い降りる『悪魔』の姿であった。

 全身が艶の無い黒へと染められ、目や鼻といった器官が無く黒一色に染められた顔。鋭い爪を持つ四肢は太く、『悪魔』の巨体を支えるのに十分なものであった。

 舞い降りた際に閉じられた翼は外套を纏っているようであった。

 そしてその『悪魔』が身体を少しでも動かす度に黒い粉が舞う。

 『私』はその姿を見て絶句するしかなかった。

 

(これが……こんな生き物が……)

 

 『悪魔』の周囲に漂う黒い粉を見て、一連の異変の元凶が何なのかを悟る。だが知ったところで何一つ出来ない。

 見ただけで心が折れる。生物と自分の間にどうすることも出来ない格の差を本能で分かってしまった。

 

「あ……あああ……」

 

 恐怖でその場から動くことの出来ない『私』。黒い悪魔は、周りの死体を落ち葉の上を歩くかのように何の感慨も無く踏み付けながら震える『私』へと近付く。

 『私』は気付くことが出来なかったが、黒い悪魔が近付く度に外套のような翼の内側の色が変わり、今は紫から青へと変色していた。

 『私』は理解する。この村、否、この山は滅びる運命ににあったのだと。悪魔に魅入られ、呪われた山に未来など無いのだ。

 やがて黒い悪魔が『私』のすぐ目の前に立つ。最早、終わりは決まっていた。

 黒い悪魔は『私』の前で悪魔としての本性を露わにする。

 本来ならば目がある部位を突き破って二本の角を生やし、引き摺っていた外套のような翼は大きく開かれ、その内側から赤紫色の光を放つ。

 翼には巨大な鉤爪が備わっており、それを地面に叩き付けるように着地させると四脚から六脚という異形から更なる異形の姿へと変わった。

 悪魔が変貌すると待っていた黒い粉は更に量を増し、周囲が暗く染まっていく。

 

「ははは……はははは……」

 

 力無く笑う。笑うしかない。絶望が形となって現れたことにただただ笑うしかなかった。

 

「悪……魔……」

 

 『私』がそう呟くと同時に悪魔はその大きな翼を振り上げるのであった。

 

 

 ◇

 

 

「んん?」

 

 川辺で遊んでいた少女が何かを見つけ、その場でしゃがみ込む。

 

「どうしたんだ?」

 

 少女と遊んでいた少年は何をしているのか覗き込んできた。

 

「これ」

「瓶?」

 

 少女の手にはコルクで封がされた瓶が握られており、瓶の中には手紙らしきものが入っていた。

 気になってコルクを開けようとするが固くしまっており、子供の力では開けることが出来ない。

 

「あかなーい」

「大人の手を借りなきゃダメみたいだな」

「どこから流れてきたんだろう?」

「この川だったらあそこの山から――あれ?」

「どうしたの?」

「あの山って……あんな黒い靄に覆われていたっけ?」

 

 

 




ゴア・マガラというよりも狂竜ウィルスがメインとなっている話となっております。
飛竜ですら狂うウィルスを短時間で克服するハンターって……もしかして元から狂って……

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